「オウム真理教」の版間の差分

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|目的=(宗教法人規則認証申請書)主神をシヴァ大神<ref group="注釈">読みは「シヴァたいしん」。オウム真理教におけるシヴァ大神は[[ヒンドゥー教]]の[[シヴァ]]神よりも更に崇高な存在とし、[[涅槃|ニルヴァーナ]]を超えるマハーニルヴァーナに存在する真理勝者の集合体であり、すべての根本神。</ref>として崇拝し、創始者の[[麻原彰晃|松本智津夫(別名麻原彰晃)]]はじめ、[[パーリ仏典]]を基本として[[シヴァ大神]]の意思を教学し実践する者の指導のもとに、古代[[ヨガ]]、[[ヒンドゥー教|ヒンズウー教]]、諸派[[大乗仏教]]を背景とした[[教義]]をひろめ、[[オウム真理教の修行|儀式行事]]をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を[[輪廻]]の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要なワークを行う<ref>東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より</ref>。<br/>(公安調査庁の見解)[[教祖]]である麻原及び麻原の説く教義への絶対的[[帰依]]を培い、[[日本国憲法|現行憲法]]に基づく[[民主主義]]体制を廃し、麻原を[[独裁政治|独裁]]的主権者とする[[祭政一致]]の[[専制政治]]体制を我が国に樹立すること<ref name="kouann">[http://www.moj.go.jp/psia/20140331.aum_aboutaum.html オウム真理教について | 公安調査庁]</ref>。
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|本部={{JPN}}<br>[[東京都]][[江東区]][[亀戸]](登記上)<br>[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]](現・[[南都留郡]][[富士河口湖町]])(実質)<br>[[静岡県]][[富士宮市]](実質)<br>[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[南青山]](実質)
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[[ファイル:Aum-MinamiAoyama.jpg|サムネイル|青山総本部([[東京]]・[[南青山]]、1994年、2015年4月解体)]]
 
オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)は、かつて存在した日本の(新興)宗教団体。[[坂本弁護士一家殺害事件]]、[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]など多くの事件([[オウム真理教事件]])を起こし、[[1996年]](平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。2000年(平成12年)2月には破産に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体アレフが設立され、教義や信者の一部が引き継がれた。アレフは後に[[宗教団体|Aleph]]に改称され、また別の宗教団体[[ひかりの輪]]が分派した。
 
  
== 概説 ==
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オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)
[[地下鉄サリン事件]]など多くの事件を起こした[[新興宗教]]団体である。[[教祖]]である[[麻原彰晃]](本名:松本智津夫)は[[ヒマラヤ]]で最終[[解脱]]した[[日本]]で唯一の存在で[[空中浮揚]]もできる[[超能力|超能力者]]であり、その指示に従って[[オウム真理教の修行|修行]]をすれば誰でも超能力を身に付けることができるなどと言って若者を中心とする[[信者]]を多く獲得した。[[マスメディア]]ではオウム真理教出家者が[[理系]]の高学歴者ばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、多くの[[宗教団体]]にありがちなように、実際は社会で普通に生きてゆくことに疑問を感じたり社会に居場所をなくした人たちや、[[ドメスティックバイオレンス|DV]]被害者、被[[虐待]]児、[[精神障害|精神疾患]]、[[発達障害]]、[[パーソナリティ障害]]などの社会的な弱者も多く、こうした[[社会的弱者]]の構成員も多かった<ref name="rika">[[松本麗華]]『止まった時計』麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記</ref>。
 
 
 
教義的には[[ヒンドゥー教]]や[[仏教]]といった諸宗教に合わせ、[[ノストラダムス]]の予言などの[[オカルト]]もミックスした独特のものとなっていた。当初は[[ヨーガ]]のサークルに過ぎなかったものの次第に常軌を逸した行動が見え始め、[[出家]]信者に全財産を布施させたり、麻原の頭髪や血、麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、多額の金品を得て教団を拡大させた。内部では懐疑的になって逃走を図った信者を拘束したり殺害するなどして、[[1988年]]から[[1994年]]の6年間に脱会の意向を示した信者が判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名以上に及び、[[恐怖政治]]で教祖への絶対服従を強いていた。「出家」や高額の布施を要求し信者の親族その支援者と揉め事が多く、当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される「[[オウム真理教被害者の会]]」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、[[司法]]、[[行政]]、[[日本の警察|警察]]など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、取り上げられることなく、その結果、[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]をはじめ[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロリズム|テロ]]を含む多くの反社会的活動(詳細は「[[オウム真理教事件]]」を参照)を起こした<ref name="TAKIMOTO">[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/20111121201307566.pdf 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記「死刑執行回避署名のお願い」]</ref><ref>[http://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten260/it0.htm 目次 オウム真理教 反社会的な本質とその実態(警察庁)]</ref>ほか、[[自動小銃]]や[[化学兵器]]、[[生物兵器]]、[[麻薬]]、[[爆弾]]類といった[[オウム真理教の兵器|教団の兵器]]や違法薬物の生産を行っていた<ref name="kouann"/>。
 
 
 
[[1996年]]([[平成]]8年)1月に[[宗教法人]]としての法人格を失ったが活動を継続。[[2000年]](平成12年)2月には[[破産]]に伴い消滅した。同時に、新たな[[宗教団体]]「'''アレフ'''」が設立され、[[教義]]や[[信者]]の一部が引き継がれた。アレフは後に「'''[[Aleph (宗教団体)|Aleph]]'''」と改称され、また2007年(平成19年)5月に[[上祐史浩]]を中心とした別の[[仏教哲学]][[サークル]]「'''[[ひかりの輪]]'''」が、2014年(平成26年)〜2015年(平成27年)頃にAleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「'''[[山田らの集団]]'''」と呼ばれる分派が結成された。後継組織も[[日本国政府|日本政府]]からは継続的に[[反社会的勢力]]と見做され続け、組織の動向を監視・追跡されている。
 
 
 
=== 名称 ===
 
命名には[[京都府|京都]]の私立[[探偵]]・[[目川重治]]が関わっている。目川は「松本智津夫」から[[天理教]]の全容の調査を依頼され、その調査結果を松本に手渡した。その際、目川があんりきょう、いんりきょう・・・と「あ」から続けていき、「'''しんりきょう'''」に至ったという。後に目川は松本が麻原彰晃であると知った<ref group="注釈">なお、当初は「真理教」とする筈だったが「しんりきょう」と発音する宗教団体([[神理教]])が他に存在していたため[[商標登録]]の都合上、オウム神仙の会の名前から取り「オウム真理教」と命名したのではないかという考え方もできる。</ref>。
 
 
 
「'''オウム'''」は目川の家の向かいにあった[[オーム電機]]と[[オームの法則]]に由来し、目川が「オームなんていいんじゃないか?」と勧めた<ref>[[有田芳生]]と[[女性自身]]「シリーズ人間」取材班『「あの子」がオウムに!』 p.63</ref>。
 
 
 
時期は目川の手記では1978-1979年頃、ノンフィクションライターの[[高山文彦 (作家)|高山文彦]]および[[東京新聞]]記者瀬口晴義の文献によれば1984年春頃とされている(詳細は「[[目川重治#オウム真理教]]」を参照)<ref>瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』 p.83</ref>。高山は勢力を拡大し教団名が市の名前([[天理市]])にまでなるに至った天理教を自分の夢と重ねていたのではないかとする<ref>高山文彦 『麻原彰晃の誕生』 文藝春秋、[[2006年]]、170-173頁</ref><ref>目川重治 『目川探偵の事件簿』 データハウス、[[1995年]]、16-18頁</ref>。
 
 
 
さらに「オウム(AUM)」とは、[[サンスクリット]]語または[[パーリ語]]の呪文「[[オーム (聖音)|唵]]」でもあり、「ア・ウ・ム」の3文字に分解できる。これは[[宇宙]]の創造・維持・破壊を表しており、その意味は「すべては[[無常]]である」、すなわちすべては[[変化]]するものであるということを表している。
 
 
 
また麻原自身の解説によれば「[[真理]]」の意味は、[[釈迦]]や[[イエス・キリスト]]が人間が実践しなければならないものはこうであるという教えを説いたものであるが、その教えの根本であるものを「真理」と呼ぶ。特に[[チベット仏教]]や[[原始仏教]]の要素をアピールしたため仏教系とされることも多いが、あえて仏教を名乗らなかった理由は、「仏教」という言葉自体が釈迦死後に創作されたものであるからとしている。また真理と密接に関係のあるものが[[科学]]であるという<ref name="kouen1992">麻原彰晃モスクワラジオ電子自動制御大学講演会説法集説法集「宗教を科学する‐5大エレメントと分子運動」1992年4月25日</ref><ref>『尊師に聞く1』AUM PRES 1992年 p.44</ref>。
 
 
 
== 沿革 ==
 
=== 前史 ===
 
==== ヨーガ教室 ====
 
1984年([[昭和]]59年)、超能力開発塾「'''鳳凰慶林館'''」を主宰していた[[麻原彰晃]](本名・松本智津夫)は後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]教室「'''オウムの会'''」(その後「'''オウム神仙の会'''」と改称)を始めた。当時はアットホームなヨーガ教室で、この頃、[[オカルト]]系雑誌の『[[ムー (雑誌)|月刊ムー]]』が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた<ref name="Yahoo0150515-00000006">[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150515-00000006-wordleaf-soci&p=2 麻原彰晃」逮捕から20年 Yahoo!ニュース THE PAGE 5月16日(土)6時0分配信「キーワードで見るオウム真理教」]</ref>。麻原はこれらオカルト雑誌に[[空中浮揚]]の瞬間と称する写真を掲載したり、[[ヒヒイロカネ]]についての記事や、『生死を超える』『超能力秘密の開発法』などの本を執筆するなどして宣伝した。
 
 
 
==== 麻原と家庭 ====
 
当時は松本家一家は[[千葉県]][[船橋市]]に住み、貧しく家族全員で1つの[[寝室]]を共有していた。[[食事]]は[[野菜]]中心で[[食肉|肉]]の代りに[[グルテン]]を肉状にしたものを食べたり、[[ちゃぶ台]]の上にホットプレートを置き、「野菜[[バーベキュー]]」を楽しんでいた。この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚には[[仏像]]が置かれていた。麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれを[[祭壇]]と呼んでいた。「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。
 
 
 
当時、麻原はヨーガ教室を東京都[[渋谷区]]で開いていたため、家にいることが少なかった。たまに帰宅すると強度の弱視のためテレビにくっつくように野球中継を見ていた。[[1986年]]ころには[[世田谷区]]の[[道場]]に住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。しかし、妻の[[松本知子]]は麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、麻原に向かってなじるようないさかいがあり、麻原はこれにほとんど抵抗をしなかった。3女[[松本麗華]]の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っており、後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。
 
 
 
麻原は子供に向かって「[[蚊]]に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方妻の知子は蚊を平気で殺していた<ref name="rika"/>。
 
 
 
=== 合法活動 ===
 
==== オウム神仙の会からオウム真理教へ ====
 
[[1987年]](昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、[[宗教団体]]「オウム真理教」が設立された。同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立。
 
 
 
「真理教」の名前は[[石井久子]]以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、もっと宗教色を隠さないと一般受けしないという意見もあったが、麻原は「救済活動をする為なのだから真理教にする」と拘った<ref>[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/ji14020070120.pdf カナリヤの詩140号] カナリヤの会]]</ref>。宗教化で会員の三分の一が脱会した<ref>瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』社会批評社、1996年、p.84</ref>。
 
 
 
[[1989年]](平成元年)[[8月25日]]に東京都に[[宗教法人]]として認証された([[1993年]]以降の登記上の主たる事務所は東京都[[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部)。麻原は[[解脱]]して超能力を身に付けたといい、[[神秘体験]]に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。さらに麻原は自らを[[ヒンドゥー教]]の最高神の一柱である破壊神[[シヴァ]]神あるいは[[チベット仏教|チベット密教]]の怒りの神「[[マハーカーラ]]」などの[[化身]]だとも説き、人を力尽くでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばず[[暴力]]をも肯定する教義へと傾斜していく。
 
 
 
同年には[[サンデー毎日]]で「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、オウム批判、オウムバッシングが始まった<ref name="nanzan" />。
 
 
 
==== ダライ・ラマを利用した宣伝 ====
 
麻原は[[ガンデンポタン|チベット亡命政府]]の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]](昭和62年)2月24日ならびに[[1988年]](昭和63年)7月6日に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。あまりにも儀式化してしまって、仏教本来の姿を見失ってしまっているじゃないか。これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ。」「君が本当の宗教を広めなさい。君ならそれができる。あなたはボーディ・チッタ<ref group="注釈">[[仏陀|ブッダ]]の心。</ref>を持っているのだから」と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した<ref name="aum2200-145">『「オウム真理教」追跡2200日』p.145-152「ダライ・ラマ側近の証言」。</ref><ref>麻原彰晃『イニシエーション』 1987年 p.1-2</ref>。ペマ・ギャルポはその後まもなくオウム真理教と積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言した。
 
 
 
[[ダライ・ラマ]]と同様オウム真理教は[[教団]]の権威づけに多くのチベットの高僧やインドの修行者と接触し宣伝に利用していたが、事件後はマスコミの取材に対して軒並み深い関係を否定している<ref name="aum2200-145"/>。
 
 
 
1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。私に会いに来る人には誰でも友人として接している。しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。私は超能力や奇跡には懐疑的だ。仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」と語った<ref name="aum2200-145"/>。この話はオウム真理教が江川紹子と出版社を相手取り損害賠償請求訴訟を行なった際の争点の一つとなったが、判決は「名誉毀損に当たらない」としてオウム真理教の請求を棄却した<ref name="aum2200-145"/>。江川紹子は「多額の[[寄付]]をしてもらえば、普通お礼はするし、多少のリップサービスをすることもある。麻原教祖はそうした相手の反応を利用し、(中略)オウムの権威や信用を高めようとしたのではないか」と推測している<ref name="aum2200-145"/>。
 
 
 
==== 麻原の健康不安と死への願望 ====
 
[[1988年]][[10月]]頃、[[富士宮市]]人穴に総本部道場建設<ref name="takizawa">[http://www.mars.dti.ne.jp/~takizawa/aum1.html 「坂本弁護士一家殺害事件5年10ヶ月の軌跡そして「真相」坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会 弁護士 瀧澤秀俊]</ref>。この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、健康面に不安を感じ始め「自分が死んだら、教団をどうするのか」あるいは「私は長くてあと5年だ」「死にたい」などと洩らすようになる。[[肝硬変]]や[[肝臓がん]]だと大騒ぎになったりもする。高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、[[新実智光]]は「お供します」、[[早川紀代秀]]は「困ります」、[[上祐史浩]]は「残って救済活動をします」と答え、妻の[[松本知子]]は「勝手にすれば」と言ったという<ref name="rika"/>。3女[[松本麗華]]は、この頃から「麻原の[[死]]への願望は強まった」と考えている。[[解脱]]者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、弟子の修業が思うように進まず、人間界が救われないという否定的な認識が麻原彰晃に芽生えたと見ている<ref name="rika"/>。
 
 
 
==== 衆議院議員総選挙への出馬 ====
 
[[1989年]]の[[第15回参議院議員通常選挙|参院選]]で[[土井ブーム|マドンナ旋風]]が沸き起こったことから、[[1990年]]2月に行われる[[第39回衆議院議員総選挙|衆院選]]に、当初麻原は[[石井久子]]をはじめとした女性信者を出馬させる構想を立てたが、その後麻原自身が徳によって政を行い、地上に真理を広めるために[[1990年]](平成2年)には[[真理党]]を結成して[[第39回衆議院議員総選挙]]へ麻原と信者24人<ref group="注釈">立候補者が25名以上の政党には公職選挙法上[[確認団体]]と認められる利点がある。</ref>が集団立候補。選挙に立候補するかどうかはオウムとしては珍しく幹部による多数決が採られた。結果は10:2で賛成派が勝利。反対した2人は[[上祐史浩]]と[[岐部哲也]]であった<ref name="kaitai">『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩([[雷韻出版]] [[2000年]][[5月1日]])</ref>。
 
 
 
しかし結果は惨敗し、当時立候補者1人あたり200万円だった[[供託金]]として計5,000万円が没収される<ref>島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001年)</ref>。
 
 
 
==== 海外への進出 ====
 
麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて世界各地の宗教[[聖地]]を巡った。1987年には、「麻原の前世が[[古代エジプト]]のイムホテップ王であった」ということから、同王が埋葬されている[[ピラミッド]]の視察目的で[[エジプト]]ツアーを行った{{Sfn|東京キララ社|2003|p=23}}。後に麻原は自著において「ピラミッドは[[ポア (オウム真理教)|ポア]]の装置だ」と述べた{{Sfn|東京キララ社|2003|p=23}}。[[1989年]](平成元年)8月、所轄庁の[[東京都知事]]より[[宗教法人]]としての認可を得た後、日本全国各地に支部や道場を設置する一方、[[ロシア]]や[[スリランカ]]など海外にも支部を置いた。[[ロシア]]では優秀な演奏者を集め[[キーレーン]]という専属[[オーケストラ]]を所有、[[布教]]に利用した<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=lype9M4EA5E オウム真理教制作ビデオ「オウム真理教専属オーケストラ”キーレーンのすべて”-総監督麻原彰晃」]</ref>。日本では1989年(平成元年)に約1万人程度の信者が存在していたとされる<ref name="mizounotero">[http://www.npa.go.jp/keibi4/it2.htm 未曾有のテロ](警視庁公式ウェブサイト)</ref>。麻原は[[1991年]](平成3年)を「救済元年」とし{{要出典範囲|date=2013年7月|(教団内でこれを[[元号]]の如く用いた)}}、[[マスメディア]]を中心とした教団活動を活発化させた。
 
 
 
[[1992年]][[11月12日]]には、釈迦が[[インドボダイジュ|菩提樹]]の下で[[悟り]]を開く瞑想に入ったとされる聖地、[[インド]]・[[ブッダガヤ]]の[[ブッダガヤの大菩提寺|大菩提寺]]にある「[[金剛座]]」に座り、地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、[[日本の警察官|警官]]に引き摺り下ろされた<ref>「神話 聖地訪れ「私はブッダ」」『朝日新聞』東京朝刊、1995年10月22日、p.31</ref>。麻原は日本では盛んにテレビ・[[ラジオ]]番組に露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。このほか講演会開催、[[ロシア]]や[[東南アジア]]諸国・[[アフリカ]]諸国などへの訪問や支援活動、[[出版]]物の大量刊行などを行った。[[図書館]]への寄贈・納本も行っており、麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は現在も[[国立国会図書館]]等に架蔵されている。特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、[[1980年代]]後半から行っていた大学の[[大学祭|学園祭]]での講演会を更に頻繁に開催するなどした([[東京大学]]、[[京都大学]]、[[千葉大学]]、[[横浜国立大学]]等)。1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになる[[パソコン]]製造などを行う会社「株式会社[[マハーポーシャ]]」を設立し、格安[[パソコン]]の[[製造]]販売を行うようになった。
 
 
 
==== オウム真理教放送の開始 ====
 
ロシアでは、[[1992年]][[4月1日]]に[[オウム真理教放送]]が開始される。[[日本語]]の他、[[英語]]や[[ロシア語]]で放送を行っていた。当初は「エウアゲリオン・テス・バシレイアス」という番組名で、放送局名や放送時間、周波数等の告知すらなく、同年4月半ばからは「オウム真理教放送」と名乗る。[[ギリシア語]]では「エウアンゲリオン」が正しい発音だという聴取者の指摘により、[[8月1日]]の放送分より「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」に変更された。制作は富士山総本部で、録音テープを[[モスクワ]]に空輸し放送していた。[[電波]]の受信状態が悪かったため[[12月1日]]からは富士山総本部のスタジオからの[[生放送]]に変更された。1992年[[6月15日]]には[[モスクワ放送]]の英語ワールドサービスの時間枠を使用し、日本時間の5時30分と13時30分からそれぞれ約30分間、全世界に向けての英語放送を開始。1992年[[9月1日]]からは「マヤーク」という約25分間のロシア語放送が開始された。11月19日にはモスクワのテレビの2×2にて「真理探求」という番組が開始される<ref name="abiweb">[http://www.abiweb.jp/report/aum.htm オウム真理教放送の開始から中止まで(アジア放送研究会制作「オウム真理教放送録音集」解説文から)]</ref>。
 
 
 
一連の事件が[[強制捜査]]を受けたことから、ロシア当局は放送の中止を決め、[[日本]]時間の[[1995年]][[3月23日]]の放送が最後となった。翌24日もスタジオからは番組を発信したが、ロシア側が放送中止を決めたため、電波には乗らなかった<ref name="abiweb" />。
 
 
 
番組内では、麻原彰晃作曲とされる多くの[[オウムソング]]が流され、「超越神力」、「エンマの数え歌」、「御国の福音」第1楽章の一部や「シャンバラ・シャンバラ」などが放送されたほか、[[モスクワ大学]]での麻原彰晃説法の様子。麻原の3人の弟子として、アナウンサーのカンカー・レヴァタ([[杉浦実]])、ダルマヴァジリ([[坪倉浩子]])、アシスタント役にはマンジュシュリー・ミトラ([[村井秀夫]])が登場した。麻原夫人の[[松本知子]](ヤソーダラー)が、かつてはアンチ宗教だったという衝撃的な発言にはじまり、夫人の考え方が変わってゆく様子なども流された。英語放送では麻原の英語のメッセージのほか、当初は朝のパーソナリティーをマイトレーヤ([[上祐史浩]])が、昼の放送はヤソーダラー(松本知子)が受け持っていた<ref name="abiweb" />。
 
 
 
1995年[[3月22日]]、オウム真理教に対する警察の強制捜査が行われ、翌23日にはこれに対する麻原自らの反論が放送された。音質から、第4サティアンのスタジオではなく、他の場所での収録と推測されている。1995年2月からは、麻原が「悔いのない死」を呼びかけるメッセージを送り続けていたが、[[3月23日]]の放送の最後にもこれが放送されオウム真理教放送最後の[[オンエア]]となった<ref name="abiweb" />。
 
 
 
=== 非合法活動 ===
 
[[ファイル:Spot_of_abduction_by_Aum_Shinrikyo_at_Kamiosaki_Shinagawa_Tokyo.jpg|thumb|right|250px|[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件|公証人役場事務長逮捕監禁致死事件逮捕(拉致)現場]]]]
 
[[ファイル:Anti-Aum Shinrikyo protest.JPG|250px|thumb|right|住民によるオウム真理教追放運動。各地で住民との摩擦が表面化し時にはヒステリックなまでにエスカレートした。]]
 
==== 全ての基点 ====
 
[[1988年]](昭和63年)、[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]が発生。麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れという[[シヴァ]]神の示唆だな」とつぶやいたという。隠蔽のため、[[1989年]](平成元年)には[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]を起こし殺人に手を染める。
 
 
 
==== 坂本弁護士事件と衆議院選の裏側 ====
 
翌年の選挙戦など教団の活動の障碍になるとして、前年の[[1989年]]11月4日、オウム批判をしていた[[坂本堤]]弁護士とその一家を殺害([[坂本堤弁護士一家殺害事件]])。[[中川智正]]が殺害の際プルシャ(オウムのバッジ)を落としたためオウム犯行説が一時広まるが、任意の失踪の可能性があるなどとされこの頃はまだ事件性すら確定されていなかった。
 
 
 
そして[[1990年]]、麻原は[[真理党]]を結成して[[第39回衆議院議員総選挙]]に出馬。選挙の際には信者が麻原のお面や[[ガネーシャ]]の帽子をかぶり、[[尊師マーチ]]など教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌や[[テレビ]]で[[報道]]され、徐々に知名度が上がっていく。この時には公職選挙法で定められた時間帯を大きく超える16時間/日に及ぶ街頭宣伝運動を繰り広げ、麻原彰晃の写真入りビラやパンフレット、雑誌を選挙区中に撒き、麻原そっくりのお面を大量に作って運動員に被らせた<ref name="aum2200-114">『「オウム真理教」追跡2200日』p.114-121。</ref>。これは違法で警視庁から警告を受けたが、運動にかり出された元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示を受けていた<ref name="aum2200-114"/>。また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が勧め、深夜に信者を使って他の候補者を中傷するビラを配布させた<ref name="aum2200-114"/><ref name="aum2200-500" />。
 
 
 
結果はこの選挙で最も得票の多かった麻原でさえ1,783票<ref name="aum2200-500" />であり、惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく」として、[[ボツリヌス菌]]や[[ホスゲン]]による無差別テロ計画([[オウム真理教の国家転覆計画]])を指示する<ref name="wa141" />。このことからもこの選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高め、非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。
 
 
 
==== 無差別テロ計画 ====
 
麻原は選挙での惨敗を受け、[[オウム真理教の国家転覆計画]]を実行に移し始めた。教団内ではかねてから、現代人は死後三[[悪趣]](地獄・餓鬼・畜生)に転生してしまうためこれを防がなくてはならない<ref>[[広瀬健一]]「[http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/IMG3-1.pdf 第3章第2節  事件の動機に関する元信徒の供述の差異]」</ref>などと教え込まれていたため、信者は麻原に従って武装化に協力していった。
 
 
 
[[1990年]]4月、「{{仮リンク|オースチン彗星|en|C/1989 X1}}が接近しているために、日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」と宣伝し、在家信者だけでなく家族まで参加させ行き先も伝えないまま石垣島に連れて行き[[石垣島セミナー]]を開催した<ref name="aum2200-336" /><ref name="aum2200-452">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.452-477「被害者の会会長を襲った怪事件」。</ref>。
 
 
 
セミナーの当初の目的は、オウム真理教が計画をしていた[[ボツリヌス菌]]・[[ボツリヌストキシン]]散布による[[テロ]]から、オウムの信者を守ることであった。しかし[[村井秀夫]]、[[遠藤誠一]]らはボツリヌス菌の培養に失敗をしたためテロは実行されなかった<ref name="hk90">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1990.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1990年] ひかりの輪公式サイト。</ref>。
 
 
 
参加者によると、参加費は30万円であったが、会場はきちんと予約されておらず、天候が悪かったこともあり、「現在の東欧動乱は、1986年の[[ハレー彗星]]の影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって何かが起こる」とただそれだけの話があっただけで行事は予定を繰り上げてお開きになった。しかしこのセミナーで多数の出家者を獲得し、選挙での惨敗後に脱会者が続出した教団を蘇生することには成功した。これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった<ref name="aum2200-336" />。
 
 
 
==== 波野村の攻防 ====
 
[[1990年]](平成2年)5月、[[日本シャンバラ化計画]]の一環として[[熊本県]][[阿蘇郡]][[波野村 (熊本県)|波野村]](現在の[[阿蘇市]])に進出するが、地元住民の激しい反対運動に会う。波野村進出の目的のひとつは武装化拠点の確保であった<ref name="hk90" />。しかし村民はオウムの進出に反発し、反対運動が激化した。村の反対運動の背景には、村長派と反村長派との対立があったともされる。また[[右翼団体]]なども扇動され激しい攻防があった<ref name="17nenme">上祐史浩 『オウム事件 17年目の告白』 扶桑社、90頁。</ref>。
 
 
 
そして1990年10月、オウム真理教波野村の土地売買に関する[[オウム真理教国土利用計画法違反事件|国土利用計画法違反事件]]で[[強制捜査]]を受け、[[早川紀代秀]]、[[満生均史]]、[[青山吉伸]]、[[石井久子]]、[[大内利裕]]など教団幹部が続々と逮捕された。
 
 
 
後の[[1994年]]、結局波野村はオウムが5000万円<ref name="aum2200-191">『「オウム真理教」追跡2200日』pp191-199「麻原彰晃の偽装工作」。</ref>で手に入れた[[土地]]を和解金という形式で9億2000万円<ref name="aum2200-200">『「オウム真理教」追跡2200日』pp200-208「シャンバラ化計画」。</ref>で買い戻すことで合意、オウムの大きな資金源となった。
 
 
 
==== 武装化の中断、妄想・幻聴の出現 ====
 
国土法違反事件の影響もあり、[[1991年]](平成3年)〜[[1992年]](平成4年)は[[ホスゲン]]プラント計画や[[生物兵器]]開発などの教団武装化を中断、テレビや雑誌への出演や文化活動などに重点を置いた「マハーヤーナ」路線への転換を図った。
 
 
 
だが1992年頃より、「[[人工衛星|宇宙衛星]]から[[電磁波]]攻撃を受けている<ref>毎日新聞社会部『元愛弟子への無期判決―オウム「教祖」法廷全記録3』 p.325</ref>」などといった麻原の[[妄想]]、[[幻聴]]が現れ始める。「[[シヴァ]]大神の示唆では仕方ないな」とつぶやき、「内なる声」が自らの進みたい道とは違うことに苦しみ始め「いっそ死んでしまいたい」と言ったのを3女麗華が聞いている。麗華は麻原を[[統合失調症]]などの[[精神疾患]]に罹患していたのではないかと推測している<ref name="rika"/>。
 
 
 
==== 教団の再武装化 ====
 
{{see also|麻原彰晃#マハーヤーナとヴァジラヤーナ}}
 
[[1993年]](平成5年)前後から再び麻原は教団武装化の「ヴァジラヤーナ」路線を再開<ref name="wa141">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/572/005572_hanrei.pdf 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所]</ref>。武力を保有するため、[[オカムラ鉄工乗っ取り事件|オカムラ鉄工]]を乗っ取り[[AK-74]]の生産を試みたり([[自動小銃密造事件]])、[[NBC兵器]]の研究を行うなど[[オウム真理教の兵器|教団の兵器]]の開発を進めた。[[1993年]]以降は麻原が[[オウム真理教放送]]等を除く[[マスメディア|メディア]]に登場することはなくなり、国家転覆を狙った凶悪犯罪の計画・実行に傾斜してゆく。
 
 
 
この中で[[土谷正実]]、[[中川智正]]、[[滝澤和義]]らの手によって[[サリン]]など[[化学兵器]]の合成に成功。1993年より、これを利用した[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]、[[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件]]を起こし、敵対者の暗殺を試みた。さらに第7[[サティアン]]においてサリン70トンの大量生産を目指した([[サリンプラント建設事件]])。
 
 
 
また[[生物兵器]]の開発も再開し、遠藤誠一、[[上祐史浩]]らが[[炭疽菌]]を用いて[[亀戸異臭事件]]などを起こしたが、こちらは成功しなかった。
 
 
 
この頃には、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると主張するようになり、車には空気清浄機を付け、ホテルでは大真面目に隙間に目張りをしていた。ヘリコプターが通過する際には、毒ガスだと言って車に駆け込み退避するよう命じる有り様だった<ref name="rika"/>。[[中川智正]]によると、この[[被害妄想]]は[[1993年]][[10月]]頃に第2[[サティアン]]の食物工場から[[二酸化硫黄]]を含む煙が出た事故を、毒ガス攻撃と思い込んだことから始まったという<ref>降幡賢一『オウム法廷2下』 p.315</ref>。
 
 
 
==== 洗脳の強化 ====
 
過激化とともに[[布施]]の強化が図られ、社会との軋轢が増すにつれ、教団内部に警察などの[[スパイ]]が潜んでいるとしきりに説かれ、信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求められるようになる。麻原は信者に対して「教団の秘密を漏らした者は殺す」「家に逃げ帰ったら家族もろとも殺す」「警察に逃げても、警察を破壊してでも探し出して殺す」と脅迫していたという<ref>降旗賢一『オウム法廷2上』 p.332</ref>。教団内の締め付けも強くなり、[[薬剤師リンチ殺人事件]]、[[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]]、[[オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件|逆さ吊り死亡事件]]などが発生した。
 
 
 
[[1994年]]からオウムでは違法薬物をつかったイニシエーションを次々と実行するようになり、[[LSD (薬物)|LSD]]を使った[[オウム真理教の修行|イニシエーション]]が在家信者に対しても盛んに行われた(LSDは麻原自身も試している){{Sfn|東京キララ社|2003|p=24}}。費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引され、5万円で受けた信者もいる<ref name="takarajima229">別冊宝島229号『オウムという悪夢』</ref>。LSDを使った「'''キリストのイニシエーション'''」は出家信者の殆どに当たる約1200人と在家信者約200〜300人、LSDと[[覚醒剤]]を混ぜた「'''ルドラチャクリンのイニシエーション'''」は在家信者約1000人が受けた<ref name="LSD">降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.33</ref>。
 
 
 
また、[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]によって「'''ナルコ'''」という儀式が開発された。「ナルコ」は、[[チオペンタール]]という[[麻酔薬]]を使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると林にナルコの実施を命じた。{{要出典範囲|date=2013年7月|麻原は林に、信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の仕事の内容を他の信者へ話すことすら禁じていた。}}林郁夫はさらに「'''ニューナルコ'''」と呼ばれる薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、<!--[[拉致]]してきた女性信者にチオペンタールを使い「あなたはどうしてここにいるのか」と聞くと「拉致されてきた」と答えたため、林の開発した電気ショック機器で100Vの電気ショックを与えている。この際には3度目の電気ショックで効果が確認され、女性信者は「分からない」と答えた。その後、救出された信者の中には電気ショックを与えられた者が他にもおり、-->字が書けなくなったり記憶がなくなっている信者が見つかっている。他にも、村井秀夫により'''[[PSI (オウム真理教)|PSI]]'''という奇妙な電極付きヘッドギアが発明され、教団の異質性を表すアイテムとなった。
 
 
 
洗脳は出家信者の子どもにも及び、[[PSI (オウム真理教)|PSI]]を装着させたり、LSDを飲ませたり、オウムの教義や陰謀史観に沿った教育をしたりしており、事件後に保護されたオウムの子どもたちが口を揃えて「[[ヒトラー]]は正しかった、今も生きている」などと語っている光景も目撃されている<ref>朝日新聞 1995年5月14日付 1面</ref><ref name="LSD" />。
 
<!-- {{要出典範囲|date=2013年7月|、暴れたり精神状態がおかしくなるものも続出。出家したばかりの信者が、教団の実際の様子がイメージしたものとは違うことに驚き実家へ帰ろうとしたところ、体力のある信者数人がかりで押さえ込み独房に入れるというような行為も日常茶飯となってきた}}。-->
 
 
 
==== 省庁制発足と松本サリン事件 ====
 
[[1994年]][[6月27日]]、東京都内の[[うまかろう安かろう亭]]で[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]発足式が開かれ、これにより教団内に「科学技術省」「自治省」「厚生省」「諜報省」などといった国家を模したような省庁が設置された。
 
 
 
3女[[松本麗華]]によれば、1994年6月に麻原の体調が悪化し、教団運営ができなくなる恐れが出たために、[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]が敷かれたという。各省庁の責任者や大臣が大きな権限を持つようになり、3女は、11歳にして法皇官房長官に任命される。任命時に麻原は麗華に「お前はもう11歳だから大人だ」と言ったが麗華がふてくされていると「法皇官房は、私のことを一番に考える部署なんだ。お前は長官だから、私の世話をしっかり頼む」と言った。
 
 
 
同日、オウムの土地取得を巡る裁判が行われていた[[長野県]][[松本市]]において、裁判の延期と実験を兼ねてサリンによる[[テロ]]を実行。死者8人、重軽傷者600人を出す惨事となる([[松本サリン事件]])。当初はオウムではなく第一通報者の[[河野義行]]が疑われ厳しい追及が行われるなど、後に[[捜査]]の杜撰さが指摘された。またマスコミによる報道被害も問題になった。
 
 
 
==== 戦いか破滅か ====
 
[[1994年]](平成6年)と[[1995年]](平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、警察当局の監視が強化された。
 
 
 
「信徒用決意」という決意文にはこうある。「'''泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない'''」「'''身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ'''」「'''丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ'''」「'''はぎとって、はぎとって、すべてを奪い尽くすぞ'''」<ref>[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/ji5419991029.pdf カナリヤの詩第54号] [[カナリヤの会]]</ref>。さらに、決意Ⅲ-2にはこうある。「'''たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしてでも、真理に結び付け、救済することが真の慈愛である'''」「'''救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ'''」「'''そして、まわりの縁ある人々を高い世界へ[[ポワ]]するぞ'''」<ref>[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/jiu4519990215.pdf カナリヤの詩45号] [[カナリヤの会]]</ref>。これらの教義は、信者の監禁事件へと発展していき、[[1994年]]には教団は[[拉致]]・[[監禁]]を平然と行うようになり、[[ピアニスト監禁事件]]、[[宮崎県資産家拉致事件]]、[[鹿島とも子]]長女拉致監禁事件といった多数の拉致監禁事件を起こし、[[サティアン]]に作られた独房や監禁用コンテナ、一日中麻原の説法テープを聞かせる部屋(ポアの間)に被害者を監禁した。
 
 
 
さらに[[土谷正実]]が猛毒[[VXガス|VX]]の合成に成功し、これを用いて敵対者の暗殺を計画、[[駐車場経営者VX襲撃事件]]、[[会社員VX殺害事件]]、[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]を起こした。麻原は「もうこれからはテロしかない」<ref name="hk94">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1994.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1994年] ひかりの輪公式サイト。</ref>、「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。1週間に1人ぐらいはノルマにしよう」<ref name="hk94" />、「ポアしまくるしかない」<ref name="wa141" />などと語っていた。
 
