コミュニケーションカーニバル 夢工場'87

提供: miniwiki
2018/7/12/ (木) 16:45時点における153.232.162.13 (トーク)による版 (パビリオン)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索
コミュニケーションカーニバル
夢工場'87
Communication Carnival "Yumekōjō '87"
イベントの種類 博覧会
通称・略称 夢工場
正式名称 コミュニケーションカーニバル 夢工場'87
開催時期 1987年7月18日 - 8月30日
会場 東京国際見本市会場インテックス大阪
主催 フジサンケイグループフジテレビジョン関西テレビ放送
プロデューサー 鹿内春雄

コミュニケーションカーニバル 夢工場'87』(コミュニケーションカーニバル ゆめこうじょうはちじゅうなな)とは、1987年7月18日から8月30日まで日本で開催されたフジサンケイグループフジテレビ関西テレビ主催のイベント東京晴海東京国際見本市会場大阪南港インテックス大阪で行われた。

このイベントの後も、フジテレビはお台場地区などを会場として、ゴールデンウィーク夏休み期間などにイベントを開催している。詳細についてはフジテレビジョンの項を参照のこと。

また、このイベントに絡んで、アイドル夢工場というアイドルユニットが結成されたり、任天堂との共同製作によるゲームソフト夢工場ドキドキパニック』の発売などの展開が行われた。

逸話

このイベントが開催されるきっかけとなった逸話がある。『ひらけ!ポンキッキ』などの元プロデューサー・太地恒夫がフジテレビを退社しリオデジャネイロに移住していたところ、当時フジテレビ会長であった鹿内春雄より、阿久悠石ノ森章太郎江本孟紀木原光知子さいとう・たかを萬田久子残間里江子などの友人を連れてリオのカーニバルを見に行きたいとの要望を受けた。太地はこれに応じ、ありきたりの観光コースではなく豪華なヨットをチャーターして船上パーティーを開き、当時13歳であった天才バンドリン奏者のニウジ・カルヴァーリョのバンドがその場を盛り上げ、参加者一同はブラジルサンバに魅了された。鹿内は夢工場の最終日に太地を招待し、夢工場の発想はこの時に生まれたものだと語っている。

パビリオン

ラジコンカーにCCDカメラを取り付けたアトラクション。操縦はセガのアーケードゲーム、アウトラン筐体を使って行った。横浜博覧会(YES'89)では「セガ・スーパーサーキット」と改名されて出展された。

ライブ

テレビ中継

1987年7月20日からの1週間、番組全編を会場から生中継した。但し、『ブラボー!夢工場』はフジテレビのみで放送。

夢工場関連

関連項目

外部リンク

テンプレート:フジテレビ主催イベント