「新日鐵住金大分製鐵所」の版間の差分
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新日鐵住金大分製鐵所(しんにってつすみきんおおいたせいてつじょ)は、大分県大分市大字西ノ洲にある新日鐵住金の銑鋼一貫製鉄所である。
概要
大分臨海工業地帯の3・4号地に位置し、大分港に面する。敷地面積は約718万m2。従業員数は1,987人(大分地区、2013年3月31日時点)。2013年度(平成25年度)の年間粗鋼生産量は1,025万3,900トンとなり、操業開始から初めて1,000万トンを超えた[1]。これは新日鐵住金の製鉄所の中で最大で[2]、日本国内の年間粗鋼生産量の約1割に当たる[3]。
なお、2011年(平成23年)4月1日には、山口県光市にある当時の新日本製鐵鋼管事業部光鋼管部(旧・新日本製鐵光製鐵所の鋼管部門)が大分製鐵所に統合されて、大分製鐵所光鋼管工場となっている[4]。
設備と製品
銑鋼一貫製鉄所の核となる高炉は合計2基ある。いずれも5,775m3の炉内容積を有し、グループ内で最大で[1]、世界でも最大級である[5]。高炉で生産された銑鉄を製鋼する転炉は3基。転炉からの鋼を鋼片に鋳造する連続鋳造設備も3基ある。
鋼板の製造設備は、厚板(厚鋼板)用と熱延鋼板(薄鋼板の一種)用のものが1つずつある。厚板は船舶などの大型構造物に、熱延鋼板は自動車部品などに使用される。ただし、熱延鋼板を加工する設備(例えば、冷延設備やめっき設備)は存在しない。
鉄鋼関連の設備ではないが、新日鐵住金の独立発電事業 (IPP) 用の火力発電所を有し、九州電力へ発電した電力を供給している。また、黒崎播磨大分マッド工場や大分共同火力といった新日鐵住金のグループ企業の工場も製鉄所構内に設置されている。
沿革
本製鉄所の誘致は、実質、永野重雄富士製鐵社長と木下郁大分県知事の人間的信頼関係と、意欲の同調的結合によって成し得たものである[6]。八幡製鐵・富士製鐵の合併による新日本製鐵(新日鉄)発足の翌年にあたる1971年(昭和46年)に完成、操業を開始した。旧・新日鉄が保有する製鉄所の中では、最も歴史が短い。
- 1969年(昭和44年)12月5日 - 富士製鐵により起工。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日鉄発足。
- 1971年(昭和46年)6月1日 - 新日鉄大分製鐵所として発足。
- 1971年(昭和46年)11月 - 連続熱延工場稼動。
- 1972年(昭和47年)4月19日 - 第1高炉火入れ (4,884m3)。銑鋼一貫体制確立。
- 1976年(昭和51年)10月 - 第2高炉火入れ。
- 1977年(昭和52年)1月 - 厚板工場稼働。
- 2002年(平成14年)4月 - 電力卸供給事業開始。
- 2004年(平成16年)5月 - 第2高炉改修・火入れ(5,775m3、世界最大の高炉に)。
- 2006年(平成18年) - 第5コークス炉新設着工(世界初「SCOPE式」採用)。
- 2009年(平成21年)8月 - 第1高炉改修・火入れ (5,775m3)。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 新日本製鐵鋼管事業部光鋼管部が大分製鐵所に統合され、大分製鐵所光鋼管工場となる。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 新日鐵住金が発足。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 石田宗久 (2014年4月15日). “新日鉄住金:大分製鉄所粗鋼、初の1000万トン超え−−13年度”. 毎日新聞 (毎日新聞社) . 2015閲覧.
- ↑ アニュアルレポート2014 (PDF) p.66、新日鐡住金株式会社
- ↑ 新たな半世紀へ 大分港50周年 第1部 コンビナートと大分 上 大分合同新聞、2015年9月23日
- ↑ 平成23年4月1日付組織改正について (PDF) 新日本製鐵、2011年3月14日
- ↑ “新日鉄住金大分 粗鋼生産量・出荷量が過去最高”. 大分合同新聞. (2014年4月12日) . 2015閲覧.
- ↑ 羽間乙彦 『永野重雄論』 ライフ社〈現代人物論全集〉、1977年、138-150。
関連項目
- 新日鐵住金大分サッカー部 - 製鉄所のサッカー部。
- 新日鐵住金大分ラグビー部 - 製鉄所のラグビー部。
- 新日鐵住金光鋼管工場
外部リンク