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{{政治家
 
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'''菅 直人'''(かん なおと、[[1946年]]([[昭和]]21年)[[10月10日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[弁理士 (日本)|弁理士]](登録番号:07558)<ref>[http://www.benrishi-navi.com/ 弁理士ナビ]</ref>。'''[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]](13期)'''、[[国のかたち研究会]]設立者・会長、'''立憲民主党'''最高顧問。
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'''菅 直人'''(かん なおと、[[1946年]]([[昭和]]21年)10月10日 - )
 
 
[[厚生省#歴代の厚生大臣|厚生大臣]]([[第1次橋本内閣|第85代]])、[[副総理]]、[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|財務大臣]]([[鳩山由紀夫内閣|第13代]])、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]]、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]])、[[内閣総理大臣]]([[菅内閣|第94代]])、'''[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]代表'''、[[国民民主党代表|民主党代表]](初代・第3代、第8代)、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[政策部会|政策調査会長]]、[[国民民主党幹事長|民主党幹事長]]、民主党代表代行などを歴任した。[[中選挙区制]]時代の選挙区は[[東京都第7区 (中選挙区)|旧東京7区]]、[[小選挙区比例代表並立制]]導入後は[[東京都第18区|東京18区]]および[[比例東京ブロック]]。
 
 
 
== 経歴 ==
 
=== 幼少期 ===
 
[[1946年]][[10月10日]]、[[岡山県]]出身の父・[[菅寿雄]]の勤務先、[[山口県]][[宇部市]]に長男として生まれた。[[本籍地]]は岡山県[[久米郡]][[福渡町]](現在の[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]建部町<ref>岡山市に編入される前に行政区分は[[御津郡]][[建部町]]に一度なっている。</ref>)。父・寿雄は宇部曹達(現[[セントラル硝子]])に勤める[[技術者]](後に[[常務取締役|常務]]<ref name="Zinmeip192">『<small>新訂</small> 政治家人名事典 <small>明治〜昭和</small>』([[2003年]]、編集・発行 - 日外アソシエーツ)192頁</ref>)だった<ref name="kinoshita105">[[木下厚]]著『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』105頁</ref>。母は純子。姉が一人いる。
 
 
 
宇部市立神原小学校を経て[[1959年]][[3月]]に宇部市立琴芝小学校卒業。[[1962年]][[3月]]、宇部市立神原中学校卒業。同年4月[[山口県立宇部高等学校]]へ進学。少年時代は、勉強はできるが運動神経は鈍かった<ref name="ippo3">伊藤雄一郎 『菅直人の一歩』 第3章p90-128 KKベストセラーズ、1996年</ref>。[[幕末]]の[[志士]]・[[高杉晋作]]に憧れていた<ref name="kinoshita105"/>。この頃は父と同じ[[東京工業大学]]に進み、サラリーマン技術者になろうと考えていた<ref name="ippo3" />。 [[1963年]]、高校2年生の夏、父の転勤に伴い菅一家は[[東京都]][[三鷹市]]に引っ越し、[[東京都立小山台高等学校]]2年に[[編入]]。父は再度の転勤で[[三重県]]に引っ越すが菅は姉と[[東京]]に残る。その後、[[津田塾大学]]に入学していた従姉の[[菅伸子|伸子]]が菅家で下宿を始める<ref name="ippo3" />。[[1965年]][[3月]]、卒業。
 
 
 
=== 学生運動から市民運動へ ===
 
同年、東京工業大学[[理学部]]に入学、一年後に応用物理学科へ進学。在学中は[[学生運動]]にのめり込んだ。東工大の同級生によれば、大学の自治会に入り込んでいた[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]に対して菅は「“[[イデオロギー]]では何もかわらない。現実的な対応をしなければ”」と批判し、15人ほどの組織「全学改革推進会議」を立ち上げて[[極左]]系とは違う学生運動を行った<ref>『[[週刊新潮]]』(2010年6月17日号)27頁「菅直人の研究」</ref>{{要高次出典|date=2017年4月}}。この全学改革推進会議は先鋭化していく[[全学共闘会議|全共闘]]や[[日本共産党|共産党]]の支配下にある[[日本民主青年同盟|民青]]とも異なり<ref>蔵前ジャーナル 2009年冬号(No.1016)</ref>{{要高次出典|date=2017年4月}}、大学寄りの体制側グループでもない第4のグループであった<ref name="kino">[[木下厚]]著『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』107頁</ref>。この集団は200人ほどの組織になったとも{{誰範囲2|いわれる|date=2017年4月}}<ref name="kino"/>。
 
 
 
[[日本の学生運動|大学紛争]]の影響で[[卒業研究]]が出来なかったため、紛争が収まった後できちんとやりたいとの自身の意向により一年[[原級留置|留年]]<ref>[https://web.archive.org/web/20110104074622/http://www.titech.ac.jp/topics/news/detail_1168.html?id=topics 本学卒業生が内閣総理大臣に就任](2011年1月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。[[1970年]][[3月]]、東京工業大学理学部応用物理学科を卒業。結婚については[[菅伸子]]を参照。
 
 
 
[[弁理士 (日本)|弁理士]]を目指し、小田島特許事務所に就職。[[1971年]]、弁理士試験に合格。弁理士を志望したのは、[[技術者]]であった父から、会社内での技術者の不遇を聞かされており、本屋で見つけた弁理士の本で関心を持ち、有名企業に就職しても「自分の将来・先が見える等」の理由からだった<ref>『弁理士への道』より</ref>{{要ページ番号|date=2017年8月}}。また、「[[社会運動]]に関わりたい、そのためにはあまり拘束されない自営できる道を確保したい」というのが最大の理由だった<ref name="木下108p">[[木下厚]] 『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』108頁</ref>。1974年に独立して「菅特許事務所」を開設する<ref name="木下108p"/>。その後弁護士となっていた大学の後輩とともに菅・高橋特許法律事務所を設立した<ref name="ippo3" />。
 
 
 
==== 市川房枝立候補運動 ====
 
1971年、東京の地価高騰に疑問を抱き一橋大生の協力を得て土地問題のシンポジウムを開催。1972年の春に「宅地並み課税推進討論集会」を開催し、[[市川房枝]]、[[青島幸男]]、[[青木茂 (参議院議員)|青木茂]]、[[都留重人]]を招く。「よりよい住まいを求める市民の会」と「恐怖の化学物質を追放するグループ」を結成し、市民運動を展開<ref name="ippo3" />。
 
 
 
1973年、市川や青木が代表幹事を務める「理想選挙推進市民の会」から誘われて[[1973年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]を手伝い、その後菅らのグループは市民運動の成果を[[政治]]に反映させたいと考え、[[第9回参議院議員通常選挙|1971年の参議院選挙]]で落選し引退を宣言していた市川に[[第10回参議院議員通常選挙|1974年の参院選]][[全国区制|全国区]]への立候補を依頼。市川は度重なる要請にも応じなかったが、菅らは「市川房枝を勝手に推薦する会」を結成。根負けした市川が立候補を決めたことを受けてグループは「市川房枝さんを推薦する会」を結成し、菅が選挙事務長に就任した<ref name="ippo3" />。20日間余りの[[選挙]]運動で人員の手配や事務管理などを切り盛りした菅は「庶務課長」と呼ばれ、市川は2位当選した。市川が1981年に死去した際、菅は「[[政治家]]としての発言力、信頼性は恐らくナンバーワンで、なにより存在そのものに意味がありました」「私は何ものにも替えがたい貴重な薫陶を受けたと感謝しています」といった言葉を寄せている<ref name="ippo3" />。
 
 
 
=== 政界入り ===
 
==== 無所属立候補 ====
 
市川の支援団体「あきらめないで参加[[民主主義]]をめざす市民の会」の支持を得て、[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙|第34回衆院選]]に[[東京都第7区 (中選挙区)|旧東京7区]]から[[無所属]]で立候補するも次点で落選<ref>[http://www.eda-jp.com/books/usdp/2-1.html 社民連十年史 社会市民連合結成前夜]江田五月公式サイト</ref><ref>[http://go2senkyo.com/precinct/2011092427285.html ザ選挙]{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
 
 
==== 社会市民連合・社会民主連合 ====
 
1977年、[[江田三郎]]の要請を受けて社会市民連合に参加した<ref>[http://www.eda-jp.com/books/usdp/2-3-eda.html 社会市民連合結成]江田五月公式サイト</ref>が、市川房枝から反対され「参加民主主義をめざす市民の会」から退会した<ref name="ichikawa"/>。社会市民連合では江田とともに代表に就任し、[[1977年]]の[[第11回参議院議員通常選挙|第11回参院選]]に[[東京都選挙区]]から出馬したが[[7月10日]]、落選。
 
 
 
翌[[1978年]]、[[田英夫]]らが合流した社市連は[[社会民主連合]]となり、菅は副代表に就任。[[1978年]]度版の[[平凡社]]百科年鑑に市民運動家として掲載された。
 
 
 
[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙|第35回衆院選]]では東京7区(当時)から社民連公認で出馬したが[[10月7日]]に次々点で落選した。この頃は[[経済]]的に苦しく、弁理士業務の傍ら補習塾を開いていた<ref name="ippo3" />。
 
 
 
[[衆参同日選挙|衆参ダブル選挙]]となった[[1980年]]の[[第36回衆議院議員総選挙|第36回衆院選]]では[[6月22日]]、前回を9万近く上回る票を獲得し1位で初当選。当時の[[朝日新聞社]]の[[石川真澄]]記者は、自宅が菅の選挙区の近くだったこともあり、裏方の手伝いをし、当選後も自宅に菅が来ることがあった。些細な雑談の折に、石川記者は「甘いマスクで上手に隠しているが、頭のいい勉強家」であると感じている<ref>[[石川真澄]] 『人物戦後政治 <small>私の出会った政治家たち</small>』 [[岩波現代文庫]] ISBN 978-4006031947、241p。</ref>。[[マスコミュニケーション|マスコミ]]は「政治家の[[秘書]]や二世、[[官僚]]ではなく、[[労働組合|労組]]や[[宗教団体]]の支援も持たない、いわば『顔のない男』が激戦区を勝ち抜いた」「市民選挙の有効性を実証」と書き立てた<ref name="ippo3" />。[[土地]]問題や税制などを中心に、[[政府]]を鋭く追及する[[市民派]]の論客として知られるようになっていった。[[1981年]]には[[丸山ワクチン]]の不認可問題を追及し、後の[[薬害エイズ事件]]につながる官僚との対立姿勢を見せた。
 
 
 
[[1983年]][[12月18日]]、[[第37回衆議院議員総選挙]]で当選(2期目)。 [[1985年]]、社会民主連合副[[書記長]]兼政策委員長に就任。 [[1986年]][[7月6日]]、[[第38回衆議院議員総選挙]]で当選(3期目)。この総選挙で[[社会民主連合]]は4議席を獲得したが、選挙直後に2人ずつ[[日本社会党]]会派と[[民社党]]会派に分かれて所属することになり(その結果民社党会派が[[日本共産党]]会派を数で上回り、議会内ポストを共産党会派に渡すことを阻止した)、菅は社会党会派に属した。この形式は、1990年の総選挙まで続いた。[[1990年]][[2月18日]]、[[第39回衆議院議員総選挙]]で当選(4期目)。
 
 
 
[[1992年]][[6月13日]]、[[PKO国会]]において、[[衆議院]][[本会議]]で[[中西啓介]][[議院運営委員会|議院運営委員長]]の[[解任決議|解任決議案]]に賛成の討論を行ったが、制限時間を過ぎても演説を続け、[[衛視]]に壇上から押し出され降壇させられるなど[[PKO協力法]]の成立に激しく抵抗した。
 
 
 
=== 非自民連立政権から自社さ政権へ ===
 
[[1993年]][[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙]]で当選(5期目)。[[1993年]]に成立した[[細川護熙#細川政権|細川非自民連立政権]]では、衆議院[[外務委員会|外務委員長]]に就任した。
 
 
 
[[1994年]]の社会民主連合が解散。その後は[[新党さきがけ]]に入党。[[村山内閣|村山自社さ連立政権]]では、新党さきがけ[[政策調査会長]]として、政策調整に当たった。当時の[[自由民主党政務調査会|自民党政調会長]]の[[加藤紘一]]とは「[[KKライン]]」と呼ばれ、この時代に「[[住宅金融専門会社|住専]]処理スキーム」が決定。また、さきがけ東京代表として[[1995年]][[統一地方選挙]]や[[第17回参議院議員通常選挙]]で党勢拡大に尽力<ref group="注">参院選で[[東京都選挙区]]で[[中村敦夫]]を擁立、社民連時代から共闘していた[[生活者ネット]]結成以来初の国政選・推薦候補となったが[[田英夫]][[平和・市民]]代表に数万票及ばず次点。</ref>。
 
 
 
=== 初入閣・厚生大臣として ===
 
[[1996年]][[1月]]、村山内閣総辞職後成立した[[第1次橋本内閣]]で[[厚生省#歴代の厚生大臣|厚生大臣]](第80代)として入閣した。[[薬害エイズ事件]]や[[O157]]の集団感染の問題、[[らい予防法]]の廃止と、[[厚生省]]所管の[[国務大臣]]として対応した。
 
 
 
==== 薬害エイズ事件 ====
 
{{see also|薬害エイズ事件}}
 
[[1995年]](平成7年)秋、[[エイズ]][[訴訟]]問題の集会で妻の伸子が[[川田龍平]]と会ったことがきっかけでこの問題に関わるようになる<ref name="ippo1">伊藤雄一郎 『菅直人の一歩』 第1章p10-38 KKベストセラーズ、1996年</ref>。新党さきがけは党を挙げて取り組む方針を決め、菅は自民・社会両党にプロジェクトチーム作りを提案するが拒否される。翌1996年1月の橋本政権発足にあたり、自民党は[[自社さ連立政権]]の[[政策]]合意文として「薬害問題を教訓として再発防止に努める」を提案するが、菅は「教訓といったらもう終わってしまったことのようではないか」と反発、「責任問題を含めて真相究明に努める」と改められた。また[[橋本龍太郎]][[内閣総理大臣|総理大臣]]が行う[[施政方針演説]]に盛り込まれていた自民党案も、合意文に改めさせた<ref name="ippo1" />。前政権の大蔵大臣に代わる重要ポストとしてさきがけが厚生大臣に送り込んだ菅は、[[住宅金融専門会社|住専]]問題処理の難航で[[第136回国会]]後の[[衆議院解散]]もあり得ると考え、3カ月でできることとしてエイズ訴訟の[[和解]]と公的[[介護保険]]導入の2つに絞った<ref name="ippo1" />。
 
 
 
1996年(平成8年)1月23日、菅は11人の専従スタッフによる薬害拡大の原因解明調査班を設置。26日、それまで厚生省が見つからないと繰り返し主張していた、1983年(昭和58年)当時のエイズ研究班による通称「郡司ファイル」<ref group="注">当時の[[厚生省]]生物製剤課長・[[郡司篤晃]]がまとめていたのでこの別名がある</ref>が、3階にある薬務局審査課の書庫で発見された。ファイルの内容は非加熱製剤の危険性を十分認識しているものだった。2月9日に報告を受けた菅は同日夜の緊急[[記者会見]]で発表。発見から2週間かかったことについて「厚生省は建物が大きいので、担当者から大臣のところまでたどり着くのに2週間かかったようだ」とコメントした<ref name="ippo1"/>。この発見について[[飯島勲]]は、内部資料の捜索は前任の[[森井忠良]]が始めたものであり、菅は森井と官僚たちの手柄を横取りしたと主張している<ref>{{cite news|title=「すっから菅総理」のスタンドプレー|url=http://president.jp.reuters.com/article/2011/06/11/77BE92C8-9277-11E0-B097-061F3F99CD51.php|author=飯島勲|newspaper=プレジデント2011/07/04号|date=2011-06-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110612103218/http://president.jp.reuters.com/article/2011/06/11/77BE92C8-9277-11E0-B097-061F3F99CD51.php|archivedate=2017-11-06|accessdate=2017-11-28}}</ref>。一方菅は「資料がわずか3日で見つかるのはおかしい」との質問に「調査班を設置して本格的に調査を始めた。そして見つかった」と答えている<ref name="ippo1" />。
 
 
 
また、[[テリー伊藤]]と対談した当時の[[大蔵省]]官僚(匿名)は当時の菅の指示について、「あいつ(菅)は本当に頭がいいなあとわれわれが驚いたのは、それを小さい単位にしたことですよ。小さく分けた。しかも縦に分けた。(中略)どういう分け方かと言うと、単に班をつくったわけじゃなくて、この部屋のこの[[ロッカー]]はこの3人、このロッカーはあんただけ、というふうに細かく縦に分けたんです。それを全部自分で割り振った。それを表にして突きつけた。文句いいようがなかった。ロッカーが自分の責任になったら、それは探しますよ。(後略)」と述べている<ref>{{Cite |和書 |author = テリー伊藤 |title = お笑い大蔵省極秘情報 |date = 1996-06 |edition =  |publisher = 飛鳥新社 |isbn = 978-4870312937 |series =  |ref = harv }}</ref>。
 
 
 
2月16日、菅は厚生省で[[原告]]や弁護団を前に「菅も官僚も誤る」「謝ってすむ問題ではありませんが、本当に心から、心からお詫びいたします」と謝罪し、頭を下げた。またある女性が持ってきた、息子の[[骨壷]]に跪いて手を合わせ、この光景にすすり泣きの声とともに拍手がわいた。菅が[[厚生大臣]]として厚生省の責任を認めたことで、真相究明を求める[[世論]]が高まった<ref name="ippo1" />。
 
 
 
この事件の菅の処理について、彼の対談の際、[[カレル・ヴァン・ウォルフレン]]らは、日本に初めて[[官僚]]の[[説明責任]]という概念を持ち込み、『アカウンタビリティ』という言葉を定着させたと述べている<ref>{{Cite book|和書
 
|author = カレル・ヴァン・ウォルフレン
 
|year = 1994
 
|title =人間を幸福にしない日本というシステム
 
|publisher = 毎日新聞社
 
|isbn = 4620310190
 
}}</ref>。2月21日に厚生省が公開した薬務局生物製剤課の資料では、1983年(昭和58年)7月4日に、危険な非加熱製剤の取り扱い中止と安全な加熱製剤の輸入を奨励しているのに対し、7月11日の資料は正反対の内容となっていた。この方針転換について、荒賀泰太薬務局長は課の方針ではないとしたが、菅は衆議院厚生委員会で「転換理由を判断できる資料はなく不可解」と答弁した<ref name="ippo1" />。
 
 
 
==== O157とカイワレ問題 ====
 
: {{see also|O157|風評被害}}
 
[[1996年]]8月の[[O157]]騒動の時には「[[大阪府]]内の業者が出荷した[[カイワレダイコン|カイワレ大根]]が原因となった可能性は否定できない」と発表。その直後からカイワレ大根への風評被害が発生し、結果[[倒産]]・[[破産]]するカイワレ[[農家]]や業者(その大半が[[個人事業主|自営業者]]や[[中小企業|零細企業]]であった)が続出、[[自殺]]者まで出る事態となった。しかし、その後の立入検査においては施設、従業員および周辺環境からはO157は検出されなかった<ref>厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー概要】[http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0809/0926-4.html]</ref><ref>厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】1[http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0809/0926-1.html]</ref><ref>厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】2[http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0809/0926-2.html]</ref><ref>厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】3[http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0809/0926-3.html]</ref>ため、菅は[[記者会見]]でカイワレサラダを食べることで、安全性をアピールし、沈静化を図った。一方で「O157以外の通常自然界に存在するはずの[[細菌]]も一切検出されなかったのだから、事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」などと主張した。
 
 
 
