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{{Otheruses|[[福岡県]]にあった[[町]]|その他|豊津町 (曖昧さ回避)}}
 
{{日本の町村 (廃止)|
 
廃止日=2006年3月20日|
 
廃止理由=新設|
 
廃止詳細=[[犀川町]]、[[勝山町 (福岡県)|勝山町]]、'''豊津町''' → [[みやこ町]]|
 
現在の自治体=[[みやこ町]]|
 
よみがな=とよつまち|
 
自治体名=豊津町|
 
区分=町|
 
都道府県=福岡県|
 
支庁=|
 
郡=[[京都郡]]|
 
コード=40624-4|
 
面積=19.34|
 
境界未定=なし|
 
人口=8,566|
 
人口の時点=2006年1月1日|
 
隣接自治体=[[行橋市]]、京都郡犀川町、築上郡[[築上町]]|
 
木=[[ウメ]]|
 
花=ウメ|
 
シンボル名=町の鳥|
 
鳥など=[[ウグイス]]|
 
郵便番号=824-0192|
 
所在地=京都郡豊津町大字豊津1118番地|
 
外部リンク=|
 
経度=(町役場)東経130度58分|
 
緯度=北緯33度40分|
 
位置画像=|
 
特記事項=
 
}}
 
'''豊津町'''(とよつまち)は、[[福岡県]]東部に位置する[[京都郡]]の[[市町村|町]]である。[[2006年]][[3月20日]]に[[勝山町 (福岡県)|勝山町]]、[[犀川町]]と合併し、「'''[[みやこ町]]'''」となった。
 
  
現在の住所表記は「'''みやこ町 - '''」となっている。
+
'''豊津町'''(とよつまち)
  
== 地理 ==
+
<p>京都郡の東部に位置し、北は行橋市、東は<ruby><rb>築上</rb><rp>(</rp><rt>ちくじよう</rt><rp>)</rp></ruby>郡<ruby><rb>築城</rb><rp>(</rp><rt>ついき</rt><rp>)</rp></ruby>町、南から西は<ruby><rb>犀川</rb><rp>(</rp><rt>さいがわ</rt><rp>)</rp></ruby>町に接する。東に<ruby><rb>祓</rb><rp>(</rp><rt>はらい</rt><rp>)</rp></ruby>川、西に<ruby><rb>今</rb><rp>(</rp><rt>いま</rt><rp>)</rp></ruby>川が北流し、町域は両川によって開析された丘陵・段丘と沖積平野で構成されている。今川東岸を平成筑豊鉄道田川線が走り、新豊津駅がある。国道一〇号バイパスが北東部を、同四九六号が中央部を南北に通る。古代から近世まで豊前国<ruby><rb>仲津</rb><rp>(</rp><rt>なかつ</rt><rp>)</rp></ruby>郡に属した。豊前国府所在地は現<ruby><rb>国作</rb><rp>(</rp><rt>こくさく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>惣社</rb><rp>(</rp><rt>そうしや</rt><rp>)</rp></ruby>地区に推定されている。国分寺は国府推定地の南西約四五〇メートルに建立された。大字<ruby><rb>上坂</rb><rp>(</rp><rt>かみさか</rt><rp>)</rp></ruby>には地域有力者の私寺とみられる古代寺院跡<small>(上坂廃寺)</small>がある。天正一五年<small>(一五八七)</small>から仲津郡のほか豊前国五郡を与えられた黒田孝高領。慶長五年<small>(一六〇〇)</small>から旧黒田領のほか豊前国<ruby><rb>企救</rb><rp>(</rp><rt>きく</rt><rp>)</rp></ruby>郡・田川郡、豊後国<ruby><rb>国東</rb><rp>(</rp><rt>くにさき</rt><rp>)</rp></ruby>郡・<ruby><rb>速見</rb><rp>(</rp><rt>はやみ</rt><rp>)</rp></ruby>郡を与えられた細川忠興が領した。寛永九年<small>(一六三二)</small>細川氏の転封後に譜代の小笠原一族が入り、当町域は豊前六郡を与えられた小倉藩<small>(初代藩主小笠原忠政)</small>領となり、以後幕末まで同藩領であった。天保期<small>(一八三〇―四四)</small>に<ruby><rb>国分</rb><rp>(</rp><rt>こくぶ</rt><rp></rp></ruby>村西方の原野の開発が始まり、在郷町の<ruby><rb>錦原</rb><rp></rp><rt>にしきばる</rt><rp>)</rp></ruby>が形成された。錦原はいったん廃れたが、明治初年に香春藩<small>(旧小倉藩)</small>の藩庁が同地に移され、藩士・町人らが移住して、現在に続く町場が整備された。新藩名豊津藩の呼称が政府に許可されたのは明治二年<small>(一八六九)</small>一二月である。同二二年の町村制施行に伴い仲津郡<ruby><rb>祓郷</rb><rp></rp><rt>はらいごう</rt><rp>)</rp></ruby>村<small>(一部は現行橋市)</small>・豊津村・<ruby><rb>節丸</rb><rp></rp><rt>せつまる</rt><rp>)</rp></ruby>村が成立。同二九年仲津郡は京都郡に統合される。昭和一八年<small>(一九四三)</small>節丸村が豊津村に合併。同三〇年豊津村と祓郷村の一部が合併して豊津町となる。現在は豊前国分寺跡公園をはじめとする多くの文化遺産を生かし、文化の香り高い町づくりを展開している。</p>
[[行橋市]]の近郊に位置し、市外局番は(0930)で行橋市と同一で、行橋市との関係は深く、行橋市も属している[[北九州市]]の経済圏である[[北九州都市圏]]に属している。
 
 
 
== 歴史 ==
 
町内からは[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]、[[縄文時代]]、[[弥生時代]]、[[古墳時代]]の遺跡や遺物が発見されている。また[[豊前国]]の国府跡や国分寺跡も発見されており、豊前国の中心地であったとされている。
 
 
 
[[1866年]]、[[長州藩]]の[[幕長戦争|第二次長州征伐]]により攻撃を受けた小倉藩が[[小倉城]]に火を放ち、城から撤退。のち小倉藩は藩庁を現在の豊津町に新設した。[[1871年]]の[[廃藩置県]]で豊津県の県庁が置かれたが、同年内に小倉県に編入され、のちに小倉県が福岡県に編入されたため福岡県内に組み入れられた。
 
 
 
[[1876年]]に起こった[[秋月の乱]]において戦場となった。このとき戦死した士族の墓は現在、「秋月党戦士の墓」として残っている。
 
 
 
=== 沿革 ===
 
* [[1889年]][[4月1日]] - [[町村制]]施行により、京都郡'''豊津村''''''祓郷村'''・'''節丸村'''が発足。
 
* [[1943年]][[4月10日]] - 豊津村・[[節丸村]]が対等合併し、新しい村制による'''豊津村'''となる。
 
* [[1955年]][[3月1日]] - 豊津村・[[祓郷村]]が対等合併し、'''豊津町'''が発足。ただし、祓郷村の一部の地区では行橋市との合併を望む声が強かったため、合併の際、それらの地区は行橋市に編入された。
 
* [[2006年]][[3月20日]] - 犀川町、勝山町と対等合併し'''みやこ町'''が発足し、豊津町は消滅。
 
 
 
== 行政 ==
 
=== 市町村合併 ===
 
当初は[[行橋市]]、[[勝山町 (福岡県)|勝山町]]、[[犀川町]]、[[椎田町|旧椎田町]]、[[築城町|旧築城町]]で京築1市5町合併協議会を発足させ、合併協議を進めていたが、旧築城町の離脱で協議会は解散した。その後、犀川町、勝山町と3町で合併協議会を発足させ、[[2006年]][[3月20日]]に「'''[[みやこ町]]'''」として合併した。また将来的には行橋市との合併を目指している。
 
 
 
== 地域 ==
 
=== 教育 ===
 
==== 小学校 ====
 
* 豊津町立豊津小学校
 
* 豊津町立祓郷小学校
 
* 豊津町立節丸小学校
 
 
 
==== 中学校 ====
 
* 豊津町立豊津中学校
 
* 福岡県立育徳館中学校(県立[[中高一貫教育]]校)
 
 
 
==== 高等学校 ====
 
* 福岡県立豊津高等学校(県立中高一貫教育校)※現・[[福岡県立育徳館高等学校]]
 
 
 
== 交通 ==
 
空港は[[北九州空港 (初代)|北九州空港]]が最寄りであった。現在、旧町域は[[北九州空港]]が最寄りである。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
* [[平成筑豊鉄道]][[平成筑豊鉄道田川線|田川線]]の[[新豊津駅]]があり、行橋方面や田川方面へのアクセスも容易であるが、新豊津駅は行橋との境界にあるためほとんどの町民にとって利便性は薄い。なお[[豊津駅 (福岡県)|豊津駅]]は行橋市に含まれる。
 
 
 
=== バス ===
 
* [[太陽交通 (福岡県)|太陽交通]]
 
** [[行橋市]] - 豊津町
 
** [[築上町]] - 豊津町
 
 
 
=== 道路 ===
 
* [[椎田道路]] (国道10号)が町内を南北に走っており、北九州・行橋方面や中津方面へのアクセスは比較的容易である。ただし、行橋市中心部へのアクセスは[[国道496号]]の方が便利である。また[[国道496号]]を南下して[[中津市]]山国町・[[日田市]]方面へのアクセスも可能であるが、冬場は県境の[[野峠]]付近で積雪しているため、チェーン規制されている事が多い。
 
** 国道10号
 
** 国道496号
 
** 田川・椎田方面へのアクセスは[[福岡県道58号椎田勝山線]]を利用する。
 
** [[福岡県道34号行橋添田線]](行橋市 - 添田町)
 
 
 
=== 高速道路 ===
 
町内に高速道路はない。最寄りのインターチェンジは以下の通りである。また町内に[[東九州自動車道]]の[[みやこ豊津インターチェンジ]]が現在、建設中である。
 
* [[東九州自動車道]] [[苅田北九州空港インターチェンジ]](京都郡[[苅田町]]
 
 
 
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==
 
* 豊前国府跡公園
 
* [[豊前国分寺跡|豊前国分寺]]三重塔
 
* 思永館
 
* 八景山自然公園
 
* 小笠原神社
 
 
 
== 主な著名人 ==
 
* [[葉山嘉樹]][[プロレタリア文学]]作家)
 
* [[堺利彦]] [[社会主義者]]・思想家・作家・小説家)
 
* [[永井龍雲]] [[シンガーソングライター]]フォークシンガー・作詞家)
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[福岡県の廃止市町村一覧]]
 
 
 
==外部リンク==
 
*[http://www.town.toyotsu.fukuoka.jp/ 豊津町公式サイト](閉鎖)
 
  
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[[Category:京都郡]]
 
[[Category:京都郡]]
 
[[Category:福岡県の市町村 (廃止)]]
 
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[[Category:みやこ町]]
 
[[Category:みやこ町]]

2019/5/10/ (金) 22:03時点における最新版

豊津町(とよつまち)

京都郡の東部に位置し、北は行橋市、東は築上ちくじよう築城ついき町、南から西は犀川さいがわ町に接する。東にはらい川、西にいま川が北流し、町域は両川によって開析された丘陵・段丘と沖積平野で構成されている。今川東岸を平成筑豊鉄道田川線が走り、新豊津駅がある。国道一〇号バイパスが北東部を、同四九六号が中央部を南北に通る。古代から近世まで豊前国仲津なかつ郡に属した。豊前国府所在地は現国作こくさく惣社そうしや地区に推定されている。国分寺は国府推定地の南西約四五〇メートルに建立された。大字上坂かみさかには地域有力者の私寺とみられる古代寺院跡(上坂廃寺)がある。天正一五年(一五八七)から仲津郡のほか豊前国五郡を与えられた黒田孝高領。慶長五年(一六〇〇)から旧黒田領のほか豊前国企救きく郡・田川郡、豊後国国東くにさき郡・速見はやみ郡を与えられた細川忠興が領した。寛永九年(一六三二)細川氏の転封後に譜代の小笠原一族が入り、当町域は豊前六郡を与えられた小倉藩(初代藩主小笠原忠政)領となり、以後幕末まで同藩領であった。天保期(一八三〇―四四)国分こくぶ村西方の原野の開発が始まり、在郷町の錦原にしきばるが形成された。錦原はいったん廃れたが、明治初年に香春藩(旧小倉藩)の藩庁が同地に移され、藩士・町人らが移住して、現在に続く町場が整備された。新藩名豊津藩の呼称が政府に許可されたのは明治二年(一八六九)一二月である。同二二年の町村制施行に伴い仲津郡祓郷はらいごう(一部は現行橋市)・豊津村・節丸せつまる村が成立。同二九年仲津郡は京都郡に統合される。昭和一八年(一九四三)節丸村が豊津村に合併。同三〇年豊津村と祓郷村の一部が合併して豊津町となる。現在は豊前国分寺跡公園をはじめとする多くの文化遺産を生かし、文化の香り高い町づくりを展開している。



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