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'''読売新聞'''(よみうりしんぶん、新聞の題字および[[漢字制限]]前の表記は'''讀賣新聞'''、[[英語]]:Yomiuri Shimbun)
{{基礎情報 新聞
 
| 名称 = 読売新聞
 
| 画像 = [[File:Yomiuri-Shimbun-Logo.svg|240px]]<br />[[File:Yomiuri Shimbun first issue.jpg|260px|border]]
 
| 説明 =
 
| タイプ = 日刊紙
 
| サイズ = ブランケット判
 
| 事業者 = 株式会社[[読売新聞グループ本社]]<br/>株式会社[[読売新聞東京本社]]<br/>株式会社[[読売新聞大阪本社]]<br/>株式会社[[読売新聞西部本社]]
 
| 本社 = [[東京都]][[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]1丁目7番1号<small>{{coord|35|41|14|N|139|45|51.1|E|type:landmark_region:JP|display=inline}}</small><br/>[[大阪府]][[大阪市]][[北区_(大阪市)|北区]][[野崎町]]5-9<br/>[[福岡県]][[福岡市]][[中央区_(福岡市)|中央区]][[赤坂 (福岡市)|赤坂]]1-16-5
 
| 代表者 = [[山口寿一]](読売新聞グループ本社社長)
 
| 編集者 =
 
| 創刊 = [[1874年]][[11月2日]](東京)<br />[[1952年]][[11月25日]](大阪)<br />[[1964年]][[9月23日]](西部)
 
| 廃刊 =
 
| 前身 =
 
| 1部 = <br/>(朝刊)130円<br/>(夕刊)50円
 
| 月極 = <br/>(朝夕刊セット版)4,037円<br/>(統合版)3,093円
 
| 言語 = 日本語
 
| 発行数 = (朝刊)約844万部<ref name="shinnbunnjouhou">{{Cite news | url =  | title = 18年5月ABC部数 | newspaper = 新聞情報 | date = 2018-06-16 }}</ref>)<br>(夕刊)約240万部<ref name="shinnbunnjouhou"/>
 
| 公式サイト = {{URL|http://www.yomiuri.co.jp/}}
 
}}
 
[[ファイル:Yomiuri Shimbun Tokyo Headquarters Building 2.jpg|thumb|right|200px|読売新聞東京本社(千代田区大手町)]]
 
[[ファイル:The Yomiuri Shimbun Holdings head office.jpg|thumb|right|200px|読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず)]]
 
[[ファイル:Nissan.jpg|thumb|right|200px|2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧[[日産自動車]]本社ビル(中央区銀座)]]
 
[[ファイル:Yomiuri Shimbun Chubu New Office.jpg|thumb|200px|right|読売新聞中部支社新社屋]]
 
[[ファイル:Yomiuri Shimbun (Chubu Branch Office).jpg|thumb|200px|right|読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋]]
 
[[ファイル:Osaka Yomiuri.JPG|thumb|right|200px|読売新聞大阪本社]]
 
[[ファイル:Yomiuriseibu.JPG|thumb|right|200px|読売新聞西部本社]]
 
  
'''読売新聞'''(よみうりしんぶん、新聞の題字および[[漢字制限]]前の表記は'''讀賣新聞'''、[[英語]]:Yomiuri Shimbun)は、[[株式会社]][[読売新聞東京本社]]、株式会社[[読売新聞大阪本社]]および株式会社[[読売新聞西部本社]]が発行する[[新聞]]である。
+
日本の代表的な日刊の全国紙。 1874年 11月2日[[子安峻]]らが創刊。初め隔日刊であったが,75年9月から日刊となり,市井の出来事や読み物を中心とした[[() 新聞]]として部数を伸ばした。明治中期には坪内逍遙,尾崎紅葉,幸田露伴らの入社で文学新聞としても異彩を放ったが,後半からは経営が傾き,1924年2月[[正力松太郎]]が買受けた。正力はラジオ版の創設,日曜夕刊や大日本東京野球倶楽部 (読売巨人軍の前身) など,紙面,事業面で積極的な企画を打出し,社運を盛返した。 42年戦時統合で『報知新聞』と合併し『読売報知』と改題。 46年5月『読売新聞』に復題。 77年発行部数日本一を達成した。東京本社,大阪本社,西部本社のほか,北海道支社,北陸支社,中部支社を有す。発行部数は約1020万部で,世界最多を誇っている。
 
 
題号は、[[江戸時代]]に[[瓦版]]を読みながら売っていた「[[読売]]」に由来する。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[ファイル:讀賣新聞社ホーロー看板.jpg|thumb|100px|right|讀賣新聞のホーロー看板 縦書き(1字改行、俗にいう右書き)にすると丁度「賣」2つで「言」を両脇から挟む形になる]]
 
* [[1874年]]11月2日 [[合名会社]]「'''日就社'''」から「讀賣新聞」創刊。初代社長は[[岐阜県]]出身の子安峻<ref>社長就任前は、横浜税関の翻訳官を務め、『[[横浜毎日新聞]]』の記者でもあった。</ref>。創刊当時は1日おき発行の隔日刊紙で、漢字によみがなを振った画期的な庶民のための新聞だった。
 
* [[1875年]] 日刊紙に移行。
 
* [[1897年]]1月1日 [[尾崎紅葉]]作の[[小説]]『[[金色夜叉]]』が連載開始。
 
* [[1904年]]5月7日〜[[1905年]]9月29日 本紙直接購読者を対象に、電報料読者負担で重大事件の速報を電報で伝える「電報通信」サービスを行う<ref>[http://d.hatena.ne.jp/tobira/20090507/1241665695 1904(明治37)年5月7日 電報通信 【『読売新聞百二十年史』(読売新聞社, 1994)掲載】]、実業史研究情報センター(公益財団法人渋沢栄一記念財団)、2009年5月7日。</ref>。
 
* [[1906年]]10月2日 現在のスポーツ面にあたる「運動界」欄を新設。
 
* [[1914年]]
 
** 『身の上相談』(現在の『[[人生案内]]』)連載開始。
 
** 4月3日 現在の生活家庭面(くらし面)にあたる「よみうり婦人附録」新設。[[与謝野晶子]]が詩や評論を執筆。
 
** 8月1日 [[横浜市]]に初の地方支局を開設。
 
* [[1917年]]12月1日 商号を「日就社」から「'''讀賣新聞社'''」に改称。
 
* [[1924年]]2月25日 [[関東大震災]]後の経営難から、前[[警視庁]]警務部長、後の[[衆議院議員]]、'''[[正力松太郎]]'''が買収。正力の社長就任で今日に至る読売新聞発展の基礎を築いた。
 
* [[1925年]]11月15日 「よみうりラジオ版」新設([[テレビ]]・[[ラジオ]]欄=[[番組表]]の先駆け)。
 
* [[1931年]]
 
** 6月1日 [[社説]]の掲載を開始。
 
** 11月25日 [[夕刊]]の発行を開始。
 
* [[1934年]]12月26日 大日本東京野球倶楽部(現・[[読売ジャイアンツ]])創設。部数拡大に大きく貢献する。
 
* [[1942年]]8月5日 [[新聞統制]]により、[[報知新聞社]]を合併。「'''[[読売報知|讀賣報知]]'''」に改題。
 
* [[1945年]]
 
** 5月25日 [[東京大空襲]]で銀座社屋が炎上、[[築地本願寺]]に仮事務所を設置。
 
** 5月27日 読売報知・[[朝日新聞]]・[[毎日新聞]]・[[日本経済新聞|日本産業経済]]・[[東京新聞]]の5社共同による「共同新聞」を発行。
 
** 7月27日に論評なし公表された[[ポツダム宣言]]を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、[[鈴木貫太郎]]首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。海外にも受信され連合国が硬化する一因となる。
 
** 9月15日 本社が[[千代田区]](当時: [[麹町区]])[[有楽町]]の読売別館(現在の読売会館の場所)に移転。
 
** 10月23日 経営方針をめぐり、'''第1次読売争議'''が発生(12月11日終結)。
 
** 11月12日 「[[漢字]]を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止([[国語国字問題]]参照)を推進。
 
** 正力松太郎社長が[[A級戦犯]]容疑で逮捕。[[巣鴨拘置所]]に収容される([[1947年]]不起訴で釈放後[[公職追放]])。
 
** [[馬場恒吾]]、社長就任。
 
* [[1946年]]
 
** 5月1日 題号「'''讀賣新聞'''」に復帰。
 
** 6月13日 '''第2次読売争議'''が発生(10月16日終結)。
 
** 7月1日 従来の縦書き楷書体題字に代えて[[印南渓龍]]が書いた横書きの隷書体による現行題字の使用を開始。
 
** 9月1日 「読売信条」を発表。
 
* [[1947年]]12月6日 読者投票による「日本十大ニュース」の募集を開始(海外版は[[1989年]]から開始)。
 
* [[1949年]]
 
** 3月1日 朝刊コラム「編集手帖」スタート([[1953年]]8月から「編集手帳」に改題。「編集手帖」以前のコラムのタイトルは「明窓」であった)。
 
** [[11月26日]] 「[[夕刊読売]]」創刊(夕刊が復活、[[1951年]]9月に朝夕刊セット制再開により読売本紙に統合)。[[秋好馨]]の[[4コマ漫画]]『[[轟先生]]』が連載開始<ref>[[1951年]][[8月]]に朝刊に移動。</ref>
 
* [[1950年]]6月1日 読売新聞社が[[株式会社]]に改組。
 
* [[1951年]] 正力松太郎の公職追放解除。
 
* [[1952年]]11月25日 [[大阪市]]で「大阪讀賣新聞」創刊、[[西日本]]に進出。
 
* [[1953年]]8月28日 読売新聞社などの出資による日本初の民間テレビ局・[[日本テレビ放送網]]が本放送を開始。
 
* [[1955年]]1月1日 [[正力松太郎]]の命令により、原発導入を図るため大キャンペーンを展開開始。
 
* [[1955年]]4月1日 英字新聞『ザ・デイリー読売』(THE DAILY YOMIURI)創刊。
 
* [[1959年]]5月1日 [[札幌市]]に北海道支社開設。現地印刷開始。
 
* [[1961年]]5月25日 [[富山県]][[高岡市]]に北陸支社開設。現地印刷開始。
 
* [[1962年]]4月1日 [[読売日本交響楽団]]設立。
 
* [[1964年]]9月23日 [[北九州市]]に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。
 
* [[1966年]]6月29日 この日から7月2日まで行われた[[ビートルズ]]日本公演を主催。
 
* [[1971年]]10月29日 読売新聞社、本社が[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]から千代田区[[大手町 (千代田区)|大手町]]1丁目7番1号に移転。跡地は[[プランタン銀座]]を経て[[マロニエゲート]](銀座2&3)になっている。
 
* [[1974年]]
 
** 10月11日 [[昭和天皇]]・[[香淳皇后]]が読売新聞社(大手町)に来訪。
 
** 11月2日 創刊100周年。
 
* [[1975年]]
 
** [[北東北]]([[青森県]]・[[岩手県]]・[[秋田県]])向けの新聞印刷工場を[[青森市]]に開設(分散印刷工場の第一号)。
 
** 3月25日 [[名古屋市]]で読売本体との姉妹提携紙として「中部讀賣新聞」創刊。創刊当初の数年間は中部版独自の縦組み題字であったが、その後他の本社と同じ横組みとなる。
 
* [[1977年]] 発行部数で[[朝日新聞]]を抜き、日本一となる。またソ連(現:[[ロシア]])の[[プラウダ]]などを抜いて世界一の発行部数となる。
 
* [[1978年]] [[ギネスブック]](1978年版)に発行部数世界一であると記載される。
 
* [[1979年]] [[渡邉恒雄]](現[[読売新聞グループ本社]]会長)が論説委員長に就任。
 
* [[1980年]] [[江川事件|空白の一日事件]]や[[読売ジャイアンツ]][[長嶋茂雄]]監督解任に対する不買運動に遭う。
 
* 1980年 [[宝塚市学童誘拐事件]]において、被害者の安全を考慮せずに[[報道協定]]を破りフライング報道を行う。兵庫県警記者クラブは3か月間除名する処分に留めた<ref>[[報道協定]]を参照</ref>。
 
* [[1982年]]4月1日 [[植田まさし]]作の[[4コマ漫画]]『[[コボちゃん]]』が連載開始。
 
* [[1988年]]6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」が外れる。
 
* [[1989年]]12月1日 [[被疑者]]の呼び捨てをやめ、「[[容疑者]]」などの呼称を付ける。
 
* [[1994年]]
 
** 5月 [[日本ABC協会]]の報告により、発行部数が1千万部を達成。
 
** 11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要な[[報道機関|マスコミ]]で初めて「憲法改正試案」を発表して、[[日本国憲法]]の改憲を主張。[[憲法]]について再考する一つのきっかけになった。
 
* [[1995年]]6月16日 [[YOMIURI ONLINE]]を開設。
 
* [[1999年]]2月1日 経営難の[[中央公論]]社を買収し、[[中央公論新社]]を設立。
 
* [[2000年]]
 
** 1月1日 「読売信条」を改定。
 
** 1月26日 全国の販売店の呼称を「読売センター」(略称: YC)に統一。これまでは東京と西部が「YSC」、大阪が「読売IC」の呼称だった。
 
** 12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
 
* [[2002年]]
 
** 1月1日 読売新聞の題字下に記載されていた、「THE YOMIURI SHIMBUN」のローマ字が廃止。
 
** 7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社[[読売新聞グループ本社]](グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社[[よみうり]]を株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に[[会社分割]]。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継([[読売新聞中部支社|中部支社]]に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も[[株式交換]]により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
 
** 10月17日 新聞社で唯一、[[日本オリンピック委員会]]のオフィシャルパートナーになる。
 
* [[2004年]]
 
** 1月1日 読売新聞西部本社が[[北九州市]][[小倉北区]]明和町から[[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]][[赤坂 (福岡市)|赤坂]]1丁目16番5号(読売新福岡ビル)に移転。
 
** 12月1日 朝刊連載の4コマ漫画『コボちゃん』が、日本の[[全国紙]]の4コマ漫画では初めてカラー化。
 
* [[2007年]]10月1日 読売新聞グループ本社・[[日本経済新聞社]]・[[朝日新聞社]]の3社が[[インターネット]]分野による共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。
 
* [[2008年]]
 
** 3月31日 紙面を大幅刷新。紙面の文字を拡大、14段組みから12段組みの「メガ文字」になる<ref>[http://web.archive.org/web/20080306070553/http://www.yomiuri.co.jp/info/megamoji/index.htm 「メガ文字」3月31日スタート]</ref>。1面下段のコラム「編集手帳」が横1列から縦2段に再編され、題字上に「THE YOMIURI SHIMBUN」のローマ字が復活する。夕刊題字のスクリーントーンが廃止<ref>夕刊のスクリーントーンは夕刊創刊時{{~}}[[1992年]]ごろまでは東京・西部の両本社版のみで、バックに灰色と白の縦じまを入れていたものであった。[[1993年]]にカラー化が本格的に進むと、大阪本社版を含めて夜をイメージする薄い青紫色に白の縦じまを入れたトーンが採用された。題字へのトーン廃止後は発行所(札幌、東京、高岡、名古屋、大阪、福岡)を記載する欄にトーンの配置を変更。朝刊は黄土色、夕刊は薄い青紫色のバックを使っている</ref>。
 
** 8月31日 大阪本社の「泉」のコーナーが終了。新コーナーへ引き継ぐ。
 
* [[2009年]]
 
** 1月10日 創刊135周年記念企画として連日6回に渡り300の候補地を掲載し、4月中旬に「[[平成百景]]」を定めた。
 
** 2月10日 1874年の創刊から現在に至るまでの紙面記事がインターネットで検索できる、日本初のオンラインデータベース「ヨミダス歴史館」のサービスが開始。
 
** 2月27日 [[ウォールストリート・ジャーナル]]と編集、印刷、販売に関して提携することが発表され、[[2009年]]3月2日からアジア版の主な記事の見出しが日本語で夕刊2面に掲載され始めた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090226-OYT1T00676.htm 読売新聞とウォール・ストリート・ジャーナル紙が提携]読売新聞、2009-02-27閲覧。{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
** 3月16日 創刊135周年記念企画として[[コラム]]「[[ポケットモンスター|ポケモン]]といっしょにおぼえよう! ことわざ大百科」を設け、子供の頃から新聞に慣れ親しむ[[ことわざ]]解説の連載開始。その後「[[熟語]]大辞典」、「[[慣用句]]全集」、「わかる[[故事成語]]」と逐次シリーズ化され、この日以降一面には、「探せ!ポケモン どこかのページにことわざ大百科」のタイトルと共に、[[ピカチュウ (サトシのポケモン)|ピカチュウ]]のイラストが掲載されている。
 
** 6月1日 [[島根県]][[石見国|石見地方]]の発行が西部本社から大阪本社に変更<ref>2009年5月31日付までは西部本社管轄の北九州工場で印刷されていたが、輸送上の問題から大阪本社管轄の尾道工場の印刷に切り替えた。</ref>し、島根県内では全県で大阪本社版の発売とした。
 
* [[2010年]]
 
** [[3月31日]] 東京本社(大手町1-7)社屋建て替えを発表。地上30階・地下3階・延べ床面積約7万9800[[平方メートル|平米]]・高さ180{{Metre}}の計画で、2014年まで工事が行われた。当時の大手町社屋は2010年中に解体され、その間の仮社屋は東京都中央区銀座6丁目の[[日産自動車]]旧本社ビルを使用することとなった<ref>[http://info.yomiuri.co.jp/release/201004011841-1.htm 読売新聞のニュースリリースより]</ref>。
 
** [[10月1日]] 東京本社が千代田区大手町から中央区銀座の日産自動車旧本社ビルへの仮移転が完了。3年強の暫定期間だが、39年ぶりに銀座の本社が復活した。
 
* [[2011年]]
 
** [[3月3日]] [[小学生]]を対象としたタブロイド判の週刊新聞『[[読売KODOMO新聞]]』創刊。
 
** [[3月13日]] [[東日本大震災]]の情報を伝えるため、日曜日としては異例の夕刊を発行。
 
** [[6月20日]] 朝日新聞社との業務提携により、[[千葉県]]全域と東京都東部向け読売新聞の受託印刷を朝日新聞系の[[朝日プリンテック]]船橋工場(千葉県[[船橋市]])で開始。
 
* [[2012年]]
 
** [[5月]] [[スマートフォン]]によるサービス『[[読売プレミアム]]』を開始。
 
** [[7月]] 定期購読者向け特典として『[[Marie claire|Marie Claire Style]]』の配布を開始。
 
* [[2013年]]
 
** [[4月1日]] 英字新聞「ザ・デイリー読売」の題号を『[[ジャパン・ニューズ]]』に改題。
 
* [[2014年]]
 
** [[1月6日]] 東京本社(大手町)新社屋(読売新聞ビル)が完成し、中央区銀座の仮社屋(日産自動車旧本社ビル)から移転<ref>[http://info.yomiuri.co.jp/release/2014/01/post-912.html 読売新聞のニュースリリースより]</ref>。
 
** [[4月30日]] 西部本社がこの日をもって[[大分県]]に於いての夕刊の発行を休止。朝夕刊セット地域から統合版地域に格下げとなるのは同県が全国初<ref>全国紙では[[産経新聞]]が[[産経新聞東京本社|東京本社]]管内で[[2002年]][[3月]]末、[[毎日新聞]]が[[毎日新聞北海道支社|北海道支社]]管内で[[2008年]][[8月]]末、[[朝日新聞]]が[[朝日新聞西部本社|西部本社]]管内で[[2010年]]3月末に[[佐賀県]]と大分県、[[2012年]]3月末に[[福岡県]]と[[山口県]]のそれぞれ一部で夕刊を休廃止した例がある。また朝日新聞は[[朝日新聞名古屋本社|名古屋本社]]管内の[[土曜日]]付夕刊発行を2012年[[10月]]中旬で休止した。</ref>。
 
** [[11月7日]] [[中学生]]・[[高校生]]を対象としたタブロイド判の週刊新聞『[[読売中高生新聞]]』創刊。
 
** [[12月1日]] 「適正報道委員会」を新設<ref>[http://info.yomiuri.co.jp/release/2014/11/post-1020.html 本社「適正報道委員会」を新設 正確・信頼の紙面追求]及び2014年11月12日13S版1面</ref>。今後は記事の「訂正」や「おわび」はすべて社会面に集約して掲載し、訂正などの有無をわかりやすくする。誤った理由も簡潔に説明する。地域版の「訂正」などは地域版に掲載する<ref>読売新聞2014年12月1日13S版1面</ref>。
 
* [[2015年]]
 
** [[2月2日]] 記事中の[[アラビア数字|洋数字]]の書体を[[ゴシック体]]から[[明朝体]]に変更。
 
** [[4月9日]] 東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社発行分がこの日で紙齢50,000号を達成。
 
* [[2017年]]
 
** [[7月18日]] 中部支社が[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]1丁目17番6号の旧社屋から北側200メートルの[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]沿いに面した場所に建設された「納屋橋東地区市街地再開発」([[テラッセ納屋橋]])の商業・業務棟(中区栄1丁目2番1号)に移転。
 
 
 
== 人事 ==
 
=== 主筆 ===
 
* [[高田早苗]](半峰)(1887年8月1日 - 1891年12月31日)
 
* [[市島謙吉]](春城)(1892年1月1日 - 1894年5月31日)
 
* [[中井喜太郎]](錦城)(1894年6月1日 - 1901年10月22日)
 
* [[松平康國]](1901年10月23日 - 1902年2月28日)
 
* [[石井勇]](白露)(1902年3月1日 - 12月)
 
* [[足立荒人]](北鴎)(1903年1月1日 - 1906年11月20日)
 
* [[竹越與三郎]](三叉)(1906年11月20日 - 1907年6月27日)
 
* 足立荒人(1907年6月27日 - 1910年3月20日)
 
* [[笹川潔]](東花)(1910年3月20日 - 1913年12月28日)
 
* [[五来欣造]](素川)(1914年2月10日 - 1915年8月)
 
* [[金崎賢]](1915年8月 - 1918年3月30日)
 
* [[伊達源一郎]](1918年5月1日 - 1919年9月1日)
 
* [[松山忠二郎]](1919年9月1日 - 1921年)
 
* [[大庭柯公|大庭景秋(柯公)]](1921年)
 
* [[山崎光二郎]](1930年3月 - 1933年1月15日)
 
* [[高橋雄豺]](1933年11月10日 - 1945年10月24日)
 
* [[小林光政]](1935年10月24日 - 1946年2月)
 
* [[岩淵辰雄]](1946年6月14日 - 10月19日)
 
* [[馬場恒吾]](1946年10月19日 - 1948年9月14日)
 
* [[安田庄司 (ジャーナリスト)|安田庄司]](1948年9月14日 - 1949年5月20日)
 
* [[小林與三次]](1965年8月1日 - 1970年5月30日)
 
* [[渡邉恒雄]](1985年6月26日 - )<ref>{{Cite | 和書 | editor = 読売新聞社社史編集室| title = 読売新聞発展史 | publisher = 読売新聞社 | date = 1987年11月2日 | page= 661}}</ref>
 
 
 
== 組織 ==
 
=== 社会部 ===
 
1953年には「読売新聞社会部」が第1回[[菊池寛賞]]を受賞([[原四郎 (ジャーナリスト)|原四郎]]を中心とする同社会部の暗黒面摘発活動)、1955年には社会部記者の[[安部光恭]]が第3回[[菊池寛賞]]を受賞している。
 
 
 
また、読売新聞は、かつて[[立松和博]]、[[本田靖春]](東京本社)、[[黒田清]]、[[大谷昭宏]](大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。
 
{{quotation|競馬の予想記事や漫画欄を作ったりして、庶民向きの読みやすい紙面作りを進めたが、その推進役は編集局長になった柴田勝衛である。…この柴田が正力社長の下で起死回生を狙ったのが、日本各地に縄張りを持って君臨していた、素性の知れた[[暴力団|ヤクザ]]の親分衆36人を選んだ企画であり、『人物の森』風の人物評伝に仕立てて連載すると、それが評判になり売上げを大いに伸ばした。
 
連載が終わった年の正月のことである。紋付きハカマに正装した36人の親分衆が市電を止めて数寄屋橋の大通りに並び、読売新聞社の正面玄関に向かい土下座して一斉に頭を下げると、「柴田編集長にご挨拶したいので、読んで頂きたい」と申し入れた。…柴田は悠然と正面玄関に現れたのであり、その前にひれ伏した親分衆の代表が、「われわれのような日陰者を、こんな晴れがましい紙面で世間様に紹介くださり、光栄の至りに思う次第であります。このご恩は孫子末代まで忘れることはせず、…、われらの血筋が続く限り読売新聞の進展に死力を尽くすことを、ここで一同で誓約いたします」と言って、粛然と引き上げていったそうである。
 
 
 
田辺則雄発行名儀人(昭和27年頃)の話によると、読売新聞の社会部は大躍進を遂げ、親分衆の協力による物凄い特ダネ続きとなり、下町衆の支持を受け売り上げを伸ばした。…社会部長の田辺則雄も、読売の名物男で、戸籍にバツ印(×)が11も付いており、幾ら日本の新聞界に人材がキラ星でも、[[前科]]11犯はそうザラにある話ではない。…親分衆から一目を置かれる存在だったという。こんな伝統があることが大きく影響して、朝日を始め他社は暗黒街の取材が仲々出来ないのに、読売の社会部だけはスクープを記録し続け、新聞界では未だに一頭突出するのだそうだ|藤原肇『朝日と読売の火ダルマ時代』国際評論社、1997年}}
 
読売新聞大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし[[1980年代]]に社内で[[渡邉恒雄]]らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、[[1987年]]に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を体した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている<ref>魚住明『渡邊恒雄 メディアと権力』(講談社文庫、2003年)</ref>。
 
 
 
{{誰範囲2|この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からはやむを得ないものではあるが、一方で従来の「保守的なリベラル」というバランスに立脚した論説体系を捨てたともされる|date=2012年4月}}。
 
 
 
=== 医療情報部 ===
 
読売新聞は、他の全国紙にはない[[医療]]専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である[[前野一雄]]は、自身が[[脳動脈瘤]]、次いで[[甲状腺|甲状腺がん]]を患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は[[杉谷巌]]との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。
 
 
 
== 紙面・論調・歴史 ==
 
現在の論調は、概ね[[中道右派]]・[[親米]][[保守]]である<ref>[http://motoshigesemi.web.fc2.com/newslink.html 伊藤元重ゼミ] 東京大学経済学部</ref>。[[大衆主義]]とも評される<ref>{{PDFlink|[http://jgss.daishodai.ac.jp/research/monographs/jgssm3/jgssm3_5.pdf 現代日本の新聞の読者層]}} 大阪商業大学</ref>。
 
 
 
[[2009年]](平成21年)の[[新聞通信調査会]]の調査では、「最も保守的=10点、最も革新的=0点」という分布の中で、読売新聞は5.6点となって[[産経新聞]]の5.3点を上回り、[[全国紙]]の中で最も保守的であるとされた。[[日本経済新聞]]は5.2点、[[毎日新聞]]は5.0点、最も革新的な[[朝日新聞]]は4.4点である<ref>[http://www.chosakai.gr.jp/notification/pdf/report2.pdf 第2回メディアに関する全国世論調査([[2009年]](平成21年))]公益財団法人[[新聞通信調査会]]</ref>。
 
 
 
[[大垣藩]]士・[[子安峻]]、[[佐賀藩]]士・[[本野盛亨]]、[[柴田昌吉]]らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られた。分かりやすい新聞、だれでも読める新聞を目指しただけでなく、西郷隆盛戦死の号外を自決した当日に出すなど早くから電信の導入をおこない、[[1877年]] (明治10)、発行部数は2万5千部を突破して、早くも日本最大の発行部数を誇った<ref>上之郷利昭『読売王国 世界一の情報集団の野望』講談社、1984年、57-58頁</ref>。[[1887年]] (明治20)には、[[立憲改進党]]や[[早稲田大学]]創設に携わった[[高田早苗]]が初代[[主筆]]となり、国会や憲法についての解説を記事にしたが、明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、[[1919年]] (大正8)、[[白虹事件]]によって東京朝日を退社した[[松山忠二郎]]たちをむかえ、「[[大正デモクラシー]]の[[梁山泊]]」として、[[プロレタリア文学]]などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。[[1923年]] (大正12)、[[関東大震災]]の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、[[1924年]] (大正13)2月26日、警視庁刑事課長・警務部長を歴任し、[[虎の門事件]]で退官していた、まだ38歳の[[正力松太郎]]の手に委ねられる。
 
 
 
正力は、[[品川主計]]、小林吉政などの警察官僚を積極的に経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社の[[イエロージャーナリズム]]にならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りを推し進めた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざした[[リベラル]]な論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長[[務臺光雄]]も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい<ref name="sano-p137">{{Harvnb|佐野真一|1994|p=137}}</ref>。
 
 
 
[[1979年]]、[[渡邉恒雄]]の論説委員長就任以降、紙面の編集方針や論調は[[右派]]・[[保守主義]]となった。現在は基本的に[[自由民主党 (日本)|自民党]]支持、[[改憲]]支持、[[日本経団連]]支持、[[新自由主義]]経済改革支持である。その一方、「[[大連立構想 (日本 2007)|大連立構想]]」以降の社説等で見られるように[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]やその支持母体である[[労働組合]]への論調は厳しいものが多いが、民主党「も」政権に参加する「大連立」には積極的である<ref>2007年11月3日付社説。なお、毎日新聞は同日付の社説で大連立を批判している。</ref>という側面もある。そのためか、民主党については、方向が違うために批判する場合だけでなく、税制改革<ref>読売新聞2010年12月17日付社説。</ref>のように基本的な方向は現在の民主党主流派と一緒だが程度の違いがあるための批判という場合もある。その他に、主筆・渡邉恒雄が戦争経験者であるため、特に[[靖国神社]](特に[[遊就館]])における歴史認識には批判的で、[[小泉純一郎]]の[[靖国参拝]]には反対した{{要出典|date=2011年7月}}。
 
 
 
政府の政策に関し、政策分野によっては(憲法改正問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である(「本社、憲法改正試案を発表」、1994年11月3日)。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどであることも特徴である<ref name="Uozumi">{{Harvnb|魚住昭|2000}}</ref>。
 
 
 
5大全国紙中で唯一の[[人生相談]]コーナー「人生案内」を紙面に持っている。また教育面は[[早稲田大学]]と提携<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/ 教育×WASEDA ONLINE] 読売新聞</ref>。また2008年に[[読売ウイークリー]]を販売不振で休刊させて以降、[[週刊誌]]を発行していない唯一の全国紙となった。
 
 
 
読売新聞の読者層について、[[木村雅文]]は[[大阪商業大学]]JGSS(Japanese General Social Surveys、[[日本版総合的社会調査]])研究センターの調査をもとに、「日経や朝日と比べて高卒(新制)の割合、[[ブルーカラー]]の割合、非正社員の割合が多い」としている。これら学歴、職業を反映して読者世帯の平均年収は、毎日と並んで、日経、朝日、産経に次ぐとしている(いずれも木村、2004[http://jgss.daishodai.ac.jp/research/monographs/jgssm3/jgssm3_5.pdf])。
 
===全国紙への道===
 
{{節stub}}
 
読売新聞社は、戦前に「[[九州日報]]」など日本各地の[[地方紙]]を買収して経営に参画し、全国進出を計画したが、[[第二次世界大戦]]に伴う[[新聞統制]]により、その計画は頓挫した。
 
 
 
1952年(昭和27年)11月25日、[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]野崎町に於いて「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊した。東京の讀賣新聞社(現・読売新聞東京本社)とは別会社・別法人による「株式会社大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。1953年4月1日付から、題字から「大阪」を外し、東京と同じ「讀賣新聞」の題号で発行。1971年から「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。<br>
 
1964年(昭和39年)9月23日、[[福岡県]][[北九州市]][[小倉北区]]砂津中津口(現・明和町1-11)に於いて「読売新聞」の西部版第一号を発刊。当時の読売新聞西部本社は、読売巨人軍の運営会社、読売興業株式会社(後に『株式会社よみうり』に商号変更)の一事業として発足した。<br>
 
1975年3月25日に、読売新聞の東海3県に於いての発行としての形で、[[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]]を対象地域とする『中部読売新聞』(題号:中部讀賣新聞、読み:ちゅうぶよみうりしんぶん)が創刊された。紙面は、東京で製作された紙面を一部共用し、読売本社と中部読売は編集・工務・販売・広告などの部門で互いに協力し合った。創刊号は、一般的な読売新聞の横並びの題字ではなく、中部読売独自による縦並びの題字<ref>[http://brb12751.la.coocan.jp/PHOTO001831.JPG 中部版創刊号の紙面の写真]</ref>が使われた。
 
 
 
毎週日曜には[[週刊]]の[[二部紙]]として[[日曜版]]「よみほっと」が一緒に封入されている。以前は「日曜版」→「y&y」という題名だった。また「y&y」の時代は「y&y日曜版」とは別に、週間のテレビ番組表「y&yテレビ」が木曜に連載されていたが、[[2008年]][[10月]]の号から日曜版と一緒に封入されるようになった<ref>[http://adv.yomiuri.co.jp/yomilab/newspaper/20081107/081107.html 「Y&Yテレビ」の日曜発行、読者層の拡大に期待](読売新聞広告局)</ref>。
 
 
 
===Jリーグのチーム表記問題===
 
{{See also|東京ヴェルディ1969#歴史}}
 
* [[1992年]]の[[Jリーグヤマザキナビスコカップ|ナビスコ杯]]から[[1993年]]にかけての[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していた[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)]]のチーム名を「読売ヴェルディ」とした([[日本テレビ放送網|日テレ]]も同じ。[[スポーツ報知]]=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした)。
 
* 渡邉恒雄は企業名を冠したことについて「[[プロ野球]]と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「[[JFEスチール|川崎製鉄]]、[[川崎重工業]]の商標で商標権侵害の恐れがある」<ref>実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いたこともあった。現在は[[ヴィッセル神戸]]の広告看板スポンサーに就いている。</ref>、「東京への移転問題」などの理由を挙げていた。
 
* Jリーグでは企業名は排除して[[自治体]]([[市町村|市区町村名]])+愛称で表記するように指導しており、[[1994年]]度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。
 
* その他、[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]は「横浜」、[[横浜フリューゲルス]]は「AS」とした。これはフリューゲルスが当時[[長崎県]]、[[熊本県]]、[[鹿児島県]]をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。
 
 
 
== 注目を集めた報道・スクープ ==
 
* [[1953年]]、[[新宿]]暗黒街の暴力追放などのキャンペーン報道により、第1回[[菊池寛賞]]を受賞<ref name="kikuchi">[http://www.bunshun.co.jp/award/kikuchi/list1.htm 菊池賞受賞者一覧]</ref>。
 
* [[1954年]]、[[第五福竜丸]]の被爆事件の特ダネを報道。一躍、世界に知られるようになる。
 
* 連載「物価戦争」による物価引き下げのキャンペーン報道により、1966年度[[日本新聞協会賞]]を受賞<ref name="shimbunkyokai">[http://www.pressnet.or.jp/about/commendation/kyoukai/works.html 新聞協会賞受賞作]</ref>。
 
* [[1968年]]、連載「昭和史の天皇」により、第16回菊池寛賞を受賞<ref name="kikuchi"/>。
 
* [[1973年]][[8月8日]]に起こった[[金大中事件]]で、[[大韓民国|韓国]][[大韓民国中央情報部|KCIA]]が介在していたことをスクープし、1974年度日本新聞協会賞を受賞した<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[1977年]]、[[弘前大学教授夫人殺人事件]]の再審に関する報道により、第25回菊池寛賞を<ref name="kikuchi"/>、また本事件に関する一連の報道により、1977年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* 企画「医療をどうする」により、1978年度日本新聞協会賞を受賞した<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[在韓日本人]]妻里帰りキャンペーン報道により、1986年度日本新聞協会賞を受賞した<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[1988年]]に発生した[[大阪府警察]]の巡査及び堺南署(現[[西堺警察署]])署長以下の職員が組織ぐるみで主婦に占有離脱物横領の罪を着せようとした事件では、読売新聞記者がいち早く事件を耳にし、社会面に大きく特集記事を掲載したことから事件が発覚、主婦の冤罪が晴れた。この報道により、1988年度日本新聞協会賞を受賞した<ref name="shimbunkyokai"/>。{{Main|警察官ネコババ事件}}
 
* [[1991年]][[6月3日]]の[[雲仙岳|雲仙・普賢岳]]噴火の写真報道により、1991年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* 企画「PKOぐったり“良識の歩み”」により、1992年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[1994年]]の[[文化の日]]、日本のマスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案」を発表し、[[憲法改正論議]]のさきがけとなる。しかし[[1946年|48年前]]の同月同日([[日本国憲法]]公布の当日)に発行した『新憲法読本』で“新憲法をしっかりと身につけ新憲法を一貫して流れる民主主義的精神を自分たちのものとすることによって、われわれははじめて平和国家の国民としてたち直ることができるのである。”、憲法第9条について同書で“新しい時代の平和の典型として日本憲法を見るならば、ある程度の戦力保持の必要を漠然と感じる危惧感は、この憲法によって再生しようとする日本国民のヒューマニズムを踏みにじるものでしかない。それは単なる感傷の域を脱しない小市民的感情であろう”と述べていた事はあまり知られていない(つまり[[転向]]した)<ref>[[水島朝穂]]『[http://www.asaho.com/jpn/bkno/housemi199501.html 読売「憲法改正試案」にもり込まれた危険な意図]』、法学セミナー1995年1月号</ref>。
 
* 日本の医療を取り上げた連載企画「医療ルネサンス」により、1994年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[元日]]の一面トップ記事には、他紙のように連載特集記事ではなく[[スクープ]]記事を持ってくる。
 
** 特に[[1995年]](平成7年)[[1月1日]]の「[[上九一色村|山梨]]の[[サティアン|オウム施設]]近くで[[サリン]]残留物を検出」では、一連の[[オウム真理教事件]]報道のきっかけを作った。
 
* 日本国内で初めて、第三者の女性から卵子の提供を受けた[[体外受精]]をスクープし、1998年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[ユーゴスラビア紛争]]・[[コソボ紛争]]に関する一連の写真報道により、1999年度日本新聞協会賞を受賞<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* 2009年[[12月22日]]朝刊で、[[佐藤栄作]]と[[リチャード・ニクソン]]による[[日米核持ち込み問題]]を独占スクープした。この報道は2010年度日本新聞協会賞を受賞した<ref name="shimbunkyokai"/>。
 
* [[2011年]][[7月21日]]付朝刊に[[東電OL殺人事件]]で別人のDNAが見つかったと報道。真犯人はネパール人男性ではない可能性があることをスクープ。2012年度日本新聞協会賞を受賞した。
 
 
 
== 疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル ==
 
<!-- この段落名および段落構成は朝日新聞・毎日新聞・日本経済新聞と共通です -->
 
* [[1911年]]1月19日、小学校「日本歴史」教師用教科書の南北朝についての「容易にその間に正閏軽重を論ずべきにあらず」という記述を「大義名分を誤るもの」として[[社説]]で批判し、いわゆる[[南北朝正閏論]]問題に火を着けた。南北朝正閏論争は、[[大逆事件]]判決直後にとりあげられたため、[[第2次桂内閣|桂内閣]]を弾劾したい人々による「正義の旗」に利用され、2月23日、[[立憲国民党]]は大逆事件とあわせ[[閣僚]][[問責決議]]案を提出。桂内閣は、決議案否決のため、政府系会派「[[中央倶楽部]]」に[[大浦兼武]]を通じて[[朝鮮銀行]]から1万円もの資金を渡したという。2月27日、[[南朝 (日本)|南朝]]・[[北朝 (日本)|北朝]]のどちらを正統とするか、勅裁をあおぐことを[[閣議決定]]。結局、南朝正統の勅裁が下り、北朝は「偽朝」に、現在の[[皇室]]の祖先である北朝の天皇は、『[[大日本史]]』の例にならい、「○○院」とすることが定められた。戦前期の南朝を正統とする歴史教育の端緒を作っただけでなく、大逆事件とあわせて、予防策としての教育や社会政策、警察による取締強化を招いた<ref>千葉功『桂太郎 外に帝国主義、内に立憲主義』中公新書、2011年、167、170~172頁</ref>。{{Main|南北朝正閏論}}
 
* [[1925年]]にラジオ欄の創設、[[1932年]]に「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りを行う一方、[[1927年]]、ヌード写真を社会面に掲載し、「読売の[[エログロ]]主義」と呼ばれて批判も受けた<ref name="sano-p137" />。
 
* 1930年代、[[毎日新聞]]・[[朝日新聞]]などと同様、いわゆる「[[十五年戦争]]」「[[大本営発表]]」に全面的に協力し、[[大東亜戦争]]を煽りたてる報道を行った。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」<ref>『現代新聞批判』1938年9月15日</ref>「外電と称して実は編集室の机上で[[ニュース]]を創り上げる」<ref name="shinbunhihan19411001">『現代新聞批判』1941年10月1日</ref>と見られており、1938年に捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、[[商業主義|営利主義]]的に[[国家社会主義ドイツ労働者党|親ナチ]]・[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]礼賛の紙面作りを行い、1941年の[[独ソ戦]]開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「[[昭和]]年代のお笑い草」<ref name="shinbunhihan19411001"/>とされた。
 
* [[1948年]]、[[昭電疑獄]]において、重要人物の召喚を次々と予告して的中させる、連続特大スクープをおこない、「朝起きたら読売を見る、自分の名前が出ていないのを確認して朝日を読む」といわしめるほどの報道をおこなった。このセンセーショナルな紙面作りを可能にしたのは、記者としての訓練をほとんど受けていない、入社3年目の駆け出し記者、24歳の[[立松和博]]である。立松和博の父・懐清は、[[朴烈事件]]の予審判事。そのため立松は、検察幹部に可愛がられ、「[[木内曽益]] [[最高検]]次長検事―[[馬場義続]]・[[東京高等検察庁]][[次席検事]]―[[河井信太郎]]・[[東京地方検察庁]]主任検事」のラインに結びつくことに成功した。当時、[[GHQ]]内は、[[連合国軍占領下の日本|日本の占領統治]]をめぐって、右の[[チャールズ・ウィロビー]]少将と左の[[チャールズ・L・ケーディス]]が対立・分裂しており、ウィロビー少将は自由党の[[吉田茂]]を支持していた。「木内-馬場-河井」の検察ラインは、[[芦田均内閣]]を潰そうとするGHQの政治的思惑にそって、昭電疑獄をでっちあげて、検察が政治を支配する時代をつくりあげたのである。河井信太郎は、馬場の黙認の下、捜査情報を読売新聞にリークし続けた。検察は、読売新聞一社のみにスクープを独占・継続させることを通して、強烈なインパクトを各界にあたえ、芦田連立政権を崩壊させることに成功した。ただ、立松は、読売の連続スクープに息巻く他社の記者たちから、河井がネタ元であることを悟らせないようにするため、細心の注意を払わざるをえず、睡眠不足と疲労から[[ヒロポン]]を打つほど心身がボロボロになり、ほどなくして休職に追いこまれることになる。1957年の[[売春防止法]]の読売新聞における大誤報事件は、取材体制の出遅れにあせった[[景山与志雄]]社会部長が、昭電疑獄時のエース記者、立松を病欠から呼びもどしたことからはじまった、という。なお、司法[[記者クラブ]]が検事の家に夜討ち朝駆けをして「ネタ」を物乞いする習慣は、昭電疑獄から始まり、[[造船疑獄]]で定着、[[ロッキード事件]]や[[ダグラス・グラマン事件]]、[[リクルート事件]]では、検察関係者による報道機関に対するリーク、すなわち[[検察リーク]]が猛威を振るうことになる。検事たちが思いあがり、報道機関が検察批判をすると、ただちに「出入り禁止」にする慣行は、三田和夫によれば、読売新聞による昭電疑獄・造船疑獄報道が原因、と、読売新聞の行為を厳しく断罪している<ref>三田和夫『戦後・新聞風雲録 読売梁山泊の記者(ぶんや)たち』紀尾井書店、220~234頁</ref>。
 
* [[1950年]]6月1日に[[電波三法]]が施行されたのに伴い、[[アメリカ合衆国|米国]]の資金と技術によって[[放送]]・[[通信]]分野の国内基幹網を建設し、[[公共団体]]や[[保安隊]]へ貸与する構想が浮上した事で騒動が起きた。[[1952年]]9月4日の読売新聞には、[[正力松太郎]]が中心的役割を担うマイクロ波中継構想が公表された。構想は二転三転したが、最終的に[[1954年]]暮れの参議院通信委員会決議により決着した。{{Main|正力マイクロ波事件}}
 
* [[1954年]]3月、[[第五福竜丸]]の[[被曝]]以降、読売新聞は、社主にして[[自民党]]議員、[[正力松太郎]]の政治力拡大と原発利権掌握の思惑から、[[CIA]]との協力をえて、[[原子力]]平和利用を奨める『[[日本の原子力発電所]]建設』のため、積極的なキャンペーン記事を行った。ただ、日本の[[再軍備]]のため、独自に[[核兵器]]の開発能力を期待して、原発を推進した正力とCIAの思惑は一致せず、CIAが協力するにとどまったことが、[[有馬哲夫]]『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』により明らかにされている。
 
** 但し、この事は、[[東日本大震災]]における[[福島第一原子力発電所]]の水素爆発([[福島第一原子力発電所事故]])以降、改めて問題視され、2012年6月1日、[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]は、[[読売新聞グループ本社]]社主と原子力発電の不透明な関係を[[世界]]に伝えた<ref>http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2012/06/01/japans-nuclear-industry-the-cia-link/</ref>。{{Main|日本の原子力政策}}
 
* [[1957年]]10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した[[売春防止法]]をめぐって、反対運動を行っていた[[赤線]](公認売春)組織から[[宇都宮徳馬]]・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。これは[[法務省]]刑事課長・河井信太郎のリークであったが、読売に情報を漏らす法務省関係者をあぶりだすため、検察が法務省に仕掛けたガセネタであった。読売新聞は、ただちに両代議士から事実無根と告訴され、執筆者の立松和博記者も逮捕された。当時、後に[[検事総長]]になる[[伊藤栄樹]]たち[[東京地検特捜部]]の検事たちは、前任の事務次官・[[岸本義広]]によって[[法務研修所]]の教官にとばされた[[河井信太郎]]が、[[馬場義続]]・法務事務次官によって法務省の刑事課長に呼びもどされ、やがては特捜部長に返り咲くのではないか、と憂えていた。とても法律家とは思えない、 [[造船疑獄]]における河井の強引な捜査手法に危惧の念を抱いたからにほかならない。岸本東京高検検事長の検事総長就任をめぐって、検察庁内の岸本派と馬場派の感情的対立は頂点に達した。岸本派の集う東京高検は、馬場たち[[赤レンガ派]]の昭電疑獄以来の読売新聞への河井のリーク疑惑を確認するため、あえて法務省にガセネタをあげたのである。河井信太郎は、法務省にあげられた容疑濃厚な5名の代議士の内、[[宇都宮徳馬]]と[[福田篤泰]]のみ、イニシャルではなく実名での報道を立松に認めた。これは、当時もっとも汚い汚職とされた[[売春疑獄]]において、選挙に強くない東京2区の宇都宮、東京7区の福田を読売に名指しさせることで落選させて、大物新人として当時総選挙に出馬予定であった、[[藤山愛一郎]]外務大臣(東京2区)と、後の参議院議長[[安井謙]]の実兄、[[安井誠一郎]]東京都知事(東京7区)の当選を確実にし、 [[岸内閣]]のために便宜をはかることが狙いだった、とみられている。小島編集局長は、ニュースソースである河井信太郎を隠匿するため「検察庁筋」と答えたとものの、検事総長は両氏の容疑と情報漏れを完全否定。衆議院法務委員会の証人喚問の動きに対して、原四郎は他紙への根回しのうえ、誤報にもかかわらず、全紙をあげて東京高検攻撃に出た。結局、正力松太郎の調停もあって、12月18日、謝罪広告を出し、立松記者は懲戒休職処分となった。読売「社会部王国」終わりの始まり、とされるスキャンダルであった。{{Main|売春汚職事件}}
 
* 1960年代、読売新聞は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]を礼賛し、[[在日朝鮮人]]の北朝鮮帰還事業を積極的に推し進めた。1960年1月9日、読売新聞は、ピョンヤン発の特派員電で、「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」「夢のような[[正月]]」という記事を掲載し、[[金日成]]首相に招かれて新年の宴会に出席してることや、正月用にお餅やおせち料理が特配される豊かな生活ぶりを伝え、日本人妻をふくめた在日朝鮮人の帰国熱をあおりたてた。そして、「夫の祖国に帰った[[日本人妻]]たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新潟を出港するまでの不安や心配は、国あげての大歓迎にすっかり消しとんでしまったようです」「日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていた妻たちには夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに『早く来るように伝えてほしい』と口をそろって語っている」「記者が見たすべての日本人妻が、朝鮮にきてほっと解放されたかのような安らぎをみせ」「みんなが希望にあふれて前方を見つめている」とのべ、多くの日本人の犠牲者をつくりだす原動力となった。読売新聞や[[産経新聞]]が在日朝鮮人とその日本人妻の北朝鮮帰国事業を煽りながら、社民党や朝日新聞を攻撃するだけで、自らの過去の言論をまったく反省しない姿に対しては、「目糞鼻糞を笑う」とまで厳しく批判されている<ref>佐高信『田原総一朗とメディアの罪』[[講談社]]文庫、2009年、47~49頁</ref>。{{Main|在日朝鮮人の帰還事業}}
 
* 1966年12月24日、朝刊一面トップで「総選挙にかける」という特集記事が組まれ、「[[黒い霧]]の審判 歓迎されぬ首相の応援」「史上最低の不人気内閣」「(支持率)二五パーセントの不人気首相」と、[[渡辺恒雄]]記者による佐藤内閣への批判キャンペーンがおこなわれる。1961年以降、旧[[大蔵省]][[関東財務局]]・[[国有財産局]]であった「[[国有地]]の払い下げ」問題がこじれたためであった。跡地は日比谷通りに面した一等地のため、100社以上の応募が殺到。読売新聞は、49番目の応募だったが、「角さん、俺のとこに社屋の土地をよこせよ」(渡辺恒雄の[[田中角栄]]への直談判の時の発言)と、熾烈な政界工作を展開。1963年、読売への払い下げが決定された。ところが[[水野成夫]][[産経新聞]]社長の巻き返しで、1966年夏、払い下げは白紙撤回。そのため1966年12月22日、業を煮やした[[務台光雄]]副社長は、読売新聞本社部長会の席上、「大手町の国有地を払い下げるとはっきり約束した。この約束が反故になったら日本の政治はもうおしまいだ。道義は地に墜ちてしまう。そうなったら内閣と一戦交えるしかない」と発言。12月24日朝刊記事は、国有地を読売にわたさない佐藤内閣へ、解散総選挙を利用した圧力であった。1966年12月27日、「[[黒い霧解散]]」で[[衆議院]]が解散される。12月29日、務台光雄と佐藤栄作は、首相官邸で会談をおこなう。読売新聞は、460万部の部数をバックにして、大手町の国有地を手に入れることに成功した。<ref name="Uozumi" />
 
* [[1969年]]10月8日、読売新聞と報知新聞は、西鉄ライオンズの永易選手による暴力団と絡んだ八百長事件を報じ、「黒い霧事件」報道の先鞭をつけた。ところが、当時、読売ジャイアンツでは、コーチと暴力団の癒着が騒がれていた。読売ジャイアンツと暴力団の癒着という疑惑から世間の注意をそらすため、読売グループがこの事件を意図的にフレームアップした、と囁かれた<ref>『週刊実話』2012年2月2日号</ref>。{{Main|黒い霧事件 (日本プロ野球)}}
 
* [[1974年]]から[[1975年]]にかけて、読売新聞は[[名人 (囲碁)|名人]]戦騒動をおこした。1961年から始まった旧・名人戦は、高度成長期に14年間も、2500万円前後に契約金が据えおかれた。そこで日本棋院は、1億円の契約金を提示した[[朝日新聞]]に名人戦主催権を移すことを表明。あわてた読売新聞は、「金目当て」「信義がない」と激しいバッシングをほぼ1年にわたって囲碁界全体に加え、裁判にまで発展した。1975年末、「最高棋士決定・[[棋聖 (囲碁)|棋聖戦]]」創設(1976年から開始)という形で落ち着いたものの、[[日本棋院]]のプロの卵である院生の数は激減。日本囲碁界の凋落と中国・韓国の台頭の一因となった<ref>中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』岩波書店、2003年</ref>。
 
* [[1978年]]、ドラフト会議前日に協定の隙を突いて、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツと[[作新学院]]、[[法政大学]]出身(のち[[阪神タイガース]]・[[読売ジャイアンツ]]、解説者)の投手[[江川卓 (野球)|江川卓]]が入団契約を結んだ事件、いわゆる[[空白の一日]]。これは[[栃木県|栃木]]選出の代議士である[[船田中]]議員らが関与したとも言われ、その経緯は「実録たかされ」(原作:江川卓、作画:[[本宮ひろ志]])などに詳しい。この事件は読売の100年史においてもその記載をどうするかで論議されたが、結局掲載を見送られるなど、読売社内においても一種のタブー扱いになっていた。しかし、[[2005年]]の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のスポーツ番組においてこの事件が取り上げられるなど、近年では内部での扱いが変化しつつある。{{Main|江川事件}}
 
* [[1986年]]12月5日夕刊では、「よみうり寸評」差し替え事件がおきた。「よみうり寸評」では、[[中曽根康弘|中曽根]]政権の[[売上税]]導入の決定に対して、「朝三暮四のもう一つの意味、詐術を用いて人を愚弄する点も、今回は当てはまる。(略)中曽根首相は七月の同日選のとき、『[[売上税|大型間接税]]は導入しない』と選挙民に約束した」と批判。渡邉恒雄[[主筆]]([[1985年]]6月就任)の展開した「売上税は中型間接税だから公約違反ではない」という売上税導入キャンペーンにそぐわぬためで、夕刊3版から急遽差し替えられた。「よみうり寸評」で[[1981年]]の日本記者クラブ賞を受賞した[[村尾清一]]記者は、[[1987年]]6月、出版局顧問に退いた<ref name="Uozumi" />。
 
* [[1987年]]11月29日、[[大韓航空機爆破事件]]では、「大韓航空機の墜落確認 [[タイ王国|タイ]]奥地」(11月30日夕刊)と報道した。墜落したのは、[[ベンガル湾]]上空であった。またこの事件では、11月30日、日本人に[[背乗り]]した偽造[[日本国旅券]]を使った人物が、[[中東]]の[[バーレーン]]で逮捕されそうになり服毒自殺をした。12月2日付夕刊で読売新聞は「墜落大韓機自殺の男 宮本と同一人物か」と、自殺した男性が宮本明(李京雨)と同一人物と報じた。実際は金勝一で、他紙は「自殺男性 宮本と別人か」(同日毎日新聞夕刊)と報じていた。また翌3日、夕刊一面トップは、「「宮本」に逮捕状」の見出しが踊り、「3日、公文書偽造などの容疑で逮捕状をとった」と報道した。しかし、実際は、翌4日朝刊「「宮本」逮捕状請求は見送り」であり、完全な誤報であった。「韓国筋」「公安筋」に頼りすぎた結果の、誤報続出であった<ref name="Goto">後藤文康『誤報―新聞報道の死角』岩波新書、1996年</ref>。
 
* [[1989年]]8月17日、夕刊一面トップで、[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]の容疑者「宮崎のアジトを発見」と報道した。記事ではアジトの様子が語られており、アジト付近の地図まで載っていたが捜査本部は全面否定し、全くの虚偽であることが判明。翌日には「おわび」を出したものの、「検証」記事に2ヶ月もかかり、その内容も具体性に欠けるものであった。この虚偽報道事件は、[[朝日新聞珊瑚記事捏造事件|珊瑚損傷記事捏造]](『[[朝日新聞]]』同年4月20日夕刊)や[[毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件|グリコ・森永事件の犯人取り調べ捏造]](『[[毎日新聞]]』同年6月1日朝刊)とならぶ一大スキャンダルであったが、朝日新聞のサンゴ事件の影に隠れてほとんど話題にされず、読売新聞は処分の内容も、記事を書いた記者の名前も明らかにしなかった。{{Main|読売新聞の宮崎勤事件に関する捏造事件}}
 
* [[1990年]]5月6日、子供の日翌日の朝刊社会面トップは、「雨の日の5日午前2時幼い2人置き去り 歩道とぼとぼ 保護 親の名言わず」と、「豊かな時代」の「子捨て」を報道し、「親の身勝手から依然として後を絶たない」と批判した。しかし実際は、父に黙って深夜に外出して保護されただけであり、記者の早とちりであった。ところが、訂正・お詫び記事を出さなかったどころか、「同署では"兄妹は大人たちに囲まれ、緊張感と警戒心で自宅がすぐ近くにあることさえ口に出せなかったのだろう"と同情している」(5月7日夕刊)と書き、読売新聞は誤報の責任を子供になすりつけた。
 
* 1991年12月1日朝刊は、1990年5月におきた[[足利事件]]を報道した。読売は、朝日・毎日と異なり、「捜査本部は、これまでの調べで、男性が少女を扱ったビデオソフトや雑誌を愛好している」と、犯人をロリコンとする独自記事を掲載。翌日の朝刊でも、「[[ロリコン]]趣味の45歳」と見出しをつけ、「週末の『隠れ家』でロリコン趣味にひたる地味な男」「『週末の隠れ家』には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、S容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい」と、あたかも[[宮崎勤]]事件かのようにセンセーショナルに煽りたてた。菅家容疑者の家宅捜索が12月3日におこなわれ、少女向けアダルトビデオは一切発見されなかったにも関わらず、続報として触れるにとどまり、一切謝罪しなかった。読売新聞は、2009年6月8日、菅家受刑囚の釈放後最初の単独インタビューを掲載した後になって、菅家容疑者に対する一連のロリコン報道について検証をおこなう(2009年6月26日)。その検証でによれば、「記事は、県警担当の記者が菅家さん逮捕の約1週間前、県警幹部から取材をした情報がもと」と警察リークであることを白状した。だが検証では、逮捕の日(12月2日)前日にロリコンと報道としていたにも関わらず、「別の複数の捜査幹部からも『逮捕できるだけの直接証拠ではないが、状況証拠の一つだ』との感触を得ていたことから、菅家さんの逮捕直後に記事にした」と『逮捕直後』の報道とするなど、事実関係を偽っていて、まったく検証になっていない。また「菅家さんについての予断や偏見を読者に与えた可能性はある」と『可能性』に矮小化するなど、真摯な反省・謝罪はまったくおこなわれていない<ref>http://d.hatena.ne.jp/eichi44/20090628/p1</ref>。
 
* [[1994年]]3月25日、朝刊一面に「『グリコ・森永』に有力容疑者 大阪の男、一部供述」という見出しがおどった。内容は、「グループ8人か」「捜査本部一斉聴取へ」「[[江崎勝久]]・[[グリコ]]社長誘拐に始まった一連の事件について関与を示唆するような供述」「末端の実行犯の可能性」「『しゃべれば、殺される』などと供述」「当時の行動を再現させるなど、確認作業を始めた」「時効まで残すところ二ヶ月余りという局面で最大のヤマバをむかえる」というもの。しかしその後進展はなく誤報であることが分かった。読売新聞は6月2日朝刊一面の「[[グリコ・森永事件]]『アベック襲撃』も時効」と伝えたことを受けての社会面記事、「悔しい時効」の一節にあわせて掲載した「大阪社会部『グリコ・森永事件』取材班」の署名入り記事「性急だった本紙報道」の中で「情報の検証に甘さがあったことは否めない」と釈明した<ref name="Goto" />。
 
* [[松本サリン事件]]において、6月28日付でマスメディアが報じた「薬剤の調合をまちがえた」「農薬混合」とされた「[[毒ガス]]の正体」が、7月3日になって農薬ではなく調合では精製できない[[化学兵器]]の『[[サリン]]』と判明したものの、1994年7月15日夕刊では「薬剤使用をほのめかす 事件直後に会社員」と、会社員・[[河野義行]]を犯人視させる報道をおこなっている。なお読売新聞は[[1995年]]5月12日になってから河野に対し紙面で謝罪をおこなった。
 
* 1995年2月14日、[[東京協和信用組合]]の前理事長・[[高橋治則]]が行った、元・[[中曽根派]]の[[代議士]][[山口敏夫]]のファミリー企業への法定限度額をこえた過剰融資と癒着を報じた記事は、編集局次長の業務命令で差し替えられた。12版・13版まで掲載された記事が14版(東京都内)で消えた背景には、旧・[[大野伴睦|大野派]]の番記者として、山口敏夫や[[山口六郎次|彼の父]]と親しかった[[渡邉恒雄]]社長(当時)への、編集局幹部たちの過剰な配慮があったとされた<ref>『[[SAPIO]]』 2009年11月11日号 p.12</ref>。
 
* 1995年3月28日、[[地下鉄サリン事件]]の報道が過熱する中で、朝刊一面にトップに「入院の男 容疑者と断定」「[[小伝馬町駅]] [[サリン]]車内に置く」「目撃情報で突き止める」「回復次第 取り調べ」と題した記事を掲載した。内容は、[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]][[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]の電車の3両目車内に、サリン発生源である新聞包をおいたコート姿のサングラスの男は、サリンを浴びて入院している男と同一人物であることが、目撃情報によって突き止められた、というものである。しかし同日夕刊の続報では、社会面で「犯行とは無関係」と、朝刊特ダネを完全に否定した。容疑者と断定した人物についての謝罪・顛末説明は行われていない。
 
* [[2001年]]から[[2002年]]にかけて、読売新聞は[[田中眞紀子]][[外務大臣 (日本)|外相]]更迭の旗振り役をになう。2001年6月2日付社説では、「[[機密費]]問題などに見られる外務官僚の閉鎖的体質を改めるのは大事なことだ。だが、いたずらに省内に混乱を生じ、外交を弱めるようでは本末転倒」と、田中外相の外交感覚を危惧。8月3日、4日付社説では、[[事務次官]]人事の混乱に基づき、田中外相の更迭を要求した。これは、「[[9・11]]」以後噴出する田中外相批判の先鞭となり、2002年1月29日の外相更迭につながっている。しかし2002年2月以降、機密費横領・水増し詐偽・組織的裏金作り・私的流用・「[[鈴木宗男]]疑惑」などが噴出すると、一転して「『政と官』の不明朗な関係が批判されているにもかかわらず、外務省幹部の意識が一向に改まっていない」(2002年2月24日付社説)と批判した。
 
* 2002年4月、[[個人情報保護法]]案と[[人権擁護法案]]の国会審議入りに際して、日本新聞協会(会長・渡邉恒雄)は、表現・報道の自由を侵すとして廃案・出直しをもとめ、緊急声明まで出して反対姿勢を示していた。しかし読売新聞は、個人情報保護法については、メディアを含めて守らなければならない基本原則のうち「透明性の確保」を報道分野だけ除外する、などを柱とした「「報道の自由」と両立を/修正試案を本社提言」を5月12日付1面で掲載した。5月13日、[[小泉純一郎|小泉]]首相は、読売試案を参考にして修正協議に入るように[[山崎拓|山崎]][[自由民主党幹事長|幹事長]]に指示。事前了解済みを疑わせる怪しい動きに、ほとんどのメディアがこの読売試案に反発。「特定の大新聞がよければ「青信号」を出せるような法案ではない」(『[[北海道新聞]]』)「読売案は<歴史の汚点>」(月刊『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』)と強い批判を浴びた。
 
* 2002年9月18日、小泉訪朝による[[日朝首脳会談]]では、政治部長署名記事で、「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が[[軍事政権|軍事独裁国家]]である限り、経済協力などできるものではない」と啖呵をきった。しかし、[[1962年]]から[[1965年]]、[[朴正煕]]政権との[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓国交回復]]交渉において、[[金鍾泌]]と日韓国交回復に反対していた党人派[[大野伴睦]]を引き合わせるなどして、[[軍事政権|軍事独裁国家]]に対する経済協力を実現させた黒子役は、読売新聞の渡邉恒雄記者(当時)であった<ref name="Uozumi" />。
 
* [[2003年]]3月、米英による[[イラク戦争]]の開始にあたって、「[[湾岸戦争]]から十二年後の今もなお、大量破壊兵器の廃棄義務を履行していない」(3月9日社説)「[[大量破壊兵器]]を廃棄した、という[[サッダーム・フセイン|フセイン]]政権の主張は、まだ立証されていない」(3月14日社説)「問題の本質は、[[イラク]]の大量破壊兵器が[[テロリスト]]の手に渡る危険性をどう排除するか、である」(3月19日)など、イラク攻撃に賛成する論陣を張った。しかし2004年の米政府調査団による最終報告にて、大量破壊兵器がイラクに存在しなかったことが結論付けられた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/features/gulf2/200410/gu20041007_41.htm イラク大量破壊兵器、開発計画なし…米最終報告]</ref>。
 
* [[2004年]]4月8日に起こった[[イラク日本人人質事件]]報道において読売新聞は、「三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なもの」(4月9日)「三人にもこうした事態を招いた責任がある」(4月10日)「人質の家族の言動にもいささか疑問がある…政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(4月13日)等、人質とその家族を批判する「[[自己責任]]論」の火付け役となる。また4月19日付社会面では、本人の日本帰国費用のほか、政府自治体関係者の活動費まで細かく算定して「自己負担論」を唱えた。だが読売新聞は、[[自衛隊イラク派遣]]で[[サマーワ]]から記者を撤退させた際、「現地の治安が悪化し、外務省から[[航空自衛隊]]の輸送機で撤退を求められたため、利用」(4月15日)した事実を公表したが、帰国費用や政府自治体関係者の活動費を「自己負担」したかどうか、未だ明らかにしていない。
 
* 2004年5月26日、「[[アル・カーイダ]]幹部新潟潜伏」の見出しで記事を掲載。新潟で会社を経営している[[バングラデシュ]]国籍の男性が、国際テロ組織アルカーイダと関連があるかのように報道した。警察の捜査の結果、男性は[[アルカーイダ]]とは無関係と判明。男性は名誉を傷つけられたとして読売新聞東京本社に330万円の損害賠償を求めた。読売新聞側は「記事は警察当局の見方や方針を報じたもの」などと主張したが、1審、2審では読売新聞側の裏付け取材が不十分なうえ、記事の見出しは原告が[[アル・カーイダ]]幹部であると読者に誤解させるものと判断、原告の名誉棄損を認めた。2008年11月25日、最高裁は読売側の上告を棄却したため読売新聞に220万円の支払いを命じた2審判決が確定した。
 
* [[2005年]]、[[デンマーク]]の新聞「[[ユランス・ポステン]]」が、預言者[[ムハンマド]]に関する風刺画12枚を掲載、[[イスラム教徒]]の反発と抗議行動を招いた。ヨーロッパの新聞が、風刺画を転載するなど、「[[表現の自由]]」を訴える中で、[[2006年]]2月11日、読売新聞は、社説「風刺漫画騒動 『表現の自由』には責任が伴う」の中で、「[[風刺漫画]]という表現方法で、権力者や社会事象などを皮肉るのも、報道の範疇だろう。だが、それによって、敬虔な信仰心を傷つける権利までは表現の自由にはない」とし、これ以上[[信教の自由]]を侵してはならないという論陣をはって、どのような風刺画だったのかを一切明らかにしなかった。一見、「信教の自由」を重視したようにみえるが、実は、イスラム教徒の暴力や[[テロ]]を極度に恐れた[[日本新聞協会]]や[[日本雑誌協会]]による、風刺画を転載しない[[申し合わせ]]に従っただけにすぎないことが明らかにされており、暴力への弱腰が厳しく批判された<ref>川端幹人『ダブーの正体! ―――マスコミが「あのこと」に触れない理由』ちくま新書、2012年、70~72頁</ref>。 {{Main|ムハンマド風刺漫画掲載問題}}
 
* [[2007年]]2月16日、[[アサヒビール]]が[[サッポロホールディングス]]に経営統合を提案したとの報道がなされたが、両社ともにそのような事実は無いとして否定した<ref>J-CASTニュース [http://www.j-cast.com/2007/02/16005584.html 「アサヒ・サッポロ経営統合提案」報道を両社否定]</ref><ref>ロイター [http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-24747220070216 アサヒのサッポロへの経営統合提案、両社とも「事実ない」と否定]</ref>。
 
* [[2007年]]6月2日、朝刊の連載小説「声をたずねて、君に」の同年5月28日掲載分について、挿絵が雑誌に掲載された写真を無断使用して描かれていたことが判明。即座に挿絵の掲載を中止し、他にも無断利用がないか調査した結果、7月2日には新たに35点に著作権侵害の疑いがあることが判明した。挿絵を担当したのはイラストレーターの[[中島恵可]]であり、写真の無断使用を認めている。使われた写真は[[高知新聞]]に掲載された32点と読売新聞に掲載された3点。高知新聞の掲載写真のうち、13点は[[共同通信]]、5点は[[時事通信]]、2点は[[主婦と生活社]]の配信であり、読売新聞社は各社に謝罪した<ref>[http://www.j-cast.com/2007/07/03008927.html 読売の挿絵に著作権侵害の疑い 高知新聞などに謝罪]</ref>。
 
* 2007年11月、[[自由民主党 (日本)|自民党]]と[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の間で[[大連立]]内閣を組む構想が持ち上がったが、読売新聞主筆の渡邉恒雄が仲介役として関与していたことが読売新聞以外の各紙報道により伝えられた。読売新聞自体も大連立を推進する報道を行い、構想頓挫について民主党を批判する報道を行った。{{Main|読売新聞の大連立構想関与}}
 
* [[2008年]]1月27日、[[石川県]]版に掲載されたある大学教員の学位を巡る記事に対して、大学から「取材を受けていないのにコメントが掲載されている」という抗議があり調べたところ、金沢支局の記者が大学側に取材を行わず他紙の報道や大学、文部科学省の公表資料などを参考にして記事を執筆し、コメントも「[[土曜日]]で電話がつながらなかったから」という理由で捏造していたことが発覚。記者は休職1カ月の懲戒処分となった<ref>[http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200801310023.html 読売記者、ネット情報だけで記事 休職1カ月処分 金沢]</ref>。
 
* 2008年7月28日、[[青森県]]版に掲載された[[全日本吹奏楽コンクール]]青森県大会関連の記事で、掲載された[[八戸市]]代表楽団長の談話は“岩手県中部の地震被災地関連の記事が必要だ”と考えた青森支局の記者が、楽団名を[[検索エンジン]]で調べて執筆した捏造記事だった(コメントした団長は先任者で楽団とは既に無関係)<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080805/crm0808051201007-n1.htm 読売新聞記者が記事を捏造]</ref>。元団長本人からの指摘で発覚。談話部分は取り消され、執筆記者は休職3ヶ月、伊藤学支局長は譴責の懲戒処分となった。取消・謝罪は「青森版」のみに掲載された。なお、謝罪会見は行われず、執筆者も明らかにされていない。
 
* 2009年3月以降、小沢一郎民主党代表(当時)をめぐる西松建設の[[西松建設事件]]では、検察リークにもとづき小沢批判を紙面で展開する一方、批判に対しては徹底した[[検察庁]]擁護をおこなった。2009年6月11日付けの朝刊社説では、「検察・報道批判は的外れだ」とタイトルをつけ、批判を一蹴。「小沢氏に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。秘書が[[西松建設]]幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定した」と断定したが、「ダミーの政治団体」であることは、西松事件の公判で否定された。もちろん、読売新聞は謝罪・訂正を一切していない。このような、一方的な報道姿勢については、元・読売新聞大阪社会部記者の[[大谷昭宏]]からも、「現状では小沢氏を罪に問える材料は何もなく、事件取材をしている現場記者たちは、無理筋だとわかっている。だから、これまでの犯罪報道なら『贈収賄』や『闇献金』という具体的な容疑で書くのが原則のところを、『政治とカネ』という漠然とした言葉にせざるを得ない。とにかく小沢氏に疑惑をかぶせて批判したというだけの恣意的な報道です。ある現場の記者は、『デスクなど上司からは小沢の悪い記事を書けと要求されるが、何も容疑がないのに何故悪く書けというのか。上司の感覚の方がズレている』と嘆いていた」と批判されている<ref>「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日</ref>。
 
* [[2009年]]5月22日、20日付朝刊のスポーツ面に掲載された記事が[[中国新聞]]からの盗用であることが発覚。読売新聞大阪本社の運動部記者が容疑を認めたため、中国新聞社に謝罪した<ref>[http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052201001190.html 読売記者が中国新聞盗用 野球コラム酷似、謝罪]</ref>。後日、その他の盗用の有無を調査した結果、同じ記者が執筆した4月16日付朝刊のスポーツ面においても、中国新聞の2008年9月11日付のスポーツ面の記事と酷似した表現が数カ所発見され<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0523/OSK200905220174.html 読売記者が記事盗用 中国新聞のプロ野球コラム]</ref>、最終的に8本の記事で盗用が確認された<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200905/2009052700238&rel=y&g=soc 読売記者の記事盗用は8本=諭旨退職など社内処分]</ref>。
 
* 2009年7月23日付け[[世論調査]]記事『「比例は民主」42%、優勢維持…読売世論調査』で、[[麻生太郎]]と[[鳩山由紀夫]]のうち総理大臣にふさわしいのはどちらかを比較するグラフを掲載したが、菅原琢・東京大学特任准教授(先端科学技術研究センター、[[博士(法学)]])は作為的に(基準軸を操作して)麻生の横ばい評に対し鳩山は大きく下落しているように表現したとし、「メディアの信頼性を毀損するもの」と批判している<ref>[http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0907/0907240666/1.php 大手マス・メディアの信用を毀損する読売新聞の世論調査記事][[JANJAN]]2009年7月24日</ref>。
 
* 2010年1月20日付夕刊では、「[[石川知裕]]衆院議員が東京地検特捜部の調べに、(中略)小沢氏に報告し、了承を得ていたと供述していることが、関係者の話でわかった」と、陸山会の虚偽記載について報告し了承を小沢氏から取った、ことを一面でスクープ。新聞・テレビによる「[[陸山会]]の『虚偽報告書』問題」報道をリードした。また2010年10月8日朝刊では、「ブレなかった石川供述」と題し、「小沢氏の公判では、石川議員が供述を翻すことも考えられる。その場合、保釈後も崩れなかった石川供述が再び意味を持つことになる」と、自社のスクープをもちあげ、[[検察審査会]]は、「[[強制起訴]]議決」の有力な根拠に石川供述を挙げるほどであった。だが、担当検事による「供述の捏造」が指摘され、東京地裁は石川供述の採用を却下。すると、2012年3月2日朝刊一面トップで、「地検が問題発覚の約1年前にこの事実を把握しながら、十分な調査を行わず放置していたことがわかった」と、今度は自社のスクープを否定するスクープを報道。読売新聞による2010年1月20日以降の「(虚偽記載について)小沢先生への報告・了承を求めた」の報道についての釈明・訂正・謝罪はなく、その余りのマッチポンプな報道ぶりで呆れさせた<ref>「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日</ref>。
 
* [[2010年]]1月25日の夕刊で、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[幹事長]]・[[小沢一郎]]の政治資金管理団体[[陸山会]]による政治資金収支報告書に関する虚偽・不記載疑惑に関連し、「[[東京地検特捜部]]が押収した(元事務担当の)[[石川知裕|石川]]議員の手帳には、[[水谷建設]]の元幹部らが5000万円を渡したとする04年10月15日の欄に、授受の場所とされるホテル名が記されていた」という記事を掲載した。また、「特捜部はこの手帳の記載を、水谷建設の当時の幹部と面会したことを示す証拠として重視している」と続けた。しかし、実際に手帳に書かれていた数字は「04年」ではなく「05年」であり、さらにホテル名が記載されていた時期も4月だった。読売新聞は翌26日朝刊に訂正記事を掲載し、記事と見出しの当該部分を取り消した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4576867/ 赤っ恥!!日経、読売大誤報]</ref>。
 
* 2010年10月5日付朝刊社説は、[[検察審査会]]による[[小沢一郎]]の[[強制起訴]]議決に賛成する論陣を張った。社説では、[[村木厚子]]をめぐる[[障害者郵便制度悪用事件]]で証拠を[[改竄]]した[[大阪地方検察庁]][[特別捜査部]]主任検事[[前田恒彦]]が、陸山会事件大久保元秘書の取り調べを担当し、調書を作成していたことに対して、ほとんど触れなかっただけではなく、「大阪地検特捜部検事による証拠改竄事件が検察の審査に与える影響も懸念されたが、『強制起訴』議決は改竄疑惑が発覚する前の先月14日だった。無責任な検察審批判は慎むべきだろう」と、改竄の発覚前の議決だから、検察審批判をしてはいけない、という論陣をはり、一部から批判された<ref>「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日</ref>。
 
*2011年3月11日、[[東日本大震災]]による[[福島第一原子力発電所事故]]の被災に対して、原発推進派で多額の広告料を[[東京電力]]からもらっていた読売新聞は、[[放射能]]被害を少なく見せかける虚偽の報道を繰り返した。2011年3月16日には、「『黒い雨』『うがい薬飲め』のデマ」と題して、「放射性物質が雨に溶け込んで降ってくるというのは考えにくい」という[[原子力安全技術センター]]のコメントをのせるなど、放射性物質を含んだ雨水によるホットスポットによる被曝を否定をつづけた。ところが、2011年10月22日、[[千葉県]][[柏市]]の私有地では、毎時57.5シーベルトの高い[[放射線量]]が検出され<ref>[http://archive.is/20121130081852/http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3PbGEUAtRsYJ:www.yomiuri.co.jp/national/news/20111022-OYT1T00707.htm+%E6%9F%8F%E3%80%80%E5%B8%82%E6%9C%89%E5%9C%B0%E3%80%80%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E9%87%8F&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja%E3%80%8C%E6%9F%8F%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%B8%82%E6%9C%89%E5%9C%B0%E3%80%81%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E5%9C%9F%E5%A3%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%82%EF%BC%92%EF%BC%97%E4%B8%87%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%80%8D%E3%80%8E%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%80%8F2011%E5%B9%B410%E6%9C%8826%E6%97%A5]</ref>、10月23日、文科省は「原発事故が原因の雨水」とみとめることとなる<ref>[http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/6000/5055/24/6000_102320.pdf 千葉県柏市内で高い空間線量率が確認された件に関する現地調査の結果について]</ref>。あろうことか、この事件について読売新聞は、2011年5月16日、「[[チェーンメール]]で放射能の[[デマ]]拡散」と題して、ホットスポットとはデマである、と以下のように主張している。
 
{{Cquote|[[福島第一原発]]の事故に関連して、千葉の柏市、松戸、流山と埼玉県の三郷の計4市で、飛び地のように放射線観測地が高くなる「[[ホットスポット]]」が発生しているといううわさがチェーンメールやツイッター、ネット掲示板で広がっている。…… [[日本データ通信協会]]迷惑メール相談センターは「公的機関や報道機関などの根拠のある情報を確認してほしい」と注意を呼びかけている}}
 
なお、コメントを引用された[[原子力安全技術センター]]は、「読売さんが当時どのように取材したのかわからないため答えようがない」としており、東電との癒着だけでなく、取材方法、報道姿勢も問題視された<ref>「半年間住民を見殺しにした大新聞と天下り財団」『日刊ゲンダイ』2011年10月26日</ref>。
 
*[[2011年]][[5月20日]]の朝刊一面トップで、「[[東京電力|東電]]社長に築舘氏」との見出しで、同社の[[清水正孝]]社長が退任し、常任[[監査役]]の築舘勝利が社長に就任すると報じたが<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110520-OYT1T00078.htm 東電社長に築舘氏…赤字1・5兆、清水氏引責]</ref>、実際は[[西沢俊夫]][[常務取締役]]が社長に就任した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110520-OYT1T00712.htm 東電、赤字1兆2千億円…社長は西沢常務が昇格]</ref>。この誤報については、「『ああ、新聞ももう絶望的だな』と思った」「社長にならない人を社長になるって書いちゃった。それもマヌケだけど、この期に及んで社長人事が1面トップ、特ダネだと思っているような人たちが新聞を作っている。それが何よりもマヌケなんです」(烏賀陽弘道)「ワカメや昆布からヨウ素131が10万ベクレル以上検出されたというほうが世界的大ニュースですからね。しかも食べているのは日本人なんです。でも新聞はそれをやらない。感覚がズレている」(上杉隆)「いや狂っていると言ったほうがいい」(烏賀陽弘道)などと、批判を浴びている<ref>烏賀陽弘道・上杉隆『報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪』幻冬舎新書、2011年7月、270頁</ref>。
 
*2011年[[9月2日]]の[[野田内閣]]発足の際、同日付けの朝刊の1面トップで「財務・岡田氏」と乗せ、[[岡田克也]]が財務大臣に内定したと報じたが<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110901-OYT1T01281.htm 小沢氏側近の山岡氏が初入閣、鹿野農相は再任]</ref>、実際には岡田は入閣せず、誤報となった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201109/2011090200827 誤算の「岡田玉突き」=藤井氏の説得不調-閣僚人事]、[[時事通信社]]</ref>。
 
* 2011年10月20日、読売新聞東京本社編集局社会部[[次長]]の[[恒次徹]]記者は、[[自由報道協会]]で行われた[[小沢一郎]][[衆議院議員]]の記者会見において、事前に了解していたはずの「参加者は司会者の指示に従う」というルールを守らず、[[上杉隆]]や[[岩上安身]]と衝突した取材態度が問題視された。恒次記者は、会見の席上、司会者が静止しているにも関わらず繰り返し質問をおこない、ゲストが答えている最中に声をかぶせて持論を展開。主催者側では、動画中継されている記者会見自体を妨害する行為と判断。そこでたしなめた所、恒次記者が「対話がしたいもので…」「小沢さんがきちんと答えない。私たちはこれまでも数々の会見に出席し、追及してきた」と反論したばかりか、公平性を重視し外部のフリーアナウンサーを司会に起用しているにも関わらず、「司会者の司会が不当な場合もある」と司会に責任転嫁したからである<ref>上杉隆『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』PHP新書、2011年、178-183頁</ref>。主催者側の上杉と岩上は激怒。恒次徹社会部次長の「失笑」ものの「不規則発言」「露骨な決めつけ」もあって、ネットでは大いに話題となった<ref>[http://nikkan-spa.jp/78600 読売記者vs上杉隆 小沢会見場外バトルの舞台裏]</ref>。2011年10月27日、読売新聞は、検証記事「本紙記者へ激しい抗議 自由報道協会」で「ルール違反と過剰に騒ぐことは、会見者を追及から守ることにしかならない」と反論。寄付金で賄われ、[[ボランティア]]が運営する記者会見に出席しても、あたかもルールなど守る必要はない、という見解を示して、さらなる自由報道協会側の反発をまねいた<ref>[http://diamond.jp/articles/-/14608 小沢一郎氏会見での「諍い」に関する読売新聞の記事に反論する]</ref>。なお、この事件については、「読売新聞の記者が、国民、つまり読者を見ていないから起きたのです。要するに『会社の方針』だから、そのために一所懸命、取材をやって紙面化してる。…、自説の開陳なんて、本来、会見でやることではない」([[佐藤優 (外交官)|佐藤優]])<ref>石川知裕・佐藤優『小沢一郎はなぜ裁かれたのか』徳間書店、2011年、167頁</ref>などの意見が出されており、読売新聞側を支持する人は、とりわけネット上では2割にとどまるなど、厳しい批判にさらされている<ref>[http://blogos.com/article/23877/?axis=t:1351 読売支持はわずか2割、記者バトルめぐる読者アンケートで明暗]</ref>。
 
*2012年3月15日付『朝日新聞』の朝刊一面トップは、[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]が新人選手へ1億円をこえる契約金を裏金で支出していた、とする報道であった。読売新聞は、同日、朝日新聞の報道にあわせて、ただちに反論記事を掲載。新人選手への1億円以上の契約金の支出禁止は、2007年1月までは、目安に過ぎなかったとした。だが、この反論記事は、「04年に[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]や[[埼玉西武ライオンズ|西武]]が1億円を超えて払っていたことが大きなニュースになって、[[コミッショナー]]に厳重注意を受けて、西武なんか上層部が責任をとった」「あれは何なの? [[野間口貴彦|野間口]]も同じ04年ですよ。その時になんで巨人さん、バックアップしてくれなかったのよ。『ルールじゃないんだよ』と。そう思うじゃないですか」([[小倉智昭]])という反発をうけただけではない。報道各社に「朝日がこんな取材をしているが」と反論文書を配る、読売新聞の「報道のモラル」に反した振る舞いも厳しく批判された。とりわけ、読売新聞の反論の中で失笑を買ったのは、「いま球団が一丸となって東日本大震災を支援しようとする時に、10年も前のことを持ち出すのはいかがなものか」と、[[東日本大震災]]の復興への支援をダシにして、朝日新聞を批判し、裏金報道を封じこめようとする態度であった<ref>[http://www.j-cast.com/tv/2012/03/15125489.html?p=all 巨人・新人契約金「超過」読売新聞が朝日新聞に「もっと取材しろよ!」『J-CASTテレビウォッチ』2012年3月15日]、</ref>。{{Main|希望入団枠制度}}
 
*2012年3月27日、読売新聞は、記者を[[シンガポール]]に派遣し、「『管理会社』実体なし」との見出しで、[[2ちゃんねる]]の管理会社が[[ペーパーカンパニー]]であると報道した。なお、2011年10月に就任した片桐裕・[[警察庁長官]]は、すでに[[生活安全部]]畑出身の樋口建史・[[警視総監]]に指示し、警視庁生活安全部に約20人からなる『2ちゃんねる特捜班』を設置。2011年11月以降、覚醒剤売買の書き込みを放置した麻薬特例法違反幇助容疑で、2ちゃんねるの関係先を捜索している。ただ、「そもそも掲示板の管理人がすべての削除依頼に目を通すことなど不可能。そこで2ちゃんねるでは、複数の人が自警団的に削除をしてきた。犯罪が起きたのは残念だが、一部のユーザーの不届きな行為で、掲示板自体を潰そうとすれば言論統制、[[表現の自由]]の侵害といわれても仕方がない」(ITジャーナリストの[[井上トシユキ]])。週刊ポストは、捜査当局が描く「2ちゃんねる=悪」というストーリーを補完するためだけの、警視庁と読売新聞の二人三脚による、警察リーク記事ではないか、読売新聞はそもそも報道機関ではない、という批判があると報じている<ref>「海外取材までして警視庁『2ちゃんねる潰し』を応援する読売の見識」『週刊ポスト』2012年4月13日号</ref>。
 
*2012年7月25日~26日の夕刊「夏の連ドラ記者座談会」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/tnews/20120725-OYT8T01020.htm 「夏の連ドラ記者座談会(上)」『読売新聞』2012年7月25日夕刊]</ref>は、大きな話題をよんだ。「'''大''' 1位の『[[トッカン]]』は、何と言っても、『お金になんて、殺されないで』というセリフ、キャッチコピーがいいね。市井の市民が税金に追いまくられる姿を描いた、メッセージ性のあるドラマだよ」「'''浅''' このセリフはビシッと決まったね。僕は映画のような映像にはまった。[[井上真央]]も頑張っている」などと、同じ読売グループ内の[[日本テレビ放送網|日テレ]]の連続ドラマについて、なにが良いのかよく分からない「礼賛」がおこなわれたばかりか、連続ドラマとして取り上げた11作品中、[[テレビ朝日]]の作品が1つしか含まれない、異常に偏った連続ドラマ紹介が行われていたためである。当時、テレビ朝日と日テレは、激烈な視聴率争いを展開していた。そのため、読売新聞が日テレに異常な配慮をしたのではないか、と問題視された<ref>『週刊実話』2012年8月16日号</ref>。
 
* [[2012年]]([[平成]]24年)[[10月11日]]付の[[朝刊]]一面トップ記事にて『'''iPS心筋移植''' - 初の臨床応用』の見出しを付けた記事を一面と三面に掲載。[[ハーバード大学]]客員講師・[[東京大学]]客員研究員の[[森口尚史]]が、[[iPS細胞]]を利用して[[心筋細胞]]を作成し、特殊な[[注射器]]で[[心臓]]の30箇所に注入し[[手術]]が成功した、という記事を書いた。しかし2日後の[[10月13日]]の一面記事にて『'''iPS移植は虚偽'''』と見出しを出し「'''おわび'''」を掲載。10月11日朝刊と[[夕刊]]・一部地域の12日朝刊の関連記事に誤りがあったとして、お詫び文を掲載し[[誤報]]を認め、検証記事を10月13日朝刊8面に掲載し、事実上の[[虚報]]を認めた。
 
* [[2013年]](平成25年)[[5月19日]]付朝刊1面および8面にて、[[東京電力]]が[[柏崎刈羽原子力発電所]]1号機と7号機の運転再開を[[原子力規制委員会 (日本)|原子力規制委員会]]に申請する方針を固めたと報道。[[YOMIURI ONLINE]]にも同内容の記事を掲載した<ref>{{Cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130518-OYT1T01329.htm?from=ylist | title = 柏崎刈羽の運転再開申請へ…7月の新基準施行受け | work = [[YOMIURI ONLINE]] | publisher = 読売新聞 | date = 2013-05-19 | accessdate = 2013-05-21 }}</ref>。これに対し東京電力は、そのような事実は無いとして、読売の報道内容を否定した<ref>{{Cite press release | url = http://www.tepco.co.jp/news/2013/1227464_5311.html | title = 平成25年5月19日付(朝刊)読売新聞1面・8面『柏崎再稼働7月申請 東電方針 地元同意課題に』について | publisher = [[東京電力]] | date = 2013-05-19 | accessdate = 2013-05-21 }}</ref>。
 
*[[2017年]]に福島県楢葉町長の発言談話を捏造したと報道された。楢葉町長が「避難先から帰還しない職員は昇格・昇給させないようにする」と発言したという内容だったが、実際は締め切りが迫った記者が取材せずに文面を捏造した。読売新聞は当該記者を懲戒処分にするとお詫びした。<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASK3H3FXLK3HUTIL00C.html 読売記者、福島・楢葉町長の談話を捏造 他紙参考に作成]</ref>
 
* [[2018年]](平成30年)[[1月11日]]付にて、着物販売レンタル会社「[[はれのひ]]」の店舗が突如閉鎖され、多くの新成人が[[成人式]]で[[振袖]]を着られなかった問題で、[[横浜市]]が被害者を対象にやり直しの成人式を開催することを検討していると報道<ref>{{Cite news|title=振り袖被害、横浜市が成人式やり直しを検討|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20180111-OYT1T50000.html|newspaper=[[YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞社]]|date=2018-01-11|accessdate=2018-01-12|archiveurl=http://archive.is/dLDEU|archivedate=2018-01-11}}</ref>。しかし、[[横浜市教育委員会]]は[[信用調査会社]]「[[データ・マックス]]」の取材に対し、「そのような事実はない」と否定し、「現状では被害の把握に努めている段階。市として何をできるか、何かするかどうかも含めて未定」と明言した<ref>{{Cite news|title=振袖トラブル「はれのひ」の波紋 成人式やり直し報道に困惑する横浜市教委|url=http://www.data-max.co.jp/300111_dm1771_2/|newspaper=NETIB NEWS|publisher=データ・マックス|date=2018-01-11|accessdate=2018-01-12}}</ref>。
 
 
 
== 不祥事 ==
 
* 1969年12月14日、[[全日本空輸]]の旅客機と、読売新聞社のレシプロ機が空中衝突した。衝突後も双方の機体は飛行可能であったため、死傷者は出なかった。{{Main|全日空機淡路島空中接触事故}}
 
* [[1975年]]3月25日、創刊当時の『中部読売新聞』の月極め購読料が500円(1部売り20円)と、他の新聞より安く設定されていたため、[[公正取引委員会]]は「不当廉売の疑いあり」として緊急停止命令を[[東京高等裁判所]]に申し立てた。同年4月30日に東京高裁は、公正取引委員会の審決があるまで、月極め812円を下回る価格での販売を禁止する判決を下した。{{Main|読売新聞中部支社#不当廉売問題}}
 
* [[1981年]]9月、読売新聞[[拡販団]]長が[[ピストル]][[密輸]]事件で逮捕される事件が起こった。1981年9月2日付『[[朝日新聞]]』によれば、[[広域暴力団]]の[[住吉連合]]がアメリカからピストルを密輸した事件の第二次摘発が行われ、逮捕者は合計で二八名、押収したピストルは四三丁におよんだ。担当の警視庁捜査四課は、密輸されたピストルの総数を「百丁は越す」としていた。読売新聞の「城西地区」(杉並、中野、渋谷)を担当エリアとする拡張販売団である、武蔵野総合企画社長矢野公久も、「銃刀法・火薬取締法違反」で逮捕された。矢野公久は、池田会宮崎組のナンバー・ツーで、「[[自動式拳銃]]四丁と実弾二百発」を所持していたという。警視庁は、一応、矢野公久の身元を発表したのだが、警視庁詰め[[記者クラブ]]の[[談合]]でほとんど報道されなかったため、「なぜ新聞に一行も出ないのか/読売新聞拡販団長が/ピストル二〇〇丁密輸事件で逮捕」(『[[週刊文春]]』1981年9月10日号)などと厳しい批判をあびた<ref>[http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-0-3-4.html ピストル密輸のテキ屋「拡販団長」の身元を隠す大手紙報道]</ref> 。
 
* [[1990年]][[12月4日]]、東京都[[調布市]]の読売新聞販売店で新聞奨学生の過労死事件が発生した。裁判の結果、[[1999年]][[7月27日]]に[[読売新聞社]]と遺族との間に和解が成立した。{{Main|読売新聞奨学生過労死事件}}
 
* 2004年11月5日、渡邉恒雄の名義とされる[[日本テレビ放送網]]株が讀賣新聞社の実質所有する株式であることを公表し[[有価証券報告書]]を訂正。これを受けて地方のテレビ局24社とラジオ局18社の株式を役員などの第三者の名義で実質保有していることも公表した。その結果、テレビ9社とラジオ3社に対する出資比率が[[マスメディアの集中排除]]の原則における制限を越えていた事実が明らかになった。その後、第三者名義にして制限を逃れる行為が他の全国紙や地方紙でも行われていたことが発覚した{{要出典|date=2011年7月}}。
 
* [[2005年]]5月4日から5日早朝にかけての[[JR福知山線脱線事故]]記者会見の席上、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の事故直後の対応やレクリエーションを中止しなかったことについて、出席した記者が説明を求めて「あんたらはもういい、社長を呼んで」等と罵声を浴びせたり、感情的発言を繰り返していたことが判明。取材モラルに欠けていないかと読者や他のマスコミなどから批判され、特に[[産経新聞]]は『主張』([[社説]])で批判文を掲載した。後に、大阪本社社会部長名で社会面に謝罪文が掲載された一方、当の記者が報じられたことのうちの一部を否定している{{要出典|date=2011年7月}}。
 
* [[2006年]]、[[週刊新潮]]2月16日号の報道において、社主・[[正力松太郎]]が[[中央情報局]](CIA)に買収されその意向に従って行動していたことが明らかにされた。これは[[有馬哲夫]]・[[早稲田大学]][[教授]]が、[[アメリカ国立公文書記録管理局]]によって公開された外交[[機密文書]]を調査した結果判明したもので、大きな反響を呼んだ。「Yomiuri newspaper, Japan.」は「POBULK」というコードネームで表されている<ref>[http://www.trumanlibrary.org/hstpaper/physc.htm Truman Library - Truman Papers: Psychological Strategy Board Files]</ref><ref>[http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html CIA Records - Name Files]</ref><ref>[http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-lexicon.pdf Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files  Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts]</ref><ref>[[有馬哲夫]]『日本テレビとCIA : 発掘された「正力ファイル」』(新潮社 、2006年)ISBN 4-10-302231-0 ISBN 978-4-7966-8475-0</ref>。
 
* 2007年9月12日付の[[ジェイ・キャスト|J-CAST]]ニュースにて、朝日新聞社(asahi-np.co.jp)から[[ウィキペディア日本語版]]の記事項目が大量に修正されていた事実が報道されたが、読売新聞社からは朝日より多い[[特別:投稿記録/210.190.114.39|850件余りの修正]]が行われていたことも同時に発覚した([[特別:差分/3368567|自社項目に対する編集の例]])。読売は[[WikiScanner]]日本語版において、プログラム開発者の「お勧め」として挙げられている<ref>[http://www.j-cast.com/2007/09/12011209.html 朝日からウィキペディア修正820件! 厚労省の8倍の仰天事実 - Jcastニュース2007/9/12]</ref>。
 
* [[2012年]][[1月18日]]の[[奈良県]]版で、殺人罪などが問われている警察官発砲事件の[[裁判員制度|裁判員裁判]]([[奈良地方裁判所]])をめぐり、裁判員に選任された女性のコメントを掲載した<ref>[http://www.j-cast.com/2012/01/19119285.html 裁判員に読売新聞が取材 裁判員法に抵触のおそれ]</ref>。[[裁判員の参加する刑事裁判に関する法律|裁判員法]]102条により、選任された裁判員への接触が禁じられているため、読売新聞の記事は裁判員法に抵触する可能性がある<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120119ddm041040139000c.html 裁判員法:抵触か 奈良の裁判員に読売記者が取材]</ref>。奈良地方裁判所の上田昭典所長は同月20日、読売新聞奈良支局長宛ての抗議文書を送付し、遺憾の意を表明した<ref>[http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201201200156.html 地裁所長、読売新聞に抗議=裁判員取材の記事掲載問題―奈良]</ref><ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120120/t10015431882000.html 裁判員を取材 読売新聞に抗議]</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/20/kiji/K20120120002473410.html 読売に地裁が抗議文 裁判員取材「誠に遺憾」]</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120120/trl12012023160004-n1.htm 裁判員取材の読売新聞に奈良地裁が抗議]</ref>。
 
 
 
== マスコットキャラクター ==
 
=== どれどれ ===
 
* [[2004年]]1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、[[アニメーション]]作家で[[映画監督]]の[[宮崎駿]]([[スタジオジブリ]])の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、2004年[[7月]]、一般公募によって「'''どれどれ'''」という名前が付いた。
 
; 「どれどれ」の特徴
 
* 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。
 
* 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。
 
* [[2005年]]、スタジオジブリのプロデュースによる楽曲『'''どれどれの唄'''』(唄:[[拝郷メイコ]])が発表され、読売新聞の企業CMに使われた。「どれどれの唄」は読売新聞各本社に電話した際、部署に繋ぐ際の保留音にも採用されている。
 
* 因みに、宮崎駿は読売系列の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のマスコットキャラクター「'''[[なんだろう]]'''」も手掛けた。
 
 
 
=== だっち君 ===
 
{{Main|だっち君}}
 
[[2002年]]に読売新聞夕刊のイメージキャラクターとして登場した[[コウモリ]]のキャラクター。当初は夕刊のキャラクターであったが、後に購読申し込みのテレビCMや朝刊こども面のマスコットキャラクターにも起用された。読売新聞グループの[[中央公論新社]]が発行する『[[中公文庫]]』のイメージキャラクターとしても使われている。
 
 
 
== 読売新聞とプロ野球 ==
 
{{Main|読売ジャイアンツ}}
 
日本の[[プロ野球]]ファンの中で最も数が多い巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考える者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない{{要出典|date=2009年5月}}。そのため、巨人軍に「読売」色が前面に出るのを嫌う人達も少なくない(むろん、巨人ファンの大多数が読売新聞の読者というわけでも、あるいは読売新聞の論調を支持しているわけでもなく、あくまで巨人軍という球団のファンであるに過ぎない)。また、読売ジャイアンツの通称としては「巨人」がマスコミも含め一般に浸透しており、「読売」と呼称するのはむしろ[[アンチ巨人]]の立場のファンに多く見られる。
 
* [[1980年]]、ファンから絶大な人気を得ていた[[長嶋茂雄]]が巨人軍監督を解任されると、ファンによる「読売新聞」不買運動が繰り広げられた。
 
* ON対決となった[[2000年]]の[[日本選手権シリーズ]]後、特に九州地方で部数減の傾向となった。以降西部本社・大阪本社管内においては、地元の系列民放テレビ局([[福岡放送]]と[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])への配慮から、それぞれ[[福岡ソフトバンクホークス]]・[[阪神タイガース]]の記事も同等に取り扱うようにしている。
 
* [[2002年]]、球団の経営母体が「株式会社よみうり」から「株式会社読売巨人軍」に変わったことにより、球団の正式名称も「東京読売巨人軍」から「読売巨人軍」に、またビジター用ユニホームの胸文字も、長年使われてきた「TOKYO」から「YOMIURI」に変更された。特にユニホームの変更は反感を買い、東京ドーム右翼席に抗議の横断幕が掲げられたこともあった(「YOMIURI」表記は2004年に廃止されている)。
 
* [[2004年]]、[[日本プロ野球選手会]]による[[ストライキ]]が行われた際に、選手会を糾弾する報道を展開し、ファンの反発を招いた。
 
* 近年は各地のプロ野球本拠地球場([[千葉マリンスタジアム]]など)で「読む声援 読売新聞」の広告看板を掲出するところがある。また、[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|旧ヤンキー・スタジアム]]にも広告看板を出稿していた。
 
* [[2011年]][[11月11日]]、巨人のコーチ人事を巡る[[清武英利]]球団代表と[[渡邉恒雄]]オーナーの騒動では、他の全国紙が大きく取り扱う一方、読売新聞ではスポーツ欄で小さく取り上げられた<ref>[http://www.j-cast.com/2011/11/12112988.html?p=all 「読売新聞1面に期待していたのに」 巨人の「お家騒動」ほぼ無視でガッカリ]</ref>。{{Main|清武の乱}}
 
 
 
== キャッチコピー ==
 
* 900万部の信頼・世界最大の発行部数(1980年代後半)
 
* 1,000万部、読者と拓く新世紀(1990年代)
 
* たしかメディア(1999年)
 
* NEWS!(2002年)※CMキャラクターは[[唐沢寿明]]。
 
* 読者と歩むあすの中部(中部支社)
 
* 中部をみつめ 世界をひらく(中部支社、2010年)※中部発刊35周年の際に使用
 
* 関西で、全国で、世界でNo.1(大阪本社)
 
* action!(西部本社)※西部本社の福岡移転の際に使用
 
* 読む、いま。読む、先。読む、ほんとう。(2003年〜)
 
* 読む、声援(2004年〜)※スポーツ関連の際に使用
 
* その新聞は、読売新聞でありますように。(2006年)※CMキャラクターは[[玉木宏]]。
 
* 世の中を、人の中へ。(2006年)
 
* 今朝の読売新聞をご覧ください。(2009年1月限定)※[[ソフトバンクモバイル]]とのタイアップCM。
 
* もっと、伝えたい。(2009年)※創刊135周年公式キャッチコピー。CMキャラクターは[[AKB48]](メインは[[前田敦子]])。
 
* リアルのチカラ。(2010年)※CMキャラクターは[[EXILE]]のHIRO。
 
* 人が書く、人へ届ける。(2013年)
 
* 明日を、めくる。(2014年)
 
[[コマーシャルメッセージ|CM]]は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の放送局を中心に放送されているが、関東地区では[[TBSテレビ|TBS]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[テレビ東京]]でも放送される場合がある。また、[[近代オリンピック|オリンピック]]中継の際は読売新聞が[[日本オリンピック委員会]]のオフィシャルパートナーである関係で[[テレビ朝日]]系列でも放送される。2009年には[[正月]]限定でソフトバンクの白戸家とタイアップしたCMを放送した。
 
 
 
== 掲載四コマ漫画 ==
 
* [[コボちゃん]](朝刊、[[植田まさし]])
 
* [[オフィス ケン太]](夕刊、[[唐沢なをき]]。[[2012年]]10月1日開始。夕刊では「[[サンワリ君]]」8年ぶりの漫画掲載となる)
 
* [[サンワリ君]](夕刊、[[鈴木義司]] 2004年(平成16年)7月2日休載 )
 
* [[ドッポたち]](夕刊 土曜のKODOMO面)
 
* POPくん(夕刊 水曜のカルチャー面)
 
=== 日曜版 ===
 
* [[アンパンマン|とべ!アンパンマン]](日曜版、[[やなせたかし]]。1994年5月29日終了。)
 
* [[あたしンち]](日曜版、[[けらえいこ]]。[[2012年]]3月11日終了。非4コマ)
 
* [[猫ピッチャー|直球一本勝負 猫ピッチャー]](日曜版、[[そにしけんじ]]。[[2013年]]4月8日開始。非4コマ)
 
 
 
== 発行所 ==
 
[[画像:読売新聞大阪本社東館.JPG|thumb|right|200px|読売新聞大阪本社東館(編集・制作・印刷部門が入居)]]
 
* 東京本社 東京都千代田区大手町一丁目7-1
 
** [[読売新聞北海道支社|北海道支社]] 札幌市中央区北4条西4丁目1
 
** [[読売新聞北陸支社|北陸支社]] 富山県高岡市下関町4-5
 
** [[読売新聞中部支社|中部支社]] 名古屋市中区栄一丁目2-1
 
* [[読売新聞大阪本社|大阪本社]] 大阪市北区野崎町5-9
 
* [[読売新聞西部本社|西部本社]] 福岡市中央区赤坂一丁目16-5
 
** 北九州総本部 北九州市小倉北区米町二丁目1-1
 
=== 印刷工場 ===
 
;読売新聞グループ関連印刷会社
 
'''(福島民友新聞社)'''
 
*[[郡山市|郡山]]
 
'''(読売プリントメディア)'''
 
*[[北区 (東京都)|東京北]]、[[江東区|江東]]清澄、江東木場、[[府中市 (東京都)|府中]]、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見(横浜)]]、[[瀬谷区|瀬谷]]
 
'''(報知新聞社)'''
 
*[[港区 (東京都)|港南]]
 
'''(東海プリントメディア)'''
 
*[[清須市]]
 
'''(読売大阪プリントメディア)'''
 
*[[北区 (大阪市)|大阪北区]]、[[高石市|高石]]
 
'''(メディアプレス瀬戸内)'''
 
*[[尾道市|尾道]]、[[坂出市|坂出]]
 
'''(プリントメディア西部)'''
 
*[[鳥栖市|鳥栖]]、[[北九州市|北九州]]
 
;外部委託
 
* [[北広島市|北広島]]<ref>[[凸版印刷]]系の工場で印刷</ref>、[[帯広市|帯広]]<ref>[[十勝毎日新聞]]の工場にて印刷。</ref>、[[弘前市|弘前]]<ref name="iwanichi">[[岩手日日新聞]]の関連会社の工場で印刷</ref>、[[大和町|仙台]]<ref name="iwanichi"/>、[[栃木市|栃木]]<ref name="iwanichi"/>、[[茨城町|茨城]]<ref name="asagami">[[アサガミプレスセンター]]の工場で印刷</ref>、[[藤岡市|藤岡]]<ref name="光村印刷">光村印刷の工場で印刷</ref>、[[川越市|川越]]<ref name="光村印刷"/>、[[船橋市|船橋]]<ref>[[朝日プリンテック]]船橋工場にて印刷。</ref>[[江東区]]塩浜<ref name="asagami"/>、[[新潟市|新潟]]<ref>[[新潟日報社]]黒埼本社内にある印刷センターにて印刷。</ref>、[[富山市|富山]]<ref>「[[創造の森 越中座|北日本新聞・創造の森 越中座]]」にて印刷。2011年3月21日に、それまで高岡工場(北陸支社内)で印刷していた[[石川県|石川]]・[[富山県|富山]]両県発行分の印刷を引き継いだ(それと同時に最終面左下隅での表記も「'''北陸'''」から「'''富山'''」に変更となった)。</ref>(なお、最終面の左下隅に、印刷された工場の地名が表示されている場合もある)
 
 
 
== 各社の担当地域 ==
 
; 株式会社読売新聞東京本社
 
: [[青森県]]、[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[秋田県]]、[[山形県]]、[[福島県]]、[[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]、[[埼玉県]]、[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]、[[新潟県]]、[[山梨県]]、[[長野県]]及び[[静岡県]]
 
; 株式会社読売新聞東京本社北海道支社
 
: [[北海道]]
 
; 株式会社読売新聞東京本社北陸支社
 
: [[富山県]]及び[[石川県]]
 
; 株式会社読売新聞東京本社中部支社
 
: [[岐阜県]]、[[愛知県]]及び[[三重県]]([[名張市]]、[[伊賀市]]以外)
 
; 株式会社読売新聞大阪本社
 
: [[福井県]]、三重県([[名張市]]、[[伊賀市]]及び[[南牟婁郡]][[御浜町]]、[[紀宝町]]の一部)、[[滋賀県]]、[[京都府]]、[[大阪府]]、[[兵庫県]]、[[奈良県]]、[[和歌山県]]、[[鳥取県]]、[[島根県]]、[[岡山県]]、[[広島県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[愛媛県]]及び[[高知県]]
 
; 株式会社読売新聞西部本社
 
: [[山口県]]、[[福岡県]]、[[佐賀県]]、[[長崎県]]、[[熊本県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、[[鹿児島県]]及び[[沖縄県]]
 
 
 
== 海外取材網 ==
 
{{Colbegin}}
 
; ヨーロッパ
 
* ロンドン(欧州総局)
 
* パリ
 
* ブリュッセル
 
* ジュネーブ
 
* ベルリン
 
* フランクフルト
 
* ローマ
 
* ウィーン
 
* モスクワ
 
* プラハ
 
* アテネ
 
; 北米・中南米
 
* ワシントン(アメリカ総局)
 
* ニューヨーク
 
* ロサンゼルス
 
* メキシコ
 
* ハバナ
 
* リオデジャネイロ
 
; 東アジア
 
* 北京(中国総局)
 
* 上海
 
* 瀋陽
 
* 香港
 
* 台北
 
* ソウル
 
; 東南アジア
 
* バンコク(アジア総局)
 
* マニラ
 
* シンガポール
 
* ジャカルタ
 
; オセアニア
 
* シドニー
 
; 南西アジア
 
* ニューデリー
 
* イスラマバード
 
; 中東
 
* カイロ
 
* エルサレム
 
* テヘラン
 
* イスタンブール
 
; アフリカ
 
* ヨハネスブルク
 
{{Colend}}
 
 
 
== 版立て ==
 
最終版は、[[朝刊]]14版、[[夕刊]]4版。紙面枠外の上部に記載されている。
 
記事・写真の入稿締め切り時刻や、版ごとの配達地域は公表されていない。
 
 
 
== 朝夕刊の別 ==
 
[[北海道]]([[石狩振興局|石狩管内]]、[[上川総合振興局|上川管内]]、[[空知総合振興局|空知管内]]、[[後志総合振興局|後志管内]]、[[胆振総合振興局|胆振管内]]、[[日高振興局|日高管内]])、[[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]、[[埼玉県]]、[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]、[[山梨県]]、[[静岡県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[滋賀県]]、[[京都府]]、[[大阪府]]、[[兵庫県]]、[[奈良県]]、[[和歌山県]]、[[山口県]]、[[福岡県]]、[[沖縄県]]では、一部地域を除いて朝夕刊セット<ref>[http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/yukan.htm popstyle 夕刊購入方法] YOMIURI ONLINE(読売新聞)</ref>。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独である。
 
 
 
なお、静岡県向けの夕刊及び、西部地方向け朝刊に限っては社内事情により、中部支社管内の[[清須市|清須]]工場で印刷しトラック輸送している([[読売新聞中部支社#静岡県向け夕刊を印刷|こちら]]を参照のこと)。
 
 
 
また、沖縄県では東京本社発行版と西部本社発行版が朝夕刊とも空輸で送られ、お昼過ぎから翌朝にかけて配達されている。
 
 
 
さらに、西部本社管轄で統合版地域では、[[佐賀県]]と[[熊本県]]、[[鹿児島県]]では、[[九州旅客鉄道|JR]][[佐賀駅]]・[[熊本駅]]・[[鹿児島中央駅]]のキヨスクで夕刊早版が販売されている他、大阪本社管轄で統合版地域の[[岡山県]]でも、[[西日本旅客鉄道|JR]][[岡山駅]]のキヨスクで夕刊早版が販売されている(岡山・佐賀・熊本・鹿児島3県とも宅配及び番組表の差し替えはなし)。
 
 
 
なお、西部本社管轄の[[大分県]]も[[大分市]]や[[別府市]]、[[中津市]]の一部が朝夕刊セット地域だったが、[[2014年]][[4月30日]]をもって夕刊の発行を休止した。全国紙や[[地方紙]]の夕刊廃止がここ数年続いているが、朝夕刊セット地域で朝刊単独に移行するのは読売新聞では大分県が全国で初の事例になる<ref>その他の全国紙では、[[産経新聞]]が[[産経新聞東京本社|東京本社]]管内の夕刊が[[2002年]][[3月30日]]に、[[毎日新聞]]が[[毎日新聞北海道支社|北海道支社]]管内の夕刊が[[2008年]][[8月30日]]にそれぞれ休廃止された例がある。また[[朝日新聞]]は[[朝日新聞名古屋本社|名古屋本社]]管内の[[土曜日]]の夕刊発行が[[2012年]][[10月13日]]をもって休止された。</ref>。
 
 
 
== 縮刷版 ==
 
読売新聞の[[新聞縮刷版|縮刷版]]は1958年9月号より刊行されており、毎月下旬に発売している。一か月分(東京本社発行最終版=[[東京都|東京]][[東京都区部|23区]]内版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にして発行。全国の[[図書館]]などで閲覧することができる。
 
 
 
書籍の他、[[CD-ROM]]による読売新聞縮刷版も毎月下旬に発売されている。
 
 
 
[[日本図書センター]]より1945年から1948年までの「讀賣報知」「讀賣新聞」紙面の復刻縮刷版が全8巻で刊行されている。
 
 
 
また、通常の縮刷版とは別に、重大事件・事故・災害が起こった際に、関連ニュースを中心とした「特別縮刷版」を発行する場合もある。例を挙げると、[[1995年]][[1月17日]]に発生した[[阪神・淡路大震災]]の際は、1月17日付号外から[[2月17日]]付夕刊まで、普段は縮刷版を発行していない大阪本社発行の最終版紙面からの重要記事を一冊の本にまとめた「大阪読売特別縮刷版 阪神大震災」を発行した。また、[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]の際は、3月11日付[[号外]]から[[4月11日]]付夕刊までの紙面(いずれも東京最終版)からの重要記事を一冊の本にまとめた「読売新聞特別縮刷版 東日本大震災1か月の記録」(ISBN 978-4643110067)を発行した。さらに、[[2016年]][[4月14日]]に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の際には、[[4月15日]]の本震の際に発行した号外から[[4月27日]]付朝刊まで、普段は縮刷版を発行していない西部本社発行の最終版紙面からの重要記事を一冊の本にまとめた「読売新聞特別縮刷版 熊本地震」(ISBN 978-4643160055)を発行している。
 
 
 
== 販売店 ==
 
[[新聞販売店]]の愛称は「'''YC'''」。これは「'''Y'''omiuri '''C'''enter」の略称で、それまでは東京、中部、西部各本社(中部は現在支社格下げ)の管轄地域は「'''YSC'''」('''Y'''omiuri '''S'''ervice '''C'''enter)、大阪本社管轄地域のみ「'''読売IC'''」(Yomiuri '''I'''nformation '''C'''enter)といっていたのを[[2000年]]の創刊125周年達成を機に統合した。近年では新聞の販売のみではなく、YCによる地域に特化した情報を提供する「[[ヨミパラ]]」のような試みも見られる。
 
 
 
== 備考 ==
 
* 中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったことに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに「中部読売新聞」が「読売新聞」になる1988年5月31日付までは、東京本社が[[東海3県]]([[愛知県]]、[[岐阜県]]、[[三重県]])向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県[[遠江国|遠州版]]と共有だった)ため実質的には東京本社発の「中京版」と、中部読売(現中部支社)の発行する「中部読売新聞」が併売された格好だった。
 
* 三重県の[[伊賀国|伊賀地方]]は東京管轄であったが、1988年6月1日に中部読売の読売本体への合流に伴い大阪本社管轄に変更された。伊賀地方は[[京阪神]]通勤圏に近く、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]など他の全国紙が大阪管轄であることを考慮して大阪管轄に切り替わった。[[熊野市]]以南などの[[東紀州]]地方では朝日・毎日など他の全国紙は伊賀地方と同様大阪管轄であるが、読売のみ現在も東京(中部支社)管轄である。
 
* [[北陸地方|北陸3県]]においては、[[富山県]]と[[石川県]]は東京本社傘下の北陸支社管轄となっているが、[[福井県]]は大阪読売発刊までは東京の管轄であった。1952年の大阪読売発刊と同時に、福井県が[[近畿地方]]に近いことから大阪管轄に切り替わった。
 
* [[九州]]及び[[山口県]]においては、1964年の西部本社版発刊以前は大阪本社版が販売されていた。
 
 
 
== 出身著名人 ==
 
{{See also|Category:読売新聞グループの人物}}
 
 
 
== 読売新聞グループの企業・団体 ==
 
{{See|読売新聞グループ本社}}
 
 
 
== 海外特約メディア ==
 
* アメリカ
 
** [[ワシントン・ポスト]]
 
** [[シカゴ・トリビューン]]
 
** [[ニューズデー]]
 
** [[ロサンゼルス・タイムズ]]
 
** [[タイム (雑誌)|タイム]]
 
** [[USニューズ&ワールド・レポート]]
 
** [[スポーツ・イラストレイテッド]]
 
* イギリス
 
** [[タイムズ]]
 
** [[ガーディアン]]
 
** [[エコノミスト]]
 
* フランス
 
** [[フィガロ (新聞)|フィガロ]]
 
** [[レキップ]]
 
* ドイツ
 
** [[ディ・ウェルト]]
 
* オーストラリア
 
** [[オーストラリアン]]
 
* 中国
 
** [[チャイナ・デイリー]]
 
** [[人民日報]]
 
** [[文匯報]]
 
** [[中国新聞社 (中華人民共和国)|中国新聞社]]
 
* 韓国
 
** [[韓国日報]]
 
* アジア各国
 
** [[アジア・ニュース・ネットワーク]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 「第一篇 労働争議 第二章 主要な争議 第一節 読売新聞社の争議」『日本労働年鑑 第22集/戦後特集』1949年 法政大学大原社会問題研究所/第一出版
 
* [[御厨貴]]『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』1997年、[[中央公論新社|中央公論社]]
 
* {{Cite book|和書|author=魚住昭|authorlink=魚住昭|title=渡邉恒雄 メディアと権力|publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-209819-9 |year=2000|ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=佐野眞一|authorlink=佐野眞一|title=巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』|year=1994|publisher= [[文藝春秋]]}}(ISBN 4167340038-上)(ISBN 4167340046-下)
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[読売新聞国際版]]
 
* [[読売新聞ニュース]]
 
* [[ジャパン・ニューズ]]
 
* [[読売ウイークリー]](週刊読売)
 
* [[読売KODOMO新聞]]
 
* [[読売中高生新聞]]
 
* [[スポーツ報知]]
 
* [[日本テレビ放送網]]
 
* [[読売理工学院]]
 
* [[渡邉恒雄]]
 
* [[福島民友]]
 
* [[新聞販売店]]
 
* [[読売ジャイアンツ]](読売巨人軍)
 
* [[竜王戦]]
 
* [[棋聖 (囲碁)]]
 
* [[読売・吉野作造賞]]
 
* [[日本スポーツ賞]]
 
* [[日本ファンタジーノベル大賞]]
 
* [[読売文学賞]]
 
* [[読売演劇大賞]]
 
* [[読売国際漫画大賞]]
 
* [[記者クラブ]]
 
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2019/4/29/ (月) 00:55時点における最新版

読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞英語:Yomiuri Shimbun)

日本の代表的な日刊の全国紙。 1874年 11月2日子安峻らが創刊。初め隔日刊であったが,75年9月から日刊となり,市井の出来事や読み物を中心とした小 (こ) 新聞として部数を伸ばした。明治中期には坪内逍遙,尾崎紅葉,幸田露伴らの入社で文学新聞としても異彩を放ったが,後半からは経営が傾き,1924年2月正力松太郎が買受けた。正力はラジオ版の創設,日曜夕刊や大日本東京野球倶楽部 (読売巨人軍の前身) など,紙面,事業面で積極的な企画を打出し,社運を盛返した。 42年戦時統合で『報知新聞』と合併し『読売報知』と改題。 46年5月『読売新聞』に復題。 77年発行部数日本一を達成した。東京本社,大阪本社,西部本社のほか,北海道支社,北陸支社,中部支社を有す。発行部数は約1020万部で,世界最多を誇っている。



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