その後、東京と[[大阪]]で風評被害を受けたカイワレ大根生産業者らが起こした[[国家賠償]]を求める[[民事裁判]]では、2002年には[[大阪地裁]]が[[判決 (日本法)|判決]]文で「当時のO-157[[感染症]]の発生状況に照らし、これから更なる調査を重ねなければならない状況下において、かかる過渡的な情報で、かつ、それが公表されることによって対象者の利益を著しく害するおそれのある情報を、それによって被害を受けるおそれのある者に対する十分な手続的保障もないまま、厚生大臣が[[記者会見]]まで行って積極的に公表する緊急性、必要性は全く認められなかったといわざるを得ない」として、「中間報告の公表は、相当性を欠くものと認定せざるを得ない」と厚生大臣だった菅および[[厚生労働省]]公表方法の過失と[[風評被害]]を認定した<ref name="saiba"/>。この[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]での判決について、菅は、ホームページ上で「十分な科学的根拠がない」と判決が認定した疫学調査は、集団[[食中毒]]などでは極めて有効な調査方法であるとして「[[裁判官]]の判断は疑問」と反論した<ref>{{Cite web
 
|author=菅直人
 
|date=2002-03-15
 
|url=http://www.n-kan.jp/2002/03/o.php
 
|title=今日の一言
 
|accessdate=2010年9月22日
 
}}</ref>。しかし2004年にも[[大阪高等裁判所|大阪高裁]]の判決では、厚生省の公表によって「被[[控訴]]人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない」「公表方法の選択が政策的判断であるという見地に立つとしても、その判断には逸脱があり違法である」と当時の菅大臣および厚生省の過失を認定し、国側が敗訴した<ref name="saiba">裁判所判例検索システム 該当裁判の判決文[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/771FD6F00CA079F549256D5100317F32.pdf]</ref><ref group="注">
 
[[堺市]]のO157感染とカイワレとの因果関係が争われた裁判における、大阪地方裁判所と大阪高等裁判所による判決の要旨は以下の通り。
 
:* 2002年3月15日 大阪地方裁判所 平成9年(ワ)第2222号 損害賠償請求事件
 
:*: カイワレが原因とする厚生省(当時)の判断は問題があり、厚生労働省に対してカイワレの生産業者に対して損害賠償を命じた。
 
:* [[2004年]][[2月19日]] 大阪高等裁判所 平成14年(ネ)第1531号 損害賠償請求控訴事件
 
:*: 一審の判決を支持し、カイワレが原因とする厚生省(当時)の判断は問題があり、厚生労働省に対してカイワレの生産業者に対して損害賠償を命じた。
 
</ref>。
 
 
 
ほか、[[1996年]]8月、[[シュレッダーダスト]]の大量[[不法投棄]]で問題になった[[香川県]][[豊島 (香川県)|豊島]](てしま)へ、厚生大臣としては初めて現地視察に入った{{要出典|date=2010年7月}}。
 
:* 菅の厚生大臣在任中に、[[基礎年金番号]]制度の導入が[[閣議 (日本)|閣議]]決定された(導入は[[小泉純一郎]]が厚相だった[[1997年]]1月)。そのため、2007年に[[自由民主党 (日本)|自民党]]から[[年金記録問題]](「消えた年金記録」問題)についての責任を問う主張があった<ref>[http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/2007_nenkin.pdf 年金政策のパンフレット] - 自民党[[Portable Document Format|PDF]]ファイル)</ref>。これに対して、菅は問題の原因は基礎年金番号の導入ではなく年金記録の名寄せ作業がしっかりできていなかったためであるとして「言いがかり以外の何ものでもない」と反論した<ref>「菅直人の今日の一言」2007年[[6月1日]]付</ref>。
 
 
 
=== 民主党結党、初代党代表 ===
 
[[1996年]][[9月28日]]、[[新党さきがけ]]の[[鳩山由紀夫]]が[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]を旗揚げすると、これに菅も参加。菅は鳩山と共に[[国民民主党代表|代表]]となり旧民主党がスタートした。結党当初は[[衆議院|衆議院議員]]50人、[[参議院|参議院議員]]5人の計55人が参加した。 [[1996年]][[10月20日]]、初の[[小選挙区比例代表並立制]]での選挙となる[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[東京都18区|東京18区]]より立候補し当選(6期目)
 
 
 
[[1998年]][[4月27日]]に[[新進党]]分党後に誕生した統一会派「[[民主友愛太陽国民連合]](民友連)」と合流し[[民主党 (日本 1998-2016)|新民主党]]を結成、[[国民民主党代表|党代表]]となる。合流当初は衆議院議員98人、参議院議員38人の136人が参加した。
 
 
 
1998年7月12日の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]で27議席を獲得する。参議院は自民党が過半数割れとなり、[[橋本龍太郎]][[内閣総理大臣|首相]]は敗北の責任から[[内閣総辞職]]に追い込まれた。[[内閣総理大臣指名選挙]]では、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]と[[日本共産党]]は第一回投票から菅に投票し決選投票では[[公明党|公明]]・[[改革クラブ (1998-2002)|改革クラブ]]・[[社民党]]・さきがけの支持もあり[[参議院]]では首相に指名されたが、[[衆議院の優越]]により[[衆議院]]の議決で指名された[[小渕恵三]]が首相となった。
 
 
 
1999年(平成11年)に2回行われた[[民主党代表選挙]]で、1月には再選するが[[松沢成文]]と拮抗し、9月には鳩山由紀夫に敗北した。この直後、党政策調査会長に就任した。
 
 
 
=== 二度目の代表就任 ===
 
2000年(平成12年)に党幹事長に就任。同年[[6月25日]]、[[第42回衆議院議員総選挙]]で当選(7期目)。2002年(平成14年)12月に鳩山由紀夫代表が辞任すると、[[岡田克也]]幹事長代理を代表選で破り、党代表に再び就任。[[次の内閣]]の総理大臣にもあわせて就任した(社民連時代は[[社会党シャドーキャビネット]]に入閣しなかった)。[[政治家の年金未納問題]]により辞任に追い込まれる2004年5月10日まで務めた。
 
 
 
==== 民由合併・マニフェストの導入 ====
 
2003年9月26日に[[小沢一郎]]が党首を務める自由党との合同を実現した([[民由合併]])。
 
 
 
同年11月9日の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]では「[[高速道路]]の原則無料化」、「[[小学校]]低学年の30人以下の学級実現」などを[[マニフェスト]](政策綱領)に掲げ、公示前勢力を大幅に上回る177議席を獲得し、[[比例代表]]では自民党を上回った。菅代表は衆院選を迎えるに当たり、時の小泉首相に対し、自民党はマニフェストを[[国民]]の前に提示するかどうかを迫り、期限や事後チェック付きの[[政権]]公約としてのマニフェストと従来の公約との違いを自民党にも明確化するよう迫った<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/156/0018/15607180018026a.html 衆議院会議録情報 第156回国会 予算委員会 第26号]</ref>。小泉首相は、[[政党]]統一の政権公約として期限や事後チェックなどマニフェストとしての扱いを受けることを嫌い明言を避け続けていたが{{要出典|date=2010年8月}}、実際に[[第43回衆議院議員総選挙|2003年衆院選]]が行われることになると、小泉自民党を含む主要政党のほとんどがマニフェストを掲げて選挙戦を戦うこととなり、結果として菅および民主党が日本におけるマニフェスト選挙の定着に大きな役割を果たすこととなる。菅個人は、この[[2003年衆院選]]において初めて[[小選挙区]]のみで出馬し、比例上位優遇で国替えしてきた[[鳩山邦夫]]を破った(8期目)。(鳩山邦夫は[[比例復活]])。
 
 
 
==== 年金未納の発覚と党代表辞任 ====
 
{{see also|政治家の年金未納問題}}
 
[[小泉内閣]]の[[国務大臣|閣僚]]3人の[[国民年金]]未納が相次いで発覚した際、菅は街頭演説で「ふざけてますよね。'''“[[未納三兄弟]]”'''っていうんですよ」と[[自由民主党 (日本)|自民党]]議員を批判し、年金未納問題に火を付けた(“未納三兄弟”は、[[1999年]]に発売された歌『[[だんご3兄弟]]』にちなむ)。年金未納閣僚はその後も続々と発覚した。これをチャンスと捉えて[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[次の内閣]]全員の国民年金納付書を公開して国民にアピールしようとしたところ、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなった<ref>[http://www.47news.jp/CN/200404/CN2004042801004866.html 福田長官ら4閣僚が未納 年金保険料、菅民主代表も]47NEWS 2004年4月28日</ref>。菅は行政側のミスであると何度も主張したが、[[行政]]側がその都度強く否定し、[[マスコミュニケーション|マスコミ]][[報道]]等による[[世論]]により、2004年5月10日に党代表を辞任。しかし、辞任後、[[社会保険庁]]側から間違いを認めて国民年金脱退手続きを取り消したこと、同期間に国民年金の加入者であったことを証明する書面が送付された<ref>[http://www1.dpj.or.jp/news/?num=3322 社会保険庁が菅代表の国民年金脱退手続の誤りを認める]民主党 2004年5月14日</ref>。菅が主張したとおり国民年金の資格喪失は「行政上のミス」によるものであるにも拘らず、事後納付もできないため、未納は解消されず(未納期間2ヶ月)。[[政治評論家]]の[[岩見隆夫]]からは「菅氏の国民年金未加入問題は、本人の申し立て通り『行政上のミス』であった。当時、菅は辞めたほうがいいと書いたことは誤り、お詫びします」としつつ「自身の無年金のおかしさに気付き、対応しなかったのは、政治家としてうかつであった」といった指摘もなされた<ref>2004年7月17日毎日新聞、[[岩見隆夫]]「近聞遠見:菅さんにお詫びします」</ref>。
 
 
 
==== 代表辞任後 ====
 
2004年7月、菅は自己を見つめ直したいという意図から「[[遍路|お遍路さん]]」スタイルで[[四国八十八カ所]]巡りを開始した。これは都合7回に分け、2013年9月に結願した<ref>[http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11771922144.html 歩きお遍路に込めた思い] 菅直人オフィシャルブログ 2014年2月14日付</ref>。
 
 
 
[[2005年]][[4月]]、[[法政大学]][[大学院]]の[[客員教授]]に就任、「[[国民主権]]論」と題して講義を行う(2005年10月まで) <ref>{{Cite web
 
|author=菅直人
 
|date=2002-12-22
 
|url=http://www.n-kan.jp/2004/12/post-613.php
 
|title=今日の一言
 
|accessdate=2011年7月12日
 
}}</ref>。
 
 
 
[[2005年]](平成17年)[[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]([[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|首相]]の[[郵政解散|解散]]による郵政選挙)では、[[東京都]]の民主党候補では僅差ながらも唯一[[小選挙区]]での勝利を果たした。なお、この郵政選挙では、長年の宿敵と言われた[[土屋正忠]][[武蔵野市|武蔵野市長]](当時)が自民党公認(比例単独2位)で立候補し、事実上の[[一騎討ち]]となった。[[郵政民営化]]・刺客選挙を展開して時流に乗る自民党に対し、民主党は党全体が大逆風を受けていたが、菅は勝利し(9期目)東京の小選挙区では唯一の当選者となる(土屋は[[比例復活]])。
 
 
 
同年9月17日民主党敗北を受けて党代表を辞任した[[岡田克也]]の後任を決める党代表選挙に立候補し、[[小沢一郎]]からも本命視されていたものの、投票直前の演説で若き日からの辛酸と情熱を巧みに訴えた若手の代表格[[前原誠司]]に2票差で敗れた。その後、党[[国会対策委員会|国会対策委員長]]就任を要請されたが、これを固辞し、一兵卒として前原民主党を支えると表明した。党代表戦に敗れた後は、[[団塊の世代]]を取り込むための「団塊党」なる運動や、[[バイオマス]]の活用を盛んに提唱し始めた。
 
 
 
=== トロイカ体制時代 ===
 
2006年4月7日、「[[堀江メール問題]]」による前原[[国民民主党執行部|執行部]]総退陣。その後行われた代表選挙に再度立候補し、小沢一郎と激しく争い47票差で敗れた。その後、党代表代行に就任。[[国民民主党代表|代表]]に就任した小沢一郎、[[国民民主党幹事長|幹事長]]の[[鳩山由紀夫]]と菅の3人による[[挙党]]一致体制は'''[[トロイカ体制#転用|トロイカ体制]]'''と呼ばれ、2009年の政権交代の原動力となった<ref name="troika">{{Cite news
 
|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/434673/
 
|title=菅首相の変節 「トロイカ」体制ついに破綻
 
|newspaper=産経新聞
 
|date=2010-9-01
 
|accessdate=2010-9-19
 
}}
 
</ref>。菅は党代表代行として国会論戦について主に担当し、[[国会 (日本)|国会]]での[[代表質問]]、テレビ出演などを積極的にこなした。
 
 
 
;2007年東京都知事選挙
 
[[ファイル:KAN Naoto 2007.JPG|thumb|140px|2007年撮影]]
 
: [[2007年]][[4月]]の[[2007年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]への出馬待望論が民主党内で沸き起こった。背景には民主党が[[東京都議会|都議会]]で[[与党]]だったにも拘らず独自候補の擁立を図る小沢執行部の方針と人選がなかなか決まらぬお家事情があり、党中央の要職にある菅本人が出馬の可能性を否定し続ける中、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]に対抗できる目玉候補として[[朝日新聞]]などにも立候補を促された。しかし「国政に携わり[[政権交代]]を実現する」ため「太陽が西から出ても、出ることはない」と固辞を貫いた。その一方で[[浅野史郎]]前[[宮城県知事]]など党内外の知名度の高い人物に出馬を打診したとされるがことごとく失敗した。この問題では、菅直人と親交関係にある[[五十嵐敬喜]][[法政大学]][[教授]]らが立ち上げた[[市民団体]]「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(現[[都民のハートに火をつける会]])などの説得に応える形で浅野が立候補を決意したことで、民主党は独自候補の擁立を見送って[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などとともに支援に回ることとなったが、浅野があまり都政に精通していなかったことやなかなか決断せず立候補の表明が遅れたこと、さらに[[日本共産党]]が擁立した[[吉田万三]]前[[足立区|足立区長]]との一本化に失敗したことなどが響き、浅野は石原知事に惨敗した。
 
 
 
; ガソリン国会
 
:2008年2月、民主党[[道路特定財源]]・[[暫定税率]]問題対策本部長として、小沢代表のもとで[[ガソリン国会]]の陣頭指揮を取り、国会論戦、テレビ出演、地方視察を行った。この中で自民党の[[二階俊博]]、[[古賀誠]]などを、[[族議員|道路族]]幹部として激しく批判した。
 
 
 
; YKKK
 
:この頃、自民党の[[山崎拓]]、[[加藤紘一]]、[[国民新党]]の[[亀井静香]]としばしば意見交換を交わすなど連携を深め4人の頭文字から「YKKK」と称された。山崎は2008年[[12月14日]]に4人そろって出演した[[テレビ朝日]]系の番組[[サンデープロジェクト]]で「この4人が政界再編の一つの軸となり得る」と語った<ref>時事ドットコム 2008年12月14日 [http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008121400038 「YKKK」政界再編の軸?=山崎、加藤、菅、亀井氏がテレビ出演]</ref>。
 
 
 
2009年5月に小沢一郎が[[西松建設事件]]に関連して自身の[[公設秘書]]が[[逮捕]]された件で党代表を辞任すると、後任の代表となった鳩山由紀夫により、菅は引き続き党代表代行に再任。小沢も代表代行に就任しトロイカ体制は継続された。
 
 
 
=== 鳩山由紀夫内閣 ===
 
[[2009年]][[8月30日]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]で当選(10期目)。2009年9月16日、[[鳩山由紀夫内閣]]発足により、[[副総理]]として入閣、あわせて[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]]・[[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]])および「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(いわゆる[[国家戦略局#国家戦略担当大臣|国家戦略担当大臣]])に就任した。しかし、その後国家戦略相として予算編成の「司令塔」を期待されながら、その役割を果たせていないと鳩山首相から評された<ref>「国家戦略になっていない」 鳩山首相が戦略室の“機能不全”認める」産経、2009.12.2</ref>。政府の新成長戦略策定の主導を果たしたが、[[予算#予算の編成|予算編成]]には間に合わずに出遅れ感を際立たせることにもなった<ref>{{cite news |title=<スコープ>菅氏ようやく主導権 予算編成は出番なく |author= |newspaper=東京新聞 |date=2009-12-31 |url= |accessdate=}} </ref>。
 
 
 
[[2010年]][[1月7日]]、[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|財務大臣]]の[[藤井裕久]]の辞任に伴い、副総理、経済財政政策担当相と兼務する形で、後任の財務大臣に横滑りで就任した。国家戦略担当大臣及び科学技術政策担当大臣は退任し、国家戦略担当相は行政刷新担当相の[[仙谷由人]]が、科学技術政策担当相は[[文部科学大臣]]の[[川端達夫]]がそれぞれ兼務し引き継いだ。財務大臣就任以後も、[[政治主導]]脱官僚をアピールするために、[[財務省 (日本)|財務省]]ではなく引き続き[[総理大臣官邸|官邸]]内の副総理室にとどまり、財務官僚が官邸に通う形にした。
 
 
 
:一方で、国会質疑の場で[[乗数効果]]、消費性向などについての質問を受けると答に窮し、質疑を止めて[[官僚]]を呼ぶ<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/174/0014/17401260014001a.html 第174国会、参議院予算委員会-1号 平成22年01月26日 議事録]</ref>など[[財政政策]]に対する理解の浅さを指摘された場面もあった。
 
 
 
2010年[[3月19日]]、民主党東京都連会長辞任(民主党東京都連通常総会開催まで[[海江田万里]]衆議院議員が民主党東京都連会長職務代行に就任)。
 
 
 
鳩山[[内閣支持率|内閣の支持率]]が低下する中、菅は各種[[世論調査]]で「次期首相にふさわしい人物」の上位に位置する<ref>{{Cite news
 
|url = http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_51994
 
|title = 舛添氏トップ維持、鳩山首相は5位=2位に菅、渡辺氏並ぶ−次期首相候補
 
|newspaper = 時事通信社
 
|publisher =ウォール・ストリート・ジャーナル日本版
 
|date = 2010-04-17
 
|accessdate = 2009-04-17
 
}}</ref>などポスト鳩山の有力候補の一人と目された。
 
 
 
=== 内閣総理大臣 ===
 
[[ファイル:Dmitry Medvedev and Naoto Kan cropped 36th G8 summit member 20100625.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月25日]]、[[第36回主要国首脳会議|第36回主要8か国首脳会議]]にて[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と]]
 
[[ファイル:Naoto Kan and Barack Obama 20100627 3.jpg|thumb|[[2010年]][[6月27日]]、日米首脳会談後の[[記者会見]]にて[[アメリカ合衆国]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]](右)と]]
 
[[ファイル:Sebastian Pinera and Naoto Kan cropped Sebastian Pinera and Naoto Kan 20101114.jpg|thumb|200px|2010年[[チリ|チリ共和国]][[チリ大統領の一覧|大統領]][[セバスティアン・ピニェラ]]]]
 
[[ファイル:2011.4.17日本内閣総理大臣菅直人会見アメリカ合衆国国務長官ヒラリー・クリントン Japanese Prime Minister Naoto Kan meets with U.S. State Secretary Hillary Clinton.jpg|thumb|200px|2011年会見[[アメリカ合衆国]]国務長官[[ヒラリー・クリントン]]]]
 
[[2010年]](平成22年)[[6月2日]]の鳩山首相の退陣表明を受け、後継を選出する民主党代表選挙への出馬を表明。[[6月4日]]、[[2010年6月民主党代表選挙|民主党代表選挙]]に勝利し、同日の[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]によって第94代[[内閣総理大臣]]に指名され、[[6月8日]]に[[明仁|天皇]]に任命され、正式に内閣総理大臣に就任。[[菅内閣]]が発足する。[[6月8日]]の[[総理大臣官邸]]での[[記者会見]]の際には、「[[政治]]の役割は[[国民]]、世界の人が不幸になる要素をいかに少なくする『[[最小不幸社会]]』を作る事だ」と述べた<ref>{{cite news
 
| url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100608/plc1006081715022-n1.htm
 
| title = 【菅首相会見速報】「最小不幸の社会」づくりを目指す
 
| newspaper = 産経新聞
 
| date = 2010-06-08
 
| accessdate = 2010-07-22
 
}}</ref>。
 
 
 
 
 
