金森徳次郎
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金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年3月17日 - 1959年6月16日)は、日本の官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。
来歴・人物
愛知県名古屋市生まれ。愛知一中、旧制一高を経て、東京帝国大学法学部卒。高等文官試験行政科に合格し大蔵省に入省、税務監督局属兼大蔵属。
1914年、法制局に移り、法制局参事官、第一部長を歴任。この間、大学で法学、憲法学を講じ、『帝国憲法要説』等を著わした。1934年、岡田啓介内閣の法制局長官に就任するが、在任中に法制局長官就任以前の著作『帝国憲法要説』が天皇機関説的であるという理由で右翼勢力から攻撃を受け、1936年、辞任に追い込まれた。
戦後は貴族院勅選議員を経て吉田茂内閣の憲法担当国務大臣に就任。帝国議会における大日本帝国憲法の改正審議で、憲法に関する政府答弁を行った。特に有名な答弁としては国体についてのものがある。金森は国体を「天皇を憧れの中心として、心の繋がりを持って統合している国家」であると答弁した。これにより国体は変化していないということを強弁し国会を乗り切ることに成功した。
1948年、国立国会図書館の新設に際し、初代の館長に任命される。金森は晩年の11年間この職に在り、その間、日本図書館協会会長等の職を務め、憲法や読書に関する多くの著書を残した。なお、国立国会図書館東京本館の図書目録ホールに掲げられている「真理がわれらを自由にする」との書は、金森の揮毫による[1]。
1959年、国立国会図書館長を辞職した翌月に没した。
エコノミストの金森久雄、地震学者の金森博雄は息子。娘のあやの夫は宇宙物理学者・東大名誉教授の中村純二[2]。
栄典
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[3]
著書
- 『帝國憲法要綱』巖松堂書店 1921
- 『法學通論』巖松堂書店 1923
- 『日本憲法民主化の焦点』協同書房 1946
- 『憲法随想』美和書房 1947
- 『国会論』文寿堂出版部 1947
- 『新憲法に於ける基礎原則特に基本的人権』世界社 1948
- 『憲法のはなし』高山書院 青少年文化叢書 1949
- 『少年少女のための憲法のお話』吉沢廉三郎 等絵 世界社 1949
- 『新憲法』三省堂出版 社会科文庫 1949
- 『混沌堂雑記』万里閣 1951
- 『書物と人間』慶友社 1951
- 『書物の眼』慶友社 1953
- 『ひなた弁慶』聯合出版社 1953
- 『芽は萠え出でる 修徳雑話』警察新報社 1953
- 『読書と人生』河出新書 1955
- 『公務員の倫理について』学陽書房 1956
- 『憲法遺言』学陽書房 1959、新版1973
- 『春風接人 金森徳次郎遺稿』金森佐喜編 天地出版社 1960
- 『人を愛し国を愛する心』学陽書房 自衛隊教養文庫 1960
- 『憲法うらおもて』学陽書房 1962
- 『憲法を愛していますか 金森徳次郎憲法論集』鈴木正編 農山漁村文化協会 1997
- 『金森徳次郎著作集』全3巻、高見勝利編 慈学社出版 2013-2014
- 1.憲法遺言/憲法随想/憲法うらおもて/私の履歴書
- 2.日本憲法民主化の焦点/新憲法大観/新憲法の精神/国会論/公務員の倫理について/混沌堂雑記
- 3.新憲法の精神/憲法制定議会の前後 憲法改正と国民投票/憲法の前文 書物と人間/書物の眼/ひなた弁慶
- 『制定の立場で省みる日本国憲法入門 第二集』書肆心水 2013
共編著
- 『新憲法讀本』宮澤俊義,日本教育會共著 大一書房 1947
- 『日本政治百年史』山浦貫一共編 時事新報社 1953
- 『尾崎咢堂全集』編纂委員会委員長 公論社 1956
- 『中学社会科法典』和歌森太郎共編 大和文庫 1959
脚注
- ↑ “真理がわれらを自由にする”. 国立国会図書館. . 2018閲覧.
- ↑ 平山周吉「江藤淳は甦える」9『新潮45』2016年4月号
- ↑ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
外部リンク
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典拠レコード: