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足尾鉱毒事件

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足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)

古河鉱業足尾銅山の鉱毒による公害事件。日本の公害史上,古くから問題になり,またよく知られた事件である。まず銅精錬量が急増し,精錬の廃ガスである亜硫酸ガスにより,銅山周辺の山林が荒廃,それに原因して,同鉱山周辺を水源地とする渡良瀬川が氾濫。また,精錬廃棄物が同河川に流入し,同河川が荒廃した。そして同河川水を利水している流域農作物へ被害をもたらすにいたった。これらの被害は 1890年頃より,同河川魚の大量浮上などで目にとまるようになり,農作物への加害で流域周辺住民を鉱毒反対運動に立上がらせることとなった。地元選出衆議院議員の田中正造はその運動の中心となり,91年,この問題を帝国議会壇上で取上げ,また 1901年 12月 10日には明治天皇に議院前で直訴するなどした。結局,当局者は 07年6月,栃木県下都賀郡谷中村を取りこわし,同村地域一帯を水没させ,調整池とすることで当面の解決と運動の鎮圧をはかった。このため,同河川流域は鉱毒反対運動の鎮静後も引続き鉱毒にさらされ続けていくことになった。第2次世界大戦後の 72年3月,群馬県太田市毛里田地区の住民らは,明治以降の累積した鉱毒被害補償の調停を公害等調整委員会に申請,積年の損害補償を求めた。これに対して,同委員会は 74年5月,総額 15億 5000万円の補償を古河鉱業に命じる調停案を提示し,住民側,同鉱業双方がこれを受入れ,同年5月 10日調停書に調印した。




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