==== 小沢グループとの党内対立 ====
 
{{See also|2010年9月民主党代表選挙}}
 
鳩山の後任を決める2010年6月の民主党代表選挙において菅が出馬表明すると小沢一郎の党運営に不満を持っていた[[枝野幸男]]、[[仙谷由人]]らが菅支持に回った。[[小沢グループ]]は菅の対抗馬として[[樽床伸二]]を擁立した。菅は樽床に勝利し、反小沢の急先鋒ともいわれた枝野、仙谷をそれぞれ[[国民民主党幹事長|党幹事長]]、[[内閣官房長官|官房長官]]に起用、小沢の意向により廃止された[[政策部会|政策調査会]]を復活させた。また小沢、鳩山代表時代に作成された[[マニフェスト]]の一部修正にも取りかかった。こうして[[政権交代]]の原動力とも言われた[[トロイカ体制#転用|トロイカ体制]]は崩壊し、[[マスメディア|メディア]]から'''"脱小沢"'''と称される路線に傾いていくこととなる。こうした動きを[[世論]]はおおむね評価し、[[内閣支持率]]は約60%という高水準で内閣は発足した。
 
 
 
しかし、就任してまもなく[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の案を参考にして[[消費税]]増税(およびそれを財源にした[[法人税]]減税)を含む税制改革を打ちだしたため、[[中小企業]]や[[個人事業主|自営業者]]を切り捨てるものであるとの批判を浴び、発言が二転三転した<ref>斎藤貴男『消費税のカラクリ』講談社現代新書</ref>。この影響もあってか、7月11日投開票の[[第22回参議院議員通常選挙]]で、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の獲得議席は現有の54議席を大きく下回る44議席にとどまった。この結果、[[参議院]]で過半数を失う[[ねじれ国会|ねじれ]]状態にとなり、菅の党内における求心力は低下した。9月の党代表選に向け、菅は再選に意欲をみせるが、小沢に近い議員グループを中心に[[国民民主党執行部|党執行部]]の参院選敗退の責任を問う声が強まり、小沢擁立の動きも加速した。
 
 
 
こうした中、党の分裂を懸念した前首相の鳩山由紀夫が仲介に乗り出す。鳩山は菅に小沢の出馬見送りと引き換えに枝野幹事長、仙谷官房長官の更迭や小沢の要職での起用、トロイカ体制に輿石参院会長を加えた「トロイカ+1」体制の構築などを菅に要請し<ref>日本経済新聞(2010年8月27日)</ref>、告示直前まで調整が行われたが、菅は密室談合を懸念し両者折り合わず、最後に菅-小沢会談が行われたが、結局物別れに終わった<ref name="troika"/>。鳩山はこれまでの菅続投支持から一転、小沢支持を表明。これを受け小沢は告示日である[[9月1日]]に出馬表明し、代表選での菅との直接対決に突入した。この代表選において<!--両陣営の激しい多数派工作が行われ、立会演説会における動員が指摘される<ref name="mobilization">{{Cite news|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100905-OHT1T00048.htm|title=菅首相に「辞めろ」「出直せ」街頭演説で痛烈ヤジ…民主代表選|newspaper=スポーツ報知|date=2010-09-05 |accessdate=2010-09-08|archiveurl=http://web.archive.org/20100908051720/hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100905-OHT1T00048.htm|archivedate=2010-09-08}}</ref>など激しい選挙戦となった。政策面では-->菅は金銭問題が取りざたされる小沢を意識し、クリーンでオープンな党運営や[[雇用]][[政策]]の重視を主張し、一方の小沢は衆議院総選挙での2009[[マニフェスト]]の順守、地方への紐付き[[補助金]]の一括廃止、早期の[[消費税]]率アップの反対など主張した<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010091100331
 
|title=首相、小沢氏の論戦の主なポイント
 
|newspaper=時事通信社
 
|date=2010-9-11
 
|accessdate=2010-9-19
 
}}
 
</ref>。
 
 
 
小沢の出馬表明当初は党内最大グループを率い、[[政権公約を実現する会|鳩山グループ]]の支持を取り付けた小沢が[[国会議員]]票では優勢との見方もあった<ref>{{Cite news
 
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100827/stt1008270027004-n1.htm
 
|title=【小沢氏出馬】一騎打ちの民主代表選、多数派工作激化 鳩山、羽田両氏が小沢氏支持に
 
|newspaper=産経新聞
 
|date=2010-08-27
 
|accessdate=2010-10-17
 
}}
 
</ref>が、菅は[[世論調査]]で小沢を上回る支持を得たことを背景に攻勢を強め<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0906/TKY201009060411.html
 
|title=【小沢氏出馬】一騎打ちの民主代表選、多数派工作激化 鳩山、羽田両氏が小沢氏支持に
 
|newspaper=朝日新聞
 
|date=2010-09-16
 
|accessdate=2010-10-17
 
}}</ref>、9月14日に国会議員による投開票が行われた結果、小沢を下し再選を果たした<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100914/stt1009141537016-n1.htm 菅首相が小沢氏を破る] 産経新聞 2010年9月14日閲覧</ref>。
 
 
 
[[9月17日]]、[[菅内閣 (改造)|菅改造内閣]]発足。[[内閣改造]]人事では、仙谷官房長官は留任、枝野の後任の幹事長に外相の[[岡田克也]]、岡田の後任の外相に[[前原誠司]]を充てるなど非小沢系が要職に起用され、「脱小沢」を強化
 
した<ref>{{Cite news
 
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100917k0000m010123000c.html
 
|title=菅首相:外相には前原氏起用 党人事は「脱小沢」を強化
 
|newspaper=毎日新聞
 
|date=2010-09-17
 
|accessdate=2010-10-17
 
|archiveurl=http://web.archive.org/20100917073556/mainichi.jp/select/seiji/news/20100917k0000m010123000c.html|archivedate=2010-09-17}}
 
</ref>が、副大臣・政務官人事では小沢グループからも多数起用し、党内融和に一定の配慮を示したとも見られている<ref>{{Cite news
 
|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100921/plc1009211126009-n1.htm
 
|title=【副大臣・政務官人事】閣議決定 小沢系からも登用 党内融和に配慮
 
|newspapeper=産経新聞
 
|date=2010-09-21
 
|accessdate=2010-10-17
 
}}
 
</ref>。
 
 
 
この代表選で再選したことにより[[内閣支持率]]は回復するが、代表選期間中に発生した[[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]への対応が迷走したことなどにより支持率は再び低下に転じた。また[[衆議院|衆院]][[北海道第5区]]補選([[2010年日本の補欠選挙]])や、大型地方選([[2010年福岡市長選挙|福岡市長選挙]]、[[2010年和歌山県知事選挙|和歌山県知事選挙]]、[[2010年茨城県議会議員選挙|茨城県議会議員選挙]])で連敗。統一地方選を翌年春に控えた民主党内の不満が高まっていった。こうした中、[[2011年]][[1月14日]]、菅は内閣改造を行い、[[菅内閣 (第2次改造)|菅第2次改造内閣]]が発足。しかし、[[政権]]の低迷は続き、[[3月6日]]、前原誠司が外国籍の人物から違法献金を受けていた件で[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]を辞職した直後の2011年3月11日、菅自身にも[[外国人]]献金問題([[#在日韓国人違法献金|後述]])が持ちあがった。
 
 
 
==== 諫早湾干拓事業問題====
 
2010年12月15 日には[[諫早湾干拓事業]]に関する緊急に記者会見して堤防の5年間の開門を命じた福岡[[高裁]]の判決について、自身の知見を理由に[[上告]]しないことを表明し、政府に開門を求める判決を確定させた<ref>http://archive.is/S56iP</ref><ref>http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/131111/plt13111120460010-n2.html</ref>。
 
 
 
==== 東日本大震災、福島第一原子力発電所事故 ====
 
{{See also|#東日本大震災、福島原発事故への対応と評価|福島第一原子力発電所事故#日本政府の対応}}
 
[[2011年]][[3月11日]]14時46分に[[東北地方太平洋沖地震]]が発生。[[東日本大震災]]およびそれに付随するかたちで[[福島第一原子力発電所事故]]が発生すると、地震・原子力災害の対策に[[日本国政府|政府]]・[[与党|与]][[野党]]が集中し、菅内閣への退陣運動は一時的に中断し、菅は[[内閣総理大臣]]として災害対策に当たった。
 
 
 
菅は震災発生の翌3月12日に[[自衛隊]]の派遣規模を2万人から5万人に拡大するよう指示し、3月13日には、[[首都直下地震]]への対処計画をもとに、自衛隊史上最大となる陸海空あわせて10万人規模の災害派遣を指示した。5日後の18日には10万人を超える態勢となり、最大時で約10万7千人規模の派遣となった<ref>{{Cite report |author= |authorlink= |coauthors= |date= |title= 平成24年版 防衛白書|url= http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2012/2012/html/n3131000.html|publisher= 防衛省|accessdate= 2012-9-12|}}</ref><ref>{{Cite web |author=谷田邦一|date= 2011-03-20|url= http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2011032000009.html|title= 東日本大震災、史上最大の自衛隊作戦|publisher= 朝日新聞社|accessdate=2012-09-12}}</ref>。
 
 
 
==== 菅おろし ====
 
[[ファイル:日本内閣総理大臣菅直人在G8主要国首脳会議 Japanese Prime Minister Naoto Kan at press conference during the 37th G8 summit in Deauville, France..jpg|thumb|200px|2011.5.27菅直人在G8[[主要国首脳会議]]]]
 
{{Main|菅おろし}}
 
菅は震災の発生を機に[[ねじれ国会|国会のねじれ]]を解消し、[[復興]][[対策]]を円滑に進めるため、[[自由民主党 (日本)|自民党]]に対し[[大連立]]を打診したが、不発に終わった<ref>{{cite news |title=菅首相:自民党に大連立打診、東日本大震災対策で-谷垣氏は拒否(1) |newspaper=ブルームバーグジャパン |date=2011-03-19 |url=http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920019&sid=aLkefzfICJJM |accessdate=2011-06-20}}</ref>。さらに[[第17回統一地方選挙|2011年4月の統一地方選]]で与党が敗北するなど、与党・民主党内でも菅政権に対する不満が募り、[[小沢一郎]]を中心とする[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]一部勢力が「[[菅おろし]]」への動きを活発化させるようになる<ref>{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110411/stt11041103010000-n1.htm | title = 【統一選】小沢氏「菅降ろし」でゴーサインか 小沢派決起へ(1/2ページ) | work = MSN産経ニュース | publisher = [[産経新聞]] | date = 2011-04-11 | archiveurl = http://web.archive.org/web/20110411211310/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110411/stt11041103010000-n1.htm | archivedate = 2011-04-11 | accessdate = 2017-02-28 }}</ref>。
 
 
 
2011年[[6月2日]]、菅の地震・原発災害への対応が不十分であるとして野党の自民・[[公明党|公明]]両党により[[内閣不信任決議案]]が[[衆議院]][[本会議]]に提出・上程。小沢に近い議員を中心に野党の不信任案に同調する動きが強まり、前[[内閣総理大臣|首相]]の[[鳩山由紀夫]]も同調する構えを見せ、一気に不信任決議の可決や党の分裂が懸念される事態となった。
 
 
 
同日、菅は不信任決議投票の本会議を前に鳩山と会談し、自らの退陣を匂わせて不信任決議案に反対させる合意を取り付け、その後の民主党代議士会で「震災対応にメドをつけたら若い人に責任を引き継いでもらいたい」と語った。この発言は辞任を示唆した<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/06/02/04183834.html# 日テレNEWS24]2011年6月2日</ref>と[[報道]]された。これを受けて小沢グループは不信任案に同調する方針を撤回し、当日の衆議院本会議で内閣不信任決議案は否決された。実際、民主党内で不信任案に同調したのは、[[松木謙公]]と[[横粂勝仁]]にとどまった<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=aiUPbmWjWfas 菅首相:「震災に一定のめど」後の退陣表明-内閣不信任案は否決] ブルームバーグジャパン 2011年6月2日閲覧</ref>。
 
 
 
==== 退陣へ ====
 
これ以降、[[内閣官房副長官|官房副長官]]の[[仙谷由人]]など閣内の一部からも早期退陣論が出るようになり<ref>[http://web.archive.org/20110917184540/www.yomiuri.co.jp/feature/20100806-849918/news/20110611-OYT1T00460.htm?from=popin 仙谷氏「身を投げ出してもらう」早期退陣要求] 2011年6月11日14時32分 読売新聞</ref>、菅が退陣した上での大連立を模索する動きもあった<ref>{{cite news |title=退陣後の大連立へ「最低1年は必要」仙谷氏 |newspaper=読売新聞 |date=2011-06-12 |url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110612-OYT1T00284.htm|accessdate=2011-06-20|archiveurl=https://archive.is/vDFF|archivedate=2012-09-19}}</ref>。
 
 
 
菅自身は、自然エネルギー庁構想を掲げ<ref>[http://www.j-cast.com/2011/06/13098213.html 菅首相、「自然エネルギー庁」構想を披露]2011/6/13 12:52 J-CASTニュース</ref>、再生エネルギー法案を通そうと模索し、続投することに意欲をみせた<ref name="spo">[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20110616-791121.html][[日刊スポーツ]]2011年6月16日「孫さんのエールに菅さん「辞めない」サイン」</ref>。
 
 
 
2011年6月15日の「再生可能エネルギー促進法案成立緊急集会」では「国会には、菅の顔をもう見たくないと言う人が結構たくさんいる。それなら、この法案を早く通した方がいい。その作戦でいきます」<ref>http://ieei.or.jp/2015/10/takeuchi151020/</ref>「再生エネルギー法案が成立するまで辞任しない」と発言し、同法案を支持する[[ソフトバンク]]社長[[孫正義]]から称賛された<ref name="spo"/>。
 
 
 
菅のこうした動きに退陣を促した鳩山由紀夫前総理は「ペテン師」と非難し<ref name="菅はペテン師">{{cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/0603/TKY201106030114.html|title=鳩山氏「約束守れなかったらペテン師」 菅首相を批判|newspaper=朝日新聞|date=2011-06-03|accessdate=2011-06-11}}</ref>、日刊スポーツからは[[菅おろし]]のなか「一人菅軍」と称された<ref name="spo"/>。
 
 
 
しかし、与野党からの早期退陣の要求は止まず、6月27日に会見を開き、自らの退陣する条件として、「今年度[[補正予算|第2次補正予算案]]の成立、[[再生可能エネルギー|自然エネルギー]]発電の普及のため「自然エネルギーによって発電した電気を固定価格で買い取る」という固定価格買い取り制度を定める法案<ref>{{Cite web | author = 菅直人 | date = 2011-06-06 | url = http://kanfullblog.kantei.go.jp/ | title = KAN-FULL BLOG 『《次の時代》(1):私と風力発電』 | accessdate = 2011-06-06 }}</ref>の[[電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法|再生可能エネルギー特別措置法案]]の成立、[[特例公債法|特例公債法案]]の成立」を挙げ、これを以て「『一定のめど』に当たる」とした<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0627/TKY201106270576.html
 
|title=首相が辞任3条件明言 具体的な辞任時期は示さず
 
|newspaper=朝日新聞
 
|date=2011-6-28
 
|accessdate=2011-9-02
 
}}</ref>。
 
 
 
同年7月6日に菅は「辞める、退陣するという言葉を私自身、使ったことはない」と述べた<ref>[http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-22056620110706 ロイター]2011年7月6日</ref>。この頃の[[世論調査]]では[[政権]]発足後最低の支持率を記録した<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/07/11/04186168.html 日テレNEWS24]2011年7月11日</ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011071400906 時事ドットコム]2011年7月14日</ref>。<!--7月15日には[[2011 FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子ワールドカップ ドイツ大会]]で決勝戦に進出した[[サッカー女子日本代表|サッカー女子日本代表『なでしこジャパン』]]の応援のため強行日程での現地観戦を菅は検討したが、政府専用機の利用で数千万円の経費がかかるなどの理由で断念した<ref>読売新聞 7月16日(土) [http://web.archive.org/20110718004605/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110716-OYT1T00086.htm 記事]</ref>。-->
 
 
 
2011年8月26日、菅は退陣の条件としていた3法案の成立を受け、「本日をもって[[国民民主党代表|民主党代表]]を辞任し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞する」と辞任を表明した。「厳しい環境のもとでやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。[[国民]]の皆さんのおかげ。私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」と述べた。[[福島第一原子力発電所事故]]について「総理としての力不足、準備不足を痛感した」と振り返った<ref>朝日新聞2011年8月27日、asahi.com2011年8月26日</ref>。
 
 
 
しかし、2001年から2010年にかけて、民主党[[北海道]]総支部連合会が[[朝鮮総連]]傘下の「[[金剛山歌劇団]]」に「歓迎 金剛山歌劇団」広告を毎年50万円を税金が原資の政党交付金が使われていたのが[[産経新聞]]の調査で発覚した。さらに6250万円を北朝鮮関係団体に献金していた菅直人総理大臣は[[2011年]]6月15日に約2年間休眠していた「[[日朝国交正常化推進議員連盟]]」の会合を再開させたが副会長の一人は菅側近で[[竹島 (島根県)|竹島]]の領有権放棄を日本に求める「日韓共同宣言」なるものに署名した[[土肥隆一]]衆院議員であった。同年7月21日には[[中井洽]]元拉致問題担当相が極秘に中国の[[長春]]で北朝鮮の[[宋日昊]]朝日国交正常化担当大使と日朝国交のために会談した。菅直人総理大臣は同年8月29日、2010年11月に起こった[[延坪島砲撃事件]]を受けて凍結していた[[朝鮮学校]]に対する[[高校授業料無償化・就学支援金支給制度|高校授業料無償化]]適用審査手続きの再開を[[高木義明]][[文部科学大臣]]と[[文部科学省]]に置き土産として最後に総理大臣として指示した。<ref>http://www.news-postseven.com/archives/20111010_33063.html</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110829-OYT1T00610.htm YOMIURIONLINE]2011年8月29日</ref>
 
 
 
 
 
同年8月29日に行われた[[2011年民主党代表選挙|民主党代表選]]では、後任の総理大臣には菅の下で[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|財務大臣]]を務めた[[野田佳彦]]が選出された。その日のブログで「再生可能エネルギー促進はライフワーク」とし、植物のエネルギー利用を図るため「『植物党』を作りたい」と記している<ref>{{Cite news
 
|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110831ddm005010124000c.html
 
|title=福島・社民党首:「脱原発」菅首相を党首に「勧誘」 退任あいさつで
 
|newspaper=毎日新聞
 
|date=2011-8-31
 
|accessdate=2011-9-02}}</ref>。
 
 
 
[[9月2日]]の[[野田内閣]]発足に伴い、正式に[[内閣総理大臣]]を辞職。
 
 
 
=== 首相退任後 ===
 
総理大臣退任後の2011年9月、首相経験者として[[鳩山由紀夫]]とともに[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[顧問|最高顧問]]に就任<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110905/stt11090516240007-n1.htm|title=首相経験者の菅、鳩山両氏は党最高顧問に、|newspaper=産経新聞|date=2011-9-05|accessdate=2012-8-19}}</ref>。11月には、自身の支持グループである[[国のかたち研究会]]の会長に復帰した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/1102/TKY201111020615.html|title=菅前首相、議員グループ会長に復帰|newspaper=朝日新聞|date=2011-11-02|accessdate=2012-8-19}}</ref>。
 
 
 
[[2012年]]3月には私的な勉強会である「自然エネルギー研究会」<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/0229/TKY201202290552.html|title=菅氏が「自然エネルギー研究会」 脱原発めざす拠点に|newspaper=朝日新聞|date=2012-02-29|accessdate=2012-8-19}}</ref>、民主党の[[議員連盟]]である「脱原発・ロードマップを考える会」<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120328-OYT1T00810.htm|title=菅前首相ら民主議員、脱原発目指す勉強会発足へ|newspaper=読売新聞|date=2012-03-28|accessdate=2012-8-19}}</ref>を相次いで立ち上げ、2012年6月には「脱原発ロードマップを考える会」において2025年度までに[[原子力発電所]]の稼働をゼロにし、それまでの間は新しい原子力規制組織の審査を前提に、原発の再稼働を認めるとの提言をまとめた<ref>{{Cite news | url =http://www.jiji.com/jc/zc?k=201206/2012062900595 | title = 25年までに脱原発を=民主有志提言 | newspaper = 時事通信 | date = 2012-06-29 | accessdate = 2012-09-14 }}</ref>また、この年に[[国際連合|国連]]の[[ミレニアム開発目標]](MDGs)後の国際開発目標であるポスト2015年開発目標に関するハイレベルパネルのパネルメンバーとして参加している<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/9/0921_07.htm ポスト2015年開発目標に関するハイレベルパネル第1回会合の開催及び菅前総理大臣の参加]</ref>。
 
 
 
2012年12月16日に行われた[[第46回衆議院議員総選挙]]では、民主党への大逆風が吹くばかりか、乗車していた選挙カーが事故を起こし、自身が負傷するなど辛酸を舐めた。なお、この際の交通事故の賠償金は政治活動費から支出された<ref>[http://www.sankei.com/premium/news/170102/prm1701020026-n1.html 「菅直人を応援する会」事故損賠、山尾志桜里氏「ガソリンプリカ」…ザル法でやりたい放題のセンセイ]産経ニュース 2017年1月2日</ref>。[[小選挙区]]で[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[土屋正忠]]に敗れたものの、民主党が獲得した[[比例東京ブロック]]3議席の最後の1議席に辛くも滑り込み、[[復活当選]]した(11期目)<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news/20121217-OYT1T00739.htm 菅さん、万歳なき復活当選「一番重い議席」]YOMIURIONLINE 2012年12月17日</ref>。
 
なおこの時、菅内閣不信任案に賛成し、民主党を離党した[[無所属]]の[[横粂勝仁]]が、菅直人に対抗するため[[神奈川県第11区|神奈川11区]]から鞍替えしたが、落選した。
 
 
 
2013年7月21日に行われた[[第23回参議院議員通常選挙]]で民主党は公示2日前に[[東京都選挙区]]での候補者を[[鈴木寛]]に一本化することになったが、これに対して菅は公認を外されて無所属で出馬することになった[[大河原雅子]]の応援を行ったため、党東京都連は「反党行為に当たる」として処分を党執行部に求め、党役員会は処分を検討することとなった<ref>{{Cite news|url =http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013072300863|title=菅元首相の処分検討=無所属候補支援で-民主|newspaper=時事通信|date=2013-07-23|accessdate=2013-07-24}}</ref>。
 
当初、[[海江田万里]][[国民民主党代表|代表]]と[[細野豪志]][[国民民主党幹事長|幹事長]]は離党勧告を主眼に置いた厳しい処分で臨む方針であり、海江田代表は菅に自主的な離党を迫った<ref>{{Cite news|url =http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130724/stt13072413200007-n1.htm|title=菅元首相に離党勧告 海江田氏が会談、通告 除名辞さずの方針|newspaper=MSN産経ニュース|date=2013-07-24|accessdate=2013-07-26}}</ref>が、菅は「どんな処分も受け入れる」としながらも離党を勧告された途端、「受け入れられない」と拒否。その上、党内からは「厳し過ぎる」との批判が高まり、処分内容が軽減されることとなった<ref>{{Cite news|url =http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130725/stt13072523170013-n1.htm|title=民主執行部 参院選造反の菅直人元首相の除名断念 党員資格停止を提案へ|newspaper=MSN産経ニュース|date=2013-07-25|accessdate=2013-07-26}}</ref>。2013年8月20日、菅への処分は党員資格停止(3ヵ月)に決定し、同時に党最高顧問を解任された<ref>{{Cite news|url =http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/news/20130820-OYT1T00866.htm?from=top|title=菅元首相、党員資格停止3か月に…処分正式決定 |newspaper=読売新聞|date=2013-08-20|accessdate=2013-08-20}}</ref>。
 
 
 
2014年4月には、[[トルコ]]と[[アラブ首長国連邦]]への原発輸出を可能とする[[原子力協定]]承認案の[[衆議院|衆院]][[本会議]]での採決を巡って[[国民民主党執行部|民主党執行部]]の協定賛成の方針に反し、[[辻元清美]]ら党内の[[原子力撤廃|脱原発]]派の議員8人とともに欠席、棄権した。民主党はこの行動により[[大畠章宏]]幹事長名で菅を「注意」とする処分を決定した<ref>[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11086630.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11086630 「民主、造反者に軽い処分 採決欠席の菅元首相ら」 朝日新聞 2014年4月16日]</ref>。
 
 
 
菅の脱原発を巡るこれら一連の行動に、民主党の支援団体の一つで原子力推進の立場をとる[[全国電力関連産業労働組合総連合|電力総連]]などは激しく反発しているとされる<ref>『毎日新聞』2013年[[7月20日]] [http://senkyo.mainichi.jp/news/20130720ddm005010034000c.html 2013参院選:揺らぐ・組織票の今/下 労組 逆風、足並み乱れ 毎日新聞 2013年07月20日 東京朝刊]</ref>。
 
 
 
2014年12月14日に行われた[[第47回衆議院議員総選挙]]では、再び自民党の[[土屋正忠]]に小選挙区で敗れたものの、前回と同様に比例東京ブロックで最後の1議席を獲得し、復活当選した(12期目)<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/shugiin/345588/|title=菅元首相 寂しすぎる復活当選|newspaper=東スポWeb|date=2014-12-15|accessdate=2017-12-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sp.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2014/news/20141214-OYT1T50095.html|title=菅直人元首相、比例選で復活当選
 
|newspaper=ヨミウリ・オンライン|date=2014-12-15|accessdate=2017-12-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.zakzak.co.jp/smp/society/politics/news/20141215/plt1412150833004-s.htm|title=菅元首相、最後の475番目の議席で復活当選  言葉詰まらせ...|newspaper=zakzak|date=2014-12-15|accessdate=2017-12-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://m.huffingtonpost.jp/2014/12/14/kan-naoto-election_n_6324436.html|title=菅直人元首相が475番目の当選 午前3時ごろに比例復活|newspaper=HUFFPOST|date=2014-12-14|accessdate=2017-12-30}}</ref>。
 
 
 
==== 民進党成立後 ====
 
 
 
2016年3月、民主党は維新の党などと合流し、党名を民進党に改称、菅は民進党の所属となった。同年9月に行われた[[2016年民進党代表選挙|民進党代表選挙]]では「若手候補を支えたい」と語り、20人の推薦人確保に苦慮していた若手候補の[[玉木雄一郎]]の推薦人に名を連ね支援した<ref>{{Cite news |title=菅直人元首相が玉木雄一郎国対副委員長の推薦人に「若手候補支えたい」 |newspaper=産経新聞 |date=2016-9-9|url=http://www.sankei.com/politics/news/160902/plt1609020027-n1.html|accessdate=2017-10-05}}</ref>。この代表選の結果、選出された[[蓮舫]]を代表とする体制の下で党最高顧問に復帰する。
 
 
 
2017年9月1日に行われた蓮舫の後任を選出するために行われた[[2017年民進党代表選挙|民進党代表選挙]]では[[前原誠司]]と[[枝野幸男]]が名乗りを上げ、[[保守]]対[[社会自由主義|リベラル]]の対決とも評される<ref>{{Cite news |title=代表選、保守VSリベラル 前原氏と枝野氏 |newspaper=毎日新聞 |date=2017-08-06 |url=https://mainichi.jp/articles/20170806/k00/00m/010/120000c |accessdate=2017-10-05}}</ref>中、菅は党内リベラル派が支援する枝野の推薦人に名を連ね<ref>{{Cite news |title=民進党代表選告示 推薦人、支持層を反映 保守とリベラル系に |newspaper=毎日新聞 |date=2017-08-22 |url=https://mainichi.jp/articles/20170822/ddm/005/010/108000c|accessdate=2017-10-05}}</ref>支援したが、選挙の結果、前原が勝利した。
 
 
 
==== 立憲民主党成立後 ====
 
 
 
同年9月28日、前原は衆議院解散後に行われた民進党常任理事会において、党として比例代表を含め公認候補を擁立せず、[[希望の党]]に公認申請を依頼し、事実上希望の党と合流することを提案、党常任理事会が承認<ref>{{Cite news|date=2017-09-28|url=https://www.jiji.com/jc/amp?k=2017092800383|title=前原氏「希望に合流」表明=民進、常任幹事会で了承【17衆院選】|newspaper=時事ドットコム|accessdate=2017-09-28}}</ref>。さらに、その後行われた両院議員総会において、全会一致で採択される。これにより民進党は事実上の「解党」と受け止められた<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170928/k10011160191000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_031 民進 事実上の新党合流を了承 両院総会で]NHK 2017年9月28日</ref>。しかし、希望の党の代表である[[小池百合子]]は民進党全体との合流は否定し<ref>[https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170930/ddm/003/010/105000c 衆院選2017:希望、排除の論理 小池氏「全員受け入れ、さらさらない」 民進、広がる反発]毎日新聞 2017年9月30日</ref>、[[安全保障関連法]]の容認と憲法改正などを条件に掲げ民進党の左派、リベラル系議員を排除すると断言<ref>{{Cite news |title=「民進左派は排除する」小池百合子氏明言 維新は東京で擁立見送りへ |newspaper=産経新聞 |date=2017-09-30 |url=http://www.sankei.com/politics/news/170930/plt1709300015-n1.html|accessdate=2017-10-05}}</ref>、菅らも希望の党との合流を拒否されるとの見方が強まった<ref>{{Cite news |title=菅元首相と枝野氏は公認せず 希望が方針|url=http://www.asahi.com/articles/ASK9Z6DCQK9ZUTIL027.html|newspaper=朝日新聞 |date=2017-10-01}} </ref>。
 
 
 
こうした動きに反発した民進党のリベラル系議員は希望の党への合流を拒否し、10月2日には枝野幸男を代表とする新党『[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]』が結成された<ref>{{Cite news |title=枝野氏、新党「立憲民主党」結成を表明|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2017-10-2|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21781280S7A001C1000000/}} 2017年10月2日閲覧</ref>。菅は枝野の呼びかけに応える形で同党への参加を表明<ref>{{Cite news |title=「立憲民主党」を結成 民進分裂、菅・長妻氏参加へ|date=2017-10-2|url=https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171003/ddm/001/010/154000c|newspaper=毎日新聞 |accessdate=2017-10-05 }}</ref>、同日、民進党を離党し、翌3日に出された設立届には枝野幸男、[[長妻昭]]、[[赤松広隆]]らとともに同党の設立メンバーとして名を連ねた<ref>{{Cite news |title=「立憲民主党」設立 東京都選管に届け出 全国で候補擁立 |newspaper=北海道新聞 |date=2017-10-03 |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/136205|accessdate=2017-10-05}}</ref><ref>{{cite news|title=衆院選、3極走る 公示まで1週間|newspaper=日本経済新聞|date=2017-10-03|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21818450T01C17A0MM0000/}}</ref><ref>{{cite news|title=立憲民主の擁立 50人規模見込む|newspaper=東京新聞|date=2017-10-04|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201710/CK2017100402000120.html}}</ref>。[[第48回衆議院議員総選挙]]では立憲民主党公認で東京18区から立候補<ref>[http://www.sankei.com/politics/news/171004/plt1710040118-n1.html 【衆院選】菅直人、海江田万里、長妻昭の3氏 予断許さぬ厳しい戦い 枝野新党立憲民主党から出馬も… - 産経ニュース]</ref>。自民党の[[土屋正忠]]、希望の党が擁立した元[[テレビ東京]]記者の鴇田敦らを破り13選<ref>[http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/kaihyo/A13.html#Area018 東京-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/uploads/h29syuu_kouhou_tokyo18.pdf |title=平成29年 衆議院(小選挙区選出)議員選挙公報(東京都第18区) |format=PDF |publisher=東京都選挙管理委員会 |accessdate=2017-12-22 }}</ref>。7年ぶりに小選挙区議席を奪還した<ref>[http://www.sankei.com/politics/news/171023/plt1710230087-n1.html 【衆院選】東京18区 立民、菅直人氏当選確実「野党一本化による勝利」]産経新聞2017年10月22日付</ref><ref>[http://www.hochi.co.jp/topics/20171023-OHT1T50077.html 菅直人氏「土菅戦争」僅差で制し小選挙区で勝利「特にうれしい」]スポーツ報知2017年10月23日付</ref>。
 
 
 
== 政策・主張 ==
 
; 最小不幸社会
 
「最小不幸社会」を基本的な政治理念としている<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201006/08kaiken.html 「菅内閣総理大臣記者会見」、首相官邸公式サイト、平成22年(2010年)6月8日]</ref><ref>[http://n-kan.jp/news/11976.html 「原点に立ち戻って、立憲民主党で戦います」、菅直人公式サイト、2017年10月5日]</ref>
 
 
 
; 経済政策
 
* [[日本の経済|日本経済]]の活性化のためとして[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)への参加を打ちだし<ref>{{Cite news | title = 消費税とTPP「6月めどに方向性」 菅首相、年頭会見で表明 | newspaper = 産経新聞 | date = 2011-01-05 | url = http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110105/mca1101050501000-n1.htm | accessdate = 2011-06-20 }}</ref>、賛否両論を引き起こしたが[[東日本大震災]]の影響により先送りされた<ref>{{Cite news | title =【東日本大震災】TPP参加判断先送り 政府が閣議決定 | newspaper = 産経新聞 | date = 2011-05-17 | url = http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110517/mca1105171127015-n1.htm | accessdate = 2011-06-20 }}</ref>。
 
* 2010年9月14日に行われた代表選で再選された翌日、日本では6年ぶりとなる[[外国為替平衡操作|為替介入]]を実施。菅は翌週に行われた英紙[[フィナンシャル・タイムズ]]との[[インタビュー]]で、為替に急激な変化があれば、外為市場への介入は「不可避」との考えを示し、「[[経済政策]]、[[金融政策]]など、トータルとして為替が低い水準になるような結果をもたらす[[政策]]が必要だと思う」と述べている<ref>{{Cite news | url = http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-17329520100922 | title = 為替に急激な変化あれば介入せざるを得ない-菅首相=FT紙 | publisher = ロイター | date = 2010-09-21 | accessdate = 2010-10-17 }}</ref>。
 
 
 
;諫早湾干拓事業
 
{{Main|諫早湾干拓事業}}
 
総理大臣就任前から[[諫早湾干拓事業]]を[[自然環境]]保全や[[公共事業]]削減の観点で批判している<ref name="kan201311128">{{cite news |title=菅首相、諫早湾干拓訴訟の上告断念を表明 |author= |newspaper=日テレNEWS24 |publisher=日本テレビ |date=2010-12-15 |url=http://www.news24.jp/articles/2010/12/15/04172427.html |accessdate=2012-11-04}}</ref>。2010年[[12月15日]]、[[福岡高等裁判所|福岡高裁]]で[[諫早湾干拓事業]]についての上告審で、国側の[[敗訴]]となる5年間の水門開放命令がでると[[内閣総理大臣]]に就任していた菅は、福岡高等裁判所の[[判決 (日本法)|判決]]について[[上告]]を断念すると表明した<ref name="kan201311128"/>{{要高次出典|date=2017年4月}}。当時の[[諫早市]]長や[[雲仙市]]長、[[長崎県知事]]は地元に何の相談もなく、今まで国策として勧められた干拓事業の大きな見直しを発表されたとして、強く反発し<ref name="KAN20131117FE"/>、[[仙谷由人]][[内閣官房長官|官房長官]](当時)や[[鹿野道彦]][[農林水産大臣|農水相]](当時)が菅を説得しようとしたが菅は持論を変えようとしなかった。水門の開放が決まったことで、300億円を超える追加事業が必要となった。門開放によって広範囲の塩害・水害が想定されることが危惧される一方、適切な対策をとれば大きな悪影響は出ないとする見方もある<ref>[http://www.wwf.or.jp/activities/upfiles/isahaya_kaimon201104.pdf 諫早湾開門 本当に大丈夫なの? - WWFジャパン]</ref>。また、2013年には長崎地裁で、開門によって多くの農業関係者だけでなく水産資源回復を望む漁業関係者まで生活基盤が危機に晒されるとして、開門差し止めの仮処分判決が出た<ref name="KAN20131117FE"/>。これによって[[農林水産省|農水省]]は2つの矛盾した判決の板ばさみに苦悩することとなった<ref name="KAN20131117FE">翻弄された諫早干拓〜開門期限あと半年 菅元首相が残した時限爆弾 msn産経ニュース 2013年6月17日配信 2013年11月17日閲覧</ref>。また、開門派の地元住民を説得する機会が失われて<ref>https://thepage.jp/detail/20131128-00000006-wordleaf</ref>、話が拗れたため[[諫早市]]自治会連合会長<ref>http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/131111/plt13111120460010-n4.html</ref>や諫早市の[[宮本明雄]]市長は長崎県知事([[中村法道]])や地元住民代表らが官邸に上告しないことを宣言する直前に会ったところ、野党時代に開門派の市民活動家と訪れ、現地の職員を「開けなさい!」などと怒鳴りつけていた頃の知識しかなかったことに触れ2013年に批判している<ref>http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/131003/plt13100310530008-n4.html.</ref>。
 
 
 
; 教育・国旗・国歌
 
* [[教育]]に関しては、[[安倍晋三]]当時首相が掲げた「公教育の改革」を引き合いに、教育は人事権の強化の問題ではないと述べた。また「[[日本教職員組合|日教組]]と[[文部科学省]]はよく似ているというのが実感」、「型にはめようとしてうまく行かなければ[[事なかれ主義]]」、「私は元々文部省、日教組同時解体論者」と述べている<ref>{{Cite web | author = [[ビデオニュース・ドットコム]] | date = 2006-12-22 | url = http://www.videonews.com/asx/marugeki_free/300/marugeki300-1_300.asx | title = マル激300回記念特別番組 2006年これだけは言わせろ! | accessdate = 2011-10-10 }}</ref>。
 
* 1999年7月[[衆議院|衆院]][[本会議]]、所属する[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[党議拘束]]が外された[[国旗及び国歌に関する法律|国旗国歌法案]]の議決の際、民主党の一部議員や[[日本共産党|共産党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]と同じく、法案に反対した。また[[鳩山由紀夫内閣]]発足後初の[[国務大臣|閣僚]][[記者会見]]では、他の一部閣僚と同様、登壇・降壇時共に会見場に掲揚された[[日本の国旗|国旗]]に礼をしなかった。こういった経緯もあり、[[保守]]系勢力からの批判が多い。なお、首相就任後に行われた[[2010年]]([[平成]]22年)[[6月14日]]の衆議院本会議での[[代表質問]]に対する答弁では「今は常に国旗があるところではきちんと敬意を表し、[[君が代|国歌斉唱]]もしている」と述べている<ref>{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100614/plc1006141601010-n1.htm | title = 首相「国旗大好き。国歌も嫌いではない」? | newspaper = 産経新聞 | date = 2010-06-14 | accessdate = 2010-06-26 }}</ref>。
 
 
 
; 憲法
 
* [[憲法改正論議]]に対しては、[[野党]]の党首であった2004年に「日本の国のあるべき姿を示す新たな憲法を作る」とした「[[創憲]]」を唱えており、「憲法発布から60年目に当たる2006年までに国民的運動を集約する形で[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]として新たな憲法のあり方を[[国民]]に示せるようにしたい」と主張していた<ref name="speech2004">[http://www.eda-jp.com/dpj/2004/040113-kan.html 民主党2004年度定期大会 菅直人代表挨拶]</ref>{{要高次出典|date=2017年4月}}。
 
* [[日本国憲法第9条|憲法9条]]に関しても[[2000年]]時点において、「[[自衛隊]]は現実には[[軍隊]]だと思う。[[専守防衛]]という目的をきちんとしたうえで、それに対応する軍隊は認めるべきだ」と述べ、改正する場合は自衛隊を軍隊と位置づける考えを明らかにした<ref>朝日新聞 2000年09月14日朝刊</ref>。
 
*ただし、保守派の[[安倍晋三]]総理大臣のもとで改憲議論が高まった[[2017年]]、菅直人は[[平和主義]]と[[専守防衛]]の徹底の観点から、[[集団的自衛権]]の行使容認には否定的であること、集団的自衛権を認める憲法改正案には反対であることを改めて表明している<ref>[http://n-kan.jp/news/12041.html 菅直人、「立憲民主党と自民党のガチンコ勝負」、菅直人公式サイト、2017年10月19日]</ref>。集団的自衛権については、民主党・民進党時代から[[第3次安倍内閣]]の[[平和安全法制]](集団的自衛権の一部容認含む)に反対しており、同法制は「専守防衛を逸脱し立憲主義を破壊する(憲法9条に違反する)」ものであるとして、立憲民主党においても廃止することが党の公約に含まれている<ref>[https://cdp-japan.jp/gallery/ 立憲民主党公式サイト、「政策パンフレット」参照]</ref>。
 
