半ズボン

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ファイル:Boy in short pants.jpg
当時の半ズボンを着用した少年。股下は非常に短い。膝まであるハイソックスを合わせ、シャツの裾は中にたくし込むのが普通だった。ベルトは締めない

半ズボン(はんズボン)は、より丈の短いズボン[1]が5分丈未満)の総称である。類義語としてショートパンツハーフパンツ短パンなどがある。服飾業界でも、丈の長さや形態についての明確な定義は無い。

  1. 中世以来の欧州で着用されていた男性用の短いズボン→en:Breechesを参照
  2. イギリス領バミューダ諸島での利用が知られる膝丈のズボン→バミューダショーツを参照
  3. 1960年代から使用され始めた女性用の非常に丈の短いズボン→ホットパンツを参照
  4. 子供用の1〜2分丈のズボン。日本では1950年頃から1990年頃まで男児用として一般的だった。

ここでは4について詳述する。

子供服としての位置付け

中世以前のヨーロッパには、服装による身分の区別はあったが、大人と子供の服装の特別な違いはなかった。(大人と子供の区別自体が明確ではなかった。)[2]

大人と子供の服装による区別が始まったのは、身分制度の解体が始まった17世紀だった。当時の大人達は子供に大人とは異なる「可愛らしい」「元気なもの」という価値観をあてはめた。1925年ハンガリーで発表された児童文学『ほんとうの空色』の終章では主人公の少年が半ズボンを卒業し、夢多き少年時代と別れを告げる場面がある。フィリップ・アリエスは、「<子供>の誕生アンシャン・レジーム期の子供と家族生活」の中で「私たちはと言えば、今や遅くまで子供扱いされる恥ずかしさの象徴としての半ズボンを、実に長い間穿いていた。」とある。

永井荷風の「洋服論」には「ズボンは中学校に入り十五、六歳にいたるまで必(かならず)半ズボンなりき。(中略)長ズボンは小児の穿(うが)つべきものならずとて、予はいつも半ズボンなりしかば」とある。

イギリスの上流階級や貴族の習慣として、8歳ぐらいまでの男児には長ズボンを穿かせず、半ズボンを穿かせる風習がある[3]

普及から衰退までの経緯

既製品としての半ズボンの普及が始まったのは、1950年頃である。当時は地位が高かった百貨店が、子供服として半ズボンの販売を開始し、都市部を中心に普段着として広まった[4]

バブル期に、日本の子供ファッションは海外トレンドの影響を受けた。これらは丈長で出揃っており、日本のトレンドも追随することになった[5]1993年にファッショントレンドの変化に追随した衣料業界がハーフパンツを投入し、代わりに半ズボンの売場面積を縮小する動きがあった。

サッカーバスケットボールの影響からハーフパンツの人気があがったため、また下着をブリーフからボクサーブリーフトランクスにかえる男子が増加し、短い丈の半ズボンだと下着がはみ出すという理由から短い半ズボンが避けられるようになった。これに伴い小学校の制服の半ズボンも、裾が太腿の半ばもしくは膝丈の半ズボンが主流になった。

学校も体育服にハーフパンツを採用しつつあった。これは女児の標準的体操着であったブルマーが嫌われたことに関連し、男女の体操着共通化の結果であるといえる。 1970年代には、既にバーミューダショーツタイプのズボンが現れていたが、爆発的な普及を見ることはなかった。2000年代後半時期より、女児向けの衣類として事実上半ズボンと同型のショートパンツ(通称ショーパン)が普及している。

衣料品としての特徴

ファイル:Suspendershortpants.jpg
吊り紐付きの半ズボン。普通は吊り半ズボンは未就学児を対象とした幼児服であるが、かつては式典等の正装として小学校高学年の児童が着用する事もあった。また一部の私立小学校や合唱団では制服として採用していた。今日では幼稚園の制服としてよく見られる。

一般的な半ズボンは、裾の長さは股下数cm程度で体の線にぴたりと合うデザインになっており、色調は青色や黒色や茶色などの地味な色が多いが、低学年用としては黄色や赤色など派手なものもある。男児用の半ズボンは女児用と違い無地で装飾はほとんどなく、せいぜいブランドのロゴが縫い付けられている程度だが、式服や制服では格子柄などの物もある。成長に対応するため背中部分にゴムが入っていたり、名前を記入するラベルが縫い付けられていることが子供服としての特徴である。そのほかに、小学生中学年までを対象にした吊りベルト付きの吊り半ズボンや、胸当てと吊り紐の付いたショートオーバーオールまたはサロペット半ズボンも存在した。

制服または私服としての使用実態

小学校の制服

国立および私立の小学校では、伝統的に折襟またはイートンジャケット学童服に半ズボンという組み合わせの制服が多数見られる。また東京都内、近畿地方、北陸、中国、四国、南九州地方等では、一部の公立小学校の指定標準服として採用されている例もある。珍しい例としては、創価小学校では校内服として登校後に着用するデニム半ズボンがあった。星美学園小学校では男子には6年生まで吊り半ズボンの制服を着用させていた。タイツや長靴下を制服として強制している学校もあった。今日では私立小学校でも当時のような丈の短い半ズボンは殆ど見られず、3分丈や膝丈のものが主流である。

中学校の制服

1980年代以前は私立中学の中には、半ズボンを制服として採用していた例がある。新制中学は戦前の高等小学校に一部相当するため、小学生同等に見なされていたためであろう。制度は学校によって差があり、1年生にのみ半ズボンを穿かせていたり、夏服は全学年ともに半ズボンであったり、また3年生まで通年で半ズボンの着用が強制される場合など、様々であった。自由学園中等科では1985年頃まで男子の制服は3年生まで半ズボンだった、慶應義塾中等部では1960年まで1年生(通年)および2年生(2学期まで)の制服は半ズボンだった。

少年団や合唱団の制服

少年団や合唱団では小学生の団員には半ズボンの制服を設定しているのが一般的であった。ボーイスカウトでは半ズボンの制服を着るのは年少の団員に限られる。合唱団は欧米の上流階級の子供服が原型になっており、ダブルジャケットやブレザーにネクタイと半ズボンと革靴など、格調の高い服装が多い。一部の児童合唱団では、男子にもセーラー服と半ズボンの制服を採用していたり、また、もともと小学校高学年以上の男子の割合は少ないこともあって、声変わりして退団するまでは年齢に関係なく中学生でも小学生と同じく半ズボンの制服を着用させていた。

テレビ番組の登場人物の服装

1969年に『ケンちゃんシリーズ』の放映、『ドラえもん』連載が始まる。これらの少年向けドラママンガの主人公(ケンイチ・ケンジ、野比のび太)は、半ズボン姿だった。1988年に放送された「じゃあまん探偵団 魔隣組」でも子役の男の子達の多くが半ズボンを穿いて登場する。主人公の一人である磯崎洋介は当時中学生だったが半ズボンを着用している。1987年に放送された『ママはアイドル!』でも、中学生だった大原和彦が小学生役ということで半ズボンを着用して出演している。男の子なら半ズボンを穿くのが当然であるという風潮がうかがえる。平成時代では、2006年度下半期のNHK連続テレビ小説の『芋たこなんきん』には、昭和の時代を舞台にした場面があり、子役の服装も当時の風俗にあわせて半ズボンである。昭和時代を回想する場面では男の子には半ズボンを穿かせている。

外出着や正装

年代によって差異は大きいが、昭和時代は家族旅行やデパートやレストランに行く時は、着飾ったお洒落な服装をすることが多く、子供の服装も普段着とは異なるよそ行きの外出着を使用した。男児の場合は、ブレザーやベストに半ズボンという服装で、タイツやハイソックスを合わせて、革靴を穿いた。式典や発表会などでも、黒色の半ズボンに白のタイツが男児の正装の一つであった。

冬季の半ズボンの着用

半ズボンは、基本的にはからにかけての衣装だが、半ズボン全盛期はも半ズボン姿で脚を露出していた男子児童も温暖な西日本を中心に多く見られた。 制服または標準服小学校のほとんどは冬も半ズボンを穿かせていた。そのため、上はジャンパー・セーターにマフラーなど厚着なのに、下は半ズボンにハイソックスやストッキングという格好の男子児童が冬場に多く見られた。

制服の無い公立学校の場合でも、半ズボンで心身鍛練という目的(子供は風の子という言葉がある)で冬でも長ズボンの着用を禁止した小学校もある(親指よりも短い半ズボンに限るというきまりがあるところもあった)。一律に半ズボンを穿かせていた理由には管理教育的な思想が要因の一つとして挙げられる。真冬に子供を薄着で過ごさせることを肯定的に捉える考え方が存在するが、外国人の目から見ればこれは奇異なことであり、海外では虐待として解釈される恐れがある。

