「トロツキズム」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「 '''トロツキズム'''または'''トロツキー主義'''({{lang-en-short|Trotskyism}}) ロシアの革命家トロツキーの思想とそれに依拠した...」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
[[ファイル:Leon trotsky.jpg|thumb|レフ・トロツキー]]
 
{{トロツキズムのサイドバー}}
 
'''トロツキズム'''または'''トロツキー主義'''({{lang-en-short|Trotskyism}})は、[[レフ・トロツキー]]によって主張された[[マルクス主義]]および[[共産主義革命]]理論のこと。トロツキズムを主張する者を'''トロツキスト'''という。
 
  
当初の呼称は'''ボリシェヴィキ・レーニン主義'''({{lang-en-short|Bolshevik-Leninism}})<ref>[http://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-1/df-youth.htm 青年運動について - トロツキー]</ref><ref>[http://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-1/df-kousei.htm 攻勢を強めよう! - トロツキー]</ref>で、「トロツキスト」は[[ヨシフ・スターリン]]らによる批判用語を自称に採用したものである。
+
'''トロツキズム'''または'''トロツキー主義'''({{lang-en-short|Trotskyism}}
  
トロツキストの国際組織には[[第四インターナショナル]]などがある。
+
ロシアの革命家[[トロツキー]]の思想とそれに依拠した運動の総称。その中軸となる思想に,[[永続革命論]]がある。これは,後進国における革命の永続的推進,プロレタリア権力樹立以降の過渡期建設の完遂,プロレタリア革命の国際的規模での連続的推進の3側面から構成される理論で,『1905年,結果と展望』にまずその基本理念が打出され,スターリン式[[一国社会主義]]論との抗争のなかで完成されていった。この思想は,トロツキーの死後,第4インターナショナルを通じて反スターリニズム潮流に受継がれ,1956年のスターリン批判とハンガリー動乱を経て,いわゆる「新左翼」系に大きな影響を与えた。
  
== トロツキーの思想 ==
 
トロツキズムの思想としての構成要素は、以下主な柱としている。
 
*[[プロレタリアート]]・[[労働者階級]]の[[前衛党]]の建設なくして、[[社会主義]]革命はあり得ない。また、革命党の掲げる「社会主義-革命」という最終目標と、労働者大衆の日々の要求の媒介となる「過渡的綱領-過渡的要求」による大衆の革命への組織化。([[第一次世界大戦]]のさなかに「帝国主義戦争を内乱へ」を掲げ「平和などフィクションである」とした[[ウラジーミル・レーニン]]に対して、トロツキーは「目標としての『内乱』は正しいが大衆を組織する直接のスローガンにはならないし、平和を求める大衆の要求を軽視してはならない」と批判する。論争の結果、レーニンがトロツキーの主張を受け入れ、[[ボリシェヴィキ]]の[[十月革命|ロシア革命]]時のスローガン「パン・土地・平和」が採用された。)
 
*[[永続革命論]]の立場から、[[ヨシフ・スターリン]]の[[一国社会主義論|一国社会主義建設]]に反対し、[[世界革命論|世界革命]]による世界社会主義の達成を目指す。あるいは、世界革命の達成なくしてスターリンの提唱する「一国による社会主義建設」は不可能であり、それは必然的に官僚の特権とその既得権防衛のための専制体制へと堕落する。
 
*[[社会民主主義]][[政党]]および[[スターリニズム|スターリン主義]]的[[共産党]]をも含む、多様な政治傾向を含む[[労働者階級]]の統一戦線の結成による二重権力の形成から、最終的な労働者階級の権力奪取。[[プロレタリア民主主義]]に基づく[[ソビエト]](労働者評議会)権力による絶えざる社会革命と国際革命の有機的結合によって[[資本家]]の搾取を廃止する社会主義の建設。
 
*世界社会主義革命を目指す単一の[[インターナショナル (社会主義)|インターナショナル]]組織の建設と、それを媒介にする労働者階級・被抑圧民族の国際連帯の形成。
 
 
また、それらの柱から導き出される政治理論として、[[社会ファシズム論]](社会民主主義主要打撃論)批判、[[人民戦線]]批判、あるいはスターリンが支配した[[ソビエト連邦]]を「革命の成果を簒奪したスターリニスト官僚が堕落させた[[労働者国家]]であり、官僚を追放する政治革命は必要だが、依然として[[ブルジョワジー]]による[[生産手段]]の所有を廃した労働者国家であることから[[帝国主義]]の包囲・攻撃からは世界の労働者階級はソビエト連邦を防衛しなければならない」('''「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論''')とするテーゼ。同様に、非政権共産党についても(「[[反スターリン主義]]」派的な)「国家権力と同等な打倒の対象」とはみなさず、「誤った綱領・路線で指導されているとしても、労働者階級内部の革命をめざす一潮流」と認知し、批判しつつも必要な共闘は追求するという立場を取る。また、「社会主義への過渡期経済では市場をも利用し、[[資本主義]]・帝国主義との競争に耐えられる経済建設」の提唱などのトロツキーの思想・主張・実践の総体を「トロツキズム」という。
 
 
スターリンが指導していたコミンテルンに対抗して、トロツキーの呼びかけによって1938年に結成された国際革命組織[[第四インターナショナル]]系のトロツキスト自身は、自らを「[[第一インターナショナル]]以来の世界革命による社会主義建設の原則を擁護する古典的[[マルクス主義]]者」、「1917年のロシア革命の意義と原則を擁護し、[[コミンテルン]]の最初の四回の大会の決議を出発点とした新しい革命党を目指すボリシェヴィキ・[[レーニン主義]]者」とし、「スターリンによるマルクス主義の歪曲に最も抗したトロツキーの立場と思想を擁護するという意味で'''“トロツキスト”'''の称号を受け入れる」と自己定義する。
 
 
[[日本共産党]]を含めた第三インターナショナル([[コミンテルン]])の系譜からは、[[反革命]]の烙印が押されてきたが、[[1956年]]の[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]による[[スターリン批判]]で、日本でもトロツキズムに拠る[[左翼]]活動家が現れる。
 
 
(国際トロツキスト運動の展開については[[第四インターナショナル]]の項参照)
 
 
== レッテルとしての「トロツキスト」 ==
 
長年、各国共産党は、自党の指導に従わない[[共産主義]]者を、トロツキーの思想の影響下にあるなしとは関係なく「トロツキスト」と呼んで非難していた。「トロツキスト」とは、共産党にとって最悪の裏切り者の代名詞であり、スターリンが1936年に開始した[[大粛清]]時の定義「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」「[[ファシズム|ファシスト]]の[[第五列]]」をそのまま踏襲し、「[[左翼]]を装った挑発者」「[[スパイ]]反革命集団」を意味していた。すなわち、共産党とは別の立場にある共産主義思想・およびそれを信奉する者全般を指したレッテルとして「トロツキズム」「トロツキスト」と総称していた。
 
 
例としては、[[スペイン内戦]]時に独自の反ファシスト民兵を組織していたマルクス主義統一労働者党(POUM)に対するコミンテルンおよび[[スペイン共産党]]の「トロツキスト」という非難が挙げられる。POUMは指導者の[[アンドレウ・ニン]]がトロツキーの秘書を務めたことがあるが、トロツキーの指導する国際的な左翼反対派の運動(のちに[[第四インターナショナル]]を形成する)とは一線を画していた(トロツキーもPOUMを「中間主義」と批判していた)。にも拘らず、POUMは「トロツキスト」と規定され、のちに「ファシストの手先」とされ共和国政府および[[スペイン]]に潜入していた[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[秘密警察]]に組織ごと抹殺されることになる。
 
 
[[日本]]においては、[[日本共産党]]は、[[日本の新左翼|新左翼]]発生以前には共産党結成初期に共産党から分離した[[労農派]]をトロツキストと呼んでいた。1950年代後半に[[六全協]]に対する反発や[[ハンガリー動乱]]の影響で新左翼が生まれると、彼らをトロツキストと罵倒した。60年[[安保闘争]]時の、決してトロツキーの思想の影響下にあったわけではなかった[[共産主義者同盟]]および[[全日本学生自治会総連合|全学連]]を「[[極左冒険主義]]のトロツキスト集団」と口をきわめて非難した。あるいは、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系=[[反スターリン主義|反スタ]]、反純トロ」を標榜する[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]、果てはそもそも[[レーニン主義]]を否定している[[社青同解放派]]まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。
 
 
しかし[[スターリン批判]]以降、日本社会でも凶悪な独裁者というのがスターリンの評価として一般的になっていく中で日本共産党もスターリンについて「[[科学的社会主義]]を歪曲した」「大国主義」と批判的になっていき、1982年(昭和57年)には[[不破哲三]]が著作『スターリンと大国主義』を著してスターリン批判を行い、その中において「ロシア革命におけるトロツキーの役割」を一定認める見解を発表した。そのため以降日本共産党は新左翼党派を「トロツキスト」と呼称することを公式には取りやめるが、現在でも主に高齢・古参の党員を中心に新左翼諸党派を一括りに「トロツキスト」「トロ」などと軽蔑を込めて指す者もおり、若手党員や民青同盟員にも稀に「トロ」などと口にする者がいるという。現在では共産党の新左翼に対する公式的な蔑視用語は「[[ニセ「左翼」暴力集団|ニセ『左翼』暴力集団]]」(口語で略するときは「ニセサヨク」)に取って代わられている。
 
