マルコム・マクラーレン
マルコム・ロバート・アンドリュー・マクラーレン(Malcolm Robert Andrew McLaren、1946年1月22日 - 2010年4月8日)はイギリスのロックバンドのマネージャー、ファッションデザイナー、ミュージシャン、起業家。セックス・ピストルズおよびニューヨーク・ドールズの仕掛人として知られる。
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略歴
ロンドン出身。父のピート・マクラーレンはスコットランド人であり、マルコムが生まれた時にまだ10代であった。2歳の時に父が去った為、母方の祖母に育てられた。祖母の家はポルトガル系ユダヤ人の家系でダイアモンド・ディーラーをしており裕福な家庭であった。幼いころから祖母に「良いことをするのは退屈、悪いことをするのは良いことよ(つまり、悪いこと=退屈なこと)」と教わったという。マルコムの母親はロンドンで服飾の仕事をしている男性と再婚。継父と母親が所有していた服飾工場は、彼の基礎となった。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ卒業後、ファッションデザイナーとして活動することとなる。
パンク・カルチャー
1971年にヴィヴィアン・ウエストウッドとともに、フィフティーズ調ファッションのブティック「Let It Rock」を開店した。1974年に渡米した際にニューヨーク・ドールズを気に入り、マネージャーを務めるが、まもなくバンドは解散してしまう。しかしマクラーレンはこの時にニューヨークのアンダーグラウンドで勃興していたニューヨーク・パンクに強い影響を受ける。
帰英後、マクラーレンは「Let It Rock」の店名を「SEX」と変えてボンデージファッションを売り始め、さらにこの頃に関わっていたストランドというバンドをパンクのスタイルで売り出そうと考えた。バンドは新たにジョニー・ロットンらを加えてセックス・ピストルズと改名する。
セックス・ピストルズは1976年にEMIと契約し、デビュー。商業的、音楽的に肥大化した既存のロックへのアンチテーゼ、過激で反社会的なイメージ戦略で大成功を収める。これを機にパンク・ファッション、パンク・ロックはイギリスの若者に一大ブームを巻き起こした。
デビュー前のアダム&ジ・アンツのマネージメントも手がけ、バンドメンバーを引き抜いてバウ・ワウ・ワウを結成し、派手なファッション戦略を手がけた。
音楽活動
1983年からマルコム・マクラーレン名義でアルバムを発表。ヒップホップなど当時の先鋭的なサウンドを取り入れたり、クラシック音楽とダンスミュージックを融合したりと実験的な試みを聴かせた。
2010年4月8日、中皮腫(中皮細胞のがん)によりスイスにて永眠[1]。ロンドン北部のハイゲイト墓地に埋葬される。
ディスコグラフィー
- Duck Rock(en) (1983)
- Fans(en) (1984)
- Swamp Thing(en)(1985)
- Waltz Darling(en) (1989)
- Round the Outside, Round the Outsidee(1990)
- Paris(en)(1994)
- Tranquilize(2005)
- Shallow – Musical Paintings(2009)
関連項目
- ヤニー - "Aria"はマルコム・マクラーレンのコンセプトによって実現化した曲
- ワールド・フェイマス・シュプリーム・チーム(en) - Malcolm McLaren & The World's Famous Supreme Teamとして活動
参考文献
- ↑ “Former Sex Pistols manager Malcolm McLaren dies at 64”. BBC News (2010年4月9日). . 8 April 2010閲覧.