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スイッチピッチャー (switch thrower, ambidextrous pitcher) は、野球において、左右両方の腕でボールを投げる事ができるピッチャーの事。
Contents
概説
現在までの所、メジャーリーグ史上では19世紀に4人(トニー・マレーン、ラリー・コーコラン、エルトン・チェンバレン、ジョージ・ウィーラー)、1901年以降では2人(グレッグ・ハリス、パット・ベンディット)しか公式戦での登板が記録されていない、非常に稀な選手である。19世紀のメジャーリーグでスイッチピッチャーが何人か登場した背景には、当時試合でグラブをつけずに投球していた投手が相当数いたことがある。
日本プロ野球では公式戦で左右投げが披露されたことはない。両投げ投手として登録されたのは近田豊年(南海・ダイエー→阪神)だけであるが、近田の右投げは実際の試合で通用する水準ではなく、公式戦では左でしか投げなかった。近田以外にもダルビッシュ有など左右両方で投球できる選手は過去数名存在したが、いずれも登録上は両投げとなっておらず、「反対側の腕」で投球したという公式記録もない。なお投手以外では、外野手の小久保浩樹(西武)が両投げとして選手登録された例がある。
日本では2010年に改正されたルールにより、スイッチピッチャーは、投げない方の手にグラブをはめることで、左右どちらで投げるかを明確にする事が義務付けられた。また原則として一人の打者との対戦中は投げる手を変えてはならないことが規定された。
高校野球等のアマチュア選手では、現在も時折新聞等で話題になる事がある。使用するグラブは左右両方の手にはめられるような特殊な構造(親指を入れる部分が両側にある6本指の形状)のものになる。
漫画の世界では左右投げ投手が稀に登場する。漫画家の水島新司は「左右投げは一番の夢」と発言していた。
主な選手
日本プロ野球
- 吉成昭三:一軍登板はなく、登録も右投げだった。
- 野崎進:同じく一軍登板はなく、登録も右投げだった。
- 近田豊年:日本プロ野球で初めて登録されたスイッチピッチャー。ただし一軍では1試合に登板したのみで、この登板では左投げでのみプレーしており、公式戦で両手投げを披露することはなかった。
アメリカ合衆国(メジャーリーグ/マイナーリーグ)
- ラリー・コーコラン:1880 - 1887年に活躍。通算177勝89敗、無安打試合を3度記録している。
- トニー・マレーン:1881 - 1894年に活躍。通算284勝220敗。
- エルトン・チェンバレン:1886 - 1896年に活躍。通算157勝120敗。「アイスボックス」のニックネームを持つ。
- バート・キャンパネリス:1962年8月13日、フロリダステートリーグで左右投げを披露した。メジャーでは遊撃手だった。
- グレッグ・ハリス:1981 - 1995年に活躍。703試合に登板、74勝90敗、防御率3.69。スイッチヒッターでもある。
- パット・ベンディット:イタリア代表。2008年にヤンキース傘下入団。2015年6月メジャー昇格[1]。
日本のアマチュア野球
- 赤塚瑞樹:元々は右投であったが、父親の勧めで両投げを修得。スイッチヒッターでもある。
- 水本弦:大阪桐蔭高校卒。藤浪晋太郎、澤田圭佑、森友哉らとともに春夏連覇を成し遂げた時の主将。2年生の夏までは右投げであったが、2年生の秋から左投げ。選手登録も両投げ左打ち。高校卒業後、亜細亜大学、東邦ガスでは外野手だが、両投げ登録。
- 武沢龍矢:小学生時代に利き腕の右肘を骨折し漫画『MAJOR』の影響を受けて左投げに挑戦する[2]。
- 工藤大輔:元々は右投げ右打ち。小学生時代に左投げ、中学生時代に左打ちも挑戦して両投げ両打ちになる[3]
他、海外選手
- エサウ・マドリガル・タピア:野球メキシコ代表選手。プレミア12の日本戦やアメリカ戦で登板[4][5]。
- ジュランジェロ・シエンチェ:[6]。
架空の野球選手
- 堂島剛(エースの条件)
- 網走(アパッチ野球軍)
- 木下次郎(ドカベン)
- 荒木新太郎(ダントツ)
- 久鬼(球道くん)
- 近藤勇二(大甲子園)
- 先斗三十郎(大甲子園)
- 野中ゆたか(風光る)
- 三原心平(ストッパー)
- 山下たろー(県立海空高校野球部員山下たろーくん)
- 高木(県立海空高校野球部員山下たろーくん)
- 小沢亜穂(ストライプブルー)
- 七嶋裕之(砂の栄冠)
この他、厳密な意味でのスイッチピッチャーではないが『巨人の星』の主人公・星飛雄馬は左の肩、『MAJOR』の主人公・茂野吾郎は右の肩を故障をして一旦、選手生命を絶たれた後に星は右投手・茂野は左投手として現役復帰している。
関連エピソード
- 1995年9月28日、対シンシナティ・レッズ戦でモントリオール・エクスポズ所属のグレッグ・ハリスが、近代メジャーリーグ公式記録上初めてマウンド上で投球に使う腕を変えた。3対9のビハインドで迎えた9回に右ピッチャーとして登板。最初の右打者のレジー・サンダースをショートゴロに打ち取った。そして投球を左腕に変えて続く左打者、ハル・モリスとエディ・トーベンシーと対面。ハル・モリスに対してはフォアボール、エド・トーベンシーはピッチャーゴロに打ち取り、最後は再び右腕に戻してブレット・ブーンをピッチャーゴロに打ち取り、ゲームを締めた。この時ハリスは左右どちらにもはめることができる「6本指のグラブ」をして登板し、当のグラブは試合後アメリカ野球殿堂に送られた。
- シカゴ・ホワイトソックスとボルティモア・オリオールズで監督を務めたポール・リチャーズも高校時代はスイッチピッチャーとして登板した経験があり、スイッチヒッターと対戦した際にはお互い打席と投げる腕を決められずに揉めたと言う。
- 2008年6月20日、マイナーリーグの試合で、スイッチピッチャーのパット・ベンディットとスイッチヒッターのラルフ・エンリケが対戦し、お互い打席と投球する腕が決められずにもめるという事件が起きた[7]。最終的には球審がエンリケに先に打席を選ぶよう指示し、右打席対右投げの対決となった。結果は三振。
脚注
- ↑ “20年ぶりに両手投げ投手がメジャー登場!「実力で昇格」”. The page. (2015年6月6日) . 2015年6月7日閲覧.
- ↑ 東海大北海道、初の4強 両投げ武沢が全国初登板
- ↑ 鶴岡東・工藤大輔の「4つのグラブ」。両投げ両打ちは、甲子園で“卒業”。
- ↑ 侍日本3位 5発コールド勝ち/プレミア12詳細
- ↑ メキシコの両投げ・マドリガル、左腕で打者2人と対戦/プレミア12
- ↑ 全米で話題!両投げ両打ちリトルリーガーを直撃
- ↑ “Ambidextrous Pat Venditte confuses hitters”. mlb.com. (2008年6月20日)