「リオデジャネイロ」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「 '''リオ・デ・ジャネイロ'''({{Lang-pt-short|'''Rio de Janeiro'''}}, ブラジルポルトガル語発音: ヒウ・ヂ・ジャネイル) ブラジル...」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruses|リオデジャネイロ市|州|リオデジャネイロ州|その他|リオデジャネイロ (曖昧さ回避)}}
 
{{世界の市
 
|正式名称 = リオ・デ・ジャネイロ
 
|公用語名称 = Rio de Janeiro<br />{{flagicon|Brazil}}
 
|愛称 =Cidade Maravilhosa(素晴らしい街)、Rio(リオ)
 
|標語 =
 
|画像 = Montagem Rio de Janeiro.jpg
 
|画像サイズ指定 =
 
|画像の見出し = 左上から: [[コルコバードのキリスト像]]、[[リオ・ニテロイ橋]]、[[:en:Centro (Rio de Janeiro)|セントロ地区]]、[[エスタジオ・ド・マラカナン]]、[[ポン・ヂ・アスーカル]]、[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]ビーチ、[[コルコバード]]から臨むパノラマ
 
|市旗 = Bandeira da cidade do Rio de Janeiro.svg
 
|市章 = Brasão da cidade do Rio de Janeiro.svg
 
|位置図 = RiodeJaneiro Municip RiodeJaneiro.svg
 
|位置図サイズ指定 =
 
|位置図の見出し = リオ・デ・ジャネイロの位置(リオ・デ・ジャネイロ州)
 
|緯度度=22 |緯度分=54 |緯度秒=30 |N(北緯)及びS(南緯)=S
 
|経度度=43 |経度分=11 |経度秒=47 |E(東経)及びW(西経)=W
 
|成立区分 = 建設
 
|成立日 = [[1565年]][[3月1日]]
 
|旧名 =
 
|創設者 =
 
|下位区分名 = {{BRA}}<!--必須-->
 
|下位区分種類1 = 地域
 
|下位区分名1 = {{仮リンク|南東部 (ブラジル)|en|Southeast Region, Brazil}}
 
|下位区分種類2 = 州
 
|下位区分名2 = [[リオデジャネイロ州]]
 
|下位区分種類3 =
 
|下位区分名3 =
 
|下位区分種類4 =
 
|下位区分名4 =
 
|規模 =市
 
|最高行政執行者称号 = 市長
 
|最高行政執行者名 = マルセロ・クリベラ
 
|最高行政執行者所属党派 = [[共和党 (ブラジル)|PRB]]
 
|総面積(平方キロ) = 1,260
 
|総面積(平方マイル) =
 
|陸上面積(平方キロ) =
 
|陸上面積(平方マイル) =
 
|水面面積(平方キロ) =
 
|水面面積(平方マイル) =
 
|水面面積比率 =
 
|市街地面積(平方キロ) =
 
|市街地面積(平方マイル) =
 
|都市圏面積(平方キロ) = 4,557.3
 
|都市圏面積(平方マイル) =
 
|標高(メートル) = 0〜380
 
|標高(フィート) =
 
|人口の時点 = 2010年
 
|人口に関する備考 =
 
|総人口 = 6,323,037
 
|人口密度(平方キロ当たり) = 4,781
 
|人口密度(平方マイル当たり) =
 
|市街地人口 =
 
|市街地人口密度(平方キロ) =
 
|市街地人口密度(平方マイル) =
 
|都市圏人口 = 12,387,000
 
|都市圏人口密度(平方キロ) =
 
|都市圏人口密度(平方マイル) =
 
|等時帯 =UTC-3
 
|協定世界時との時差 = -3
 
|夏時間の等時帯 =UTC-2
 
|夏時間の協定世界時との時差 = -2
 
|郵便番号の区分 =
 
|郵便番号 = 20000-000
 
|市外局番 = +55 21
 
|ナンバープレート =
 
|ISOコード =
 
|公式ウェブサイト = [http://www.rio.rj.gov.br/ City of Rio de Janeiro]
 
|備考 =
 
}}
 
[[ファイル:Rio deJaneiro LE2002059 lrg.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真]]
 
[[ファイル:Rio at night from space.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真(夜間・[[国際宇宙ステーション|ISS]])]]
 
'''リオ・デ・ジャネイロ'''({{Lang-pt-short|'''Rio de Janeiro'''}}, [[ブラジルポルトガル語]]発音: ヒウ・ヂ・ジャネイル)は、[[ブラジル]]南東部に位置する[[リオデジャネイロ州]]の州都。世界有数の[[メガシティ]]であり、国内最大の[[観光都市]]である。[[港湾都市]]としても知られる。
 
  
人口は600万人を超え、[[サンパウロ]]に次いでブラジル第2位にランクされる。経済規模(域内総生産)でも[[サンパウロ]]に次いで第2位にあり、アメリカの[[シンクタンク]]が公表した[[ビジネス]]・[[人材]]・[[文化]]・[[政治]]などを対象とした総合的な[[世界都市#世界都市指数|世界都市ランキング]]において、世界第56位、国内では[[サンパウロ]]に次ぐ第2位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>。都市周辺の美しい[[文化的景観]]は「[[リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群]]」として、2012年に[[世界遺産]]リストに登録された。
+
'''リオ・デ・ジャネイロ'''({{Lang-pt-short|'''Rio de Janeiro'''}}, [[ブラジルポルトガル語]]発音: ヒウ・ヂ・ジャネイル)
  
[[2016年]][[リオデジャネイロオリンピック|第31回夏季オリンピック]]の開催都市である。
+
[[ブラジル]]南東部,[[リオデジャネイロ州]]の州都。正式名称 Cidade de São Sebastião do Rio de Janeiro。略称リオ Rio。1960年までブラジルの首都。[[大西洋]]に面する港湾都市で,[[サンパウロ]]の東約 350km,[[グアナバラ湾]]南西岸に位置する。熱帯圏の南限にあり,年平均気温は 23℃をこえるが,冬季(6~9月)は比較的涼しく,しのぎやすい。市名は[[ポルトガル語]]で「1月の川」の意で,1502年1月1日,この地に到達したポルトガル人が幅の狭い湾口を河口と誤認して命名したことに由来するといわれる。1565年湾岸に集落が建設され,サトウキビ栽培で発展。17世紀末以降,後背地の内陸部で金,ダイヤモンドが発見されると,これを求めて内外から多数の人が流入して人口が急増。1763年北部のバイア([[サルバドル]])に代わって[[ポルトガル]]植民地の首都となった。1815年にブラジル王国,1822年にはポルトガルから独立してブラジル帝国となり,その首都として発展。独立後は背後の高原地帯でコーヒー栽培が盛んになり,繁栄をもたらした。1889年ブラジル連邦共和国が成立してその首都となり,1891年の憲法により周辺を含めた地域が連邦区となった。1960年首都が内陸の[[ブラジリア]]へ移され,連邦区はグアナバラ州となったが,1975年リオデジャネイロ州と統合し,[[ニテロイ]]に代わって同州の州都となった。人口増加と経済発展に伴って都市域がしだいに拡大,周辺 13市に及ぶ大都市圏を形成するにいたった。サンパウロに次ぐブラジル第2の大都市で,出版・印刷,繊維,医薬品,食品,衣料,製靴,電子・通信機器,金属,造船などの諸工業が高度に発達している。建設業,金融業,サービス業なども盛ん。文化の中心地でもあり,[[リオデジャネイロ大学]](1920)をはじめとする多数の高等教育・研究機関があり,博物館,美術館,図書館,劇場などの文化施設も多い。湾岸の沖積平野に広がる市街には,ところどころに[[コルコバド]]などの岩峰が突出して独特の美しい景観をつくっている。2012年,[[世界遺産]]の文化遺産に登録。2017年には,1811年以降の推定 90万に及ぶアフリカ人奴隷([[奴隷貿易]])の痕跡を伝えるものとして,中心市街地にあるバロンゴ埠頭跡が世界遺産の文化遺産に登録された。大西洋岸に[[コパカバナ]][[イパネマ]]などの海浜保養地もある。夏の観光シーズンに開かれる[[カーニバル]]は世界的に有名。世界三大美港の一つといわれるリオデジャネイロ港はブラジルの主要貿易港として水運の要地となっている。鉄道・道路網の一大基点で,市内の交通網も発達。湾内の水上交通も盛んで,対岸のニテロイとはグアナバラ湾横断橋でも結ばれている。湾内の[[ゴベルナドル島]]にはガレアン=アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港がある。市域面積 1255km<sup>2</sup>,都市圏面積 5384km<sup>2</sup>。市域人口 632万446,都市圏人口 1187万5063(2010)。
 
 
== 名称 ==
 
"Rio de Janeiro"とは[[ポルトガル語]]で「[[1月]]の[[川]]」という意味。
 
 
 
[[ブラジルポルトガル語]]発音では、'''ヒウ・ヂ・ジャネイル'''{{IPA|ˌxiuʤiʒaˈnejɾu}}となる。
 
 
 
一般的にポルトガル語で都市名を読み書きする場合は男性形・女性形の区別をつけないが、一般名詞と区別するためにリオ・デ・ジャネイロは必ず男性定冠詞"o"を付けた"'''o Rio de Janeiro'''"という男性形で呼ばれる。ただし、長距離バスや航空機の行先表示などでは単純に「Rio」と略記されることもある。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[謝肉祭|カーニバル]]で有名。[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]、{{仮リンク|イパネマ|en|Ipanema}}などの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる美しい都市である。[[域内総生産順リスト|都市のGDP]]は2010億ドルであり世界第30位、南米では[[サンパウロ]]、[[ブエノスアイレス]]に次ぎ第3位である<ref>[https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110513194342/https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 |date=2011年5月13日 }}</ref>。
 
 
 
[[1960年]]に[[ブラジリア]]に[[遷都]]するまではブラジルの[[首都]]であった。また、[[1808年]]に[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]に本国領土を奪われた[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都であった。また、[[ラテンアメリカ|中南米]]有数の貿易港でもあるためにブラジルの経済的な中心地でもあった。近年は経済の中心地はサンパウロに移り、その地位が低下しているものの、依然として中南米有数の経済都市である。また、ブラジルのみならず世界でも有数の観光地としても、[[ショーロ]]、[[ボサノヴァ]]を生んだ音楽の都としても名高い。
 
 
 
== 地域 ==
 
{{wide image|Panorama from Rio de Janeiro.jpg|1000px|[[コルコバード]]からのリオデジャネイロのパノラマ}}
 
 
 
左にやや傾いた平行四辺形の形状を呈した大陸部と[[グアナバラ湾]]内に分布する島嶼部の2つからなり、東西の長さは約70km、南北は37kmにおよぶ。公式的には全部で7つの大行政区と33の小地域、160の[[街区]]Bairroから構成されているが、街区の上位にある[[地区]]Distritoが存在しないのが特徴である<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。慣用的には、セントロ、南部地域、北部地域、バラ・ダ・チジューカ地域、西部地域という区分がなされることが多い。
 
 
 
; セントロ
 
: セントロはリオの歴史的中心部であり、また現在でも経済的中心でもある。セントロの中心であるリオ・ブランコ通りはビジネス街で、多くのオフィスビルが立ち並ぶ。東西にはプレジデンチ・ヴァルガス大通りが走っており、リオの中央駅であるドン・ペドロ2世駅もこの通り沿いにある。東端にはグアナバラ湾に面して[[サントス・ドゥモン空港]]があり、国内線が多く発着する。また西部には、カーニバルのメイン会場となる[[サンボードロモ・ダ・マルケス・ジ・サプカイ]]がある。
 
 
 
; 南部地域
 
: 南部は高級住宅街が多く、またグアナバラ湾や大西洋に面したビーチも多い。セントロのすぐ南に広がる[[フラメンゴ]]やボタフォゴにもビーチがあるが、リオのビーチで最も著名かつ人の多いところはその南に広がる[[コパカバーナ]]や、そのさらに西に広がる[[イパネマ海岸]]である。この二つはリオ有数の観光地であると同時に、リオ有数の高級住宅街でもある。イパネマ海岸はリオで生まれた音楽[[ボサノヴァ]]の曲『[[イパネマの娘]]』の舞台としても有名である。イパネマのさらに西にあるレブロン地区は南アメリカ大陸で最も地価が高い地点のある高級住宅街である。また、ボタフォゴの東のウルカ地区にはリオのシンボルの一つである[[ポン・ヂ・アスーカル]]と呼ばれる岩山があり、[[ロープウェー]]で頂上まで登ることができる。また、リオデジャネイロのシンボルである[[コルコバードのキリスト像]]はこの南部地区にある[[コルコバードの丘]]の上に立っており、登山電車で登ることができる。
 
 
 
; 北部地域
 
: 北部地域は工業地区や住宅地区から構成され、観光の目玉となる場所はそれほど多くはない。しかしながら、やや南よりには、1950年のワールドカップのために建設され、かつては20万人の収容人員を誇った世界一のサッカースタジアム(現在の収容人員は95000人)[[エスタジオ・ド・マラカナン]]があることで知られる。同スタジアムは、2014年ワールドカップおよび2016年リオデジャネイロオリンピックのメイン会場である。なお、北部地域には、グアナバラ湾に浮かぶいくつかの島も含まれており、主なものとしては、[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港]]が位置するゴベルナドル島のほか、静寂さが観光客に人気の[[パケタ島]]などをあげることができる。一般的に、北部地域は経済的にみて比較的貧しい階層が住んでおり、内陸の丘陵地帯には[[コンプレックドアレマン]]が、沿岸部では[[コンプレックソドマレ]]に代表される[[ファヴェーラ]]がある。一方、グアナバラ湾対岸のニテロイ市との間までを結ぶリオ・ニテロイ大橋の起点にあたるほか、州西部および北部に向かう幹線道路の通過点にあたるなど交通の要衝的な地位を確保しているのも事実である。
 
