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可児川

可児川(かにがわ)

岐阜県を流れる木曽川水系一級河川

源を瑞浪みずなみ市西方日吉ひよし地区の高原地帯に発し、松野まつの湖から御嵩みたけ鬼岩おにいわを経て北西へ流れ、御嵩町域を貫流。同町顔戸ごうど付近で南西へ方向を変えて同町と可児市との境を流れたあと可児市に入り、蛇行しながら同市域を東から西へ縦断。土田どた地内で木曾川に注ぐ。この間御嵩町内で津橋つばし川・切木きりき川・唐沢からさわ川・真名田まなだ川・比衣ひえ川などの支流を合せ、可児市内では瀬田せた川・久々利くくり川・横市よこいち川・矢戸やと川などがいずれも南岸から合流する。流路延長約二六・二キロ、流域面積約144.3平方キロ。上流の次月しづき地区の鬼岩付近は渓谷であるが、大部分は平坦地を流れるため、中流の古屋敷ふるやしき・顔戸(現御嵩町)以下では幾度も流路の変更があった。可児市内では恵土えど広見ひろみ(伊香)地区の境界は可児川であるが、貞享三年(一六八六)の出水で東へ約二〇〇メートルも流路が変わり、この地点では広見の四小字(柳原・落合・古川・三本松)は川を越えている。

当川流域には東濃地方の代表的な古墳が集中し、また顔戸・古屋敷より下流沿岸の水田地帯には条里遺構が広範囲に確認される。川名の初見は承暦二年(一〇七八)一二月二二日の大宰大弐宅解并左京職等証判(石清水文書)で、明知あけち庄の西と北の境が「可児河」であった。かに川と記されることもある(美濃雑事紀)。平安期以降流域に中村なかむら郷・荏戸えど郷・小泉こいずみ御厨・明知庄などが成立。近世には上流から明知・顔戸・日下部くさかべ清内せいない伊香大井いこうおおゆ観音田かんのんだ上之井かみのゆ小井こゆ下之井しものゆ長津良ながつら一の井いちのい二の井にのいなどの用水が設けられ、延べ四四〇町歩以上の水田を灌漑した。このうち最大規模のものは古屋敷村内で取水し明知八ヵ村を潤す明知用水で、築造はおそらく中世にさかのぼるとみられる。当川は灌漑面積に比して流量が少ないため渇水期には用水が減少し、各村とも水不足に悩まされた。各村間の水論が絶えず、川瀬の変化や支配領主が複雑に入組んでいることもあって、争いは長期にわたって続いた。例えば右岸の恵土九ヵ村と左岸の伊香七ヵ村との間では、延宝(一六七三―八一)頃から新堰築造を発端に双方から村民多数が出て争うなど用水をめぐる相論が繰返されている。現在用水路は顔戸・日下部・清内・二の井などの七ヵ所の頭首工から取水されている。

昭和三六年(1961)には瑞浪市日吉町松野地内で洪水調節・農業用水確保を目的とする防災溜池工事が竣工。最大湛水面積三四ヘクタール・貯水量約331万トンの松野湖が造成された。同五四年には御嵩町前沢まえざわ地内に貯水量200万トンの前沢ダムが完成した。一方、近年流域に住宅団地建設・ゴルフ場造成など開発が進み、工場進出に伴い、工業廃水による川の汚染が進んでいる。

関連項目

脚注