関西共栄興行

提供: miniwiki
2018/8/25/ (土) 21:31時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
移動先:案内検索

関西共栄興行株式会社(かんさいきょうえいこうぎょう)は、中国地方映画館を展開する興行会社。現在は東宝株式会社の完全子会社である。本社は大阪府大阪市北区堂山町、登記上の本店は親会社東宝の本社と同地に置く。

概要

1950年代から東宝は百館主義と呼ばれる方針を掲げ、全国に強大な興行網を形成していった。東京名古屋、大阪、京都と言った大都市ロードショー館を東宝本社が経営し、他の主要都市の劇場は六部興行と呼ばれる傍系の6社によって経営されていた。これらの興行網では展開出来ていなかった中小都市に共同経営の形で系列劇場を獲得し、興行網を補完する目的で1965年前後に設立された共栄興行と名の付く4社[脚注 1]のうちの1つが関西共栄興行である。

1990年代以降になると、シネマコンプレックスの台頭などにより同社の経営する映画館は徐々に閉館していった。また、同時期に同じ目的で設立された他の共栄興行は、2006年からの東宝グループの興行部門の再編に伴い興行から撤退した。しかしながら、同社は東宝グループの他社から移管された劇場を中心に経営しており、現在も興行会社として存続している。

沿革

  • 1965年2月24日 - 設立。
  • 1995年 - 東宝株式会社の完全子会社になる。中部共栄興行株式会社を吸収合併[1]
  • 2004年 - サティ東宝株式会社を吸収合併。
  • 2008年2月1日 - 東宝関西興行から広島宝塚、東宝東日本興行より甲宝シネマの経営を移管。
  • 2009年4月16日 - 甲宝シネマを中央興業株式会社に営業譲渡。
  • 2011年8月31日 - 広島宝塚を閉館。
  • 2012年8月31日 - 米子駅前SATY東宝を閉館。同年9月1日、松江SATY東宝を「松江東宝5」に改称[2]

劇場

松江SATY東宝として開館。開館時は株式会社ニチイ(後の株式会社マイカル)と東宝の出資で1994年に設立されたサティ東宝株式会社[4][5]が経営していた。マイカルの破綻に伴い2004年にサティ東宝が東宝に売却され、関西共栄興行に合併した。以来、同社が経営をしている。2011年3月1日に核テナントの名称が変わって以降もしばらくは松江SATY東宝の名で営業していたが、2012年9月1日に松江東宝5に改称した。

かつて経営していた劇場

  • 米子東宝会館 (鳥取県米子市角盤町) <3スクリーン、1977年12月17日開館、1990年8月26日閉館>
米子国際プラザ(東宝洋画系)、米子東宝(東宝邦画系)、米子シネマの3スクリーン。開館時は地元企業が経営をしており、米子シネマは東映邦画系の封切館であった[6]。程なくして関西共栄興行の経営に代わり、米子シネマは洋画系になった。米子SATY東宝の開館に伴い閉館。現在は飲食店などが軒を連ねている。
  • 米子駅前SATY東宝 (鳥取県米子市末広町、イオン米子駅前店3階)<3スクリーン、シアター1:72席、シアター2:77席、シアター3:124席。1990年6月29日開館、2012年8月31日閉館>
米子市が出資する第三セクターの米子駅前開発株式会社が再開発をしていたJR米子駅前西地区内に、米子SATY東宝として開館した[7]。その後、核テナントの業態転換に併せ、1996年3月13日米子ビブレ東宝に[8][9]、2001年3月5日頃米子駅前SATY東宝に改称[10][11]し営業を継続したが、2012年8月31日をもって閉館し、22年の歴史にピリオドを打った[2]。現在はガイナックスが運営するレンタルスペース「ガイナックスシアター」となっている。
開館当時の名称は福知山東宝第一映画劇場。年々厳しくなる経営環境の中、2006年2月に休館した。その後、舞鶴シマフィルム株式会社が同劇場の経営をすることになり、2007年8月4日から福知山シネマと改称し営業を再開している[12]
  • 甲宝シネマ山梨県甲府市中央) <4スクリーン、シネマ1:140席、シネマ2:180席、シネマ3:85席、シネマ4:105席。1995年開館、2013年4月14日閉館>
甲府市太田町82番地(後の太田町3丁目)にあった芝居小屋「演技座」を小林一三が買収し、1937年「甲府宝塚劇場」として開館した。戦災により1946年、現在地に移転。1956年9月、洋画ロードショー館「甲府シネマ」を増設し2館体制となりリニューアル。1995年に現在の建物に改築し、現名称に改称したが[13]、東宝の興行事業再編に伴い2008年2月に東宝東日本興行より関西共栄興行に経営を移管[14]。直後の同年8月にはTOHOシネマズが経営するグランパーク東宝8と統合し閉館することが決定していた[15]。だが2009年3月に一転、建物が株式会社甲府宝塚劇場からサンエー企画に売却され、映画館は存続することになった[16]。2009年4月12日に関西共栄興行での営業は終了し、16日をもって営業譲渡[17]。地元の興行会社である中央興業株式会社が経営を引き継ぎ、劇場名もそのままに同18日より営業を再開したが[18]、賃貸借契約が終了したため2013年4月14日をもって閉館し、甲府宝塚劇場時代から76年続いた歴史にピリオドを打った。同ビル1階のゲームセンターを運営する会社が映画館部分を改装し、ライブハウス機能や講演会などができる施設GAZ KOFUが2014年6月13日に誕生したが2015年に閉鎖した。
2008年2月1日に東宝関西興行株式会社から経営を移管した。末期はTOHOシネマズで実施しているTOHOシネマズディなどの割引サービスを行っていた。

脚注

  1. 九州共栄興行(1964年3月23日設立、13館経営)、関西共栄興行(1965年2月24日設立、7館経営)、関東共栄興行(1966年12月15日設立、15館経営)、中部共栄興行(1967年3月9日設立、4館経営)の4社。経営劇場数は発足当初のもの。

出典

  1. 東宝株式会社 『平成8年 有価証券報告書総覧』 大蔵省印刷局、1996年、44-45頁。
  2. 2.0 2.1 米子駅前SATY東宝が閉館” (日本語). 文化通信編集部ブログ“BunLOG” (2012年8月7日). . 2012閲覧.
  3. 「開店を前に7千人並ぶ 松江サティ開業」『朝日新聞』1994年5月2日付朝刊、島根版、第17面
  4. 東宝株式会社 『平成8年 有価証券報告書総覧』 大蔵省印刷局、1996年、59頁。
  5. 株式会社ニチイ 『平成7年 有価証券報告書総覧』 大蔵省印刷局、1995年、84頁。
  6. 「広告 きょう米子東宝会館堂々オープン!」『日本海新聞』1977年12月17日付朝刊、第5面
  7. 「『米子サティ』オープン 商戦激化 注目される駅前」『日本海新聞』1990年6月30日付朝刊、第16面
  8. 「映画案内」『日本海新聞』1996年3月13日付朝刊、第18面
  9. 「ブランドそろえ米子ビブレ開店 JR米子駅前」『日本海新聞』1996年3月14日付朝刊、第19面
  10. 「映画案内」『日本海新聞』2001年3月5日付朝刊、第7面
  11. 「新生・米子駅前サティきょう開店 生き残りへ業態転換」『日本海新聞』2001年3月10日付朝刊、第23面
  12. 福知山で映画館再開 広小路で4日から”. 両丹日日新聞ニュース (2007年7月31日). . 2010閲覧.
  13. 「甲宝シネマ」が閉館へ”. 山梨日日新聞社 (2008年8月12日). . 2010閲覧.
  14. TOHOシネマズ、58サイト、497スクリーン体制”. 文化通信 (2008年3月5日). . 2010閲覧.
  15. 「甲宝シネマ」来春閉館 会社を精算、売却 山梨”. MSN産経ニュース (2008年8月1日). . 2010閲覧.
  16. 甲府中心街の映画館が存続へ”. MSN産経ニュース (2009年3月24日). . 2010閲覧.
  17. 平成22年2月期 第1四半期決算短信 (PDF)”. 東宝株式会社. pp. 3頁 (2009年7月15日). . 2010閲覧.
  18. 甲宝シネマ 経営変更並びに休館のお知らせ (PDF)”. 東宝株式会社 総務部 (2009年4月1日). . 2010閲覧.

関連項目

参考文献

  • 東宝五十年史編纂委員会 (1982). 東宝五十年史. 東宝株式会社. 

外部リンク


テンプレート:TOHOシネマズ