いすゞ自動車
いすゞ自動車株式会社(いすずじどうしゃ、英語:Isuzu Motors Limited)は、主にトラック・バスの商用車を製造する日本の自動車メーカーである。かつてはゼネラルモーターズの関連会社だったが、2006年4月に資本関係を解消した。
Contents
概要
トヨタ自動車・日産自動車とともに、日本国内で日本企業による自動車の本格的な量産が始まった1930年代から四輪自動車を生産している自動車メーカーで、自動車・船舶・産業用ディーゼルエンジン技術を得意とする。
「いすず」ではなく、「いすゞ」が正式名称である。これは、書家・永坂石埭の書風である。中国語圏は、「五十鈴」(テンプレート:繁体字、簡体字: 五十铃)という漢字で表記する。「いすゞ」の文字を五十鈴川の12のさざなみで囲んだ初代社章デザインは、日本最初の図案屋と言われている「銀座・島丹誠道」の島欣一[1]。
「いすゞ」の名は伊勢神宮(三重県伊勢市)の境内に沿って流れ、神宮における潔斎の場ともなる五十鈴川に由来する[2]。元は商工省標準形式自動車として、前身となったメーカー各社と当時の鉄道省によって1933年(昭和8年)に共同開発された大型自動車(のちのいすゞ・TX・BX系各車の原型)に、1934年(昭和9年)に付けられた名前である。以後、合併や社名変更などの変遷を経ながら、太平洋戦争直前から戦時中にかけ、大型車両とこれに搭載する高速ディーゼルエンジンの分野で、国策企業として開発をリードした。
太平洋戦争後はトラック・バスなど、大型ディーゼル車両の生産で日本を代表するメーカーとなる一方、1953年(昭和28年)以降はイギリス車、ヒルマンのノックダウンで乗用車生産にも進出し、総合自動車メーカーを目指した。かつてはトヨタ自動車、日産自動車とともに日本自動車業界の御三家ともいわれていたが[3]、乗用車部門は長らく不振であり、1990年代から経営危機に陥りリストラを繰り返すようになった。
1993年(平成5年)にはSUVを除く乗用車の自社開発・生産から撤退し、日本国内では本田技研工業などからOEM供給を受けて販売を続けた。その後もビッグホーンやウィザードなどの自社製SUVの販売は続けられたが、2002年(平成14年)9月には日本国内での乗用車の販売を打ち切り、乗用車部門から撤退した(ただし、撤退後も販売していた初代コモは乗用登録が可能であった)。
また、関連企業との合併による拠点の集約などを行う一方、1万人規模となる極めて大規模な人員削減などを行った。株価が一時、自動車メーカーとしては最低の31円まで落ち込むなど、事態は極めて深刻であったが、みずほ銀行やゼネラルモーターズ(GM)の大掛かりな支援もあり再建の足掛かりとなった[4]。
いすゞの復活は単なるリストラだけでなく、ディーゼル自動車の排気ガス規制強化(いわゆるNOx規制など)を発端とする、商用車(トラックやバスなど)の買い換え特需によるところが大きい。
アメリカ合衆国ではGMからSUVとピックアップトラックのOEM供給を受けて販売を続けていたが、これも2009年(平成21年)1月31日をもって販売を終了した。なお、販売ディーラーは既存ユーザーのためのアフターケア・サポート事業のみ存続していくことになる。現在主に個人向けとして販売が行われている車種には、東南アジアや南アフリカなど向けのピックアップトラックとSUVに加え、東南アジアとインド専売のMPVがある。
2006年(平成18年)4月にGMとの資本関係を解消し、その後が注目されていたが、同年11月7日にトヨタ自動車と資本・業務提携を行うことが発表された。すでにトヨタグループの日野自動車とはバス事業の統合(ジェイ・バス株式会社発足)を行っており、今後は乗用車用ディーゼルエンジンの開発や環境技術(景気後退により一時凍結[5])、トラック部門での連携強化の可能性も考えられる。
また、乗用車用ディーゼルエンジンやSUV(いすゞからビッグホーン→ホライゾンとミュー→ジャズ)、ミニバン(ホンダからオデッセイ→オアシス)の供給では本田技研工業と相互協力関係があった。そのため、1993年の小型乗用車の自社生産中止後、2002年(平成14年)に自社生産されていたSUVを含む乗用車の販売から撤退するまで、ホンダからのOEM供給を受けていた。
沿革
- 1929年(昭和4年) 株式会社東京石川島造船所(1893年(明治26年)設立 石川島播磨重工業を経て現在はIHI)の自動車部門が、株式会社石川島自動車製造所として独立する(いすゞ自動車ホームページによれば1916年創業とある[7])。
- 1933年(昭和8年) ダット自動車製造株式会社と合併して自動車工業株式会社となる。
- 1931年(昭和6年)からダット自動車を支援していた戸畑鋳物の鮎川義介は、自動車工業(株)成立後、旧ダット自動車大阪工場を譲受して「自動車製造株式会社」を設立。小型車部門の技術・設計と技術者移籍、商標「ダットサン」の譲受を自動車工業に懇請、自動車工業も小型車開発は設立目的対象外であったためこれを承諾。自動車製造(株)は1934年に日産自動車に改名。複雑な関係であるが、実質的にはダット自動車のトラック・バス製造部門が石川島自動車に合流したかたちとなる。
- 自動車工業(株)初代社長となった加納友之介は、自動車用高速ディーゼルエンジンが当時世界的にも市販化に到達したばかりの新技術であることに着目し、自動車技術が遅れていた日本でも国際水準に早期到達できる分野と見込んで研究開発を指示。後年にまで至る「ディーゼルエンジンのいすゞ」の布石を作った。
- 1934年(昭和9年) 鶴見工場(旧鶴見製造所・自動車工業株式会社)稼働。
- 1937年(昭和12年) 東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電)と合併して東京自動車工業株式会社となる。
- 1938年(昭和13年) 川崎工場(旧川崎製造所)稼働。
- 1940年(昭和15年)12月 社歌を制定。
- 1941年(昭和16年) ヂーゼル自動車工業株式会社と改称。
- 1942年(昭和17年) ヂーゼル自動車工業から日野製造所を分離し、日野重工業株式会社(現在の日野自動車)を設立(このためいすゞ自動車と日野自動車は同門企業に当たる。日野自動車は旧・瓦斯電系の技術陣が基幹であったことから、石川島を源流とするいすゞと異なり、瓦斯電を発祥としている)。
- 1945年(昭和20年)3月 疎開工場として現在の長野県佐久市岩村田に長野工場を建設。
- 1949年(昭和24年) いすゞ自動車株式会社と改称。最初の日本国外輸出先として香港へ進出。
- 1950年(昭和25年)2月 長野工場(疎開工場)を閉鎖。
- 1950年(昭和25年) タイへの輸出開始。
- 1952年(昭和27年) 台湾への輸出開始。
- 1953年(昭和28年) イギリスのルーツ・グループと提携し、乗用車「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産する。
- 1957年(昭和31年)1月 三菱商事とタイ向け車両輸出販売代理店の契約を締結。
- 1961年(昭和36年)11月 藤沢工場(旧藤沢製造所)稼働。
- 1964年(昭和39年)12月 ペルーいすゞ自動車を設立。(戦後第1号の海外投資案件)
- 1966年(昭和41年)4月 泰国いすゞ自動車を設立[8]。
- 1966年(昭和41年)12月 富士重工業との業務提供を発表
- 1968年(昭和43年)5月 富士重工業との業務提供を解消
- 1968年(昭和43年)6月 三菱重工業と業務提供を発表
- 1969年(昭和44年)5月 三菱重工業との業務提供を解消
- 1971年(昭和46年) 米国・ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携(伊藤忠商事の仲介による)。
- 1972年(昭和47年)6月 栃木工場(旧栃木製造所)稼働。
- 1974年(昭和49年) 1社提供ラジオ番組「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」(TBSラジオ制作)放送開始。
- 1975年(昭和50年)6月 いすゞモーターズアメリカを設立。
- 1976年(昭和51年)10月 新社歌の制定。
- 1982年(昭和57年)7月 いすゞ自動車海外販売を設立。
- 1985年(昭和60年) 日本初の自動車メーカーとして、中国・四川省重慶市で小型トラック (エルフ)の現地生産を慶鈴汽車との間で開始。
- 1986年(昭和61年) 富士重工業(スバル)、いすゞ自動車が北米生産合弁基本契約に調印[9]
- 1987年(昭和62年) 北米生産拠点としてスバル・イスズ・オートモーティブ(略称:SIA)創立。1989年車両生産開始。
- 1988年(昭和63年) 鶴見工場(旧鶴見製造所)、川崎工場(旧川崎製造所)へ統合。
- 1989年(平成1年)
- 1991年(平成3年) 当時、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあったイギリスのロータス・カーズ関連会社であるF1参戦チームチーム・ロータスと共同で、V12エンジンのテストをロータス 102Cに搭載してシルバーストンで行い、高い評価を得た。この計画は、あくまでいすゞ自身のガソリンエンジン開発技術がどこまで通用するかということを示すために行われたデモンストレーションであり、レースに出場することは考えられていなかった[10]。当初はベンチテストで終了する予定だったが、ロータスカーズの協力を得て(この時期、ロータスカーズはいすゞと同じくGM傘下であり、自社のFFエラン (2代目)用として、いすゞからパワートレイン(エンジン+トランスミッション)の供給を受ける契約を行っている)テスト走行までこぎつけた。
- 1993年(平成5年) 小型乗用車の自社開発・製造を中止。ホンダなど他社からのOEM供給のみとなり、商用車、SUVの製造販売などに経営資源の集中を図る。
- 1994年(平成6年) 車体工業(株)との合併により、「いすゞ自動車大和工場」誕生。
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年) 神奈川県大和市下鶴間の大和工場(旧車体工業)を閉鎖。トラック運転台製造を藤沢工場に集約。
- 2001年(平成13年) 1社提供ラジオ番組「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」放送終了。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)1月1日 スバル・イスズ・オートモーティブの富士重工業と合弁解消。いすゞ車生産委託開始(2004年迄続いた)。翌日、スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ(略称:SIA)に改称。[12][13]
- 2003年(平成15年)10月 合理化のため、日野自動車とバス部門を経営統合し、ジェイ・バスを設立。
- 2004年(平成16年)5月 「5代目エルフ」を改良販売開始(マイナーチェンジ)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年) 国内年間トラック販売台数(大、中型の合計)で日野自動車を抜き初めて首位に立った。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 4月いすゞ初の展示施設 いすゞプラザ開館。
- 4月 ゼネラル・モーターズ(GM)の東アフリカ子会社、GMイーストアフリカを買収。
- 2018年(平成30年)
- 8月 トヨタ自動車との資本提携解消。
キャッチフレーズ
コーポレートステートメント
- 世界のメーカー(1960年代前半)
- 新しい技術と長い伝統(1960年代半ば)
- 未来へ―いすゞは新しい発展をめざす(1971年)
- 人と地球の未来のために(1992年5月 - )
- 「運ぶ」を支え、環境と未来をひらく(2005年 - )※国内向け
- Trucks for life (2005年 - )※海外向け
商品別スローガン
- いすゞは無個性な車はつくらない(乗用車用・1969年 - 1971年頃)
- WE THINK SYSTEMS(商用車用・1979年頃)
- TRANS JAPAN(商用車用・1985年 - 1989年頃)
- ガーラから、始めよう。(観光バス用・1996年12月~)
- THE POWER OF IT ALL(商用車用・1997年 - 2000年)
- THE SUV SPECIALIST(SUV用・1997年 - 2000年)
- Go farther 誰よりも遠くへ。(SUV用・2000年 - 2002年)
- 働く人と、世界を走る(2013年 - )
生産拠点
自社拠点
子会社・関連会社
- 研究開発
- 株式会社いすゞ中央研究所(神奈川県藤沢市土棚8番地 いすゞ自動車藤沢工場内)
- アイ・シー・エンジニアリング株式会社
- いすゞエンジニアリング株式会社(神奈川県藤沢市土棚8番地 いすゞ自動車藤沢工場内)
- 株式会社トランストロン
- 試験・研究業務
- 株式会社ワーカム北海道 - 元いすゞ自動車北海道試験場(いすゞ自動車のテストコース)
- 車両製造
- ジェイ・バス株式会社
- 日本フルハーフ株式会社(各種自動車用車体及び、各種コンテナの製造と関連架装業務)
- いすゞ車体株式会社(特装車製造)
- エンジン/エンジン関連部品製造
- いすゞエンジン製造北海道 - 旧・いすゞ自動車北海道工場
- IJTテクノロジーホールディングス株式会社(持株会社)
- 自動車部品工業株式会社(産業用ディーゼルエンジン、各種車両用機能部品の製造、開発設計・実験)
- TDF株式会社(エンジン部品製造)
- 株式会社アイメタルテクノロジー(自動車用鋳物部品製造)
- 湘南ユニテック(自動車部品製造)
- いすゞ自動車エンジン販売株式会社(ディーゼルエンジン製造)
- 国内販売
- 用品販売
- 販売金融・リース・保険
- 搬送・物流
- 電算業務
- 不動産・ビルメンテナンス・建設
- 設備保全受託
- 技術情報/オフィスサポート/印刷・流通
- その他
海外関連会社
- 五十鈴(中国)投資有限公司(Isuzu(China)Holding Co., Ltd.)
- 慶鈴汽車股份有限公司
- 五十鈴(上海)技貿実業有限公司[1](Isuzu(Shanghai)Tradetech Co., Ltd.)
- 五十鈴汽車工程柴油機(上海)有限公司(Isuzu Motors Off-Highway Diesel Engine(Shanghai)Limited)
- 慶鈴五十鈴(重慶)発動機有限公司(Qingling Isuzu (Chonqing) Engine Co., Ltd.)
- 台湾五十鈴汽車工業股份有限公司
- 広州五十鈴客者有限公司
- いすゞ モーターズ アジア(IMA) (Isuzu Motors Asia Ltd.)
- 泰国いすゞ自動車 (IMCT) (Isuzu Motors Co., (Thailand) Ltd.)
- いすゞタイランド (Isuzu (Thailand) Co., Ltd.)
- 泰国いすゞエンジン製造 (IEMT) (Isuzu Engine Manufacturing Co., (Thailand) Ltd.)
- タイ・インターナショナル・ダイ・メーキング (Thai International Die Making Co., Ltd.)
- 泰国いすゞテクニカルセンター (Isuzu Technical Center of Asia Co., Ltd.)
- いすゞノースアメリカコーポレーション (INAC) (Isuzu North America Corporation)
- いすゞ モーターズ アメリカ[2] (ISZA) (Isuzu Motors America, LLC.)
- いすゞ オーストラリア[3](IAL) (Isuzu Australia Limited.)
- いすゞ モーターズ ジャーマニー[4](IMG)(Isuzu Motors Germany GmbH)
- いすゞ モーターズ ヨーロッパ(ISZE) (Isuzu Motors Europe Ltd.)
- いすゞ モーターズ ポルスカ(ISPOL) (ISUZU MOTORS POLSKA Sp. z o.o.)
- いすゞ オートパーツ マニュファクチャリング(IAMC) (Isuzu Autoparts Manufacturing Corporation)
閉鎖された生産拠点
- 川崎工場(神奈川県川崎市)
- 大型トラック生産を行っていた歴史ある工場であるが、リストラに伴い閉鎖され、跡地の西半分は羽田空港神奈川口構想敷地として都市再生機構へ、東半分はヨドバシカメラ(物流拠点として使用)に売却された。現在はキングスカイフロントとして医薬品関連の研究施設が集積されている。
- 大和工場(神奈川県大和市)
- 鶴見工場(神奈川県横浜市鶴見区)
- 前身の「自動車工業株式会社」の頃から稼働していた工場。現在跡地は、(株)岡村製作所の鶴見工場、横浜物流センターや子会社の(株)オカムラ物流の鶴見物流センターとなっている。
- スバル・イスズ・オートモーティブ(SIA)(Subaru-Isuzu Automotive, Inc.)(アメリカ・インディアナ州)
- 富士重工業(スバル)との合弁北米生産拠点。1987年5月17日創立。いすゞ車ではピックアップトラック・アクシオム・ミュー等を生産していた。2003年1月1日、富士重工業との合弁解消といすゞ車生産委託開始。翌1月2日、スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ(SIA)(Subaru of Indiana Automotive, Inc.)に改称。2004年7月23日、いすゞ車生産委託終了[14][15]。
現行車種・製品
販売会社
- 全車種
- 北海道いすゞ自動車(札幌・函館・旭川・室蘭) - 国際興業グループ
- 東北海道いすゞ自動車(帯広・釧路・北見) - 北海自動車工業(本社:札幌)グループ
- いすゞ自動車東北(宮城・青森・八戸・岩手・福島・いわき)
- 秋田いすゞ自動車(秋田) - 辻兵系(二十日会グループ)
- 山形いすゞ自動車(山形・庄内)
- 茨城いすゞ自動車(水戸・土浦)
- 栃木いすゞ自動車(宇都宮・とちぎ・那須)
- 関東いすゞ自動車(群馬・埼玉)
- いすゞ自動車首都圏(品川・練馬・足立・多摩・八王子・千葉・習志野・袖ヶ浦・野田・横浜・川崎・湘南・相模・山梨)
- 新潟いすゞ自動車(新潟・長岡)
- 富山いすゞ自動車(富山)
- いすゞ自動車中部(いすゞ自動車東海北陸(石川・福井・岐阜・飛騨・名古屋・豊橋・三河・尾張小牧(一部を除く)・静岡・浜松・沼津)+長野いすゞ自動車(長野・上田・佐久・松本・諏訪・伊那・飯田)
- 瀬戸いすゞ自動車(尾張小牧(一部のみ))
- 三重いすゞ自動車(三重) - 三重交通グループ
- いすゞ自動車近畿(神戸・姫路・滋賀・京都・大阪・なにわ・和泉・奈良・和歌山)
- 島根西いすゞモーター(島根(西部のみ))
- いすゞ自動車中国四国(鳥取・島根(西部を除く)・岡山・広島・福山・山口・徳島・愛媛・高知)
- 香川いすゞ自動車(香川)
- いすゞ自動車九州(福岡・北九州・久留米・筑豊・佐賀・長崎・佐世保・大分・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄)
- SGモータース株式会社 - 佐川急便グループ
- 4トン未満の小型トラック
- 関東いすゞ自動車(春日部(一部のみ)・大宮)
- いすゞオート西形(大阪(一部のみ))
- 4トン未満の小型トラック・バス
- 盛岡いすゞモーター(岩手)
- 中古車
- 産業エンジン
宣伝・広告
- 書籍・雑誌はかつて週刊漫画TIMESなどの漫画雑誌に広告を掲載していた。現在はバスラマ・インターナショナルなどの交通系の書籍に広告を掲載することがある。
- 特筆すべき項目として、1980年代後半に製作された2代目ジェミニのCMが挙げられる。パリの街角を合成・CG一切なしのスタント走行で駆け抜けるシーンは傑作CMとして現在も人気が高い。
- CMキャラクターは3代目エルフのCMに渥美清が出演したほか、ニューパワー後期型のCMに毒蝮三太夫、2代目フォワードの後期型のCMに古館伊知郎を起用した。乗用車は初代アスカのCMに千昌夫夫婦を起用した。CMへのタレント起用は1980年代前半を最後に行っていなかったが、2016年より小日向文世を起用したCMの放送を開始した。
- 2004年よりエルフをメインとしながらもいすゞ全体のCM曲として「いすゞのトラック」というオリジナルソングを採用したCM展開をしている。詳しくは「いすゞのトラック」を参照。
提供番組
現在でも提供している番組は太字。
脚注
- ↑ 本間 之英, 『有名企業社名とマークの秘密』, 学習研究社 ISBN 978-4-05-403709-0
- ↑ 「キミの名は」(朝日新聞2014年8月23日)によれば、一般公募したが決まらず、「いすゞ」になったが、必ずしも明確ではなく、前身メーカーが製造していたトラックの車名が「スミダ」で、川つながりなどと諸説あり、同社は「記録がなく、よく分かりません」とのこと。
- ↑ 石川 和男, 『自動車のマーケティング・チャネル戦略史』, 芙蓉書房出版 ISBN 978-4-8295-0449-9
- ↑ “自己満足だった指導法 部下に考えさせ意識改革 いすゞ自動車 片山正則社長”. NIKKEI STYLE (2017年8月20日). . 2018閲覧.
- ↑ いすゞ、トヨタとのディーゼルエンジン共同開発計画を凍結 - Response. 2008年12月16日(火) 16時43分版
- ↑ 六大企業集団の無機能化 (PDF) - 同志社大学学術情報検索システム内のページ。筆者は経済学者の田中彰。
- ↑ http://www.isuzu.co.jp/company/aboutus/history.html
- ↑ 主な海外関連会社 > アジア (タイ) - いすゞ自動車(更新日不明)2018年1月27日閲覧
- ↑ http://media.wix.com/ugd/1be79e_538ab52c77294dde9767d059bca094c8.pdf
- ↑ 『Racing On 2009年4月号』 三栄書房、2009年、P.37-P39。JANコード 4910096810499。
- ↑ http://www.isuzu.co.jp/suv/index.html
- ↑ http://www.isuzu.co.jp/press/backnumber/2002/12_20sia.html
- ↑ http://media.wix.com/ugd/1be79e_538ab52c77294dde9767d059bca094c8.pdf
- ↑ http://www.isuzu.co.jp/press/backnumber/2002/12_20sia.html
- ↑ http://media.wix.com/ugd/1be79e_538ab52c77294dde9767d059bca094c8.pdf
関連項目
- セレッソ大阪
- 伊藤忠オート - かつては『伊藤忠自動車』名義で、スバルと共に乗用車を取り扱っていた。
- いすゞモーター店
- いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜 - かつて一社提供していたラジオ番組。番組自体は2001年に終了している。
- いすゞのトラック - コマーシャルソング
- いすゞ病院
- いすゞプラザ
- いすゞ自動車硬式野球部
- いすゞのエンジン型式一覧
- 横浜ギガスピリッツ - 「いすゞ自動車ギガキャッツ」を前身とする男子バスケットボールチーム。
- ミツバ - 自動車電機工業を買収・合併した独立系自動車部品メーカー。元日産系。
- ボッシュ(日本法人) - 旧ヂーゼル機器が母体。いすゞから保有株の大半を肩代わりした独ロバート・ボッシュが買収し後にゼクセルと社名変更。
- 兼坂弘
- 多国籍企業