 
 
==== サリン事件は、オウムである ====
 
[[松本サリン事件]]後に「サリン事件は、オウムである」などと書かれた「[[松本サリン事件]]に関する一考察」という[[怪文書]]が出回り、さらにオウムを追っていたジャーナリストの[[江川紹子]]が何者かに毒ガス攻撃を受ける([[江川紹子ホスゲン襲撃事件]])など、オウムと[[毒ガス]]の関係性が噂され始めた。1994年11月には強制捜査接近の噂迫が教団内に流れ、サリンプラントの建設を中断するなどの騒ぎとなっていた。そして[[1995年]](平成7年)[[1月1日]]、[[読売新聞]]が[[上九一色村]]の[[サティアン]]周辺で[[サリン]]残留物が検出されたことを報じ、オウムへのサリン疑惑が表面化、教団は「[[上九一色村]]の肥料会社が教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われることとなった。
 
 
 
だが麻原は[[1995年]][[1月17日]]の[[阪神淡路大震災]]で強制捜査が立ち消えになったものと考え<ref name="wa141"/>、[[1995年]][[2月28日]]、東京都内で[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]を起こす。この事件で教団信者[[松本剛 (オウム真理教)|松本剛]]の指紋が発見されたことにより、ようやく[[警視庁]]は[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]で全国教団施設の一斉捜査を決定したのであった。
 
 
 
====地下鉄サリン事件と強制捜査 ====
 
しかし教団はそれを察して警察より早く動き、強制捜査を遅らせるため[[1995年]][[3月20日]]に[[地下鉄サリン事件]]を決行。13人の死者と数千人の負傷者が発生する大惨事となった。
 
 
 
ただし、唯一地下鉄サリン事件が決定されたリムジン謀議の内容を詳細に証言している[[井上嘉浩]]によると、2014年2月4日の[[平田信]]公判において「サリンをまいても、強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。自分の予言を実現させるためだったと思う。」<ref>{{Cite news|title=「死刑囚が異例の証言 被害者の孫は」|newspaper=NHK ONLINE|date=2014-02-4|url=http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2014/02/0204.html}}</ref>、2015年2月20日の高橋克也の公判において「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために、事件を起こしたと思った」と証言しており、自身の「[[ハルマゲドン]]」の予言を成就させるためという説もある<ref>{{Cite news|title=「地下鉄サリン事件「予言成就のため」 井上死刑囚が証言」|newspaper=朝日新聞DIGITAL|date=2015-02-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASH2N5J9RH}}</ref>。
 
 
 
いずれにせよ強制捜査延期には至らず、事件2日後の[[3月22日]]には、[[山梨県]][[上九一色村]](現・[[富士河口湖町]])を中心とした教団本部施設への一斉捜索が行なわれ、[[サリンプラント]]等の[[化学兵器]]製造設備、[[細菌兵器]]設備、散布のための[[ヘリコプター]]、衰弱状態の信者50人以上等が見つかり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。以降、同事件や以前の事件への容疑で教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された<ref>「信徒50人 衰弱状態」 朝日新聞 1995年3月22日</ref>。
 
 
 
強制捜査の際、どこの現場でも「捜索令状をじっくり読む」「立会人を多数要求する」「警察官の動きをビデオや写真に撮る」という光景が見られた<ref name="aum2200-363">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.363-375「青山弁護士の証拠隠滅罪」。</ref>。また報道陣に対してもしつこくカメラを向け、突然の捜索に驚き慌てる様子は全くなく、事前に準備され訓練された行動のようであった<ref name="aum2200-363"/>。実際に弁護士で信者の[[青山吉伸]]から「絶対に警察の手に渡ってはいけない違法なものに限り持ち出し、露骨な持ち出しをしないように」「令状呈示のメモ及び録音で時間を稼ぎ、私服警察官に対しては警察手帳の呈示を求める」「水際で相手を嫌にさせて、捜索意欲をなくさせる」「排除等の暴行に及んで来たらビデオで記録化する」「施設の電源を落とす」「内鍵をして立て篭る」「勝手に触ると修法が台なしになると主張する、ほとんどのものを修法されているとする」という通達と、警察との想定問答が極秘に出されていた<ref name="aum2200-363"/>。もちろんこれは刑法104条の証拠隠滅罪に該当する<ref name="aum2200-363"/>。オウムの犯罪行為は一部の信者以外には秘密であったうえ、「オウムは米軍に毒ガス攻撃されている被害者」「不殺生戒を守り虫も殺さぬオウム信徒が殺人をするはずがない」と教わっていたため、事件を陰謀と考える信者の抵抗は大きかった。
 
 
 
強制捜査後、[[上祐史浩]]らがテレビに出演して釈明を続け、サリンはつくっていないなどと潔白を主張した。一部の幹部は逃走し、[[八王子市]]方面に逃げた[[井上嘉浩]]、[[中川智正]]らのグループは[[村井秀夫]]から捜査撹乱を指示され、4月から5月にかけて[[新宿駅青酸ガス事件]]、[[都庁爆弾事件]]を起こした。また、その[[村井秀夫]]は1995年4月23日に東京南青山総本部前に集まった報道陣を前にして刺殺された([[村井秀夫刺殺事件]])。[[4月15日予言]]などオウムに関するデマも飛び交った。
 
 
 
1995年(平成7年)[[5月16日]]には再び、[[自衛隊]]の応援を得て付近住民を避難させた上で、[[カナリア]]を入れた[[鳥かご]]を持つ捜査員を先頭に、[[上九一色村]]の教団施設の捜索を開始。第6サティアン内の隠し部屋に現金960万円と共に潜んでいた[[麻原彰晃]]こと[[松本智津夫]](当時40歳)が逮捕された。また、証拠品の押収や、[[PSI (オウム真理教)|PSI(ヘッドギア)]]をつけさせられた子供たちを含む信者が確保された<ref name="aum2200-jo">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.9-23「序章」。</ref>。
 
 
 
=== 麻原逮捕後の活動 ===
 
==== 長老部体制 ====
 
[[東京地方検察庁|東京地検]]は[[麻原彰晃]]こと松本智津夫を17件の容疑で[[起訴]]した<ref>[[裁判]]の迅速化を図るため麻原の起訴内容の内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・麻酔薬等薬物密造に関わる4件に付いては2000年(平成12年)10月5日起訴を取り下げている</ref>。1996年1月18日時点で、一連の事件に関与して逮捕された信者は403名、そのうち起訴183名<ref name="habou">[http://web.archive.org/web/19990224002511/http://aum-net.com:80/ben1-17.htm 破防法弁明●証拠の要旨の告知(2)] オウム真理教公式サイト(Internet Archive) </ref>。
 
 
 
教団は[[村岡達子]]代表代行と[[オウム真理教長老部|長老部]]を中心として活動を継続していたが、1995年(平成7年)10月30日[[東京地裁]]により解散命令を受け<ref>『[[判例時報]]1544号』43頁、『[[判例タイムズ]]890号』38頁</ref>、同年12月19日の[[東京高裁]]において、[[即時抗告]]が<ref>『判例時報1548号』26頁、『判例タイムズ894号』43頁</ref>、翌1996年(平成8年)1月30日の[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]において[[特別抗告]]がともに[[棄却]]され<ref>『判例時報1555号』3頁、『判例タイムズ990号』160頁</ref>、宗教法人法上の解散が確定した。
 
 
 
1996年(平成8年)3月28日、東京地裁が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を下し<ref>『判例時報1558号』3頁。</ref><ref>『判例タイムズ907号』98頁。</ref>、同年5月に確定する。1996年(平成8年)7月11日[[公益|公共の利益]]を害する[[組織犯罪]]を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認されたこと等もあって、処分請求は1997年(平成9年)1月31日[[公安審査委員会]]により[[棄却]]されている。
 
 
 
破防法処分請求棄却後により教団も活動を継続し、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動や、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]販売による資金調達などを行った<ref>[http://www.npa.go.jp/kouhousi/keibi/keibi4/it0.htm オウム真理教 反社会的な本質とその実態]「[http://www.npa.go.jp/kouhousi/keibi/keibi4/it3.htm 活発化する動き]」『焦点』260号、警察庁、1999年</ref>。一方、一連の事件については「教団がやった[[証拠]]がない」とし、反省や謝罪をせず、[[被害者]]に対する[[損害賠償]]にも応じなかった。
 
 
 
この頃教団は、当時黎明期であったインターネット上に[http://aum-internet.org/ 公式サイト]を開設
 
([[1999年]]、休眠宣言により事実上閉鎖。[http://web.archive.org/web/19970101083444/http://aum-internet.org/ 初期版]/[http://web.archive.org/web/19981202034844/http://aum-internet.org:80/index.shtml 中期版]/[http://web.archive.org/web/19990202084608/http://aum-internet.org:80/index.shtml 後期版])。麻原が毒ガス攻撃を受けていた、[[坂本弁護士一家殺害事件]]は弁護士事務所の者が怪しい、[[だんご三兄弟]]ヒットは[[フリーメイソン]]の陰謀などと主張したり、麻原や上祐が出てくる探索ゲーム「サティアン・アドベンチャー」、オウム×[[新世紀エヴァンゲリオン]]の二次創作があったりとやりたい放題の内容であった<ref>江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.37</ref>{{Sfn|東京キララ社|2003|p=17}}。さらに一部の熱心な信者は一般人を装って、ネット上にオウム事件[[陰謀説]]を流布していた{{Sfn|東京キララ社|2003|p=38}}<ref>[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/217.html F君 | 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記] [[滝本太郎]]ブログ</ref>。
 
 
 
==== 休眠宣言 ====
 
教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]](現・[[東御市]])の[[住民運動]]をきっかけに、オウム[[反対運動]]が全国的に盛り上がりを見せ、[[国会 (日本)|国会]]でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律]](いわゆる「オウム新法」)を制定するに至った。
 
 
 
予言された[[ハルマゲドン]]もなかったことから、教団は[[1999年]][[9月]]に「オウム真理教休眠宣言」、[[12月1日]]は「正式見解」を発表し事件を形式的に認めた<ref name="hk99">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1999.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1999年] ひかりの輪公式サイト。</ref>。
 
{{Quotation|
 
12月1日教団正式見解
 
<br><br>
 
9月末の休眠宣言以来、教団として、一連のいわゆるオウム事件に対する見解を発表すべく検討を重ねてまいりました結果、本日以下の見解を発表できる ことになりました。
 
<br><br>
 
いわゆるオウム事件に関して、教団として現在まで裁判の進行を見守ってきた結果、当時の教団関係者の一部が事件に関わっていたことは否定できないと判断するに至りました。
 
<br><br>
 
長老部のメンバーを代表とする現教団の信者たちにとって、一連の事件は知らないところで起こったこととはいえ、当時の教団にあって同じ団体に属した者 として、現在裁判で明らかになりつつあることが起こったことは大変残念であるとともに、被害に遭われた方々をはじめ、ご家族の方々に対し、心からお詫びを申し上げたいと思います。
 
<br>''(省略)''<br>
 
最後になりますが、現在「[[団体規制法|オウム新法]]」といわれる法律が成立しようとしており ます。わたしたちの関係者が関与した事件によって、憲法で保障された基本的人権を侵害する法律が制定されようとしていることは、大変遺憾なことであり、また国民の皆さまに対して申し訳なく思う次第です。
 
<br><br>
 
この法律が、もし成立するとするなら、わたしたち以外の団体に決して適用されることがないよう心から願ってやみません。
 
|1999年12月1日 教団代表代行 [[村岡達子]]<ref>[https://web.archive.org/web/20090226193623/http://info.aleph.to:80/info/2000c.html Aleph広報部 [お知らせ]]</ref>}}
 
 
 
== 後継教団 ==
 
=== アレフ系 ===
 
==== Aleph ====
 
:2000年(平成12年)2月4日、教団は[[破産管財人]]からオウム真理教の名称の使用を禁止されたため、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体「'''[[Aleph (宗教団体)|アレフ]]'''」へと名称変更した。同年7月、「アレフ」は破産管財人の提案により、被害者への賠償に関する契約を締結したが、その支払いは遅々として進んでいない<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2015032000050 被害者への賠償、19億円未払い=オウム資産は着々増加―公安庁] 時事ドットコム(2015/03/20配信){{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。2003年(平成15年)には「'''アーレフ'''」、2008年(平成20年)にはさらに「'''Aleph'''」(アレフ)と改称した。2010年(平成22年)3月に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010031400077 オウム、青年層にターゲット] 時事ドットコム(2010/03/15配信){{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
 
 
==== ひかりの輪 ====
 
:2007年(平成19年)5月にはアーレフから上祐派の信者たちが脱会、新団体「'''[[ひかりの輪]]'''」を結成した。この団体は麻原の教えからの脱却を志向していると主張し、またオウム被害者支援機構との協定により被害者への賠償金支払いを行っている。なお公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版では、その活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている<ref>{{PDFlink|[http://www.moj.go.jp/content/000020030.pdf 内外情勢の回顧と展望 平成22年(2010年)1月]}}</ref>。
 
 
 
==== 山田らの集団 ====
 
:2014年(平成26年)から2015年(平成27年)頃、Aleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「'''[[山田らの集団]]'''」と呼ばれる分派が結成された<ref>[[滝本太郎]]「[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/iewc10n2.pdf オウム集団のここ10年 第2版]」</ref>。「山田らの集団」は公安調査庁の定めた便宜上の呼称であり、正式な団体名は不明。
 
 
 
=== その他 ===
 
==== ケロヨンクラブ ====
 
:「'''[[ケロヨンクラブ]]'''」は1995年(平成7年)のオウム事件後に結成された分派。代表の[[北澤優子]]が信者の死亡事件で有罪判決を受けた。
 
 
 
==== 偽装脱会者 ====
 
:麻原の4女によると、偽装脱会者が「第二オウム」として[[陰謀論]]、[[占い]]、[[スピリチュアリティ|スピリチュアル]]、IT、福祉などを通じ陰の布教を図っているという<ref>松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』 p.57</ref><ref>朝日増刊『「オウム全記録」』 p.95</ref>。
 
 
 
== 教義 ==
 
=== 教義の概要 ===
 
オウム真理教の教義は、原始ヨーガを根本とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]{{refnest|group="注釈"|オウム真理教の元代表[[野田成人]]は、教団の中では教祖である[[麻原彰晃]]の書籍以外は読んではいけないことになっていたが、[[中沢新一]]の『[[虹の階梯―チベット密教の瞑想修行]]』(1981年、平河出版社)はネタ本として半ば公になっており、教団内にふつうに存在し皆が参照していたと述べている。また、宗教学者の[[大田俊寛]]によると、ポアという言葉をオウム真理教に教えたのは本書である。<ref name="サイゾー">{{Cite web |url=http://www.cyzo.com/2011/08/post_8361.html |title=〈対談〉元アーレフ代表・野田成人×宗教学者・大田俊寛(前編) 『自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰』 |publisher=[[日刊サイゾー]]|date=2011-08-31 |accessdate=2015-12-22 }}</ref>}}や[[ヨーガ|インド・ヨーガ]]の技法を取り入れている。日本の仏教界が漢訳仏典中心であるのに対しあえて[[パーリ仏典]]やチベット仏典を多用した理由は、漢訳は訳者の意図が入りすぎているからとしている<ref>『尊師に聞く1』AUM PRES 1992年 p.50</ref>。
 
 
 
そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[ヒンドゥー教|ヒンズー]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、例えば[[キリスト教]]の[[創造主]]としての[[神]]は[[梵天]](オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、等と説かれる。
 
 
 
従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・キリスト教・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の[[終末論]]も、ヒンズー教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。すべての宗教および真理を体系的に自身に包括するという思想はヒンズー教の特徴であり、麻原はそれを模倣した。
 
 
 
具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。特にヨーガにはかなり傾倒しており、その理由として[[釈迦]]もヨーガを実践していたからとする<ref>麻原彰晃『自己を超えて神となれ!』 p.48</ref>。
 
 
 
また、オウム真理教の教義には、[[ヘレナ・P・ブラヴァツキー]]に始まる近代[[神智学]]の影響も指摘されている{{refnest|group="注釈"|近代神智学とは、西洋と東洋の 智の融合・統一を企図したものであるされ、西欧神秘主義の伝統的な諸思想をアジアの諸宗教の用語によって装飾または再解釈したものであるが、チベットの霊的達人により伝えられた秘伝仏教であり、普遍の叡智であるとされた。}}。ブラヴァツキーの死後、神智学の組織である[[神智学協会]]はインドに本部を構え、ヨーガ理論とその実践による霊性の向上と霊能力開発を強調するようになったが、社会学者の[[樫尾直樹]]や宗教学者の[[大田俊寛]]は、こういった面を含めて近代神智学の構えはオウム真理教の諸宗教の編集の仕方に非常によく似ており、その影響が伺われると指摘している{{sfn|樫尾|1997}}。たとえばオウムで用いられた「[[アストラル]]」「[[コーザル]]」は神智学の用語である{{Sfn|大田|2011|p=76}}。麻原が神智学の原典から直接学んだのか、麻原が一時はまったという[[GLA総合本部|GLA]]などの新宗教の経典や出版物<ref>麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 p.26-42</ref>、オカルト雑誌などから間接的に教義を構築したのかは定かではない{{sfn|樫尾|1997}}。
 
 
 
=== 教義の柱 ===
 
[[ファイル:Aum-yokohamasibu.jpg|thumb|180px|right|1995年当時のオウム真理教横浜支部道場]]
 
オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。
 
# 最終地点まで導く[[グル]](霊的指導者)の存在
 
# 無常に基づく正しい教義
 
# その教義を実体験できる修行法
 
# その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
 
# 修行を進めるためのイニシエーションの存在
 
 
 
==== 無常 ====
 
:オウム真理教では、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[無常]]である[[欲望]]・[[煩悩]]から物理的に超越することを「[[解脱]]」、精神的に超越することを「[[悟り]]」と呼ぶ。
 
:「'''人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない'''」という、仏教の[[無常観]]に即した麻原の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべての現象は無常である。よって今感じている喜びはいつか終わりが訪れた時にその喜びが失われることで苦しみを必ず生じさせる。また今は何も無くともいつか自分にとって嫌な現象が訪れた際にも同様に必ず苦しみが生じる。何かを欲求して得られなかった場合も同様に苦しみが生じる。したがって無常である煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。
 
:逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、[[涅槃|ニルヴァーナ]](涅槃、煩悩破壊)である。また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から解放し絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによって自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のマハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)、あるいはマハーボーディニルヴァーナ(大到達真智完全煩悩破壊)へと至る。
 
 
 
==== シヴァ ====
 
:オウム真理教の主宰神は、[[シヴァ]]大神である。オウム真理教に於けるシヴァは「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナに住まう解脱者の魂の集合体であり、またマハーニルヴァーナそのものと同義としても扱われる。当時の教団内で麻原彰晃はこのシヴァの弟子であるとともにシヴァの変化身とも称されていた。[[ヒンドゥー教]](インド[[神話]])にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身の一つに過ぎないとされる。
 
 
 
==== 輪廻転生 ====
 
:教団では[[輪廻]][[転生]]が信じられていた。麻原は自らの出版物を通して、[[徳川家光]]、[[朱元璋]]など多くの[[前世]]を持つと称していた<ref name="choetsu2">『超越神力・パート2』([[オウム出版]])</ref>。中でも[[阿修羅|意識堕落天]]の宗教上の[[王]]は直前の生であったため、その世界で麻原に[[帰依]]していた人たちが多く[[転生]]し、現在の信者になっていると教団内では信じられていた。また、道場では「宿命通」というアニメビデオを放映し、麻原の[[エジプト]]での前世の物語を展開していた。[[ジョセル|ジェゼル王]]の時代に彼は宰相の[[イムホテプ|イムホテップ]]として王に宗教的指導を施し、最古のピラミッドである「[[ジェゼル王のピラミッド|ジェゼル王の階段のピラミッド]]」を造ったとしている<ref name="takara30-199511">『[[宝島30]]』[[1995年]][[11月]]号「オウム真理教修行体験90日」[[大泉実成]]</ref>。
 
{{main|麻原彰晃#前世}}
 
 
 
:輪廻転生と関連して[[カルマ]]の法則も信じられていた。虫500匹を殺すカルマが人1人を殺すカルマに相当する、接触しただけでカルマが交換される、スポーツやグルメを楽しむとカルマを負って低い世界に落ちるなどといった独特の教義があった<ref name="hiro2">[[広瀬健一]]「[http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記]」 第二章 浄土真宗円光寺</ref>。
 
 
 
==== エネルギー ====
 
:オウムでは霊的エネルギー([[気]])を実在すると考え、これを強めるためとして様々な修行をしていた。麻原の爪や体毛を煎じて飲んだり、麻原の風呂の残り湯を飲んだりするのも「エネルギー」を高める目的があった<ref>Aleph公式サイト(2011年版)「[https://web.archive.org/web/20110903104949/http://www.aleph.to:80/saint/01-vh1.html 気を自在に操る聖者 ヴァジラハーサ師(1)]」</ref><ref>[[早川紀代秀]]、[[川村邦光]]『私にとってオウムとは何だったのか』 2005年 p.54</ref><ref>降幡賢一『オウム法廷2下』 p.282</ref>。
 
{{see also|エネルギー (オカルト)}}
 
 
 
==== ポア ====
 
:[[ポア (オウム真理教)|ポア(ポワ)]]とは、[[ヨーガ]]の用語で「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは実際の[[生死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めて意識を高次元の状態に移し替えることと解釈されていた。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における[[転生]]先を決定することになる。
 
:したがって、死の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「積極的に(実際に)死をもたらし、より高位の世界へ意識を移し替え転生させる」という特殊な技法も「ポア」と呼ばれることがあり、これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている(※これは、一連の犯行の際に、教団幹部らが教団内部で実際に使用した事例などに基づく解釈である)。
 
 
 
:オウムは人々の救済を説く一方、「[[ユダヤ]]=[[フリーメイソン]]に支配され物欲に溺れ動物化する人々、三[[悪趣]]に落ちる人々」と「霊的に進化する人々」を二分し、前者を粛清しようとする思考に陥っていたとされる<ref>大田俊寛[http://hikarinowa-gaibukansa.jp/files/2014/12/5.html 「ひかりの輪」の宗教的活動に関する私見2014年11月17日] p.4</ref><ref>[http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=538505&comment_sub_id=0&category_id=562 オウムとは何だったのか | 考える広場 | 朝夕刊 | 中日新聞プラス] 2018年4月15日閲覧</ref>{{Sfn|大田|2011|p=270}}。
 
 
 
==== ハルマゲドン ====
 
:麻原は[[転輪王経]]や[[ヨハネの黙示録]]、[[ノストラダムス]]・[[酒井勝軍]]・[[出口王仁三郎]]らの予言<ref>オウム『ヴァジラヤーナ・サッチャno.5』1994年 p.48-51</ref>、[[占星術]](大宇宙占星学)などをミックスし、[[第三次世界大戦]]・[[ハルマゲドン]]が迫っていると盛んに主張した。現代の人類は悪業を積んでいてこのままでは[[三悪趣]]に転生してしまうので、ハルマゲドンを引き起こすことも救済であると問いていた<ref name="wa141" />。
 
 
 
:麻原によるとハルマゲドンの原因は、[[フリーメイソン]]物質主義派と[[ユダヤ]]勢力が物質崇拝やオウム迫害を広めて[[カルマ]]が溜まっていることと、[[キリスト]]と人類の進化を求める[[フリーメーソン]][[精神主義]]派及び米・中・露のバックにいるものたちの計画であり、大戦は[[中東]]の石油危機をきっかけとして[[1997年]]に始まり[[1999年]][[8月1日]]ごろ激化する。この他、[[ナチス]]残党の第四帝国も参戦する。日本は不況のため[[ファシズム]]に傾倒し[[東南アジア]]に侵攻、さらにアメリカと対立し[[NBC兵器]]や[[プラズマ]]兵器、[[電磁パルス]]攻撃などで蹂躙され殆どが死ぬが、「神仙民族」であるオウムが生き残り、[[2000年]]に日本から「6人の最終解脱者」が登場、オウムは地球を救い、旧人類を淘汰して[[超人]]による世界をつくるという、[[アニメ]]・[[漫画]]的ともいえるストーリーであった。オカルト本などが元ネタのひとつだった<ref>[[麻原彰晃]]『日出づる国災い近し』1995年 p.295-349</ref><ref>[http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/shinsou/20140402-005.html 教訓は生かされているか 「オウム事件後」の宗教と宗教学(5/6ページ)] [[中外日報]] 2014年4月2日付</ref><ref name="wa141" />{{Sfn|大田|2011|p=246}}。
 
 
 
とはいえ麻原は[[ソ連崩壊]]を予言できず(当初は[[1995年]]にソ連があることになっていた)1999年を迎える前から破綻していた{{Sfn|大田|2011|p=246}}。麻原は逮捕後の[[1996年]]の[[破防法]]弁明手続において「1995年11月に[[イツハク・ラビン|ラビン首相]]の暗殺によって世界の首脳が[[イスラエル]]に集まったため、これをもってハルマゲドンに集まったというプロセスは終了した」「私たちはハルマゲドンに出会うかもしれない。出会わないかもしれない。ハルマゲドンが起きるなどということはその中でも一言も言っていない」と予言を半ば撤回した<ref>[http://web.archive.org/web/19990224002511/http://aum-net.com:80/ben3-13.htm 破防法弁明●ハルマゲドンに集まったというプロセスは終了した] オウム真理教公式サイト(Internet Archive) </ref>。
 
 
 
=== 体系 ===
 
オウム真理教では、修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。[[小乗]](ヒナヤーナ)、[[大乗仏教|大乗]](マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗/秘密真言金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。ただし、[[顕教]]が大乗を説くのに対して密教は金剛乗(ヴァジラヤーナ)を説くことは多いが、通常の仏教語の定義とは異なる。
 
 
 
====ヒナヤーナ====
 
:ヒナヤーナ(小乗)とは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。
 
 
 
====マハーヤーナ====
 
:マハーヤーナ(大乗)とは、自己だけでなく他の多くの人たちをも高い世界に至らしめる道(衆生済度、救済)である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、完全なる自己の浄化(ヒナヤーナの完成)がなければ、真の意味でのマハーヤーナは成立しないともいう。[[オウム出版]]発行の機関紙の名前にも使われている。
 
 
 
====タントラヤーナ====
 
:タントラヤーナ(秘密真言乗)とは、[[マントラ]]を唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道[[タントラ]]など、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。
 
 
 
====ヴァジラヤーナ====
 
{{see also|密教}}
 
:ヴァジラヤーナ(金剛乗)とは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。『[[時輪タントラ|カーラチャクラ・タントラ]]』などに見られるもので、麻原は[[カール・リンポチェ]]と会ってからヴァジラヤーナを説くようになったという<ref>江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.314</ref>。警視庁はこのヴァジラヤーナの教義は[[殺人]]を正当化するものと解釈、オウム後継教団は現在もこの教義を根幹に据えていると見ている<ref name="mizounotero"/>。
 
 
 
:ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあった。
 
:*[[宝生如来|ラトナサンバヴァ]]の法則 - 財は善の為に使用されるなら盗んでも良い{{Sfn|東京キララ社|2003|p=137}}
 
:*[[阿しゅく如来|アクショーブヤ]]の法則 - 輪廻に最適なタイミングであれば殺しても良い{{Sfn|東京キララ社|2003|p=9}}
 
:*[[阿弥陀如来|アミターバ]]の法則 - 恋愛感情によって真理の実践を妨害している異性は奪っても良い{{Sfn|東京キララ社|2003|p=13}}
 
:*[[不空成就如来|アモーガシッディ]]の法則 - 結果のためには手段を選ばない{{Sfn|東京キララ社|2003|p=13}}
 
:*[[ヴァイローチャナ]]の法則 - 時期尚早として麻原が明かさなかったため詳細不明{{Sfn|東京キララ社|2003|p=19}}
 
 
 
:これは「一般的な[[戒律]]に反する行為・言動」が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。「天界の法則であって人間界においてはなし得ない」という注釈のもとで説かれたこともあった。
 
 
 
:麻原は[[真言宗]]でも同じことを言っているとした<ref>[http://web.archive.org/web/19990224002511/http://aum-net.com:80/ben4-07.htm 破防法弁明●五仏の法則の真意とは?] オウム真理教公式サイト(Internet Archive) </ref>。金剛乗とは密教のことを指す。日本に仏教を伝来した真言宗の開祖である[[空海]]の時代は、仏教は密教として扱われたこともあり、国内においては狭義の意味では金剛乗は真言宗のことを指す。真言宗のうちもっとも重要な経典の一つである金剛頂経は仏教学的分類においてはタントラ密教経典に分類される。金剛頂経は「金剛頂経瑜伽十八会指帰」にもある通り全十八会からなり、その内初会「真実摂経」のみが日本に伝わっているが、ニ会以降の内容では後期密教との過渡期の内容に踏み込み、上記の五仏の法則に近いと言える内容も実際に存在する。しかしこれは[[インド仏教]]が[[イスラム教]]と[[インドにおける仏教の衰退|戦争状態にあった時代]]に、既存仏教伝統に対して向けられたカウンター的な側面をもつものであり、<!-- 当時インドに宗教としてだけでなく仏教論理学など正統な学問として大学まで存在していた仏教界において、自らその秩序を破壊するような実践を推奨する訳がない。あくまでそういう物の見方も可能である、というような高度な瞑想世界を修行僧が意識に展開する為の瞑想用テキストである。麻原は師匠を持たず独学で書籍から密教を学んだため、このような曲解が教義の中に多数生じている。 -->[[上祐史浩]]は五仏の法則を現代で文字通り解釈すべきでなかったとしている<ref>[http://hikarinowa.net/kyokun/joyu/03message/02.html 【2】「ポワ、五仏の法則等の密教法則の解釈の過ち」 | 2.上祐史浩からアレフ信者へのメッセージ | 上祐史浩個人の総括 | オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要-] [[ひかりの輪]]</ref><ref>ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャムツォ著、石濱裕美子訳『ダライ・ラマの密教入門』光文社 p.273</ref>。
 
 
 
=== 法則 ===
 
==== 世界観 ====
 
この世界は、熱優位の粗雑な物質による'''愛欲界'''、音優位の微細な物質の世界である'''形状界'''、光優位のデータの世界である'''非形状界'''が重なり合っているとする<ref name="sonshi">オウム『尊師に聞く!』 p.12-21</ref>。
 
 
 
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
 
!colspan="2"|愛欲界<br>(現象界、[[欲界]])
 
!colspan="3"| 形状界<br>([[アストラル体|アストラル]]界、[[色界]])
 
!colspan="2" |非形状界<br>([[コーザル体|コーザル]]界、[[無色界]])
 
|-
 
| rowspan="23" colspan="2"|
 
| rowspan="6" colspan="3" style="border-left:hidden;" |
 
| colspan="2" | 大到達神智完全煩悩破壊界<br>(マハー・ボーディ・ニルヴァーナ)
 
|-
 
| colspan="2" | 大完全煩悩破壊界<br>(マハー・[[ニルヴァーナ]])
 
|-
 
| rowspan="4" | 上位非形状界<br>(上位コーザル)
 
| [[有頂天|非認知非非認知境]]
 
|-
 
| [[無所有処|無所有境]]
 
|-
 
| [[識無辺処|識別無辺境]]
 
|-
 
| [[空無辺処|空間無辺境]]
 
|-
 
| rowspan="17" | 上位形状界<br>(上位アストラル)
 
| rowspan="5" | 清潔居住天
 
| [[色究竟天|超越童子愛欲本質神天]]
 
| rowspan="17" colspan="2" | 中位非形状界<br>(中位アストラル)
 
|-
 
| [[善見天|善現象愛欲神天]]
 
|-
 
| [[善現天|善安楽愛欲神天]]
 
|-
 
| [[無熱天|超燃焼愛欲神天]]
 
|-
 
| [[無煩天|超空間愛欲神天]]
 
|-
 
| colspan="2" | [[広果天|偉大果報愛欲本質天]]
 
|-
 
| rowspan="4" | 美天
 
| [[遍浄天|総美愛欲本質神天]]
 
|-
 
| 無量美愛欲神天
 
|-
 
| かすかな美しさの愛欲神天
 
|-
 
| 美愛欲神天
 
|-
 
| rowspan="3" | 光天
 
| 無量光愛欲神天
 
|-
 
| かすかな光の愛欲神天
 
|-
 
| 光愛欲神天
 
|-
 
| rowspan="4" | 神聖天<br>([[梵天]])
 
| [[大梵天|大神聖天]]
 
|-
 
| [[梵輔天|神聖臣天]]
 
|-
 
| 神聖代議愛欲神天
 
|-
 
| [[梵衆天|神聖衆愛欲神天]]
 
|-
 
| rowspan="6" | 戯れ堕落天<br>([[天界]])
 
| 第6天界([[他化自在天|為他神以神通創造欲望満足従事天]])
 
| rowspan="11" colspan="3" | 下位形状界<br>(下位コーザル)
 
| rowspan="11" colspan="2" | 下位非形状界<br>(下位アストラル)
 
|-
 
| 第5天界([[化楽天|創造満足天]])
 
|-
 
| 第4天界([[兜率天|除冷淡天]])
 
|-
 
| 第3天界([[閻魔|支配流転双生児天]])
 
|-
 
| 第2天界([[忉利天|三十三天]])
 
|-
 
| 第1天界([[四天王|四天王天]])<br>東 - [[持国天|堅固王国天]]<br>西 - [[増長天|成長天]]<br>南 - [[広目天|統治変化自在天空天]]<br>北 - [[毘沙門天|守庶民外傷天]]
 
|-
 
| colspan="2" | 意識堕落天([[阿修羅]])
 
|-
 
| colspan="2" | [[人間]]界
 
|-
 
| colspan="2" | 低級霊域([[餓鬼]]界)
 
|-
 
| colspan="2" | [[動物]]界
 
|-
 
| colspan="2" | [[地獄]]界
 
|}
 
 
 
==== チャクラと五大エレメント ====
 
[[チャクラ]](チァクラ)と[[五大]](五大エレメント)の理論を融合した形で導入している。体の上部にあるチャクラほど高い次元につながっているとされた<ref name="sonshi" />。子供向けの[[オナニー|自慰行為]]防止説法で、麻原は以下のように語っている。
 
 
 
{{Cquote|心臓と、おしっこするところは、どちらが上かな?もちろん、心臓のほうが頭に近いから、上だよね?体の下の部分に、心が集中するとね、その子は下の世界に生まれ変わるんだって。やだねえ (良い子の真理 3巻)<ref>碧海寿広「麻原彰晃の対機説法」『情報時代のオウム真理教』 p.110</ref>}}
 
 
 
{|class="wikitable"
 
! 元素 || 対応する体の構成要素 ||対応する[[チャクラ]](チァクラ) || 色 || 対応する感覚器官
 
|-
 
!空
 
|空間(肺など)
 
|ヴィシュッダ
 
|青
 
|聴覚
 
|-
 
!風
 
|呼吸
 
|アナハタ
 
|緑
 
|触覚
 
|-
 
!火
 
|体温
 
|マニプーラ
 
|赤
 
|視覚
 
|-
 
!水
 
|血液などの水分
 
|スヴァディスターナ
 
|白
 
|味覚
 
|-
 
!地
 
|肉・骨
 
|ムーラダーラ
 
|黄
 
|嗅覚
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 修行法 ===
 
当初は、専ら[[ヨーガ]]の手法を用いた修行が行われていた。その後、本来「秘技伝授」を意味する宗教用語であった「イニシエーション」という言葉を、オウム独自の「解脱者のエネルギーを伝授することで弟子を成就、解脱させる」という意味で使う{{Sfn|林郁夫「オウムと私」|p=104}}ことで信者を増やしていった。しかし一方で、[[麻原彰晃]]は[[終末思想]]を煽り、[[1994年]]前後には違法薬物や電気による様々な[[洗脳]]施策を取るようになった{{Sfn|林郁夫「オウムと私」|p=209}}。
 
{{main|オウム真理教の修行}}
 
 
 
=== 評価 ===
 
==== 著名人 ====
 
教団は著名人との交流があったが、事件後は一変して多くの人物がオウム批判に転じている。
 
*雑誌で好意的な対談を行った<ref>「サンサーラ」1992年1月号 [[徳間書店]]</ref>[[栗本慎一郎]]は事件後初めてオウム分析を週刊誌上で行い、オウムと[[北朝鮮]]、および[[世界基督教統一神霊協会]]との関係を指摘した<ref>「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」[[週刊現代]] 1995年5月27日号</ref>。
 
 
 
*[[ビートたけし]]はテレビ番組で麻原と対談し<ref>『[[ビートたけしのTVタックル]] 年末スペシャル』 テレビ朝日、1991年12月放送。 『オウム真理教大辞典』 p.113。</ref>、その後雑誌で再び麻原と対談<ref>『[[BART (雑誌)|BART]]』 1992年6月22日号、[[集英社]]。</ref>などしていたが、事件後は否定的な見解を取っている。
 
 
 
