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'''ニコシア'''({{lang-en-short|'''Nicosia'''}})は、[[キプロス|キプロス共和国]]の[[首都]]。[[北キプロス・トルコ共和国]]<ref>ニコシア北部分を含む[[キプロス島]]の北部を実質支配し、[[トルコ共和国]]のみが承認。</ref>の政庁所在地でもある。地元では、ギリシャ語で'''レフコシア'''(Lefkosia, {{Lang-el|'''Λευκωσία'''}} {{IPA-el|lefkoˈsi.a||}})、トルコ語で'''レフコシャ'''({{Lang-tr|'''Lefkoşa'''}})と呼ばれている。
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'''ニコシア'''({{lang-en-short|'''Nicosia'''}}
  
== 歴史 ==
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[[キプロス]]の首都。ギリシア語ではレフコシア Levkosía,トルコ語ではレフコシャ Lefkosa。北のキレニア山脈と,南のトロードス山脈の間に横たわるメサオリア平野中部,ペディエアス川に臨む標高 150mのところに位置する。前7世紀に王国が存在し,4世紀には司教座が置かれ,10世紀頃から行政府の所在地となった。ビザンチン,フランスのリュジニャン王家,ベネチア人,トルコ,イギリスと次々と支配者が変わった。聖ソフィア大聖堂は,キプロスの歴史的,宗教的変遷をよく物語っている。
古代には'''レドラ'''(Ledra、Ledrae)と呼ばれた都市国家であった。その王が[[紀元前672年]]、[[アッシリア王国]]の王[[エサルハドン]]に朝貢した記録がある。[[プトレマイオス1世]]の息子[[レフコス]]によって街は再建されるも、さほど重要な都市ではなかった。10世紀には、レフコシャとして都となり、[[パフォス]]や[[サラミス]]など海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す。[[フランク人]]によって建国された[[キプロス王国]]は[[1489年]]、[[ヴェネツィア]]の支配下に入り、次いで[[1571年]]には[[オスマン帝国]]の版図となる。ニコシアという[[外名]]は、[[十字軍]]によって用いられたものである。
 
  
[[1570年]]のオスマン帝国の侵攻では20,000人の犠牲者を出した。[[19世紀]]は、[[1821年]]のオスマン帝国の弾圧、[[1835年]]の[[コレラ]]や[[1857年]]の大火などを経験した。[[1878年]]、[[イギリス帝国|大英帝国]]がキプロスを傘下に収めると、その首都として成長した。
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1209年に建設が開始され,1325年に完成した大聖堂は,そののち侵略者の略奪を受け,1571年にイスラム教のモスクに転換させられた。さらに 1954年,その名称はキプロスを征服したスルタンの名をとって,セリミエモスクと改められた。 1960年の独立とともに首都となった。ベネチア時代 (15~16世紀) の城壁に囲まれた周囲 5kmの城塞が中心となり,20世紀に建設された新市街が周辺に広がる。旧市街からも中世の建物はほとんど姿を消したが,聖ニコラス聖堂,大主教宮,イブリク・バザル,トルコ総督宮などが残る。経済的には,地域の農業を基盤とする商業,軽工業都市で,綿紡績,たばこ,製粉,清涼飲料水,製菓,衣類製造などが行なわれる。
 
 
[[1960年]]の独立前には反イギリス闘争の過程で、血で血を洗う惨事が続いた。ギリシャ併合強硬派によるクーデターを支援するギリシャに対抗して、[[1974年]][[7月20日]]にトルコ系住民の保護を目的としたトルコ軍のキプロス出兵の結果、町の北側を支配するトルコ系の[[北キプロス・トルコ共和国]]と、南側を支配するギリシャ系の[[キプロス|キプロス共和国]](独立以来のギリシャ系主導のキプロス政府であり国際的に承認されたキプロス国家を代表する)に分断された形になっており、北キプロスもニコシアを首都としている。複数の国によって同じ都市が首都とされる唯一の例となっている。
 
 
 
[[グリーンライン (キプロス)|グリーンライン]](南北分断線)は、1974年のトルコ軍のキプロス出兵以降、[[国際連合]]によってひかれた緩衝地帯となっており、南側のキプロス共和国側からに限り北側への通行が可能であったが、2004年より南北間の通行については、検問所の増設ならびに自由化がなされた。南北キプロスに駐留する国連軍部隊の姿もしばしば目にする。
 
