「道饗祭」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「 '''道饗祭'''('''みちあえのまつり'''、ちあえのまつり) 「ちあえのまつり」ともいう。令制の祭。京の都城の四隅の路上で,...」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{令制祭祀}}
 
{{神道}}
 
'''道饗祭'''('''みちあえのまつり'''、ちあえのまつり)とは、神道[[祭祀]]の1つ。[[上代]]から毎年6月と12月の2回、都の四隅道上で、'''八衢比古神'''(やちまたひこのかみ)、'''八衢比売神'''(やちまたひめのかみ)、'''久那斗神'''(くなどのかみ)の3柱を祀り、都や[[朝庭|宮城]]の中に災いをもたらす[[魑魅|鬼魅]]や[[妖怪]]が入らぬよう防ぎ、守護を祈願する[[神事]]、および神社の[[祭]]<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/212207/m0u/ デジタル大辞泉「みちあえのまつり〔道饗の祭〕」] 小学館 2015年07月12日閲覧</ref>。令制祭祀としては[[京都]]が中心だったが、[[疫病|疾疫]]が起こった時は[[地方]]でも斎行した<ref name="da1">[https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E9%A5%97%E7%A5%AD-138785 世界大百科事典 第2版「みちあえのまつり〔道饗祭〕」] 平凡社 2015年07月12日閲覧</ref>。
 
  
== 概要 ==
+
'''道饗祭'''('''みちあえのまつり'''、ちあえのまつり)
[[令]]の編目の一、神祇令に定められた恒例の祭典である<ref name="da1"/>。[[平安時代]]成立の法令集『[[延喜式]]・第一巻』([[藤原時平]]/[[藤原忠平]]ら編集)6月祭条に記され<ref name="n19"/>、小祀に区分する<ref group="注">律令制で、前1日間を[[物忌み]]して行う祭祀。</ref><ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/108492/m0u/%E5%B0%8F%E7%A5%80/ デジタル大辞泉「しょうし〔小祀〕」] 小学館 2015年07月12日閲覧</ref>。[[京職|左右京職]]が司り、[[卜部氏|卜部(うらべ)氏]]がはらえを務めた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E9%A5%97%E7%A5%AD-138785 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「みちあえのまつり〔道饗祭〕」] 日本語版 2015年07月12日閲覧</ref>。律令時代[[京都]]では鎮火祭(ほしずめのまつり)と兼ねて行うことが多かった<ref name="n19"> 西牟田 2003年、p119</ref>。祭日は[[陰暦]]の[[6月]]と[[12月]]、その月の晦日にある[[大祓]]の後に開催したと言われるが、『延喜式』や『[[大宝令]]』に祭日の明記がないことから、吉日を選び執り行ったとする『[[拾芥抄]]』の説をとる見解もある<ref name="tu1">次田 2008年、p378</ref>。
 
  
神道では[[春分]]と[[秋分]]・[[夏至]]と[[冬至]]・上半期と下半期など、半年周期を節目としながら斎行する神事例が多く見当たり、これらは[[農耕]]儀礼との結びつきや、[[季節]]・動植物の移り変わりを目安とする自然暦・[[自然観]]に基づき、[[半年]]毎を基本としていた所以である。
+
「ちあえのまつり」ともいう。令制の祭。京の都城の四隅の路上で,ヤチマタヒコ,ヤチマタヒメ,クナドの3神を祀り,魑魅 (ちみ) や妖怪が京や宮中に来るのを防ぐ祭り。毎年6,12月に行われ,左右京職が司り,卜部 (うらべ) が解除 (はらえ) を行なった。
  
=== 基本情報表 ===
+
{{テンプレート:20180815sk}}
{| class="wikitable"
 
!項目!!説明!!備考
 
|-
 
!rowspan="3"|祭神
 
|colspan="2"|八衢比売神・八衢姫神(やちまたひめのかみ)
 
|-
 
|colspan="2"|八衢比古神・八衢彦神(やちまたひこのかみ)
 
|-
 
|colspan="2"|久那斗神(くなどのかみ)
 
|-
 
!rowspan="3"|律令
 
|rowspan="3"|神祇令・小祀||[[近江令]]([[668年]]制定)
 
|-
 
|[[飛鳥浄御原令]]([[681年]]編纂)
 
|-
 
|[[養老令]](第6篇・20条、[[718年]]から)
 
|-
 
!開催日
 
|陰暦の6月・12月||晦日、又は吉日
 
|-
 
!rowspan="2"|信仰
 
|rowspan="2"|神祇信仰([[古神道]])||自然信仰
 
|-
 
|原始祖霊信仰
 
|-
 
|}
 
 
 