*麻原の著書『生死を超える』の書評を書き、麻原を修行者として高く評価していた思想家の[[吉本隆明]]は、一般市民として大衆の原像を繰り込んでいこうとする立場から「オウムの犯罪を根底的に否定する」としながらも、なお「オウム真理教はそんなに否定すべき殺人集団ではない」「麻原は現存する世界有数の宗教家」などと述べた<ref>『【宗教・こころ】吉本隆明氏に聞く(1)弓山達也氏と対談』 [[産経新聞]] 1995年9月5日夕刊</ref>。
 
 
 
*『ノストラダムスの大予言』の著者[[五島勉]]は、「(ただの新書を)まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。(略)当時の子どもたちには謝りたい」「[[麻原彰晃|一人の変なやつ]]が命令を下して、しかも権力をやっつけるんじゃなくて、自国の国民にサリンをまいたわけでしょう。そこのところが、どう思うも何も間違いです」と答えている<ref>{{Cite web |url=http://news.livedoor.com/article/detail/14104805/ |title=伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」 |publisher=[[週刊文春]]|date=2018-01-01 |accessdate=2018-01-04 }}</ref>。
 
 
 
* [[麻原彰晃]]や[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]らがかつて所属していた[[阿含宗]]の教祖[[桐山靖雄]]は、信者がオウムに流れていることに対して「あの若造め生意気な」と激怒していた<ref>瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』 p.113</ref>。
 
 
 
==== 宗教学者 ====
 
*[[作家]]で宗教学者の[[島田裕巳]]はオウム真理教に[[宗教学]]の立場から取り組み、好意的な発言をしていた<ref>1990年7月『別冊宝島』114号「オウム真理教はディズニーランドである」など</ref>が、地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚するとメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件へのオウムの関与を否定するコメント<ref>『宝島30』1995年3月号「徹底検証!オウム真理教=サリン事件」</ref>を出したことで[[江川紹子]]、[[有田芳生]]、[[浅見定雄]]らから批判を受けた<ref>江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』。</ref><ref>浅見定雄『なぜカルト宗教は生まれるのか』</ref>。のちにオウムを批判する立場からの著作を出している<ref>『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』トランスビュー、2001年</ref>。
 
 
 
*同じく作家で宗教学者の[[中沢新一]]もオウムに好意的な発言をし<ref>週刊ポスト1989年12月8日号「オウム真理教のどこが悪いのか」など</ref>、地下鉄サリン事件後はメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件についてのコメントも批判を浴びた<ref>別冊宝島33号 独占手記・元オウム信者の告発「僕と中沢新一さんのサリン事件」宝島社</ref>。島田<ref>島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』亜紀書房、2007年</ref>や[[苫米地英人]]<ref>苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版、2007年。</ref>などが中沢を批判する著作を発表している。
 
 
 
*[[島薗進]]は、新宗教における「隔離型教団」の代表的な例として[[エホバの証人]]、[[統一教会]]、[[幸福会ヤマギシ会]]と共にオウム真理教をあげ<ref>島薗進『現代救済宗教論』[[青弓社]]2006年</ref>、他宗教団体と比較した上で、とくに、人生の価値を非常に低く見る点を徹底した教えが説かれていると主張している{{sfn|島薗進|2001|p=46}}。自分自身を仏教の系譜上に位置づけ、天皇への崇敬を示すことは全くないが、ハルマゲドンの危機に際し日本主導による未来を説いた{{sfn|島薗進|2001|p=131}}。島薗は、オウムに見られる日本中心的な思考については、首尾一貫していないとしている{{sfn|島薗進|2001|p=131}}。
 
 
 
==== 今日的な影響 ====
 
オウム真理教の教義は、元となっている宗教教義を誤って解釈したもの、意味を取り違えたもの、都合主義的な拡大解釈などが少なくない。しかし、密教を中心に原始仏教からキリスト教まで幅広い宗教から摂取して、オウム独自の体系化が図られたため、[[仏教学者]]や[[キリスト教神学|キリスト教神学者]]を含む[[宗教学者]]・[[宗教家]]が、事件から二十年を経た今でも論評・批判することは稀である。このため麻原の[[説教]]の[[録音]]テープや[[録画]]映像が、いまだに[[布教]]に用いられてアーレフの信者などに信奉されており、マスコミも折りにつけてそれを問題視した報道を行っている。
 
 
 
== 活動 ==
 
1989年(平成元年)3月、東京都に対し宗教法人の認証を申請。6月、東京都は受理を保留したため、オウム真理教は[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]][[東京都知事]]を相手取り、[[行政訴訟|行政の不作為の違法確認訴訟]]を東京地方裁判所に提起した。8月、東京都が宗教法人として認証。
 
 
 
=== 宗教法人規則認証申請書の記載内容 ===
 
;設立
 
:1989年8月29日
 
;主たる事務所の位置
 
:東京都江東区亀戸
 
;目的
 
:主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。
 
;規則
 
:*代表役員は、9人の責任役員の互選により選任され、オウム真理教を代表し、その事務を総理する権限を有する。<br>
 
:*責任役員は、信徒および大師のうちから、総代会の決議をへて、代表役員が選任する。<br>
 
:*総代会を組織する総代は、信徒および大師のうちから、責任役員会の議決を得て、代表役員が選任する。<br>
 
:*信徒とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、代表役員の承認を受けたもの。<br>
 
:*大師とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、信徒を正しく指導できると、代表役員が認めたもの。
 
;役員等
 
:*代表役員:松本智津夫(麻原彰晃)
 
:*責任役員:松本知子、石井久子、大内早苗、上祐史浩、都澤和子、飯田エリ子、新実智光、大内利裕
 
:*監事:満生均史、別所妙子
 
 
 
===本部===
 
オウム真理教教団本部は[[上九一色村]]に多数点在するサティアンではなく、[[富士宮市]]の教団「富士山総本部」である。
 
また、東京方面での布教活動の総拠点となったのが東京、[[南青山]]の東京総本部である。
 
 
 
=== 日本シャンバラ化計画 ===
 
麻原は[[1987年]]、「[[日本シャンバラ化計画]]」を発表した。これによると、ゆくゆくは日本主要都市すべてに'''総本部'''を設置しそこから日本全土に布教活動をし、いずれは自給自足のオウムの村「'''ロータス・ビレッジ'''」を建設するというものだった<ref name="wa141" />。
 
 
 
=== 公称信徒数 ===
 
特記なければ日本国内のみ<ref name="nanzan"/><ref name="psia">[http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html オウム真理教 | 国際テロリズム要覧(Web版)] [[公安調査庁]]</ref>。
 
*1985年12月 - 15人
 
*1986年10月 - 35人
 
*1987年2月 - 600人
 
*1987年7月 - 1,300人
 
*1988年8月 - 3,000人
 
*1990年10月 - 5,000人
 
*1995年3月 - 15,400人(出家1,400人、在家14,000人){{Sfn|東京キララ社|2003|p=27}}
 
*1997年 - 1,000人
 
*1999年 - 1,500人
 
:(以降は後継団体)
 
*2000年 - 1,115人(教団が公安調査庁に報告した数)
 
*2002年 - 1,650人
 
*2003年2月 - 1,251人(教団が公安調査庁に報告した数)
 
*2005年 - 1,650人
 
*2008年 - 1,500人
 
*2009年 - 1,500人([[Aleph (宗教団体)|Aleph]]出家450人、在家850人。[[ひかりの輪]]出家50人、在家150人)<ref>[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1033.html オウム裁判と15年間の変化-その3] [[滝本太郎]]ブログ</ref>
 
*2011年 - 1,500人
 
*2014年 - 1,650人
 
*2016年 - 1,650人(出家300人)+ロシア460人
 
<!-- {{要出典}}
 
*1997年7月 - 5,500人(出家500人、在家5,000人)
 
*1997年12月 - 2,200人(出家900人、在家1,300人) -->
 
 
 
=== 信者 ===
 
教団の信者は[[在家]]信徒と[[出家]]修行者(サマナ)に分けられる。在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。
 
 
 
このほか名目上の信徒である「黒信徒」がいた。黒信徒の入会金は信者の家族や知人が代わりに払っていたので一応信徒としてカウントし水増ししていた<ref>[[森達也]]『A4』  p.148</ref>。
 
 
 
オウムの修行の最終的な目標は、現実世界を越えた真実に到達することで、[[サマナ]]と呼ばれる出家修行者らはその目標に到達するために、激しい修行を行った。現実世界を超えるためには、この世界の[[価値観]]を超越し[[観念]]を壊す必要がある。[[社会]]の価値観に重きを置かない点で、最初からオウムは「[[狂気]]」の思想を内包していた。当初はこの狂気の割合が低く社会性も帯びていたものが、[[バッシング]]などや[[終末思想]]などにより次第に崩壊をはじめ、社会性が薄れていった<ref name="rika"/>。
 
 
 
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「[[オウム真理教の階級|ステージ]]」制度があり、時期によるが、1995年(平成7年)時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師(小師、愛師・菩師、愛師長補・菩師長補、愛師長・菩師長)、正悟師(正悟師、正悟師長補、正悟師長)、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた(詳細は「[[オウム真理教の階級]]」を参照)。
 
 
 
オウム真理教幹部には難関大学の卒業者も多く、教団の武装化を可能にした[[村井秀夫]]、[[土谷正実]]、[[遠藤誠一]]など理系幹部を多く抱えていた。また[[弁護士]]資格を持つ[[青山吉伸]]、[[公認会計士]]資格を持つ柴田俊郎、医師免許を持つ[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]や[[中川智正]]、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。
 
 
 
他にも建設会社出身で教団の不動産建設やロシアとの交渉を手がけた[[早川紀代秀]]、元暴力団員の[[中田清秀]]、[[山形明]]など自衛隊員、[[松任谷由実]]のアルバム制作にも関わったことのあるデザイナーの[[岐部哲也]]、[[彰晃マーチ]]などを作曲したミュージシャンの[[石井紳一郎]]、盗聴技術を持っていた[[林泰男]]、元[[日劇ダンシングチーム]]の[[鹿島とも子]]など幅広い層の信者を有していた。
 
 
 
以下に示すのはオウム真理教の雑誌ヴァジラヤーナ・サッチャが1995年6月28日(強制捜査・オウム事件発覚後)に行った出家修行者対象のアンケートデータである<ref>『ヴァジラヤーナ・サッチャ No.12』1995年 p.18-21</ref>。
 
 
 
[[ファイル:AUM Shinrikyo former Tokyo HQ 2011.JPG|thumb|right|180px|旧・青山総本部(東京・南青山、2011年)]]
 
 
 
*性別
 
*:男 459人(41%)
 
*:女 661人(59%)
 
*:計1120人
 
 
 
*年齢
 
*:平均 30.1歳
 
*:最多 26歳(102人)
 
 
 
*他の宗教団体への入信経験
 
*:あり 35%
 
*:なし 65%
 
 
 
*学歴
 
*:大卒 37.8%
 
*:短大卒 7.0%
 
*:専門学校卒 16.7%
 
*:高卒 25.2%
 
 
 
*入信動機
 
*:1位 本を読んで 273人
 
*:2位 勧誘 171人
 
*:3位 出家者・修行者の姿を見て 61人
 
*:4位 教義に納得して 52人
 
 
 
=== 訴訟・嫌がらせ ===
 
教団には弁護士[[青山吉伸]]がおり、批判に対し多数の[[スラップ|訴訟]]を乱発していた。[[毎日新聞]]、[[西日本新聞]]、[[熊本日日新聞]]など初期からオウム報道をしていたマスコミも訴訟のターゲットとなり、事件発覚までマスコミがオウムへの追及を敬遠する一因となった<ref name="kuma">NCC宗教研究所/富坂キリスト教センター共編『あなたはどんな修行をしたのですか?オウムからの問い、オウムへの問い』 p.57-60</ref>。
 
 
 
さらに敵対者や脱会活動に対しては、
 
*ビラまき - [[毎日新聞社]]の入るビルを25分の間にビラで埋め尽くしたこともあった<ref name="anokoMKTR">[[有田芳生]]と[[女性自身]]「シリーズ人間」取材班『「あの子」がオウムに!』p.258</ref>
 
*通勤経路にオウムのポスターを貼る<ref name="vi55">毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録6』 p.55</ref>
 
*車を並べる<ref name="vi55"/>
 
*無言電話<ref name="NGOK">降幡賢一『オウム法廷5』 p.165</ref>
 
*[[梵字]]による仄めかし<ref name="NGOK" />
 
*[[盗聴]]<ref>[[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』 1995年</ref>
 
*街宣<ref name="kurai146" />
 
*[[オウム真理教の音楽]]を流す<ref name="kurai146">[[毎日新聞]]社会部『冥い祈り―麻原彰晃と使徒たち』 p.146</ref>
 
 
 
などの嫌がらせを行い、これらはエスカレートし数々の襲撃事件に至った。
 
 
 
=== 国外での活動 ===
 
1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシアを初訪問した。当時のモスクワ放送もこの模様を伝え、クレムリン宮殿で宗教劇の上演が行われたことや[[アナトリー・ルキヤノフ]]最高会議議長と会談したことを報じた。[[モスクワ]]において麻原は、当時ロシア副大統領だった[[アレクサンドル・ルツコイ]]やロシア連邦首相の[[ヴィクトル・チェルノムイルジン]]、モスクワ市長の[[ユーリ・ルシコフ]]等、ロシア政界の上層部と接触。翌年には後に安全保障会議書記となる[[オレグ・ロボフ]]が来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。
 
 
 
[[ロシアの声|モスクワ放送]](現・ロシアの声)の時間枠を買い取って「[[オウム真理教放送|エウアンゲリオン・テス・バシレイアス]]」(御国の福音)というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。またロシアで「[[キーレーン]]」というオーケストラを組織。日本からロシアの施設での[[射撃]]訓練ツアーがオウム関連の[[旅行会社]]によって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。またロシアに数ヶ所の支部を開設。[[ソ連崩壊]]後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。
 
 
 
このためオウム事件後、実はオウムは[[ロシア]]や[[北朝鮮]]のスパイだという[[陰謀説]]がまことしやかに語られるようになった。[[上祐史浩]]は「麻原は自分が一番であり、利用することはあっても配下になるタイプではない」「(事件を陰謀としたい)[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]を助長している」と批判している<ref>上祐史浩『オウム事件 17年目の告白』 p.292〜294</ref>。また[[新アメリカ安全保障センター]]も、オウムの[[サリン]]合成プロセスは[[ロシア]]で主流の方法ではなく[[ナチス・ドイツ]]の方法に由来していると分析している{{sfn|CNAS|2012|p=29}}。
 
 
 
2018年、ロシアのオウム真理教の中心人物とされるミハイル・ウスチャンツェフ容疑者が逮捕された<ref>産経新聞 2018.6.8 10:44 露当局、「オウム」幹部を逮捕 ロシア国内での活動の中心人物 日本と連絡か [https://www.sankei.com/world/news/180608/wor1806080014-n1.html]</ref>。
 
 
 
=== 事業 ===
 
オウム真理教は、宗教活動のかたわら、多彩な[[事業]]を行っていた。業種は、[[コンピューター]]事業、[[建設]]、[[不動産]]、[[出版]]、[[印刷]]、食品販売、飲食業、[[家庭教師]][[派遣]]、[[土工|土木作業員]]などの[[人材派遣]]など多岐におよび、さながら総合商社の観を呈していた。数多くの法人を設立し、ワークと称して信者をほぼ無償で働かせていたため、利益率は高く、特に中心となっていたのはパソコンショップ『[[マハーポーシャ]]』の売り上げで、公安調査庁によると年間70億円以上の売り上げ(1999年当時)があり、純利益は20億円に迫る勢いであった。出家信者200人がそこで働いていた。95年11月からは「トライサル」「グレイスフル」「PCバンク→PC REVO」「ソルブレインズ」「ネットバンク」と名称を変えコンピューター事業を継続した<ref name="takarajima476">[[別冊宝島]]476『隣のオウム真理教』([[宝島社]])</ref>。
 
 
 
様々な業種に進出し集まった社員を教団に勧誘したり、オウム系企業グループ「太陽寂静同盟」を結成するという構想もあった<ref>江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.47</ref>。
 
;コンピューター関係
 
*[[マハーポーシャ]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=124}}
 
*マハーポーシャ・オーストラリア{{Sfn|東京キララ社|2003|p=124}}
 
*マハーポーシャ・台湾<ref name="npa" />
 
*マハーポーシャ・ウクライナ{{Sfn|東京キララ社|2003|p=124}}
 
*APC名古屋{{Sfn|東京キララ社|2003|p=23}}
 
*CPUバンク{{Sfn|東京キララ社|2003|p=64}}
 
*真愛、ヴァンクール - コンピュータソフトウェア企画設計<ref name="ka48" />
 
*ポセイドン - PCショップ「トライサル」、PC部品卸会社「ハイバーシティ」を経営。なお、「ハイパーシティー」は[[地下鉄サリン事件]]遺族[[高橋シズヱ]]の住むマンションに店舗があった<ref name="ka48" />{{Sfn|東京キララ社|p=106}}
 
*オリエントエンジニアリング - PCショップ「PCバンク」「PC REVO」を経営<ref name="ka48" />
 
*ナスカ - 広告代理業、情報処理サービス<ref name="ka48">[http://sky.ap.teacup.com/takitaro/html/jiu4819990526.pdf カナリヤの詩第48号 ][[カナリヤの会]]</ref>
 
;飲食業
 
*オウムのお弁当屋さん{{Sfn|東京キララ社|2003|p=28}}
 
*[[うまかろう安かろう亭]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=21}}
 
*うまかっちゃん{{Sfn|東京キララ社|2003|p=21}}
 
*運命の時{{Sfn|東京キララ社|2003|p=21}}
 
 
 
;出版
 
*オウム出版{{Sfn|東京キララ社|2003|p=26}}
 
*なあぷる{{Sfn|東京キララ社|2003|p=100}} - オウムとの関係を否定し[[滝本太郎]]に抗議した<ref>[http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/siryou2.html#8 オウム関連資料] カナリヤの会</ref>
 
*巧人館{{Sfn|東京キララ社|2003|p=51}}
 
 
 
;その他
 
*株式会社オウム - オウム神仙の会設立の年である[[1984年]]の[[5月28日]]に設立。出版業の他、ヨガ教室を開催したりしていた。土地購入のダミー会社としても使用し、これが[[松本サリン事件]]の一因となる{{Sfn|東京キララ社|2003|p=34}}<ref name="inueN" />
 
*ドゥプニールミリオネール - ロシア射撃ツアーを企画。[[越川真一]]が代表{{Sfn|東京キララ社|2003|p=97}}。後に株式会社アレフとなる([[びっくりドンキー]]を経営するアレフとは無関係)<ref name="ka48" />
 