 
 
== 地理 ==
 
キプロス島中北部にあり、付近に肥えたメッサオリア平野がある。[[小麦]]、[[ブドウ]]、[[オリーブ]]、牛、羊などの農畜産物の集散加工がおこなわれ、また皮革、[[繊維]]、[[タバコ]]などの工業もおこなわれる。
 
 
 
== 気候 ==
 
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|title=Weatherbase: Historical Weather for Nicosia
 
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== 交通 ==
 
*[[ニコシア国際空港]]は、[[1974年]][[7月]]に国連管理下に置かれて以降は使われていない。旅客ターミナルをはじめとする多くの空港設備、当時駐機していた[[キプロス航空]]の[[ホーカー・シドレー トライデント]]などが当時そのままに放置されている。
 
*ギリシャ側では、[[ラルナカ国際空港]]が最寄の空港となる。
 
*トルコ側では市の東方にある[[エルジャン空港]]があり、[[キプロス・トルコ航空]]による北キプロスへのゲートウェイとなっているが、トルコと[[アゼルバイジャン]]を除き国際的に承認された「国際空港」ではない。
 
 
 
市内交通はバスが主体で、鉄道は現在はない。
 
 
 
== 観光 ==
 
[[ファイル:Nicosia 01-2017 img20 View from Shacolas Tower.jpg|thumb|250px|[[セリミエ・モスク (ニコシア)|セリミエ・モスク]]。かつての聖ソフィア大聖堂]]
 
*旧市街を囲んでいる城壁([[:en:Venetian walls of Nicosia]])と、かつての主な城門であったファマグスタ門、パフォス門、キレニア門([[:en:Kyrenia Gate]])(先の2つがギリシャ側地区、後のものがトルコ側地区)。城壁上にある自由の記念像やBayraktarモスク(ギリシャ側地区)。
 
*旧市街中心部のファネロメニ広場([[:en:Faneromeni Square]])とファネロメニ教会(ギリシャ側地区)。
 
*大主教館([[:en:Archbishop's Palace, Nicosia|en:Archbishop's Palace]])に併設された[[ビザンティン]]美術館、聖ヨハネ教会と民族博物館(ギリシャ側地区)。
 
*ライキ・キドニア地区の古い町並みとレベンティス博物館([[:en:Leventio Museum]])(ギリシャ側地区)。
 
*ギリシャ側地区の繁華街リドラス通り([[:en:Ledra Street]])と、リドラス通りの終端にあるトルコ側地区との間の検問所。
 
*かつては聖ソフィア大聖堂であった、ゴシック建築の[[セリミエ・モスク (ニコシア)|セリミエ・モスク]]([[:en:Selimiye Mosque, Nicosia|en:Selimiye Mosque]])(トルコ側地区)。
 
*隊商宿跡の[[ビュユック・ハン]]([[:en:Büyük Han]])(トルコ側地区)。
 
 
 
== 教育 ==
 
 
 
== スポーツ ==
 
* [[APOELニコシア]] - [[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10]]の本戦に出場
 
* [[オモニア・ニコシア]]
 
* [[オリンピアコス・ニコシア]]
 
 
 
== 友好都市 ==
 
=== 南ニコシア ===
 
* {{Flagicon|GRE}} [[アテネ]] ([[ギリシャ]])
 
* {{Flagicon|UAE}} [[アブダビ]] ([[アラブ首長国連邦]])
 
* {{Flagicon|UKR}} [[オデッサ]] ([[ウクライナ]])
 
* {{Flagicon|IRN}} [[シーラーズ]] ([[イラン]])
 
* {{Flagicon|CHN}} [[上海]] ([[中華人民共和国]])
 
* {{Flagicon|GER}} [[シュヴェリーン]] ([[ドイツ]])
 
* {{Flagicon|ESP}} [[バルセロナ]] ([[スペイン]])
 
* {{Flagicon|ROU}} [[ブカレスト]] ([[ルーマニア]])
 
* {{Flagicon|LIB}} [[ベイルート]] ([[レバノン]])
 
* {{Flagicon|ITA}} [[ミラノ]] ([[イタリア]])
 
* {{Flagicon|MEX}} [[メキシコシティ]] ([[メキシコ]])
 
 
 
=== 北ニコシア ===
 
レフコシャ市の姉妹都市は以下の通りである:<ref>{{cite web|title= Kardeş Belediyeleri (兄弟都市) |url= http://yeni.lefkosabelediyesi.org/kardes-belediyeler/ |publisher= Lefkoşa Belediyesi (レフコシャ市) |accessdate=2015-10-26}}</ref>
 
* {{Flagicon|TUR}} [[アンカラ]] ([[トルコ]]) 1989年より
 
* {{Flagicon|TUR}} [[ブルサ]] (トルコ) 1990年より
 
* {{Flagicon|TUR}} [[ガズィアンテプ|ガーズィアンテプ]] (トルコ) 2009年より
 
* {{Flagicon|TUR}} [[トカット]] (トルコ) 2009年より
 
* {{Flagicon|MDA}} {{仮リンク|コムラト|en|Comrat}} ([[モルドヴァ]]) 2001年より
 
* {{Flagicon|MKD}} {{仮リンク|カルビンツィ|en|Karbinci Municipality}} ([[マケドニア]]) 2001年より
 
* {{Flagicon|MKD}} {{仮リンク|アラチノヴォ|en|Municipality of Aračinovo}} (マケドニア) 2012年より
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Commons|Category:Nicosia}}
 
{{Reflist}}
 
  
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1974年のキプロス紛争以来,市の北部は国連平和維持軍の管理地となっている。キプロス政府管理地の人口 23万1800(2008)。
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2018/10/22/ (月) 23:52時点における最新版

ニコシア市
レフコシャ市

Λευκωσία
Lefkoşa
位置
ニコシアの位置(キプロス島)の位置図
ニコシアの位置(キプロス島)
ニコシアの位置(キプロス島)の位置図
ニコシアの位置(キプロス島)
座標 : 東経33度21分北緯35.167度 東経33.35度35.167; 33.35
行政
キプロスの旗 キプロス
北キプロス・トルコ共和国の旗 北キプロス・トルコ共和国
 地区 ニコシア地区
 市 ニコシア市
レフコシャ市
地理
面積  
  市域 111 km2
人口
人口 (2011年現在)
  市域 310,355人
公式ウェブサイト : Nicosia Municipality(キプロス)
北レフコシャ
北ニコシア

en:North Nicosia
行政
北キプロス・トルコ共和国の旗 北キプロス・トルコ共和国
 地区 レフコシャ地区
 市 北レフコシャ
北ニコシア
人口
人口 (2011年現在)
  市域 61,378人

ニコシア: Nicosia

キプロスの首都。ギリシア語ではレフコシア Levkosía,トルコ語ではレフコシャ Lefkosa。北のキレニア山脈と,南のトロードス山脈の間に横たわるメサオリア平野中部,ペディエアス川に臨む標高 150mのところに位置する。前7世紀に王国が存在し,4世紀には司教座が置かれ,10世紀頃から行政府の所在地となった。ビザンチン,フランスのリュジニャン王家,ベネチア人,トルコ,イギリスと次々と支配者が変わった。聖ソフィア大聖堂は,キプロスの歴史的,宗教的変遷をよく物語っている。

1209年に建設が開始され,1325年に完成した大聖堂は,そののち侵略者の略奪を受け,1571年にイスラム教のモスクに転換させられた。さらに 1954年,その名称はキプロスを征服したスルタンの名をとって,セリミエモスクと改められた。 1960年の独立とともに首都となった。ベネチア時代 (15~16世紀) の城壁に囲まれた周囲 5kmの城塞が中心となり,20世紀に建設された新市街が周辺に広がる。旧市街からも中世の建物はほとんど姿を消したが,聖ニコラス聖堂,大主教宮,イブリク・バザル,トルコ総督宮などが残る。経済的には,地域の農業を基盤とする商業,軽工業都市で,綿紡績,たばこ,製粉,清涼飲料水,製菓,衣類製造などが行なわれる。

1974年のキプロス紛争以来,市の北部は国連平和維持軍の管理地となっている。キプロス政府管理地の人口 23万1800(2008)。





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