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安倍貞任

安倍 貞任 (あべ の さだとう)

[生] 寛仁3(1019)

[没] 康平5(1062).9.17. 陸奥,厨川

平安時代中期の武将。頼時の子。通称厨川二郎。永承6 (1051) 年,父とともに朝廷に反抗,陸奥守藤原登任の軍を破り,次いで着任した源頼義に帰順したが,天喜4 (56) 年,貞任が権守の子弟を夜襲したという嫌疑をかけられたことから頼義と安倍一族の戦いが再開された (前九年の役 ) 。安倍氏は集団的な同族支配を行い,奥6郡では頼時の諸子が分割支配し,貞任は岩手郡厨川柵 (くりやがわのき) に拠った。天喜5 (57) 年,父頼時は戦死したが,貞任のもとに固く結束した安倍一族は,河崎柵に頼義の軍勢を破った。その後数年間,衣川以南の内郡にも勢力を張ったが,康平5 (62) 年,頼義が出羽俘囚 (ふしゅう) の長清原光頼,武則兄弟との同盟に成功するや,貞任はこの連合軍に衣川,鳥海両柵を奪われ,ついに本拠厨川柵に敗死,その首は京都西獄門にさらされた。容貌魁偉,身長6尺 (180cm) 余,腰囲7尺4寸 (222cm) と伝えられる。衣川の戦いで,源義家が「衣のたてはほころびにけり」と歌いかけたとき,貞任が即座に「年をへし糸のみだれのくるしさに」と答えたので,義家は感心して矢をはずして引揚げた,という説話は有名。



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