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'''ニールス・ヘンリック・アーベル'''(Niels Henrik Abel、[[1802年]][[8月5日]] - [[1829年]][[4月6日]])は[[ノルウェー]]の[[数学者]]である。
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'''ニールス・ヘンリック・アーベル'''(Niels Henrik Abel、[[1802年]][[8月5日]] - [[1829年]][[4月6日]]
  
== 年表 ==
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ノルウェーの数学者。近代数学の先駆者の一人で,貧困や病弱と闘いながら多大な研究成果を残した。1821~23年クリスチャニア大学で学び,1823年,5次以上の[[代数方程式]]は一般に代数的には解けないことを証明した([[代数的解法]])。1825年からヨーロッパ各地を旅行しながら数学の研究を続け,1826年,アーベル積分,アーベル関数の理論的基礎となった[[代数関数]]の積分理論などを発表。しかし正しく評価されず,借金と病気のため 1827年帰国。家庭教師などで生計を立てながら,[[方程式論]][[楕円関数論]]の研究に没頭し,1828年いわゆるアーベルの方程式(代数方程式のガロア群が[[アーベル群]]であるような方程式)を発見した。存命中には業績は認められなかったが,死後の 1830年,フランス科学アカデミー大賞を受けた。また 2002年,数学の分野で傑出した科学的業績に対して贈られる国際的な賞としてアーベルの名を冠した[[アーベル賞]]が創設された。([[アーベルの定理]]
* [[1802年]][[8月5日]] - [[ノルウェー]]のフィンドー(Findö)に生まれる。
 
* [[1815年]]11月 - [[クリスチャニア大学]]のカテドラル・スクールに入学。
 
* [[1818年]] - 数学教師{{仮リンク|ホルンボエ|en|Bernt Michael Holmboe}}に影響され、数学に目覚める。
 
* [[1820年]] - 父{{仮リンク|セレン・ゲオルグ・アーベル|en|Søren Georg Abel}}死去。
 
* [[1821年]]7月 - カテドラル・スクール卒業。大学に入学。
 
* [[1822年]]6月 - 哲学候補資格が与えられる。
 
* [[1823年]] - 「積分についての論文」発表。
 
* [[1824年]] - 「5次の一般方程式の解法の不可能性を証明する代数方程式に関する論文」を自費出版。「振り子の運動における月の影響についての論文」発表。
 
* 1824年12月 - クリスティーヌと婚約。
 
* [[1825年]]9月-[[1826年]]2月 - [[ベルリン]]に留学。[[アウグスト・レオポルド・クレーレ]]と知り合う。
 
* 1826年7月-1826年12月 - [[パリ]]に留学。「パリ論文」を科学アカデミーに提出。
 
* [[1827年]]1月-1827年5月 - ベルリンに留学。
 
* 1827年[[5月20日]] - ノルウェーに帰国。
 
* 1827年[[9月20日]] - 「楕円関数に関する研究 第1部」発表。
 
* [[1828年]][[5月26日]] - 「楕円関数に関する研究 第2部」発表。
 
* 1828年[[5月27日]] - 「ある一般的な問題の解答」を「天文学報告」に送る。
 
* [[1829年]][[1月6日]] - 「[[超越関数]]の中の非常に拡張されたものの一般的な性質に関する論文」完成。
 
* 1829年[[4月6日]] - [[肺結核]]により死亡。
 
*[[1830年]] - [[パリ科学アカデミー]]が[[グランプリ]]を贈る
 
  
== 業績 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}  
1818年に、数学教師{{仮リンク|ホルンボエ|en|Bernt Michael Holmboe}}に出会ってから、数学に興味を抱くようになった。友人達とヨーロッパ中を回って長く遊学し、[[クレレ]]と知遇を得て、[[クレレ誌|クレレの雑誌]]に多数の研究論文を掲載した。[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ|ヤコビ]]や[[アドリアン=マリ・ルジャンドル|ルジャンドル]]はアーベルの業績を認めていたが、[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]はアーベルの研究論文に不快感を示し、[[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]]は彼の論文をまともに審査しないまま放置するなど、アーベルには正当な評価が与えられなかった。帰国後はクリスチャニア大学に臨時講師を勤めたが、病気([[結核]]及び併発した肝機能障害)のために26歳で世を去った。
 
 
 
しかし、彼が当時世界最高レベルといわれた数学の総本山パリ[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]へ提出した「[[超越関数]]の中の非常に拡張されたものの一般的な性質に関する論文」こそ、のちに“青銅よりも永続する記念碑”と謳われ、後代の数学者に500年分の仕事を残してくれたとまで言われた不滅の大論文だった。
 
 
 
5次以上の代数方程式には、[[冪根]] <sup>n</sup>√ と[[四則演算]]だけで書けるような一般的な解の公式が存在しないことに、初めて正確な証明を与えた。この業績については、[[パオロ・ルフィニ]]の重要な貢献があるが、その証明は必ずしも完全なものではなかったとされている。
 
 
 
アーベルが中心的に扱ったのは[[楕円関数]]とアーベル関数に関する研究である。アーベルは[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]の著作にある、[[レムニスケート]]の等分問題から[[楕円積分]]の[[逆関数]]の研究に取り組み、ガウスの研究(完璧主義のため、生前には公表されなかった)を独自に発見することになった。楕円関数論のアーベルの定理とは、楕円関数の極と零点に関する合同式である。研究上のライバルであった[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ|ヤコビ]]はアーベルの論文を目にして「私には批評もできない、大論文」と最大限の賛辞をおくったといわれる。ヤコビはアーベルの定理を利用してヤコビの逆問題を示して、その後の研究の目標を新たに与えることになる。
 
 
 
