アイルランド自由国
アイルランド自由国(アイルランドじゆうこく、アイルランド語: Saorstát Éireann、英語: Irish Free State)は、1922年にアイルランド島32州のうちの南部26州がイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)より分離して成立した立憲君主制国家である。
概要
19世紀後半より、アイルランドではイギリスからの独立・自治を求める運動が激しくなった。一方、アルスター地方を中心としてイギリスとの連合を維持しようとする勢力もあり、両者の衝突が続いた。1912年、アイルランド自治法案がイギリス下院に提出され、1914年9月に法案が成立したが、第一次世界大戦の開始とともに自治は凍結された。1916年の復活祭に独立派が「アイルランド共和国樹立」を宣言し、武装蜂起した(イースター蜂起)。この「反乱」はまもなく鎮圧されたが、1918年の総選挙でシン・フェイン党が勝利し、1919年にアイルランド共和国独立が宣言されアイルランド独立戦争が起こった。1921年、独立派とイギリスは英愛条約を結び、南部26州(南アイルランド)はイギリス国王を元首とする自治領(ドミニオン)アイルランド自由国として分離した。
アイルランド自由国の分離にともない、イギリスは1927年に「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」へと国号を改めた。また国王ジョージ5世も同年、王号を
- グレートブリテンおよびアイルランド連合王国およびイギリス海外自治領の国王
- (of the United Kingdom of Great Britain and Ireland and of the British Dominions beyond the Seas King)
から
- グレートブリテン、アイルランドおよびイギリス海外自治領の国王
- (of Great Britain, Ireland and the British Dominions beyond the Seas King)
に改めた。
1931年、ウェストミンスター憲章の制定により、イギリスと同格の独立国(英連邦王国)として規定された。しかし、その後もイギリスからの影響力排除を目指す動きは止まらず、1936年のエドワード8世の退位および弟のジョージ6世への譲位に際して各王国ごとの憲法改訂の必要が生じた機会が利用された。1937年にはそれまでのアイルランド自由国憲法に代わるアイルランド憲法が公布され、国名をアイルランド(エール)と改称し、イギリス王冠に関する憲法上の言及を削除した。一方で対外的には国王がアイルランドを代表し続けたため、この期間の体制が共和制であるか君主制であるかは曖昧である。第二次世界大戦後の1949年にはアイルランド共和国法の施行により共和制が明文化され、イギリス連邦も離脱した。