2011ユーロ圏における債務危機

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2010年、頭文字をまとめてPIGSと称されるポルトガルアイルランドギリシアスペイン(のちにイタリアを含めてPIIGSとも記される)の国債市場が大荒れの様相を呈し、それが各国の資金繰りにかつてない規模の圧力をかけ、ユーロ圏諸国の中央銀行やヨーロッパ中央銀行(ECB)に影響が波及していった。5月には、大量の流動性供給と信用支援を通じて金融市場の信頼感を回復させ、ソブリンリスクを緩和しようとする努力に助けられ、危機はいったんはくい止められた。PIIGS諸国は精力的な財政改革と厳しい財政引き締め策を発表したが、年末にかけてユーロは再び押し下げ圧力を受けることとなった。11月、アイルランドは、国内の銀行を再建していっそうの混乱と金融市場への悪影響を回避するため、国際的な救済措置を受け入れるよう促された。それ以前にもすでに、ヨーロッパ連合(EU)と国際通貨基金(IMF)によりギリシアに対して総額1100億ユーロの3年にわたる緊急救済策が打ち出されていたほか、そのほかの債務国が債券市場で資金を調達できなくなった場合に備え、4400億ユーロのヨーロッパ金融安定化ファシリティ(EFSF)がユーロ圏各国によって創設されていた。

以前はユーロ圏の拡大が盛んに論議されていたものが、一転して、一部の国がユーロを離脱する可能性が取りざたされるようになった。しかし各国の債務はユーロ建てであるため、ユーロを放棄して価値の下がった旧通貨に回帰するのは実行可能な選択肢とはいえない。従来は高賃金と手厚い福祉システムを享受し、安穏としていた西ヨーロッパの先進国は、雇用の喪失や、年金の受給資格を満たすために就労期間を延長する必要性、各種の福祉手当の削減などの不安に悩まされることとなった。年金改革は遅きに失した感があり、縮小する労働人口に依存する高齢者の比率が拡大している影響を緩和するためには、是が非でも実施する必要がある。9月に行なわれた年金の積立不足に関する調査によると、EU27ヵ国の労働者が引退後に生活水準を維持するためには、今後さらに年間1兆9000億ユーロを蓄えなければならない計算となる。

多くのヨーロッパ諸国では財政引き締め策が国民の生活を圧迫しつつある。社会状況の悪化に伴い、政治指導者の多くは人気を失い、緊縮政策が頻繁な抗議行動やストライキを引き起こし、ギリシアでは死者や重傷者が出る事態となり、フランスでは12ヵ所の石油精製所が閉鎖された。また、首脳同士の不和や基本方針のくい違いが目立つようになった。フランスのニコラ・サルコジ大統領がフランスに住むロマ(ジプシー)をルーマニアやブルガリアに送還することを決めると、EU指導者の多くがこれに反発し、フランスはヨーロッパ委員会から処分の警告を受けることとなった。浪費傾向の強い南部の地中海沿岸諸国の救済にドイツが消極的なことで、アンゲラ・メルケル首相は交渉において不利な立場に立たされた。さらなる懸念要因は、かねて同盟関係にあるフランスとドイツ間の亀裂が広がり、ユーロ圏改革の合意が困難になったことである。EUの一員ながらユーロ圏でないイギリスだけは、新たに誕生した連立政権が、緊縮政策に対し有権者の大半から暗黙の支持を受けた。

PIIGS諸国の経済危機はそれぞれ様相を異にしていた。アイルランドでは銀行の破綻が続いた。ギリシアでは2001年にユーロ圏に参加した時点から、財政赤字が対国内総生産(GDP)比でEUに課せられた上限の3%をこえていた。巨額の外国資本の流入で2007年までは経済成長率が大幅に押し上げられたが、その後は赤字が急激に膨張した。2010年2月、ギリシアはEUとIMFに救済を要請したが、救済策の立ち上げが5月まで遅れる間に混乱が拡大し、ドミノ現象への懸念が高まった。PIIGS諸国中で最小、最貧の国ポルトガルへの影響が心配されたが、財政は比較的良好な状態にあり、歳出削減によって2011年には赤字がGDP比4.6%まで縮小するとみられている。スペインではアイルランドと同様、2008年までは財政黒字の状態が続いていたが、住宅ブームに牽引された長期にわたる大幅な経済成長に終止符が打たれ、2009年でGDP比11.3%と赤字が拡大していた。さらに17州が国家歳出の半分以上を占め、債務は1000億ユーロ以上に達していた。債務の約3分の1を抱えていたカタルニャ自治州は、多額の費用をかけて州民向けに利率4.75%の1年物国債を販売した。年の初め、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相は、2011年に赤字をGDP比6%まで削減することを目指し、ヨーロッパで最も厳しい緊縮予算を打ち出した。イタリアの赤字は5.3%とより低い水準だったものの、2011年には国債費がGDPの120%に達すると予想され、政府は大幅な歳出削減と厳しい脱税取り締まり策を発表した。

