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国際的には死刑制度は廃止される方向に進んでいるが、存続を求める声も強い。ことに2001年の同時テロ後、国際的な不安の高まりから死刑廃止への流れが疑問視されるようになった。 2002年に公表された報告によれば、2001年に全世界で執行された死刑は3048件に上り、2000年の1457件から一気に倍増した。しかも、そのうちの90%以上が4ヵ国--アメリカ、イラン、サウジアラビア、中国--に集中していることも指摘された。この劇的な増加は中国政府の犯罪追放キャンペーン「厳打」によるもので、わずか4ヵ月の間に1781人が処刑された。

とはいえ、国際的な趨勢は死刑廃止の方向へ動いている。アムネスティ・インターナショナルによれば、2001年末の時点で84ヵ国が死刑制度を存続させている一方、111ヵ国が法律上あるいは実質的に死刑を廃止していた。1981年末の死刑廃止国の数が63だったことを考えれば、これはかなりの増加といえるだろう。実際、国連人権委員会は1997年から毎年連続して死刑に関する決議を採択し、すべての死刑存置国に対して、最終的な廃止を見すえた死刑執行の猶予などを求めてきた。しかし、2001年4月にジュネーブで開かれた人権委員会の年次総会で決議が採択されたのち、60ヵ国が決議には従えないという共同声明を出した。その大半はアフリカと中東、アジアの国々だったが、アメリカも名を連ねていた。

アメリカの実情

アメリカでは50州のうち38州が法律で死刑を認めている。1977年1月、連邦最高裁判所が5年前に出した死刑執行の一時停止命令を解除したことをうけて、殺人犯ゲイリー・ギルモアが処刑されたのを皮切りに、752人が死刑となった。そのうち595件の死刑は1991年以降に執行された。しかしその一方で、過去25年間におよそ100人もの人間が死刑を宣告されたのちに無罪放免となっている。

アメリカで無実の人間が死刑に処されているのではないかという疑問を勢いづかせる研究結果が、2002年に公表された。ニューヨーク市コロンビア大学のジェームズ・リーブマンらの研究によれば、アメリカの死刑制度のなかで偏見による誤り--通常であれば再審が必要となる重大な誤り--が発生した割合は、全体の68%に上っていた。また、重大な誤りが原因で死刑判決が覆され、再審で誤りが正された結果、死刑よりも軽い刑を宣告された被告の割合は82%に達しており、さらに、死刑に値する罪を犯していないことが判明したケースが7%もあった。この結果から、「死刑制度はそれ自身の重みに押しつぶされつつある」ことが明らかになったと、この研究は主張している。

2001年10月、17歳の時に犯した殺人罪のためにジェラルド・ミッチェルが致死薬の注射で処刑された。現代のアメリカで未成年時に犯した罪を問われて処刑された人間は、ミッチェルで18人目だった。国際社会が寛大な処置を求めたにもかかわらず、この死刑は執行された。1990年以降、未成年の犯罪者を処刑したことが判明している国は、わずか7ヵ国にすぎない。1997年以降に全世界で処刑された未成年の犯罪者はミッチェルが13人目だったが、そのうち9人はアメリカで処刑された。

2002年2月に死刑執行が予定されていたアレグザンダー・ウィリアムズにも、同様に寛大な処置を求める動きがあった。1986年、当時17歳だったウィリアムズはアリータ・キャロル・バンチを誘拐し、レイプした末に殺害した。ウィリアムズには幼少期に虐待を受けた過去があり、精神分裂病と偏執妄想症を患っていた。ジョージア州の恩赦・執行猶予委員会は、この事件の特殊な状況にかんがみ寛大な処置を認めた。それから1ヵ月後、テキサス州で起こったアンドレア・イェーツ事件--数年前から精神病に苦しんでいた母親が5人のわが子を浴槽で溺死させた事件--が大々的に報じられ、精神病患者は死刑に処せられるべきか否かという疑問が再浮上した。ヒューストンの検察官たちは死刑を求刑しないという異例の対応を示し、男性4人と女性8人で構成された陪審員団は、わずか35分の審議で、イェーツ被告には死刑よりも終身刑がふさわしいという結論を出した。

1989年、連邦最高裁判所はPenry v. Lynaugh裁判に際して、次のような判断をくだした。つまり、死刑制度をもつ州の中で知的障害者の死刑を明確に禁止している州が二つしかないことを考慮すると、死刑が憲法修正第8条にいう「残酷かつ異常な罰」にあたるかどうかについて「国民の合意が形成されているといえるだけの十分な証拠がない」という。2002年、知能指数59で高校を落第した18歳の少年ダリル・アトキンズがエリック・ネズビットを誘拐し殺害した事件を引き受けることで、最高裁は1989年の判決を見直す機会を得た。その結果、知的障害者の死刑は残酷かつ異常な罰に該当するという画期的な判決が6対3でくだされた。

2001年には、チャペルヒルにあるノースカロライナ大学の研究者たちが行なった調査から、アメリカの死刑制度における人種的偏向の問題が浮上した。この調査によれば、1993年から1997年の間にノースカロライナ州で裁かれた全殺人事件のうち、被害者が黒人である事件よりも白人である事件のほうが死刑が宣告される率が3.5倍も高かった。アメリカでは、殺人事件の被害者中、白人が占める割合はおよそ半分だが、死刑が宣告された事件のうち白人が被害にあっている事件の割合は83%に上り、黒人を殺害した罪で死刑になった白人は、現代になってからわずか12人にすぎないのに対し、白人を殺害した罪で死刑になった黒人の数は170人に及んでいた。

死刑廃止への流れ

2000年、イリノイ州のジョージ・ライアン知事は、裁判に問題のあった死刑囚13人を釈放し、州内での死刑執行を無期限に停止すると宣言した。この時、知事が設置した委員会が2年間にわたって死刑に関する研究を行ない、2002年4月に結果をまとめた。委員会は死刑制度の廃止を求めるところまではいかなかったが、死刑に相当する犯罪を20から5に減らし、極刑が予想される事件においては有能な弁護士を任命する仕組みを整え、刑務所内の情報提供者の証言だけを根拠に判決をくだす場合は死刑を除外するといった方法を提言した。2002年、メリーランド州のパリス・グレンデニング知事は、州内での死刑執行を一時停止すると宣言した。

四半世紀の間に死刑制度に関する国際的な風潮はめざましく変化した。この間に約50ヵ国が死刑を全面的に廃止し、さらに12ヵ国が通常の犯罪に死刑を適用しないことを決めた。反対に、1985年以降に死刑制度を復活させたのは4ヵ国にすぎず、そのうちの1ヵ国(ネパール)は再び廃止に踏み切り、2ヵ国(ガンビアとパプアニューギニア)では実際の死刑執行にはいたらなかった。

死刑廃止への流れは2002年も続いた。2月にはセルビア政府が死刑の廃止を決めた。キューバ政府は事実上の一時停止を選択し、台湾とキルギスは廃止に向けて動き出した。さらに3月にはイギリスの枢密院が、委任統治国の死刑法は「非人間的で下劣な刑罰あるいは取り扱い」を定めたものであり、ベリーズほかカリブ海の6ヵ国の憲法に違反しているという判断を示した。

存続を求める声

このような死刑廃止へ向けた動きのさなかにも、死刑を求める声は根強いものがあった。ハンガリーのビクトル・オルバン首相は、8人の死者を出した凶悪な銀行強盗事件をふまえて、同国で実施されている死刑禁止の見直しを国民に呼びかけた。ロシアのダゲスタン共和国では、第2次世界大戦の戦勝記念パレード中に起こった爆破事件で42人が殺されたことをうけて、議会はウラジーミル・プーチン大統領に死刑制度の復活を求める決議を採択した。アメリカでは2001年6月に、オクラホマシティーの連邦ビルを爆破したテロリスト、ティモシー・マクベイに対して38年ぶりに連邦法のもとでの死刑が執行され、その数日後には、ホアン・ラウル・ガルサが致死薬の注射で処刑された。

著名な法律学者であるオックスフォード大学のロジャー・フッドは、35年間にわたってヨーロッパを中心に死刑廃止の動きが加速してきたものの、死刑存続国が早々に態度を変える可能性は低いとみている。9月11日にニューヨークで起こった同時テロ事件のあと、アメリカ各州では死刑適用の拡大も含めたテロリスト対策の提案がなされ、世界全体でみても、国際的な不安の高まりから死刑廃止への流れを疑問視するようになった。少なくとも予測可能な範囲の将来においては、世界の多くの地域で死刑が刑事政策の手段として存続する可能性は高そうである。