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パット・フライ Pat Fry | |
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生誕 |
イングランド サリー州シェパートン |
国籍 | イギリス |
職業 | レーシングカー・エンジニア |
著名な実績 |
ベネトン・フォーミュラ マクラーレン スクーデリア・フェラーリ マノー・レーシング |
パット・フライ(Pat Fry 、1964年3月17日 - )は、イングランド出身のレーシングカー・エンジニア。F1チームの「ベネトン」「マクラーレン」「フェラーリ」「マノー」の技術部門を歴任した。
Contents
経歴
ベネトン(1987年 - 1993年)
学生時代はコンピュータデザインや電子工学を学び、1980年から電機メーカーThorn EMIで働く。
1987年、ベネトンの研究開発部門に加入し、アクティブサスペンションの開発に携わった。その後、テストチーム勤務を経て、1992年にマーティン・ブランドル担当のレースエンジニアとなった[1]。
マクラーレン(1993年 - 2010年)
1993年、マクラーレンに加入し、ベネトン時代の同僚ジョルジオ・アスカネッリの元でエンジニアとして働いた。1995年、ミカ・ハッキネンのレースエンジニアを担当[1]。テストチームへの異動を経て、1997年よりレースチームに復帰し、2000年までデビッド・クルサードのレースエンジニアを担当した[1]。
2002年、チーフエンジニアに昇格。ティム・ゴスとのローテーション制で、2005年のMP4-20、2007年のMP4-22、2009年のMP4-24の 開発を担当した。
順番では、2010年には2011年用のMP4-26を手掛けるはずだったが、同年5月にマクラーレンからの離脱が発表された[2]。
フェラーリ(2010年 - 2014年)
2010年7月よりフェラーリへ移籍し、テクニカルディレクターのアルド・コスタの元でアシスタント・テクニカルディレクターとして働く[3]。ライバルチーム間で上級エンジニアが移籍する場合、最新情報の流出を防ぐために「ガーデニング休暇」と呼ばれる休職期間を置くことが多く、フライの速やかな移籍は珍しいケースだった。
2011年1月より、クリス・ダイアーに替わりレースエンジニアリングディレクターを兼務した[4]。
2011年5月、コスタがテクニカルディレクターを辞職し、フライが開発責任者の地位を継ぐことになった。技術部門再編により、フライはシャーシ部門ディレクター (Director for the Chassis[5]) と呼ばれる[6]。
マノー・レーシング(2016年 - 2017年)
2016年1月、マノー・レーシングに加入[8]。しかし、1年余りでチームは消滅し失職した[9]。
マクラーレン(2018年 - 現在)
2018年9月、マクラーレンの技術部門に復帰を発表[10]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “パット・フライがフェラーリへ移籍”. GP Update.net. (2010年6月23日) . 2012閲覧.
- ↑ “マクラーレン、チーフエンジニアが離脱”. F1トップニュース. (2010年5月14日) . 2012閲覧.
- ↑ Jim (2010年6月22日). “パット・フライ、マクラーレンからフェラーリへ”. ESPN F1 . 2012閲覧.
- ↑ “フェラーリ、パット・フライをレース・エンジニアリング責任者に任命”. (2011年1月5日) . 2012閲覧.
- ↑ “Manegement” (英語). SCUDERIA FERRARI. Ferrari.com. . 2012閲覧.
- ↑ Jim (2011年5月24日). “コスタがテクニカルディレクター退任”. ESPN F1 . 2012閲覧.
- ↑ フェラーリが組織大再編。フライとトンバジス離脱 - オートスポーツ・2014年12月17日
- ↑ “元フェラーリのパット・フライ復帰 新生マノーを侮るな”. F1トップニュース. (2016年1月25日) . 2016閲覧.
- ↑ “マノーの参戦が完全に消滅 2017年は10チームの戦いに”. TopNews (2017年3月2日). . 2018閲覧.
- ↑ “マクラーレンF1が技術部門を強化。エンジニアリングディレクターとしてパット・フライが復帰”. auto sport (2018年9月5日). . 2018閲覧.
関連項目
外部リンク
- PEOPLE: PAT FRY - Grandprix.com(英語)