「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の版間の差分

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(ページの作成:「 ローマ・カトリック東方正教アングリカンおよびおもなプロテスタント諸教会がそろって受入れている唯一の…」)
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'''ニカイア・コンスタンチノポリス信条'''(ニケア・コンスタンティノープル信条)は、キリスト教会の宗教的会議([[公会議]])である[[第1回コンスタンティノポリス公会議]]([[381年]])で定められた信条(信仰告白)である。[[第1回ニカイア公会議]]([[325年]])で定められた[[ニカイア信条|ニカイア信条(原ニケア信条)]]と区別するため、この語を用いる。ただし教会によってはニケア信条の名をもってニカイア・コンスタンティノポリス信条を指すことがある([[日本基督教団改革長老教会協議会]]など)。
 
  
[[日本ハリストス正教会]]では、これを単に「'''信経'''」あるいは「ニケア・コンスタンティノープル信経」と呼ぶ。
+
[[ローマ・カトリック]],[[東方正教]],[[アングリカン]]およびおもな[[プロテスタント]]諸教会がそろって受入れている唯一のキリスト教信仰告白。
  
今日、この信条を認め礼拝に用いる教派は、[[カトリック教会]]・[[正教会]](東西のキリスト教会が[[1054年]]に分裂、西が「カトリック教会」、東が「正教会」となる)、[[カルケドン公会議]]などでそれ以前に分離した[[東方諸教会]]や、[[聖公会]]を含む大半の[[プロテスタント]]教会である。ただし、[[東方教会]]と[[西方教会]]は聖霊(聖神)が御父なる神のみから出るか、御子なるキリストからも出るかの解釈が異なる([[フィリオクェ問題]])ため、すべての教派で同一のものを用いるわけではない。また、教義上問題とされることはないが、ラテン語のもの、さらにこれに準拠して西方教会系の教派で使われる版には、ギリシア語の原文にはない句「神よりの神」が挿入されている。
+
20世紀初期まで,325年のニカイア公会議で公布されたニカイア信条が,第1回コンスタンチノープル公会議 (381) で増補されたものとされていたが,その後の資料発見で,ニカイア信条とは独立の洗礼用信条をもとにコンスタンチノープル公会議で発布されたものとみなされるようになった。原文はギリシア語で,聖餐式では東西両教会が用い,東方教会ではさらに洗礼に際しても用いられている。ニカイア信条ともコンスタンチノープル信条とも略称される。なお聖霊の発出に関して「父より」とあったものに6世紀頃スペインで「そして子より」 filioqueの語が付加され,11世紀にこれが教皇庁より公認された。東方諸教会のみはこの付加を神学的に誤りであるとして認めず,東西教会間の争点の1つとなった。
 
 
またカトリックでもほとんどの教会では現地語の翻訳を用いるため、翻訳に教派独自の解釈が反映される場合もある。
 
 
 
== 本文 ==
 
=== ギリシャ語 ===
 
{{quotation|
 
<poem {{lang属性|el}}>
 
Πιστεύω είς ενα Θεόν, Πατέρα, παντοκράτορα, ποιητήν ουρανού καί γής, ορατών τε πάντων καί αοράτων.
 
 
 
Καί είς ενα Κύριον, Ίησούν Χριστόν, τόν Υιόν του Θεού τόν μονογενή, τόν εκ του Πατρός γεννηθέντα πρό πάντων τών αιώνων.Θεόν εκ Θεόυ, φώς εκ φωτός, Θεόν αληθινόν εκ Θεού αληθινού γεννηθέντα, ού ποιηθέντα, ομοούσιον τώ Πατρί, δι’ ού τά πάντα εγένετο. Τόν δι’ ημάς τούς ανθρώπους καί διά τήν ημετέραν σωτηρίαν κατελθόντα εκ τών ουρανών καί σαρκωθέντα εκ Πνεύματος ‘Αγίου καί Μαρίας τής Παρθένου καί ενανθρωπήσαντα. Σταυρωθέντα τε υπέρ ημών επί Ποντίου Πιλάτου καί παθόντα καί ταφέντα.
 
 
 
Καί αναστάντα τή τρίτη ημέρα κατά τάς Γραφάς.
 
 
 
Καί ανελθόντα είς τούς ουρανούς καί καθεζόμενον εκ δεξιών τού Πατρός.
 
 
 
Καί πάλιν ερχόμενον μετά δόξης κρίναι ζώντας καί νεκρούς, ού τής βασιλείας ουκ εσται τέλος.
 
 
 
Καί είς τό Πνεύμα τό ¨Αγιον, τό Κύριον, τό ζωοποιόν, τό εκ τού Πατρός εκπορευόμενον, τό σύν Πατρί καί Υιώ συμπροσκυνούμενον καί συνδοξαζόμενον, τό λαλήσαν διά τών Προφητών.
 
 
 
Είς μίαν, αγίαν, καθολικήν καί αποστολικήν Έκκλησίαν. ‘Ομολογώ εν βάπτισμα είς άφεσιν αμαρτιών. Προσδοκώ ανάστασιν νεκρών. Καί ζωήν τού μέλλοντος αιώνος.
 
 
 
Άμήν.
 
</poem>
 
}}
 
 
 
=== ラテン語 ===
 
{{quotation|
 
<poem {{lang属性|la}}>
 
Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.
 
 
 
Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula. ''Deum de Deo'', Lumen de Lumine, Deum verum de Deo vero, genitum non factum, consubstantialem Patri; per quem omnia facta sunt. Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de caelis. Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est. Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est, et resurrexit tertia die, secundum Scripturas, et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Patris. Et iterum venturus est cum gloria, iudicare vivos et mortuos, cuius regni non erit finis.
 
 
 
Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre (''Filioque'') procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi. Amen.
 
</poem>
 
}}
 
 
 
注:斜体部分はギリシア語原文に対応する個所をもたない部分。
 
 
 
=== 日本語 ===
 
キリスト教全教派に共通の日本語訳は存在しない。いくつかの訳が存在し、[[カトリック教会]]、[[日本ハリストス正教会]]、[[日本聖公会]]、東京基督教研究所、[[日本基督教団改革長老教会協議会]]教会研究所などが独自の翻訳を作っている。日本ハリストス正教会を除いては、定本に西方に流布するもの(ラテン語版に遡るもの)を使用している。
 
 
 
==== 西方教会 ====
 
===== カトリック教会で使用される訳文 =====
 
{{quotation|1=
 
<poem>
 
わたしは信じます。唯一の神、
 
全能の父、
 
天と地、
 
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
 
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
 
主は神のひとり子、
 
すべてに先立って父より生まれ、
 
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
 
造られることなく生まれ、父と一体。
 
すべては主によって造られました。
 
主は、わたしたち人類のため、
 
わたしたちの救いのために天からくだり、
 
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
 
人となられました。
 
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
 
苦しみを受け、葬られ、
 
聖書にあるとおり三日目に[[復活 (キリスト教)|復活]]し、
 
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
 
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
 
その国は終わることがありません。
 
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
 
聖霊は、父と子から出て、
 
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
 
また預言者をとおして語られました。
 
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
 
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
 
死者の[[復活 (キリスト教)|復活]]と
 
来世のいのちを待ち望みます。
 
アーメン。
 
</poem>
 
|2=2004年2月18日 [http://www.cbcj.catholic.jp/ 日本カトリック司教協議会]認可}}
 
<!--以上の方は本当にカトリック教会に使われている。これではないと、「カトリック教会で使用される」と言わない方が良い。-->
 
 
 
===== 日本聖公会の訳文 =====
 
{{quotation|
 
<poem>
 
わたしたちは、唯一の神、全能の父、天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます。
 
また、世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です。すべてのものは主によって造られました。主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、聖霊によっておとめマリヤから肉体を受け、人となり、ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座しておられます。また、生きている人と死んだ人とを審くため、栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。
 
また、主なる聖霊を信じます。聖霊は命の与え主、父と子から出られ、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主です。また、使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます アーメン
 
</poem>}}
 
 
 
{{quotation|1=
 
'''ニケヤ信経'''
 
