ヨハネス10世 (ローマ教皇)
提供: miniwiki
ヨハネス10世(Ioannes X、860年頃 - 928年6月)
914年3月,ラベンナ大司教を務めていたときに,教皇ランドゥス(在位 913~914)の後継者に選ばれた。
ベネディクト会から新たに分派したクリュニー会(クリュニー修道院)の厳格な戒律を承認した。
また,南イタリアからサラセン人(サラセン)を駆逐するために,ビザンチン皇帝やイタリア王ベレンガーリョ1世(在位 888~889,898~924)と同盟を結んだ。
915年8月,ローマの元老院議員テオフィラクツスおよびスポレト公(スポレト)アルベリック1世と連合し,ガリリャーノ川でサラセン軍を打ち破った。
915年12月にベレンガーリョ1世を西ローマ皇帝の座につかせ,その死後は後継者のイタリア王ウーゴと同盟してローマの貴族社会から距離を置こうとした。このことに激怒したテオフィラクツスの娘マロツィアにより,サンタンジェロ城に幽閉され,そこで死亡したとされる。