== 文献 ==
 
=== 公事根源と西宮記 ===
 
[[疫病神]]の災厄をはらう祭典の内に、[[陰陽寮]]の四角四境祭がある<ref name="tu2">次田 2008年、p380</ref>。[[室町時代|室町中期]]成立、朝廷における年間行事や儀式の由来・沿革を述べた『[[公事根源]]』([[一条兼良]]・著書)では、道饗祭を「鎮火道饗の祭を四角四境の祭とも申也(もうすなり)」と記しているが誤りで、鎮火祭も道饗祭も四角祭や四境祭とは別の祭である<ref name="ko1">甲田 1976年、p229</ref>。
 
 
 
平安中期成立、[[朝廷]]儀式の作法や制度などを述べた『[[西宮記]]』([[源高明]]・著書)によると、疫病の兆しがあった歳に臨時に都の四隅で行う祭を「四角祭」、諸国の四境で行う祭を「四境祭(四界祭)」と呼んだものと記している<ref name="tu2"/>。恒例的に神々を祀る祭を指してはいなかったが、後世の誤認により道饗祭や鎮火祭は一緒くたに纏められ解釈されていた<ref name="tu2"/>。特に疫病が流行ると地方でも臨時に道饗祭を行ない、疫病神を祀る祭祀と誤解や混同が生じやすい環境にあった<ref name="tu1"/>。
 
 
 
{{Cquote|四界祭 - 陰陽寮向<sub>ニ</sub>四界<sub>一</sub>祭、以<sub>ニ</sub>蔵人所人<sub>一</sub>為<sub>レ</sub>使。<br>四角祭 - 陰陽寮向<sub>ニ</sub>宮城四角<sub>一</sub>祭、有<sub>レ</sub>使所人。
 
 
 
已上天下有<sub>レ</sub>疫之時、陰陽寮進<sub>ニ</sub>示度。科物官宣。|||『西宮記』|次田 2008年、p380}}
 
 
 
なお公事の他、[[民間信仰]]で疫病神の祭の種類は極めて多種多様に富み、広範囲で開催した<ref name="tu3">次田 2008年、p381</ref>。
 
 
 
== 祝詞 ==
 
{{Quotation|'''原文''' - 高天之原<sub>尓</sub>事始<sub>&#27664;</sub>、皇御孫之命<sub>止</sub>称辞竟奉、大八衢<sub>尓</sub>湯津磐村之如<sub>久</sub>塞坐皇神等之前<sub>尓</sub>申<sub>久</sub>、八衢比古・八衢比売・久那斗<sub>止</sub>御名者申<sub>氐</sub>、辞竟奉<sub>久波</sub>、根国底国<sub>与里</sub>麁<sub>備</sub>疎<sub>備</sub>来物<sub>尓</sub>、相率相口会事無<sub>&#27664;</sub>、下行者下<sub>乎</sub>守<sub>理</sub>、上往者上<sub>乎</sub>守<sub>理</sub>、夜之守・日之守<sub>尓</sub>守奉斎奉<sub>礼止</sub>、
 
 
 
進幣帛者明妙・照妙・和妙・荒妙<sub>尓</sub>備奉、御酒者瓺辺高知、&#29946;腹満双<sub>&#27664;</sub>、汁<sub>尓母</sub>穎<sub>尓母</sub>、山野<sub>尓</sub>住物者、毛<sub>能</sub>和物・毛<sub>能</sub>荒物、青海原<sub>尓</sub>住物者、鰭<sub>乃</sub>広物・鰭<sub>乃</sub>狭物、奥津海菜・辺津海菜<sub>尓</sub>至<sub>万尓&#27664;</sub>、横山之如<sub>久</sub>置所足<sub>氐</sub>、進宇豆<sub>乃</sub>幣帛<sub>乎</sub>平<sub>気久</sub>聞食<sub>&#27664;</sub>
 
 
 
八衢<sub>尓</sub>湯津磐村之如<sub>久</sub>塞坐<sub>&#27664;</sub>皇御孫命<sub>乎</sub>堅磐<sub>尓</sub>常磐<sub>尓</sub>齋奉、茂御世<sub>尓</sub>幸<sub>閉</sub>奉給<sub>止</sub>申、又親王等・王等・臣等・百官人等、天下公民<sub>尓</sub>至<sub>万&#27664;尓</sub>
 
平<sub>久</sub>斎給<sub>部止</sub>、神官天津祝詞<sub>乃</sub>太祝詞事<sub>乎</sub>以<sub>氐</sub>、称辞竟奉<sub>止</sub>申|『延喜式』|道饗祭祝詞}}
 
 
 
=== 意義・備考 ===
 
*'''高天之原'''(たかまのはら)'''に事始'''(ことはじ)'''めて'''/高天之原<sub>尓</sub>事始<sub>&#27664;</sub> - 意味:高天原に坐す御祖神等が事始め給いて。
 
:道饗祭は[[高天原]]に起源を発する神事であり、斎行している道饗祭は高天原で事始まった[[皇祖神|皇祖天神]]の[[神勅]]によって行っている、といった内容である<ref name="t83"/>。同様の記述が『[[古史伝]]』(平田篤胤・著書)にもあり、踏襲の解釈<ref name="t83"/>。
 
*'''皇御孫の命と'''/皇御孫之命<sub>止</sub> - 意味:御代知らし食す今上天皇の詔(みことのり)・仰言によって。
 
:本来は「皇御孫命の命」が正しいが、命の漢字が重複するため一つ省いてある<ref name="t83">次田 2008年、p383</ref>。皇御孫は各時代国を治める[[今上天皇]]を指し、命は御言の意味であり[[詔]]や仰言である<ref name="t83"/>。
 
*'''称辞'''(たたへごと)'''竟'''(を)'''へ奉る'''/称辞竟奉 - 意味:祭祀を行い奉る。
 
:祝詞に多く用いる一種の[[慣用句]]<ref name="t69">次田 2008年、p69</ref>。「たたへごと」は「たたへことば」のことで賛詞を意味し、「たたへ」は水を湛えるの「たたえ」と同じく満ち足りを表現している、次の「をへ」は極め尽くすの意味である<ref name="t69"/>。従って本来の原義は「称辞を竟へ奉る(意味:善言美辞を尽くし、神の威徳を褒め称え奉る)」になるものの、慣用句と頻繁に用いられた結果、単に「祭る」や「幣帛などを奉献する」「神の御名を唱え奉る」の意味にも転じるようになった<ref name="t69"/>。
 
*'''大八衢'''(おおやちまた) - 意味:宮城外にある大道路の衢(ちまた)。
 
:「八」は数字の8ではなく、数が多いことを表す<ref name="chi">[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/222073/m0u/ デジタル大辞泉「や‐ちまた〔八衢〕」] 小学館 2015年7月18日閲覧</ref>。「衢」は道俣(ちまた)を意味し、辻道のように四方(又はそれ以上)に道が分岐した場所のことである<ref name="chi"/>。
 
*'''湯津磐村'''(ゆついはむら)'''の如く'''/湯津磐村之如<sub>久</sub> - 意味:神聖な巌群(いわむら)の如く。
 
:「ゆ」は斎庭(ゆにわ、祭場のこと)の「ゆ」と同じ<ref name="t05">次田 2008年、p105</ref>。「ゆつ」は[[中臣寿詞]](なかとみのよごと)に見える由都五百(ゆついほ)篁(たかむら)の「ゆつ」(厳橿(いつかし)<ref>[http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%97&match=beginswith&itemid=DJR_itukasi_-010 大辞林 第三版「いつかし〔厳し〕」] 三省堂 2015年7月19日閲覧</ref>の古語)と同じで、神聖や清浄を表し、即ち「神聖な岩の群のように」の意味になる<ref name="t05"/>。
 
*'''坐り塞す'''/塞坐 - 意味:立ち塞がり邪悪を防ぎ給う。
 
:『[[古事記]]』[[黄泉比良坂]]の段で、黄泉国から逃げ出す[[伊弉諾尊]](いざなぎのみこと)は「爾ち千引石を其の黄泉比良坂に引き塞(さ)へて」と偉大なる岩石の力によって禍を塞いだが、それと同様の意義である<ref name="t05"/>。この場合の「さやる」は塞ぐ、防ぐ、遮る、留める、封じる、などの意味を表す<ref name="t05"/>。
 
*'''皇神'''(すめかみ) - 意味:神の尊称。
 
:神を敬う尊称、または皇室の祖先の神を敬う尊称、皇祖神のことである<ref name="sum">[http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%99%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%BF&match=beginswith&itemid=DJR_sumekami_-010 大辞林 第三版「すめかみ〔皇神〕」] 三省堂 2015年7月19日閲覧</ref>。ここでは神の尊称を指す。
 
*'''根国底国'''(ねのくにそこのくに) - 意味:[[黄泉国]]。
 
:地下深くや遥か海の向こうにあるとする、死者が行く[[現世]]とは別の[[他界]]<ref name="num">[http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AD%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%AB&match=beginswith&itemid=DJR_nenokuni_-010 大辞林 第三版「ねのくに〔根の国〕」] 三省堂 2015年7月18日閲覧</ref>。思想的には罪や厄災が行き来し、[[祓い]]の後[[穢れ]]が流れてゆく場所<ref name="num"/>。
 
*'''麁'''(あら)'''び疎'''(うと)'''び来'''(こ)'''む物'''/麁<sub>備</sub>疎<sub>備</sub>来物 - 意味:朝廷に対して親しまずに荒ぶる禍神(まがかみ<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/207200/m0u/ デジタル大辞泉「まが-かみ〔禍神〕」] 小学館 2015年7月19日閲覧</ref>)や物の怪。
 
:多くの災禍は黄泉国よりやって来ると考えられていたことから、黄泉国から来る禍事(まがごと<ref group="注">災厄、禍、災難、不幸な出来事。縁起の悪い不吉な言葉も意味するが、ここでは凶事を指す。</ref><ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/207208/m0u/ デジタル大辞泉「まが-ごと〔禍事・禍言〕」] 小学館 2015年7月19日閲覧</ref>)のことである<ref name="t84">次田 2008年、p384</ref>。言葉としての「荒び」は和む・穏やかな様子の対義語概念、荒々しい・荒立っている様子の表現で使われている<ref name="t27">次田 2008年、p272</ref>。かつ疎疎しいといった親しまない意味<ref name="t27"/>。「疎び」は睦むの対義語で、忌み嫌う表現である<ref name="t27"/>。
 
:「物」は「[[物の怪|もののけ]](物の怪・物の気)の「もの」であり、邪神[[悪霊]]や妖怪などの類い全般を指す<ref name="t05"/>。
 
*'''明妙'''(あかるたへ)'''照妙'''(てるたへ)'''和妙'''(にぎたへ)'''荒妙'''(あらたへ)/明妙・照妙・和妙・荒妙 - 意味:多彩な織物。
 
:上代、[[布|布帛]]の原料は[[麻 (繊維)|麻]]・ 木綿(ゆう)・[[絹]]が多く、それらによる色々な[[織物]]<ref name="t82">次田 2008年、p82</ref>。特に繊維料植物の中で穀(かじ)の樹木樹皮からの織った織物は古代から盛んに用い、これを「たへ(栲)」と呼び原文の「妙(たへ)」に当る<ref name="t82"/>。そして布帛の材料となる緒(お)を[[木綿 (ゆう)|木綿(ゆう)]]と言った<ref group="注">緒(お)とは[[糸]]や[[紐]]を含め、繊維によった細く線状のもの。</ref>。また穀の木は[[穀紙]](こくし、又は楮紙)の原料となる[[楮]]のこととされる<ref name="t82"/>。
 
*'''皇御孫命'''(すめみまのみこと) - 意味:今上天皇
 
:「皇」は皇神(すめかみ)や天皇命(すめらみこと)と同じ「すめ」<ref name="t71">次田 2008年、p71</ref>。「孫命(みま)」は御真子(みまなご)の意味と御子に親愛を示した表現であり、本来は皇孫[[瓊瓊杵尊]](ににぎのみこと)を指していたが、転じて各時代国を治める今上天皇のことを呼ぶようになった<ref name="t71"/>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|author=西牟田 崇生|title=平成新編祝詞事典 縮刷版|publisher=続戎光祥|date=2003|isbn=4-900901-32-6}}
 
*{{Cite book|和書|author=甲田 利雄|title=年中行事御障子文註解|publisher=続群書類従完成会|date=1976|isbn=4-7971-0525-9}}
 
*{{Cite book|和書|author=次田 潤|title=祝詞新講 新版|publisher=戎光祥|date=2008||isbn=978-4-900901-85-8}}
 
 
 
{{Shinto-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:みちあえのまつり}}
 
{{DEFAULTSORT:みちあえのまつり}}
 
[[Category:神道行事]]
 
[[Category:神道行事]]

2019/4/28/ (日) 18:43時点における最新版

道饗祭みちあえのまつり、ちあえのまつり)

「ちあえのまつり」ともいう。令制の祭。京の都城の四隅の路上で,ヤチマタヒコ,ヤチマタヒメ,クナドの3神を祀り,魑魅 (ちみ) や妖怪が京や宮中に来るのを防ぐ祭り。毎年6,12月に行われ,左右京職が司り,卜部 (うらべ) が解除 (はらえ) を行なった。



楽天市場検索: