福井洞窟
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長崎県内の位置
福井洞窟(ふくいどうくつ)は、長崎県佐世保市吉井町(旧北松浦郡吉井町[1])にある旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡である。国の史跡。
概要
佐々川支流の福井川に面し、西向きに開いた間口12メートル、奥行6メートル、高さ3メートルの岩陰状の洞穴で、標高80メートル、稲荷神社の境内に位置する。地元の郷土史家・松瀬順一が、稲荷神社の改修工事の際に石器を発見して遺跡の存在を広めた。昭和35年(1960年)から39年(1964年)にかけて、芹沢長介らが3回にわたり発掘調査した。ただし、稲荷神社の本殿直下は未調査のため、全貌は明らかになっていない。平成24年(2012年)2月より50年ぶりに本格的な発掘調査が行われる予定である[2]。
発掘の状況
7層の遺物包含層が確認されている。
- 第1層:石鏃と押形文土器、縄文時代早期
- 第2層:船底形の細石核と細石刃、爪形文土器
- 第3層:船底形の細石核と細石刃、隆起線文土器(1960年代に炭素14年代測定法で12000~13000年前と測定された。)
- 第4層:半円錐形の細石核と細石刃、片面調整円形石器、尖頭器(せんとうき)
- 第7層:黒曜石の小石核と小石刃
- 第9層:サヌカイトの石核と翼形剥片
- 第15層(最下層):サヌカイトの大型石器 (槍先形両面調整石器、削器)と刃型剥片C14年代測定法では、31,900年以上前と推定。
これまで土器は縄文時代草創期が最古のものだった。福井第2-4層の土器は、日本で初めて発掘された旧石器時代の土器である。これを機に、土器製造の歴史を遡る調査研究が盛んになった。
また、第2-7層で多種多様な細石核が出土したことから、日本全土で旧石器時代末期に流行した細石器の製造法の変遷が確認された。福井の細石核を基準として、細石器の編年が可能となった。
第7層で初めて黒曜石の使用が始まり、サヌカイトの使用は急激に衰えるが、これは伊万里市の腰岳や佐世保市の針尾島などの黒曜石産地の発見・交流の成果と見られている。
アクセス
脚注
- ↑ 市町村変遷パラパラ地図完全版長崎県
- ↑ 「国内最古級遺跡 福井洞窟本格調査へ」(西日本新聞2012年2月7日朝刊)[1]