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'''遠山氏'''(とおやまし)は、[[日本]]の[[氏族]]。[[美濃国]][[恵那郡]](現・[[岐阜県]][[恵那市]])によった[[藤原利仁|利仁流]][[加藤氏]]系が著名である。
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== 美濃遠山氏 ==
 
=== 沿革 ===
 
==== 鎌倉時代 ====
 
遠山氏の祖は[[藤原利仁]]の子孫[[加藤景廉]]である。景廉は[[源頼朝]]の重臣として功績を残し、[[文治]]から[[建久]]([[1185年]] - [[1198年]])の頃に[[遠山荘]](現在の[[岐阜県]][[恵那市]]・[[中津川市]]・[[瑞浪市]]の一部)を与えられた。ただし景廉本人は頼朝とともに鎌倉におり、実際に遠山荘に赴任はしなかった。
 
 
 
[[承久の乱]]が始まって程なく景廉が死去し、遠山荘の地頭職は長男の'''[[遠山景朝]]'''が受け継いだ。この後、景朝は遠山荘に土着し初代遠山氏となった。遠山氏の名が最初に認められるのは、景朝が承久の乱の首謀者の一人である[[一条信能]]を遠山荘で処刑した時である({{要出典範囲|date=2017年7月|ただし伊勢加藤氏に対して遠山加藤氏としただけともとれる}})。この乱で美濃守護の[[大内惟信]]が没落すると美濃国は[[北条氏]]の直轄領となり、恵那郡の'''遠山氏'''、[[土岐郡]]の[[土岐氏]]らは北条氏の傘下とされた。
 
 
 
その後、元弘3年([[1333年]])の[[建武の親政]]により土岐氏が大きく勢力を伸ばして美濃守護となり、遠山氏もこの勢力下に入った。しかし、遠山氏の勢力は、本拠地[[岩村城]]の[[岩村遠山氏]]の他、明知、安木、飯間、櫛原、馬籠、神野を有し、康正2年([[1456年]])に造内裏段銭として12貫225文を[[室町幕府]]に収めた'''遠山左近亮'''が遠山氏の総領格であったと思われる<ref name="nakatsugawa">『中津川市史』p.572-665</ref>。{{要出典範囲|date=2017年7月|また、岩村遠山氏以外の遠山氏は遠山七家と呼ばれ、居城ごとに分かれて統治を行っていたようである}}。
 
 
 
==== 木曽氏、小笠原氏との戦い ====
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]が始まったとされる応仁元年([[1467年]])、[[細川勝元]](東軍)と[[山名宗全]](西軍)との間で[[応仁の乱]]が発生すると、美濃守護[[土岐成頼]]は西軍となって京で戦い留守は守護代格の[[斎藤妙椿]]が守っていた。しかし、文明5年([[1473年]])10月に斎藤妙椿が伊勢遠征を行なうと、その隙をついて、東軍の[[小笠原家長]]と[[木曽家豊]]が[[伊那谷]]と[[木曽谷]]から東濃に侵攻した。遠山諸氏はこれを防げず、[[大井城 (美濃国)]]を占領され、[[刈安城 (土岐郡)|刈安城]]まで落城した<ref>『11月21日付小笠原左衛門佐宛細川政国書状』</ref>。
 
その後、苗木は長らく[[木曽氏]]、松尾[[小笠原氏]]の支配下にあったようであり、永正元年([[1504年]])の[[王滝城]]([[木曽郡]][[王滝村]]崩越)の戦いでは、中津川、大井、落合の軍勢が[[木曽義元]]の家臣として戦っており、また、大永4年([[1524年]])3月に[[小笠原定基]]の家臣[[高柴景長]]が神明神社の造営に関わっている<ref name="nakatsugawa"/>。松尾小笠原氏の小笠原定基は、天文年間に入ると鈴岡小笠原氏の旧臣である[[下条氏]]と府中小笠原氏に敗れ、天文3年([[1534年]])に甲斐に逃れた。その過程で落合は下条氏の侵攻を受けている。なお遠山氏では、天文11年(1542年)には遠山景安が笠木社に梵鐘を寄進しており、遠山一族が苗木で勢力を保っていたことがわかる<ref name="nakatsugawa"/>。しかし、『木曽考』によると、天文14年([[1545年]])に[[木曽義康]]の兵が中津川防衛のため上兼(中津川上金)との途中の茶屋坂で戦い、義康の家臣萩原主水(本名遠山)が安田新七郎を討ち取っているため<ref name="nakatsugawa"/>、苗木遠山一族は木曽氏の傘下にあったと考えられる。
 
 
 
なお、さかのぼって長享2年([[1488年]])の『蔭涼軒日録』には「遠山には三魁がある。第一は苗木、第二は明智、第三は岩村といい・・・」と、[[信濃国]]と[[尾張国]]を結ぶ[[木曽川]]の流通を抑える苗木遠山氏の隆盛が伝わっている。
 
 
 
==== 武田氏、織田氏の侵攻 ====
 
しかし、天文24年([[1555年]])、松尾小笠原氏に続いて木曽氏も甲斐の[[武田氏]]に{{読み仮名|降|くだ}}り、苗木の木曽勢も武田氏の傘下に入った<ref name="nakatsugawa"/>。これにより武田氏と[[美濃斎藤氏]]は緊張関係に入り、翌弘治元年([[1556年]])に斎藤氏は遠山領国への出兵を行っている{{要出典|date=2016年6月}}。さらに弘治2年([[1557年]])の織田・斎藤氏の抗争において武田氏は遠山氏を通じて介入している{{要出典|date=2016年6月}}。武田氏は遠山氏の本拠地である岩村も傘下に収めており、[[秋山虎繁]]を派兵し[[遠山景任]]の家督継承を支援している。
 
 
 
一方、尾張国の[[織田氏]]も[[おつやの方]]を遠山景任に嫁がせて婚姻関係を築いている。また、『苗木物語中』によると、苗木勘太郎(苗木物語中はこれを[[遠山友忠]]とする)は永禄3年([[1560年]])の[[桶狭間の戦い]]に、兵500余騎を率いて織田氏に加勢して勇名をはせ、美濃国にて2万石を受けたとされる<ref name="nakatsugawa"/>。この苗木勘太郎の娘は、永禄8年([[1565年]])信長養女として武田家に嫁いでおり、[[織田信長]]と[[武田信玄]]の同盟成立に貢献している。
 
 
 
元亀3年([[1572年]])には、苗木の[[遠山直廉]]と岩村の遠山景任が武田信玄の命により、武田氏から離反した[[飛騨国]]の[[三木自綱]]と戦ったが、同元亀3年(1572年)中に遠山直廉と遠山景任が相次いで没すると、織田信長が苗木城に飯羽間遠山氏の[[遠山友勝]]を、岩村城には[[織田勝長]]を送り込んだため、同元亀3年(1572年)末に再び秋山虎繁の軍勢が派遣され[[上村合戦]]が起きた。東濃は、天正2年([[1574年]])にも[[武田勝頼]]の侵攻を受け、遠山十八支城と呼ばれる、苗木、神野、武節、今見、阿寺、馬籠、大井、中津川、鶴居、幸田、瀬戸崎、振田、櫛原、明知は尽く落城した<ref>『甲陽軍鑑』51品</ref>。この時、串原遠山氏、明照遠山氏、安木遠山氏が滅び、天正3年([[1575年]])には、織田信長の侵攻により、岩村遠山氏、飯羽間遠山氏が滅んだ。
 
 
 
==== 苗木遠山氏、明知遠山氏の旧領回復 ====
 
苗木遠山氏と明知遠山氏は、織田家に仕えて天正3年(1575年)に旧領を回復したが、天正11年([[1583年]])に[[森長可]]の侵攻を受けて三河に逃れ[[徳川家康]]に仕えた。両氏は天正12年(1584年)の[[小牧・長久手の戦い]]や慶長5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]で旧領に攻め込んで戦功を挙げ、苗木遠山氏の[[遠山友政]]が[[苗木藩]]主として、明知遠山氏の[[遠山利景]]が旗本として、それぞれ旧領に復帰した。
 
 
 
=== 遠山七頭 ===
 
岩村、明知、苗木、飯羽間、串原、明照、安木の7家で七遠山ともいう<ref>『遠山譜』</ref>。安木(阿木)の代わりに大井が入る場合や、明照に代わって馬籠を入れる説もある<ref>[[松田之利]]「遠山氏」『国史大辞典』</ref>。
 
 
 
# [[岩村遠山氏]]- 惣領家。遠山景朝の子・[[遠山景員]]が祖。[[岩村城]]主。戦国時代に[[遠山景任]]の死で断絶し、天正3年に岩村城が落城して滅亡。
 
# [[明知遠山氏]] - [[明知城]]主。遠山景朝の子・[[遠山景重]]が祖<ref>「東濃雑録」による説(『日本城郭大系』)。</ref>。江戸時代は[[旗本]]として存続。末裔に[[遠山景元]]がいる。なお途中で土岐[[明智氏]]が名跡を継いだとする異説が存在する<ref name="ena">「恵那業書」</ref>。
 
# [[苗木遠山氏]] - [[苗木城]]主。祖は諸説あり<ref>「高森根元記」に出る[[遠山景利]]・[[遠山景長]]父子の系統とする(国史大辞典)。</ref>。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に活躍した遠山五郎がいる。室町時代に土岐氏から、戦国期に飯羽間遠山氏から養子を迎えている。江戸時代には[[苗木藩]]主となった。
 
 
 
# [[飯羽間遠山氏]] - [[飯羽間城|飯羽間(飯場、飯間)城]]主。宗家[[遠山景明|景明]]の子・[[遠山景義|景義]]が飯間姓を初めて名乗る。戦国期には苗木遠山氏の名跡を継承。[[遠山友信]]のとき苗木から分かれるが、武田の攻撃で落城・降伏。武田滅亡後に友信が信長に処刑され滅亡した。
 
# [[明照遠山氏]] - [[阿寺城|明照(阿寺、阿照、阿照羅)城]]主。飯羽間[[遠山友忠]]が長子・友信に飯羽間城を譲ったのち城主となる。のち友忠の次子・[[遠山友重]]が継ぐが天正2年武田の攻撃で落城。
 
# [[串原遠山氏]] - [[串原城]]主。[[上村合戦]]時は[[遠山右馬助]]とその子・[[遠山経景|遠山五郎経景]]がいた。武田氏による串原落城後、旗本明知遠山氏に仕えたという。
 
# [[安木遠山氏]] - [[阿木城|安木(阿木、安城)城]]主。遠山景員の次男・[[遠山景賢]]が祖だという<ref name="ena"/>。
 
# [[馬籠遠山氏]] - [[馬籠城]]主。遠山馬籠左馬介、遠山馬籠右馬介らが知られる<ref name="nakatsugawa"/>。
 
 
 
=== 遠山七頭以外 ===
 
*[[神野遠山氏]] - [[鶴ヶ城 (美濃国)|神野城]]主。遠山神野左京亮、遠山神野右京亮らが知られる<ref name="nakatsugawa"/>。
 
*[[馬場遠山氏]] - 遠山馬場孫六らが知られる<ref name="nakatsugawa"/>。
 
*[[福岡遠山氏]] - [[美濃国]][[恵那郡]][[福岡町 (岐阜県)|福岡町]]によった一族。景朝の子・[[遠山景村]]が祖。[[広恵寺城]]を守り[[遠山一雲入道]]が[[後醍醐天皇]]の皇子・[[宗良親王]]に仕え、南朝方であった。
 
 
 
=== 遠山十八支城 ===
 
美濃遠山氏には本拠[[岩村城]]のほか、遠山十八支城と呼ばれる城や砦が存在したとされる。
 
*『甲陽軍鑑』の五十一品では、「ないぎ、かうの、ぶせつ、いまみ、あてら、まごめ、大井、中津、つるひ、かうた、せとざき、ふつた、ぐし原、明智」の名が挙げられている。
 
*『美濃明細記』の岩村城の項ではその支城として、「苗木、明知、飯羽間、串原、大井、久須見、佐々良木、藤、阿木、野井、曾木」が挙げられている。
 
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*[[明知城]](恵那市)
 
*[[飯羽間城]](恵那市)
 
*[[大井城 (美濃国)|大井城]](恵那市)
 
*[[串原城]](恵那市)
 
*[[阿木城]](中津川市)
 
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*[[阿寺城]](中津川市)
 
*[[広恵寺城]](中津川市)
 
*[[千旦林城]](中津川市)
 
*[[馬籠城]](中津川市)
 
*[[苗木城]](中津川市)
 
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*[[鶴ヶ城 (美濃国)|神箆城]](瑞浪市)
 
*[[武節城]](豊田市)
 
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== 信濃の遠山氏 ==
 
*[[信州遠山氏]](江儀遠山氏) - [[信濃国]][[伊那郡]]南部によった一族。美濃遠山氏と同祖とみられる。「伊那旧事記」は明知遠山氏の分家としている。
 
 
 
== 関東の遠山氏 ==
 
*[[武蔵遠山氏]] - [[後北条氏]]家臣で[[江戸城]]代。明知遠山氏の[[遠山景保]]の子・[[遠山直景|直景]]が[[北条早雲]]に仕え武蔵へ移ったのにはじまる。
 
*[[相模遠山氏]] - 武蔵遠山氏の遠山直景の次子・[[遠山康光|康光]]の一族。江戸時代に旗本となった。
 
*[[館林遠山氏]] - 苗木遠山氏の弥右衛門景利を祖とする。[[榊原康政]]に仕えて500石を得る。
 
 
 
== 四国の遠山氏 ==
 
[[小牧・長久手の戦い]]で家康から感状を得た「遠山佐渡守」の一族。佐渡守の子孫は[[高松藩]]の[[生駒氏|生駒家]]や[[今治藩]]の久松松平家に仕えた。また[[鶴ヶ城 (美濃国)|神箆城]]主・[[延友信光|延友佐渡守]]がこの遠山佐渡守だとする説もある。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Citation |和書| last=| first=|editor=加藤護一|year =1926| title =恵那郡史|publisher =恵那郡教育会|url={{NDLDC|1021178/83}} 国立国会図書館デジタルコレクション|chapter=遠山氏(1)|}}
 
* {{Citation |和書| last=| first=|editor=伊東実臣|year =1932| title =美濃明細記|publisher =一信社出版部|url={{NDLDC|1877570/71}} 国立国会図書館デジタルコレクション|chapter=城地|}}
 
* 中津川市編『中津川市史(上巻)』中津川市、1968年
 
 
 
{{DEFAULTSORT:とおやまし}}
 
[[Category:遠山氏|*]]
 
[[Category:日本の氏族|とおやま]]
 
[[Category:東海地方の氏族|とおやま]]
 
[[Category:恵那市の歴史]]
 
[[Category:中津川市の歴史]]
 
[[Category:土岐市の歴史]]
 

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