[[可換]]な[[群論|群]]を指す「[[アーベル群]]」など数学用語にも名を残している。[[無限級数]]の収束に関するアーベルの定理も著名だが、他にも無限級数の一様収束を初めて注意したことで知られる。
 
 
 
その他にも、[[アーベル方程式]]、[[アーベル積分]]、[[アーベル関数]]、[[アーベル多様体]]、[[遠アーベル幾何学]]などアーベルの名を冠している数学用語は多い。
 
 
 
方程式が可解であるための条件を明らかにした[[エヴァリスト・ガロア|ガロア]]とともに、若くして悲劇的な死をとげた[[19世紀]]の数学者として広く知られている。
 
 
 
死後の[[1830年]]には、フランス学士院数学部門大賞を受賞した。
 
 
 
彼の名を冠する賞として、[[アーベル賞]]が[[2001年]]に創設された。またアーベルの肖像は長期にわたってノルウェーの500クローネ紙幣に描かれていた。
 
 
 
== 著書 ==
 
*{{Cite book|和書|author=アーベル|coauthors=[[エヴァリスト・ガロア|ガロア]]|others=[[守屋美賀雄]] 訳・解説|date=1975-04-20|title=群と代数方程式|series=現代数学の系譜 11|publisher=[[共立出版]]|isbn=4-320-01164-3|url=http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320011649|ref={{Harvid|アーベル|ガロア|1975}}}}
 
*{{Cite book|和書|author=アーベル|coauthors=ガロア|others=[[高瀬正仁]] 訳|date=1998-04-25|title=楕円関数論|series=数学史叢書|publisher=[[朝倉書店]]|isbn=4-254-11459-1|url=http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-11459-1/|ref={{Harvid|アーベル|ガロア|1998}}}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|author=F.クライン|authorlink=フェリックス・クライン|others=[[石井省吾]]・[[渡辺弘]] 訳|year=1995|month=9|title=クライン:19世紀の数学|publisher=共立出版|isbn=4-641-06794-5|ref={{Harvid|クライン|石井|渡辺|1995}}}}
 
*{{Cite book|和書|author=高木貞治|authorlink=高木貞治|year=1995|month=8|title=近世数学史談|publisher=岩波書店|series=岩波文庫 青939-1|isbn=4-00-339391-0|ref={{Harvid|高木|1995}}}}
 
*{{Cite book|和書|author=高木貞治|year=1996|month=12|title=近世数学史談・数学雑談|publisher=共立出版|isbn=4-320-01551-7|ref={{Harvid|高木|1996}}}}
 
*{{Cite book|和書|editor=[[日本数学会]] 編|year=2007|month=12|title=岩波数学辞典|edition=第4版|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-080309-0|ref={{Harvid|日本数学会|2007}}}}
 
*{{Cite book|和書|author=C.A.ビエルクネス|others=[[辻雄一]] 訳|year=1991|month=10|title=わが数学者アーベル その生涯と発見|publisher=現代数学社|isbn=4-7687-0305-4|ref={{Harvid|ビエルクネス|辻|1991}}}}
 
*{{Citation|last=Pesic|first=Peter|author-link=ピーター・ペジック|year=2004|date=February 27, 2004|title=Abel's Proof: An Essay on the Sources and Meaning of Mathematical Unsolvability|publisher=The MIT Press|edition=Paperback|isbn=0-262-66182-9}}
 
**{{Cite book|和書|author=[[ピーター・ペジック]]|others=[[山下純一]] 訳|year=2005|month=3|title=アーベルの証明 「解けない方程式」を解く|publisher=日本評論社|isbn=4-535-78404-3|url=http://www.nippyo.co.jp/book/2540.html|ref={{Harvid|ペジック|山下|2005}}}} - 付録にアーベルの1824年の論文を収録。
 
*{{Cite book|和書|author=E.T.ベル|others=[[田中勇]]・[[銀林浩]] 訳|year=2003|month=10|title=数学をつくった人びと 2|series=ハヤカワ文庫 NF 284|publisher=[[早川書房]]|isbn=4-15-050284-6|ref={{Harvid|ベル|田中|銀林|2003}}}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[楕円関数]]
 
* [[アーベル群]]
 
* [[アーベル-ルフィニの定理]]
 
* [[アーベル (クレーター)]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Niels Henrik Abel}}
 
* [http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Biographies/Abel.html Niels Henrik Abel] ''MacTutor History of Mathematics archive.''(英語)
 
 
 
{{Normdaten}}
 
 
{{DEFAULTSORT:ああへる にいるす}}
 
{{DEFAULTSORT:ああへる にいるす}}
 
[[Category:ノルウェーの数学者]]
 
[[Category:ノルウェーの数学者]]

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ニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel、1802年8月5日 - 1829年4月6日

ノルウェーの数学者。近代数学の先駆者の一人で,貧困や病弱と闘いながら多大な研究成果を残した。1821~23年クリスチャニア大学で学び,1823年,5次以上の代数方程式は一般に代数的には解けないことを証明した(代数的解法)。1825年からヨーロッパ各地を旅行しながら数学の研究を続け,1826年,アーベル積分,アーベル関数の理論的基礎となった代数関数の積分理論などを発表。しかし正しく評価されず,借金と病気のため 1827年帰国。家庭教師などで生計を立てながら,方程式論楕円関数論の研究に没頭し,1828年いわゆるアーベルの方程式(代数方程式のガロア群がアーベル群であるような方程式)を発見した。存命中には業績は認められなかったが,死後の 1830年,フランス科学アカデミー大賞を受けた。また 2002年,数学の分野で傑出した科学的業績に対して贈られる国際的な賞としてアーベルの名を冠したアーベル賞が創設された。(アーベルの定理



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