諸星和己

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諸星 和己(もろほし かずみ、本名同じ、1970年8月12日 - )は、日本作曲家歌手俳優であり、男性アイドルグループ光GENJI(後に光GENJI SUPER 5にグループ名が変更)の元メンバー。静岡県富士市出身[1]。愛称は「かーくん」。なお、苗字の読みは「もろし」ではなく正式には「もろし」。

所属事務所

ジャニーズ事務所 → 株式会社GOLD RUSH K(個人事務所として1995年設立。2005年10月に「株式会社スターズクルー」に名称変更。)

ジャニーズ時代の参加ユニット

人物・来歴

1970年8月12日、静岡県富士市の米屋の次男として生まれ、父・母・兄・妹という構成の5人家族。自身は祖父母の家で育ち、家族で食卓を囲んだことは一度もない[1]

ジャニーズ事務所

1984年、中学2年生の5月に友達と家出をして上京。その際、国鉄原宿駅前にてジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川に直接スカウトされた(詳細は後述)。その後、1986年1月18日に、日本テレビアイドル花組おとこ組』の出演者オーディションを受ける形で、正式にジャニーズ事務所に入所。

1987年8月19日光GENJI(後に光GENJI SUPER 5にグループ名が変更)のメンバーとしてレコードデビュー。光GENJI時代のイメージカラーはピンク。天真爛漫なキャラクターで、メンバーの中で人気・知名度共に最も高かった。レコードジャケットやポスター撮影などでも多くの場合中心に位置していた。頭にはバンダナを巻き衣装も他のメンバーのものより一工夫されたものを身に付けることが多く、グループのフロントマン、アイコン的な立ち位置だった。前宙やローラースケートを履いたままバック転もできる高い身体能力を持っていたが、デビュー初期には無茶をし過ぎてしばしば重傷を負い、包帯を巻いたまま、時には松葉杖で歌番組に出演することも多かった。

1994年3月、「一匹狼」でソロデビュー。

独立して個人事務所を設立

1995年、グループ解散に伴い、ジャニーズ事務所から独立。個人事務所「株式会社GOLD RUSH K」を設立(2005年10月に「株式会社スターズクルー」に名称変更)。同時にファンクラブ『GOLD CLUB K』を発足(2005年12月に『Pin,K』に名称変更)。

1997年、9月20日に公開されたアニメーション映画『幕末のスパシーボ』の主題歌「終わりのない夢」を提供。

2000年、自社音楽レーベル「PINK A ROCK RECORDS」を設立。セルフプロデュースによる楽曲を音楽配信、CDを発表。

2001年5月、渡米。この時芸能活動はほぼ引退の姿勢を取っていたが9月にアメリカ同時多発テロ事件が発生。日本のテレビ局が現地でリポーターをしてくれる日本人芸能人を探していたが現地にいた日本の芸能人は軒並みテロの危険を感じ帰国してしまっていた。その時に現地に諸星が在住していると情報を嗅ぎ付けた番組スタッフが出演の交渉をしてきたが当初は出演拒否をしたものの「iビザ(報道関係者ビザ)」が発行されると聞くと快諾。フジテレビ系列「情報プロジェクトS」の現地リポーターとして芸能活動を復帰した(AbemaTV「エゴサーチTV #15」にて本人が発言)。その後米国永住権(グリーンカード)取得。ニューヨークに滞在中、行き着けのマクドナルドで「シェイクマン」というあだ名を付けられる。諸星本人もそのあだ名を気に入っていたこともあり、2003年5月発売のアルバムのタイトルに『shake』として使用。以降、楽曲制作のクレジットに用いることもある。

2006年 - 2007年、KANGOL JEANSのイメージキャラクターに起用された。

2006年11月、日本ダイエットアカデミー協会の広報宣伝担当取締役社長に就任。ダイエットマスターの資格を取得。

独立後は全ての楽曲をセルフプロデュースしてきたが、2007年1月、つんくプロデュースで「なぁ」を発売。オリコン週間シングルチャート(インディーズ)で1位を獲得した。

近年の活躍

現在では歌手、タレント活動の傍ら、商業プロモーションなどを手がける。

2010年8月12日、40歳の誕生日を迎え東京・青海のzepp tokyoでバースデーライブを行い、光GENJIの再結成について言及。また、元メンバーの佐藤寛之がアンコールで登場した[2]

2011年6月、元メンバーの佐藤寛之山本淳一と共に、TUBEの東日本大震災復興応援歌「RESTART」に参加した。

2014年6月、不仲説のあった元メンバーの大沢樹生が初監督を務める映画「鷲と鷹」に大沢とW主演、20年ぶりに共演した。

2016年11月、TBS「クイズ☆スター名鑑」で、大沢、佐藤、山本とローラースケート対決を行った(1位は山本)。

2017年5月、横浜スタジアムで行われたプロ野球横浜DeNAベイスターズ×中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。また、試合終了後の「BLUE☆LIGHT Celebration」にも出演し、光GENJIのデビュー曲「STAR LIGHT」をローラースケートで披露し、会場を湧かせた。

2017年8月、幕張ビーチ花火フェスタ「オモロック2017」に出演。光GEININ(ジャルジャル、ジャンポケ太田、おたけ、コロコロチキチキペッパーズ)という一夜限りのSPコラボステージを披露。


エピソード

デビューの経緯

中学2年だった1984年5月の日曜日、竹の子族を見るため、男女混合の友達5人グループで家出をして上京[1]。5日間ほど代々木公園歩道橋の下で野宿をして過ごした。手洗いの際に使うティッシュをもらおうと原宿駅前をウロウロしていた際、近藤真彦の飼い犬を散歩させていたジャニー喜多川に声をかけられ、薄い木の板で作られた名刺を手渡され直接スカウトされる。

数日後、所持金が1,200円となって途方に暮れ、その名刺に電話すると「近くに合宿所があるから来るように」と、教えられた建物に行くとエレベーターから矢沢永吉が降りてきた。諸星にとって「人生で初めて会った芸能人」であったが、矢沢は当時同じビルに事務所を構えていて「この人もジャニーズなんだ」と勘違いした。合宿所には田原俊彦、近藤真彦、少年隊男闘呼組らがいた。

その日からリビングのソファで寝泊りしたが、合宿所の冷蔵庫にあった田原のマジックで「104」と書かれたイチゴ牛乳を飲んだところ、田原に怒られ正座させられた[3]。「104」は「トシ」という意味だったが、「104円」かと思い飲んでしまった[1]。この原宿の合宿所は、光GENJIの人気が爆発した1989年にファンが殺到して大騒ぎになり閉鎖された[1]

光GENJI

  • 当時のメンバー(内海光司大沢樹生佐藤寛之山本淳一佐藤アツヒロ)とは今でも交流があり、プライベートで食事に行ったり、お互いのライブに出演するもある。だが赤坂晃とは1995年光GENJI(後に光GENJI SUPER 5にグループ名が変更)解散以降1度も会ってはおらず、他のメンバーの連絡先は全員知ってるが赤坂のは知らなかったとに諸星自身が語っている。
  • 赤坂が覚せい剤取締法違反で逮捕された際には「(復帰は)今後出来るかといえばわからないけれど、彼とは喜び、痛みを味わってきた仲間なので。僕は待ってますね」とコメントした。
  • 大沢樹生とはかつて不仲説もあったが、グループの中で一番仲が良かったと後に語られている[4][5]
  • 光GENJIのアルバム『Hello…I Love You』に収録されている「IF WORLD は信じない」の替え歌で「JOHNNY'S WORLD」という楽曲がある。内容は仲間たちやファンへの感謝を綴っており、ライブでごく稀に披露される。原曲は、当時のラジオ番組『GENJI GENKI爆発!!』で諸星自身が「今回のアルバム中で一番好きな曲」と発言していた。
  • ジャニーズ事務所時代は、毎年バレンタインデーになると大型トラックで数十台分ものチョコレートが届けられた。事務所にトラックが到着する映像はこの時代の歌番組の風物詩になっていた。後に『たかじん胸いっぱい』で諸星が4tトラックに38台分だと語っている。それは武道館の1Fを埋め尽くし2Fから取れるほどだった。その後、衛生面やセキュリティー面を考慮し飲食物の贈りものは基本的に受け付けない方針になった。ファンの心情を傷つけないようジャニーズ側が「本人達はそんなに食べられませんので」と発表したことにより、所属タレントへのバレンタインプレゼントは減少傾向にある。
2011年に諸星が『クイズ☆タレント名鑑』出演時には「あれは4tなんてもんじゃなく、10tはあるトラック。40台くらいあった。そのうち9割8分僕ので他のメンバーが2割。」(計10割にならないが、本人発言)。2011年のバレンタインデーに諸星に届いた贈り物は37個であった。
  • あまりにもおしゃべりで、放っておくといつまでも喋るため、ザ・ベストテンでは対諸星用に「貼られたら以後発言禁止」という「喋りすぎマーク」[6]が作られた。
  • ザ・ベストテンで使用されたミラーゲートは1989年9月、同番組が終了した際に、諸星がもらい、自宅の玄関を入った場所に置いた[1]。アイドルを部屋に呼んで「今週の第1位は〇〇ちゃん!どうぞっ」などとベストテンごっこをやったという。黒柳徹子が遊びに来たこともあった[1]

交友関係

やきそば親善大使

私生活

  • 首下の背中に自身のイニシャル「K・M」をデザイン化したタトゥーを入れている。
  • コーラ好きを自称しており、自動販売機を高額で購入したことがある(広告の部分は、スポンサーがいないので自分の写真やポスターが貼っている)。

アイドル観

  • 「基本的に今の奴らと比べちゃいけないですよね。今の奴らは「アイドル」といっても、実力もビジュアルもセンスも、ほとんど「アーティスト」で。もう「アイドル」って言葉が似合わないですから。ただ、その一方で、僕らの時代にあった「アイドル」って言葉の持つ強烈なイメージは、彼らにないのも事実ですけど。「アイドル」っていうファンタジーの持っている力がないんです。そこだけは勝ちますね。」とアイドルについて語っている[8]
  • 「アイドルというのは自分達(光GENJI)で最後」とも語っている[9]

その他

  • 諸星は、1994年(平成6年)8月2日午前1時40分に、ビートたけしが起こしたバイク事故の第一通報者である。当日諸星はたけしと待ち合わせの約束をしており、東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自損事故を起こして重傷を負ったたけしを発見し、乗っていた乗用車の運転手に自身の携帯電話で119番通報させた。たけしは、東京医科大学病院に救急搬送され、一命を取り留めることができた。しかし諸星曰く、事故者がたけし本人と知ったのは翌日テレビのニュースを見てからと、後に語っている。

主な出演作品

テレビドラマ

連続ドラマ

単発ドラマ

バラエティ番組

報道番組

  • 情報プロジェクトS (2001年10月6日 - 2002年3月30日、フジテレビ) - ニューヨークの現地リポーターとして出演

映画

CONFLICT -最大の抗争-  第二章 終結編(2016年、オールインエンタテインメント)

舞台

CM

ディスコグラフィ

CD

  • ファンクラブ、全国CDショップにて販売
    • shake (2003年)
    • Real Action (2004年)
    • Nine Ball (2004年)
    • SAD SOUND (2004年)
    • なぁ (2007年):作詞・作曲はつんく♂
    • 俺らなんにもね〜 (2011年)
    • あさきゆめみし/夜明けのブレス (2015年)
  • ファンクラブでの販売
    • DO-ll(2000年)
    • HALLELUJAH(2000年)
    • PINK A ROCK〜Vintage Remaster 01.〜(2001年)
    • JUNK BEAT(2001年)
    • Tomorrow On The Dream PINK A ROCK〜studio live unplugged 01〜(2001年)
    • LOVIN' YOU(2002年)
    • Bluecheese Emotion(2002年)
    • PINK A ROCK〜Vintage the Ballads 03〜(2003年)
    • PINK A ROCK〜vintage 8KA-1/2 flash back 02〜(2004年)
    • Vintage the Remix 05〜NO M.u.t.e 58 20/31 gallon〜(2004年)
    • VINTAGE THE LIVE SHAKE A LIVE TOUR 2003 FINAL(2004年)
    • Vintage the original 06 Encore 〜GOLD CLUB K decade〜(2005年)
    • Cray Pas(2006年)
    • Call〜Pin,K your soul my beat〜(2006年)
    • Vintage 07 〜LIVE arrange SS〜(2007年)
    • Vintage 07 〜LIVE arrange AW〜(2007年)
    • Vintage 08 〜NOWADAYS〜(2008年)
    • Love Letter(2008年)
    • I am SAMURAI(2009年)
    • Vintage 09 〜NOWADAYS〜(2009年)
    • Vintage 10 〜NOWADAYS〜(2009年)
    • Jam(2010年)
    • VINTAGE 11 〜NOWADAYS〜(2010年)
    • Never give up(2011年)
    • Vintage 12 〜88TEES NIGHT FEVER〜(2011年)

DVD

  • ファンクラブ、全国CDショップにて販売
    • FIRST SOLO CONCERT「一匹狼」LONELY WOLF (2004年)
    • あの日のこと KAZUMI MOROHOSHI in Land of Glory (2004年)
    • 諸星和己 BIRTHDAY LIVE〜Volt-age40〜(2010年)
    • 諸星和己 Another side story 〜Still at〜(2010年)
  • ファンクラブでの販売
    • Never give up ! Shake A Live TOUR 2011(2011年)

書籍

光GENJI全集第1巻。1990年8月22日発売。
アメリカ時代などが詳述されている。
  • 諸星和己のスロースタイルダイエット〜PLAY WORK〜(2007年11月、講談社

連載

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 週刊文春』(2011年12月22日号、新・家の履歴書)106-109頁
  2. スポーツ報知(2010年8月13日)
  3. とてつもない恐怖体験であったという。
  4. 著書『くそ長〜いプロフィール』
  5. ギブアップ嬢(2010年11月2日放送)
  6. 当時ソルマックのCMに登場していた「飲みすぎシール」の改造。
  7. 7.0 7.1 カキューン!!・THIS IS 嫉妬(2010年9月28日放送)
  8. 『BUBKA』2009年7月号
  9. ウラマヨ!(2010年6月12日放送)
  10. “ダークヒーロー信長描いた「Honganji」再演決定、新たに壮一帆迎え”. ステージナタリー. (2016年5月30日). http://natalie.mu/stage/news/189000 . 2016閲覧. 

外部リンク

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