「アルバ王国」の版間の差分
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アルバ王国またはアラパ王国(現代ゲール語表記:Alba、古ゲール語表記:Albu)は、6世紀ごろピクト人によって成立したといわれる、スコットランド王国成立の母体となった政権である。スコットランド・ゲール語では現在でもAlbaがスコットランドを意味している。
9世紀にケネス1世(ケネス・マカルピン)によってダルリアダ王国と合併したと伝えられる。
ダルリアダ国王ケネス・マカルピンによってアルバ(アラパ)王国が征服されたという伝承があるが、これは定かでなく、婚姻によって統合されたとする説、アルバ(アラパ)王国がダルリアダ王国を征服して統一されたとする説などがあり、統一された見解は未だみられない。いずれにせよ両国は合併し、アルバ(アラパ)王国を名乗り、東岸地域のスクーンに首都がおかれた。
11世紀初頭、ダンカン1世の時代に南のストラスクライド王国を組み込み、北部を除くスコットランド全域を影響下においた。このころからアルバ(アラパ)はスコーシア王国、やがてスコットランド王国と呼ばれるようになった。
北方のオークニー諸島、ケイスネス、サザランドは依然ヴァイキング系ノース人の勢力に支配されており、これをスコットランド王家が包含するのは15世紀のことになる。