中学生による半ズボンの着用

一般的には半ズボンは、園児から小学生向けの男児服とされることが多く、小学校を卒業すると同時に半ズボンを穿かなくなる男子も多かった。しかし時代や地域によっては、半ズボンは都市部のお洒落なファッションという受け取り方をされる場合もあった。また、小柄な男子の中には子供扱いされて中学生になっても半ズボンを着用している者もおり、また夏場の暑さを凌ぐため半ズボンに戻す場合もあった。

衣料品店の子供服売り場では小学生用と中学生用の半ズボンとが区別されずに陳列されており、14歳から16歳程度を対象とした160㎝サイズの半ズボンも市販されていた。また、百貨店などでは中学生用としてデザイン重視の半ズボンが売られており、ブランド物の高価なジーンズを扱う専門店でも少年用サイズのデニム半ズボンが販売されていた。

教育や躾の手段として

身だしなみを守る習慣をつけさせるため、生徒に吊り半ズボンを穿かせて、上着の裾の食み出しなどの服装の乱れを防止したり、半ズボンが子供らしさの象徴であることから、制服を半ズボンにすることにより生徒に「自分はまだ子供だ」という認識を持たせ、非行防止につなげるという考え方がある。荒れた学校の環境を改善する目的として半ズボンの校内服を導入し、生徒の登校後は長ズボンを没収し半ズボンに着替えさせて授業を受けさせていた事例がある。

家庭での教育方針として、中学生の子供がファッションにこだわるのは早いという考えがあり、それを予防するため、または品行正しい生活を送らせる事を目的として、半ズボンを穿かされていた男子がいる。半ズボンを穿いていると小学生の扱いをされる事が多く、不良生徒との付き合いを防止したり、ゲームセンターなどの遊戯施設の入場ができなかったり、また夜遊びで補導される可能性が高くなるためである。また悪い事をした子供への罰やお仕置きとして、学校以外への外出禁止やゲーム機の没収と並んで、服装を半ズボンのみに制限することも一つの手段としてあった。単に古びた服を着せられているだけではなく、聞き分けのない幼い子供と同じような服装をさせられているという精神的な恥ずかしさや、周囲の他人からも悪い事をして罰を受けている事がばれるという躾の効果がある。

その他

  • 当時の少年達の全てが自発的に半ズボンを穿いていた訳ではなく、学校などから強制させられていたという面もある。例えば、元子役の宮脇健は、6年生にもなって半ズボンを穿かされるのが嫌だったという意味の言葉を自叙伝で書いている。
  • 普通半ズボンは小学生が穿いている事が多いので、中学生が電車料金や映画の入場料をごまかすために意図的に半ズボンを穿き子供料金で利用したという例がある。
  • 学校の体操服としてはナイロン生地の短パンが採用されている場合が多いが、綿生地で前をファスナーとボタンで閉じるタイプの短パンもあり、テニス部や卓球部などのユニフォームとして採用されている。
  • 日本新聞販売協会などの主催によって「新聞を配る少年像」が日本各地に設置されているが、その少年像の多くが半ズボンを着用した姿である[6]

ドイツの伝統的な男児服

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少年用の裾の短いレーダーホーゼン。吊り紐と前開きが特徴的である。

ドイツにはレーダーホーゼン(en:Lederhosen)と呼ばれる民族服がある。これは皮製の膝丈ぐらいの半ズボンである。子供用のものは特に裾が短くなっている。昔のドイツでは男の子は16歳ぐらいまでこのようなレーダーホーゼンを着用していた。吊り紐や前面部の覆いが特徴的であるが、子供用のレーダーホーゼンには刺繍による装飾は無いのが普通である。今日でも、ドイツやフランスのボーイスカウトでは、正式な制服ではないものの、様々な形態のレーダーホーゼンが使用されている。レーダーホーゼンは1930年代から1970年代にかけてオーストリアの男児服としても着用された。現在ではビアガーデンやZeltfestなどイベントや特別な日に使用される。

脚注

  1. 大辞林
  2. 「現代児童文学が語るもの」NHKブックス 宮川健郎
  3. 知ってた?ジョージ王子が半ズボンしか履かない理由www.cosmopolitan-jp.com
  4. 朝日新聞2005年7月30日
  5. 読売テレビ・ニューススクランブル2007年5月4日
  6. 日本新聞販売協会

関連項目