アレクサンダー・ベアリング (初代アシュバートン男爵)

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初代アシュバートン男爵アレクサンダー・ベアリング: Alexander Baring, 1st Baron Ashburton.PC1774年10月27日 - 1848年5月13日)は、イギリスの銀行家、貴族、政治家。

アメリカ合衆国に造詣が深く、ベアリングス銀行のアメリカ進出を進めた。

経歴

1774年10月27日ベアリングス銀行の創設者である初代準男爵サー・フランシス・ベアリングとその妻ハリエット(旧姓ヘリング)の次男として生まれる[1][2]。兄に準男爵位を継承するサー・トマス・ベアリングEnglish版がいるが[1]、兄は東インド会社に勤務していたため、弟であるアレクサンダーが若い頃から銀行家として訓練を受けた[2]

19世紀に入ってまもない頃に父が引退すると、長兄トマス、長弟ヘンリーEnglish版とともにベアリングス銀行を継承した。これに伴って1807年に「ベアリング・ブラザーズ」と社名を変更している[3]。兄弟の中でも彼が最も主導的で1810年の父の死で代わってベアリングス銀行頭取となる[2]

アレクサンダーはアメリカ進出を積極的に推し進めた。建国されたばかりのアメリカ合衆国のロンドンにおける代理人となり、1803年にはアメリカがフランスからルイジアナを買収できるよう取り計らい、その代金であるアメリカ政府債の発行の引受を行っている[3]1828年にはアメリカでのビジネス拡大を狙ってアメリカ人銀行家ジョシュア・ベイツEnglish版ベアリング家以外から初めてパートナーに迎え入れた[4]。その後の1830年に経営から引退している[3]

1806年トーントン選挙区English版から庶民院議員に初当選して以来(1826年まで同選挙区から当選、1826年から1831年までキャリントン選挙区English版、1831年から1832年までセットフォード選挙区English版、1832年から1835年まで北エセックス選挙区English版から選出される)、政界でも商業関連の問題で積極的に活動している[2]

1834年から1835年にかけては第2代準男爵サー・ロバート・ピールの第1次内閣で通商長官English版造幣長官English版を務めた[2][5]

1835年4月10日に「カウンティ・オブ・デヴォンにおけるアシュバートンのアシュバートン男爵(Baron Ashburton, of Ashburton in the County of Devon)」に叙され[5]貴族院議員に列した[6]

英領カナダとアメリカ合衆国の国教紛争をめぐって1842年にはアメリカに特使として派遣され、ウェブスター=アッシュバートン条約を締結した[2]

大英博物館ナショナル・ギャラリーの管財人も務めた[2]

1848年5月13日に孫に当たる第4代バス侯爵ジョン・シンEnglish版の邸宅ロングリートで死去[2]。爵位は長男ビンガムEnglish版が継承した。

栄典

爵位

その他

家族

1798年にペンシルバニア州選出のアメリカ上院議員ウィリアム・ビンガムEnglish版の娘アン・ルイーゼと結婚し、彼女との間に5男4女を儲けた[2]

脚注

注釈

出典

  1. 1.0 1.1 Lundy, Darryl. “Sir Francis Baring, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. . 2015閲覧.
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 テンプレート:Cite DNB
  3. 3.0 3.1 3.2 田中(2007) p.3
  4. 田中(2007) p.3-4
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 Lundy, Darryl. “Alexander Baring, 1st Baron Ashburton” (英語). thepeerage.com. . 2015閲覧.
  6. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「HANSARD」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません

参考文献

無効なパラメータ
先代:
ウィリアム・モアランド
ジョン・ハメット
トーントン選挙区English版選出庶民院議員
1806年English版1826年English版
同一選挙区同時当選者
ジョン・ハメット (1806–1811)
ヘンリー・ポーウェル・コリンズ (1812–1818, 1819–1820)
サー・ウィリアム・バロウズ準男爵English版 (1818–1819)
ジョン・アシュリー・ウォーレ (1820–1826)
次代:
ヘンリー・シーモアEnglish版
ウィリアム・ピーチェイ
先代:
エドワード・ピンダー・ライゴン
サー・クリストファー・ロビンソンEnglish版
キャリントン選挙区English版選出庶民院議員
1826年English版1831年English版
同一選挙区同時当選者
マティアス・アトウッド (1826–1830)
ビンガム・ベアリングEnglish版 (1830–1831)
次代:
ヘンリー・ビンガム・ベアリングEnglish版
エドワード・ハーバート
先代:
ジェイムズ・フィッツロイ卿
フランシス・ベアリングEnglish版
セットフォード選挙区English版選出庶民院議員
1831年English版1832年English版
同一選挙区同時当選者
ジェイムズ・フィッツロイ卿

同職:Lord James FitzRoy
次代:
ジェイムズ・フィッツロイ卿
フランシス・ベアリングEnglish版
新設 北エセックス選挙区English版選出庶民院議員
1832年English版1835年English版
同一選挙区同時当選者
サー・ジョン・ティレル準男爵English版
次代:
サー・ジョン・ティレル準男爵English版
ジョン・ペイン・エルウィス
公職
先代:
チャールズ・ポウレット・トムソンEnglish版
通商長官English版
1834年1835年
次代:
チャールズ・ポウレット・トムソンEnglish版
先代:
ジェイムズ・アバークロンビーEnglish版
造幣長官English版
1834年1835年
次代:
ヘンリー・ラボシェールEnglish版
イギリスの爵位
先代:
新設
初代アシュバートン男爵
1835年1848年
次代:
ビンガム・ベアリングEnglish版