近衛尚通

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近衛 尚通(このえ ひさみち)は、戦国時代公卿太政大臣近衛政家の子。官位従一位関白、太政大臣、准三宮近衛家15代当主。

経歴

文明14年(1482年)に元服室町幕府9代将軍足利義尚より偏諱を受けて尚通と名乗る。

延徳2年(1490年)に右大臣に就任、以降は関白に二度就く。永正11年(1514年)に太政大臣、同16年(1519年)に准三宮となった。

天文2年(1533年)に出家し、大証と号した。

天文13年(1544年)8月26日、薨去。享年73。

人物

尚通は公家や連歌師、武士に近衛邸を開放し、学問や文芸の普及にも努めた文化人である。若年のころ、連歌師宗祇から古今伝授を受けていた[1]

日記『後法成寺関白記』(近衛尚通公記)を残した。永正五年(1508年)四月十六日の条には、細川政元の死後に跡目を争う細川澄元細川高国の争いを中国春秋戦国時代に例え、「戦国の世の時の如し」と評す[2]戦国時代の呼称はこれに由来している。

官職および位階等の履歴

系譜

脚注

  1. 「近衛尚通」『朝日日本歴史人物事典』
  2. 「近衛尚通」『朝日日本歴史人物事典』

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