経口避妊薬
経口避妊薬(けいこうひにんやく、英語: combined oral contraceptive pill (COCP)、oral contraceptive (OC))とは、主に避妊に用いられる女性ホルモン剤。ピル[1]とも呼ばれる。ピルと言った場合、通常低用量ピルを指す。
概要
経口避妊薬(以下「ピル」)は、1960年代にアメリカ合衆国で開発され、広く普及した[2]。世界で1億人の女性が服用するとされるが、使用状況は国ごとに大きく異なる。アメリカでは1200万人の女性が使用し[3]、イギリスでは16 - 49歳の女性の1/3が内服している[4][5]。
成分にエストロゲンとプロゲステロンが含まれ、これにより排卵を抑制する。避妊の機序は、
である。正しく服用した場合の妊娠の確率は、パール指数(パールインデックス)はピルで0.3%、避妊手術で0.1 - 0.5%、薬剤添加IUDで0.1 - 0.6%である[6]。飲み忘れも含めた一般的な使用では、ピルで8%、避妊手術で0.15 - 0.5%、薬剤添加IUDで0.1 - 0.8%である[7]。
避妊以外にも、生理周期の変更や月経困難症の緩和、子宮内膜症の治療などに使われる。かつては高用量ピル・中用量ピルが用いられていたが、副作用の低減を目的として低用量ピル、超低用量ピルなどが開発されて主流となっている。
日本では、以前から治療目的の、ホルモン量が低用量ピルの10倍程度の中用量ピルが認可されていたが、1999年に避妊目的の低用量ピル(oral contraceptive (OC))が認可され、2008年に月経困難症の治療薬として認可された。避妊用としては、低用量ピルが主流になっている。黄体ホルモンのみを含むピルは「ミニピル」と呼ばれ、授乳中など卵胞ホルモンが禁忌である場合に処方されるが、日本では未認可である。
生理開始日から、1日1錠を決まった時間に21日間服用し、その後の7日間服用を休む周期が基本となる。したがって、PTPパッケージも殆どが1シート21錠入りのもの(使いきった後の7日間は服用しない)か、28錠入りのもの(7日分には、有効成分が全く入っていない「デンプンの塊」)である。
本剤の服用は、医師の診察を受け、健康状態を考慮して、処方を受ける必要がある。
服用できない場合
一般に下記の症状がある人には使用できない(禁忌)。
- 成分に過敏性素因がある人
- 乳がん・子宮内膜がん・子宮頸がん及びその疑いのある人
- 診断の確定していない異常性器出血のある人
- 血栓性静脈炎・肺塞栓症・脳血管障害・冠動脈疾患及びこれらの疾患にかかったことのある人
- 35歳以上で1日15本以上のタバコを喫煙する人
- 前兆のある片頭痛の患者
- 肺高血圧症又は心房細動を合併する心臓弁膜症の患者、亜急性細菌性心内膜炎になったことのある心臓弁膜症の患者
- 糖尿病性腎症、糖尿病性網膜症など血管病変を伴う糖尿病患者
- 血栓性素因のある人
- 抗リン脂質抗体症候群の患者
- 手術前4週以内、術後2週以内、産後4週以内及び長期間安静状態の人
- 重篤な肝障害がある人
- 肝腫瘍がある人
- 脂質代謝異常のある人
- 高血圧の人(軽度の高血圧の患者は除く)
- 耳硬化症の人
- 妊娠中に黄疸、持続性そう痒症又は妊娠ヘルペスの症状が出たことのある人
- 妊娠又は妊娠している可能性のある人
- 授乳婦
- 骨成長が終了していない可能性がある人
- 重篤な腎障害、又は急性腎不全のある人(これが禁忌に入っているのは黄体ホルモンとしてドロスピレノンを含有する製剤のみ)
また糖尿病患者や耐糖能異常の人、年齢が40歳以上の人、心疾患の患者、乳癌の家族歴又は乳房に結節のある人、血栓症の家族歴を持つ人、喫煙者、肥満、心臓弁膜症やてんかんの患者などは、慎重な投与をすることが求められている。
副作用
体重の増加(肥満)、片頭痛、吐き気、嘔吐、イライラ、性欲減退、むくみ、膣炎などがあげられる。このほか稀な例ではあるが、肝機能障害、長期服用による発癌性などの可能性が指摘されている。子宮筋腫、糖尿病を悪化させる可能性があるとも言われている[8]。