ユーロ相場は2010年の最初の数ヵ月は激しい乱高下を続けた。8月半ば、ユーロ圏の債券市場に関する疑念と、それが世界の市場に及ぼす影響への懸念が再燃し、ユーロ相場は対ドルで3ヵ月来の底まで下落した。しかし、ユーロには意外な二つの筋から買い支えが入った。スイス国立銀行(SNB)はかねてスイス・フランの対ユーロ相場の上昇を抑えるために為替市場で介入を行なっていた。債務危機をうけて、SNBは5月だけでユーロ買い介入額を推定550億ユーロまで加速させたが、それでもスイス・フランの対ユーロ相場は6月の初めに過去最高の1.37ユーロに達した。7月半ば、中国の温家宝首相は、最大の貿易相手地域であるEUの経済に対する信頼を表明した。中国はその前に、数百万ユーロ相当のスペイン国債を買い入れていた。2010年にはユーロ圏の債務危機が加速するのではないかとの懸念が引き金となって、安全な避難先としての金投資が拡大し、金価格は高値圏で推移していた。こうしたトレンドは、金スワップ取引が急増し、ヨーロッパの銀行が3月末までに(大半は1月)国際決済銀行に対し346tに上る金を売却し、引き換えに外貨を得ていた事実に反映されている。

7月、ヨーロッパ全域の91の金融機関に対して実施された健全性検査の結果が報告された。これは、金融機関が政府、企業、家計部門の経済状況悪化に耐えられるかどうかを検査したものだ。ただし、南ヨーロッパ諸国の国債投資額の大きさを考慮すると、この検査は正確性においても透明性においても十分でないと批判されている。91行の損失は2年間の合計で5660億ユーロに達した。スペイン5行、ギリシア1行、ドイツ1行の合計七つの銀行は、資産に対するTier1(基本的自己資本。資本金、準備金、利益剰余金など)の比率において要求された最低6%の基準を満たせなかった。ドイツの銀行の多くは脆弱な状態にあり、上位10行には1050億ユーロの資本注入が必要とされたが、ドイツ政府が強力な金融支援を実施したため、低コストでの借り入れが可能となった。金融市場の心理は全般に回復していったが、その一方で多くの銀行は、少なくとも2011年の初めまでは無制限に流動性供給を行なうというECBの約束を頼りにする状態だった。9月末までに、ECBの融資は8600億ユーロから5920億ユーロに減少し、PIGS諸国の借り入れは全体の61%を占めた一方、これら諸国がユーロ圏のGDPに占めた比率はわずか18%だった。

ユーロ圏は9月に再び混乱状態に陥った。アイルランドではそれまでに、500億ユーロを投じてアングロ・アイリッシュ・バンク、アライド・アイリッシュ銀行、アイルランド全国住宅金融組合を救済した結果、財政赤字がGDPの約32%にまで拡大していた。ドイツのメルケル首相が10月末、ユーロ圏の民間の債権者は債務再編計画の一環として損失の一部肩代わりを強いられると発言したことで、懸念が一気に高まった。メルケル首相はのちにこの発言を撤回している。アイルランド政府はEUの提案した救済策を当初は不要だとして拒否したが、債券市場の混乱によってアイルランドの借り入れコストはユーロ導入以来で最高の水準まで押し上げられ、ついには救済策を受け入れざるをえなくなった。

2010年末までには、ユーロ圏諸国の財務大臣はヨーロッパ金融安定化メカニズムを創設することで合意した。これは、債務超過に陥ったユーロ圏の国々の債務再編を厳格な条件下で支援するための恒久的な仕組みである。一方、経済が好調に成長しているドイツでは、活況を呈する中国市場向けの輸出がEU全体の半分近くを占め、失業率がほぼ20年来で最も低い水準まで下がっており、ユーロ圏諸国では北と南の格差が拡大の一途をたどっている。

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