<poem>
 
我は唯一の神・全能の父・天地とすべて見ゆる物と見えざる物の造り主を信ず
 
我は唯一の主イエス=キリストを信ず。主はよろず世の先に、父より生まれたるひとりの御子、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずして生まれ、父と一体なり。よろずのもの主によりて造られたり。主はわれら人類のため、また我らを救わんがために、天よりくだり、聖霊によりておとめマリヤより肉体を受け、人性をとり、我らのためにポンテオ=ピラトのとき、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にかないて三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座したまえり。また栄光をもって再びきたり、生ける人と死ねる人をさばきたまわん。その国は終わることなし
 
我は聖霊を信ず。聖霊は命を与うる主、父と子よりいで、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によりて語りたまいし主なり。我は使徒たちよりの唯一の聖公会を信ず。罪の赦しをうる唯一の洗礼を信認す。死にし人のよみがえりと来世の命をのぞむ
 
アーメン
 
</poem>
 
|2=『日本聖公会祈祷書(1959年版)』より<ref>『救主降生1959年改定 日本聖公会祈祷書』(昭和34年11月30日 日本聖公会管区事務所発行、)</ref>}}
 
 
 
==== 東方教会 ====
 
===== 日本正教会の訳文・聖書参照箇所 =====
 
以下、[[日本正教会]]における信経の全文<ref>引用元:[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/shinkou01.html 信仰-信経:日本正教会 The Orthodox Church in Japan]、漢字の読みは[[時課経]]による。</ref>を、各条につき参照される[[聖書]]の箇所を示しつつ引用する<ref>聖書箇所参照:[http://www.holy-trinity-church.org/index.php?option=com_content&task=view&id=68&Itemid=129 Holy Trinity Orthodox Church - The Creed of the Church as Supported in Holy Scripture]</ref>。
 
 
 
{| style="width:90%"
 
|-
 
| style="width:45%; text-align:center; background-color:#9ff" | 信経本文
 
| style="width:55%; text-align:center; background-color:#cff" | 聖書参照箇所
 
|-
 
| style="text-align:left" | 我、信ず、一《ひとつ》の神・父《かみ・ちち》、全能者、
 
| style="text-align:left" | <small>([[創世記]] 17:1 - 8、[[申命記]] 6:4、[[マタイによる福音書|マトフェイ福音]] 6:9)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 天と地、見ゆると見えざる万物を造りし主を。
 
| style="text-align:left" | <small>([[創世記]] 1:1 - 31、[[ヨブ記]] 38:1 - 30、[[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]] 1:15 - 16、[[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 1:3)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 又、信ず、一の主[[イイスス・ハリストス]]、
 
| style="text-align:left" | <small>([[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 20:28、[[使徒言行録|行實]] 16:31、[[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 3:16)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 神の独生《どくせい》の子、
 
| style="text-align:left" | <small>([[聖詠]] 2:7、[[マタイによる福音書|マトフェイ福音]] 3:17、[[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 1:1)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 万世《よろずよ》の前《さき》に父より生まれ、
 
| style="text-align:left" | <small>([[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 1:1-2、同 8:58、[[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]] 1:15 - 17<ref group="注釈" name="col">参照元では1:16となっているが、[[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]] 1:16は天地創造の際の神子(かみこ:子なる神)の働きに言及している部分であり、1:15と1:17が「万物より先」について言及している部分である。従ってここでは1:15 - 17とした。[[:en:Orthodox Study Bible|Orthodox Study Bible]] ([[正教会|正教]]聖書註解) , 2008 では、[[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]] 1:15において「万物の先」についての説明が付けられている。</ref>、 [[フィリピの信徒への手紙|フィリッピ書]] 2:6)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 光よりの光、
 
| style="text-align:left" | <small>([[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 1:1-9)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 真《まこと》の神よりの真《まこと》の神、
 
| style="text-align:left" | <small>([[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 16:27-28; 同 1:1-2)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 生まれし者にて造られしに非ず、
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 1:1-2, 16:28)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 父と一体にして、
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 14:10-11, 17:22-23)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 万物、彼に造られ 
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 1:3-10, [[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]] 1:16)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 我等人々の為、又我等の救いの為《ため》に
 
| style="text-align:left" | <small>([[ルカによる福音書|ルカ福音]] 2:30; [[ヨハネによる福音書|イオアン福音]] 3:16; [[ヨハネの手紙一|イオアン第一公書]] 4:14; [[テモテへの手紙一|ティモフェイ前書]] 2:5-6)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 天より降り
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 3:13, 31、同 6:12-38)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | [[聖霊|聖神゜]]《せいしん》及び
 
| style="text-align:left" | <small>(ルカ福音 1:35)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | [[生神女|童貞女マリヤ]]より身を取り
 
| style="text-align:left" | <small>([[イザヤ書|イサイヤ]] 7:14、ルカ福音 1:35-46)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 人と為《な》り
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 1:14、フィリッピ書 2:6-8、[[ヘブライ人への手紙|エウレイ書]] 2:14-17)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 我等の為《ため》に[[ピラト|ポンティイピラト]]の時、[[十字架]]に釘うたれ
 
| style="text-align:left" | <small>(マトフェイ福音 27:24-31 )</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 苦しみを受け葬られ
 
| style="text-align:left" | <small>([[マルコによる福音書|マルコ福音]] 15:16-46)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 第三日に聖書に叶《かな》うて[[復活 (キリスト教)|復活]]し
 
| style="text-align:left" | <small>([[コリントの信徒への手紙一|コリンフ前書]] 15:3-4、ルカ福音 24:1-12、マトフェイ福音 12:38-40、マトフェイ福音 28:1-8、マルコ福音 16:16-19)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 天に升《のぼ》り
 
| style="text-align:left" | <small>(ルカ福音 24:50-53、マルコ福音 16:16-19)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 父の右に坐《ざ》し
 
| style="text-align:left" | <small>([[ローマの信徒への手紙|ロマ書]] 8:34、[[エフェソの信徒への手紙|エフェス書]] 1:20)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 光栄を顕《あら》わして
 
| style="text-align:left" | <small>([[聖詠]] 72:9-19; イサイヤ 40:5)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 生ける者と死せし者を審判する為《ため》に還《ま》た来り
 
| style="text-align:left" | <small>([[ヨハネの黙示録|黙示録]] 20:11-15、[[使徒行伝|聖使徒行實]] 10:42)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | その国、終りなからん、を
 
| style="text-align:left" | <small>([[聖詠]] 145:13、イオアン福音 3:16、同 6:40-47)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 又、信ず、[[聖霊|聖神゜]]《せいしん》、主、
 
| style="text-align:left" | <small>([[創世記]] 1:2、マトフェイ福音 3:16、聖使徒行實 2:1-4)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 生命《いのち》を施す者、
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 15:26、イオアン福音 14:16-17、ロマ書 8:2、[[ガラテヤの信徒への手紙|ガラティヤ書]] 6:8)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 父より出で、
 
| style="text-align:left" | <small>(イオアン福音 15:26)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 父及び子と共に拝まれ讃められ、
 
| style="text-align:left" | <small>(ルカ福音 10:22、マトフェイ福音 3:17、イオアン福音 4:24)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 預言者を以《もっ》てかつて言いし、を
 
| style="text-align:left" | <small>(聖使徒行實 2 17:18、[[ペトロの手紙二|ペトル後公書]] 1:21)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 又、信ず、一の聖なる公《おおやけ》なる使徒の教会を
 
| style="text-align:left" | <small>([[コリントの信徒への手紙一|コリンフ前書]] 12:12-13、[[エフェソの信徒への手紙|エフェス書]] 2:19-22; 4:11-16; [[テサロニケの信徒への手紙二|フェサロニカ後書]] 2:15、[[テモテへの手紙一|ティモフェイ前書]] 3:1-15)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 我、認む、一の洗礼、以て罪の赦《ゆるし》を得《う》る、を、
 
| style="text-align:left" | <small>(マトフェイ福音 3:16; イオアン福音 3:5、聖使徒行實 2:38, 8:36-40、エフェス書 4:5)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 我、望む、死者の[[復活 (キリスト教)|復活]]、
 
| style="text-align:left" | <small>(コリンフ前書 15:12-58)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | 並びに来世《らいせい》の生命《いのち》を
 
| style="text-align:left" | <small>(ロマ書 8:17-25、フィリッピ書 3:20-21、ペトル後公書 3:13)</small>
 
|-
 
| style="text-align:left" | [[アーメン|アミン]]
 
| style="text-align:left" | <small>-</small>
 
|}
 
 
 