**神聖真理発展社 - 資産隠し目的{{Sfn|東京キララ社|2003|p=74}}
 
*マハーサンパッティ{{Sfn|東京キララ社|2003|p=124}} - [[1992年]][[1月24日]]設立。宝石屋、弁当屋、テレクラを経営<ref name="yurei">「ユーレイ企業は本当の幽霊だ」 [[AERA]] 1995年5月24日</ref>
 
*アルス総合建築事務所{{Sfn|東京キララ社|2003|p=13}}
 
*アルファ企画家庭教師派遣グループ{{Sfn|東京キララ社|2003|p=88}}
 
*M24 - スーパーマーケット{{Sfn|東京キララ社|2003|p=88}}
 
*マイトリーバ・ベビーシッター - ベビーシッター派遣会社。[[二ノ宮耕一]]が代表{{Sfn|東京キララ社|2003|p=120}}
 
*ファインウォーター - 浄水器販売<ref name="ka48" />
 
*シーディーコレクター<ref name="ka48" />
 
*日本健康クラブ - 化粧品・医薬品・食料品販売<ref name="ka48" />
 
*セシン - 建設業の人材派遣<ref name="ka48" />
 
*ドンファン - [[テレクラ]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=100}}
 
*スーパースターアカデミー(SSA) - [[エアロビクス]]教室。[[鹿島とも子]]が校長{{Sfn|東京キララ社|2003|p=76}}
 
*ヴァジラクマーラの会 - 美人信者による修行教室{{Sfn|東京キララ社|2003|p=19}}
 
*エ・ヴェーユ - 大阪に設立した能力開発塾。派手な化粧をした女性信者で勧誘していた<ref>降幡賢一『オウム法廷2 上』 p.138</ref>
 
 
 
;[[偽装サークル]]
 
*日本印度化計画 - 1994年の[[早稲田大学]]学園祭に出店。[[筋肉少女帯]]の同名の曲や[[日本シャンバラ化計画]]との関係は不明<ref>『「オウム真理教」追跡2200日』p.240</ref>
 
*近未来研究所、ヨーガ同好会、中国武術研究会、インド化計画―カレー研究会 -[[1994年]]設立の大学ダミーサークル<ref name="ka48" />
 
*アクエリアスプロジェクト21、マイブーム研究会 - 東京大学<ref name="ka48" />
 
*新世紀CIRCLE - 京都大学<ref name="ka48" />
 
 
 
;薬品・武器関連のダミー会社
 
*長谷川ケミカル - [[1993年]][[4月2日]]設立。[[長谷川茂之]]が社長。[[サリン]]などの原料の調達が目的<ref name="hu1a-111">降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち上』 p.111-116</ref>{{Sfn|東京キララ社|2003|p=108}}
 
*株式会社ベル・エポック - [[1993年]][[8月4日]]設立。社長・目的は長谷川ケミカルと同じ<ref name="hu1a-111" />{{Sfn|東京キララ社|2003|p=35}}
 
*ベック株式会社{{Sfn|東京キララ社|2003|p=117}}
 
*下村化学{{Sfn|東京キララ社|2003|p=67}}
 
*ぶれーめん - [[井上嘉浩]]が役員。[[パイナップル]]加工会社とのことだったが実際には細菌プラントをつくろうとしていた{{Sfn|東京キララ社|2003|p=117}}<ref>「オウム真理教 細菌兵器の実用化着々」 産経新聞 1995年4月26日</ref>
 
*オウムプロテクト - ロシアに設立した警備会社{{Sfn|東京キララ社|2003|p=29}}
 
*サンプラン - 薬品を隠す倉庫を借りていた<ref name="yurei" />
 
 
 
;不動産取得目的のダミー会社
 
*ジェービーテレコム有限会社{{Sfn|東京キララ社|2003|p=65}}
 
*世界統一通商産業 - [[早川紀代秀]]が代表{{Sfn|東京キララ社|2003|p=79}}
 
 
 
他にも[[スリランカ]]の紅茶園などを経営していた<ref name="npa">平成8年 警察白書[http://www.npa.go.jp/hakusyo/h08/h080101.html 第1節 オウム真理教の誕生からテロ集団化に至るまで]</ref>。
 
 
 
=== 教団での麻原の絶対性 ===
 
信者時代「大師」の肩書きを持っていた元信者によれば、「オウムでは、肝心なことは常に教祖が決めているんです。教祖が知らないなんていうことはありえない」と言っている<ref name="aum2200-336">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.336-352「麻原はすべてを知っている」。</ref>。幹部であろうとも麻原の指示は絶対であり、[[オウム真理教附属医院]]の患者の入退院の判断すら麻原の指示を仰がねばできなかったという<ref name="aum2200-336" />。さらに麻原含めた上司の指示は説明無しに従わなくてはならなかったため、信者はいつの間にか事件に関わっていたということが度々あった<ref>[[菊地直子]]ブログ「[http://hositakusan.jugem.jp/?page=1&month=201801 オウム真理教の変わった習慣①]」</ref>。
 
 
 
[[公安調査庁]]は信者の証言を引用して「正悟師以上になると尊師のロボット」「形式上はピラミッド形組織だが基本的には尊師と信徒は1対1の関係」としている<ref>降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.93</ref>。
 
 
 
== オウム年表 ==
 
一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。さらに教団内に関しては判明しているだけで死者5人、行方不明者は30人以上<ref name="TAKIMOTO" />。一連の事件に関与した教団幹部に対し、刑事裁判では13人の[[死刑]][[判決]]、5人の[[無期懲役]]判決が出されている。
 
 
 
逮捕者については「[[オウム真理教事件#逮捕者]]」を、違法薬物・爆薬・化学兵器製造については「[[土谷正実#兵器と違法薬物の製造]]」を参照。
 
 
 
=== 1983-1988年 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align:left"
 
!style="text-align:left"|[[1983年]]
 
|[[麻原彰晃]]こと松本智津夫、東京都[[渋谷区]][[桜丘町 (渋谷区)|桜丘]]に、[[仙道]]・[[ヨーガ]]・[[伝統中国医学|東洋医学]]などを統合した(超)能力開発の指導を行う学習塾「'''鳳凰慶林館'''」を開設<ref>『麻原彰晃の誕生』 p.108-109</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1984年]][[2月14日]]
 
|鳳凰慶林館に代わり「'''オウムの会'''」を東京都渋谷区で創設。当初は[[ヨーガ]]の[[サークル]]であった<ref name="aum2200-500">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.500-517「麻原説法の途方もない罪」。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1984年]][[5月28日]]
 
|株式会社オウム設立<ref name="inueN">『情報時代のオウム真理教』巻末年表</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1985年]][[秋]]
 
|オカルト雑誌「[[ムー (雑誌)|ムー]]」「[[トワイライトゾーン]]」に麻原の空中浮揚写真が掲載される<ref name="nanzan"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1985年]]
 
|麻原、「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたとする<ref>[http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html オウム真理教元信徒広瀬健一の手記] 序章 1頁 [[浄土真宗大谷派]]円光寺ウェブサイト</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1986年]][[4月]]
 
|「'''オウム神仙の会'''」に改称<ref name="nanzan"/>
 
|-
 
!
 
|[[オウム真理教の階級|ステージ制]]導入<ref name="wa894" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1986年]][[7月]]
 
|麻原がヒマラヤで最終解脱したと主張する<ref name="nanzan"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1986年]][[9月]]
 
|[[僧伽]](出家制度)発足<ref name="nanzan"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1986年]]
 
|『超能力秘密の開発法』『生死を超える』出版<ref name="nanzan"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1987年]][[2月]]
 
|大阪支部開設<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1987年]][[2月24日]]
 
|[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1987年]][[7月]]
 
|インド訪問。麻原、この時に現地の高僧からタントラ・ヴァジラヤーナを伝授されたとする<ref name="wa894">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所]</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1987年]][[8月]]
 
|「'''オウム真理教'''」に改称<ref name="aum2200-500" />。本部を渋谷区から世田谷区に移し、月刊誌『マハーヤーナ』発行開始<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1987年]][[11月]]
 
|[[ニューヨーク]]支部を開設(初代支部長は[[上祐史浩]])
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1988年]][[7月]]
 
|[[日本シャンバラ化計画]]発表
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1988年]][[7月6日]]
 
|[[ダライ・ラマ14世]]とインドで会談
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1988年]][[8月]]
 
|[[静岡県]][[富士宮市]]に[[富士山]]総本部を開設<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1988年]][[9月22日]]
 
|'''[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]'''。富士山総本部に来ていた在家信者が修行中に死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧[[上九一色村]]の[[精進湖]]へ遺棄
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1988年]][[11月]]
 
|[[江東区]]に東京総本部を開設
 
|-
 
!style="text-align:left; white-space:nowrap;"|[[1988年]][[11月5日]]
 
|トンネル無断工事で[[静岡県]]を告訴<ref>静岡新聞 1988年11月5日付 夕刊7面</ref>
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 1989年 ===
 
坂本弁護士事件で一時危機を迎えるも、事件が迷宮入りしたことでオウムは生き延びた。
 
{| class="wikitable" style="text-align:left"
 
!style="text-align:left"|[[2月10日]]
 
|'''教団最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月1日]]
 
|東京都に対し宗教法人の認証申請
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月24日]]
 
|[[東京都庁]]、[[文化庁]]に麻原と信者約300人が押し寄せ、宗教法人早期認可を求め抗議<ref name="wa894" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月22日]]
 
|[[坂本堤]]弁護士らがオウム真理教被害対策弁護団を結成
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月16日]]
 
|東京都[[選挙管理委員会]]に真理党の政治団体設立を届出
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月25日]]
 
|宗教法人認可(8月29日設立登記)<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月2日]]
 
|[[サンデー毎日]]が『オウム真理教の狂気』の連載をスタートし、高額な[[布施]]や[[未成年]]出家者に対する[[親権者]]の[[監護権]]侵害などを取り上げ糾弾する。各[[メディア]]もこれに追随
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月9日]]<br>[[10月16日]]
 
|麻原、[[文化放送]]の番組「[[梶原しげるの本気でDONDON]]」に出演しバッシングに対して反論<ref>降幡賢一『オウム法廷4』 p.219</ref><ref>判例タイムズ1232号 p.150</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月]]中旬
 
|[[毎日新聞社]]本社、[[文化放送]]、文化放送プロデューサーなどに対してビラ貼りや街宣車での嫌がらせを実施<ref>降幡賢一『オウム法廷4』 p.221, 233</ref>。麻原、[[坂本堤弁護士一家殺害事件#事件のきっかけ|毎日新聞社の爆破やサンデー毎日編集長牧太郎の暗殺]]を構想
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月21日]]
 
|オウム真理教被害者の会設立<ref name="aum2200-452" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月26日]]
 
|[[青山吉伸]]、[[上祐史浩]]、[[早川紀代秀]]が東京放送(現・[[TBSテレビ]])千代田分室を訪れ、取材内容に抗議、放送を中止するよう圧力をかける([[TBSビデオ問題]])
 
|-
 
!style="white-space:nowrap"|[[10月31日]]
 
|夜、[[青山吉伸]]、[[上祐史浩]]、[[早川紀代秀]]が横浜法律事務所を訪問した。10月29日に申し入れた事前の約束では青山1人の予定だった<ref name="aum2200-94">『「オウム真理教」追跡2200日』p.94-104「七つの疑問」。</ref><ref name="aum2200-105">『「オウム真理教」追跡2200日』p.105-113「血のイニシエーション」。</ref>
 
|-<!-- 坂本弁護士関係は一部個別記事に移動し要約化 -->
 
!style="text-align:left"|[[11月]]初頭
 
|麻原、[[坂本堤]]の殺害を指示
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月4日]]
 
|'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''<ref name="aum2200-78">『「オウム真理教」追跡2200日』p.78-93「坂本弁護士vsオウム 暗闘六カ月」。</ref><ref name="aum2200-105"/>。遺体はオウムが持ち出したため、失踪扱いに。周囲は当初から拉致と見ていた
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月7日]]
 
|坂本堤弁護士に関して捜索願が提出された<ref name="aum2200-78"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月15日]]
 
|坂本堤弁護士に関し公開捜査に切り替えられた<ref name="aum2200-78"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月18日]]
 
|坂本堤弁護士に関し教団が記者会見し「(現場に落ちていたプルシャについて)坂本弁護士が被害者の会の親から預かったもの<ref group="注釈">これは1個だけであり法律事務所に保管されていたため可能性はない。</ref>か、第三者<ref group="注釈">当初の横浜法律事務所との話の中で、教団は創価学会の名前を挙げた。</ref>が故意に置いたと考えるのが自然」「警察からは事情聴取も受けていない」「申し入れがあれば捜査に協力する」と発表<ref name="aum2200-94"/><ref name="aum2200-78"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月19日]]
 
|前夜の会見を受けてか日曜日にも関わらず神奈川県警察は教団幹部に事情聴取を申し入れたが、教団側は「集中修行の期間」を理由に事情聴取を拒否<ref name="aum2200-78"/><ref group="注釈">11月17日夜にキャンセルされている。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月21日]]
 
|11月19日に幹部事情聴取を拒否した理由である集中修行の期間であるにもかかわらず、幹部が[[オランダ]]・[[アムステルダム]]に出国<ref name="aum2200-78"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月29日]]
 
|[[富士宮市]]議会で[[日本社会党|社会党]]の渡辺利光市議がオウム真理教について市当局に質問。富士宮総本部には7月に216人が住民登録されていたが、8月に東京都杉並区宮前のある住所<ref group="注釈">麻原彰晃が総選挙で出馬する選挙区。</ref>に向けて一斉に転出が始まり、11月1日までに17人に減ってしまったという<ref name="aum2200-78"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月30日]]
 
|教団は[[西ドイツ]](当時)・[[ボン]]で会見<ref name="aum2200-78"/>。坂本堤弁護士失踪は横浜法律事務所が仕組んだ狂言だと主張<ref name="aum2200-94"/>。一行には[[ドイツ語]]を話せるものがおらずボン支部へも道に迷い語学が堪能な記者が見かねて教えたという<ref name="aum2200-94"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月24日]]
 
|[[読売テレビ]]制作のテレビアニメ「[[シティーハンター3]]」第11話に[[麻原彰晃]]の顔写真のコマが一瞬挿入される([[サブリミナル]])。[[1995年]][[5月2日]]に発覚。読売テレビは同年5月23日付で[[郵政省]](現:[[総務省]])から「番組基準の遵守を問われるような放送を行い、社会問題を引き起こした」として注意の[[行政指導]]を受けた<ref> 鈴木秀美・山田健太・砂川浩慶 編『放送法を読みとく』p.83 2009年 商事法務</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|年末
 
|一行はニューヨークから帰国後テレビの生番組にフル出演、その後さらにインドに渡り帰国<ref name="aum2200-105"/>
 
|}
 
 
 
=== 1990年 ===
 
選挙で惨敗しいよいよ武装化に着手。熊本に進出し住民との戦いも始まった。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月7日]]
 
|麻原自身を含む幹部25名が'''[[真理党]]'''を結成し中野文化センターにおいて[[第39回衆議院議員選挙]]への出馬表明<ref name="aum2200-105"/>。ただし演説したのは麻原だけ、他の24人は実質ホーリーネームでの出馬(選挙管理委員会に受理されなかったため、届出は本名で行い、選挙ポスターなどではホーリーネームの方を大きく掲示した)であった<ref name="aum2200-105"/>。会場では麻原のお面をかぶった運動員が踊り、「ショーコーショーコー」と麻原の名前を連呼する歌を流し、集まった300人以上の信者が手拍子するという状態で、江川紹子は「選挙運動といっても、その実質は教団や教祖の宣伝」としていた<ref name="aum2200-105"/><ref name="aum2200-114" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月18日]]
 
|[[第39回衆議院議員総選挙]]執行。'''全員落選'''。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる([[オウム真理教の国家転覆計画]])
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月]]
 
|[[生物兵器]][[ボツリヌス菌]]・[[ボツリヌストキシン]]の研究を開始
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月]]
 
|[[石垣島セミナー]]。教団の立て直しに成功。ただし当初の目的であった[[オウム真理教の国家転覆計画#全世界ボツリヌス菌散布計画|ボツリヌステロ]]は実行できず
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月]]〜[[5月]]
 
|[[オウム真理教の国家転覆計画#首都圏ボツリヌス菌散布計画|首都圏にボツリヌス菌・ボツリヌストキシンを散布]]するが失敗
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月]]
 
|[[日本シャンバラ化計画]]の一環として熊本県[[阿蘇郡]]波野村の土地を5000万円で入手・造成。シャンバラ精舎とする<ref name="aum2200-200" />
 
|-
 
!
 
|波野村で[[オウム真理教の国家転覆計画#ホスゲン爆弾計画|ホスゲン爆弾計画]]開始<ref name="nanzan">渡邉学『[https://nirc.nanzan-u.ac.jp/nfile/3788 南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について]』 2009年 南山宗教文化研究所</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月1日]]
 
|[[オウム真理教付属医院]]設立
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月16日]]
 
|[[オウム真理教国土利用計画法違反事件]]。熊本県が[[国土利用計画法]]と[[森林法]]違反で教団を[[告訴・告発|告発]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月22日]]
 
|'''[[波野村 (熊本県)|波野村]]の教団施設が[[熊本県警察|熊本県警]]の強制捜査を受ける'''。このため教団武装化を中断<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="white-space:nowrap"|[[10月30日]]
 
|国土法事件で[[早川紀代秀]]と[[満生均史]]が出頭、逮捕
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|国土法事件で[[青山吉伸]]、[[石井久子]]、[[大内利裕]]が逮捕<ref name="aum2200-200" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|時期不明
 
|山梨県旧[[上九一色村]]に進出開始<ref>[http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/2-3.2.html わたしは見た!オウム真理教裏ワークの真相] [[カナリヤの会]]</ref>
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 1991年 ===
 
