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日本の思想

日本の思想を考えることは、ほかでもない、われわれ日本人が自分自身の思想を問題にすることである。もちろん、古代や中世、近世の日本人の思想がそのまま現在のわれわれの思想ではない。しかし、現代のわれわれの思想は歴史的に形成されたものであり、歴史と関係なく突如としてつくられたものではない。歴史との断絶を主張する者でも、その無意識の層において歴史とのつながりをもっている。われわれが、自己自身を、単に意識的、自覚的な層に限らず無意識的、無自覚的な層をも含めて総体的に理解しようとすれば、われわれは必ず伝統とのつながりを問題にしなければならなくなる。伝統とのかかわりをもちつつ自己を総体的に理解しえて初めて、われわれは自己のもつ可能性を、あるいは克服すべき問題点を真にとらえることができる。

われわれ日本人は、これまで先進文化圏の思想の受容に急であり、静かに自己を見つめることに欠けるところがあった。静かに自己を総体的に見つめ、自覚的に自己と対決することが少なかったから、一層それだけ過去のものが無意識、無自覚の層において受継がれることになった。表面は新しい外来思想の装いによって彩られていても、事あるときには、この底辺にある過去から受継いだ発想が噴出するということにもなった。現代のわれわれに与えられている課題の一つは、かくて、静かに自己自身を見つめ、これを自覚し、その自己と対決することであると思われる。

先にも述べたように、日本人はこれまで、先進文化圏の思想の受容理解に追われてきた。古くは中国大陸の仏教、儒教、新しくは西洋の近代思想の受容に追われてきた。それは常に真理を求めてやまない一種の理想主義ということもできよう。そして、日本人の思想からこれら外来思想の影響によって形成されたものを一切切捨てたならば、あとにはほとんど何も残らないといってもよかろう。それならば、日本の思想などという独自なものはなく、すべてが仏教、儒教あるいは西洋の思想に解消されてしまうかというと、そうではない。

日本人は、外来思想を受容するとき、長い年月にわたるその受容過程のなかにおいて、その外来思想に対する日本人独自の理解を押出してきた。つまり日本人は外来思想を受容し、これによって養われつつ、またその理解を通して日本人独自の思想を形成してきた。近世の国学者のように、外来思想の影響をすべてはぎ取ったところに日本人の思想を見出そうとすることは誤りであり、国学的方法によって取出されるのは外来思想の影響を受けない以前の日本人の思想であるにすぎない(国学)。しかも、外来思想の洗礼をなんらかの形でも受けない古代の思想を取出すことははなはだ困難である。われわれは、外来思想の受容の独自の仕方、その日本化の過程のなかに、日本の思想を見出さなければならない。いかなる外来思想の受容にも、その理解におのずからある傾向が見出されるとすれば、そこにこそわれわれは日本人の思想の基本的性格を見出すことができるのである。