 
 
; バラ・ダ・チジュカ地域
 
: 南部地域の西に隣接し、近年開発が進んでいるエリアである。主に、[[バラ・ダ・チジュッカ]]街区と[[レクレイオ・ドス・バンデイランテス]]街区から構成される。片側4車線の幅広い道路が東西に伸び、中央では南北方向を結ぶもう一つの幹線道路と交差している。計画的な開発が進められ、高層アパート、大規模ショッピングセンターが立ち並んでいる。2016年オリンピックにおいては、この地区に選手村や会場の多くが建設される予定である。小型機の発着が可能な空港もある。
 
 
 
; 西部地域
 
:[[ファイル:Av buenos aires.jpg|サムネイル|セントロ]]市域のほぼ西半分を占め、最西端にある[[サンタクルス]]、そこから少し東に行ったところにある[[カンポグランデ]]などが代表的であり、セントロにあるリオデジャネイロ中央駅からサンタクルス駅までは都市近郊鉄道で結ばれている。サンタクルスは日系人が入植した地として知られ、リオデジャネイロ市でも日系人が比較的多いところとして知られる。
 
 
 
; ファヴェラ
 
: 地域の名前ではなく、不法に立てられた貧民街を「[[ファヴェーラ]]」と呼ぶ。主なスラムとしては、[[レブロン]]街区の西、[[ドイスイルマン]]の山塊(533m)の北西斜面に広がり居住人口がラテンアメリカ最大規模を誇る[[ロシーニャ]]、バラ・ダ・チジュカ地区の北に隣接し映画『[[シティ・オブ・ゴッド]]』([[2002年]])の舞台となった[[シダージデデウス]]、北部地区の内陸のやや標高の高い丘にあり2011年にはスラムの上空をゴンドラリフトが貫通るようになった[[コンプレックソドアレマン]]、北部の[[グアナバラ湾]]沿いの湿地帯に広がる[[コンプレックソドマレ]]、[[コパカバーナ]]街区の丘に広がる[[パヴォン・パヴォンジーニョ]]などがある<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[ファイル:Palácio Pedro Ernesto - Fundação da Cidade.jpg|thumb|left|220px|1565年のリオデジャネイロの創設を描いた画]]
 
[[1502年]]1月に[[ポルトガル]]人探検家[[ガスパール・デ・レモス]]たちが[[グアナバラ湾]]の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」と命名した<ref> 「ラテンアメリカを知る事典」p454 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 </ref>。ポルトガル人たちは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだ。先住民の{{仮リンク|トゥピ人|en|Tupí people|label=トゥピ族}}は彼ら白人を「カリ・オカ」([[トゥピ・グアラニー語族|トゥピー・グゥアラニー語]]で白い家の意味)と呼んだ。それが現代語の[[カリオカ]]([[:en:Carioca|en]])の起源である。[[1555年]]に[[フランス]]の植民地開拓者が{{仮リンク|南極植民地 (フランス領)|en|France Antarctique|label=南極フランス}}居留地をつくったが[[1567年]]にこれをポルトガル人は追い出し、[[18世紀]]までここに小さなコミュニティをつくっていた。町の名は川(実は湾)の名の転用である。
 
 
 
17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかった。しかし[[18世紀]]前半に内陸の[[ミナスジェライス州]]周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、[[1725年]]にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスの[[金]]や[[ダイアモンド]]の積出港となり、{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の交通と富の中心となった。このためそれまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、[[1763年]]にはブラジル総督が[[サルヴァドール|サルヴァドール・ダ・バイーア]]からリオに移され{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の首府となった<ref>「概説ブラジル史」p221 山田睦男 有斐閣 昭和61年2月15日 初版第1刷 </ref>。
 
[[ファイル:Arcos da Lapa - Rio de Janeiro.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|[[カリオカ水道橋]]、18世紀前半に建設された]]
 
[[1808年]]に[[半島戦争]]の勃発により、[[リスボン]][[ポルトガル]]宮廷は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍を逃れてリオに移転した。翌[[1809年]]、リオが[[ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国|ポルトガル・ブラジル連合王国]]の首都となる。これによりリオは人口も増加し、また高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。[[1821年]]には王の帰還と共に首都も[[リスボン]]に再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送り込んだためブラジル側の憤激を買い、独立派はリオに残っていた王太子[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ドン・ペドロ]]を擁立して[[1822年]]に[[ブラジル帝国]]の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。
 
 
 
[[1832年]][[4月4日]]から[[7月5日]]まで、[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]の乗ったイギリス海軍の[[ビーグル (帆船)|ビーグル号]]が寄港している。ここでダーウィンは奴隷に対する酷い仕打ちを目撃した。このときの深い嫌悪感を終生忘れることがなかった<ref>パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 36ページ</ref>。
 
 
 
[[ファイル:Rugendas - Vue prise devant l'eglise de San-Bento.jpg|thumb|left|220px|リオデジャネイロの風景<br />(1825年頃)]]
 
帝国の首都として行政機能の集中したリオの街は順調に発展していった。[[1854年]]にはブラジル初の鉄道14kmがリオに建設され、ガス燈や電信、上下水道といった[[インフラ]]も整備され始めた。[[1889年]]に[[帝政]]が廃止され[[共和制]]に移行するものの、リオは引き続き[[ブラジル|ブラジル連邦共和国]]の首都となった。当時の市街はグアナバラ湾の入口にほど近い現在のセントロ地区のみであったが、19世紀末には人口は50万、[[1900年]]には81万に達し、市街は拡大していった。[[1902年]]に就任した第5代大統領の[[ロドリゲス・アルヴェス]]は首都であるリオの改善に熱心に取り組み、[[都市計画家]][[フランシスコ・ペレイラ・パソス]]を起用して都市計画を実施し、[[1903年]]には東西南北の幹線道路が整備された。[[黄熱病]]が撲滅され、衛生状況が大きく改善したのもこの時期である。南のボタフォゴ地区やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。コパカバーナやイパネマへと通じる直通トンネルも建設された。
 
 
 
[[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]時代の開発政策により、[[第二次世界大戦]]後に商工業が発展すると内陸部や北東部から職をもとめて大量の人々が流入した。しかし、経済の重心は徐々に内陸部のサンパウロ市に移っていき、[[1950年代]]にはリオの人口はサンパウロに抜かれ、現在に至るまでリオはブラジル第2の都市となっている。また[[1960年]]、[[ジュセリーノ・クビシェッキ]]大統領によって首都は[[ブラジリア]]に移され、リオは行政の中心地としての機能を失った。遷都後もそれまでの連邦直轄区の領域、すなわち今日のリオデジャネイロ市域は[[グアナバラ州]]としてリオデジャネイロ州と併存していたが、[[1975年]]にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、[[ニテロイ]]市にかわって新[[リオデジャネイロ州]]の州都になった。[[1992年]]にはこの地で地球サミット([[環境と開発に関する国際連合会議]])が開催され、「[[環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言]]」(リオ宣言)とその行動計画である[[アジェンダ21]]が合意された。
 
