鎌と槌

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一般的な「鎌と槌」の図像
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一般的な「鎌と槌」の図像
ファイル:Hammer and sickle.svg
1955年以降のソビエト連邦の国旗に表された「鎌と槌」、鎌の形が若干違い、握りがより明確に描かれている

鎌と槌(かまとつち、鎌と鎚とも)または鎌とハンマー若しくはツチカマとは、を組み合わせた標章。農民と労働者の団結を表し、マルクス・レーニン主義共産主義共産党のシンボルとして使われている。

標章

この標章では、(ハンマー)の上に重ねて置かれている。鎌は農民の、槌はプロレタリアート(特に工員)の象徴であり、これらを組み合わせて置くことは農業労働者と工業労働者の団結を表したものである。

この標章は、ソビエト連邦の国旗において、赤旗の上に赤い星と組み合わせて使われていたため良く知られている。また、他の共産主義国家や他の国の共産党の旗や国章、党章としても使われている。

この標章は共産主義運動の中で広く使われてきたが、正確にはマルクス主義ではなく、レーニン主義を表した図案であり、このため特にコミンテルンを系譜とする各国の共産党やその国旗、国章などで使用されている。カール・マルクスは、革命はプロレタリアート(近代賃金労働者階級(一般的には工業労働者を指すが、小作農家も含む))の手によって起こされると考えた。これに対してウラジーミル・レーニンは、当時のロシアの現状に合わせるためマルクス主義の形を変え、革命の原動力に農民を含めた。更に中華人民共和国における共産主義である毛沢東思想では、農民は労働者よりもむしろ中心的な位置を占めるようになった。

ユニコードでは、「鎌と槌」のシンボル「☭」は、U+262Dで表される。

ソビエト連邦

ソビエト連邦は、「鎌と槌」の元祖であり、「鎌と槌」を国旗と国章としている国家で最も知られる国家である。

「鎌と槌」の前には、もともとは鎌と(すき)を組み合わせたシンボルが使われ、「鎌と槌」と同様に労働者と農民の団結を意味していた。鎌と槌は1917年から1918年の間から使われるようになったが、1922年までは鎌と鋤が公式のシンボルであり、赤軍などの軍服や帽子、勲章に用いられていた。

1917年までに鎌と槌(ロシア語: серп и молот)はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 (RSFSR) の象徴の一つとなった。当初はRSFSRの国章にあしらわれ、労働者と農民の団結が国家の基礎であると宣言された。鎌と槌は1918年に創設された赤軍の象徴の一つにもなった。

鎌と槌は、1923年ソビエト連邦の国旗案にも適用され、1924年に制定されたソビエト連邦憲法によって最終的に国旗のデザインの一部とされた。同年、ソビエト連邦構成共和国のおのおのの旗にも鎌と槌は適用された。これ以前は各共和国の旗は、1918年の最初のソビエト憲法で規定されたとおり赤旗の上に共和国の名を金色で書いただけのものが多かった。

ソビエト連邦の国章、および連邦を構成する各共和国の国章も、鎌と槌をあしらっていた。赤軍の制帽のバッジの「赤い星」にも鎌と槌のデザインが入っており、同様の「赤い星の中に鎌と槌」の標章は至る所に使われていた。また、鎌と槌に翼をあしらった標章は国営航空のアエロフロートに使われていた。大統領制時代(ロシア連邦)になっても、アエロフロートはこの標章を使い続けている。その他、鎌と槌(серп и молот)は、ソビエト連邦各地の工場(例えばロシア最古の「モスクワ冶金工場」社、別名「鎌と槌工場」)や鉄道の名前にも使われている。

5月9日対独勝戦記念日の軍事パレードでは、鎌と槌の紋章が登場し、第二次世界大戦当時の軍装をしたロシア兵が行進した(ロシア連邦でも同様)。11月7日ロシア革命記念日の軍事パレードでは、「鎌と槌の赤旗」の国旗が林立し、「地球の上に鎌と槌」を描いた国章も登場した[1]

コミンテルンコミンフォルムに参加した世界の共産党も鎌と槌をシンボルに使うようになった。ソビエト連邦共産党以外にも、中国共産党など世界各地の共産党も鎌と槌を標章にしているため、冷戦下の中ソ対立で中国共産党に与した党も、鎌と槌を使っている。また、ソ連共産党にも中国共産党にも反対する共産主義政党ですら、鎌と槌を使っていた。それゆえ、鎌と槌は、傾向の差こそあれ多くの共産主義の標章となっている。

ソビエト連邦以外

ソビエト連邦以外の共産党国家では、共産党の旗を「鎌と槌」として、国旗を「鎌と槌」以外の模様とする国家もある。

中華人民共和国は、中国共産党の党旗が「鎌と槌」で、国旗は「五星紅旗」である。ベトナム社会主義共和国は、ベトナム共産党の党旗が「鎌と槌」で、国旗は「金星紅旗」である。ルーマニア社会主義共和国は、ルーマニア共産党の党旗が「鎌と槌」で、国旗は三色旗に赤い星と黄色い太陽と緑の森林を組み入れた図案である。

類似の標章

「鎌と槌」以外の類似のシンボルには以下があり、複数の道具を交差させたシンボルはそれぞれの団結と共産主義を表すものが多いが、共産主義には無関係なものもある。いくつかのものは労働者と農民に加えて知識人または兵士の象徴を追加している。

以下の画像以外では、アメリカ共産党の赤い歯車・鎌・槌の組み合わせ、1983年までのイギリス労働党のロゴの (spade)、たいまつの組み合わせ、イギリス共産党の「鎚と鳩」などがある。また農民の象徴に農具ではなく農作物を使用する例には、稲穂と歯車を組み合わせた日本共産党の党章などがある[2][3]

第四インターナショナル(第四インター)は「反スターリニズム」を掲げているため、旧ソ連の物に対して鎌と槌の位置が裏返しになっている。日本では日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)(旧第四インターナショナル日本支部)とその青年組織・日本共産青年同盟(共青同)が党旗に使用しているほか、三里塚現闘団機関紙「槌と鎌」を発行していたことがあり、「鎌と槌」ではなく「槌と鎌」と読み方も逆であった。

類似の図案だが共産主義以外を表すものには、以下のものがある。キリスト教共産主義では、鎌と槌のかわりに、鎌と十字架を組み合わせたものが提案されている。1990年ネルソン・マンデラが監獄から釈放された後、ケープタウンでの南アフリカ国民への演説において、彼の立つバルコニーからは鎌と槌の旗が掲げられていた。オーストリアの国章王冠をかぶった鷲が(交差していない)鎌と槌を両方の鉤爪に握っているデザインで、これは制定当時の第一次世界大戦直後のオーストリアの三つの主要な階級(農民、労働者、ブルジョワ)が共和国内で共存することを表したものである。また、日本国の五円玉は、稲穂(農業)、歯車(工業)、海(水産)、木の芽(林業)がデザインされているが、これは各産業の発達を表したものである。

その他の類似意匠

禁止運動

第二次世界大戦勃発から冷戦終結まで(1939年 - 1989年)の50年間、ソビエト連邦共産党一党独裁によって抑圧されてきたバルト三国中央ヨーロッパでは、「鎌と槌」や「赤い星」などソビエト連邦や共産主義の標章に対する厭悪感も強い。

このため、EUにおいてドイツやフランスなどと同じく「鉤十字」などナチスドイツの標章を禁止しようという提案がなされた時、東欧の幾つかの国は同様にソビエト連邦と共産主義の標章を公の場で使用することも禁止しようと提案したことがある(→ヴィータウタス・ランズベルギス)。しかし、西欧各国の共産党やロシア連邦の反発が強かった外、「鉤十字」の禁止と「鎌と槌」の禁止の提案自体が盛り上がらず、結局、「鉤十字」の禁止提案も「鎌と槌」の禁止提案も実現しなかった。

ソビエト連邦の崩壊を契機に「鎌と槌」を禁止した国として、1993年以後はハンガリー第三共和国(1993年改正刑法)[4]で、2007年以後はバルト三国の一つエストニア共和国で、2008年以後はバルト三国の一つリトアニア共和国ラトビア共和国で、2009年以後はポーランド第三共和国[5][6]で、2015年以降はウクライナ[7]でそれぞれ、「鎌と槌」の使用と掲揚が法律により禁止されている。なお、ポーランド第三共和国で「鎌と槌」を禁止する法律は、「法と正義」のヤロスワフ・カチンスキ党首が提案した。

符号位置

鎌と槌の特殊文字はunicodeに存在する。

記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
U+262D - ☭
☭
hammer and sickle

聖書における「鎚と鎌」

エレミヤ書 23章(口語訳聖書)

29 主は仰せられる、私の言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。

エレミヤ書 51章(口語訳聖書)

20 おまえは私の鎚であり、戦いの武器である。私はおまえをもって全ての国を砕き、おまえをもって万国を滅ぼす。

黙示録 14章(新改訳聖書)

14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠を被り、手には鋭い鎌を持っておられた。

15 すると、もう一人の御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」

16 そこで、雲に乗っておられる方が、地に鎌を入れると地は刈り取られた。

17 また、もう一人の御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭い鎌を持っていた。

18 すると、火を支配する権威を持ったもう一人の御使いが、祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭い鎌を入れ、地の葡萄の房を刈り集めよ。葡萄は既に熟しているのだから。」

19 そこで御使いは地に鎌を入れ、地の葡萄を刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒舟に投げ入れた。

20 その酒舟は都の外で踏まれたが、血は、その酒舟から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。

参照

外部リンク

関連項目