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ローマ史

Roman history

前7世紀テベレ川東岸にいくつかのラテン人,サビニ人の共同体が,通商上の理由から集住して都市国家を形成したのが起源。初期はゆるやかな王政をとり,一時エトルリア人の支配下に入って文化にも大きな影響を受けた。伝承では前 509年になって共和政が成立。

土地所有,奴隷を含む財産,血統にすぐれるパトリキ (貴族) が高級政務官,元老院を占めて,プレプス (平民) も参加した兵員会を支配して国政を指導。しかし両身分間の抗争が続き,重装歩兵として実力を上昇させたプレプスが発言力を強めて,平民会,十二表法,リキニウス法の成立によって両身分は形式的に平等となった。ただ政治を左右したのはパトリキと富裕な少数の上層プレプスであり,彼らが寡頭政体制を進めた。前3世紀までにはイタリア半島の諸都市を条約の形で服属させ,海外に進出。3度のポエニ戦争でカルタゴをくだして地中海の制海権を手中にし,シチリア,ヒスパニア,アフリカ,さらにマケドニア,ギリシア,小アジアにも進出,これを属州として,奴隷,物資の供給源とした。新興騎士身分 (エクイテス ) が中心になって商業が発展,属州搾取と奴隷制を支柱とするローマの支配は帝国的な性格を示してくる。他方富を獲得した上層民の土地兼併はラチフンディウムを発展させ,一方では下層民の没落ははなはだしく,共同体の分解は顕著になった。

グラックス兄弟の改革も失敗に終り,富と武力を握る有力者がその支配下に多数のクリエンテラを従えて抗争する内乱の1世紀に突入。まずユリウス・カエサルが勝利を得て帝政への一歩を踏出すが,暗殺され,その甥オクタウィアヌス (アウグスツス ) が最終的に権力を獲得,元首政 (プリンキパツス ) を開始した。エジプトをはじめ東方諸王国,さらにブリタニア,ゲルマニアも支配下に入れ,パックス・ロマーナの旗印のもと,五賢帝の時代 (96~180) に帝国は極盛期に達した。共同体的体制は完全に払拭され,階層分化とその固定化が進んだ。しかし外征が限界に達して奴隷源の涸渇,市場の縮小という事態にいたり,しかも元首を頂点とする一部階層による搾取体制の存続は健全な経済の発展を阻害し,都市中産層を没落させていった。さらに異民族の侵入,疫病もあって,3世紀に入るや帝国の衰運は決定的となる。

軍団の介入による政治的混乱はディオクレチアヌスによって克服されたが,統制経済,強制国家へと変質し,専政君主政が出現。コンスタンチヌス1世 (大帝) がこれを引継ぎ,キリスト教を支配理念とする後期帝政 (ドミナツス体制) が成立した。帝国の中心は東方ギリシア世界に移り,東西の分裂傾向は 395年テオドシウス1世の死後の帝国分離によって決定的となった。東ローマ (ビザンチン帝国 ) は 15世紀まで存続したが,西ローマは異民族の侵入により急速に衰えた。