 
 
; 女性の権利
 
* 2002年に選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する<ref>第123回国会 - 衆議院 - 法務委員会 - 15号 平成4年6月19日 </ref><ref>[http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/asahitodai/ 2017年衆院選、候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)]</ref>。
 
 
 
; クール・ジャパンの海外展開
 
* [[クールジャパン]]の海外展開を閣議決定した<ref>{{PDFlink|[http://www.kantei.go.jp/jp/sinseichousenryaku/sinseichou01.pdf 「新成長戦略」について 平成22年6月18日 閣議決定]}}(首相官邸)</ref>{{要高次出典|date=2017年4月}}。
 
 
 
; 外交・安全保障
 
[[ファイル:Naoto Kan 20100627.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月27日]]、日米首脳会談後の記者会見にて]]
 
[[ファイル:2010.6.27日本内閣総理大臣菅直人会見大韓民国大統領李明博 Japanese Prime Minister Naoto Kan meets with Republic of Korea President Lee Myung-bak.jpg|thumb|200px|会見[[大韓民国]][[大統領 (大韓民国)|大統領]][[李明博]]]]
 
*[[日本における外国人参政権]]については、「(地方に関する付与は)憲法上は禁止されていない」としながらも、「[[安全保障]]上の問題も含め、様々な意見があることは承知しており、各党各会派で、しっかり議論していくことが必要だ」とも述べ慎重姿勢を見せている<ref>菅首相、「安全保障上の問題ふくめ意見ある」 外国人参政権は慎重に議論を [[産経新聞]][http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101006/plc1010061948019-n1.htm]</ref>。外国人観光客を増加させるため、厳しい入国管理を改めなければならないと、2010年2月22日の[[衆議院]][[予算委員会]]で見解を示している。
 
*[[防衛]]に関しては、[[自衛隊]]に[[治安]]維持活動、国際協力を行う部隊の創設を政策として持っている<ref name="speech2004"/>。
 
*[[台湾問題]]に関しては[[中華民国|台湾]]の国連加盟を[[中華人民共和国]]が容認し、国連加盟国同士の問題として[[国際連合|国連]]の場で[[平和]]的解決を目指すべきと主張<ref> [http://www.eda-jp.com/dpj/2002/kan/gendai-0208.html 『 救国的自立外交私案 』 -タブーなき外交論]</ref>。
 
* 2003年に、[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]への政策として、拉致被害者全員の原状回復・[[北朝鮮核問題|核問題]]の解決・[[国交]]正常化・[[経済]]支援の三本柱を別々に行うのではなく、パッケージとして行う政策を提唱している<ref>[http://www.dpj.or.jp/china/contents/?num=5451&mm=print 「菅代表、中国全人代常務委員長と会談」民主党ニュース、2003年9月5日]</ref>{{要高次出典|date=2017年4月}}。
 
* [[日米関係]]について、「[[政治]]的には[[日米同盟]]が果たしてきた役割は大きかったし、これからも[[アジア]]、世界の安定のために最も重要な関係だ」<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091228/stt0912281903003-n1.htm 菅副総理「日米関係が最重要」] MSN産経ニュース 2009年12月28日</ref>と述べた。
 
 
 
;戦後処理
 
*2010年8月、[[日韓併合]]100周年に関する総理談話を発表したが、「謝罪」ではなく「お詫び」という言葉を使用したため韓国側の反発を買った<ref>[http://japanese.joins.com/article/125/158125.html?servcode=A00&sectcode=A10 支持率最悪の野田首相、外交で賭け…書簡返送と受け取り拒否] 中央日報 2012年08月24日</ref>。また、この談話に沿って韓国政府との間に[[植民地]]時代に日本へ渡った[[朝鮮半島]]由来の「[[朝鮮王朝儀軌]](ぎき)」などを韓国へ引き渡す[[図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定|日韓図書協定]]が結ばれ、[[野党]][[自由民主党 (日本)|自民党]]だけでなく、菅内閣の玄葉大臣からも8月6日に「まさかあり得ないと思うが、賠償、補償の話が蒸し返されるなどということが絶対あってはならない。それは[[日韓基本条約|日韓条約]]ですでに解決済みの話だ」と談話が賠償問題につながりかねないと懸念を示された<ref>{{cite news
 
| url = http://archive.fo/H22vp
 
| title = 玄葉・公務員改革相:韓国賠償問題、蒸し返し絶対あってはいけない
 
| newspaper = [[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]
 
| date = 2010-08-06
 
| accessdate = 2018-03-08
 
}}</ref>。
 
;原発
 
2011年5月8日に浜岡以外の全国にある原発に停止要請する考えの有無を記者らに問われて、「ありません」と明言した。朝日新聞に「政権として性急な「脱原発」路線には踏み込まない意向を事実上表明した」と報道された。菅政権の仙谷由人官房副長官も浜岡以外の原発について同日出演したNHKで、「近く大地震が起こる確率は低い。日本海側、瀬戸内にある原発はまず心配ないと、科学的にも結論が今の段階で出せるだろう」と説明し、「戦略、政策としては原発を堅持する」と語っている。<ref>[http://archive.is/xU5J6 原発停止要請は浜岡のみ 首相表明、交付金8割維持へ」、2011年5月8日に]</ref>。しかし、その後は「原発ゼロは私の使命」として、[[原子力発電]]の廃止を訴えている<ref>[http://n-kan.jp/news/4257.html 菅直人公式サイト、「原発ゼロは私の使命」、2012年12月3日]</ref>。また自然エネルギー政策研究所という[[シンクタンク]]の顧問を務めている<ref>[http://www.renewable-e.net/about/ 自然エネルギー政策研究所公式サイト、会の趣旨・目的/組織構成]</ref>。
 
 
 
== 言動と評価 ==
 
評価については以下のように毀誉褒貶が著しく、特に首相時代に対して多い。
 
 
 
=== 人柄・人物評 ===
 
;短気
 
[[産経新聞]]は、非常に短気な性格から「イラ菅」と呼ばれている、と報じた<ref name="ira"/>。
 
 
 
[[朝日新聞]]の[[北沢卓也]]は、すぐに爆発する「イラ菅」から、じっと黙って我慢する「ダマ菅」に変身した、と報じた<ref>{{Cite news |title=「イラ菅」改メ「ダマ菅」 目立たぬ役回りにも平静|newspaper=朝日新聞|date=2009-10-18 |author=北沢卓也 |url=http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200910150510.html|accessdate=2015-11-16}}</ref>。
 
 
 
2009年1月13日の[[衆議院]][[予算委員会]]において当時の自民党国会対策副委員長の[[村田吉隆]]が許可なくカメラ撮影していたのを発見し、即座に詰め寄って抗議をするなどしている。村田のカメラは[[衛藤征士郎]]予算委員長が没収した{{要出典|date=2015年11月16日 (月) 08:28 (UTC)}}。
 
 
 
[[産経新聞]]は、[[内閣総理大臣|首相]]就任後の[[2010年]][[6月11日]]、取材の記者団から、「[[所信表明演説]]について、具体性がないと言う批判があるが?」と質問され、一変した険しい表情で「何の批判か?」「何故批判が出ているのか?」などと、逆に記者を問い詰めた、と報じた<ref name="ira">[https://web.archive.org/web/20100613034702/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100611/plc1006111938029-n1.htm 「イラ菅」早くも炸裂 我慢の糸切れる](2010年6月13日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 産経新聞、2010年6月11日。</ref>。
 
 
 
[[カルピスウォーター]]好きで知られているが、秘書がある時[[味わいカルピス]]を出したところ、キレられたというエピソードがある。
 
 
 
[[麻雀]]、[[将棋]]、[[囲碁]]などを嗜む。特にネット囲碁にもハマっていた時期がある。
 
 
 
酒豪としても知られている。また妻の伸子も夫以上に酒豪である。
 
 
 
芸能人好きとしても知られている。[[大橋巨泉]]に参議院議員選挙へ出馬依頼したのは菅自身である。他に好きな芸能人として[[吉川ひなの]]、[[ジュディ・オング]]の名を挙げていた時期もあった。
 
 
 
; 非世襲政治家
 
[[ファイル:Naoto Kan cropped 3 Angela Merkel David Cameron Barack Obama and Naoto Kan 20100625.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月25日]]、[[第36回主要国首脳会議]]にて]]
 
[[村山富市]]以来の、政治家一族出身ではない「非世襲」の首相とされるが、祖父である[[菅實]]は地元の議員を務めていた。「たたき上げ政治家として、世襲の『お坊ちゃま首相』とは違う、たくましさを見せてほしい」(中堅)と期待する声がある。[[仙谷由人]]は菅を「地盤(後援組織)、看板(知名度)、カバン(資金)なく、まったく無名の青年が言葉と政局観、政治観で、ここまでこられた」と評している<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0609/TKY201006090429.html] 「彼は言葉で地位を築いてきた」仙谷氏、率直に首相評 (2010年6月9日)</ref>。「合法的に[[特許]]業務可能な職業経験者たる日本国総理大臣」は菅以外では弁護士経験者の初代[[日本社会党委員長]][[片山哲]]と初代[[自由民主党総裁|自民党総裁]][[鳩山一郎]]のみである。
 
 
 
[[早野透]]によれば、政治家としての変わり身の早さや巧みな政界遊泳術を持つ「[[バルカン政治家]]」(欧州の火薬庫といわれ駆け引きにあけくれた[[バルカン半島]]にちなむ)「バル菅」とも称された。好きな偉人に[[高杉晋作]]を挙げて「高杉を一番好きな理由は、逃げ足が速いことなんだ。当時の長州は勤王派がとったり、佐幕派がとったりしたでしょ。代わるたびに腹を切らなきゃいけないんじゃね。潔く腹を切るのは、一見いいけれども、それはあきらめだ。」<ref>{{Cite book|和書|author = 早野透|year = 2002|title = 政治家の本棚|publisher = 朝日新聞社|isbn = 4022577460}}</ref>と語ってもいる。
 
 
 
夫人の伸子は「することはきっちりやってくれる人。いざという時に頼りになる人」と評している<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100605-OYT1T00380.htm?from=navlp|title=新首相は苦労人、久々の「非お坊ちゃま型」|newspaper=読売新聞|date=2010-6-5|accessdate=2010-6-15}}</ref>。
 
 
 
; 「菅語」
 
古くからの友人である伊藤雄一郎によると、菅は「もうだめだ」「嫌だ」といった否定の言葉を嫌い、他人の意見が気に入らないなら自分はどう考えるのか建設的に話せと言うのが口癖だという<ref name="ippo3" />。
 
 
 
震災や原発事故の対応について[[毎日新聞]]の[[岩見隆夫]]は「不都合な発言ならなかったことにしていい、とでも考えているのか」と批判したり<ref name="岩見">{{Cite news|author=岩見隆夫|url=http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20110423ddm012070042000c.html|title=近聞遠見:「心がない」と責められて|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-06-20}}</ref>、[[産経新聞]]の[[阿比留瑠比]]は「歩く[[風評被害]]」と揶揄し「『思いつき』だけの軽はずみな発言を続ける」<ref name="阿比留2">{{Cite news|author=阿比留瑠比|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110422/plc11042223130035-n1.htm|title=「東日本つぶれる」「20年住めない」…首相は「歩く風評被害」|newspaper=産経新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03}}</ref>などの批判がある([[#東日本大震災]]も参照)。これら発言は'''菅語'''とも呼ばれる<ref name="kango"/>。
 
;市川房枝らの支持を受けて立候補した際の逸話
 
市川は著書において「自力で闘いなさいと言っていたが、菅は選挙で私の名前をいたる所で使い、私の選挙名簿を利用してカンパや選挙運動への協力を要請強要していたらしく、私が主張し実践してきた理想選挙と大分異なっていた」と記している<ref name="ichikawa">「私の国会報告」市川房枝著、市川房枝記念会出版部 ISBN 978-4990011758</ref>が、同じく支援してきた[[伊藤雄一郎]]は、「力のある人に頼ろうとすることは絶対にしなかった」と述べている<ref name="ippo3" />。
 
 
 
{{要出典範囲|date=2017年3月12日 (日) 01:49 (UTC)|当時選挙を手伝っていた[[ジャーナリスト]]の[[下村健一]](元[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]])によると、「初当選から十年で[[自由民主党 (日本)|自民党]]に対抗しうる勢力をつくり、その後十年で天下をとる」話を聞かされていたという}}。
 
 
 
{{要出典範囲|date=2017年3月12日 (日) 01:49 (UTC)|[[事務所]]に出入りしていた当時学生だった[[久和ひとみ]]は、選挙の際、ウグイス隊長を務めており、歌人の[[俵万智]]も久和の下で[[アナウンサー#選挙ウグイス|ウグイス嬢]]を務めていた}}。
 
 
 
作家の[[有吉佐和子]]は自身が市川房江を応援していた時の模様を小説『[[複合汚染]]』に記す中で、菅が立候補を渋る市川の代わりに有吉を候補者にしようと話していたと聞き、菅らに好かれたら作家生命が危うくなると考えて必要以上に怖い顔をし続けたとしている。
 
 
 
=== 政治家として ===
 
自身の政治哲学である「最小不幸社会」について「恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり[[政治]]が関与すべきではなくて、逆に[[貧困]]、あるいは[[戦争]]、そういったことを無くすことにこそ政治が力を尽くすべきだ」と述べている。また、「最小不幸社会」は高校時代に読んだ[[オルダス・ハクスリー]]の『[[すばらしい新世界]]』の影響を受けたものであると語っている<ref>{{Cite web
 
|url=http://www.dot-jp.or.jp/mm/interview/jpi/12/
 
|title=Japan Producer インタビューvol.12 菅 直人 衆議院議員
 
|publisher=[[ドットジェイピー (NPO)|NPO法人ドットジェイピー]]
 
|accessdate= 2010-1-7
 
}}</ref>。
 
; 野党時代
 
*菅が社民連所属新人議員時代に、先輩議員にあたる[[田英夫]]の求めに応じ、[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]][[政治犯]]29名の釈放の要望書<ref>[[学園浸透スパイ団事件]]参照</ref>に署名したが、この中に[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]]の実行犯である[[辛光洙]]を始めとする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[スパイ]]容疑者10名が含まれており、批判・追及を受けた<ref>[[辛光洙#在日韓国人政治犯釈放の要望書について]]参照</ref>。
 
*2002年5月6日に[[南京大虐殺紀念館]]を訪問し、館内を見学した後に犠牲者に向けて花輪を捧げた。[[小泉純一郎]]首相が同時期に[[靖国神社]]を訪問した事について「断固として反対する」と語ったと[[人民日報]]が報じた<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/2002/05/06/jp20020506_16841.html 菅直人幹事長、南京大虐殺記念館を訪問(人民日報)]</ref>。
 
*[[2004年]][[10月23日]]に発生した[[新潟県中越地震]]について「あい続く天災をストップさせるには昔なら[[元号]]でも変えるところだが、今必要なのは[[政権交代]]ではないか」と公式ウェブサイトで発言し<ref>{{Cite web
 
| author = 菅直人
 
| date = 2004-10-23
 
| url = http://www.n-kan.jp/2004/10/post-659.php
 
| title = 天災
 
| publisher = 菅直人公式サイト
 
| accessdate = 2011-03-12
 
}}</ref>、不謹慎と批判されたため翌日に謝罪している<ref>{{Cite web
 
| author = 菅直人
 
| date = 2004-10-24
 
| url = http://www.n-kan.jp/2004/10/post-658.php
 
| title = 余震
 
| publisher = 菅直人公式サイト
 
| accessdate = 2011-03-12
 
}}</ref>。
 
*{{要出典範囲|date=2017年3月4日 (土) 17:12 (UTC)|2007年1月、[[柳澤伯夫]][[厚生労働大臣]]の「産む機械」発言が[[政治問題]]化した際、代表代行として批判した。しかし、2月6日、[[自由民主党 (日本)|自民党]][[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]によって、「[[東京]]は日本で一番[[生産性]]の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会([[2007年]][[1月]])における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、[[出産]]と[[機械]]が結びつくことではないのか」と反撃された。翌日、[[公明党]]議員からも同様の発言<ref>{{要出典範囲|date=2017年3月5日|[[名古屋市]]内での演説(2007年1月18日)、[[山陰中央新報]]の[[インタビュー]](2006年8月5日)における同様の発言}}</ref>を非難された。菅は「12月の[[衆議院]][[本会議]]で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」「生産性のいい[[景気]]のいい[[地域]]では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「[[広辞苑]]によれば、[[生産]]という言葉には出産という意味がある」と反論した}}。
 
*2008年(平成20年)9月24日に発足した[[麻生内閣]]に対し2008年12月、[[東京都]][[町田市]]の街頭演説会で内閣が景気対策として提案している[[定額給付金]]を"[[毒まんじゅう]]"として「毒まんじゅう分離法案を[[与党|与]][[野党]]で通して[[雇用]]対策などを実行し、[[衆議院解散|解散]]して[[国民]]の信を問うべきだ」と語った<ref>『朝日新聞』2008年12月24日</ref>。
 
*2009年2月4日、[[衆議院]][[予算委員会]]で[[麻生太郎|麻生]][[内閣総理大臣|首相]]に「[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[経済]]対策は真水で57兆円、総額87兆円。この方が国民のためになる」とアピールしたが、[[与謝野馨]]経済財政担当相は「数字の競争ならばいくらでもできる」「中身が大変、不正確」と真面目に取り合わなかった<ref>[https://web.archive.org/web/20090207090825/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090204/plc0902042008012-n1.htm 民主党は「罵詈雑言」戦術? 衆院予算委 産経ニュース 2009.2.4](2009年2月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
 
*麻生太郎首相に対しては、「『一流ホテルのバーが安い』という感覚そのものが問われている。『安いところで酒を飲む』と言うと、われわれの感覚では焼き鳥屋だ」と連日の高級ホテルで政財界の要人と会談していることを批判した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081023-421994.html nikkansports]2008年10月23日</ref>。
 
;政権交代について
 
*2010年8月3日の衆議院予算委員会で、菅が2006年に[[大宅壮一]]の言葉を引用して「[[テレビ]]の影響で[[一億総白痴化]]が進んでいる、だから[[第44回衆議院議員総選挙|郵政選挙]]で自民党が勝った」と発言していたことについて自民党[[平沢勝栄]]から「郵政総選挙は一億総白痴化が進んだ結果として自民党が勝った。2009年に民主党が勝ったのは一億総白痴化の結果か」と問われ「あの刺客騒動などを通して、何かすべてがそこに集約されるような選挙になったという意味では、そういった影響がそういう形で出たという趣旨のことを申し上げた」「郵政の場合の本来の[[政治]]とは違うところでの判断が多かったのに比べると、政権交代をやるべきかどうかというのは若干意味合いが違うのではないか」と答弁。平沢は「民主党が勝ったときは[[国民]]が賢明、自民党が勝ったときは国民が総白痴化だと言いたいのか」と述べた<ref>2006年1月27日放送の討論番組『朝まで生テレビ』の発言。平沢も同番組に出演していた。[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817520100803002.htm 第175回国会 予算委員会 第2号]2010年8月3日</ref>。
 
* [[野党]]時代、菅は自著で自民党出身の首相が[[安倍晋三]]→[[福田康夫]]→[[麻生太郎]]と短期間で交代したことに対し「政策的に行き詰まったり、スキャンダルによって総理が[[内閣総辞職]]を決めた場合は、[[与党]]内で[[政権]]のたらいまわしをするのではなく、与党は次の総理候補を決めたうえで衆議院を解散し、野党も総理候補を明確にしたうえで総選挙に挑むべきだろう。」<ref>菅直人『大臣 増補版』p.75(2009年、岩波書店)</ref>と、これを批判していた。鳩山由紀夫の退任後、衆議院を解散せず菅自身が首相に就任したことに対して、[[谷垣禎一]][[自由民主党総裁|自民党総裁]]からは、衆議院[[本会議]]で「言行不一致である」と批判された<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0614/TKY201006140256.html 谷垣氏が代表質問、菅首相を追及 「副総理でだんまり」]asahi.com(朝日新聞社)2010年6月14日。2010年6月25日閲覧</ref>。
 
