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'''過疎'''(かそ)とは、[[人口]]が急激かつ大幅に減少したため、地域社会の機能が低下し、住民が一定の[[生活水準]]を維持することが困難になった状態をいう。
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'''過疎'''(かそ)
  
単に[[人口]](密度)が極度に少ない(低い)状態をいう場合もあるが、これは正しい使い方ではない(後述)。対義語は[[過密]]。
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開発の遅れた農山村において,急激な[[離村]],離農現象が進展した結果,地域住民の生産と生活の諸機能が麻痺し,生活の秩序が破壊された状態。つまり,地域人口や世帯が急激に減少することによって,これまでの人口によって支えられていた地域社会そのものが保持できなくなり,入れ物としての地域生活条件を縮小させなければならなくなり,なお生活がしにくくなるという悪循環を伴う。
  
== 概説 ==
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1960年以降の高度経済成長と都市化の波が開発の遅れた農山村にまで及んだ結果,生産技術と生活様式および生活意識の近代化が進んだことによる。過疎問題は地域生活のなかでもとりわけ医療,衛生,教育などの生活福祉活動の継続を困難にする形で現れる。一般に,過疎は青壮年層の人口減少による基礎的地域活動への支障と社会的統一の解体であるが,過疎現象がより構造的なものである以上,過疎対策は公共的生活福祉面にとどまるのでなく,生産面を含んだ総合対策であらねばならない。
日本語の「過疎」と言う語は[[島根県]][[美濃郡]][[匹見町]](現:[[益田市]]匹見町)の大谷武嘉町長が[[昭和]]40年代に国会にて、過疎と言う言葉を使用し津々浦々と切実に町の現状を訴えたのが始まり。昭和38年([[1963年]])の豪雪で、匹見町では最大で4.4m以上の積雪に見舞われ、7月まで雪が残り、孤立した集落が1ヶ月以上の音信不通となった。これを教訓に、対策として昭和45年([[1970年]])には広見集落・虫ヶ谷集落・小平集落が、昭和50年([[1975年]])には赤谷集落が町の指示で集落ごとに積極的に移転し消滅した。また、昭和初期の段階で消滅している集落も多い。現在も消滅集落は増え、燃料革命が起こった昭和40年代には、たった3年で集落の人口が半減する事態も多々起こった(昭和30~40年代:10年間の町人口:7550人→3800人→現在1300人)。この事があいまって産業が衰退し皮肉にも清流・高津川の水質が日本一となった。
 
 
 
人口が減少して過疎の状態になりつつある状態、あるいは過疎がさらに進行する状態を'''過疎化'''(かそか)という。過疎化が進行し、地域社会([[コミュニティ]])としての機能を失った集落を'''[[限界集落]]'''と呼ぶこともある。これは、[[大野晃]]が「『過疎化』では集落の深刻な現状を表現するのに不十分である」と考え、考案した用語である。
 
 
 
なお、英語にはsparsely populated areas(希薄人口地域)という語があるが、日本語の「過疎」のように財政力や人口の短期間の減少といった定義があるわけではない<ref name="bunken14142709" />。
 
 
 
== 日本 ==
 
=== 一般的な定義 ===
 
「過疎」という語は、1966年に[[経済審議会]]の地域部会中間報告で初めて公式に登場した。翌年まとめられた同部会の報告は次のように述べている。
 
 
 
「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」
 
 
 
近年においても、交通機関の発達によって都市部への移動が容易になったことや、青年の[[農業]]離れ・[[漁業]]離れ、工場の海外移転などによる産業の[[空洞化]]、経済の[[東京一極集中]]の加速などによって、全国各地で過疎が進行している。
 
 
 
特に[[離島]]などの地域では、所得の大半を[[農業]]や[[漁業]]に依存する構造となっており、過疎問題が深刻化している。
 
 
 
=== 影響 ===
 
特に[[政令指定都市]]・[[県庁所在地]]から距離の離れ、かつ交通の便に劣る[[村落]]や[[離島]]などのへき地において過疎が発生しやすい。
 
 
 
過疎は、政令指定都市・県庁所在地を中心とした都市部への[[人口]]移動や、[[少子高齢化]]などが原因となって起こる。過疎化が進行すると、生活[[道路]]や[[農業用水]]など地域資本の管理、[[農業]]([[田]]植え・[[イネ|稲]]刈りなど)や[[茅葺き]]屋根の葺き替え時の助け合いといった互助機能、冠婚葬祭や[[消防団]]など地域社会の機能を維持することが困難になるとともに、利用者減少と[[自家用自動車]]利用の増加による[[公共交通]]網の崩壊([[鉄道]]や[[路線バス]]の[[廃線]]・撤退や大幅な減便など)、[[商店街]]の衰退、[[医療機関]]の機能縮小、[[学校]]の[[廃校]]などといった社会資本(インフラ)の喪失が同時に進行する。また、過疎化で山林の管理がおろそかになったり、[[耕作放棄地]]が増加したりすることで、[[クマ]]や[[イノシシ]]、[[シカ]]などの野生動物の生息域が人里に近い所まで広がり、人里にも出没して人間に危害を加えたり、農業被害をもたらす事態につながっている。
 
 
 
また、地方自治体(市町村)の[[地方税]]税収が落ち込み、独自財源を失うことによる[[地方財政|財政]]規模の縮減や[[財政再生団体]](旧・[[財政再建団体]])への転落、これに伴う住民の負担増がますます深刻化し、十分な行政サービスを提供できなくなる、地域産業の衰退を招くことで過疎化に拍車がかかるなどの問題を引き起こす。この上に、民間事業者が撤退した路線バスを引き継ぐ[[廃止代替バス]]の運行や公営[[診療所]]の維持といった新たな行政負担も発生することになる。特に過疎地域における医療サービスの確保は深刻な課題となっている。
 
 
 
=== 沿革 ===
 
[[日本]]では、[[明治]]以降続く[[中央集権]]政策で、[[政治]]・[[経済]]・文化が[[首都]]たる[[東京都]][[特別区|区部]]や[[県庁所在地|道府県庁所在地]]といった都市部への一極集中が進行し、首都偏重の発展が続いた。
 
 
 
==== 人口激減期 ====
 
1965年から1975年の[[国勢調査]]では、過疎地域の人口が激減していた。1970年頃の人口減少は若年層の流出が主であり('''若者流出型過疎'''・'''人口社会減型過疎''')、若者人口比率の低下と高齢化を招いた<ref name=yamamoto>『[[山本努]]『人口還流(Uターン)と過疎農山村の社会学』([[学文社]]、2013年)2 - 4ページ。</ref>。1960年代の[[高度経済成長]]期には、急速な[[工業化]]に伴って、[[村落|農村]]から[[都市|都会]]、特に[[太平洋ベルト]]地帯への[[労働力]]としての人口移動が起こり、工業基盤を持たない地域は労働力の供給基地となり、過疎化が見られるようになった。この時期、山間部の住民に多くの仕事と賃金をもたらしてきた[[木炭|製炭業]]が、[[エネルギー革命#日本での石油エネルギーへの転換|エネルギー革命]]の進展で一気に衰退したことも人口の移動に拍車をかけた<ref>{{Cite book |和書 |author= 北日本新聞社 |year=2005 |title= 沈黙の森 生活から炭が消えた 喜多重時 |page=p48 |publisher=北日本新聞社 }}</ref>。また、[[炭鉱]]の閉山、山間部における[[ダム]]建設に伴う[[挙家離村]]といった要因で過疎化が起きる場合もあった。
 
 
 
==== 人口減少鈍化期 ====
 
1980年と1985年の国勢調査では過疎地域の人口減少が鈍化した。流入人口がほぼ一定だったにもかかわらず、流出人口が激減したためである。一方で1980年代後半には過疎地域の死亡数が出生数を上回る(自然減)ようになった<ref name=yamamoto/>。
 
 
 
日本の産業は[[第二次産業]]中心から[[サービス業]]など[[第三次産業]]中心へと移行したものの、政治・経済の中央集権的傾向も改められずに人口の偏りは続き、中央政府が景気対策として実施した[[公共事業]]により地域産業の中央依存傾向が強まることで、地域の自立性が失われていった。過疎地域の市町村が求めた[[高速道路]]などの交通網の整備は「利便性の向上により、都市部への人口流失に拍車がかかる」という循環を生じさせている([[ストロー効果]]を参照)。
 
 
 
==== 人口減少再加速期 ====
 
1990年以降の国際調査では、再び過疎地の人口減少が加速した。人口流出が減っているものの、自然減が加速したためである('''人口自然減型過疎''')。1990年頃には若者だけではなく子どもの数の減少も顕著になった('''若者流出型過疎+少子型過疎''')<ref name=yamamoto/>。また、この頃はかつてのように地域一帯で均一な過疎化('''集落未分化型過疎''')から、集落ごとで過疎化の進行度合いに差が見られるようになった('''集落分化型過疎''')<ref>『人口還流(Uターン)と過疎農山村の社会学』17ページ。</ref>。
 
 
 
1990年代以降は[[バブル景気]]崩壊の余波を被り、その後の[[景気]]回復は立ち遅れ、ますます過疎地域の拡大を招くこととなった。特に核となる基幹工業に乏しく、農林業・鉱業・零細漁業に依存していた中山間地区、半島などで顕著であり、[[北海道]]・[[秋田県]]・[[島根県]]・[[高知県]]・[[長崎県]]などは人口減が著しく、近年は首都圏など一部都市圏を除いてほぼ全国的に過疎化が進行している。
 
 
 
また、[[1999年]]頃からの[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]により、合併され周辺化された過疎地域の旧市町村では、引き続き役所・役場が置かれた市町村に比べて大きく人口が減少した([[総務省]]「[http://www.soumu.go.jp/gapei/pdf/080616_1_2.pdf 平成の合併」の評価・検証・分析]」)。
 
 
 
=== 過疎対策関連法 ===
 
過疎対策関連法として以下の法律が規定されている。
 
* [[過疎地域自立促進特別措置法]]
 
* [[離島振興法]]
 
* [[山村振興法]]
 
* [[半島振興法]]
 
* [[へき地教育振興法]]
 
* [[小笠原諸島振興開発特別措置法]]
 
* [[奄美群島振興開発特別措置法]]
 
* [[沖縄振興特別措置法]]
 
* [[有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別措置法]]
 
* 辺地に係る公共的施設の総合整備のための財政上の特別措置等に関する法律
 
 
 
過疎地域自立促進特別措置法により「[[過疎地域]]」が規定された。
 
 
 
== スウェーデン ==
 
スウェーデンでは1960年代の半ばから人口が希薄な地域への対策が実施されてきた<ref name="bunken14142709">[http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14142709.pdf スウェーデンにおける過疎地域の動向 高野和良] 国立社会保障・人口問題研究所、2017年2月12日閲覧。</ref>。その当初の目的は、これらの地域での競争力の維持と経済的基盤の強化にあった<ref name="bunken14142709" />。これらの対策の目的は次第に、交通、教育、社会福祉サービスなどの社会資本の地域的均衡を図ることに移っている<ref name="bunken14142709" />。
 
 
 
スウェーデンでは1930年代から1950年代にかけ、農業部門では経営規模を拡大するための政策が指向されるとともに、工業部門でも急速な発展が進行し、農村地域から都市地域への人口移動が生じた<ref name="bunken14142709" />。1970年代にスウェーデン政府は都市地域から農村地域への人口移動を促す政策を実施したが、結果的に大規模化を図れなかった小規模農家の経営を圧迫することを回避できず、人口の流動化による過疎化の進行を抑制することはできなかった<ref name="bunken14142709" />。1980年代からは都市住民が農村での生活を体験する[[グリーンツーリズム]]の推進や工芸品などの地場産業の奨励といった新たな政策が打ち出された<ref name="bunken14142709" />。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
; 地理的関連、発生する現象と問題
 
* [[過疎地域]] - [[限界集落]] / [[無医村]] / [[ゴーストタウン]] / [[みなし過疎]]地域
 
* [[田舎]]、[[離島]]、陸の孤島(''cf.'' [[孤島]])、[[交通困難地]] :[[地勢]]上、過疎である場合がある。
 
* [[無人島]]、[[廃線]]・[[廃駅]]、[[廃港]]、[[廃墟]]  :過疎化の結果である場合がある。
 
* [[廃村]]、[[空き教室]]・[[廃校]] :過疎化の結果である場合が多い。
 
* [[秘境]] - [[秘境駅]] / [[酷道]]<!--※これらは、直接には関係ないグループ。-->
 
* [[社会的弱者]] :[[無医村]]民([[医療弱者]]の一種<!--※機会的医療弱者。他に経済的医療弱者もあるので。-->)、[[交通弱者#移動制約者としての交通弱者|移動制約者としての交通弱者]]、買い物弱者([[買い物難民]])、[[情報格差]]。
 
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
; 社会対応等の関連
 
* [[日本の市町村の廃置分合]]
 
* [[田中角栄]]と[[日本列島改造論]]
 
* [[農村計画学会]]
 
* [[出稼ぎ]] / [[集団就職]]
 
* [[へき地教育]]
 
* [[交流居住]]
 
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
; 関連学問
 
* [[地域社会学]]
 
* [[農村社会学]]
 
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
; 言葉としての関連
 
* [[過疎スレ]]
 
</div>{{clear|left}}
 
 
 
==脚注==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.soumu.go.jp/c-gyousei/2001/kaso/kasomain0.htm 新たな過疎対策について(総務省自治行政局過疎対策室)]
 
* [http://www.kaso-net.or.jp/ 過疎物語(全国過疎地域自立促進連盟)]
 
  
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2018/10/30/ (火) 08:48時点における最新版

過疎(かそ)

開発の遅れた農山村において,急激な離村,離農現象が進展した結果,地域住民の生産と生活の諸機能が麻痺し,生活の秩序が破壊された状態。つまり,地域人口や世帯が急激に減少することによって,これまでの人口によって支えられていた地域社会そのものが保持できなくなり,入れ物としての地域生活条件を縮小させなければならなくなり,なお生活がしにくくなるという悪循環を伴う。

1960年以降の高度経済成長と都市化の波が開発の遅れた農山村にまで及んだ結果,生産技術と生活様式および生活意識の近代化が進んだことによる。過疎問題は地域生活のなかでもとりわけ医療,衛生,教育などの生活福祉活動の継続を困難にする形で現れる。一般に,過疎は青壮年層の人口減少による基礎的地域活動への支障と社会的統一の解体であるが,過疎現象がより構造的なものである以上,過疎対策は公共的生活福祉面にとどまるのでなく,生産面を含んだ総合対策であらねばならない。



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