「カンザスシティ (ミズーリ州)」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ja>Strangesnow
(犯罪)
 
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
 +
[[ファイル:カンザスシティーの自由記念塔.カンザスシティー,アメリカ合衆国.jpg|サムネイル|左|カンザスシティーの自由記念塔.カンザスシティー,アメリカ合衆国]]
 
{{世界の市
 
{{世界の市
 
|正式名称 =カンザスシティ <!--必須-->
 
|正式名称 =カンザスシティ <!--必須-->
35行目: 36行目:
 
|下位区分名4 =
 
|下位区分名4 =
 
|規模 =市 <!--必須-->
 
|規模 =市 <!--必須-->
|最高行政執行者称号 =[[カンザス市長|市長]]
+
|最高行政執行者称号 =
|最高行政執行者名 =スライ・ジェームズ (Sly James)<ref>[http://kcmo.gov/city-officials/ City Officials]、Official City Website内、2014年7月19日閲覧。</ref>
 
 
|最高行政執行者所属党派 =
 
|最高行政執行者所属党派 =
 
|総面積(平方キロ) =823.7
 
|総面積(平方キロ) =823.7
75行目: 75行目:
 
}}
 
}}
  
'''カンザスシティ'''(Kansas City)は、[[アメリカ合衆国]][[ミズーリ州]]西部に位置する都市。市域は[[ジャクソン郡 (ミズーリ州)|ジャクソン郡]]を中心に4郡にまたがる。市は[[カンザス川]]が[[ミズーリ川]]に合流する地点を中心に広がっている。人口は459,787人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>でミズーリ州では最大、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]では第6位、全米でも第37位の規模である。ミズーリ・[[カンザス州|カンザス]]両州の15郡にまたがる{{仮リンク|カンザスシティ都市圏|en|Kansas City metropolitan area}}は2,035,334人<ref name="FactFinder" />の人口を抱えている。
+
'''カンザスシティ'''(Kansas City)
  
カンザスシティはミズーリ州側と[[カンザスシティ_(カンザス州)|カンザス州側]]の2つに分かれている。合流点以東はすべてミズーリ州となっており、以西ではミズーリ川以北がミズーリ州、以南がカンザス州となっている。市名からカンザス州側がメインとなる都市であると思われがちであるが、実際には人口が多いのも、超高層ビルが立ち並ぶダウンタウンが発展しているのもミズーリ州側である。そのため単に「カンザスシティ」と言った場合、ほとんどはミズーリ州側を指す。ミズーリ州側は''KCMO''、カンザス州側は''KCK''と略される。また単に''KC''と略すこともあるが、''KC''と略した場合カンザスシティ都市圏を指すことも少なくない。
+
[[アメリカ合衆国]],[[ミズーリ州]]西部の都市。[[ミズーリ川]]と[[カンザス川]]の合流点に位置し,対岸にあるカンザス州の同名の市とともに大都市地域を形成。
  
[[1930年代]]、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[マシーン (政治)|マシーン]]([[利益誘導]]政治)のボス、[[トム・ペンダーガスト]]はあらゆる面においてカンザスシティに大きな影響を及ぼした。[[アメリカ合衆国憲法修正第十八条|禁酒法]]時代、ペンダーガストの庇護下で違法営業していたナイトクラブには演奏旅行で大陸を横断する楽団が立ち寄った。やがてカンザスシティ・ジャズが花開き、[[カウント・ベイシー]]を世に送り出し、[[チャーリー・パーカー]]を生んだ。また、ペンダーガストは[[ハリー・S・トルーマン]]を支え、後に第33代大統領になる道筋を作った。一方で、カンザスシティには[[ギャング]]がはびこり、治安が悪化した。現代においても、カンザスシティの治安はあまり良くない。
+
1865年に[[セントルイス]]と鉄道で結ばれてから急速に発展。
  
カンザスシティの市内には200ヶ所以上の[[噴水]]があり、そのため''Fountain City''(噴水の街)と呼ばれている。また、古くは畜産の中心地であったことから、カンザスシティは[[ステーキ]]や[[バーベキュー]]で知られ、''Cowtown''(肉牛の町)、''BBQ Capital of the World''(世界のバーベキューの都)とも呼ばれる。国の地理重心と人口重心の両方から400km以内に位置することから''Heart of America''(アメリカの中心)とも呼ばれる。
+
現在は家畜取引場や大規模な穀物倉庫,精肉・食品加工場を擁し,広大な農業地域の出荷の中心地となっている。また機械,金属,化学,印刷など多種類の工業も発達。付近には空軍基地をはじめ軍関係の施設も多い。
  
==歴史==
+
[[ミズーリ大学]]カンザスシティー校がある。
[[ファイル:Kc-pioneers1.jpg|right|thumb|250px|カンザスシティの礎となった3名の像。ウェストポート地区のカンザスシティ・パイオニア・スクウェアに立っている。左から[[アレクサンダー・メジャーズ]]、ジョン・カルバン・マッコイ、[[ジム・ブリッジャー]]。]]
 
  
ミズーリ州カンザスシティは[[1850年]]に正式な自治体となった。[[ミズーリ川]]と[[カンザス川]]の合流点を中心としたこの一帯は、入植地を建設するにあたって良い場所であると考えられていた。
+
1991年同市初の黒人市長が誕生。
  
===探検と入植===
+
==外部リンク==
この一帯を最初に訪れた記録が残っている最初の[[ヨーロッパ]]人は[[フランス]]人探検家のエティエンヌ・ド・ヴェニアール([[w:Étienne de Veniard, Sieur de Bourgmont|Étienne de Veniard, Sieur de Bourgmont]])である。ヴェニアールは[[ミズーリ川]]の下流域を初めて探検したヨーロッパ人でもあった。現在の[[デトロイト]]にあったデトロイト砦での[[ネイティブ・アメリカン]]の攻撃への対処に失敗したことで非難を浴びると、ヴェニアールはフランス当局を避けるために砦を離れ、この地から約145km東にあったミズーリ族の村でネイティブ・アメリカンの妻と共に暮らし、[[毛皮]]の違法取引をしていた。
 
 
 
名誉を挽回するため、ヴェニアールは[[1713年]]に''Exact Description of Louisiana, of Its Harbors, Lands and Rivers, and Names of the Indian Tribes That Occupy It, and the Commerce and Advantages to Be Derived Therefrom for the Establishment of a Colony''(ルイジアナの港、土地、川、この地に住むネイティブ・アメリカンの部族の名、入植地の建設によって得られる商取引と利益に関する正確な記述)を、翌[[1714年]]には''The Route to Be Taken to Ascend the Missouri River.''(ミズーリ川を遡るにあたって取るべき道筋)を著した。これらの文書の中で、ベニアルドは''Grnade Riv[iere] des Cansez''([[カンザス川]]のこと)とミズーリ川の合流点についても言及した。フランス人地図製作者ギヨーム・ドゥリール([[w:Guillaume Delisle|Guillaume Delisle]])は地域の正確な地図を作るためにこの記述を用いた。
 
 
 
[[1763年]]に[[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]が締結されると、この一帯は[[スペイン]]領となった。しかし、スペインは課税したり、交通の認可を出したりする以外にはあまりこの地には関与せず、スペインの認可の下にフランスが毛皮の取引を続けていた。シュートー家は[[1765年]]にはスペインの認可の下に[[セントルイス]]に拠点を置き、ミズーリ川下流域での毛皮の取引を行っていた。しかし、シュートー家がこの地まで西進してきたのは、[[1821年]]にフランソワ・シュトー([[w:François Chouteau|François Chouteau]])がシュトーズ・ランディングを創設したときのことであった。
 
 
 
[[ファイル:Quality-sign3.jpg|right|thumb|250px|ルイス・クラーク探検隊がミズーリ州でたどった道を記している案内板。クォリティ・ヒル地区にて。]]
 
 
 
[[ルイジアナ買収]]のあと、セントルイスを出発して西へと向かっていた[[ルイス・クラーク探検隊]]はカンザス川とミズーリ川が合流するこの地を訪れ、クォリティ・ヒル地区を「砦を建てるのに良い場所である」と評した。
 
 
 
[[1833年]]、[[ジョン・カルバン・マッコイ]]はミズーリ川から5kmほど離れた[[サンタフェ・トレイル]]沿いにウェストポート(現在のウェストポート地区)を創設した。翌[[1834年]]には、マッコイはウェストポートへの下船地としてミズーリ川沿いにウェストポート・ランディングを建設した。その直後、投資者グループのカンザスタウン会社がこの地への入植を始めた。カンザスタウン会社の名は''Cansez''の英語名である''Kansas''からとったものであった。[[1850年]]、この地はタウン・オブ・カンザスとして正式な町になった。
 
 
 
この頃、タウン・オブ・カンザス、ウェストポート、[[インディペンデンス (ミズーリ州)|インディペンデンス]]の3つの町はアメリカ合衆国の西部への領土拡大において極めて重要であった。西部へ通ずる[[サンタフェ・トレイル|サンタフェ]]、[[カリフォルニア・トレイル|カリフォルニア]]、[[オレゴン・トレイル|オレゴン]]の3つのトレイルは、すべてこの3つの町を有する[[ジャクソン郡 (ミズーリ州)|ジャクソン郡]]を起点としていた。
 
 
 
[[1853年]]2月22日、市長が新たに選出され、シティ・オブ・カンザスが創設された。市域はわずか1.8km²、人口は2,500人であった。その当時の市境線は、北はミズーリ川、南は現在の9thストリート、西はブラフ・ストリート、東はホームズ・リード・ストリートとシャーロット・ストリートの間であった。
 
 
 
===南北戦争===
 
[[南北戦争]]が開戦すると、この一帯には敵対心が出てくるようになった。[[ミズーリ州]]がフランス植民地時代からの奴隷州であったのに対し、[[1861年]]に州に昇格した[[カンザス州]]は住民投票によって自由州となることを選んだからである。この地域に住んでいた、[[奴隷]]制に反対する住民が多数カンザス州側に移り住んだ。この2州は初めは投票箱で、次いで血を流して戦うことになった。
 
 
 
南北戦争中、シティ・オブ・カンザスは戦火の真っ只中にあった。この地で行われた戦闘のほとんどは北軍の勝利に終わった。[[1862年]]8月のインディペンデンスの戦いでは、[[アメリカ連合国|南軍]]が北ミズーリに進み、カンザスシティを連合国の支配下に収めた。しかしそれは長くは続かなかった。[[1864年]]、[[ウェストポートの戦い]]で北軍は勝利を収め、カンザスシティにおける連合国の支配は終わった。しかし、南軍のウィリアム・クォントリルが西郊のカンザス州[[ローレンス (カンザス州)|ローレンス]]侵攻に成功したときは、ジャクソン郡を含むミズーリ州の4郡の住民に対し、北軍のトーマス・ユーイングによる避難命令が出された。
 
 
 
=== 南北戦争後 ===
 
[[ファイル:Kansas city mo 1869.gif|thumbnail|250px|カンザスシティの鳥瞰図([[1869年]]1月、A. Ruger作、Merchants Lith社。)]]
 
南北戦争が終わると、シティ・オブ・カンザスは急速に発展した。[[1867年]]、[[ハンニバル (ミズーリ州)|ハンニバル]]と[[セントジョセフ (ミズーリ州)|セントジョセフ]]を結ぶハンニバル・アンド・セントジョセフ鉄道([[w:Hannibal & St. Joseph Railroad|Hannibal & St. Joseph Railroad]])を途中のキャメロンで分岐させ、カンザスシティを通る鉄道につなぐため、[[ミズーリ川]]にハンニバル橋を架ける計画が立てられた。[[1869年]]にハンニバル橋が架けられると、市の人口は劇的に増え、この地域における中心都市としての地位を確立した。翌[[1870年]]には、シティ・オブ・カンザスの人口は32,260人を数えた。[[1889年]]にはシティ・オブ・カンザスはカンザスシティに改名され、市域も南方向と東方向に広がった。[[1897年]]12月2日には、カンザスシティはウェストポートを併合した。
 
 
 
やがて、[[都市計画家]]の[[ジョージ・ケスラー]]が中心となって都市美観運動が始まった。カンザスシティの至る所に幅の広い通りや公園が設置され、[[1914年]]にはユニオン駅が現在の位置に移された。[[第一次世界大戦]]後、[[1923年]]には戦没者の慰霊碑として[[リバティ・メモリアル]]がユニオン駅の南隣に建てられた。この2棟の建物はダウンタウン南側のランドマークとなった。さらに南に開発は進み、[[1925年]]には、カントリークラブ地区開発計画に基づいてカントリークラブ・プラザの建設が始まった。
 
 
 
===ペンダーガストの時代===
 
[[20世紀]]初頭、カンザスシティでは[[マシーン (政治)|マシーン]]が台頭した。[[1925年]]頃には、[[トム・ペンダーガスト]]の率いるマシーンが台頭し、市政を牛耳るほどにまでなった。ペンダーガストは[[民主党 (アメリカ)|民主党]]のマシーンによる市政のコントロールをしやすくするために市議会の議員数を32名から9名に大幅に減らし、腐敗したシティ・マネージャーを置いた。カンザスシティ市庁舎やジャクソン郡の地方裁判所といった重要な建物も、この時期にペンダーガストによって建てられた。当時のアメリカ合衆国には[[アメリカ合衆国憲法修正第十八条|禁酒法]]が存在していたが、ペンダーガストはその禁酒法を有名無実化させ、市内のナイトクラブの違法営業を庇護した。ペンダーガストが[[1939年]]に[[脱税]]で有罪になると、マシーンの力も衰えていった。しかし、ペンダーガストとそのマシーンは[[ハリー・S・トルーマン]]が政界を駆け上るきっかけとなった。
 
 
 
===第二次世界大戦後===
 
[[第二次世界大戦]]後、カンザスシティの裕福な住民はジャクソン郡東部や[[カンザス州]][[ジョンソン郡 (カンザス州)|ジョンソン郡]]などの[[郊外]]に移り住むようになり、急速に[[スプロール現象|スプロール化]]が進行していった。また、[[ミズーリ川]]を越え、[[1940年代]]から[[1970年代]]にかけて新たにカンザスシティに併合された北側へも多くの住民が移っていった。そのため[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の多くの主要都市同様に都心部の空洞化が進みながらも、市の人口は[[1960年代]]まで数値の上では増え続けた。[[1970年]]には人口507,087人でピークに達した。
 
 
 
[[1940年]]には、市の人口は約40万人であった。[[2000年]]には統計上は約44万人の人口を抱えているものの、1940年当時に市域であった地域には当時の半分以下、約18万人しか住んでいない。[[1940年]]から[[1960年]]にかけて市域は2倍以上になったが、人口は約75,000人しか増加していない。[[1970年]]には市域は800km²を超え、1940年当時の5倍以上に達している。
 
 
 
カンザスシティのスプロール化の主な原因としては、[[公民権運動]]によって人種間の緊張が高まり、暴動が頻発したことが挙げられる。市中心部の[[スラム]]は[[インナーシティ]]を形成する一方で、転出するだけの経済的な余力のある住民は中心部から離れていった。第二次世界大戦後に作り上げられた郊外像や「アメリカン・ドリーム」もまた、カンザスシティにおけるスプロール化の原因となった。市がスプロールしていくにつれて、インナーシティはますます凋落していった。
 
 
 
ジャクソン郡では未だにスプロール化が進行中である。その北に隣接する[[クレイ郡 (ミズーリ州)|クレイ郡]]でもスプロール化が再度始まっている。しかし、近年ではダウンタウンの再開発が進み、スプロール化のペースは鈍化傾向にある。荒廃したインナーシティも[[ニューアーバニズム]]によって、再生へと向かいつつある。
 
 
 
[[ファイル:Kcskylinebridge.jpg|center|thumb|500px|超高層ビルが建ち並ぶ現在のダウンタウン]]
 
 
 
==地理==
 
ミズーリ州カンザスシティは{{ウィキ座標度分秒|39|6|0|N|94|35|0|W|}}に位置している。[[アメリカ合衆国統計局]]によると、カンザスシティは総面積823.7km²(318.0mi²)である。このうち812.1km²(313.5mi²)が陸地で11.6km²(4.5mi²)が水域である。総面積の1.41%が水域となっている。市域は[[ジャクソン郡 (ミズーリ州)|ジャクソン郡]](左側の地図中央)を中心に、北に隣接する[[クレイ郡 (ミズーリ州)|クレイ郡]]、北西に位置する[[プラット郡 (ミズーリ州)|プラット郡]]、南に隣接する[[カス郡 (ミズーリ州)|カス郡]]の4郡にまたがっている。カンザスシティの都市圏は[[ミズーリ州|ミズーリ]]・[[カンザス州|カンザス]]両州の15郡にまたがっている。
 
 
 
カンザスシティの地形は[[シカゴ]]や[[ニューヨーク]]のように平坦であると考えられがちであるが、実際にはかなり起伏がある。カンザスシティ市域は[[盆地]]状になっており、北側と南側には[[氷河]]に削られた[[石灰石]]や岩床の崖がそそり立っている。カンザスシティの市街地は[[更新世]]に氷河によって削られ、形成された広い谷間にできている。[[ミズーリ川]]および[[カンザス川]]は氷河が溶け、流れ出したときに形成された。
 
 
 
===気候===
 
カンザスシティはアメリカ合衆国の地理重心に近く、カンザス川が全米第2の大河ミズーリ川に注ぐ地点にある。そのため気候は大陸性で気温の年較差が比較的大きく、冬にはやや乾燥するものの1年を通して安定した降水量がある。[[ケッペンの気候区分]]では[[温暖湿潤気候]](''Cfa'')に属する。夏には[[メキシコ湾]]からの湿った空気がカンザスシティにも届くため蒸し暑く、[[7月]]や[[8月]]には[[華氏]]100度([[セルシウス度]]37.8度)を超えることもある。冬は温暖な日もあれば寒さの厳しい日もあり、1年に数回氷点下10度以下に下がることがある。春や秋は全般的に過ごしやすいが、時々[[雷雨]]に見舞われることがある。
 
 
 
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
 
|+ '''カンザスシティの気候'''[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=064427&refer=]
 
|-
 
!
 
! [[1月]]
 
! [[2月]]
 
! [[3月]]
 
! [[4月]]
 
! [[5月]]
 
! [[6月]]
 
! [[7月]]
 
! [[8月]]
 
! [[9月]]
 
! [[10月]]
 
! [[11月]]
 
! [[12月]]
 
! 年
 
|-
 
! 平均気温([[セルシウス度|℃]])
 
| -1.1
 
| 1.1
 
| 6.7
 
| 13.3
 
| 18.9
 
| 23.9
 
| 26.7
 
| 26.1
 
| 21.7
 
| 15.6
 
| 7.2
 
| 1.1
 
| 13.3
 
|-
 
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
 
| 33.0
 
| 33.0
 
| 63.5
 
| 83.8
 
| 114.3
 
| 121.9
 
| 94.0
 
| 99.1
 
| 109.2
 
| 76.2
 
| 48.3
 
| 38.1
 
| 914.4
 
|}
 
 
 
カンザスシティは[[トルネード・アレイ]]と呼ばれる竜巻の多発地帯に位置している。[[グレートプレーンズ]]とほぼ重なるこの一帯では[[ロッキー山脈]]や[[カナダ]]からの寒気とメキシコ湾からの暖気が交じり合うため、強烈な上昇気流が生じ、竜巻が発生しやすくなる。カンザスシティ周辺は[[1957年]]、[[1982年]]、[[2003年]]に大きな竜巻に見舞われた。カンザスシティは冬嵐にも遭いやすい。[[2002年]]には大規模な冬嵐がカンザスシティを襲った。また街のそばを大河が流れているため[[洪水]]の被害も受けやすい。[[1951年]]にはカンザス川が氾濫を起こし、ダウンタウン空港や[[カンザスシティ・ストックヤード]]に壊滅的な被害を与えた。[[1993年]]には、カンザスシティを含むミシシッピ川中流域のほとんどがアメリカ合衆国史上最大級の大洪水に見舞われた。
 
 
 
===都市概観===
 
[[ファイル:Alphamap.gif|right|thumb|250px|カンザスシティのダウンタウンの地図。市の超高層ビルはダウンタウン・ループ(地図中ピンク色)に集中している。]]
 
 
 
カンザスシティは150以上の地区からなっている。そのいくつかは、かつてカンザスシティとは別個に存在し、カンザスシティに合併された都市であった。また、重要な出来事の舞台となった地区もいくつかある。
 
 
 
ジャクソン郡内に位置するダウンタウンは市の条例により、北はミズーリ川から南は31stストリートまで、西は[[州間高速道路35号線|I-35]]から東はブルース・R・ワトキンス・ドライブ([[国道71号線 (アメリカ合衆国)|国道71号線]])までと定められている。その中には歴史あるウェストポート地区や、クロスロード芸術地区、18th・アンド・バイン歴史地区、ペンドルトン・ハイツ地区、クォリティ・ヒル地区、ウェストボトム地区、リバー・マーケット地区などいくつかの地区を含んでいる。超高層ビルは[[高速道路]]に囲まれたダウンタウン・ループに集中している。
 
 
 
[[ホールマーク・カーズ]]社が本社を構え、3つの法律事務所を抱えるクラウン・センター([[w:Crown Center|Crown Center]])は、ダウンタウンにおける主なショッピング・エンタテイメント複合施設のひとつともなっている。[[アムトラック]]の長距離列車が発着するユニオン駅もレストラン・各種ショップ・[[映画館]]・[[プラネタリウム]]を抱えている。クラウン・センターとユニオン駅は屋内通路でつながっている。
 
 
 
ダウンタウンの南に隣接する39thストリート地区は芸術と[[ボヘミアニズム|ボヘミアン文化]]の中心となっているエリアである。また、通りにはレストランやブティックが建ち並んでいる。同じくダウンタウンの南に広がり、サンセット・ヒル地区やブルックサイド地区を含むカントリークラブ地区はカンザスシティの高級住宅街である。地区内には公園道路(後述)や街路が整備され、歴史的な家屋が建ち並んでいる。地区内の45thストリートから51stストリートの間に広がるカントリークラブ・プラザ(単にプラザとも呼ぶ)は屋外の高級ショッピング・エンタテイメントエリアになっている。
 
 
 
また、カンザスシティの市内には200以上の[[噴水]]がある。このことから、市は''Fountain City''(噴水の街)と呼ばれている。
 
 
 
<gallery>
 
ファイル:Qualityhill2006.JPG|クォリティ・ヒル地区
 
ファイル:Kc-country-club-plaza.jpg|カントリークラブ・プラザに隣接するミル・クリーク公園の噴水
 
ファイル:Brush creek.jpg|夜のカントリークラブ・プラザ
 
</gallery>
 
 
 
===再開発===
 
[[ファイル:FutureP&Ldistrict.png|right|thumb|250px|ダウンタウン再開発プロジェクトのひとつ、パワー・アンド・ライト地区の予定地]]
 
 
 
長らく駐車場となっていたり、空き地のまま放置されていた区画が目立ったダウンタウンだが、近年になってようやく変化が訪れている。ダウンタウン・ループ南側では[[ボルチモア]]の[[不動産]]・エンタテイメント運営会社コーディッシュにより、「パワー・アンド・ライト地区」(''Power and Light District'')と呼ばれるエンタテイメント地区を建設する計画が進められている。同地区に隣接するエリアには[[スプリント・センター]]という新しい屋内競技場が[[2007年]][[10月]]にオープンした。同競技場は[[ロサンゼルス]]に本社を置くスポーツ・音楽エンタテイメント運営会社[[アンシュッツ・エンターテイメント・グループ|AEG]]によって運営され、建設プロジェクトにも同社からの多額の出資を得た。[[アリーナフットボール]]の[[カンザスシティ・ブリゲード]]の本拠地として2008年シーズンから2012シーズンまで使用されていたほか、2009年の[[NCAA男子バスケットボールトーナメント]]1・2回戦の会場、2010年には[[NCAA女子バスケットボールトーナメント]]が開催された。[[NBA]]や[[NHL]]のチームの誘致も予定されている。
 
 
 