 
 
; 民主党政権時代
 
*2010年6月19日、[[さいたま市]]で行った街頭演説で、「([[日産自動車]]の)[[カルロス・ゴーン|ゴーン]][[社長]]は、[[首切り]]がうまかったから高い[[給料]]をもらっている」「首切りが上手い[[経営者]]は、優れた経営者だと言って、沢山の給料をもらっている」「全ての会社が日産と同じように、首切りを沢山やった人間ほどが、社長として偉いと言うことになったら、日本中[[失業]]者があふれてしまう」と述べた<ref>[http://www.j-cast.com/2010/06/21069238.html?uid=01eGzeoLyrJJ&guid=on] J-CASTニュース 2010/6/21 17:20</ref>。
 
*副総理・国家戦略担当相だった2009年9月の[[政権交代]]直後、民主党の[[国会議員|参院議員]]である[[喜納昌吉]](党沖縄県連代表)に対し「基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」「[[沖縄県|沖縄]]問題は重くてどうしようもない。もう沖縄は独立した方がいいよ」などと語っていたことが2010年6月に判明した<ref>「「基地問題どうにもならぬ」 首相、昨年もらす」(日本経済新聞2010年6月15日)</ref><ref>産経新聞2010年6月15日</ref>。
 
*2010年8月19日、自衛隊制服組との意見交換会において「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は[[自衛隊]]の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と発言した。この意見交換会の前に、[[防衛大臣]]の[[北澤俊美]]に対して「昨日予習をしたら、(防衛)大臣は[[自衛官]]じゃないんですよ」と発言し、その知識不足を懸念された<ref>「菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」(朝日新聞2010年8月19日)</ref>。
 
*総理大臣就任後に平均予算2万円以上の高級レストランで側近や夫人と連日の会食を続けていた<ref>中国新聞 (2010/12/30) 『首相の会食、身内ばっかり 「情報不足」に拍車』 [http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201012290154.html]</ref><ref>首相夕食『身内』と息抜き 1位は補佐官、次いで夫人(東京新聞 2010年12月8日 朝刊)</ref><ref>読売新聞 2010年12月8日10時02分『情報過疎の一因?首相、面会・会食は側近ばかり』 [http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101208-OYT1T00185.htm]</ref>。官邸側は、客層の限られる高級店のほうが[[警備]]が容易であることを挙げた<ref>{{Cite news | url = http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY201103030517.html | title = 庶民派首相、グルメざんまい? 夫人同伴も頻繁 | work = asahi.com | publisher = [[朝日新聞]] | date = 2011-03-04 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20110305095735/http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY201103030517.html | archivedate = 2011-03-05 | accessdate = 2017-03-05 }}</ref>。日本経済新聞によると、菅が2011年7月21日からの20日間に外食したのは焼き鳥店やすし店など4回で、食事に関しては「ほとんど何だってかまわない人」だという<ref>日本経済新聞 2011年8月11日夕刊</ref>。
 
 
 
=== 東日本大震災、福島原発事故への対応と評価 ===
 
[[ファイル:PM Kan visits JSDF and service members at Ishanomaki High School Image 2 of 6.jpg|thumb|200px|2011年4月10日[[陸上自衛隊]]於宮城県石巻商業高等学校]]
 
; 初動対応
 
[[日本国政府]]の初動対応について、当時[[経済産業大臣]]だった[[海江田万里]]は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、これにより政府の初動対応が遅れたと証言している<ref>読売新聞 5月17日(木)21時27分配信 初動遅れ「菅氏説得に時間かかった」…海江田氏</ref>。これに対し菅は「もっと早ければという指摘は受け止めるが、[[総理大臣官邸|首相官邸]]の対策室はすでに動いており結果的に支障はなかった」と釈明した<ref>{{cite news
 
| url = http://www.nikkei.com/article/DGXDASFS2801V_Y2A520C1MM8000/
 
| title = 菅前首相、原発事故「国の責任」 視察批判に反論
 
| newspaper = 読売新聞
 
| date = 2012-05-17
 
| accessdate = 2012-06-05
 
}}</ref>。
 
 
 
;現地視察
 
[[3月12日]]午前3時、[[東京電力]]からの、[[福島第一原子力発電所]]1号機の格納容器の破裂を避けるために、[[原子炉]]炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げる[[爆破弁#区別すべき他の概念|ベント]]作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、{{要出典範囲|枝野官房長官(当時)らが、[[国民]]に広報するまで待つことを指示した上で、|date=2014年8月}}許可を出した<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>。そして、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に並行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、菅が事故現場にカメラマンらとともに到着した<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の[[放射線]]に現場が汚染されたこと、また東電から官邸への情報通達が行われないなどの情報錯そうもありベントの作業は難航しており、菅の到着した時間になっても未だベント操作が行われていなかったため、到着した菅は当時[[福島第一原子力発電所]]所長であった[[吉田昌郎]]に直接説明を求めた。結局ベントは同日14時30分にようやく実施された<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - [[英国放送協会|英BBC]]</ref>。
 
 
 
当時の[[野党]]は、菅が震災翌日に福島原発を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判していた<ref name="答弁">「首相 反論また反論 歴代政権に責任転嫁も」『日本経済新聞』2011年3月30日付朝刊、13版、4面。</ref>。[[内閣官房長官|官房長官]]だった[[枝野幸男]]はこの視察に関し「[[内閣総理大臣|首相]]を守る観点からは体を張ってでも止めるべきだったが、事故をいかに小さく、早く収束させるかという観点からは間違っていなかった」と擁護し<ref>2012年3月1日の衆院予算委員会。 2012年3月2日 時事通信</ref>、後日行われた[[吉田調書|事故調査・検証委員会による聴取]]では吉田は菅の視察による作業への影響は全くなかったと答えている<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/detail/2014/0830_yoshida_chousho.html 福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書」要旨] - 東奥日報</ref>。菅は総理辞任後に[[日本放送協会|NHK]]が行った[[インタビュー]]の中で、原発事故の初動対応でベントが遅れた理由として、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べている<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110912/1430_kanzensyusho.html 菅前首相 原発事故を語る(NHKニュース 9月12日 6:15更新)]</ref>。
 
 
 
; 東電本社乗り込み
 
事故から4日後の3月15日早朝、[[東京電力]]本社に乗り込み、政府・東電の統合対策本部の設置を宣言して、東京電力の幹部たちを叱咤した<ref>『朝日新聞』2011年3月18日</ref>。なお、当時官房長官を務めた枝野幸男や経産相の海江田万里など当時の政府関係者は、この行動は東電の[[清水正孝]]社長(当時)から「作業員を同原発から全面撤退させたい」との意向が官房長官や経産相を通して伝えられたことを受けたものであると証言している<ref>{{cite news
 
| url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110907-OYT1T01246.htm
 
| title = 前首相の東電乗り込み、危急存亡の理由が
 
| newspaper = 読売新聞
 
| date = 2011-09-08
 
| accessdate = 2011-09-19
 
}}</ref>が、東電側は一部の作業員の撤退と説明しており両者の説明が食い違っている<ref>{{cite news
 
| url = http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201205170623.html
 
| title = 海江田氏「東電、全員撤退と認識」 国会事故調で証言
 
| newspaper = 朝日新聞
 
| date = 2012-05-17
 
| accessdate = 2012-06-05
 
}}</ref>。また、菅はこのとき「被害が甚大だ。このままでは日本国滅亡だ」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/47topics/e/226717.php | title = 【死んだっていい 俺も行く】原発危機的状況に前首相 東電が発言詳細記録 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2012-03-15 | accessdate = 2014-06-07 }}</ref>などの発言をしている。
 
 
 
; 最悪シナリオの作成
 
3月25日、菅は[[内閣府]][[原子力委員会|原子力委員長]][[近藤駿介 (工学者)|近藤駿介]]に「最悪シナリオ」作成を指示した。作成された内容は、半径170km以内で強制移住、[[東京都]]の大部分を含む半径250km以内で避難が必要となる可能性があることを指摘した内容<ref>詳細は[[福島第一原子力発電所事故#最悪のシナリオ〔170 kmに及ぶ避難区域の拡大予測〕の公開|当該項目]]を参照</ref>で<ref>東京新聞 2012年1月12日</ref>、過度な混乱を避けるため2012年2月まで公表されなかった。近藤は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話している<ref>毎日新聞 2011年12月24日</ref>。
 
 
 
; 官房参与の増員
 
菅は事故対応をめぐり、東京電力や[[原子力安全・保安院]]、[[原子力安全委員会]]へ強い不信感を募らせ、「セカンドオピニオンも重要」として[[内閣官房参与]]を次々に増員し、依存を強めていったといわれている<ref name="乱立">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110410-OYT1T00366.htm|title=本部や会議が乱立…指揮系統、官僚も「不明」|newspaper=読売新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10|author=吉村隆平、鎌田秀男}}</ref><ref>{{Cite news|author=影山哲也|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110330ddm005010167000c.html|title=菅首相:内閣官房参与、続々任命 東電、経産省へ不信感|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10}}</ref>。他方、組織が乱立したことによる混乱も見られた。内閣官房参与の[[小佐古敏荘]]が辞任した問題では、菅が小佐古と面識がなく任命に際して事前の面談が行われなかったことが発覚、慰留が[[細野豪志]]補佐官に丸投げされていたことが批判された<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110502-OYT1T01005.htm|title=任命時は面談せず辞任時は人任せ…首相を批判|newspaper=読売新聞|date=2011-05-02|accessdate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110503/plc11050300300001-n1.htm |title=小佐古氏と面識なく参与に任命 参院予算委で首相|newspaper=産経新聞|date=2011-05-03|accessdate=2011-05-04}}</ref>。
 
 
 
; 感謝広告
 
2011年4月11日、[[東日本大震災]]に対する義捐への感謝広告を菅直人首相名義で、[[アメリカ合衆国|米国]]、[[イギリス|英国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[ロシア]]、[[フランス]]の6カ国7紙の新聞に掲載した。最大規模の支援を行った[[台湾]]([[中華民国]])については[[外交]]関係が無いことから掲載を行わなかったが、実質的な在台湾の日本[[大使館]]として機能している[[日本台湾交流協会|財団法人交流協会]]を通じて[[馬英九]]総統、[[呉敦義]]行政院長、楊進添・外交部長に対し感謝状を送った<ref>[http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html?p=2 菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由]JCAST2011年4月12日</ref><ref>[http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=123364 馬・総統、菅首相の感謝状に「台湾の愛は誇り」]Radio Taiwan International2011年4月11日</ref>。当初、広告は予算の関係で上記6カ国7紙にとどまっていたが、無料で受け入れる新聞が増加したことにより31カ国・地域の105紙に掲載された<ref>[http://megalodon.jp/2011-0415-2212-33/sankei.jp.msn.com/politics/news/110415/plc11041520360027-n1.htm 首相の感謝広告 世界100紙以上に無料掲載]MSN産経ニュース2011年4月15日</ref>。更に交流協会は、震災から1周年となる2012年3月11日に合わせて1週間に渡り、台湾の全土を対象とするテレビCMや特別番組、新聞広告などを展開した。他の国における日本大使館は、このようなことを行っていない<ref>{{cite news
 
| url = http://sankei.jp.msn.com/world/news/120310/chn12031020040005-n1.htm
 
| title = 【3・11から1年】「ありがとう、台湾」テレビや新聞に広告を掲載
 
| newspaper = MSN産経ニュース
 
| date = 2012-03-10
 
| accessdate = 2012-07-09
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
| url = http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203100008
 
| title = 震災から1年 あす台湾で一斉に「謝謝台湾」
 
| newspaper = 中央社日文新聞
 
| date = 2012-03-10
 
| accessdate = 2012-07-09
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
| url = http://www.afpbb.com/article/economy/2864562/8627950
 
| title = 日本が台湾主要紙一面に感謝の広告、震災支援で
 
| newspaper = AFPBB News
 
| date = 2012-03-11
 
| accessdate = 2012-07-09
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
| url = http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120311-OYT1T00515.htm
 
| title = 巨額義援金の台湾へ感謝の言葉…交流協会がCM
 
| newspaper = YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 
| date = 2012-03-11
 
| accessdate = 2012-07-09
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
| url = http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59496
 
| title = <東日本大震災>「台湾の人々の友情を日本人は忘れません」
 
| newspaper = レコードチャイナ
 
| date = 2012-03-11
 
| accessdate = 2012-07-09
 
}}</ref>。
 
 
 
; SPEEDI公表問題
 
2011年6月3日には[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[森まさこ]]が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム[[SPEEDI]](スピーディ)の存在と意義を十分に知りながら、原発事故の[[ベント]]作業が行われたときに公表の遅れ<ref>2010年10月20日と21日、[[中部電力]][[浜岡原子力発電所|浜岡原発]]を対象に国の[[原子力総合防災訓練]]が実施されたため菅も知っていたとされた。</ref>が周辺[[住民]]を[[被曝]]の危険にさらしたと指摘<ref>2011年6月3日の参院予算委員会</ref>。菅は「予測図は私や[[内閣官房長官|官房長官]]には伝達されなかった」「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない」と陳謝した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110604/plc11060401380003-n1.htm 産経ニュース]2011年6月4日</ref><ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=24740&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=8513&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25001 国会会議録検索システム]2011年6月3日</ref>。
 
 
 
; エネルギー政策の見直し
 
[[福島第一原子力発電所事故]]を受け、菅は国のエネルギー政策の見直しに乗り出した。5月6日、菅は[[中部電力]][[浜岡原子力発電所]]に対して「([[東海地震]]への)安全確保がなされるまで[[原子炉]]運転を停止するよう」指示を出した<ref>浜岡原発:全面停止へ 東海地震備え、安全対策完成まで 毎日新聞 2011年5月6日</ref>。5月10日には記者会見の中で原発の増設が謳われた従来の[[エネルギー政策基本法|エネルギー基本計画]]を白紙に戻すと宣言し、5月26日、27日に行われた[[第37回主要国首脳会議]](ドーヴィル・サミット)の中では原発の安全性を高めた上での利用と同時に自然エネルギーの割合を「2020年代のできるだけ早い時期に、少なくとも20%を超えるレベルまで」拡大していくと表明した<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/27G8naigai.html G8ドーヴィル・サミット内外記者会見]</ref>。
 
 
 
2011年7月13日に「原発に依存しない社会を目指すべき」<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/07/13/04186381.html 日テレNEWS24]2011年7月13日</ref>と表明し、「原発がない社会=[[原子力撤廃|脱原発]]」と受け取られ、脱原発・反原発を支持する[[市民]]の一部からは称賛の声もあがったが<ref name="kango">日本経済新聞 2011年7月21日夕刊</ref>、マスコミや経済界からは「具体策がない」と批判された<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0713/TKY201107130598.html
 
|title=首相、会見で脱原発の方向打ち出す 具体策は示さず
 
|newspaper=朝日新聞
 
|date=2011-7-13
 
|accessdate=2011-9-19
 
}}</ref><ref>{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001108290005|title=菅首相退陣表明 脱原発どうなる|newspaper=朝日新聞|date=2011-08-27|accessdate=2011-08-31}}</ref><ref name="name">[[ル・モンド]] 2011年7月15日付</ref>。翌日の[[予算委員会]]において、[[野党]]から追及を受けると、「個人的な思いを言っただけだ」と一旦トーンダウンしたが、その後8月6日に[[広島市]]で行われた[[記者会見]]の中で「脱原発依存」は、政府の方針となっているとの認識を示した<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20110806162429161_ja
 
|title=脱原発依存を表明 首相、安全神話「反省」
 
|newspaper=中国新聞
 
|date=2011-8-6
 
|accessdate=2012-8-9}}</ref>。
 
 
 
==== 評価 ====
 
; 民間の事故調報告
 
2012年2月27日に発表された民間の事故調報告([[福島原発事故独立検証委員会]])では、[[東京電力]]本店に乗り込んだ件などの言動は東京電力側に「覚悟を迫った」と評価したうえで、事故対応の局面で怒鳴るなど菅の個性が「混乱や摩擦の原因ともなった」「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」「無用な混乱や[[ストレス (生体)|ストレス]]により状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で泥縄的な危機管理」「菅の決定や要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった」「官邸の中断要請に従っていれば作業が遅延した可能性がある危険な状況だった」(ただし、中止の指示を最終的に直接出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が認めている([[吉田調書]])){{要出典|date=2015年8月}}。「会議で海水注入による再臨界の可能性を菅が強い調子で問いただし再検討を指示していた」と指摘した<ref>{{cite news|title=「菅首相」の原発事故対応に「ゾッとした」 「民間事故調報告」にみる「イラ菅」の功罪|url=http://www.j-cast.com/2012/02/28123686.html?p=all|newspaper=J-CASTニュース|date=2012-02-28|accessdate=2012-04-13}}</ref><ref>「官邸の初動 混乱要因に 民間事故調報告」『毎日新聞』2012年2月28日付朝刊、1面。</ref><ref>{{cite news|title=原発民間事故調の政権聴取報告要旨|url=http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/nucerror/report/list/120229.html|newspaper=東京新聞|date=2012-02-29|accessdate=2013-02-09}}</ref>。同委員会の北沢宏一委員長は、菅の事故対応について「情報の出し方を失敗し、[[国民]]の評価を失った。全体としては不合格」と指摘した<ref>{{cite news|title=民間事故調「菅前首相は不合格」情報提供に失敗|url=http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012022801002080.html|newspaper=共同通信|date=2012-02-28|accessdate=2013-02-09}}</ref>。
 
 
 
;国際原子力機関
 
[[ファイル:2011.3.18日本内閣総理大臣菅直人会見国際原子力機関事務局長天野之弥 Japanese Prime Minister Naoto Kan talks with IAEA Director General Yukiya Amano.jpg|thumb|200px|3月18日菅直人首相会見[[国際原子力機関]]事務局長[[天野之弥]]]]
 
[[国際原子力機関]]は[[日本国政府|日本政府]]の原発事故後の対応を模範的なものであった評価している。一方で、原発事故の未然対策については不十分であり、日本の原発管理はその構造から見直すべきであるとした<ref>[http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110601-lecons-catastrophe-fukushima Catastrophe de Fukushima: l'AIEA réservée sur la gestion du nucléaire au Japon]</ref>。
 
 
 
; 国会事故調査委員会・政府事故調査委員会
 
* 2012年6月9日、国会の「事故調査委員会」は原発事故の住民避難の混乱拡大について、菅前首相をはじめ、[[総理大臣官邸|首相官邸]]による過剰な現場介入が事故対応の妨げとなるとともに、官邸の初動の遅れが住民避難の混乱拡大を招いたと結論づけた<ref> [https://archive.is/20130501075052/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120609-OYT1T00772.htm 「官邸の過剰な介入」原発事故の避難に混乱招く2012年6月9日21時45分 読売新聞](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])</ref>。
 
* 2012年7月5日に発表された [[東京電力福島原子力発電所事故調査委員会|国会の事故調査委員会]]では、「海江田経済産業相から法に基づく原子力緊急事態宣言を出すよう求められるも、菅が各号機の出力や燃料溶融の可能性など技術的な質問を連発し発出を認めなかったことで宣言の発令まで約1時間20分を要し初動が遅れた」「菅が全面撤退を阻止したとする主張については菅が全面撤退を阻止したという事実は認められない」と指摘しており<ref>{{cite news|title=「明らかに人災」断定 国会原発事故調 最終報告書(2)<初動対応>東電も官邸も混乱|url=http://www.nikkei.com/article/DGXDZO43436520W2A700C1M10600/|newspaper=日本経済新聞|date=2012-07-06|accessdate=2013-02-09}}</ref>、2012年7月23日に発表された[[東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会|政府の事故調査委員会]]最終報告では、「海水注入準備が進む中、海水注入による再臨界を懸念し菅が技術的検討を指示した」、「菅らは官邸5階にいて重要案件を決め、関係省庁の幹部が集まる危機管理センターを活用しようとしなかったためSPEEDI活用の機会を失った」と指摘し、双方の報告書において「東電は全員撤退を決定した形跡は見受けられない」と指摘しており、事故発生後の官邸の介入に関しては「混乱を招いた」、「弊害が大きい」と非難を受けた<ref>{{cite news|title=「官邸が過剰介入」国会事故調が指摘|url=http://sankei.jp.msn.com/science/news/120609/scn12060923500004-n1.htm|newspaper=産経新聞|date=2012-06-09|accessdate=2012-08-19}}</ref><ref>{{cite news|title=【政府事故調が最終報告】東電対応、不適切 官邸介入「弊害大きい」 校庭20ミリシーベルトは説明不足|url=http://www.47news.jp/47topics/e/232387.php|newspaper=共同通信|date=2012-07-23|accessdate=2012-08-19}}</ref><ref>{{cite news|title=菅氏の自負「原子力に土地鑑」、混乱巻き起こす|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120724-OYT1T00277.htm|newspaper=読売新聞|date=2012-07-24|accessdate=2013-02-09}}</ref><ref>{{cite news|title=東日本大震災:福島第1原発事故 政府事故調最終報告書「東電・政府に複合的問題」 初動や情報、不手際|url=http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120723dde001040003000c.html|newspaper=毎日新聞|date=2012-07-23|accessdate=2013-02-09}}</ref>。
 