昨年末の[[オウム真理教国土利用計画法違反事件|国土法事件]]と強制捜査を受けて武装化路線を中断し、文化活動にシフトした。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月]]
 
|ダンスオペレッタ『死と転生』公演開始<ref name="hk91">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1991.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1991年] ひかりの輪公式サイト。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月7日]]
 
|[[ニフティサーブ]]に「オウム真理教会議室」を開設
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月26日]]<br>〜[[6月9日]]
 
|インド訪問<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月3日]]<br>〜[[7月13日]]
 
|インド訪問<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月19日]]<br>〜[[8月26日]]
 
|[[チベット]]訪問<ref name="hk91"/>
 
|-
 
! text-align:left"|[[8月26日]]<br>〜[[8月31日]]
 
|[[ラオス]]訪問。国賓待遇<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月28日]]
 
|『[[朝まで生テレビ!]]』にパネリストとして麻原、上祐、[[村井秀夫]]、[[杉浦実]]が出演。[[池田昭]]、[[島田裕巳]]など兼ねてからオウムに共鳴的であった宗教学者も出演した。オウムのライバルであった[[幸福の科学]]幹部らも出演し激論を繰り広げた。<br/>番組途中に麻原が番組の運行が幸福の科学に有利に進められ、発言の機会も幸福の科学の方が多いなどと興奮し、大声で司会の[[田原総一朗]]に食ってかかり、パネラーの一人であった[[下村満子]]が「あなたは解脱者を自称するのに、どうしてそんなことで興奮するんですか」と麻原をたしなめる一幕もあった。[[江川紹子]]はオウム側が優勢であったと評しており、実際にこの番組をみてオウムに入信した信者もいた<ref>江川紹子『魂の虜囚―オウム事件はなぜ起きたか』 2000年 p.133</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月30日]]<br>〜[[10月3日]]
 
|[[スリランカ]]訪問<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月]]
 
|麻原、キリスト宣言。自分を[[キリスト]]([[メシア]])であるとする<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="white-space:nowrap; text-align:left"|[[10月5日]]<br>〜[[10月12日]]
 
|インド訪問<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|[[信州大学]]、[[東北大学]]、[[気象大学校]]、[[東京大学]]、[[京都大学]]、世田谷区民会館で麻原講演会<ref name="hk91"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月]]
 
|麻原、『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 1992年 ===
 
昨年同様に文化活動を行っていたが、徐々に武装化を再開。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月14日]]
 
|[[マハーポーシャ]]設立
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月24日]]
 
|マハーサンパッティ設立<ref name="yurei" /><ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月]]
 
|来日した[[ロシア|ロシア共和国]]の[[オレグ・ロボフ]]らと会談。ロシア進出のきっかけとなる
 
|-
 
!style="white-space:nowrap; text-align:left"|[[3月7日]]<br>〜[[3月16日]]
 
|ロシア訪問<ref name="hk91"/>。ルツコイ副大統領と会談
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月1日]]
 
|[[オウム真理教放送]]「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」開始。ロシアから放送<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月]]
 
|スリランカ訪問<ref name="hk92">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1992.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1992年] ひかりの輪公式サイト。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月27日]]
 
|教団が[[長野県]][[松本市]]に取得した[[土地]]の地主が、[[売買]]・[[賃貸]][[契約]]の無効と土地の明け渡しを求めて教団を提訴
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月]]
 
|不動産会社「マハーポーシャ・オーストラリア」を設立、[[オウム真理教の兵器#核兵器|教団の核開発計画]]のため、直後に500,000[[オーストラリアドル]](約3000万円)で[[西オーストラリア州]][[パース (西オーストラリア州)|パース]]の北東700kmにあるレオノーラ地区バンジャウォーン(バンジャワン)牧場を購入した<ref name="aum2200-290">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.290-304「オウムに毒ガス疑惑」。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月16日]]
 
|「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」、英語放送開始<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!
 
|[[北海道大学]]、京都教育文化センター、[[名古屋大学]]で麻原講演会<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月]]
 
|インド訪問。ダライ・ラマ14世と会談<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!
 
|スリランカ訪問。チャーター機の機長に機内食がまずいと言いがかりをつけトラブルに<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!
 
|ブータン訪問。国賓待遇。麻原にブータン政府から「最聖」の称号を与えられたと発表<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|夏
 
|[[炭疽菌]]研究開始。以後、徐々に武装化を再開<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月]]
 
|[[オウム真理教モスクワ支部|モスクワ支部]]を開設(初代支部長は[[新実智光]])<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!
 
|麻原が[[新実智光]]、[[遠藤誠一]]、[[豊田亨]]ら幹部を含む25人の信者を連れて[[オーストラリア]]を訪問、バンジャウォーンで[[ウラン]]を探すため約1ヶ月滞在。パース空港到着時、一行が塩酸などの劇薬を所持していたことが明らかになり、[[遠藤誠一]]など2人が危険物持ち込みで罰金刑に処せられた。豊田亨は現地に「豊田研究所」と札のついた専門の化学実験室を持っていた<ref name="aum2200-290" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月14日]]
 
|[[オカムラ鉄工乗っ取り事件]]
 
|-
 
!
 
|[[パソコン通信]]のBBS「オウム真理教ネット」開設<ref>ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 p.430</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月]]
 
|コンゴ訪問<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|[[キーレーン]]交響楽団結成
 
|-
 
!
 
|[[東京工業大学]]、[[信州大学]]、[[大阪大学]]、[[千葉大学]]、[[横浜国立大学]]、[[東京大学]]、[[京都大学]]で麻原講演会<ref name="hk92"/>。麻原、講演に同伴した[[村井秀夫]]ら信者に「またヴァジラヤーナを始めるぞ」と発言<ref name="wa141"/>
 
|-
 
!
 
|インド訪問。[[ブッダガヤの大菩提寺|マハーボディ寺]]の[[ゴータマ・ブッダの菩提樹|菩提樹]]の下に座りトラブルに<ref name="hk92"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月23日]]
 
|京都大学で講演し「2000年までに破局が訪れる」と予言<ref name="aum2200-500" /><ref group="注釈">麻原の予言は自作自演であることから、自白とも取ることができる。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月10日]]
 
|南青山に東京総本部開設。同時に亀戸の旧総本部は新東京総本部と改称
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月18日]]
 
|松本支部での説法で「93年の後半、特に10月以降急激に新しい変化」と予言<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 1993年 ===
 
生物兵器計画がことごとく失敗していた最中、サリンの製造に成功。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月]]
 
|台湾訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月]]
 
|台湾訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月21日]]
 
|麻原が杉並道場での説法で「1997年にハルマゲドンがある」旨の発言<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|春
 
|[[村井秀夫]]が[[土谷正実]]にサリン製造を指示<ref>降幡賢一『オウム法廷13』 p.96, 115</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月2日]]
 
|化学薬品購入目的のダミー会社「長谷川ケミカル」設立<ref name="hu1a-111" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月8日]]
 
|麻原が広島支部で説法、この頃から説法に「核兵器」「細菌兵器」「化学兵器」「軍備」という言葉が頻発するようになる<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月9日]]
 
|麻原が高知支部での説法で初めてサリンに言及<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月]]
 
|[[富士清流精舎]]建設<ref name="hk93"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月]]
 
|[[オウム真理教の国家転覆計画#皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画|皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月6日]]
 
|'''[[オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件]]'''。遺体は幹部らによって遺棄
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月28日]]
 
|第1次[[亀戸異臭事件]]。新東京総本部から[[炭疽菌]]を散布するが失敗
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月2日]]
 
|第2次亀戸異臭事件
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月]]
 
|[[土谷正実]]、'''[[サリン]]合成に成功'''<ref name="hk93">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1993.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1993年] ひかりの輪公式サイト。</ref>。同時にサリンプラントの建設を開始([[サリンプラント建設事件]])
 
|-
 
!
 
|[[オウム真理教の国家転覆計画#首都圏炭疽菌散布計画|首都圏に炭疽菌を散布]]。[[皇居]]や[[創価学会]]に炭疽菌を散布したが失敗<ref name="hk93" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月4日]]
 
|化学薬品購入目的のダミー会社「ベル・エポック」設立<ref name="hu1a-111" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月]]
 
|インド訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月]]
 
|麻原、教団が毒ガス攻撃を受けているとの主張を始める<ref name="hk93" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|第1次[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]。サリンを使用した初の事例
 
|-
 
!
 
|ロシア訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!style="white-space:nowrap"|[[12月18日]]
 
|第2次[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]。現場警備担当の創価学会員数名負傷。実行時に防毒マスクを外した[[新実智光]]が重症
 
|-
 
!style="text-align:left"|時期不明
 
|化学薬品購入目的のダミー会社「下村化学」、ロシアへの射撃訓練ツアーを企画した「ドゥブニールミリオネール」などを設立<ref name="aum2200-500" />
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 1994年 ===
 
化学兵器や麻薬を手に入れたオウムはいっそう過激になり、多くの事件をおこした。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月30日]]
 
|'''[[薬剤師リンチ殺人事件]]'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月]]
 
|中国本土訪問<ref name="hk94"/>
 
|-
 
!
 
|サリン30キロ(青色サリン溶液)製造<ref name="nanzan" />。後に[[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件]]、[[松本サリン事件]]で使用
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月27日]]
 
|麻原、「東京にサリン70トンをぶちまくしかない」と幹部に説法<ref name="hk94" /><ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月28日]]
 
|[[自動小銃密造事件|自動小銃の密造を開始]]。旧ソ連の[[AK-74]]を密造<ref name="hk94" /><ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月27日]]
 
|[[宮崎県資産家拉致事件|宮崎県旅館経営者営利略取事件]]、被害者は5ヶ月間監禁され、解放後の9月2日に告訴
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月]]
 
|富士川河口付近でサリン散布実験<ref name="hk94" />
 
|-
 
!
 
|信者らがロシアを訪問し軍事訓練ツアー。化学兵器探知器、[[LSD (薬物)|LSD]]原料、小銃弾などを持ち帰る<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!
 
|[[村井秀夫]]が[[土谷正実]]に爆薬サンプル製造を指示<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月1日]]
 
|[[LSD (薬物)|LSD]]密造開始
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月9日]]
 
|[[滝本弁護士サリン襲撃事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月]]
 
|[[村井秀夫]]が[[土谷正実]]に[[覚醒剤]]製造を指示<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月1日]]
 
|[[Mi-17]]到着<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月27日]]
 
|麻原の体調悪化に伴い'''[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]'''の発足式を午前0時から都内[[うまかろう安かろう亭]]で挙行。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。[[松本麗華]]を法皇官房長官とする<ref name="rika"/>
 
|-
 
!
 
|夜、'''[[松本サリン事件]]'''。[[長野地方裁判所|長野地裁松本支部]]官舎に隣接する[[住宅街]]でサリンを噴霧し、8人を殺害。重軽傷600人。当初は被害者の一人であった[[河野義行]]に疑惑の目が集まった<ref name="aum2200-252">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.252-276「暴走した松本サリン事件報道」。</ref><ref name="aum2200-252"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月]]
 
|[[覚醒剤]]密造開始
 
|-
 
!
 
|フランス訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月9日]]
 
|未明、'''第7サティアンに建設中の[[サリンプラント]]で薬品漏れ事故が発生'''。周辺で異臭騒ぎがあり、治療が必要な人的被害はなかったものの近くのブナなどの葉が褐色に変色、教団側は否定したが地元の人たちは発生源は教団だと確信していた<ref name="aum2200-252"/><ref name="aum2200-290" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月10日]]
 
|'''[[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]]'''。スパイ疑惑をかけられた信者が拷問の末死亡
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月15日]]
 
|'''[[温熱療法 (オウム真理教)#元仙台支部長温熱死事件|元仙台支部長温熱死事件]]'''
 
|-
 
!
 
|夕方、7月9日に続き第7サティアンで再び異臭騒ぎ<ref name="aum2200-290" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月28日]]
 
|[[温熱療法 (オウム真理教)#女性看護師拉致監禁事件|女性看護師拉致監禁事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[7月30日]]
 
|[[河野義行]]が退院して「顔も名前も出して結構です」として記者会見を開き、自らの無実を訴えた<ref name="aum2200-252"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月]]
 
|ロシア訪問<ref name="rika"/>
 
|-
 
!
 
|[[村井秀夫]]が[[青酸]]、[[ホスゲン]]製造を指示<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[8月10日]]
 
|教団「雄叫び祭」を開催。内容は早食い大会やカラオケ大会など<ref>[[カナリヤの会]]『オウムをやめた私たち』 教団年表</ref>
 
|-
 
!
 
|[[河野義行]]が病院で書いた手記が文藝春秋9月号に掲載されて発表され、この後徐々に報道の扱いが変化して行く<ref name="aum2200-252"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月]]頃
 
|[[土谷正実]]、'''[[VXガス|VX]]の合成に成功'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月]]
 
|[[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件#VXによる毒殺未遂|滝本太郎弁護士VX毒殺未遂事件]]
 
|-
 
!
 
|機関誌「マハーヤーナ」に代わって過激路線の「ヴァジラヤーナ・サッチャ」が創刊される<ref name="hk94" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[9月20日]]
 
|[[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|強制捜査の噂が流れ[[サリンプラント]]建設を一時中断<ref>江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 p.288</ref><ref name="hh7">降幡賢一『オウム法廷7』 p.238-242</ref>
 
|-
 
!
 
|ニューナルコ開始<ref name="nanzan" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月]]
 
|サリンプラントで異臭騒ぎ{{sfn|CNAS|2012|p=33}}
 
|-
 
!
 
|強制捜査の噂が流れる<ref>江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 p.288</ref><ref name="hh7">降幡賢一『オウム法廷7』 p.238-242</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[11月4日]]
 
|[[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件#ボツリヌス菌による毒殺未遂|滝本太郎弁護士ボツリヌス菌毒殺未遂事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月2日]]
 
|[[駐車場経営者VX襲撃事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月5日]]
 
|[[鹿島とも子]]長女監禁事件
 
|-
 
!style="white-space:nowrap"|[[12月10日]]
 
|[[ピアニスト監禁事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月12日]]
 
|'''[[会社員VX殺害事件]]'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|時期不明
 
|警察当局が異臭騒ぎのあった第7サティアン付近の土を採取し、警察庁[[科学警察研究所]]で調べたところ、サリンの分解物[[メチルホスホン酸]]及びサリン製造の際の副生成物[[メチルホスホン酸イソプロピル]]が検知され、松本サリン事件で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明<ref name="BUNSYUN20010117"/>{{sfn|CNAS|2012|p=33}}
 
|}
 
 
 
=== 1995年 ===
 
教団の崩壊の年。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月1日]]
 
|「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」中で麻原彰晃は「95年は、社会的に見ても、世界的に見ても、非常に不安定な時代を迎えるわけだが、オウム真理教にとっては逆に外的な圧力は弱められ、大発展の年になるはずである」と予言したが、これは大きく外れた<ref name="aum2200-478">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.478-489「麻原逮捕の日を迎えて」。</ref>
 
|-
 
!
 
|[[読売新聞]]が上九一色村の第7サティアン周辺で'''[[サリン]]を生成した際の残留物質である有機リン系化合物が検出されたとスクープ'''<ref name="aum2200-290" />、これを受けて[[サリンプラント]]を解体し[[シヴァ|シヴァ大神]]を祭った神殿に改装するよう麻原が指示。保有していたサリンも処分された
 
|-
 
!
 
|密造していた[[AK-74]]が完成
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月4日]]
 
|上九一色村の教団施設にサリンを噴霧したとして、教団信徒18人が村内の肥料会社社長を殺人未遂罪で[[告訴・告発|告訴]]。教団は会見を開いて毒ガス攻撃を受けているためサリン副生成物が検出された旨主張、上九一色村のオウム対策委員会副委員長で産業廃棄物処理業を営んでいた人などを殺人未遂罪で刑事告訴した旨明らかにした。これをきっかけに教団とサリンの関係を公然と論評するマスコミも出て来た<ref name="aum2200-290" />
 
|-
 
!
 
|[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月8日]]
 
|教団信者が[[占星術]]を用いて神戸で地震があることを「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」内で予言{{Sfn|東京キララ社|2003|p=85}}
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1月17日]]
 
|[[阪神淡路大震災]]発生。1月8日の予言的中と宣伝
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月9日]]
 
|1月4日に教団が行なった刑事告訴について、告訴された一人が麻原ら4人を[[虚偽告訴罪|誣告罪]]と[[名誉毀損罪]]で[[甲府地方検察庁]]に告訴、さらに教団と幹部4人を相手に1億円の慰謝料を求めて[[甲府地方裁判所]]に民事訴訟を提起<ref name="aum2200-290" />
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2月28日]]
 
|'''[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]'''、オウムに拉致された男性が死亡。犯行に使われたレンタカーから教団信者[[松本剛 (オウム真理教)|松本剛]]の指紋検出が報じられる
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月13日]]
 
|「オウム真理教被害対策弁護団」の[[滝本太郎]]弁護士が[[警察庁長官]]と[[検事総長]]宛に「本当にオウムがサリンを撒く可能性がある」と速達で上申<ref>[http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/siryou1.html オウム関係資料] [[カナリヤの会]]</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月15日]]
 
|[[地下鉄サリン事件#迫る強制捜査と生物兵器テロ未遂|霞ケ関駅アタッシェ事件]]。東京・[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]]構内で、オウムが設置した不審なアタッシェケース(中身は超音波振動による自動式の[[ボツリヌストキシン]]噴霧器)が発見され、[[警視庁]]の[[爆発物処理班]]が出動する
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月17日]]
 
|複数の教団幹部のステージ昇格を伝える尊師通達が発令される(当月付けから7月付けまで計23名)
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月17日]]
 
|[[警察庁]]において警視庁[[機動隊]]と[[刑事部|捜査一課]][[刑事|捜査員]]によるオウム真理教に対する一斉家宅捜索を3月22日に行う決定<ref name="BUNSYUN20010117">文藝春秋1995年5月号</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月18日]]
 
|「オウム真理教から被害者を救出する会」主催による1万人集会
 
|-
 
!
 
|[[地下鉄サリン事件#リムジン謀議|リムジン謀議]]にて地下鉄サリン事件の実行が決定される
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月19日]]
 
|脱会希望の大学生を拉致した容疑で[[大阪府警察|大阪府警]]が教団[[大阪]]支部に家宅捜索、信者3名を逮捕。夜、[[島田裕巳宅爆弾事件]]、[[オウム真理教東京総本部火炎瓶投擲事件|東京総本部火炎瓶事件]]を起こす
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月20日]]
 
|'''[[地下鉄サリン事件]]'''。東京の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](現・[[東京地下鉄]])でサリンを撒き、13人を殺害、約6000人が重軽傷
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月22日]]
 
|警視庁が公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でオウム真理教信徒の逮捕状を取り、'''[[上九一色村]]の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉捜査'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[3月30日]]
 
|[[警察庁長官狙撃事件]]。オウム犯行説あり
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月1日]]
 
|[[オウム真理教附属医院]]の佐々木正光医師が麻原について[[肝硬変]]、[[Q熱]]、慢性[[心不全]]、[[心内膜炎]]の疑い、[[皮膚炎]]と5つもの病名を挙げて「約1ヶ月の加療及びベッド上安静が必要であると判断する」との診断書を作成したが、5月16日に逮捕された麻原は健康上何の問題もなかった
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月18日]]
 
|ロシア全土における活動禁止命令
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[4月23日]]
 
|'''[[村井秀夫刺殺事件]]'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月5日]]
 
|[[新宿駅青酸ガス事件]]
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月6日]]
 
|[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]が[[地下鉄サリン事件]]の実行を自供
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[5月16日]]
 
|[[東京都庁小包爆弾事件]]
 
|-
 
!
 
