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農奴制

のうどせい Serfdom and Villeinage


自分自身の生活手段はもっているが、人格の自由を欠く農民の身分を農奴という。しかし、農奴制を研究する歴史学者が当面する問題の一つは、これをどう定義するかということである。一説によると、農奴制とは公法上の制度であって、その存在を認めるためには農奴と自由人とを区別する若干の法律上の定義が必要となる。別の説によると、農奴制とは一つの社会的状況であって、これを法律で定義することは必ずしも必要ではない。社会の現実は、法的に認知されないままで長期間にわたり存続するものが多いので、法律上定義した農奴制と社会学的に定義した農奴制とが、時代あるいは場所の点で必ずしも一致しないということになる。ある社会的状況が、その法律上の定義が決まる前に現れたり、法律が消える前に、事実上影をひそめたりするということはよくあることである。

イギリスでは古い時代から隷属的な社会的状況が存在していたが、自由と奴隷制との中間状態が法律のうえに現れたのは、12世紀に入ってからのようである。イギリスの法律学者のなかには、農奴は法律上は17世紀にも存在していたが、社会的現実としてはそれよりも前に消滅していた、と主張する者もあった。

一部の歴史学者(たとえば、アレグザンダー・エック、ジョージ・バーナズキー)によると、ロシアに農奴制が現れたのは16世紀末になってからである。他の歴史学者(たとえば、ボリス・D.グレコフ)によると、キエフ・ロシア(キエフ公国)における自由農民の隷属状態への没落は9世紀に始まっているという。イスラム教国の法律には自由人と奴隷との間の中間的な身分は見当らないが、中東におけるかつてのセルジューク・トルコ(セルジューク朝)領では、多くの農民が経済的、社会的にみて隷属状態にあった。したがって本項では、農奴制の経済的および社会的側面を説明し、あわせて法律上の定義にもふれておきたい。法律上の定義は、農奴制から利益を受ける人たちが、自分たちの特権を強固なものとするためにあとで考え出したものである。