<!--吉田昌郎調書に関する新聞報道は、2014.9.5現在、情報が入り乱れている段階かと思われます。調書の全文公表を待って十分でしょうし、現在引用するなら確定した調査報告書から引用すべきでしょう。--><!--
 
*現場で指揮を取った[[吉田昌郎]]は、[[東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会|政府事故調査委員会]]の調査において、原発事故当時の菅は周囲に喚き散らしており、菅を「混乱の張本人」と指摘した<ref>{{cite news |title=菅元首相を「おっさん」、混乱の張本人と指弾 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2014-8-30 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20140830-OYT1T50010.html|accessdate=2014-9-1 }}</ref>。また、東電の本店からは撤退の話などは全く無かったと語り、「現場の撤退を止めた」とする菅の主張を批判、現場の状況を理解しなかった首相官邸や東電本店に対する不信感を吐露した<ref>{{cite news |title=【吉田調書抄録(1)】「菅氏わめく間に建屋爆発」「馬鹿野郎と言いたい」 |newspaper=[[フジサンケイ ビジネスアイ|サンケイビズ]]|date=2014-8-18 |url=http://www.sankeibiz.jp/macro/news/140818/mca1408181530009-n1.htm |accessdate=2014-9-1}}</ref><ref>{{cite news |title=政府の事故調査・検証委員会 |newspaper=[[西日本新聞]]|date=2014-8-31|url=http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/word/7830/10647 |accessdate=2014-9-1}}</ref>。
 
-->
 
;自民党
 
*自民党は震災対応に対する指導力不足を指摘し<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011043002000068.html</ref>、被災者の仮設住宅入居について「何としてもお盆までにすべての希望する人が[[仮設住宅]]に入れるように、私の内閣の責任として実行する」と述べたことについて[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[野村哲郎]]は「根拠がない」と批判し<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110502ddm002040096000c.html</ref>、のちにそれが菅の個人的な目標であったことが明らかになると同党の[[林芳正]]は「リーダー失格」と批判した<ref>http://web.archive.org/20110505001630/mainichi.jp/select/seiji/news/20110502k0000e010062000c.html</ref>。
 
*自民党の[[安倍晋三]]は2011年5月20日、自身が発行するメールマガジン<ref name="sabemailmag20110520">{{Cite web |date = 2011-05-20 |url = http://www.s-abe.or.jp/mailmagazine/2291 |title = 菅総理の海水注入指示はでっち上げ |language = 日本語 |accessdate = 2011年5月28日}}</ref>{{リンク切れ|date=2016年7月}}にて、福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について[[国民]]に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。**これに関し、菅は、中止の指示は東電側から出されたもので安倍に嘘の情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求していたが<ref>[http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11400011406.html 安倍自民党総裁への訂正と謝罪要求]</ref>、安倍はこれに応じずメルマガの掲載を続けたため、2013年7月16日、菅は東京地裁への提訴に踏み切った<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/16/kannaoto_abeshinzo_n_3602415.html【速報】菅直人元首相が安倍晋三首相を名誉毀損で提訴 「海水注入指示はでっち上げ」の記事めぐって The Huffington Post Japan 投稿日: 2013年07月16日 15時10分 JST  |  更新: 2013年07月16日 16時41分 JST]</ref><ref>[http://iwj.co.jp/wj/open/archives/91257 菅直人氏が、名誉毀損で安倍総理を提訴 「内容が虚偽であることは明白」 〜菅直人議員 緊急記者会見 IWJ 2013/07/16]</ref><ref>{{cite news |title= 菅元首相、安倍首相を提訴…メルマガで名誉毀損|newspaper=読売新聞 |date=2013-07-17 |url= http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130716-OYT1T01038.htm|accessdate=2013-07-18}}</ref><ref>{{cite news |title= 菅元総理が安倍総理を“名誉毀損”で異例の提訴|newspaper=テレビ朝日 |date=2013-07-17 |url= http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000008864.html|accessdate=2013-07-18}}</ref>。2015年12月3日、東京地裁は、安倍の主張は事実と異なるとしながらも、賠償責任に至るものではないとの判決を下し<ref>https://wp-manage.tbsradio.jp/wp-content/uploads/2017/03/chisai_abekan_ss954.pdf</ref>、高裁、最高裁もこれを支持した<ref>{{cite news |title=  菅直人氏の敗訴確定 安倍首相メルマガ訴訟 | newspaper=日経新聞  |url= https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22HA1_T20C17A2000000/}}</ref>。
 
**なお、実際には事故当時の福島第一原発所長・[[吉田昌郎]]の判断により海水注入は続けられていたことが後日判明している<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG5T7WGJG5TUEHF00G.html 「3号機注水「淡水を」吉田所長、官邸からの指示に従う」 朝日新聞 2014年5月26日11時35分]</ref>。
 
 
 
; 当時の閣僚による評価
 
当時、政府内で事故対応にあたった閣僚からは「あれぐらいわがままで勝手で強引でという人間でなかったら、たぶん政府の機能が止まっていたのではないか」(枝野幸男)、「菅首相以外の首相があそこで判断を迫られた場合、判断できた人が誰なのか、私は分からない」([[細野豪志]])など当時の菅の対応を支持する声もある<ref>{{cite news|title=近聞遠見:「菅首相でよかった」の声|author=岩見隆夫|url=http://mainichi.jp/opinion/news/20120728ddm002070070000c.html|newspaper=毎日新聞|date=2012-7-28|accessdate=2016-6-29|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130430085058/http://mainichi.jp/opinion/news/20120728ddm002070070000c.html|archivedate=2013-4-30}}</ref>。当時[[内閣総理大臣補佐官|首相補佐官]]を務めた[[辻元清美]]は、菅が理念重視のあまり気が回らず、妥協、利害調整ができなかったと指摘する一方で「浜岡原発停止要請」や「脱原発表明」は菅自身が考え抜き決断したとも語っている<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110901ddm013010006000c.html|title=ザ・特集:「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る|newspaper=毎日新聞|date=2011-09-01|accessdate=2016-06-29|archiveurl=http://web.archive.org/web/20110917193103/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110901ddm013010006000c.html|archivedate=2011-9-17}}</ref>。当時菅内閣の防衛大臣であった[[北澤俊美]]は東電の「全面撤退」を菅が拒否したとして「戦後最大の危機に対処できたのは菅首相のリーダーシップがあったればこそだ」と評価する<ref>著書「日本に自衛隊が必要な理由」</ref>一方、住民避難のため緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の活用を「強く進言したが採用されなかった」と記し「首相が孤軍奮闘する場面が多く、閣僚、官僚を信じ、任せて一丸となる仕組みやムードを作れなかった」と苦言も呈した<ref>毎日新聞 2012年06月08日</ref>。
 
 
 
; メディアの評価
 
''読売新聞系列''
 
:[[読売新聞]]は地震発生から2週間以上も記者団の取材や質問に応じず、国会での答弁も行わなかった菅首相について「表舞台に姿を現さない」、「首相のリーダーシップが見えない」としている<ref name="姿見えぬ">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110323-OYT1T00910.htm|title=異例・姿見えぬ菅首相、関係者から不満の声|newspaper=読売新聞|date=2011-03-23|accessdate=2011-03-26}}</ref>。また、菅や閣僚が、各府省幹部らが集まる官邸地下の危機管理センターを十分に活用しなかった結果、放射性拡散物質SPEEDIを住民の避難誘導に利用することは検討もされなかったことや、官僚組織を使いこなせず、事態を混乱させた責任は重いとし、官邸が各府省や東電に対して、広報活動の事前連絡を求めたため原発の状況に関する[[国民]]への情報提供も遅れたとしている<ref>社説「原発の安全向上に教訓生かせ 「想定外」に備える危機対策を」『読売新聞』2012年7月24日付朝刊、3面</ref>。「2つの調査委員会が、ともに政府の責任を厳しく問うていることを重く受け止めねばならない」と指摘し、事故対応の遅れは「菅災である」としている<ref>社説「民間原発事故調 重い教訓を規制改革に生かせ」『読売新聞』2012年3月1日付朝刊、3面</ref>。結果的に、菅政権は震災への対応等で混乱して批判を受けるなどゴタゴタが続いたため民主党に対する信頼を失わせたとしている<ref>『読売新聞』2013年1月1日付朝刊</ref>。
 
 
 
''朝日新聞系列''
 
:[[朝日新聞]]は「福島第一原発事故の対応拠点となった免震重要棟が大飯では未整備なまま容認するなど、付け焼刃の基準による判断が国民の不信感を増幅させた」としている<ref>『朝日新聞』2012年7月24日付朝刊、5面</ref>
 
 
 
''日経新聞系列''
 
:[[日経新聞]]は「原子力には詳しい」と自負していた菅が「臨界って何だ」と発言したと報じ、「なまじ知識があるだけに話すとぼろが出そう」との周囲の不安が出番の激減につながっているとした<ref>『日本経済新聞』2011年3月26日付朝刊、13版、4面</ref>。また、「震災や福島原発事故を巡る菅の対応は初動を巡る政治の混乱が国内外に不安をもたらした」としている<ref>『日本経済新聞』2012年12月30日付朝刊</ref>。
 
 
 
''毎日新聞系列''
 
:[[毎日新聞]]は菅が[[岩手県]][[陸前高田市]]、[[宮城県]][[石巻市]]を視察した際に、被災者たちから「来るのが遅すぎる」「今頃来ても」「がんばれしか言えないのか!」と厳しく菅を非難する声があったと報じている<ref>{{Cite news|url=http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/shinsai2011/tbs_newseye4690100.html|title=菅首相、陸前高田市の避難所を視察|newspaper=TBS|date=2011-04-02|accessdate=2011-04-10}}</ref>。また、「政府にも大きな問題があった」、「規制する立場でありながら規制される側の電力事業者に取り込まれ必要な安全規制の導入を怠ってきた。国会事故調の人災との指摘はもっともであり、電力会社と政府は事故の共犯といってもいいだろう」、「官邸の危機管理にも様々な不手際があった」としている<ref> 社説「原発事故調査報告 原因究明は終わらない」『毎日新聞』2012年7月24日付朝刊、4面</ref>。
 
:一方で、毎日新聞の倉重篤郎は2011年6月30日、「菅直人首相さえいなくなれば問題のすべては解決する」という安直な発想に永田町が陥っているとし、原発事故対策などポスト冷戦時代の日本の抱える問題を原罪にたとえて、菅を「原罪を背負って十字架にかけられる人のようにも見える」とイエス・キリストにたとえた<ref>「発信箱:四つの原罪=倉重篤郎(論説室)」毎日新聞2011年6月30日</ref>。
 
 
 
''産経新聞系列''
 
:[[産経新聞]]は「引きこもり」「枝野官房長官に説明を丸投げ」「パフォーマンスばかりが目立つ」等と批判している<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110324/plc11032421120017-n1.htm|title=菅首相:谷垣・自民党総裁に入閣を要請、本人は断る|newspaper=産経新聞|author=阿比留瑠比|date=2011-03-24|accessdate=2011-04-02}}</ref><ref name="パフォーマンス">{{Cite news|url=http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110402/plt1104021512001-n1.htm|title=菅また暴走視察「オレが行く」周囲に怒鳴りまくり|newspaper=夕刊フジ|date=2011-04-02|accessdate=2011-04-10}}</ref>。産経新聞の[[阿比留瑠比]]は内閣官房参与の[[松本健一]]が菅との会談後「原発周辺は10年、20年住めない」「[[東日本]]はつぶれる」と会談の内容を明かし、波紋を呼んだ際には、菅を「歩く風評被害」と評した<ref name="岩見"/><ref name="阿比留2">{{Cite news|author=阿比留瑠比|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110422/plc11042223130035-n1.htm|title=「東日本つぶれる」「20年住めない」…首相は「歩く風評被害」|newspaper=産経新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03}}</ref>。政府の事故調が原発事故に関する報告書を公開した際にも「調査の結果、菅による人災が証明されたといえる」としており<ref>{{cite news|title=パニックと極度の情報錯綜「やめた方がいいですよ」枝野氏は菅首相にダメ出していたが…|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120228/plc12022800190001-n1.htm|newspaper=産経新聞|date=2012-02-28|accessdate=2013-02-09}}</ref>、一部菅を評価する調査結果についても原発事故担当相だった[[細野豪志]]が民間事故調の聴取で、菅が東京電力本店に赴き「撤退はあり得ない」などと発言したことについて「日本を救ったと思っている」と話ったことが明かされていることから、民間事故調が報告書の中で、菅が東電本店に乗り込んだ際の言動を評価したことについては、細野の証言が強く影響しているとしている<ref>{{cite news|title=「菅前首相は日本を救った」と細野環境相|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120724/dst12072423480020-n1.htm|newspaper=産経新聞|date=2012-07-24|accessdate=2013-02-09}}</ref>。
 
 
 
''国外メディア''
 
:2012年3月には[[ガーディアン|ガーディアン紙]]特派員が「東電幹部の首根っこを抑えた菅前首相は及第点」と<ref>週刊エコノミスト 3月20日特大号</ref>一定の評価をした。
 
:[[ドイツ]]の[[第2ドイツテレビ]](ZDF)は東電幹部、作業員、原子力工学者などに対するインタビューや現地調査、[[河野太郎]]、[[佐藤栄佐久]]などの他、菅直人自身にもインタビューを行って作成した日本の原子力事情や危機管理、福島第一原発事故を巡る一連のドキュメンタリー報道の中で、菅の対応は、原子力危機に対する危機管理が整備されていない状態で、できることの中では十分なものであったと評価した。また日本の政界、財界、産業界、マスコミには総理大臣すらコントロールできない[[原子力村]]と呼ばれる巨大なネットワークが存在すると指摘しており、原発事故後に然したる確証も無いままに[[マスコミュニケーション|マスコミ]]が行った菅に対するネガティブ[[報道]]を行ったことや、政界で[[菅おろし]]の動きが急速に広まったことについても、菅が原子力行政をめぐって原子力村と真っ向から対立したことが大きな原因であるとしている<ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1406700/Die-Folgen-von-Fukushima Die Folgen von Fukushima]</ref><ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1528440/Japans-Trag%C3%B6die:-Risikophilosophie Japans Trago"die: Risikophilosophie]</ref><ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1576888/Die-Fukushima-L%C3%BCge Die Fukushima Lu"ge] - 「マスコミでは彼(菅)を辞任に追い込もうと嘘の情報がばら撒かれた。首相である彼が[[原子力村]]」と対立していたからである」</ref>。
 
:[[イギリス]]の[[英国放送協会|BBC]]は原子力事故に関して作成したドキュメンタリー「Inside the Meltdown」の中で当時の[[東京電力]]の対応を強く批判する一方で、菅の対応は最善とはいえないが、それなりに高く評価はできるとした<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - </ref>。
 
 
 
;その他
 
*元原子炉設計者でもある[[大前研一]]は官邸の「過剰介入」が被害を拡大させたとの事故調の指摘を「的外れ」と批判し、首相に正しいアドバイスができなかった原子力安全委員会に問題があったとしている。一方で、菅をはじめとする民主党政府に全く危機管理能力がなかったことも原発事故直後から明らかで、炉心溶融を2か月も隠して国民に嘘をつき続け根拠もなく広い区域に避難指示を出して損害賠償額を膨大なものにしたとして当時の官邸の対応を批判している<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20120723_130590.html 大前研一氏 原発事故で未だ1人も処罰されぬ国は世界にない]</ref>。
 
*菅の公式ウェブサイトには、作家で元外交官の[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]による、事故当時の菅政権の対応により“都市パニック”を防ぐことができた点においては、肯定的な評価を行うことも重要だと述べたメッセージが掲載されている<ref>[http://n-kan.jp/wp-content/themes/kan_ver2/img/brouchure201412_2.pdf 2014年11月25日「菅直人の復活を期待する会」講演より]</ref>。
 
*2016年4月30日に[[東日本大震災]]と[[東京電力]][[福島第一原子力発電所事故]]後、脱原子力と[[再生エネルギー]]の普及を訴えたとして評価され、[[ドイツ]]の[[フランクフルト市]]から脱原発勇敢賞を受賞した<ref>[http://www.sankei.com/world/news/160501/wor1605010010-n1.html 産経ニュース(2016年5月1日)]</ref>。
 
*2018年7月14日、「安倍総理は3・11東日本大震災とそれに伴う福島原発事故の時も、超党派で対処するという姿勢は取らず、いかに政局に利用するかを考えてウソの情報を流し続けました。」と発言し、東日本大震災時は[[安倍晋三]]が総理大臣だったという認識を示した<ref>[https://twitter.com/NaotoKan/status/1017963360107692032 ツイッター 2018年7月14日]</ref>。
 
 
 
== 政治資金 ==
 
=== 在日韓国人からの献金 ===
 
2011年3月11日、[[資金管理団体]]が、2006年と2009年に、[[金融機関]]の元理事で、現在、[[横浜市]]内で[[不動産]]業や[[飲食店]]などを営む複数の会社で代表取締役を務め、[[町田市]]などで[[パチンコ店]]を3店舗経営し年商が約50億円にのぼる<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/495192/ 首相も外国人から104万円 進退問題に発展も] 産経新聞、2011年3月11日。</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/crm11031110380009-n1.htm 献金男性のパチンコ店経営会社にマスコミ殺到も反応なし] 産経新聞、2011年3月11日。</ref>河本善鎬という[[通名]]の[[日本人]]名を持つ[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]<ref>[http://www.morningstar.co.jp/stock/analyst/2011/3q/STA120110719.html エヴァンゲリオンの渚カヲルも言っている] モーニングスター、2011年7月19日。</ref>から計104万円の献金を受け取っていたことが[[朝日新聞]]の取材で発覚した。在日韓国人系金融機関は、旧[[横浜商銀信用組合]](現[[横浜中央信用組合]])。献金を行った元理事は在日韓国人で、[[外国人]]からの献金を禁じた[[政治資金規制法]]違反にあたる。なお献金を受け取った2006年は民主党代表代行、2009年は政権交代後、[[副総理]]兼[[国家戦略局#国家戦略担当大臣|国家戦略担当大臣]]だった時期にあたる<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103100625.html 菅首相に違法献金の疑い 在日韓国人から 首相側未回答] 朝日新聞、2011年3月11日。</ref>。菅本人は献金の受け取りを認めたものの、元理事が外国人だということは知らなかったと主張した。これを受けて、[[自由民主党 (日本)|自民党]]、[[公明党]]、[[みんなの党]]からは菅の首相退陣を求める声が上がった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110311-OYT1T00479.htm 外国人献金、野党から首相の退陣求める声相次ぐ] 読売新聞、2011年3月11日。</ref>。同日に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]によってこの件の追及は中断した。同年4月8日、菅の資金管理団体「草志会」はこの男性が韓国籍であると確認した上で、受け取った献金104万円を在日韓国人男性に3月14日に返却していたことが分かった<ref>[http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040801000590.html 首相が在日韓国人の献金を返還 104万円] 47NEWS、2011年4月8日。</ref>。[[週刊文春]]は新聞で報じられた3月11日に「落ち着いたら何でもしますから、とにかく逃げて下さい」、3月12日に「過去も現在も未来も会ったことはなかったことにしてほしい」と2度に渡り菅本人が直接在日韓国人男性の携帯に電話連絡をしていたと報じている<ref>週刊文春 4月14日号</ref>。また、5月には、[[神奈川県]]の[[住民]]らが菅に対する[[告発]]状を[[東京地検]]に提出した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110503/crm11050302010001-n1.htm 神奈川県の住民ら告発状提出] 産経新聞、2011年5月3日。</ref>が、[[特別捜査部#東京地方検察庁特別捜査部|東京地検特捜部]]は2011年10月、菅が外国人であるとの事情を知って献金を貰った証拠が無いとして[[不起訴]]とした<ref>{{cite news|url=http://www.asahi.com/national/update/1003/TKY201110030608.html|title=菅前首相を不起訴処分 外国人献金問題で地検特捜部|work=asahi.com|publisher=朝日新聞社|date=2011-10-04|accessdate=2011-10-04}}</ref>。その後、告発していた神奈川県の住民らが、東京地検特捜部の不起訴処分を不服として、[[検察審査会]]に審査を申し立てした<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111013/trl11101302070000-n1.htm 菅首相の不起訴処分は「不服」 検審に審査申し立て 外国人献金問題] MSN産経ニュース、2011年10月13日。</ref>が、東京第3検察審査会は審査の結果、不起訴相当と議決した<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111223/trl11122300480000-n1.htm|title=外国人献金問題、菅直人前首相は「不起訴相当」 東京第3検察審査会|newspaper=産経新聞|date=2011-12-23|accessdate=2012-4-13}}</ref>。
 
