高野山

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壇場伽藍 不動堂(国宝)

高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている[1]

2004年(平成16年)7月7日高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野吉野大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコ世界遺産に登録された[2]。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。

地理

高野山
雨温図説明
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気温(°C
総降水量(mm)
出典:日本国気象庁1981-2010年平年値

地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である)。8つの峰々に囲まれているその地形は「の花が開いたような」と形容されており、仏教の聖地としては両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅の「中台八葉院」に擬せられている[3]。転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山という。なお、高野山という名称の単独の峰はない。

気候

金剛峯寺境内にあるアメダスの観測値で年平均降水量1851.6mm。年平均気温は10.9℃と大阪管区気象台より6℃低い。一般的に温暖な地域が多い和歌山県としては異例で、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になる。極値は最高33.7℃(2014年7月26日)、最低-13.4℃(1981年2月28日)[4]

主な施設・寺院

山内は全て「一山(いっさん)境内地」として金剛峯寺の境内となっている[5]。このうち、大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、徳川家霊台地区、金剛三昧院地区の6地区が国の史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっている[6]。多数の寺院建築が立ち並ぶが、ここでは主要な一部を紹介する[7]。詳細は金剛峯寺参照のこと。

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御廟橋(奥の院・弘法大師廟 聖域への入口
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大門(国の重要文化財)
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金剛三昧院 多宝塔(国宝)
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成福院 摩尼宝塔
壇場伽藍(壇上伽藍)
一般寺院でいう本堂の区画。国の史跡・世界遺産。空海(弘法大師)が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並び、不動堂は国宝に指定されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。金堂と大塔への入堂は有料。境内のみは無料。
奥の院
国の史跡・世界遺産。御廟橋の先に灯籠堂、その裏に空海の御廟がある。参道には、皇室公家大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院の入り口は2箇所あり、正式には一の橋からであるが、中の橋の前には無料大駐車場とバス停があるので参拝者のほとんどがこちらからである。一の橋から御廟までは約2km、中の橋からはその約半分の道のりとなっている。その途上には「弥勒石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。
総本山金剛峯寺
国の史跡・世界遺産。主殿等の建物は和歌山県指定有形文化財。高野山真言宗の総本山で座主の住寺。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に青巌寺興山寺 (廃寺)の2つの寺院が合併したもの。旧青巖寺(剃髪寺)は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭。境内の建物外及び納経所までは無料。それより先の建物内は有料。
大門(だいもん)
高野山全体の総門。1705年再建。国の重要文化財・世界遺産。
大師教会(だいしきょうかい)
大正時代に建てられた講堂。高野山真言宗の布教・宗教舞踊等の総本部で、授戒指導・座禅指導・講演会・無外流夏季合宿時の稽古道場などに使われている。受戒は誰でも予約なしで随時受けられる(有料)。
女人堂
不動坂口にあり、女人禁制の時代は女性はここまでしか入れなかったとされている。古くは高野山の街道の七つの入口にそれぞれあったが、今は1つしか残っていない。大日如来、弁財天、神変大菩薩を祀る。
徳川家霊台
国の史跡および重要文化財・世界遺産。寛永20年(1643年)、徳川家光の建立。家康秀忠の霊廟がある。境内有料。
高野山霊宝館
高野山上にある国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞った展示会が開催される。なお、現在の日本の国宝の2%は高野山上にある(1083件中、23件)。大正10年(1921年)、開設。入館有料。
六時の鐘
高野山の中央にあり、午前6時から午後10時の偶数時に鳴らされる。
子院群
金剛峯寺の修行僧が居住のために作った草庵を起こりとする寺院群。近畿三十六不動尊霊場である明王院南院新西国三十三箇所観音霊場である宝亀院西国愛染十七霊場である増福院福智院金剛三昧院など117か寺を数え(総本山金剛峯寺大本山宝寿院はこれに含まれない)、その約半数が宿坊を兼ねている[8]。以下の金剛三昧院(国宝多宝塔)・密厳院(苅萱堂)・成福院(摩尼宝塔)も塔頭兼宿坊。
金剛三昧院
境内地は国の史跡・世界遺産。建暦元年(1211年)、北条政子の発願による建立。源頼朝実朝の菩提を弔うための国宝・多宝塔のほか、重要文化財の客殿や経蔵などがある。西国愛染十七霊場17番。境内有料。
苅萱堂(かるかやどう)
金剛峯寺子院の密厳院が管理している地蔵堂(東海近畿地蔵霊場)。金剛峯寺と奥の院のほぼ中間にある。苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる。
摩尼宝塔(まにほうとう)
金剛峯寺子院の成福院が管理している釈迦堂。刈萱堂の前にある。ビルマ戦没者供養のため、ミャンマーから贈られた釈迦如来像を本尊として開創された。地下に戒壇巡りがある。
その他の子院の堂宇
無料で自由に参拝ができるところ。

主な名物、みやげ

  • 高野くんのキャラクターグッズ
「高野山開創1200年記念大法会イメージキャラクター こうやくん」は、ストラップやバッジなどいろいろなグッズが売られている。

交通アクセス・ガイド

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高野山内の通り(撮影当時は国道371号
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高野山内の通り(撮影当時は国道480号
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奥之院英霊殿前の売店
事前に高野山宿坊協会に電話予約しておくと、金剛峯寺が行う試験に合格した案内人により、1日貸切・奥之院2時間コース・金剛峯寺1時間コース・壇上伽藍コースなど山内どこでもコース別で、それぞれの料金でガイドをしてもらえる。また、奥之院の英霊殿の前には、案内人たちが運営する売店があり、お守りなどの販売をしている。

唱歌における高野山

明治33年(1900年)に大和田建樹が作詞発表した「鉄道唱歌第五集 関西・参宮・南海篇」では、高野山は3番を割いて歌われている。吉野山などと共に、建樹の歴史好みが強く影響しているものと見られている。なお、当時は現在の南海高野線が開業しておらず、高野山へは橋本駅から約12kmの山道を歩いて向かう必要があった。

43.瞬くひまに橋本と 叫ぶ駅夫に道とへば 紀の川わたり九度山を すぎて三里ぞ高野まで
44.弘法大師この山を ひらきしよりは千余年 蜩(ひぐらし)ひびく骨堂の あたりは夏も風さむし
45.木陰をぐらし不動坂 夕露しげき女人堂 みれば心もおのづから 塵の浮世を離れたり

自然

、周辺では見られない生物もいくつか知られる。基本的には照葉樹林上部から落葉樹林帯にわたる生物相である。が、ツノハシバミ、マンサクなどはさらに北部に見られるもので、和歌山県では他に知られていない。

高野山の名を持つ生物もいくつかあり、以下のような例はその代表である。

これらは高野山で利用されることに基づく。
これらはこの地域に特産であることから。あるいはここで発見されたことから。

高野六木

高野山では古くからヒノキスギモミツガアカマツコウヤマキの六種の樹木を「高野六木(こうやりくぼく)」と呼んで重視した。伐採を行った跡地にはこの六種を植えたという。これは森林を人為的に利用しつつ、その森林の自然林的様子や多様性を維持する効果があったとも考えられている。

高野七口

高野山への入口は七つあるとされ、入口およびそこに通じる道を総称して高野七口と呼んだ。☆は世界文化遺産に登録。

高野七口に建てられた女人堂を巡る道を女人道☆と呼んだ。

高野にちなむ名称

  • 女人高野
高野山は明治初年まで女人禁制であったため、対して女性も参詣ができた寺院は「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれている。その別名があるのは、慈尊院室生寺金剛寺などである。
  • 〇〇高野
「西の高野」と云われる太龍寺、「四国高野」と云われる雲辺寺、「九州高野山」と云われる滝光徳寺、「関東高野山」と云われる浄因寺などがある。

周辺の関連寺社

備考

脚注

  1. 松長有慶『高野山』、p.20より一部転載
  2. (和歌山県、2005)、p.3および口絵ii
  3. 松長有慶『高野山』、p.5
  4. 日本国気象庁 - 高野山観測所(北緯34度13.3分、東経135度35.4分、標高795m)1981年-2010年平年値。極値は1979年1月-2016年11月。
  5. 金剛峯寺webページ「一山(いっさん)境内地ということ」https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/about/isan_keidai.html
  6. (和歌山県、2005)、p.3および口絵ii
  7. 主要施設の選定は淡交社編集局編『愛蔵版 御朱印巡礼』淡交社、2012の高野山の項によった。
  8. 松長有慶『高野山』、p.20
  9. 【新規路線】関西空港‐高野山線の運行を開始いたします (4/1-)
  10. “高野山に瓦屋根コンビニ 初の24時間営業で年中無休 和歌山”. msn産経ニュース. (2013年7月10日). http://sankei.jp.msn.com/region/news/130710/wky13071002080002-n1.htm 
  11. “生肉・刺し身販売しないコンビニ”. 読売新聞. (2013年7月12日). http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20130712-OYT8T00587.htm 

参考文献

関連項目

参考文献

  • 井原俊一『日本の美林』岩波新書 - 高野六木が説明されている。

外部リンク

座標: 東経135度35分11秒北緯34.2125度 東経135.58639度34.2125; 135.58639 (高野山)