ケーニヒスベルク城

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ケーニヒスベルク城ドイツ語: Königsberger Schloss, ロシア語: Кёнигсбергский замок)とは、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現:ロシアカリーニングラード州首府カリーニングラード)に存在したである。

第二次世界大戦で破壊され廃墟になった。1968年にソビエト連邦政府によって完全に破壊され、その後は「ソビエトの家」と呼ばれる建物が長い間建設中となっている。

歴史

プレゴリャ川が近くに流れ、交通の要衝であったこの場所には元々 Tuwangste と呼ばれるプルーセン人の砦が存在した。 1255年にドイツ騎士団によって侵略された後、この場所に土と木で臨時の砦が建造された。1257年に、石で作られた「Conigsberg」と呼ばれるオルデンスブルク様式の城が建造された。この城は16世紀から18世紀にかけて、幾度かの拡張と防御力の強化が行われた。

要塞は後に城に改築され、さらにドイツ騎士団総長の邸宅となり、そしてプロイセン支配者の邸宅となった。

1815年のブリタニカ百科事典には、「この豪華な宮殿には、柱を含めない大きさでは83.5 m X 18 mのホールがあり、見事な図書室が備えられている。ゴシック建築の塔は284段の階段を登ると高さが 100 mあり、とても遠くまで見渡せる」と記載されてる。西側にはSchloßkirche(宮殿教会)があり、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世らの戴冠式に使われた。

ファイル:Dom sovetov.jpg
ソビエトの家
現在

第二次世界大戦で破壊された跡地(側)には、「ソビエトの家」(en、愛称は「埋められたロボット」)という建物が、戦後から長い間建設中である。

延長の理由は、高層ビルを建てる強度が地盤に無く沈下する為、計画変更された。これを「プロイセン人の復讐」などと揶揄されている。

そして、1980年代後半に95%近く完成していたが「ペレストロイカ」後に、民営化の検討、そして裁判による売却無効などの混乱で中止になった。

2011年11月30日カリーニングラード州知事ニコライ・ツカノフはソビエトの家は「カリーニングラードの街の恥」で取り壊さねばならないとコメントしている。

ギャラリー

関連項目

出典

外部リンク