清水崑
清水 崑 | |
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本名 | 清水 幸雄 |
生誕 |
1912年9月22日 長崎県長崎市 |
死没 |
1974年3月27日(61歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1935年 - 1974年 |
ジャンル | 風刺漫画 |
代表作 | 『かっぱ天国』 |
清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。
人物
長崎市銭座町(現・天神町)出身[1]。旧制長崎市立商業高校(現在の長崎市立長崎商業高等学校)を卒業後上京、似顔絵描きをしながら絵の修行をする。その後横山隆一・近藤日出造らの新漫画派集団に参加、1935年『新青年』に「東京千一夜物語」を連載。これがヒットし後で内田吐夢監督によって映画化された。
戦後「新夕刊」の政治漫画を担当後、朝日新聞社嘱託。時の吉田茂首相の風刺画で人気を博し、サンフランシスコ講和会議には全権団の取材に派遣され、連日文章つきで漫画の見聞録を送る。また日本ニュースでは「漫画の頁」という風刺コーナーを与えられ、執筆風景も含めてニュース映画に題材を提供した。
1953年からは週刊朝日で「かっぱ天国」を連載、黄桜酒造(2006年10月から黄桜に社名変更)社長・松本司郎の目に留まり1955年から同社のキャラクターとして採用された(後に小島功に引き継がれた。黄桜のホームページにて当時のCMを見ることが可能)。また同年にはカルビーの「かっぱあられ」に代表される菓子広告も手がけるようになり、現在でも往時の名称は「かっぱえびせん」に名残をとどめている。1953年3月はじめに、小説家の火野葦平の『河童』の装丁を描くことになり、出版社の編集者と一緒に打ち合わせのために訪問し、その場で二人は意気投合したという[2]。1974年、肋膜炎のため61歳で没した。
母校長崎市立銭座小学校に「なかよし」と称したかっぱの壁画がある。
林家木久扇は弟子の一人で、清水が「面白い喋りをしている」という理由から3代目桂三木助に紹介した(その後三木助が亡くなり、8代目林家正蔵門下となった)。上述のように、河童の漫画で一世を風靡しているが、林家木久扇のネタのひとつ「河童」がこれに関係しているかは定かではない(ただし、「笑点」の2011年の長崎県での地方収録の際、大喜利の挨拶の中で、「清水崑先生を偲んで」と銘打ち、河童ネタを披露している)。また、木久扇が真打昇進した際には、その祝いとして、河童の絵を描いて贈った。
映画監督の市川崑は清水の大ファンで、旧名の「儀一」から「崑」に改名したのも清水の影響だと言われている。
作品
- 『筆をかついで』 創元社、1951年
- 『かっぱ川太郎』 朝日新聞社、1952年
- 『かっぱ天国』 東峰書房、1955年
- 『かっぱ天国 愛蔵版漫画集』 清水梢太郎編、らくだ出版 1993年
- 『一筆対面』 東峰書房、1957年
- 『ぼんやり山のぼんたろう』 学習研究社、1972年
- イラスト
脚注
関連項目
- キザクラカッパカントリー - 黄桜記念館で黄桜CMの原画を展示
外部リンク
- 清水崑展示館(長崎市・中の茶屋)
- 長崎県の河童伝説
- 日本ニュース|NHK戦争証言アーカイブス(執筆中の清水含め、担当したコーナーを視聴できる)