 
 
[[2009年]][[10月2日]]、[[東京]]、[[シカゴ]]、[[マドリード]]との投票に勝利して、第31回[[夏季オリンピック]]のリオ開催が決定した。これは南米大陸初、[[ラテンアメリカ]]全体でも[[1968年]]開催の[[メキシコオリンピック]]に次ぐ48年ぶり2回目のオリンピック開催となる。
 
{{-}}
 
 
 
== 人口動態 ==
 
[[File:Vista aérea Centro do Rio de Janeiro RJ.jpg|thumb|リオデジャネイロ都心部の眺め]]
 
[[白人]](53.4%)、[[混血]](33.5%)、[[黒人]](12.6%)、その他(0.5%)。19世紀末から20世紀初頭の大量の移民によって人種構成は多様化し、ポルトガル人のほか、イタリア系、スペイン系、ドイツ系、日系(15000人)、ユダヤ系、レバノン系など、多種多様な人種が混在し、混交している。1872年に27万人だった人口は、1890年に52万人、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年には585万人に達した。この人口増加の多くは国内移動、とくに貧しい北東部からの大量流入によるもので、これによりリオ市内各所に[[ファヴェーラ]](スラム)ができ、貧富の差や治安の悪化が問題となっている。
 
 
 
== 経済 ==
 
サンパウロについでブラジル第2の経済規模を持ち、ブラジルGDPの5.4%をリオ1市で生み出している。首都移転により行政機能は失われたが、[[ペトロブラス]]社などの公企業や半官半民の企業はブラジリアへは移転せず、リオに本社を置き続けた。工業面でもブラジル第2の都市であり、石油精製や造船、鉄鋼、冶金、石油化学、薬品、セメント、印刷、ゴム、食品などの産業が立地している。しかしながら、経済構成でみた工業の割合は1割程度で、残りの9割は商業・サービス業からなる。昨今では、バラ・ダ・チジューカ地区(バラ・ダ・チジューカ街区およびレクレイオ・ドス・バンデイランテス街区)における大規模ショッピングセンターでの商業・サービス業の伸展、同地域における高層マンション、住宅の建設などが新たな経済活動の主軸となっている<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。
 
 
 
リオデジャネイロ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港であり、埠頭の総延長は7kmに及ぶ。リオデジャネイロ州、[[ミナスジェライス州]]、[[エスピリトサント州]]、そして[[サンパウロ州]]の貨物を主に取り扱っている。
 
 
 
== 交通 ==
 
[[ファイル:Public transport map of Rio de Janeiro.png|thumb|right|300px]]
 
[[ファイル:Metro Rio 01 2013 Ipanema Osorio 5408.JPG|thumb|right|250px|<center>地下鉄の車両</center>]]
 
[[ファイル:Tremsupervia.jpg|thumb|right|250px|<center>郊外電車の車両</center>]]
 
=== 市内 ===
 
リオ市内やその近郊には[[バス (交通機関)|バス]]と[[リオデジャネイロ地下鉄|地下鉄]]2路線、そして[[1998年]]に運行を開始した郊外電車([[SuperVia]])8路線が張り巡らされており、また比較的安価な価格で利用できる[[タクシー]]もポピュラーな移動手段である。ちなみに地下鉄には[[女性専用車]]も設置されている。[[路面電車]]も一路線残っている。
 
 
 
=== 市外 ===
 
 
 
他の都市との移動は、高速道路を使った長距離バスや、市内に2つある空港(主に国内線向けの'''[[サントス・ドゥモン空港]]'''と、主に国際線向けの'''[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港|リオデジャネイロ国際空港]]'''(アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港/ガレオン国際空港))からの[[旅客機]]での移動が主流である。
 
 
 
特に市内のサントス・ドゥモン空港とブラジル最大の都市である[[サンパウロ]]市内の[[コンゴーニャス空港]]との間には「ポンチ・アエレア」(空の架け橋)と呼ばれる[[シャトル便]]が就航しており、世界でも有数の搭乗者数を誇る路線となっている。所要時間はサンパウロまで車・バスで6時間、航空機で1時間弱かかる。
 
 
 
長距離バスの便数も多い。特に[[サンパウロ]]・チエテバスターミナルとの便はバス会社3社(Itapemirim, Cometa, Expresso Brasileiro)が同区間を別々に運行しており、日中は数十分に1本の頻度で運行されている。サンパウロだけでなく、[[ニテロイ]]接続のサンパウロ行きや[[ベロオリゾンテ]]行きの便も多い。
 
 
 
またリオデジャネイロ港は世界3大美港の一つでもあり、ブラジルでも最大級の港湾設備を有している。そのため近隣の港湾都市、島嶼との[[フェリー]]の運航も頻繁に行われている。
 
 
 
== 気候 ==
 
* [[ケッペンの気候区分]]では[[サバナ気候]](Aw)に属する。12月から3月にかけては雨が多く、また気温も最も高くなる。一方7月と8月は冬であり、降水量が少なく気温もやや低くなるが、全般的にいえば年間通じて温暖な気候を保っているといえる。年間平均気温は23℃で、年間平均降水量は1175mmである。
 
 
 
