ダゴベルト1世
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ダゴベルト1世(Dagobert I, 603年 - 639年1月19日)は、メロヴィング朝の4代目の国王。クロタール2世の長男。
生涯
父のクロタール2世は613年にアウストラシアとブルグント王国の王位を手に入れ、フランク王国を統一[1]。ダゴベルトは623年に父によってアウストラシア王に任命された[2]。
629年に父が死去したため、ネウストリアとブルグントの王位を継承[3]。異母兄弟のカリベルト2世へはアキタニアを与えた。カリベルト2世は632年に死去、彼の息子キルペリクはダゴベルトの命令により暗殺された。ダゴベルトがアキタニア王位をも継承したが、間もなくアキタニアは大公の支配するところとなった[4]。
631年、スラヴ王であるサモ(Samo)の軍隊と戦ったが(ヴォガスティスブルクの戦い)、成果が得られず終わった[3]。
634年にシギベルト3世がアウストラシア分王国の王となり[5]、639年にダゴベルトが病のためサン=ドニ修道院で亡くなった時にクローヴィス2世が継承したのは、ネウストリアとブルグントの王位であった[5]。
聖ドニを讃え、サン=ドニ修道院を創立したり、ドイツで最も古い城とされている旧城(Altes Schloss)をメーアスブルクに築城した。
子女
ナンティルドとの間に以下の子女がいる。
- クロヴィス2世(637年 - 657/8年) - ネウストリア・ブルグント王(在位:639年 - 658年)
- レギントルード(Regintrud) - アギロルフィング家のバイエルン部族公テオドベルトと結婚
ナンティルドとは別の女性との間に以下の子女がいる。
- シギベルト3世(630年頃 - 658年) - アウストラシア王(在位:634年 - 658年)
脚注
参考文献
- 柴田三千雄 他 編『世界歴史大系 フランス史 1』山川出版社、1995年
- レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 白水社、2009年
関連項目
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