 
 
=== 政権交代をめざす市民の会への献金 ===
 
菅の資金管理団体「草志会」は2007年から2009年に計6250万円の政治献金を行うなど「政権交代をめざす市民の会」という政治団体を支援していた<ref>「[http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/268179 拉致容疑者親族の周辺団体に献金=首相認める、6250万円]」『時事通信』2011年7月7日</ref><ref>「自民、首相資金団体と拉致容疑者親族の関係追及」『読売新聞』2011年7月7日。</ref><ref>「首相が献金 自民追求「拉致容疑者親族関係団体に」指摘」『読売新聞』2011年7月8日付朝刊、4面。</ref>。この「政権交代をめざす市民の会」の母体は「市民の党」という政治団体であり、代表の酒井は菅が初当選した選挙を手伝い、民主党議員約100人の選挙応援も行った間柄で、酒井も「菅とは30年ぐらい前からの付き合い」だとしている<ref>「菅首相が6250万円渡した前科1犯「市民活動家」の正体」『週刊文春』2011年7月21日号</ref>。しかし、2011年7月に「市民の党」に石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が所属していたことが発覚<ref>「「北朝鮮」と菅「献金」の深い闇」『ニューズウィーク日本版』2011年7月20日号。</ref>。これを受け平沼赳夫が会長を務める超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」がこの献金問題を解明する調査特別委員会を設置することを決め、調査には東祥三拉致担当副大臣や拉致被害者の支援団体も協力すると明言した<ref>「首相の道義的責任大きい」献金問題で自民PT」『読売新聞』2011年7月8日</ref>。 2011年の参院予算委員会で参考人として出席した家族会事務局長の増元照明から「菅首相は辛元死刑囚の嘆願書への署名について、うかつだったと説明され、われわれ家族会も了承していたが、これで2度目だ。先ほどから分からない、知らなかったなどと答弁されていたが、国民の前で献金の意図を明確にしてほしい」と訴えられ、自民党の山谷えり子からも「わけの分からない団体に2億円も出すのか?」などと厳しく追及された。これを受けて菅は「そういうこと(=拉致事件との関係)があるなら、(問題団体との)お付き合いを控えたい」「そういうことがあるなら、大変申し訳なく思う」と陳謝した<ref>「菅首相:資金管理団体が拉致容疑者親族の関係団体に献金」『毎日新聞』2011年7月21日。</ref><ref>「2次補正予算案:成立は25日に 首相の献金問題で紛糾」『毎日新聞』2011年7月21日。</ref><ref>「[http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201107210659.html 首相、献金問題で陳謝 拉致事件と関係「知らなかった」]」『朝日新聞』2011年7月21日。</ref><ref>「外国人献金で予算紛糾 首相、領収書提出を拒否」『日本経済新聞』2011年7月21日付夕刊、2面。</ref><ref>「「政治とカネ」首相追求 自民、矛先を献金問題に 首相釈明「知らなかった」」『日本経済新聞』2011年7月22日付朝刊、2面。</ref>。市民団体がこの件に関して、政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとして菅の資金管理団体「草志会」を告訴したが、2012年10月5日付で不起訴処分となった<ref>{{cite news| url = http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08008_Y2A001C1CC1000/| title = 菅前首相を不起訴に 東京地検、資金管理団体の献金巡り | newspaper = 日本経済新聞| date = 2012-10-08| accessdate = 2012-10-28 }}</ref>。
 
 
 
== 主な所属団体・議員連盟 ==
 
* [[日韓議員連盟]]
 
* [[立憲フォーラム]](顧問)
 
* [[民主党日韓議員交流委員会]](顧問)
 
* [[日朝国交正常化推進議員連盟]](顧問)
 
* 脱[[原発]]・ロードマップを考える会(顧問)
 
 
 
== 著書 ==
 
; 単著
 
* 『新・都市土地論』[[飛鳥新社]]、1988年
 
* 『国会論争「土地政策」』[[新評論]]、1992年
 
* 『変革の時代』開発社、1995年
 
* 『日本大転換 二十一世紀へ希望を手渡すために』[[光文社]]、1996年
 
* 『大臣』[[岩波新書]]、1998年 増補版 2009年
 
* 『改革政権準備完了 私に賭けてください』光文社、2002年
 
* 『総理大臣の器 「菅」対「小泉」マニフェスト対決』[[幻冬舎]]、2003年
 
* 『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』[[幻冬舎新書]]、2012年
 
*『菅直人「原発ゼロ」の決意 元総理が語る福島原発事故の真実』[[七つ森書館]] 2014
 
*『総理とお遍路』[[角川新書]] 2015
 
 
 
; 共編著
 
* 『土地問題への提言とQ&A』 [[米沢隆]]、[[伊藤茂]]、[[坂口力]] アイピーシー 1987
 
* 『民益論 われら官僚主導を排す』([[鳩山由紀夫]]との共著)[[PHP研究所]]、1997年
 
* 『政権交代のシナリオ 「新しい日本」をつくるために』([[小沢一郎]]との共著)PHP研究所、2003年
 
* 『菅直人 市民運動から政治闘争へ 90年代の証言 』([[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編)、朝日新聞出版、2008年6月 、ISBN 4022504447
 
 
 
== 家族・親族 ==
 
=== 菅家 ===
 
<!-- #菅直人について「在日朝鮮人が出自ではないか?」と疑う人が一部おります。これに対応するため菅直人氏が前近代からの由来を持つ日本人であることを証明する手段として系譜情報は必要なので削除しないで下さい。そもそも菅直人は、ただの無名な庶民ではなく、一国の総理大臣を務めた公人(こうじん)であり、「どういう生まれ育ち、家系なのか知りたい」という人は必ずいます。だから系譜情報は必要! #論争はノートページでお願いします -->
 
; ([[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]][[建部町]]、[[東京都]][[武蔵野市]]
 
; 家系
 
菅家は地元では有名な[[旧家]]<ref name="Sponichi Annex News"/>で、久米南町神目を拠点とした[[美作菅氏#菅納氏|菅納氏]]の本家である<ref name="Sinchou2010617p26">『[[週刊新潮]]』(2010年6月17日号)26頁「菅直人の研究」</ref>。元は[[豪族]]で、[[江戸時代]]は[[庄屋]]を務めた[[家柄]]だったことが合併前の旧建部町の町史にも掲載されている<ref name="Sponichi Annex News"/>。地元に住む菅姓の一族によると「近所のお年寄りは『家から見える土地はすべて菅家のものだった』と話している」といい<ref name="Sponichi Annex News"/>、[[岡山大学]]が歴史研究のために本家所蔵の[[古文書]]を持って行ったこともある<ref name="Sinchou2010617p26"/>。直人の祖父[[菅實]]は医師で久米郡議会議員。その弟は[[弁護士]]だった<ref name="Sinchou2010617p26"/>。集落には1400年代から続く菅家の古い[[墓]]が今も残っている<ref name="Sinchou2010617p26"/>。[[家紋]]は梅鉢紋。
 
閣僚資産公開では、菅夫婦は東京都[[武蔵野市]]に[[マンション]]を共有しているほか、妻の[[菅伸子|伸子]]と2人で[[本籍地]]の[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]に、[[甲子園球場]]の約3・8倍に相当する計約14万9千[[m²]]の[[土地]]を所有している(直人が約6万8648m²、伸子が約8万654m²)<ref name="Sponichi Annex News">[http://web.archive.org/web/20100720060256/http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100716073.html サラリーマン家庭出の菅首相…甲子園の3・8倍の土地持ち(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース]</ref>。非課税の保安林なども含むこれらの土地について、地元の不動産業者は「取引がほとんどなく、標準的な価格は出せない」として資産価値は高くないという<ref name="Sponichi Annex News"/>。菅の事務所によると、土地は父親から[[1982年]]ごろに生前贈与された山林や原野<ref name="Sponichi Annex News"/>。
 
  
* [[祖父]]・'''[[菅實|實]]'''(医師、政治家)
+
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2010~11)。[[東京工業大学]]理学部卒業後,[[弁理士]]となりさまざまな市民運動に参加。
*: [[生年不詳]] - [[1946年]]([[昭和]]21年)没
 
* [[祖母]]・'''妙子'''(岡山<ref name="Zinzi16">『第十六版人事興信録(上)』1951年 す之部 す七頁より</ref>、[[杉治七郎]]七女<ref name="Zinzi16"/><ref>『第廿一版人事興信録(上)、1961年』には「杉七郎七女」とある</ref>)
 
*: [[1891年]]([[明治]]24年)[[8月]]生<ref name="Zinzi16"/> - 没
 
* [[父]]・'''[[菅寿雄|寿雄]]'''([[技術者]]、実業家・[[セントラル硝子]][[常務取締役|常務]]<ref name="Zinmeip192"/>)
 
*: [[1912年]]([[大正]]元年)[[12月]]生<ref name="Zinzi16"/> - [[1991年]]([[平成]]3年)没
 
* [[母]]・'''純子'''([[広島県|広島]]<ref name="Zinzi16"/>、[[三谷良三]][[長女]]<ref name="Zinzi16"/>、[[広島県立福山葦陽高等学校|福山高女]]卒<ref name="Zinzi16"/>)
 
*: [[1921年]]([[大正]]10年)8月生<ref name="Zinzi16"/> - [[2018年]](平成30年)[[3月]]没<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28350460Q8A320C1CC0000/ 菅純子さんが死去 菅直人元首相の母] 日本経済新聞 2018年3月20日</ref>
 
* [[姉]]
 
* [[岳母]]・[[おば]]:'''姫井千恵子'''(政治家)
 
* おばの夫:'''[[津下健哉]]'''(医学者)
 
* [[妻]]・[[いとこ|従姉]]:'''[[菅伸子|伸子]]'''
 
*: [[1945年]](昭和20年)[[10月]]生 -
 
* [[長男]]・'''[[菅源太郎|源太郎]]'''(第一総合研究所[[研究員]])
 
*: [[1972年]](昭和47年)10月生 -
 
* 次男・'''真二郎'''([[獣医師]])
 
  
=== 姫井家 ===
+
1974年の[[参議院議員通常選挙]][[市川房枝]]の選挙活動を指揮したことが契機となって政界に入る。
; (岡山県[[浅口市]][[金光町]]
 
[[菅伸子|伸子]]夫人とは[[いとこ]]同士<ref>「菅伸子夫人、演説デビュー」 (MSN産経ニュース)[[2010年]][[7月1日]]</ref>である。実家の[[姫井家]]は[[江戸時代]]から代々続く[[医師]]の[[家柄]](兄の姫井成は15代目)で、伸子の母は金光町で町会[[議長]]を務めるなど「普段から政治談議に花を咲かせる家庭」だった<ref>『[[週刊新潮]]』([[2010年]][[6月17日]]号)136頁</ref>。姫井姓の政治家では岡山県出身の[[姫井由美子]]がいるが血縁関係はない。
 
  
=== 系図 ===
+
1977年[[江田三郎]]とともに社会市民連合を結成,翌 1978年田英夫らと合流して[[社会民主連合]]を結成する。1980年の[[衆議院議員総選挙]]で初当選を果たし,社会民主連合政策委員長として医療年金,福祉,税制などの問題に取り組む。1994年[[新党さきがけ]]に参加,政務調査会会長を務める。
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== その他 ==
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1996年に発足した[[橋本龍太郎]]内閣に厚生大臣として入閣,おりから係争中であった薬害エイズ事件をめぐる訴訟の解決に尽力し,和解に道を開いた。1996年[[鳩山由紀夫]]らとともに[[民主党]]を結成,鳩山と並んで党代表となる。1998年4月民政党,民主改革連合,新党友愛との合同で成立した新しい民主党の代表に就任。2003年9月には[[自由党]]との合併も果たす。
* {{要出典範囲|身長175cm。|date=2017年8月}}
 
* 座右の銘は「人生、ただ一度」<ref name="ippo3" />。
 
* 趣味は[[スキューバダイビング]](ライセンスは未取得)、[[囲碁]]<ref>{{cite news
 
| url = http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201009010071.html
 
| title = 舌鋒鋭さ持ち味―菅氏 剛腕で舞台回し―小沢氏
 
| newspaper = 中国新聞
 
| date = 2010-09-01
 
| accessdate = 2010-09-20
 
}}</ref>([[小沢一郎]]と囲碁で交流を深めたことがある<ref>[http://news.biglobe.ne.jp/social/696/snk_100118_6963951748.html 小沢さんで注目!権力者は「囲碁」で人脈をつくる? ]{{リンク切れ|date=2011年3月}}</ref>)、[[麻雀]]、[[将棋]]([[田中秀征]]と好敵手であった。田中の頼みで[[日本将棋連盟]]より[[将棋の段級#アマチュア|アマ二段]]を贈られた<ref>[http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-50fc.html 2009年11月23日 (月) 菅直人さんが田中秀征さんと厚生大臣室で将棋] - 田丸昇</ref><ref>[http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-5b58.html 2010年6月28日 (月) 菅直人さんの将棋は攻めが強くて棋力は二段以上] - 田丸昇</ref>{{要高次出典|date=2017年8月}})、[[テニス]]<ref name="ippo3" />。{{要出典範囲|2007年の時点では「ネット囲碁にハマっている」という記載がある。|date=2017年8月}}
 
* [[新潟県中越地震]]によって発生した[[上越新幹線脱線事故]]については「新幹線を迅速に止めるため、最後尾からパラシュートを出す」とのアイデアを紹介している<ref>{{Cite web
 
| author = 菅直人
 
| date = 2004-10-29
 
| url = http://www.n-kan.jp/2004/10/post-653.php
 
| title = 脱線事故
 
| publisher = 菅直人公式サイト
 
| accessdate = 2010-03-02
 
}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
* {{要出典範囲|[[本宮ひろ志]]が、参議院選挙に全国区から立候補、選挙の様子をリアルタイムで執筆し連載する予定だった漫画『[[やぶれかぶれ (漫画)|やぶれかぶれ]]』に秘書らとともに、本宮の指南役として登場している。|date=2017年8月}}
 
* {{要出典範囲|[[東京工業大学]]在学中に麻雀点数計算機を発明。特許を取得し、いくつかの企業に製品化を持ち掛けたが、実用化には至っていない。|date=2017年8月}}試作機の一つが、[[千葉県]][[いすみ市]]の[[麻雀博物館]]に展示されている<ref>[http://museum.takeshobo.co.jp/houmotsu/up/index.html 麻雀博物館 宝物閲覧]</ref>。
 
*{{要出典範囲|カルピスが好物。また酒豪としても知られているが、本人よりも妻の方が強いと言われている。|date=2017年8月}}
 
*{{要出典範囲|芸能人好きでもあり、[[吉川ひなの]]、[[ジュディ・オング]]などのファンでも知られており、[[大橋巨泉]]に打診したのも菅である。他に[[高木美保]]などにも声を掛けたとされている。|date=2017年8月}}
 
<gallery>
 
Okunitama-jinja13.jpg|[[大國魂神社]]の[[節分祭]](2017年2月5日撮影)
 
</gallery>
 
  
== 演じた俳優 ==
+
民主党が野党第一党として勢力を伸ばすなか,党内の中枢にあって党代表,政策調査会長,幹事長などの要職を歴任した。2004年5月党代表を辞任。
  
* [[大和田伸也]] - 日本テレビ『[[1000年後に残したい…報道映像]]』(2011年12月23日放送)
+
2009年9月民主党が政権をとると鳩山由紀夫内閣の副総理兼内閣府特命担当大臣に就任。2010年6月鳩山首相の退陣により党代表に選出され,第94代,61人目の首相に就任した。2011年8月に退陣した。
* [[三田村邦彦]] - 映画『[[太陽の蓋]]』(2016年7月16日公開)
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
 
=== 注釈 ===
 
=== 注釈 ===
 
<references group="注" />
 
<references group="注" />
 
 
=== 出典 ===
 
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
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{{Reflist}}
 
 
* {{Cite book|和書|author=[[小川榮太郎]]|title=約束の日-安倍晋三試論|publisher=[[幻冬舎]]|date=2012-08-31|isbn=978-4344022379|ref=harv}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
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* [[美作菅氏]]
 
* [[国のかたち研究会]]
 
* [[薬害エイズ事件]]
 
* [[政治家の年金未納問題]]
 
* [[民主党公開大反省会]]
 
* [[市川房枝]]
 
* [[江田三郎]]
 
* [[松下圭一]]
 
* [[永井陽之助]]
 
* [[鳩山由紀夫]]
 
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* [[小沢一郎]]
 
* [[本多平直]]
 
* [[笹木竜三]]
 
* [[辛光洙]]
 
* [[菅伸子]]
 
* [[菅源太郎]]
 
* [[樽井良和]]
 
* [[田上等]]
 
* [[文鮮明]]
 
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* [[東京工業大学の人物一覧]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
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{{Commonscat|Naoto Kan}}
 
 
* [http://www.n-kan.jp/ 公式サイト]
 
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* [http://ameblo.jp/n-kan-blog/ 菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」]
 
* [http://kanfullblog.kantei.go.jp/ 菅直人内閣総理大臣 - 首相官邸ブログ(KAN-FULL BLOG)](総理大臣在任中のブログ)
 
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* [http://www.choujintairiku.com/dankai/kan.html 菅直人氏動画メッセージ「団塊世代の第2ステージ」]([[超人大陸]])
 
* [http://www.dpj.or.jp/ 民主党 web-site]
 
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* {{Kotobank|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
 
 
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2018/8/11/ (土) 22:58時点における版


菅 直人(かん なおと、1946年昭和21年)10月10日 - )

政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2010~11)。東京工業大学理学部卒業後,弁理士となりさまざまな市民運動に参加。

1974年の参議院議員通常選挙市川房枝の選挙活動を指揮したことが契機となって政界に入る。

1977年江田三郎とともに社会市民連合を結成,翌 1978年田英夫らと合流して社会民主連合を結成する。1980年の衆議院議員総選挙で初当選を果たし,社会民主連合政策委員長として医療年金,福祉,税制などの問題に取り組む。1994年新党さきがけに参加,政務調査会会長を務める。

1996年に発足した橋本龍太郎内閣に厚生大臣として入閣,おりから係争中であった薬害エイズ事件をめぐる訴訟の解決に尽力し,和解に道を開いた。1996年鳩山由紀夫らとともに民主党を結成,鳩山と並んで党代表となる。1998年4月民政党,民主改革連合,新党友愛との合同で成立した新しい民主党の代表に就任。2003年9月には自由党との合併も果たす。

民主党が野党第一党として勢力を伸ばすなか,党内の中枢にあって党代表,政策調査会長,幹事長などの要職を歴任した。2004年5月党代表を辞任。

2009年9月民主党が政権をとると鳩山由紀夫内閣の副総理兼内閣府特命担当大臣に就任。2010年6月鳩山首相の退陣により党代表に選出され,第94代,61人目の首相に就任した。2011年8月に退陣した。

脚注

注釈

出典

外部リンク