{{Weather box
 
|location = リオデジャネイロ
 
|metric first = yes
 
|single line = yes
 
|Jan record high C =
 
|Feb record high C =
 
|Mar record high C =
 
|Apr record high C =
 
|May record high C =
 
|Jun record high C =
 
|Jul record high C =
 
|Aug record high C =
 
|Sep record high C =
 
|Oct record high C =
 
|Nov record high C =
 
|Dec record high C =
 
|year record high C =
 
|Jan high C = 29
 
|Feb high C = 30
 
|Mar high C = 29
 
|Apr high C = 28
 
|May high C = 27
 
|Jun high C = 25
 
|Jul high C = 26
 
|Aug high C = 26
 
|Sep high C = 25
 
|Oct high C = 26
 
|Nov high C = 27
 
|Dec high C = 29
 
|year high C = 27
 
|Jan mean C = 26
 
|Feb mean C = 27
 
|Mar mean C = 26
 
|Apr mean C = 24
 
|May mean C = 23
 
|Jun mean C = 22
 
|Jul mean C = 21
 
|Aug mean C = 22
 
|Sep mean C = 22
 
|Oct mean C = 23
 
|Nov mean C = 24
 
|Dec mean C = 25
 
|year mean C = 24
 
|Jan low C = 23
 
|Feb low C = 23
 
|Mar low C = 23
 
|Apr low C = 22
 
|May low C = 21
 
|Jun low C = 19
 
|Jul low C = 18
 
|Aug low C = 19
 
|Sep low C = 19
 
|Oct low C = 20
 
|Nov low C = 22
 
|Dec low C = 22
 
|year low C = 21
 
|Jan record low C =
 
|Feb record low C =
 
|Mar record low C =
 
|Apr record low C =
 
|May record low C =
 
|Jun record low C =
 
|Jul record low C =
 
|Aug record low C =
 
|Sep record low C =
 
|Oct record low C =
 
|Nov record low C =
 
|Dec record low C =
 
|year record low C =
 
|Jan precipitation mm = 114
 
|Feb precipitation mm = 104
 
|Mar precipitation mm = 104
 
|Apr precipitation mm = 137
 
|May precipitation mm = 86
 
|Jun precipitation mm = 81
 
|Jul precipitation mm = 56
 
|Aug precipitation mm = 51
 
|Sep precipitation mm = 86
 
|Oct precipitation mm = 89
 
|Nov precipitation mm = 97
 
|Dec precipitation mm = 170
 
|year precipitation mm = 1175
 
|Jan sun = 195.3
 
|Feb sun = 214.6
 
|Mar sun = 195.3
 
|Apr sun = 165.0
 
|May sun = 170.5
 
|Jun sun = 156.0
 
|Jul sun = 182.9
 
|Aug sun = 179.8
 
|Sep sun = 138.0
 
|Oct sun = 158.1
 
|Nov sun = 168.0
 
|Dec sun = 161.2
 
|year sun = 2084.7
 
|source 1 = The Weather Channel,<ref name="WCh">{{cite web
 
|url= http://www.weather.com/
 
  |title=Médias e registros – Rio de Janeiro, Brasil
 
  |year=2011
 
  |publisher=The Weather Channel
 
|accessdate=2011-03-20
 
}}</ref> Hong Kong Observatory<ref>[http://www.weather.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/s_america/brazil/rio_de_janeiro_e.htm Climatological Information for Rio de Janeiro, Brazil] – Hong Kong Observatory</ref> for data of sunshine hours
 
|date=March 2011
 
}}
 
 
 
== 文化 ==
 
ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。「サンパウロ人は仕事で忙しく、リオ人は遊びで忙しい」<ref>「ブラジルを知るための56章」p21 アンジェロ・イシ著 [[明石書店]] 2010年2月10日第2版第1刷 </ref>ともいわれる明るく享楽的な気質を持つ。
 
 
 
=== カーニバル ===
 
{{Main|リオのカーニバル}}
 
[[ファイル:Desfile Portela 2014 (906185).jpg|サムネイル|296x296ピクセル|カルナヴァルのパレード]]
 
[[ポルトガル語]]でカルナヴァル({{lang|pt|Carnaval}})。[[カトリック教会|カトリック]][[謝肉祭]]のことで、カーニバル自体は世界各国のカトリック文化圏で行われている他、ブラジル各地でも行われている。もともとはポルトガルの謝肉祭・エントルードがブラジルに渡ったものであるといわれる。リオのカーニバルは派手で規模が大きいので特に有名で、開催時期は世界各国からの観光客を集める。[[復活祭]](イースター)を基準に太陰暦で日程を決めるため毎年開催日程は変動するが、だいたい2月の中旬から下旬になることが多い。
 
 
 
なおカーニバルといえば真っ先に[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]が連想されるが、サンバ以外にもマルシャ(ブラジル版マーチ)やポルカなどもある。サンバの場合、ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装を身に付けサンバを踊り打楽器隊などによる演奏や歌で行進する。4日間行われ、開催中は世界各国から見物客が集まる。いわゆるリオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ヂ・サプカイ通りにあるサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームは[[サンバチーム#エスコーラ・ジ・サンバ|エスコーラ・ヂ・サンバ]]({{lang-pt-short|[[:en:Samba school|Escola de samba]]}}、直訳:サンバの[[学校]])と呼ばれる。{{要出典範囲|なお「学校」はジョークで名付けられたもの|date=2010年2月}}で実際はリクリエーション団体の傾向が強い。そのため多くの団体はグレーミオ・ヘクヘアーチヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバ、略称:{{lang|pt|G.R.E.S.}}(〜チーム名)と冠がつけられ一般的にはチーム名で呼ばれることが多い。なお日本ではこれらを総称してエスコーラと呼ばれる。これらはリオ市や隣接する他の市に点在する地域を代表するサンバのコミュニティーである。
 
 
 
パレードはコンテスト形式になっており審査が行われる。有名なサンバ団体を挙げるとベイジャ・フロール、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどでどれも歴史的なサンバの名手({{lang|pt|Sambista}}、[[サンビスタ (ブラジル)|サンビスタ]])や曲を生んだエスコーラである。他にも沢山のエスコーラが存在し順位や優勝を競っている。今日、世界に誇るリオ各地域の市民による手作り文化の結晶として光り輝いている。
 
 
 
リオのカーニバルは[[1959年]]公開のブラジル・[[フランス]]合作[[映画]]『[[黒いオルフェ]]』の背景舞台にもなっており開催前の人々の準備ぶりや浮かれ具合、当時のカーニバルの様子などうかがい知ることができる。オルフェウ率いる架空のエスコーラもあれば本物のカルトーラ夫妻やポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノもチラリと登場する。1999年公開の[[ブラジルの映画|ブラジル映画]]『オルフェ』は現代のリオを窺い知ることが出来る作品。リオのカーニバルのトップリーグ、{{lang|pt|Grupo Especial}}に出場するエスコーラのパレードテーマ曲集は毎年日本の輸入盤扱いのある大型CDストアなどでも手に入れることが出来る。カーニバル後にはその年の模様を収めたビデオテープ(近年ではDVD)も発売されている。
 
 
 
なおリオのカーニバルが観光化・商業化が進むとそれに嫌気をさしたりエスコーラの内紛などにより[[カンディア]]やカルトーラ、[[メストリ・マルサル]]などの著名サンビスタがエスコーラを去ったケースも多い。またいくつかのサンバコミュニティーが[[ファベーラ]]と呼ばれるスラム街に拠点があることなどから、賭博や麻薬取引との関係も指摘される。
 
 
 
またカーニバル期間中はリオ・ブランコ通りなどをはじめ、各所でエスコーラより小規模であるブロコやコルダゥンと呼ばれる各チームがパレードを行う光景も見られる。
 
 
 
2011年2月7日、リオデジャネイロのカーニバル用の用具を制作する施設が集中する地区で大規模な火災が発生し、同年のカーニバルに使用予定の山車及び衣装多数が焼失するという事態が発生した<ref>2011年2月8日の朝日新聞朝刊6面</ref>
 
{{wide image|Sapucai Panoramic.jpg|1200px|リオのカーニバル期間中の[[サンボードロモ]]でのパレード}}
 
 
 
=== 教育 ===
 
[[リオデジャネイロ連邦大学]]や[[リオデジャネイロ州立大学]]など、99の高等教育機関がある。また、ラテンアメリカ最大、世界でも7番目の、900万点の蔵書数を誇るブラジル国立図書館もリオのセントロ地区に位置する。
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
{{Main|リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群}}
 
[[コルコバード]]の丘や[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]海岸は、2012年に[[文化遺産 (世界遺産)|世界文化遺産]]に登録されている。
 
 
 
== スポーツ ==
 
=== サッカー ===
 
[[ファイル:Abertura Jogos Panamericanos 2 13072007.jpg|thumb|200px|[[エスタジオ・ド・マラカナン]]]]
 
リオのみならずブラジルを代表するクラブとして知られている[[CRフラメンゴ]]をはじめとして[[CRヴァスコ・ダ・ガマ]]、[[フルミネンセFC|フルミネンセ]]、[[ボタフォゴFR|ボタフォゴ]]などのサッカークラブの本拠地として知られ、これらのクラブは多くの「クラッキ(名選手)」、「ジョガドール(サッカー選手)」を輩出してきた。[[2000年代]]では[[ロナウド]]、[[アドリアーノ・レイテ・リベイロ|アドリアーノ]]などがリオ出身のクラッキとして知られる。
 
 
 
また、世界最大のサッカースタジアムで[[1950年]]の[[1950 FIFAワールドカップ]]の主会場となった[[エスタジオ・ド・マラカナン]]がある。同スタジアムは[[2014年]]に行われた[[2014 FIFAワールドカップ]]の主会場の一つとなった。
 
 
 
=== オリンピック ===
 
*2016年[[リオデジャネイロオリンピック|夏季オリンピック]]が開催された。なおこれはブラジルのみならず、南アメリカ大陸で開催される初のオリンピックとなる。
 
 
 
=== その他 ===
 
*[[1989年]]まで[[フォーミュラ1]]選手権が郊外の[[ネルソン・ピケ・サーキット]]で行われていた他、各種[[マリンスポーツ]]や[[ハンググライダー]]、[[ビーチバレー]]などが盛んに行われている。
 
*[[2007年]][[7月13日|7月13]]〜[[7月29日|29日]]に[[パンアメリカン競技大会]]が開催された。
 
 
 
== 観光 ==
 
[[ファイル:Praia de Copacabana - Rio de Janeiro, Brasil.jpg|thumb|[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ海岸]]]]
 
[[ファイル:Christ on Corcovado mountain.JPG|thumb|400px|[[コルコバードのキリスト像]]とリオデジャネイロ]]
 
リオデジャネイロは年間282万人の観光客の訪れる、ブラジル有数の観光都市である。主な名所は以下の通り。
 
(括弧内はポルトガル語による表記。)
 
*[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ海岸]] ({{lang|pt|Praia Copacabana}})
 
*[[イパネマ|イパネマ海岸]] ({{lang|pt|Praia Ipanema}})
 
*[[コルコバードのキリスト像]] ({{lang|pt|Cristo Redentor}})
 
*[[ポン・ヂ・アスーカル]] ({{lang|pt|Pão de Açúcar}})
 
*[[リオデジャネイロ旧大聖堂]] ({{lang|pt|Igreja de Nossa Senhora do Monte do Carmo}})
 
*[[リオデジャネイロ市立劇場]] ({{lang|pt|Teatro Municipal do Rio de Janeiro}})
 
*[[エスタジオ・ド・マラカナン]] ({{lang|pt|Estádio do Maracanã}})
 
*[[キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ]] ({{lang|pt|Quinta da Boa Vista}})
 
<gallery widths="170px" heights="170px">
 
File:Sugar loaf from Cristo Redentor 2010.JPG|ポン・ヂ・アスーカル
 
File:Catedral1.jpg|リオデジャネイロ旧大聖堂
 
File:Teatro Municipal Rio de Janeiro.jpg|リオデジャネイロ市立劇場
 
File:Maracana internal view april 2013.jpg|エスタジオ・ド・マラカナン
 
File:Quinta da Boa Vista 17.jpg|キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ
 
</gallery>
 
 
 
== 治安 ==
 
リオの犯罪率は高く、とくに[[ファヴェーラ]]などで麻薬組織や麻薬販売人による犯罪や殺人が多い。[[2006年]]には2273人が殺され、10万人あたりの殺人率は37.7だった。2008年より、リオデジャネイロ州は治安回復計画(UPP)を実施し、悪化していた治安を向上させることに努め、2009年から2010年の殺人率は21%減少し、治安は改善傾向にある。しかしこれに反発した麻薬組織と警察の対立が激化している<ref>[http://webronza.asahi.com/global/2011020600006.html]</ref>。2016年のオリンピックの際に報じられた情報によると、2015年にリオ市で起きた事件数は殺人1205件、強盗81740件であり、同年の日本全国の事件数(殺人933件、強盗事件2426件)と比べても多く、人口10万人あたりの発生率で見ると殺人発生率は日本の25倍、強盗発生率は660倍とのことである<ref>[https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160503/ddm/012/050/051000c]</ref>。オリンピック・パラリンピック期間中は85,000人の警察官・警備隊を投入し、観客やメディア関係者が死亡するような事故や事件は発生しなかった<ref>[http://www.ssf.or.jp/research/international/spioc/br/brazil/tabid/1152/Default.aspx]</ref>。
 
 
 
== リオデジャネイロ市出身の著名人 ==
 
リオデジャネイロ出身の人を「'''[[カリオカ]]'''({{lang-pt-short|Carioca}})<ref>カリオカ({{lang|pt|Carioca}})は、ポルトガル語の形容詞・名詞で「リオデジャネイロ市出身の」あるいは「リオデジャネイロ市出身の人」をさす言葉。この語はトゥピ・グアラニー族)の方言で、「白人の家」(家 ''oca''、白人 ''cari'')に由来する。</ref>」という。
 
 
 
*[[ジーコ]](サッカー選手、元サッカー日本代表チーム[[監督]])
 
*[[ラモス瑠偉]](サッカー選手)
 
*[[ネルソン・ピケ]](F1ドライバー)
 
*[[ピシンギーニャ]](音楽家)
 
*[[エイトル・ヴィラ=ロボス]](音楽家)
 
*[[カルトーラ]](音楽家)
 
*[[アントニオ・カルロス・ジョビン]](音楽家)
 
*[[ジョルジ・ベンジョール]](音楽家)
 
*[[マルコス・スザーノ]](音楽家)
 
*[[オスカー・ニーマイヤー]](建築家)
 
*[[ジョアン・アヴェランジェ]](元FIFA会長)
 
*[[ファビアナ・オリベイラ]](女子バレーボールブラジル代表選手)
 
*[[カルロス・ヌズマン]](リオデジャネイロオリンピック組織委員会会長)
 
 
 