 
なお、海外でも「トロット(Trot)」(複数形は「トロッツ (Trots)」)というトロツキストへの[[蔑称]]が21世紀を迎えた現在も広く使われている。
 
 
== 「ネオコンの出自はトロツキスト」論をめぐって ==
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のトロツキスト・グループから、「[[新保守主義 (アメリカ)|ネオコン]]」と呼ばれる現在の[[アメリカ合衆国の政治|アメリカの政治]]に影響力を及ぼしている[[新保守主義 (アメリカ)|新保守主義]]が生まれているという説がある<ref name="tanakanews081021">[http://tanakanews.com/081021bank.htm 田中宇の国際ニュース解説 - 金融と革命の迷宮, 2008年10月21日]</ref>。この点をもって、トロツキズムとネオコンの根は同一であると説く論者も存在する<ref>[http://www.bund.org/opinion/1117-5.htm 『田原牧さんに聞く ネオコンの出自はトロツキスト 米国の原理の下今でも世界革命目指している』, senki 2003-7-25]</ref>。これらはネオコンの創始者ともされる[[アーヴィング・クリストル]]が[[第四インターナショナル]]に所属していたこと、どちらも世界に理想(世界革命、[[自由化]]、[[民主化]])を広めるという側面を根拠としている。しかし、ネオコンとトロツキズムとの「思想的連続性」という説についてはトロツキスト側から反論もなされている<ref>[http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/44/kaidai.html 『シャハトマン派とアメリカ知識人 山本ひろし』 トロツキー研究 第44号]</ref>。
 
なお、[[陰謀論]]をあつかう一部のサイト<ref name="tanakanews081021"/>上では、これらのことから新保守主義者や[[新右翼]]が実はトロツキストで現在も世界革命を目指しているという陰謀論・[[都市伝説]]がある。
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist|2}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[永続革命論]] - [[ボリシェヴィキ・レーニン主義]]
 
* [[第四インターナショナル]]
 
** [[エルネスト・マンデル]]
 
** [[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)]]
 
** [[国際ボリシェヴィキ潮流]]
 
* [[アブラハム・レオン]]、[[彭述之]]、[[タ・トゥ・タオ]]
 
* [[アイザック・ドイッチャー]] - 『追放された予言者・トロツキー』([[新潮社]]、1964年)、『武装せる予言者・トロッキー』(新潮社、1964年)、『武力なき予言者・トロツキー』(新潮社、1964年)、『永久革命の時代:トロツキー・アンソロジー』(河出書房新社、1968年)の著者。
 
* [[反スターリン主義]]
 
* [[スターリニズム]]、[[人民戦線]]
 
* [[新保守主義 (アメリカ)|新保守主義(ネオコン)]]
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://redmole.m78.com/bunko/10/bunko10f.html トロツキズム入門](レオン・トロツキー、[[エルネスト・マンデル]])
 
*[http://redmole.m78.com/bunko/06/bunko06f.html 第四インターナショナル小史 - 1923~1968年]([[ピエール・フランク]])
 
*[https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%84%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-106952#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 トロツキズム(トロツキズム)とは] - [[コトバンク]]
 
 
{{共産主義}}
 
 
{{DEFAULTSORT:とろつきすむ}}
 
{{DEFAULTSORT:とろつきすむ}}
{{Communism-stub}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
  
 
[[Category:トロツキズム|*]]
 
[[Category:トロツキズム|*]]

2019/5/7/ (火) 17:16時点における最新版

トロツキズムまたはトロツキー主義: Trotskyism

ロシアの革命家トロツキーの思想とそれに依拠した運動の総称。その中軸となる思想に,永続革命論がある。これは,後進国における革命の永続的推進,プロレタリア権力樹立以降の過渡期建設の完遂,プロレタリア革命の国際的規模での連続的推進の3側面から構成される理論で,『1905年,結果と展望』にまずその基本理念が打出され,スターリン式一国社会主義論との抗争のなかで完成されていった。この思想は,トロツキーの死後,第4インターナショナルを通じて反スターリニズム潮流に受継がれ,1956年のスターリン批判とハンガリー動乱を経て,いわゆる「新左翼」系に大きな影響を与えた。




楽天市場検索: