西田隆男

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西田 隆男(にしだ たかお、1901年(明治34年)10月12日 - 1967年(昭和42年)9月21日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員労働大臣

来歴

福岡市嘉穂郡稲築町(現・嘉麻市)に生まれる。1924年早稲田大学専門部法科を卒業。炭鉱夫から身を起こし、やがて筑前炭鉱・第二筑前炭鉱の経営者となる。1947年第23回衆議院議員総選挙に旧福岡2区より立候補し当選。民主党に所属する。その後参議院福岡選挙区に転じ2回当選。

政界入り当初は芦田均に近かった。やがて同じ筑豊の同業ライバルである麻生太賀吉吉田茂側近として頭角を顕すと、これに対抗するため鳩山一郎三木武吉の新党運動(日本民主党)に接近し、巨額の資金提供を行ったといわれている。1954年第1次鳩山内閣自治庁長官行政管理庁長官1955年第2次鳩山内閣で労働大臣として入閣。

1967年9月21日死去。享年65。


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