ミロシェビッチ政権の崩壊2001

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2000年10月5日、ベオグラードの連邦議会前を埋めつくした民衆は、新生ユーゴの将来をコシュトニツァ新大統領に託した。

1987年以来、13年間におよびセルビア共和国とユーゴスラビア連邦の権力を握ってきたスロボダン・ミロシェビッチの政権が、2000年9月24日に行なわれた大統領選挙結果の不正工作をめぐる混乱のなか、「民衆革命」によって崩壊した。ミロシェビッチ政権下の13年間に旧ユーゴスラビアは解体し、クロアチア内戦、ボスニア内戦、コソボ紛争といった一連のユーゴ紛争が続いた。たしかにこれら紛争の責任の一端はミロシェビッチ政権にあった。しかしミロシェビッチをセルビア民族主義者でコムニストと規定し、「セルビア悪玉論」にのっとって一連の紛争に対応した国際社会にも紛争長期化の責任がある。ここではその両面を考えながら、ミロシェビッチ政権がなぜこれほど長期間にわたって権力を保持しえたのかを概観したうえで、「ヨーロッパの孤児」となってしまったミロシェビッチ政権の崩壊過程をたどり、ボイスラフ・コシュトニツァ率いる新政権の課題を考えてみたい。