===公園道路===
 
カンザスシティは幅の広い[[公園道路]]で知られている。公園道路は市内を曲がりながら走り、彫像や噴水で装飾された幅の広い[[中央分離帯]]を持っている。こうした公園道路の例としては、カンザス州との州境付近を走るワード・パークウェイ([[w:Ward Parkway|Ward Parkway]])が挙げられる。こうした公園道路は、もともとは美観を重視し、小型自動車や馬車が走る街路として建設されたが、のちにその多くは大量の交通量をさばききれるように改造され、[[高速道路]]へとアップグレードされていった。
 
 
 
かつて、住宅街のほとんどの通りは[[アメリカニレ]]の[[並木道]]になっていた。しかし病気によってアメリカニレがことごとく死滅したため、多種多様な[[街路樹]]が植えられるようになった。現在、成長の早い[[モミジバフウ]]をより多様性に富んだ[[広葉樹]]に植え替えるプログラムが進められている。
 
 
 
==政治==
 
[[ファイル:KCMOSkyline.jpg|thumb|250px|カンザスシティのダウンタウン]]
 
 
 
カンザスシティはミズーリ州最大の市政府を抱えている。カンザスシティは[[シティー・マネージャー制]]を採っているが、[[トム・ペンダーガスト]]による越権政治が続いた後、シティー・マネージャーの役割は縮小された。[[市長]]は12名からなるカンザスシティ市議会の長である。市議員は11地区から各1名ずつ選ばれ、残り1名がワイルドカード選出となる。カンザスシティの市長選は特別な理由が無い限り4年に1回、隔奇数年に行われる。前回の市長選は[[2007年]]5月に行われたので、次回は通常通りであれば[[2011年]]5月に行われることになる。
 
 
 
[[19世紀]]後半から[[20世紀]]中盤にかけては、カンザスシティ市政府はしばしば[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[マシーン (政治)|マシーン]]に操られ、腐敗してきた。カンザスシティ史上最も悪名高いマシーンのボスはトム・ペンダーガストであった。トム・ペンダーガストに支えられてジャクソン郡の裁判官からミズーリ州選出の上院議員へと政界を駆け上り、後に[[フランクリン・ルーズベルト]]政権の[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]に、そして第33代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]になったのが[[ハリー・S・トルーマン]]であった。
 
 
 
トルーマンのほかにも、カンザスシティは歴史上に2度大統領選に関わった。カンザスシティで開かれた[[1928年]]の[[共和党 (アメリカ)|共和党]]大会では、[[アイオワ州]]出身の[[ハーバート・フーヴァー|ハーバート・フーバー]]を大統領候補に推した。フーバーは翌[[1929年]]に第31代大統領に就任した。同じくカンザスシティで開かれた[[1976年]]の共和党大会では[[カンザス州]]選出の上院議員[[ボブ・ドール]]が副大統領候補に選ばれ、現職大統領[[ジェラルド・R・フォード]]とともに[[1976年アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選]]を戦った。しかし民主党の[[ジミー・カーター]]/[[ウォルター・モンデール]]に敗れ、副大統領就任はならなかった。
 
 
 
大統領選においては、カンザスシティでは民主党が伝統的に強い。しかし、州議会や市議会レベルでは、特に市の北側の郊外化した地区で共和党が勝つことがある。
 
 
 
==経済==
 
[[ファイル:Kc-board.jpg|thumb|250px|カンザスシティ商品取引所]]
 
 
 
カンザスシティの都市圏には[[フォーチュン500]]に入る企業4社が本社を構えている。[[フォーチュン1000]]にはさらに5社が入っている。また、全米最大の[[グリーティングカード]]会社、[[ホールマーク・カーズ]]社は創業者一家による家族経営であるためにフォーチュン500/フォーチュン1000のリストには入らないものの、売上総利益ではその両方のリストに入り得る企業である。
 
 
 
[[グレートプレーンズ]]に位置するカンザスシティでは[[農業]]や[[畜産業]]も重要である。カンザスシティ都市圏内には農産物会社がいくつもある。カンザスシティ商品取引所では主に[[パン]]の原料となる[[コムギ|冬小麦]]が取引されている。ここで取引される冬小麦は栄養価の高さから、[[シカゴ商品取引所]]で取引される冬小麦よりも高値で取引されている。また、カンザスシティにおける[[牛肉]]の生産は[[シカゴ]]・[[シンシナティ]]に次いで全米第3である。
 
 
 
カンザスシティには[[連邦準備制度#連邦準備銀行|連邦準備銀行]]も置かれている。カンザスシティ連邦準備銀行で発行された[[アメリカ合衆国ドル#紙幣|米ドル紙幣]]には、旧札であれば肖像の左側に''J''と、新札([[1996年]]版)であれば左上の発券番号のすぐ下に''J10''と印刷されている。これはカンザスシティ連邦準備銀行が管轄している第10地区を現している。第10地区は[[オクラホマ州]]、[[カンザス州]]、[[コロラド州]]、[[ネブラスカ州]]、[[ワイオミング州]]の全域と[[ミズーリ州]]西部、[[ニューメキシコ州]]北部を含み、サンフランシスコ連邦準備銀行の管轄する第12地区に次いで広い。ミズーリ州は全米で唯一、州内に2つの連邦準備銀行が置かれている州である(もう1つはセントルイス連邦準備銀行、第8地区)。カンザスシティ連邦準備銀行は[[デンバー]]、[[オクラホマシティ]]、[[オマハ (ネブラスカ州)|オマハ]]に支店を置いている。
 
 
 
==犯罪==
 
[[20世紀]]初頭の[[アメリカ合衆国憲法修正第十八条|禁酒法]]時代、[[トム・ペンダーガスト]]に牛耳られていたカンザスシティにおいては、酒類の販売における法律も時間帯も事実上機能していなかった。[[1930年代]]に入ってペンダーガストによる庇護のもとにナイトクラブが違法営業をするようになると、カンザスシティ・[[ジャズ]](後述)が流行したが、同時にカンザスシティ・[[マフィア]]が台頭し、[[ギャング]]もカンザスシティに寄ってくるようになった。[[1933年]]、ユニオン駅では[[カンザスシティ虐殺事件]]と呼ばれる銃撃戦が起こり、[[警察官]]・FBIエージェント計4名が殉職した。現在[[カンザスシティ国際空港]]がある場所の近くにあった酒場では、[[ボニーとクライド]]が警察官と銃撃戦を繰り広げた。
 
 
 
[[1970年代]]にもギャングに関わる事件が起きた。リバー・クエイ・エンタテイメント地区で起きた闘争では3棟の建物が爆破され、ギャング数名が殺害された。警察の捜査で、ギャングのボスは[[カンザスシティ・チーフス]]が[[ミネソタ・バイキングス]]を下した[[第4回スーパーボウル]]のフットボール賭博の掛け金を談合していたことが明らかになった。捜査は[[ラスベガス]]の[[スターダスト・カジノ]]にまで及び、同地のカンザスシティ・マフィアが一掃された。この一連の事件は後に小説に著され、[[1995年]]に公開された[[ロバート・デ・ニーロ]]主演の映画「[[カジノ (映画)|カジノ]]」の題材となった。
 
 
 
現代においても、カンザスシティの治安はあまり良くない。[[2005年]]の[[連邦捜査局]](FBI)のデータによると、カンザスシティにおける[[殺人]]発生件数は126件で、人口10万人あたり28.5件であった。この数値は州内の[[セントルイス]](件数131件/人口10万人あたり37.6件)ほどではないものの、[[ニューヨーク]]の4倍以上、[[ロサンゼルス]]の2倍以上という悪い数値であった。[[モーガン・クイットノー]]社による[[2006年]]の調査では、カンザスシティは全米で16番目に危険な都市であると発表された。
 
  
殺人をはじめとする暴力犯罪のほとんどはダウンタウンに近接した[[インナーシティ]]で起こる。犯罪率の高さは市の「住みやすさ」の指標を下げ、[[1970年代]]から[[1990年代]]にかけて行われてきたダウンタウンの再生に対する阻害要因となってきた。近年ではダウンタウンの再生が成功を収め、[[都心回帰]]の兆しも見られるが、インナーシティの[[貧困]]率の高い地区における犯罪率は依然として高い。
 
 
==交通==
 
カンザスシティは古くより交通の要衝として発展してきた。[[西部開拓時代]]においては、開拓者が[[ミズーリ川]]と[[カンザス川]]が合流するこの地に船を着け、[[サンタフェ・トレイル]]、[[オレゴン・トレイル]]、[[カリフォルニア・トレイル]]を伝ってさらに西へと向かう起点となっていた。ミズーリ川にハンニバル橋が架けられると、今度は[[鉄道]]交通の中心として発展していった。[[20世紀]]に入ると、[[トランス・ワールド航空]]はカンザスシティに拠点を置き、世界の航空路の[[ハブ空港|ハブ]]にしようという計画を立てていた。
 
 
===空港===
 
[[ファイル:Kci.JPG|right|thumb|250px|カンザスシティ国際空港]]
 
 
カンザスシティの玄関口となる空港はダウンタウンの北西約24km、プラット郡に立地する[[カンザスシティ国際空港]]である。もともとこの空港は[[1951年]]の洪水でダウンタウン空港が壊滅的な被害を受けた後にミッド・コンチネント空港として造られた。やがて[[ボーイング747]]などの新型[[飛行機]]を離着陸させるにあたり、ダウンタウン空港が手狭であったこと、また離着陸路上にカンザスシティのダウンタウンがあって安全性に問題があったことなどから、カンザスシティはミッド・コンチネント空港を拡張し、市のメインの空港とすることに決定した。[[1972年]]にカンザスシティ国際空港と改称して開港したこの空港は、[[2006年]]には1,060万人が利用した。同空港には主要航空会社の[[ハブ空港]]をはじめ、全米の主要都市からの[[航空機]]の便がある。
 
 
旧空港であるダウンタウン空港にはトランス・ワールド航空が拠点を置いていた。 現在では専ら自家用機やチャーター機、[[航空ショー]]用の空港として使用されているほか、航空歴史博物館がある。
 
 
===州間高速道路===
 
[[ファイル:Quality-i70.jpg|right|thumb|250px|カンザスシティを通るI-70]]
 
 
[[第二次世界大戦]]後、ミズーリ州およびカンザス州は全米で最も早く[[州間高速道路]]の建設が始まった州であった。初期に建設された[[州間高速道路70号線|I-70]]はカンザスシティと[[セントルイス]]を結ぶミズーリ州で最も重要な道路であり、セントルイスから[[ミシシッピ川]]を越えて東へは[[インディアナポリス]]や[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]を通って[[ボルチモア]]へ、西へは[[トピカ (カンザス州)|トピカ]]や[[デンバー]]を通って[[ユタ州]]へと通ずる、大陸を横断する幹線のひとつとなっている。カンザスシティ都市圏の環状道路である[[州間高速道路435号線|I-435]]は長さ130kmに及ぶ、[[ボストン]]の[[州間高速道路495号線 (マサチューセッツ州)|I-495]](長さ194.3km)に次いで全米で2番目に長い環状道路である。このほか、カンザスシティには南北の幹線のひとつである[[州間高速道路35号線|I-35]]や、カンザスシティを起点として[[ノースダコタ州]]の[[カナダ]]国境まで走る[[州間高速道路29号線|I-29]]も通っている。
 
 
===鉄道===
 
[[アムトラック]]の[[ユニオン駅 (カンザスシティ)|カンザスシティ・ユニオン駅]]はウエスト・パーシング・ロード30にある。カンザスシティユニオン駅には[[ロサンゼルス]]と[[シカゴ]]を結び、ほぼ全線にわたって[[国道66号線 (アメリカ合衆国)|旧国道66号線]]に並行して走る夜行長距離列車[[サウスウェスト・チーフ|サウスウェスト・チーフ号]]が1日1往復停車する<ref>[https://www.amtrak.com/ccurl/583/472/Southwest-Chief-Schedule-011116,0.pdf Southwest Chief]. p.2. Amtrak. 2016年1月11日. 2016年6月27日閲覧</ref>。また、[[セントルイス]]とカンザスシティ間を1日2往復運行しているミズーリ線の昼行中距離列車[[w:Missouri River Runner|ミズーリ・リバー・ランナー号]]の西の終点・起点ともなっている。この中距離列車はミズーリ州の州都[[ジェファーソンシティ (ミズーリ州)|ジェファーソンシティ]]にも停車する<ref>[https://www.amtrak.com/ccurl/70/301/Illinois-Service-Schedule-011116,0.pdf Missouri Service]. p.2. Amtrak. 2016年1月11日. 2016年6月27日閲覧</ref>。
 
 
===公共交通機関===
 
[[20世紀]]前半、カンザスシティにおける大量輸送は主に[[電車]]によってまかなわれていた。[[1900年]]から[[1939年]]にかけて、カンザスシティ都市圏には各方面に80km以上の運行距離を有する[[インターアーバン]]が走っていた。また、市内には[[1959年]]まで[[トロリーバス]]が走っていた。しかし市が急速に[[スプロール現象|スプロール]]したことにより、これらの電車によるシステムは廃れ、カンザスシティ地域交通局(Kansas City Area Transportation Authority)が運営する[[路線バス]]に取って代わられた。 現在のカンザスシティにおいては、主要な公共交通機関はこのバスである。
 
 
[[2005年]]7月、カンザスシティ地域交通局は''The MAX''という新しいバス交通システムを導入した。''The MAX''とは''Metro Area Express''(都市圏急行)の略である。このバスのルートはダウンタウンのシティ・マーケットを出発し、メイン・ストリート上にあるたくさんの停留所を経由してカントリークラブ・プラザやカンザスシティ南部へ向かう。導入当初、時刻通りにバスを運行させるため、バスは青信号の時間を延長する機能を搭載する予定であった。しかし[[2006年]]9月現在、その機能は実現していない。
 
 
カンザスシティには[[地下鉄]]や[[ライトレール]]のシステムはない。過去に建設が取り沙汰されたことは何度があったが、投票により棄却され続けてきた。[[2006年]]11月7日、ライトレールシステムの整備案が53%の賛成を得て可決された。提案された路線はカンザスシティ動物園からダウンタウンを通り、カンザスシティ国際空港へ至るというものであった。しかし、この案には未だに財源をめぐる批判が寄せられている。このほか、ダウンタウンにはトロリーバスや路面電車を復活させる計画も持ち上がっている。2016年、[[KC 路面電車]]([[:en:KC Streetcar]])が開通した。
 
 
== 教育 ==
 
=== 高等教育 ===
 
* {{仮リンク|ミズーリ大学カンザスシティ校|en|University of Missouri–Kansas City}}
 
* {{仮リンク|アヴィラ大学 (ミズーリ州)|label=アヴィラ大学|en|Avila University}}
 
 
==文化==
 
===音楽===
 
====ジャズ====
 
カンザスシティ・ジャズは[[1930年代]]に花開き、[[ビッグバンド]]から[[1940年代]]の[[ビバップ]]へと変化を遂げる橋渡しとなった。1930年代、カンザスシティのナイトクラブはトム・ペンダーガストの庇護の下で[[アメリカ合衆国憲法修正第十八条|禁酒法]]の規制を事実上逃れ、夜通し営業していた。そういったナイトクラブはカンザスシティ市内の至るところに建っていたが、特に18th・アンド・バイン地区に集中していた。加えてその地理的な位置から、カンザスシティは大陸を横断して演奏旅行を続けるバンドが経由地とすることが多かった。
 
 
カンザスシティから[[ニューヨーク]]へと巣立ったジャズ・ミュージシャンも数多くいた。[[1929年]]にカンザスシティで活動していた[[カウント・ベイシー]]は[[ジョン・ハモンド]]に注目され、ハモンドに導かれて[[1936年]]にニューヨークに活動拠点を移した。これにより、カンザスシティ・ジャズもまた全米の注目を浴びるようになった。カンザスシティに生まれ育ち、少年期にカンザスシティ・ジャズの影響を受けた[[チャーリー・パーカー]]は[[1939年]]にニューヨークに移り、[[1940年代]]にビバップを創り上げ、モダン・ジャズの礎を築いた。
 
 
カンザスシティ・ジャズの終焉もペンダーガストと運命を共にしていた。[[1939年]]、ペンダーガストが[[脱税]]で有罪となると、市当局はナイトクラブの規制を強化した。それによってカンザスシティ・ジャズの時代も終わった。
 
 
[[1970年代]]、カンザスシティでは家族連れにもやさしい、健全な環境の中でジャズを復活させようという動きが見られた。[[ミズーリ川]]沿いのリバー・クエイ地区でジャズクラブを開店させようという試みは、やがて同地域における[[ギャング]]の闘争を終わらせ、[[ラスベガス]]にまで波及していたカンザスシティ・[[マフィア]]の影響の撲滅に導いた(前述)。カンザスシティ出身の[[映画監督]][[ロバート・アルトマン]]は、カンザスシティ・ジャズの時代を描いた映画「[[カンザスシティ (映画)|カンザスシティ]]」([[ジェニファー・ジェイソン・リー]]主演)を制作した。「カンザスシティ」は[[1996年]]に公開された。[[1997年]]には18th・アンド・バイン地区にアメリカン・ジャズ博物館が開館した。
 
 
====クラシック音楽とオペラ====
 
カンザスシティの[[オーケストラ]]、[[カンザスシティ・シンフォニー]]は[[1933年]]に設立されたカンザスシティ・フィルハーモニックを引き継ぐ形で[[1982年]]に創設された。カンザスシティ・シンフォニーの[[指揮者]]を務めているのは[[マイケル・スターン (指揮者)|マイケル・スターン]]である。スターンは[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]でデビューし、[[レナード・バーンスタイン]]の下で学び、[[クリーブランド管弦楽団]]の副指揮者を務めた後、世界各地を転々とし、[[2005年]]にカンザスシティ・シンフォニーの正指揮者に就任した。
 
 
[[1970年]]に設立されたリリック・オペラ・オブ・カンザスシティは全米屈指の地域[[オペラ]]団のひとつである。リリック・オペラ・オブ・カンザスシティは年間4-5本の定期公演を開いている。もともとはすべて英語で公演を行っていたが、[[1990年代]]後半からは原語で行うようになった。
 
 
[[1957年]]に設立されたカンザスシティ・バレエは、25名のプロダンサーおよび修練生からなる[[バレエ]]団である。カンザスシティ・バレエは年間スケジュールを3つに分け、クラシックバレエからコンテンポラリーバレエまで幅広いジャンルの公演を行っている。[[1980年]]から[[1985年]]にかけては有名ダンサー・振付師のトッド・ボレンダーが同バレエ団を運営していた。[[1986年]]から[[2000年]]にかけて、カンザスシティ・バレエはダンス・セントルイスと合併し、ステート・バレエ・オブ・ミズーリを形成していた。
 
 
カンザスシティ・シンフォニー、リリック・オペラ・オブ・カンザスシティ、カンザスシティ・バレエのいずれも現在ダウンタウンのリリック・シアターで公演しているが、[[2009年]]には現在建設が進んでいるカウフマン演技芸術センターに本拠を移す予定である。
 
 
===食文化===
 
古くから畜産の中心地であったカンザスシティは[[ステーキ]]や[[バーベキュー]]で知られている。
 
 
[[カンザスシティ・ストックヤード]]の全盛期から、カンザスシティはストリップ・ステーキで知られていた。ストリップ・ステーキとは、リブロースの中でもサーロインやテンダーロイン(ヒレ)に近い、ショートロイン(Short Loin)と呼ばれる部位を用いたステーキである。ストリップ・ステーキにT字型の骨付きでテンダーロインが入ったものを、その骨の形状からTボーン・ステーキという。これらのステーキはサーロインやテンダーロイン同様に高級品とされている。カンザスシティのほかには[[ニューヨーク]]のストリップ・ステーキも有名であるが、カンザスシティ・ストリップ・ステーキはニューヨーク・ストリップ・ステーキとよく似ており、そのため単に「ストリップ・ステーキ」と呼ぶこともある。特に名が知れていたステーキ店はストックヤード内の[[カンザスシティ家畜取引所]]の近くにあったゴールデン・オックス(Golden Ox)であった。カンザスシティ・ストックヤードはシカゴに次ぐ全米第2の規模であったが、[[1951年]]の大洪水で壊滅的な被害を受けた後、復興することなく閉鎖になった。
 
 
[[ファイル:Kansas City-Style Barbecue.jpg|right|thumb|250px|カンザスシティ・スタイルのバーベキュー]]
 
 
[[テキサス州|テキサス]]や[[ノースカロライナ州|ノースカロライナ]]、[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]と並んで、カンザスシティはバーベキューでも知られ、''World Capital of Barbecue''(世界のバーベキューの都)と呼ばれている。カンザスシティ都市圏内には90軒以上のバーベキューレストランがある。また、毎年[[10月]]・[[11月]]に行われる家畜・馬の品評会であるアメリカン・ロイヤルでは、伝統の[[ロデオ]]のほかに世界最大級のバーベキューコンテストが執り行われる。
 
 
カンザスシティ・スタイルのバーベキューはもともとは[[1900年代]]初頭にヘンリー・ペリーがメンフィスから持ち込んだもので、18th・アンド・バイン地区で花開いた。アーサー・ブライアンツ([[w:Arthur Bryant's|Arthur Bryant's]])はペリーのレストランを引き継ぎ、甘みを加えるために[[糖蜜]]を用いた。[[1946年]]には、アーサー・ブライアンツの料理人のひとりが独立してゲイツ・アンド・サンズ・バーベキュー([[w:Gates and Sons Bar-B-Q|Gates and Sons Bar-B-Q]])を開店した。カンザスシティではこの2軒がバーベキューの老舗とされているが、2軒ともカンザスシティ都市圏外に店を構えることはなかった。
 
 
[[1977年]]、児童心理学者リッチ・デービスは、自ら調合したバーベキューソース、K・C・ソウル・スタイル・バーベキューソース(K.C. Soul Style Barbecue Sauce)のテストマーケティングを行った。デービスはこれをKCマスターピース(KC Masterpiece)と改名し、[[1986年]]に[[クロロックス]]社のキングスフォード支店に販売した。デービスはこのソースと名前を使ってのレストラン営業権を獲得し、郊外の[[カンザス州]][[オーバーランドパーク (カンザス州)|オーバーランドパーク]]で営業を開始した。
 
 
フィオレラズ・ジャック・スタック・バーベキュー([[w:Fiorella's Jack Stack Barbecue|Fiorella's Jack Stack Barbecue]])もカンザスシティの著名なバーベキューレストランのひとつである。[[1957年]]に営業を開始したこのチェーンは、[[2006年]]11月現在カンザスシティ都市圏内に4軒のレストランを構えている。同店のバーベキューは[[フードチャンネル]]や[[ヒストリーチャンネル]]でも紹介され、全米に配送されるようになった。
 
 
===スポーツ===
 
[[ファイル:NewKauffman.jpg|right|thumb|250px|カウフマン・スタジアム]]
 
[[ファイル:800px-Chiefsgame.jpg|right|thumb|250px|チーフスの試合で満員のアローヘッド・スタジアム]]
 
<!-- コモンズ画像利用 -->
 
 
地方中枢都市であるカンザスシティにはプロスポーツもいくつかある。[[メジャーリーグ]]の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]は[[1969年]]に創設したチームで、[[アメリカンリーグ]]中地区(創設当初は西地区)に所属している。[[1970年代]]後半から[[1980年代]]にかけては、[[1985年]]に[[セントルイス・カージナルス]]を破ってワールドチャンピオンに輝いたのを含めて7回の地区優勝を飾り、黄金時代を謳歌していた。一時([[1990年代]]、[[2000年代]])は低迷し、勝率4割に満たないこともあったが、近年には復活し、[[2014年]]にアメリカン・リーグ優勝。[[2015年]]には、[[ニューヨーク・メッツ]]を破り30年ぶり2度目のワールドチャンピオンに輝いた。ロイヤルズは[[カウフマン・スタジアム]]を本拠地としている。
 
 
一方、[[1960年]]に創設された[[アメリカン・フットボール・リーグ|AFL]]([[1970年]]に[[NFL]]と合併)の[[カンザスシティ・チーフス|ダラス・テキサンズ]]が[[1962年]]にカンザスシティに移転、[[カンザスシティ・チーフス]]と改名した。チーフスは1970年、NFLとの合併前の最後の[[スーパーボウル]]で優勝。NFL合併後はAFC西地区に所属、[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけては低迷したものの、[[1990年代]]以降はスーパーボウル出場には至らないが安定した成績を残している。[[2006年]]にもプレーオフに出場したが、[[ペイトン・マニング]]率いる[[インディアナポリス・コルツ]]に敗れた。チーフスは[[アローヘッド・スタジアム]]を本拠地としている。アローヘッド・スタジアムはカウフマン・スタジアムの隣に立地している。同じ敷地内に野球と[[アメリカンフットボール|フットボール]]のスタジアムが並立している例は全米でも珍しい。
 
 
アローヘッド・スタジアムはNFLのみならず、カレッジフットボールでも[[ビッグ12カンファレンス]]チャンピオンシップでよく使われている。また、アローヘッド・スタジアムは[[2007年]]まで[[メジャーリーグサッカー]]の[[カンザスシティ・ウィザーズ]]の本拠地としても使われていた。ウィザーズは[[1996年]]のメジャーリーグサッカー開幕当初から参加しているチームの1つである。
 
 
カンザスシティ・ストックヤードの跡地に建てられた[[ケンパー・アリーナ]]は[[2006年]]に創設された[[アリーナフットボール]]チーム、[[カンザスシティ・ブリゲード]]の本拠地になっている。また、ケンバー・アリーナでは男子カレッジ[[バスケットボール]]のビッグ12カンファレンストーナメントがよく行われる。女子のトーナメントは隣接する市立講堂で行われることが多い。[[2008年]]以降は、ブリゲードの本拠地は新しい[[スプリント・センター]]に移った。また、2008年3月のビッグ12カンファレンストーナメントもスプリント・センターで開かれた。[[NBA]]や[[NHL]]のチームをスプリント・センターに誘致する計画も進められている。
 
 
==人口動態==
 
===都市圏人口===
 
カンザスシティの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。
 
 
;カンザスシティ都市圏
 
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
 
! 郡 !! 州 !! 人口
 
|-
 
| '''[[ジャクソン郡 (ミズーリ州)|ジャクソン郡]]''' || [[ミズーリ州]] || align="right" | 674,158人
 
|-
 
| [[ジョンソン郡 (カンザス州)|ジョンソン郡]]''' || [[カンザス州]] || align="right" | 544,179人
 
|-
 
| [[クレイ郡 (ミズーリ州)|クレイ郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 221,939人
 
|-
 
| [[ワイアンドット郡 (カンザス州)|ワイアンドット郡]] || カンザス州 || align="right" | 157,505人
 
|-
 
| [[カス郡 (ミズーリ州)|カス郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 99,478人
 
|-
 
| [[プラット郡 (ミズーリ州)|プラット郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 89,322人
 
|-
 
| [[レブンワース郡 (カンザス州)|レブンワース郡]] || カンザス州 || align="right" | 76,227人
 
|-
 
| [[ラファイエット郡 (ミズーリ州)|ラファイエット郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 33,381人
 
|-
 
| [[マイアミ郡 (カンザス州)|マイアミ郡]] || カンザス州 || align="right" | 32,787人
 
|-
 
| [[フランクリン郡 (カンザス州)|フランクリン郡]] || カンザス州 || align="right" | 25,992人
 
|-
 
| [[レイ郡 (ミズーリ州)|レイ郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 23,494人
 
|-
 
| [[クリントン郡 (ミズーリ州)|クリントン郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 20,743人
 
|-
 
| [[ベイツ郡 (ミズーリ州)|ベイツ郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 17,049人
 
|-
 
| [[リン郡 (カンザス州)|リン郡]] || カンザス州 || align="right" | 9,656人
 
|-
 
| [[コールドウェル郡 (ミズーリ州)|コールドウェル郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 9,424人
 
|- style="background-color:#e0e0e0"
 
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 2,035,334人
 
|}
 
 
;カンザスシティ・オーバーランドパーク・カンザスシティ広域都市圏
 
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
 
! 都市圏/小都市圏 !! 郡 !! 州 !! 人口
 
|-
 
| colspan="3" | '''カンザスシティ都市圏''' || align="right" | 2,035,334人
 
|-
 
| ウォーレンズバーグ小都市圏 || [[ジョンソン郡 (ミズーリ州)|ジョンソン郡]] || ミズーリ州 || align="right" | 52,595人
 
|-
 
| アッチソン小都市圏 || [[アッチソン郡 (カンザス州)|アッチソン郡]] || カンザス州 || align="right" | 16,924人
 
|- style="background-color:#e0e0e0"
 
| colspan="3" | '''合計''' || align="right" | 2,104,853人
 
|}
 
 
=== 市域人口推移 ===
 
以下にミズーリ州カンザスシティにおける[[1860年]]から[[2010年]]までの人口推移をグラフおよび表で示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027.html Table.1 Population of the 100 largest cities and other urban places in the United States 1790 to 1990]. Population Division, U.S. Bureau of the Census. 1998年6月.</ref>。
 
 
{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
 
! 統計年 !! 人口
 
|-
 
|[[1860年]] || 4,418人
 
|-
 
|[[1870年]] || 32,260人
 
|-
 
|[[1880年]] || 55,785人
 
|-
 
|[[1890年]] || 132,716人
 
|-
 
|[[1900年]] || 163,752人
 
|-
 
|[[1910年]] || 248,381人
 
|-
 
|[[1920年]] || 324,410人
 
|-
 
|[[1930年]] || 399,746人
 
|-
 
|[[1940年]] || 400,178人
 
|-
 
|[[1950年]] || 456,622人
 
|-
 
|[[1960年]] || 475,539人
 
|-
 
|[[1970年]] || 507,087人
 
|-
 
|[[1980年]] || 448,159人
 
|-
 
|[[1990年]] || 435,146人
 
|-
 
|[[2000年]] || 441,545人
 
|-
 
|[[2010年]] || 459,787人
 
|}
 
 
<timeline>
 
Colors=
 
  id:lightgrey value:gray(0.9)
 
  id:darkgrey  value:gray(0.8)
 
  id:sfondo value:rgb(1,1,1)
 
  id:barra value:rgb(0.6,0.7,0.8)
 
 
ImageSize  = width:600 height:475
 
PlotArea  = left:50 bottom:50 top:30 right:30
 
DateFormat = x.y
 
Period    = from:0 till:520000
 
TimeAxis  = orientation:horizontal
 
AlignBars  = justify
 
ScaleMajor = gridcolor:darkgrey increment:100000 start:0
 
ScaleMinor = gridcolor:lightgrey increment:10000 start:0
 
BackgroundColors = canvas:sfondo
 
 
BarData=
 
  bar:1860 text:1860
 
  bar:1870 text:1870
 
  bar:1880 text:1880
 
  bar:1890 text:1890
 
  bar:1900 text:1900
 
  bar:1910 text:1910
 
  bar:1920 text:1920
 
  bar:1930 text:1930
 
  bar:1940 text:1940
 
  bar:1950 text:1950
 
  bar:1960 text:1960
 
  bar:1970 text:1970
 
  bar:1980 text:1980
 
  bar:1990 text:1990
 
  bar:2000 text:2000
 
  bar:2010 text:2010
 
 
PlotData=
 
  color:barra width:15 align:center
 
  bar:1860 from: 0 till:4418
 
  bar:1870 from: 0 till:32260
 
  bar:1880 from: 0 till:55785
 
  bar:1890 from: 0 till:132716
 
  bar:1900 from: 0 till:163752
 
  bar:1910 from: 0 till:248381
 
  bar:1920 from: 0 till:324410
 
  bar:1930 from: 0 till:399746
 
  bar:1940 from: 0 till:400178
 
  bar:1950 from: 0 till:456622
 
  bar:1960 from: 0 till:475539
 
  bar:1970 from: 0 till:507087
 
  bar:1980 from: 0 till:448159
 
  bar:1990 from: 0 till:435146
 
  bar:2000 from: 0 till:441545
 
  bar:2010 from: 0 till:459787
 
 
PlotData=
 
  bar:1860 at:4418 fontsize:XS text: 4418 shift:(13,0)
 
  bar:1870 at:32260 fontsize:XS text: 32260 shift:(15,0)
 
  bar:1880 at:55785 fontsize:XS text: 55785 shift:(15,0)
 
  bar:1890 at:132716 fontsize:XS text: 132716 shift:(17,0)
 
  bar:1900 at:163752 fontsize:XS text: 163752 shift:(17,0)
 
  bar:1910 at:248381 fontsize:XS text: 248381 shift:(17,0)
 
  bar:1920 at:324410 fontsize:XS text: 324410 shift:(17,0)
 
  bar:1930 at:399746 fontsize:XS text: 399746 shift:(17,0)
 
  bar:1940 at:400178 fontsize:XS text: 400178 shift:(17,0)
 
  bar:1950 at:456622 fontsize:XS text: 456622 shift:(17,0)
 
  bar:1960 at:475539 fontsize:XS text: 475539 shift:(17,0)
 
  bar:1970 at:507087 fontsize:XS text: 507087 shift:(17,0)
 
  bar:1980 at:448159 fontsize:XS text: 448159 shift:(17,0)
 
  bar:1990 at:435146 fontsize:XS text: 435146 shift:(17,0)
 
  bar:2000 at:441545 fontsize:XS text: 441545 shift:(17,0)
 
  bar:2010 at:459787 fontsize:XS text: 459787 shift:(17,0)
 
 
</timeline>
 
 
==姉妹都市==
 
[[ファイル:Kurashiki Bikan1.jpg|right|thumb|250px|カンザスシティの姉妹都市のひとつ、倉敷市の美観地区]]
 
 
カンザスシティは以下の13都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる[http://www.kcsistercities.org/sister-cities]。
 
 
*{{flagicon|TAN}} [[アルーシャ]]([[タンザニア]])
 
*{{flagicon|MEX}} [[グアダラハラ (メキシコ)|グアダラハラ]]([[メキシコ]])
 
*{{flagicon|JPN}} [[倉敷市]]([[日本]]・[[岡山県]])
 
*{{flagicon|MEX}} [[サン・ニコラス・デ・ロス・ガルサ]](メキシコ)
 
*{{flagicon|CHN}} [[西安]]([[中華人民共和国]])
 
*{{flagicon|ESP}} [[セビリア]]([[スペイン]])
 
*{{flagicon|ROC}} [[台南市]]([[台湾]])
 
*{{flagicon|GER}} [[ハノーファー]]([[ドイツ]])
 
*{{flagicon|SLE}} [[フリータウン]]([[シエラレオネ]])
 
*{{flagicon|NGR}} [[ポートハーコート]]([[ナイジェリア]])
 
*{{flagicon|FRA}} [[メス (都市)|メス]]([[フランス]])
 
*{{flagicon|MEX}} [[モレリア]](メキシコ)
 
*{{flagicon|ISR}} [[ラムラ]]([[イスラエル]])
 
 
==関連項目==
 
*[[カンサスシティスタンダード]] - [[パーソナルコンピュータ]]黎明期における、[[カセットテープ]]レコーダへのデータ記録の規格。
 
*[[ハイアットリージェンシー歩道橋落下事故]]
 
*[[ザ・デイ・アフター]] - カンザスシティは全面協力しての市民が[[エキストラ]]で参加してくれた。
 
 
==註==
 
{{Reflist}}
 
 
==外部リンク==
 
{{commons|Kansas City, Missouri}}
 
*[http://www.kcmo.org/ Official City Website(英語版)]
 
*[http://www.kcchamber.com/ Kansas City Chamber of Commerce(英語版)]
 
*[http://www.downtownkc.org/ Downtown Council(英語版)]
 
*[http://kansascityrivermarket.com/ Kansas City's River Market District(英語版)]
 
*[http://kc-citymarket.com/ The City Market(英語版)]
 
*[http://www.kansascityfed.org/ Federal Reserve Bank of Kansas City(英語版)] - カンザスシティの連邦準備銀行のサイト
 
*[http://www.visitkc.com/ VisitKC.com - Official Travel and Tourism Site for Kansas City(英語版)]
 
*[http://www.kcmo.org/timeline.nsf/web/index/ Kansas City's 150th anniversary timeline(英語版)]
 
*[http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/S?ammem/gmd:@FILREQ(@field(SUBJ+@od1(United+States--Missouri--Kansas+City+))+@FIELD(COLLID+citymap)) Images of Kansas City(英語版)] - [[アメリカ議会図書館]]のサイトより
 
*[http://www.kclibrary.org/localhistory/ History Database(英語版)] - カンザスシティ公共図書館のサイトより
 
*[http://www.kcfountains.org/ Kansas City - City of Fountains] - カンザスシティの噴水のデータベース
 
*[http://www.kcdiy.org/ KCDIY - Kansas City Area DIY Music Resource Guide(英語版)]
 
*[http://www.experiencekc.com/bluesandjazz.html Blues and Jazz(英語版)]
 
*[http://www.kcsymphony.org/ The Kansas City Symphony(英語版)]
 
*[http://kc-opera.org The Lyric Opera of Kansas City(英語版)]
 
*[http://www.kcballet.org/ The Kansas City Ballet(英語版)]
 
*[http://www.kcfountains.org/ Kansas City Fountains(英語版)]
 
*[http://www.umkc.edu/whmckc/PUBLICATIONS/WARDPKWY/WARDINTRO.HTM 'Ward Parkway: a Grand American Avenue ''(University of Missouri - Kansas City)''(英語版)]
 
*[http://www.kansascitymenus.com/ Kansas City Restaurant Guide(英語版)]
 
*[http://www.kansas-city-guide.com/Haunted-Houses-Kansas-city.html Things to do in Kansas City for Halloween(英語版)]
 
*[http://www.hoac-bsa.org/index.cfm HOAC-BSA Heart of America Council(英語版)]
 
*[http://kcweather.org/ KC Weather podcast(英語版)]
 
*[http://www.city-data.com/city/Kansas-City-Missouri.html City-Data.com - Kansas City, Missouri(英語版)]
 
*[http://maps.yahoo.com/maps_result.php?q1=Kansas+City%2C+MO Kansas City, MO(Yahoo!Map地図)]
 
  
 
{{ミズーリ州}}
 
{{ミズーリ州}}

2018/8/13/ (月) 18:59時点における最新版

カンザスシティーの自由記念塔.カンザスシティー,アメリカ合衆国
カンザスシティ
City of Kansas City
位置
左: カンザスシティ市域を含む4郡におけるカンザスシティの位置と市域の広がり方右: ミズーリ州内における4郡の位置の位置図
左: カンザスシティ市域を含む4郡におけるカンザスシティの位置と市域の広がり方
右: ミズーリ州内における4郡の位置
ミズーリ州の位置の位置図
ミズーリ州の位置
座標 : 西経94度35分19秒北緯39.10972度 西経94.58861度39.10972; -94.58861
歴史
市制 1853年3月28日
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  ミズーリ州
  ジャクソン郡クレイ郡プラット郡キャス郡
 市 カンザスシティ
地理
面積  
  市域 823.7 km2 (318.0 mi2)
    陸上   812.1 km2 (313.5 mi2)
    水面   11.6 km2 (4.5 mi2)
  市街地 1,513.6 km2 (584.4 mi2)
標高 277 m (910 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 459,787人
    人口密度   566.2人/km2(1,466.6人/mi2
  都市圏 2,035,334人
公式ウェブサイト : http://www.kcmo.org/

カンザスシティ(Kansas City)

アメリカ合衆国ミズーリ州西部の都市。ミズーリ川カンザス川の合流点に位置し,対岸にあるカンザス州の同名の市とともに大都市地域を形成。

1865年にセントルイスと鉄道で結ばれてから急速に発展。

現在は家畜取引場や大規模な穀物倉庫,精肉・食品加工場を擁し,広大な農業地域の出荷の中心地となっている。また機械,金属,化学,印刷など多種類の工業も発達。付近には空軍基地をはじめ軍関係の施設も多い。

ミズーリ大学カンザスシティー校がある。

1991年同市初の黒人市長が誕生。

外部リンク