主要な副作用として血栓症が挙げられる。ピルは血栓が起こるリスクを3 - 5倍引き上げるとされ、イギリスで10年間に104人が血栓症で死亡したと公表されてされており、スウェーデンやニュージーランドでも集団訴訟が起こされている。
妊娠した場合の血栓症発症率はピル服用者の約2倍、産後12週目では約10倍で、妊娠の方がはるかに血栓症のリスクが高い。医学的理由で服用禁止とならなければ閉経まで飲み続けても問題ない。
日本ではバイエル薬品の超低用量ピル「ヤーズ」により、2013年6月に服用した20歳代の女性が頭蓋内静脈洞血栓症で死亡した。その女性は、婦人科で月経困難症の診断で超低用量ピル「ヤーズ」を毎日1錠内服するよう処方された。2日目に頭痛が起こり、6日目には頭痛、吐き気、動悸など体調不良がひどくなったため内科受診し、吐き気止めと胃腸薬を処方された。9日目に頭痛・嘔気・ 食欲不振が続くため、内科受診し精神安定剤を処方された。当初の婦人科も受診した所、ヤーズ内服を総内服量7錠の時点で中止し、脳外科受診を勧められた。嘔吐、歩行困難もあったが検査予約して帰宅。10日目体動困難となる 。11日目の朝ベッドの上で失禁状態で発見され、病院へ搬送された。意識レベル低下し痙攣もあり、CT所見より脳静脈洞血栓と診断された。抗凝固剤のヘパリン治療開始。12日目に呼吸不全となり気管挿管施行。13日目に死亡した[9]。その後2人目の死亡者が発生した。10代後半の女性であり、投与開始から526日目に肺動脈塞栓症で死亡したと推定されている。ヤーズは月経困難症と子宮内膜症の治療のために、ロキソプロフェン、レバミピドとともに処方された。 初回投与から526日後に、患者が外出して下宿に帰宅した後に連絡が途絶え、その3日後に下宿内で死亡しているのが発見された。解剖の結果肺動脈の本幹に血栓があり、肺動脈塞栓症が死因と確定。初回投与の499日後に2シート(56錠)を最終処方しており、36錠残っていた[10]。医薬品医療機器総合機構(PMDA)は、処方時には患者に血栓塞栓症のリスクについて説明するとともに、新たに作成した「患者携帯カード」を渡すよう求める文書を掲載した。2013年10月には、日本産婦人科医会が女性ホルモン剤使用中患者の血栓症に対する注意喚起を行った。また、1例目の死者が出た時点で、87人が副作用で血栓塞栓症になったと報告された。その後、同年12月に肺と足の血栓症により40代女性が死亡した。
PMDAの集計などによると、2008〜2013年上半期に日本で使用されたピルに関して、血栓の重症例が延べ361件副作用として報告されていた。副作用の報告は08年の33件から12年の105件に増え続けていた。死亡は11件あり、10代1人、20代2人、30代4人、40代1人、50代2人、不明1人だった[11]。
発癌性に関しては、国際がん研究機関によるIARC発がん性リスク一覧で、「経口避妊薬の常用」に関して「Group1 ヒトに対する発癌性が認められる」と評価されている。
また、喫煙を伴うと心臓・循環器系への副作用が高まるため、ピルを服用するなら禁煙することが望ましい。
避妊目的以外の利用
生理周期の安定、生理痛の軽減、経血量の減少など、月経に関する症状の治療目的で使用される。また、子宮内膜症の予防・病巣進行の停止、子宮体がん、卵巣癌のリスク軽減なども期待できる。副作用でもある抗アンドロゲン(男性ホルモン)作用を利用したニキビ治療[7]、毛が薄くなることが報告されている[7]。
モーニングアフターピル
モーニングアフターピルは避妊措置に失敗、または避妊措置を講じなかった性行為後に緊急的に用いるものであり、通常のピルのように計画的に妊娠を回避するものではない。1970年代よりYuzpe(ヤッペ)法と呼ばれる中容量ピルを使った緊急避妊は欧米で実施されており、日本でも「医師の判断と責任」によって緊急避妊法としてホルモン配合剤あるいは銅付加子宮内避妊具が利用されてきた。1999年にレボノルゲストレル錠が "NorLevo®" としてフランスで正式に商品化された。WHOもレボノルゲストレルの導入を後押ししたが、ピルと同様に日本では導入が遅れ2011年2月23日に緊急避妊薬ノルレボ®として承認された(アジアで認可していないのは日本と北朝鮮だけであった)。
ヤッペ法
ノルレボの発売まで緊急避妊法として日本で最も一般的に行われてきた方法が、1970年代に発表されたYuzpe(ヤッペ)法である。この方法は性交後72時間以内に0.5mgのdl‐ノルゲストレル(NGR)と0.05mgのエチニルエストラジオール(EE)を含有する「いわゆる」中用量ピルを2錠、さらにその12時間後に2錠を服用するというものである[12]。前述したように「医師の判断と責任」によってすでに緊急避妊以外の適用で承認されている薬剤であるプラノバール配合錠が転用されてきたのだが、中用量ピルであれば緊急避妊として使用できると誤解している婦人科医師がおり、ソフィアA(1錠中ノルエチステロン 1.00mg,メストラノール0.05mg)、ソフィアC(1錠中ノルエチステロン 2.00mg,メストラノール0.10mg)などをプラノバール配合錠(1錠中ノルゲストレル 0.5mg,エチニルエストラジオール 0.05mg)と同様の方法で処方されていることから、インターネットなどで情報を得ている女性の間でも不安が広がった[13]。
レボノルゲストレル
ノルレボ®はレボノルゲストレル(LNG)0.75mg錠で、性交後72時間以内に(できる限り速やかに)確実に2錠服用する。72時間を過ぎたケースでは、IUDやミレーナの留置で対応される。
ノルレボ®による作用機序は十分には解明されていないが、その効果は主に着床の阻害よりも排卵の抑制あるいは排卵の遅延によるものと考えられている。卵胞期(排卵前)に使用することによって排卵過程を妨げることが明らかにされている。LHサージ前(卵胞サイズ15㎜未満)に緊急避妊薬の投与がされると、約80%の女性でその後5日以内の排卵が阻害されるか、あるいは排卵障害(LHサージの消失、もしくは卵胞破裂後にLHサージが現れる)が起こる。したがって緊急避妊薬を排卵前に投与することによって、その後5~7日間排卵が抑制され、その期間に女性の性器内に進入しているすべての精子が受精能力を失うことになる。また排卵後の服用であった場合黄体期のLH濃度の低下と黄体期の短縮での避妊効果を発揮する根拠となる。[14]。
緊急避妊薬の禁忌は、本剤の成分に対する過敏症の既往がある場合、重篤な肝機能障害のある場合(代謝能の低下により肝臓への負担が増加し、症状が増悪する可能性があるため)、妊婦(成立した妊娠には効果がないため)[15]、である。その他肝障害のある場合、心疾患・腎疾患又はその既往歴のある場合(電解質代謝への影響によるナトリウムや体液の貯留により、症状が増悪する可能性があるため)にも慎重を要する[15]。また、重度の消化管障害あるいは消化管の吸収不良症候群がある場合,本剤の有効性が期待できないおそれがある[15]。
副作用は、消退出血(46.2%)、不正子宮出血(13.8%)、頭痛(12.3%)、悪心(9.2%)、閨怠感(7.7%)などがあり、その他にめまい、腹痛、嘔吐、下痢、乳房の痛み、月経遅延、月経過多、疲労などがある[15]。妊娠回避効果は100%ではなく、排卵日付近の性交渉ではレボノルゲストレルを使っても81〜84%である[15]。。
なお「受精卵の着床よりも先に子宮内膜を剥がして生理様の出血を起こし、妊娠成立を阻止する」ために性行為後に服用するホルモン剤のこと、あるいは、モーニングアフターピルは体内ホルモン濃度の急上昇急降下による落差で消退性出血を導く方法である説明をするサイトもあるが、ノルレボの添付文書においては
【薬効薬理】本剤の子宮内膜に及ぼす作用,脱落膜腫形成に及ぼす作用,受精卵着床に及ぼす作用,子宮頸機能に及ぼす作用及び排卵・受精に及ぼす作用に関する各種非臨床試験を行った結果,本剤は主として排卵抑制作用により避妊効果を示すことが示唆され,その他に受精阻害作用及び受精卵着床阻害作用も関与する可能性が考えられた.