|山梨県上九一色村の教団施設を一斉捜査。'''第6サティアン内にて麻原彰晃こと松本智津夫を逮捕'''<ref name="aum2200-478"/>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[6月30日]]
 
|[[東京地方検察庁]]と[[東京都]]が法人解散請求を[[東京地方裁判所]]に申請<ref name="aum2200-490">『「オウム真理教」追跡2200日』pp.490-499「宗教法人解散請求の行方」。</ref>
 
|-
 
!style="white-space:nowrap; text-align:left"|[[10月30日]]
 
|[[東京地方裁判所]]が[[宗教法人法]]に基づく解散命令を決定(同年12月確定)
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[10月31日]]<br>[[11月1日]]
 
|米上院政府活動委員会の調査小委員会がこの期間に開いた公聴会で、[[CIA]]の調査と[[サム・ナン]]の執筆による、100ページ余りの『[[オウム真理教事件]]報告書』が提出される<ref>ロシアでの活動が分かる資料。 [[一橋文哉]]『国家の闇』角川書店 2012年 p.84</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[12月]]
 
|国会で宗教法人法改正法が成立
 
|}
 
 
 
=== 1996年以降 ===
 
教団の破滅とAlephへの再編の年。
 
{| class="wikitable"
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[1月18日]]
 
|破防法第1回弁明手続
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[1月30日]]
 
|[[宗教法人オウム真理教解散命令事件]]。[[宗教法人]]格を喪失
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[4月5日]]
 
|破防法第2回弁明手続
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[4月24日]]
 
|麻原初公判
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[5月15日]]
 
|破防法第3回弁明手続(麻原出席)
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[5月28日]]
 
|破防法第4回弁明手続(麻原出席)
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[6月]]
 
|ウェブサイト「オウム破防法適用で民主主義が危ない!」開設{{Sfn|東京キララ社|2003|p=17}}
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[6月19日]]
 
|麻原に代わり、長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」とした。麻原の地位は「開祖」に
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[6月21日]]
 
|破防法第5回弁明手続
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[6月28日]]
 
|破防法第6回弁明手続
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[8月24日]]<br>〜[[10月]]下旬
 
|麻原逮捕後の信者の引き締めを目的とする「[[観念崩壊セミナー]]」が、[[松本麗華]]が中心となり断続的に行われ、多くの負傷者を出した<ref name="rika"/><ref name="alephmondaitaisaku">[http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-128.html ひかりの輪 アレフ問題の告発と対策]</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1996年]][[10月]]
 
|公式サイト「INTERNETオウム真理教」開設{{Sfn|東京キララ社|2003|p=17}}
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1997年]][[1月31日]]
 
|公安審査委員会、オウム真理教への[[破壊活動防止法]]の適用を棄却
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1997年]]年間
 
||[[上九一色村]]に最後まで残っていた信者達の撤収後、村にあった[[サティアン]]は閉鎖、取り壊された(第7サティアンのみ捜査の為残っていた)
 
|-
 
!
 
|パソコン事業で教団維持に成功<ref name="hk97">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1997.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1997年] ひかりの輪公式サイト。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1998年]]
 
|[[長野県]]に核シェルター建設開始(後に中止)<ref>[http://web.archive.org/web/20061110075733/http://www.npa.go.jp:80/keibi4/it3.htm 活発化する動き オウム真理教 反社会的な本質とその実態( InternetArchive)] [[警視庁]]</ref><ref name="hk98">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1998.html オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1998年] ひかりの輪公式サイト。</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1998年]][[12月]]
 
|[[上九一色村]]に最後まで残った第7[[サティアン]]が解体される
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1999年]][[4月]]
 
|東京都内の[[繁華街]]で“復活”をアピール<ref name="hajimeni">[http://www.npa.go.jp/keibi4/it1.htm はじめに] ''警視庁''</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1999年]][[9月29日]]
 
|オウム真理教休眠宣言
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1999年]][[12月3日]]
 
|[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[1999年]][[12月29日]]
 
|[[上祐史浩]]出所
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2000年]][[2月1日]]
 
|[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]に基づく[[公安調査庁]]長官の観察処分(3年間)が効力発生
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2000年]][[2月4日]]
 
|'''「[[アレフ (宗教団体)|宗教団体・アレフ]]」として再編'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2000年]][[7月1日]]
 
|[[ロシア]]で[[麻原彰晃]]こと松本智津夫の[[武力]]奪還・対日[[テロ]]を図ったオウム信者[[逮捕]]([[シガチョフ事件]])
 
|-
 
|}
 
{{main2|改組後の活動|Aleph (宗教団体)#関連年譜}}
 
{| class="wikitable"
 
!style="text-align:left"|[[2004年]][[2月27日]]
 
|東京地裁、麻原に死刑判決
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2006年]][[9月15日]]
 
|最高裁、麻原弁護団の特別抗告を棄却し死刑確定
 
|-
 
!style="white-space:nowrap"|[[2011年]][[12月31日]]
 
|[[平田信]]が警視庁[[丸の内警察署]]に[[自首|出頭]]。翌日に[[逮捕・監禁罪#逮捕・監禁致死傷罪|逮捕監禁致死]]の容疑で逮捕
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2012年]][[6月3日]]
 
|[[菊地直子]]が[[相模原市]]内の潜伏先で身柄を確保された<ref>2015年11月27日無罪で釈放。2017年12月27日無罪確定</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2012年]][[6月15日]]
 
|[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]が東京都[[大田区]]の漫画喫茶内で身柄を確保される。これによりオウム関連の特別指名手配者はすべて確保された
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2018年]][[1月25日]]
 
|[[オウム事件]]全裁判終結<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2018012601187&g=soc オウム裁判、完全に終結=高橋被告の異議棄却-最高裁] [[時事通信]] 2018年1月26日</ref>
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2018年]][[7月6日]]
 
|'''[[オウム真理教]]元代表、[[麻原彰晃]]こと「[[松本智津夫]]死刑囚」及び関係者らの死刑執行<ref>{{Cite news|title=オウム真理教元代表、松本智津夫死刑囚の刑執行(写真=共同)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32688690W8A700C1MM0000/|accessdate=2018-07-06|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref><ref>{{Cite news|title=オウム事件:教団元代表の松本智津夫死刑囚の刑を執行 - 毎日新聞|url=https://mainichi.jp/articles/20180706/k00/00e/040/163000c|accessdate=2018-07-06|language=ja-JP|work=毎日新聞}}</ref>'''
 
|-
 
!style="text-align:left"|[[2018年]][[7月26日]]
 
|'''[[オウム真理教事件]]に関与した残りの死刑囚の刑が執行された<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180726/afr1807260007-n1.html|title=岡崎一明死刑囚ら残る6人の刑執行 四半世紀経て事件終結|newspaper=産経新聞|date=2018-07-26|accessdate=2018-07-26}}</ref>。'''
 
|-
 
|}
 
 
 
== オウム真理教を題材・モデルにした作品 ==
 
=== 映像作品 ===
 
*「A」シリーズ - [[森達也]]によるドキュメンタリー作品。映像作品には『[[A (映画)|A]]』『[[A2 (映画)|A2]]』がある。
 
*[[地獄 (1999年の映画)]] - 本作にオウム真理教をモデルにした新興宗教団体「宇宙真理教」が登場する。主人公である16歳の少女リカはその教団の信者であったが、ラストで他の信者達とともに脱会する。
 
*[[カナリア (映画)]]
 
*[[愛のむきだし]]
 
*[[未解決事件 (NHKスペシャル)|未解決事件 File.02 実録・オウム真理教]] - 元幹部の男性や、1980年代に入信した古参信者で、教団元幹部の女性の証言を元に、主演・[[萩原聖人]]で、教団初期からのオウム真理教の内部を[[日本放送協会|NHK]]が詳細にドキュメンタリードラマ化。[[NHK BSプレミアム]]で、2012年3月31日・午前1時30分から放送された。放送時間101分。NHKスペシャルでは、さらに調査を進め、『未解決事件』シリーズとして、[[NHK総合テレビジョン]]にて2012年5月26日と5月27日に3部構成で放送された。番組放送終了の翌月、菊地直子容疑者・高橋克也容疑者の逮捕を受けて、異例の緊急再再放送が2012年6月24日に放送され、また、NHK BSプレミアムで、2012年7月16日に3部構成にて同番組が放送された<ref>[http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/index.html NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教](NHKオンライン)</ref>。
 
*[[ホーク/B計画]]{{要出典|date=2018年1月}}
 
*[[BLOODY MONDAY]]{{要出典|date=2018年1月}}
 
=== その他 ===
 
*煉獄の使徒 - [[馳星周]]による小説作品。
 
*カルマ真仙教事件 - [[濱嘉之]]による小説作品。「阿佐川公照」などが登場する。
 
*[[爪爪爪/「F」|「F」]] - 歌詞に[[ポア (オウム真理教)|ポア]]が登場する。
 
*[[MATSUMOTO]] - [[:fr:Laurent-Frédéric Bollée]](L.F. ボレ)による漫画。
 
*約束された場所で - [[村上春樹]]による小説作品。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2|colwidth=30em}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*[[江川紹子]] 『「オウム真理教」追跡2200日』([[文藝春秋]] 1995年7月) ISBN 978-4-16-350580-0
 
* {{Cite journal|和書|ref={{SfnRef|樫尾|1997}} |author=[[樫尾直樹]] |date=1997-03-01 |title=「精神世界」とオウム真理教 : スピリチュアリズムと神智学との関連から |journal=宗教と社会. 別冊, ワークショップ報告書 1996 |publisher=「宗教と社会」学会 |pages=59-65 |naid=110007653765 |url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110007653765}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[林郁夫]]|title=オウムと私|publisher=[[文藝春秋]]|date=2001-10|isbn= 4-16-765617-5|ref={{SfnRef|林郁夫「オウムと私」}} }}
 
*[[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』([[トランスビュー]] 2001年7月30日) ISBN 978-4-901510-00-4
 
* {{Cite book|和書 |author = 東京キララ社編集部 |title = オウム真理教大辞典 |date = 2003-11 |publisher = [[三一書房]] |isbn = 978-4-380-03209-7 |ref={{SfnRef|東京キララ社|2003}} }}
 
*[[井上順孝]]編 『情報時代のオウム真理教』([[春秋社]] 2011年7月) ISBN 978-4393299272
 
*[[松本麗華]] 『止まった時計』[[講談社]] ISBN 978-4062194808
 
* {{Cite |和書 |author = [[島薗進]] |authorlink = 島薗進 |title = ポストモダンの新宗教 |date = 2001-09-25 |publisher = [[東京堂出版]] |isbn = 978-4490204476 |ref=}}
 
*[[降幡賢一]] 『オウム法廷』シリーズ(全13巻)
 
*[[毎日新聞]]社社会部 『オウム「教祖」法廷全記録』シリーズ(全8巻)
 
* {{Cite report |author = [[新アメリカ安全保障センター]](CNAS) |title = オウム真理教:洞察-テロリスト達はいかにして生物・化学兵器を開発したか(日本語版) |date = 2012 |url = https://www.cnas.org/publications/reports/aum-shinrikyo-second-edition-japanese |ref = CNAS}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[大田俊寛]]|title=オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義|publisher=[[文藝春秋]]|date=2011-3|ref={{SfnRef|大田|2011}} }}
 
<!--
 
*[[下里正樹]] 『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』([[双葉社]] 1995年10月) ISBN 978-4575285130
 
*[[河上和雄]] 『犯罪捜査と裁判―オウム事件を追って』([[悠々社]] 1996年4月) ISBN 978-4-946406-40-9
 
*[[共同通信]]社会部 『裁かれる教祖』(株式会社共同通信社 1997年2月) ISBN 978-4-7641-0378-8
 
*渡辺脩, [[和多田進]] 『麻原裁判の法廷から』([[晩聲社]] 1998年3月) ISBN 978-4891882822
 
*治安制度研究会 『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説([[立花書房]] 2000年6月)ISBN 978-4-8037-2217-8
 
*[[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』(文藝春秋 2000年8月) ISBN 978-4-16-764401-7
 
*[[渡辺脩]] 『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』([[三五館]] 2004年3月) ISBN 978-4883202874
 
*[[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』([[新潮社]] 2002年10月) ISBN 978-4-10-142623-5
 
*[[森達也]] 『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』([[角川書店]] 2002年1月) ISBN 978-4-04-362501-7
 
*森達也・[[森巣博]] 『ご臨終メディア-質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社 2005年10月) ISBN 978-4087203141、P75、P105-108、P120、P151-153、P196。
 
*森達也・[[安岡卓治]] 『A2』([[現代書館]] 2002年3月) ISBN 978-4-7684-7682-6
 
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== 関連項目 ==
 
*[[オウム真理教事件]]
 
*[[宗教テロ]]
 
*[[邪教]]
 
*[[カルト]]
 
*[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律]](オウム新法)
 
*[[破壊活動防止法]]
 
*[[オーム (聖音)]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{wikisource|無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律第二十六条第四項及び第五項において準用する同法第十七条第二項の規定に基づく意見陳述の通知の件|無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律第二十六条第四項及び第五項において準用する同法第十七条第二項の規定に基づく意見陳述の通知の件}}
 
{{Commonscat|Aum Shinrikyo}}
 
 
 
=== 公式ウェブサイト ===
 
*[http://www.aleph.to/ Aleph(アレフ)] オウム真理教主流派
 
**[http://info.aleph.to/ Aleph(アレフ)広報部]
 
*[http://www.joyus.jp/hikarinowa/ ひかりの輪] オウム真理教上祐派
 
**[http://www.joyus.jp/ 上祐史浩オフィシャルサイト]
 
**[https://www.facebook.com/hikarinowa?fref=ts ひかりの輪公式Facebook]
 
**[https://www.facebook.com/profile.php?id=100002032418376&fref=ts 上祐史浩公式Facebook]
 
<!-- リンク切れ→ *[http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派(代表派)
 
*[http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派(代表派) -->
 
 
 
=== その他 ===
 
* [http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html オウム真理教] - [[公安調査庁]]([[国際テロリズム要覧]])
 
*[http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]
 
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー:アーレフ]([http://www.dmoz.org/ dmoz])
 
*[http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー:オウム真理教](dmoz)
 
*[http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩](脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト)
 
*[http://aum-kazoku.boy.jp/ オウム真理教家族の会(旧オウム真理教被害者の会)]
 
*[http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/list/list02.html NHKスペシャル「未解決事件」シリーズ](NHK)「File.02 オウム真理教」
 
 
 
{{オウム真理教}}
 
{{新宗教}}
 
{{Normdaten}}
 
{{Portal bar|アジア|日本|宗教|ヒンドゥー教}}
 
  
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麻原彰晃(本名松本智津夫)が 1984年に創始した宗教および宗教団体。当初「オウム神仙の会」を名のり,おもにヨーガ指導を中心に活動していたが,麻原が自身を最終解脱者であると称して 1987年「オウム真理教」と改称,1989年8月東京都より[[宗教法人]]の認証を受けた。静岡県富士宮市などを拠点に組織を全国規模に拡大し海外にも支部を設けたが,出家や脱会をめぐり信者の親族との間でトラブルが多発していた。1990年,衆議院議員総選挙に「真理党」として 25人の候補者を擁立したものの全員落選,麻原も立候補したが惨敗した。この頃から教団は武装集団の性格を強め,山梨県上九一色村(現甲府市,富士河口湖町)に化学プラントを建設して[[サリン]]などの[[毒ガス]]や細菌兵器([[生物兵器]])を製造したり,ロシアから自動小銃やヘリコプタの購入を画策したりした。1989年11月に教団の反社会性を批判していた弁護士,坂本堤とその家族を殺害したほか,1994年6月松本サリン事件,1995年2月目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件,1995年3月[[地下鉄サリン事件]]など数々の凶悪事件([[テロリズム]])を引き起こし,強制捜査ののち麻原をはじめ教団幹部が次々と逮捕・起訴された(オウム真理教関連事件での教団関係者の有罪判決 190人,うち死刑 13人)。1995年10月,東京都と東京地方検察庁は宗教法人法に基づき教団の解散命令を東京地方裁判所に請求,同年 12月に確定した。2000年オウム真理教を母体に「アレフ」(2003「アーレフ」,2008「Aleph」と改称)が発足したが,「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法)のもと観察処分下に置かれた。
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2018/10/11/ (木) 07:17時点における最新版

オウム真理教
略称 オウム、オウム教
設立年 1989年8月29日
設立者 麻原彰晃こと本名松本智津夫
廃止年 2000年2月
種類 宗教法人
本部 東京都江東区亀戸(登記上)
山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)(実質)
静岡県富士宮市(実質)
東京都港区南青山(実質)
メンバー

最盛期
日本:15000人[1]
ロシア:35000人[2]

出家信者・1400人(日本国内)
重要人物 石井久子上祐史浩新実智光松本知子松本麗華村井秀夫(正大師)
主要機関 省庁制
関連組織 真理党
ウェブサイト 閉鎖(インターネットアーカイブ)
新興宗教の団体。
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オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)

麻原彰晃(本名松本智津夫)が 1984年に創始した宗教および宗教団体。当初「オウム神仙の会」を名のり,おもにヨーガ指導を中心に活動していたが,麻原が自身を最終解脱者であると称して 1987年「オウム真理教」と改称,1989年8月東京都より宗教法人の認証を受けた。静岡県富士宮市などを拠点に組織を全国規模に拡大し海外にも支部を設けたが,出家や脱会をめぐり信者の親族との間でトラブルが多発していた。1990年,衆議院議員総選挙に「真理党」として 25人の候補者を擁立したものの全員落選,麻原も立候補したが惨敗した。この頃から教団は武装集団の性格を強め,山梨県上九一色村(現甲府市,富士河口湖町)に化学プラントを建設してサリンなどの毒ガスや細菌兵器(生物兵器)を製造したり,ロシアから自動小銃やヘリコプタの購入を画策したりした。1989年11月に教団の反社会性を批判していた弁護士,坂本堤とその家族を殺害したほか,1994年6月松本サリン事件,1995年2月目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件,1995年3月地下鉄サリン事件など数々の凶悪事件(テロリズム)を引き起こし,強制捜査ののち麻原をはじめ教団幹部が次々と逮捕・起訴された(オウム真理教関連事件での教団関係者の有罪判決 190人,うち死刑 13人)。1995年10月,東京都と東京地方検察庁は宗教法人法に基づき教団の解散命令を東京地方裁判所に請求,同年 12月に確定した。2000年オウム真理教を母体に「アレフ」(2003「アーレフ」,2008「Aleph」と改称)が発足したが,「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法)のもと観察処分下に置かれた。



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