5世紀

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大仙古墳。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の前方後円墳で、大阪府堺市に広がる百舌鳥古墳群を代表する。伝承では仁徳天皇陵とされている。
ファイル:Leoattila-Raphael.jpg
フン族の王アッティラ。アッティラの侵入は東西ローマ帝国を驚倒させた。画像はヴァティカン教皇宮殿ヘリオドロスの間にあるラファエロの「教皇レオ1世とアッティラの会見」。
ファイル:Meister des Mausoleums der Galla Placidia in Ravenna 002.jpg
ラヴェンナガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。
ファイル:The Three Laughers of Tiger Ravine, Soga Shohaku - Indianapolis Museum of Art - DSC00768.JPG
仏教と道教の融合。政権が不安定だった六朝時代は儒教が不振で、深遠な形而上学を扱う仏教や道教が歓迎された。画像は江戸時代の曽我蕭白の「虎渓三笑図」でこの時代を代表する仏僧の慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。
ファイル:Yungang Caves.jpg
雲崗石窟北魏時代に都の平城大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。
ファイル:God and Female Musician, Kizil, Cave 171, 417-435 AD, wall painting - Ethnological Museum, Berlin - DSC01720.JPG
キジル千仏洞壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家亀茲(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い鳩摩羅什もここの出身である。
ファイル:Ajanta Padmapani.jpg
アジャンター石窟寺院。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。
ファイル:Sigiriya lion gate 05.JPG
シーギリヤスリランカのシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、アヌラーダプラからこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。
ファイル:SilverBowlNFPPakistan5-6thcenturyCE.JPG
エフタルの侵攻。現在のアフガニスタン北部に興起した遊牧民族エフタルは幾度となくサーサーン朝ペルシアと干戈を交え、インドではグプタ朝衰退の原因となった。画像は5世紀後半に作られたエフタル騎馬人物像のある銀碗(大英博物館蔵)。
ファイル:Orca mitica nasca.jpg
ナスカ文化。紀元前1世紀から紀元後8世紀まで栄えたナスカ文化の編年はおよそ9期に分けられるが、5期から6期にかけての多色彩土器は巧緻な造形の絶頂期と位置づけられる。画像はペルーリマにあるラルコ博物館所蔵のシャチをモチーフにした多色彩土器。
ファイル:Ejmiadzin Cathedral2.jpg
アルメニア教会カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派」にはシリア・エジプト・アルメニアの諸教会がある。画像は483年に再建されたアルメニア教会のエチミアジン大聖堂。
ファイル:AugustineLateran.jpg
ヒッポレギウスアウグスティヌス。異民族の跳梁する衰勢の西ローマ帝国にあって、神の救済の歴史を描き出す『神の国』を執筆した。画像は6世紀にローマラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。
ファイル:Saint Remigius binding Medieval Picardie Museum.jpg
クローヴィスの洗礼。ゲルマン系諸民族の中でもフランク族はいち早くカトリック教会に従った。画像はランス司教レミギウスの伝記を浮き彫りにした9世紀の象牙板(ピカルディー美術館)だが、その下段はレミギウスがフランク王クローヴィスを受洗している場面である。

5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀

できごと

  • 日本では倭国古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方とヤマト王権中枢双方のの首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王東晋から南朝にかけての江南の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史の記述に残されており、倭の五王として知られている。

400年代

410年代

420年代

430年代

440年代

  • 440-450年 - 千葉県市原市養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
  • 442年 - 沮渠氏により高昌国が成立。
  • 443年
    • (宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
    • スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
  • 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
  • 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
    • この会議に対抗してローマ教皇レオ1世が「フラウィアヌスへの書簡(レオのトムス)」を送付する。

450年代

  • 450年
    • 北魏で国史の獄が起こり、崔浩らが処刑される。
    • 宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸まで奪取される。
  • 450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
  • 451年
  • 452年
    • 北魏の太武帝が宦官の宗愛により殺害される。
    • アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。マントヴァにてアッティラと教皇レオ1世の会見。
  • 453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラックが勝利する。
  • 454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラックがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
  • 455年

460年代

  • 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
  • 463年
  • 468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬でヴァンダル王国に大敗。

470年代

  • 470年
    • 伝承ではイランのヤズドにあるゾロアスター教の拝火神殿(アーティシュガーフ)の火はこの年より今日まで燃え続けている。
  • 471年
  • 475年
  • 476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
    • 帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
  • 477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
  • 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
  • 479年 - 中国で南朝の宋に代わりが成立。

480年代

490年代

500年代

文化

人物

地中海世界

フン族の帝国

ゲルマン諸王

西ローマ帝国とその周辺

東ローマ帝国とその周辺

西アジア

南アジア

東アジア

五胡十六国

東晋

南朝

北朝

柔然

満州

朝鮮半島

日本

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク