サトウサンペイ
サトウ サンペイ | |
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本名 | 佐藤 幸一(さとう ゆきかず)[1] |
生誕 |
1929年9月11日(94歳)[1] 愛知県名古屋市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1957年 - |
ジャンル | 4コマ漫画、風刺漫画 |
代表作 |
『フジ三太郎』 『ドタンバのマナー』 他 |
受賞 |
第12回文藝春秋漫画賞(1966年) 紫綬褒章(1997年) 旭日小綬章(2006年)[2] |
サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず[1]〕、1929年9月11日[1] - )は、日本の漫画家。
「平凡なサラリーマンの生活[1]」を描き、「サラリーマン漫画」の創始者と評される[3]ほか、紀行文やエッセイの執筆もおこなった。
来歴・人物
血液型はA型。愛知県名古屋市で生まれ[4]、2歳[5]から大阪府大阪市天王寺区で育つ[6]。生家はもともと「サトウクロック」という時計製造販売業を営んでいたが、サトウの代までに廃業した[7]。幼少期は『タンクタンクロー』や『のらくろ』などの児童漫画に親しんだ[6]。戦中は学徒動員で陸軍造兵廠に徴用され、旋盤工として高射砲用の弾丸製作に従事した[7]。
旧制生野中学校卒業[8][6]後、画家を志望し、帝国美術学校へ通うことを願ったが、父親の反対や戦後すぐの食糧事情の悪化から果たせず、京都工業専門学校(京都工芸繊維大学の前身)染色科に入学[8][6]。この頃南部正太郎の『ヤネウラ3ちゃん』を耽読した[6]。
卒業後の1950年、大丸に入社。大阪店(のちの心斎橋店)宣伝部に勤め、新聞広告のレイアウトに従事[8]。求人の取り次ぎを頼んだ人物に入社時の履歴書を紛失され、正規の入社試験を受けられなかったため[8][6]、経歴を4ページ[9]あるいは8ページ[6][7]の漫画に描いて提出して合格したという。この履歴書や、社内報に寄稿した漫画作品のことが新大阪新聞の小谷正一の耳に入ったのをきっかけとして、1953年に同紙の4コマ漫画『大阪の息子』でデビューする[8][9]。ペンネームの「サンペイ」の由来は岡本一平まではいかないだろう、という謙遜から[7]。活動当初はサラリーマンとの兼業であった。次第に本業がおろそかになって部署内での遅刻回数1位となり、「遅刻マン」とあだ名されるようになった[6]。このころ、当時高校生だった西村宗がたびたびサトウの職場をたずね、原稿の添削を仰いでいる[6]。
1957年[8][6]に大丸を退社し、専業漫画家として独立。やがて1961年に活動の場を東京に移す[1][8]。1965年に朝日新聞夕刊で連載を開始した4コマ漫画『フジ三太郎』は、のちに朝刊に舞台を変え、1991年に終了するまで26年の長期連載となった。
1970年3月に連載を休んで26日間の欧州旅行に出かけるなど、海外を多く旅し、文章にしている。
金光教の信徒であり、信仰生活をつづったエッセイ『ドタンバの神頼み』を上梓している。
受賞歴
作品
作風
- 人物・背景問わずシンプルな描画をおこなう。もとは横山泰三に影響を受け[6]、細い硬質な線で等身の高い人物を描いていたが、次第に細くやわらかい質感の均質な線で、頭部の大きい人物を描く画風に変化した。スクリーントーンは使用しない。ふきだし内の文字は版下処理をせず、ペンによる手書きである。
- 複数ページの作品におけるコマ割りは、枠線をハシゴ状に描いてコマを繋げ、1ページあたり5コマを縦に2列や、横1列2コマを4段に分けるなど、均一に配置している特徴がある。4コマ作品においては、題材によっては通常4コマの枠線を書き換え、3コマ[10]や長大な1コマとしてしまう。このことについてサトウは「僕があつかましいせいもあるが、やはり育ちが映画世代だったからだ」「ワンシーンの動きを表現する手段」と述べている[6]。
連載
- 大阪の息子(新大阪新聞 1953年)
- アサカゼ君(漫画サンデー 1963年 - 1965年)
- フジ三太郎(朝日新聞朝刊 1965年 - 1991年)
- ランチ君(平凡パンチ 1965年 - 1968年)
- ハナベエ(週刊文春 1966年 - 1967年)
- スカタンCO.(カンパニー)(サンデー毎日 1967年 - 1974年)
- 夕日くん(週刊朝日 1968年 - 1985年)
著書
- 漫画
- アサカゼ君
- フジ三太郎
- スカタンCO.
- 夕日くん
- 夕日くん 1巻 - 15巻(1982年 - 1985年 新潮社)
- 夕日くん オトコのホンネ 1巻 - 6巻(1995年 朝日文庫)
- 作品集
- スカタンCO.とランチ君(1966年 コダマプレス)
- 現代漫画 第1期8巻 サトウサンペイ集(1969年 筑摩書房)
- ランチ君・スカタンCO.(1976年 奇想天外文庫)
- 現代まんが全集 17 サトウサンペイ集(1978年 筑摩書房)
- エッセイ
共著の場合は括弧内に共著者
- ドコカへ行こうよ(1972年 文藝春秋社、1982年 新潮文庫)
- スマートな日本人 絵で見る海外マナー(1974年 日本交通公社出版事業局)
- ドタンバのマナー海外編 スマートな日本人(改題再刊 1986年 新潮文庫)
- ドタンバのマナー(1982年 新潮文庫)
- The Ultimate Guide to Etiquette in Japan――対訳・ドタンバのマナー(1998年 講談社インターナショナル)
- けっこうエーこといってるんですが(1977年 文藝春秋社、1983年 新潮文庫)
- 食べ物さん、ありがとう(川島四郎 1985年 保健同人社、1986年 朝日文庫)
- 続 食べ物さん、ありがとう(川島四郎 1986年 保健同人社、1986年 朝日文庫)
- 続々 食べ物さん、ありがとう(川島四郎 1987年 朝日文庫)
- ドタンバの神頼み(1989年 光文社カッパ・ホームス、1999年 朝日文庫)
- 見たり、描いたり。(1995年 朝日新聞社)
- フジ三太郎旅日記(1994年 朝日新聞社、1997年 朝日文庫)
- パソコンの「パ」の字から(1998年 朝日新聞社・Paso増刊号)
- 人生いつも初体験(2002年 文藝春秋社)
- サトウサンペイの「操体法」入門(佐藤武 2004年 中央公論新社)
- イラスト提供
- 国弘正雄・サトウサンペイの英語はコワーイ!?(国弘正雄 1984年 パナ教育システム) - 連載広告を単行本化したもの。
- ゆきあいの空 アルツハイマー・パーキンソン老人看病記(池辺史生 1992年 朝日新聞社)
- 嘘ばっかりの「経済常識」(岩田規久男 1996年 講談社プラスアルファ文庫)
- みんなの健康(三省堂)
- リウマチとプール療法(橋本明、福原寿万子 1999年)
- 笑いの健康学(伊丹仁朗 1999年)
- 老楽笑歌 1集 - 3集(林あや子 2003年 - 2005年 保健同人社) - このうち2集は東海林さだお、砂川しげひさとともに公募作品の選者として参加。
- 遺伝子が喜ぶ長生きごはん(家森幸男 2010年 朝日文庫)
映像化作品
- 夕日くんシリーズ - 東宝の配給により実写映画化。主演はなべおさみ。
- フジ三太郎 - 1968年にTBS系で、1982年にテレビ朝日系でそれぞれテレビドラマ化。
- ドタンバのマナー - テレビアニメ化。1984年から1987年までフジテレビで放映。制作はエイケン。
- パソコンの「パ」の字から ウィンドウズMe対応版 - 使用方法について学習するための全3巻のVHS。東芝EMIファミリークラブ制作。
出演
出典・脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 サトウ サンペイ コトバンク(講談社 デジタル版日本人名大辞典プラス)
- ↑ 2.0 2.1 “芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). . 2013閲覧.
- ↑ 真実一郎『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y、2010年)
- ↑ 『現代日本人物辞典』(旺文社)
- ↑ 斉藤明美『家の履歴書 文化人・芸術家篇』(キネマ旬報社、2011年)p.38
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 寺光忠男『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』 毎日新聞社、1990年 pp.142-178「新聞漫画と正統ナンセンス」。同資料では生後1ヶ月で大阪に転居した、としている。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 真実一郎『あのサラリーマン漫画をもう一度』第2回「ユーモアとウィットと風刺~『フジ三太郎』と4コマ漫画の時代」 ハーバービジネスオンライン、2017年4月2日
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 『現代漫画』第1期8巻「サトウサンペイ集」筑摩書房、1969年 pp.305-314 佐藤忠男「作家と作品」、巻末奥付「著者略歴」。同資料では生後3ヶ月で大阪に転居した、としている。
- ↑ 9.0 9.1 サトウサンペイ『けっこうエーこといってるんですが』(新潮文庫版、1983年)pp.169-173
- ↑ 電子復刻フジ三太郎 昭和55年4月20日 J-CASTニュース 2015年4月20日
- ↑ 11.0 11.1 「サトウサンペイ」に一致する資料 国立国会図書館サーチ
外部リンク