—あすか製薬、ノルレボ添付文書
という説明になっている。 またYuzpe法(後述)の作用機序についても
1.血中LHピークの前に投与した場合/血中LHピークの低下や遅延により,無排卵,遅延排卵,または黄体期の短縮を起こす.
2.血中LHピークの後に投与した場合/血中プロゲステロン濃度の低下や子宮内膜の発育異常などの黄体機能不全を起こす.—南山堂、Pill 経口避妊法のすべて
との文献が1989年時点である。
ノルレボは薬価未収載、プラノバールは収載品ではあるが、緊急避妊は保険が効かない自由診療となる。
脚注
- ↑ 「ピル」は錠剤一般を示す言葉であり、英語でも"the pill"と固有名詞で表現される場合は経口避妊薬(the contraceptive pill)を指す。
- ↑ UN Population Division (2006). World Contraceptive Use 2005 (PDF), New York: United Nations. ISBN 92-1-151418-5. women aged 15–49 married or in consensual union
- ↑ Mosher WD, Martinez GM, Chandra A, Abma JC, Willson SJ (2004). “Use of contraception and use of family planning services in the United States: 1982–2002” (PDF). Adv Data (350): 1–36. PMID 15633582 . all US women aged 15–44
- ↑ Dr. David Delvin. “Contraception – the contraceptive pill: How many women take it in the UK?”. . 2015-5-30閲覧.
- ↑ Taylor, Tamara; Keyse, Laura; Bryant, Aimee (2006). Contraception and Sexual Health, 2005/06 (PDF), London: Office for National Statistics. ISBN 1-85774-638-4. Retrieved on 2015-5-30. British women aged 16–49: 24% currently use the Pill (17% use Combined pill, 5% use Minipill, 2% don't know type)
- ↑ Hatcher R. A. et al. (2004). Contraceptive Technology: Eighteenth Revised Edition. New York: Ardent Media.
- ↑ 7.0 7.1 7.2 “低用量経口避妊薬の使用に関するガイドライン(改訂版) (PDF)”. 日本産科婦人科学会 (2005年12月1日). . 2015閲覧.
- ↑ ただし、子宮筋腫や糖尿病への影響が確認されたのは現在ではほとんど用いられない旧来の高用量ピルであり、避妊用の低用量ピルではほぼ無影響とされる。
- 低用量ピルと筋腫の関係について知ろう! 子宮筋腫・内膜症体験者の会たんぽぽ
- ピルと糖尿病
- 糖尿病と妊娠に関するQ&A-Q03 日本糖尿病・妊娠学会
- ↑ 超低用量ピル「ヤーズ」で日本初の死者
- ↑ 2013年10月10日医薬品医療機器総合機構
- ↑ ピルの副作用、血栓に注意を 5年で11人死亡例 朝日新聞 2013年12月17日
- ↑ 東峯婦人クリニック 松峯 寿美. “緊急避妊法:Yuzpe法(Yuzpe methods)”. 性と健康を考える女性専門家の会. . 2015閲覧.
- ↑ HORMONE FRONTIER IN GYNECOLOGY vol17 no,2 2010.6 プロゲスチンの臨床応用(5)緊急避妊とプロゲスチン/北村邦夫著より
- ↑ 緊急避妊法の適正使用に関する指針(日本産科婦人科学会編)より
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 ノルレボ錠の添付文書より([1]等)