=== 英語訳 ===
 
[[英語]]訳には[[:en:English versions of the Nicene Creed#Anglican Communion|1962年英国聖公会祈祷書版]]、[[:en:English versions of the Nicene Creed#1975 ecumenical version (ICET)|1975年ICET版]]、[[:en:English versions of the Nicene Creed#1988 ecumenical version (ELLC)|1988年ELLC版]]、[[:en:English versions of the Nicene Creed#Current Roman Catholic version (2011)|カトリック教会の現行版]]、[http://oca.org/orthodoxy/prayers/symbol-of-faith 米国正教会版] などがある。
 
 
 
== 注釈 ==
 
<references group="注釈"/>
 
 
 
== 参照元 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[原ニケア信条]]
 
* [[フィリオクェ問題]]
 
* [[異端]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.imilias.gr/to-simbolo-tis-pisteos-kai-i-ermineia-tou.html {{lang|el|Το Σύμβολο της Πίστεως (ΠΙΣΤΕΥΩ) και η ερμηνεία του}}] {{el icon}}
 
* [http://www.christusrex.org/www1/pater/creed/japanese-creed.jpg ニケア・コンスタンチノポリス信条]
 
* [http://www.orthodox-jp.com/pandane/cyril/symbol/index.html 正教会の基本信条]
 
* [http://fnagaya.hp.infoseek.co.jp/Hopko/Hsinkei.htm ニケヤ・コンスタンチノープル信経(正教会版)]
 
** 東方と西方では聖神(聖霊)が父のみから出るか、子からも出るかの解釈が異なる
 
* [http://www.youtube.com/watch?v=q5VZKVM_wXo 横浜正教会の奉神礼より「信経」(部分)]
 
** [[奉神礼]]のなかで「信経」が実際にどのように用いられるかが伺える
 
* [http://www.kaichokyo.jp/statemants/381.htm ニカイア・コンスタンティノポリス信条](日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所訳)
 
* [http://www.kaichokyo.jp/statemants/381old.htm ニカヤ・コンスタンティノーポリス信条](東京基督教研究所訳)
 
* [http://www014.upp.so-net.ne.jp/dominion/credo/nicaeno_const_j.html ニケア信条]([[改革主義福音連盟]] [[三鷹福音教会]] 『聖日礼拝式次』)
 
* [http://www.christian.jp/history/index3.htm 異端と正統]
 
* [http://www4.big.or.jp/~joshiba/qa/history/14.htm 教会と歴史:迫害の時代からキリスト教会の確立へ]
 
 
 
{{信条}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:にかいあ こんすたん}}
 
{{DEFAULTSORT:にかいあ こんすたん}}
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[[Category:キリスト教の信仰と教義]]
 
[[Category:キリスト教の信仰と教義]]
 
[[Category:ニカイア]]
 
[[Category:ニカイア]]
 
 
 
 
[[en:Nicene_Creed#The_Niceno.E2.80.93Constantinopolitan_Creed_of_381]]
 
 
 
[[fr:Symbole_de_Nicée#Symbole_de_Nic.C3.A9e-Constantinople]]
 

2018/7/28/ (土) 20:16時点における版

ローマ・カトリック東方正教アングリカンおよびおもなプロテスタント諸教会がそろって受入れている唯一のキリスト教信仰告白。

20世紀初期まで,325年のニカイア公会議で公布されたニカイア信条が,第1回コンスタンチノープル公会議 (381) で増補されたものとされていたが,その後の資料発見で,ニカイア信条とは独立の洗礼用信条をもとにコンスタンチノープル公会議で発布されたものとみなされるようになった。原文はギリシア語で,聖餐式では東西両教会が用い,東方教会ではさらに洗礼に際しても用いられている。ニカイア信条ともコンスタンチノープル信条とも略称される。なお聖霊の発出に関して「父より」とあったものに6世紀頃スペインで「そして子より」 filioqueの語が付加され,11世紀にこれが教皇庁より公認された。東方諸教会のみはこの付加を神学的に誤りであるとして認めず,東西教会間の争点の1つとなった。