== 姉妹都市 ==
 
リオデジャネイロは以下の都市と姉妹都市となっている。<ref>{{cite web|url=http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=94185 |title=Sister cities |publisher=Radikal.com.tr |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.managua.gob.ni/index.php?s=1157 |title=Sister cities |publisher=Managua.gob.ni |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://eng.gov.spb.ru/figures/ities |title=Sister cities |publisher=Eng.gov.spb.ru |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://www.city.kobe.jp/cityoffice/17/020/en/international/worldmap.htm Sister cities]</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2005/pl0663_2005_008043.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref name="international1">{{cite web |url=http://www.atlantaga.gov/international/listing.aspx |title=Sister cities |publisher=Atlantaga.gov |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090420031057/http://www.atlantaga.gov/international/listing.aspx |archivedate=2009年4月20日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616013718/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |archivedate=2013年6月16日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/0099/pl1593_0099_001493.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2004/pl2058_2004_004901.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2006/pl0866_2006_006249.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2001/pl0444_2001_000513.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2002/pl0781_2002_003795.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1258_2003_003777.pdf |title=Microsoft Word – p |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2009/pl10457_2009_215486.pdf Sister cities]{{リンク切れ|date=April 2010}}</ref><ref name="Barcelona">{{cite web|url=http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0,4022,229724149_257215678_1,00.html|title=Barcelona internacional&nbsp;— Ciutats agermanades|publisher=2006–2009 [http://www.bcn.es/catala/copyright/welcome2.htm Ajuntament de Barcelona]|language=Catalan|accessdate=2009-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090216085914/http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0%2C4022%2C229724149_257215678_1%2C00.html|archivedate=2009年2月16日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref name="hermanadas">{{cite web |title=Mapa Mundi de las ciudades hermanadas |publisher=Ayuntamiento de Madrid |url=http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |language={{Es icon}} |accessdate=2009-07-02 |archiveurl=https://archive.is/20120526204453/http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |archivedate=2012年5月26日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090326223751/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |archivedate=2009年3月26日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spl/spl_docdown;jsessionid=6D4F94D52D9EDB03E9BC2A39E6E46D27?id=10671 |title=Sister cities |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.paris.fr/portail/politiques/Portal.lut?page_id=6587&document_type_id=5&document_id=16468&portlet_id=14974 |title=Les pactes d'amitié et de coopération |publisher=Paris.fr |date=2010-03-17 |accessdate=2010-06-14}}</ref>
 
 
 
{|class="wikitable" style="background:#ffffef; float:left;"
 
|-
 
! style="background:#811541" |
 
! style="background:#811541" |<span style="color:white;">アメリカ</span>
 
! style="background:#811541" |
 
! style="background:#811541" |<span style="color:white;">ヨーロッパ</span>
 
! style="background:#811541" |
 
! style="background:#811541" |<span style="color:white;">アジア・アフリカ</span>
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Mexico}}
 
|'''[[メキシコシティ]]''', [[メキシコ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Netherlands}}
 
|'''[[アムステルダム]]''', [[オランダ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Philippines}}
 
|'''[[バタンガス]]''', [[フィリピン]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Nicaragua}}
 
|'''[[マナグア]]''', [[ニカラグア]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Russia}}
 
|'''[[サンクトペテルブルク]]''', [[ロシア]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Japan}}
 
|'''[[神戸市|神戸]]''', [[日本]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Venezuela}}
 
|'''[[カラカス]]''', [[ベネズエラ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Poland}}
 
|'''[[ワルシャワ]]''', [[ポーランド]]<ref name="Warsaw">{{cite web |url=http://um.warszawa.pl/v_syrenka/new/index.php?dzial=aktualnosci&ak_id=3284&kat=11 |title=Miasta partnerskie Warszawy |work=um.warszawa.pl (official [[Warsaw]] website) |publisher=Biuro Promocji Miasta |date=2005-05-04 |accessdate=2008-08-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071011111033/http://um.warszawa.pl/v_syrenka/new/index.php?dzial=aktualnosci&ak_id=3284&kat=11 |archivedate=2007年10月11日 |deadlinkdate=2017年9月 }} </ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Tunisia}}
 
|'''[[チュニス]]''', [[チュニジア]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Chile}}
 
|'''{{仮リンク|プエルト・バラス|en|Puerto Varas}}''', [[チリ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Portugal}}
 
|'''[[リスボン]]'''、'''{{仮リンク|サント・ティルソ|en|Santo Tirso}}'''、'''[[ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア]]''', [[ポルトガル]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|South Korea}}
 
|'''[[ソウル特別市|ソウル]]''', [[大韓民国|韓国]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Bolivia}}
 
|'''[[ラパス]]''', [[ボリビア]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Spain}}
 
|'''[[マドリッド]]'''<ref name="hermanadas" /><!-- {{cite web|url=http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRDhttp://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |title=Mapa Mundi de las ciudades hermanadas |language={{Es icon}} |publisher=www.munimadrid.es |accessdate=2010-06-14}}-->、'''[[バルセロナ]]''', [[スペイン]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Spain}}
 
|'''[[サンタ・クルス・デ・テネリフェ]]''', [[スペイン]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|United States}}
 
|'''[[マイアミ]]''', [[アメリカ合衆国|アメリカ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|France}}
 
|'''[[パリ]]'''、'''[[モンペリエ]]''', [[フランス]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Israel}}
 
|'''[[ラマト・ガン]]''', [[イスラエル]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|United States}}
 
|'''[[オクラホマシティ]]''', [[アメリカ合衆国|アメリカ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|United Kingdom}}
 
|'''[[リバプール]]''', [[イギリス]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|India}}
 
|'''[[アーメダーバード]]''', [[インド]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|United States}}
 
|'''[[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]''', [[アメリカ合衆国|アメリカ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Portugal}}
 
|'''[[ギマランイス]]'''<ref>Lei nº 2.643/1998. Câmara Municipal do Rio de Janeiro. Página visitada em 26 de dezembro de 2008.</ref>、'''{{仮リンク|ポボア・デ・バルジン|en|Póvoa de Varzim}}''', [[ポルトガル]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|South Africa}}
 
|'''[[ダーバン]]''', [[南アフリカ共和国|南アフリカ]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|United States}}
 
|'''[[アトランタ]]''', [[アメリカ合衆国|アメリカ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Ukraine}}
 
|'''[[キエフ]]''', [[ウクライナ]]<ref>{{cite web|url=http://pt.wikisource.org/wiki/Lei_Municipal_do_Rio_de_Janeiro_4917_de_2008 |title=Lei Municipal do Rio de Janeiro 4917 de 2008 – Wikisource |language={{pt icon}} |publisher=Pt.wikisource.org |accessdate=2010-06-14}}</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Lebanon}}
 
|'''[[ベイルート]]''', [[レバノン]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Canada}}
 
|'''[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]''', [[カナダ]]<ref>{{cite web|url=http://www.rio2016.org.br/pt/Noticias/Noticia.aspx?idConteudo=1138 |title=Rio 2016 |publisher=Rio 2016 |accessdate=2010-06-14}}</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Romania}}
 
|'''[[ブカレスト]]''', [[ルーマニア]]<ref>{{cite web|url=http://pt.wikisource.org/wiki/Lei_Municipal_do_Rio_de_Janeiro_3467_de_2002 |title=Lei Municipal do Rio de Janeiro 3467 de 2002 – Wikisource |language={{pt icon}} |publisher=Pt.wikisource.org |accessdate=2010-06-14}}</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Morocco}}
 
|'''[[カサブランカ]]''', [[モロッコ]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Argentina}}
 
|'''[[ブエノスアイレス]]''', [[アルゼンチン]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Turkey}}
 
|'''[[イスタンブール]]''', [[トルコ]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Nigeria}}
 
|'''[[ラゴス]]''', [[ナイジェリア]]
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Brazil}}
 
|'''[[ベロオリゾンテ]]''', [[ブラジル]]<ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2006/pl0980_2006_008195.pdf</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Georgia}}
 
|'''[[バトゥーミ]]''', [[グルジア]]
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Senegal}}
 
|'''[[リュフィスク]]''', [[セネガル]]<ref>{{cite web|url=http://pt.wikisource.org/wiki/Lei_Municipal_do_Rio_de_Janeiro_3152_de_2000 |title=Lei Municipal do Rio de Janeiro 3152 de 2000 – Wikisource |language={{pt icon}} |publisher=Pt.wikisource.org |accessdate=2010-06-14}}</ref>
 
|-
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Brazil}}
 
|'''[[ナタール]]''', [[ブラジル]]<ref>Leis sancionadas e vetos (21 de janeiro de 2008). Lei n.º 4.752/2008. Câmara Municipal do Rio de Janeiro. Página visitada em 26 de outubro de 2008.</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|Germany}}
 
|'''[[ケルン]]''', [[ドイツ]]<ref>{{cite web |url=http://www.stadt-koeln.de/mediaasset/content/pdf80/business_facts_02-2011_eng.pdf |title=Cologne International: Rio de Janeiro is Cologne’s new twin city |language={{en icon}} |publisher=Cologne City Business News |accessdate=2012-04-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121114115305/https://www.stadt-koeln.de/mediaasset/content/pdf80/business_facts_02-2011_eng.pdf |archivedate=2012年11月14日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
 
|style="background:#ffffcf;"|{{flagicon|China}}
 
|'''[[北京市|北京]]''', [[中華人民共和国|中国]]
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Sisterlinks|wikt=en:Rio_de_Janeiro|commons=Rio_de_Janeiro|commonscat=Rio_de_Janeiro_(city)|voy=Rio_de_Janeiro|d=Q8678|q=no|b=no|v=no}}
 
{{osm box|r|57963}}
 
{{Wikivoyage|pt:Rio_de_Janeiro|リオデジャネイロ{{pt icon}}}}
 
*[[ブラジルの都市の一覧]]
 
*[[日本人学校]]
 
*[[IHI]]
 
*[[交換船]]
 
*[[日系ブラジル人]]
 
*[[若大将シリーズ]]
 
*[[アルフレッド・アガッシュ]]
 
*[[ノバ・ボサ・ノバ]](リオデジャネイロを舞台にした[[宝塚歌劇]]のショー作品)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
;公式
 
*[http://www.rio.rj.gov.br/ リオデジャネイロ市公式サイト]{{Pt icon}}
 
;日本政府
 
*[http://www.rio.br.emb-japan.go.jp/nihongo/index.html 在リオデジャネイロ日本国総領事館]{{Ja icon}}
 
;観光
 
*[http://www.riodejaneiro-turismo.com.br/pt/ リオデジャネイロ市観光局]{{Pt icon}}{{En icon}}
 
*[http://www.rio-de-janeiro-guide.net/ 7 days in Rio de Janeiro]{{En icon}}
 
*[http://wikitravel.org/ja/リオデジャネイロ ウィキトラベル旅行ガイド - リオデジャネイロ]{{ja icon}}
 
{{夏季オリンピック開催都市}}
 
{{夏季パラリンピック開催都市}}
 
{{Authority control}}
 
{{Coord|22|54|30|S|43|11|47|W|region:BR-RJ_scale:100000_type:city|display=title|name=リオデジャネイロ}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:りおてしやねいろ}}
 
{{DEFAULTSORT:りおてしやねいろ}}

2019/4/23/ (火) 10:13時点における最新版

リオ・デ・ジャネイロ: Rio de Janeiro, ブラジルポルトガル語発音: ヒウ・ヂ・ジャネイル)

ブラジル南東部,リオデジャネイロ州の州都。正式名称 Cidade de São Sebastião do Rio de Janeiro。略称リオ Rio。1960年までブラジルの首都。大西洋に面する港湾都市で,サンパウロの東約 350km,グアナバラ湾南西岸に位置する。熱帯圏の南限にあり,年平均気温は 23℃をこえるが,冬季(6~9月)は比較的涼しく,しのぎやすい。市名はポルトガル語で「1月の川」の意で,1502年1月1日,この地に到達したポルトガル人が幅の狭い湾口を河口と誤認して命名したことに由来するといわれる。1565年湾岸に集落が建設され,サトウキビ栽培で発展。17世紀末以降,後背地の内陸部で金,ダイヤモンドが発見されると,これを求めて内外から多数の人が流入して人口が急増。1763年北部のバイア(サルバドル)に代わってポルトガル植民地の首都となった。1815年にブラジル王国,1822年にはポルトガルから独立してブラジル帝国となり,その首都として発展。独立後は背後の高原地帯でコーヒー栽培が盛んになり,繁栄をもたらした。1889年ブラジル連邦共和国が成立してその首都となり,1891年の憲法により周辺を含めた地域が連邦区となった。1960年首都が内陸のブラジリアへ移され,連邦区はグアナバラ州となったが,1975年リオデジャネイロ州と統合し,ニテロイに代わって同州の州都となった。人口増加と経済発展に伴って都市域がしだいに拡大,周辺 13市に及ぶ大都市圏を形成するにいたった。サンパウロに次ぐブラジル第2の大都市で,出版・印刷,繊維,医薬品,食品,衣料,製靴,電子・通信機器,金属,造船などの諸工業が高度に発達している。建設業,金融業,サービス業なども盛ん。文化の中心地でもあり,リオデジャネイロ大学(1920)をはじめとする多数の高等教育・研究機関があり,博物館,美術館,図書館,劇場などの文化施設も多い。湾岸の沖積平野に広がる市街には,ところどころにコルコバドなどの岩峰が突出して独特の美しい景観をつくっている。2012年,世界遺産の文化遺産に登録。2017年には,1811年以降の推定 90万に及ぶアフリカ人奴隷(奴隷貿易)の痕跡を伝えるものとして,中心市街地にあるバロンゴ埠頭跡が世界遺産の文化遺産に登録された。大西洋岸にコパカバナイパネマなどの海浜保養地もある。夏の観光シーズンに開かれるカーニバルは世界的に有名。世界三大美港の一つといわれるリオデジャネイロ港はブラジルの主要貿易港として水運の要地となっている。鉄道・道路網の一大基点で,市内の交通網も発達。湾内の水上交通も盛んで,対岸のニテロイとはグアナバラ湾横断橋でも結ばれている。湾内のゴベルナドル島にはガレアン=アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港がある。市域面積 1255km2,都市圏面積 5384km2。市域人口 632万446,都市圏人口 1187万5063(2010)。