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'''芦田川'''(あしだがわ)は、[[広島県]]東部を流れる芦田川[[水系]]の本流で、[[一級水系|一級河川]]。
+
'''芦田川'''(あしだがわ)
 
 
[[備後国|備後地方]]を代表する[[河川]]である{{Sfn|国交省概要|p=20}}。流路延長86キロメートル、流域面積860平方キロメートル{{Sfn|国交省概要|p=1}}。1967年(昭和42年)6月一級河川に指定{{Sfn|国交省概要|p=52}}。
 
 
 
2015年現在、[[中国地方]]一級河川13水系の内「水質ワースト1位」<ref name="水質">{{Cite web|date=2016-07-20|url=http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=265980&comment_sub_id=0&category_id=112|title=芦田川水質4年連続ワースト|publisher=中国新聞|accessdate=2016-08-19}}</ref>。1972年度から38年間にわたり更新し続けてきたが、2011年度のみ前年に同値だった[[吉井川]]がさらに悪化したため、ワーストを脱出することとなった<ref>{{Cite web|date=2012-08-01|url=http://archive.is/CJuVG|title=芦田川の水質、ワースト脱出|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>。ただ翌2012年吉井川が水質改善したことにより再びワーストとなり<ref>{{Cite web|date=2014-07-23|url=http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=73945&comment_sub_id=0&category_id=112&localfrom=local&category_list=112&pl=9902253327|title=芦田川、2年連続で水質最下位|publisher=中国新聞|accessdate==2014-07-23}}</ref>、以降その記録を更新している<ref name="水質" />。
 
 
 
== 流域 ==
 
{{Vertical_images_list
 
|寄せ=右
 
|幅= 200px
 
| 1=地図 令制国 備後国.svg
 
| 2=備後地方。
 
| 3=基礎自治体位置図 34462.svg
 
| 4=世羅町。町の南東端が上流域にあたる。
 
| 5=基礎自治体位置図 34207.svg
 
| 6=中・下流域殆どを占める福山市。
 
}}
 
広島県[[三原市]]大和町大字藏宗(標高570メートル)に源を発し、[[世羅台地]]([[吉備高原]])を概ね東流、[[府中市 (広島県)|府中市]]へ出る{{Sfn|国交省概要|p=1}}。[[福山平野|神辺平野]]にはいり、[[福山市]]北部で南流へ転じ[[福山平野]]を南下、福山市街の西を通って[[備後灘]]([[瀬戸内海]])に注ぐ{{Sfn|国交省概要|p=1}}。途中で支流をあわせ、全流域は県東部および一部[[岡山県]]西部にまたがる{{Sfn|国交省概要|p=1}}。
 
 
 
以下、本流域および主要な支流域にある市町村{{Sfn|国交省概要|p=2}}を上流から列挙する。括弧内は[[日本の市町村の廃置分合|平成の大合併]]以前の自治体名。特記のない市町村は広島県。
 
* 芦田川 - [[三原市]]([[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]][[大和町 (広島県)|大和町]])、[[世羅郡]][[世羅町]](世羅町、世羅郡[[甲山町]])、[[府中市 (広島県)|府中市]]、[[福山市]]([[芦品郡]][[新市町]]、福山市)
 
** 京丸川 - 世羅郡世羅町
 
** 山田川 - 世羅郡世羅町(世羅郡甲山町)
 
** 矢多田川 - [[神石郡]][[神石高原町]](神石郡[[三和町 (広島県神石郡)|三和町]])、府中市([[甲奴郡]][[上下町]])、世羅郡世羅町(世羅郡甲山町)
 
** 宇津戸川 - 世羅郡世羅町(世羅郡甲山町)
 
** 阿字川 - 府中市(甲奴郡上下町、府中市)
 
** 御調川 - 三原市([[御調郡]][[久井町]])、[[尾道市]](御調郡[[御調町]])、府中市
 
*** 山田川 - 尾道市(御調郡御調町)
 
** 出口川 - 府中市
 
** 砂川 - 府中市
 
** 神谷川 - 神石郡神石高原町(神石郡三和町)、福山市(芦品郡新市町)
 
** 有地川 - 福山市(芦品郡[[芦田町]][[駅家町]])、
 
** 服部川 - 福山市
 
** 高屋川 - [[岡山県]][[井原市]]、福山市([[深安郡]][[神辺町]]、福山市)
 
*** 加茂川 - 福山市(福山市、深安郡神辺町)
 
**** 四川 - 福山市
 
*** 箱田川 - 福山市(深安郡神辺町)
 
*** 竹田川 - 岡山県[[笠岡市]]、福山市(福山市、深安郡神辺町)
 
** [[瀬戸川 (広島県)|瀬戸川]] - 福山市
 
*** 河手川 - 福山市
 
 
 
== 地理 ==
 
{{ external media
 
| topic = [[広島県立文書館]]所有の戦前の絵葉書。
 
| align  =
 
| width  = 200px
 
| image1 = [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/picture/images/200407-1784_01.jpg [絵葉書](備後 芦田川 上流)] - 上流域の風景
 
| image2 = [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/picture/images/200407-1783_01.jpg [絵葉書](備後府中 芦田川ヨリ岩鼻ヲ望ム)] - 中流域のもの
 
| image3 = [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/picture/images/200407-1782_01.jpg [絵葉書](備後芦田川堤防決潰口)] - 下流域のもの
 
}}
 
上中下流域は以下のとおり。
 
; 上流域 - 源流から府中市{{Sfn|国交省概要|p=82}}
 
: 台地区域であり、流域ほとんどを台地の切れ目に沿って小さく蛇行している。三原市大和町の源流から東進し、[[世羅郡]][[世羅町]]大字京丸で京丸川が合流、世羅町大字川尻付近で北進し、[[三川ダム]]およびダム湖である神農湖を形成する。そこから北進し、世羅町大字伊尾字的場付近で山田川および矢多田川が合流、そこから南進し、[[八田原ダム]]およびダム湖である芦田湖を形成し宇津戸川が流れこむ。そこから西進、府中市久佐町で阿字川が合流、府中市河佐町で南進、府中市篠根町で御調川が合流し、そこから北東方向へ進み府中市中心部である府中町へと入る。
 
;中流域 - 府中市市街地から神辺平野{{Sfn|国交省概要|p=83}}
 
: 古代は芦田川下流域であった区域である。府中町内で出口川と合流、中須町内で砂川が合流、その後は神辺平野を東南東へと進む。途中、福山市新市町で神谷川が、福山市駅家町で有地川と服部川が合流する。福山市御幸町大字中津原で南西方向へ大きくカーブする。
 
; 下流域 - 福山平野(福山市中心部){{Sfn|国交省概要|p=83}}
 
: 古代は海中あるいは遠浅の浅瀬で、以降の開発により平野となった区域である。御幸町大字中津原で高屋川が合流、福山市中心街西側を南南西から南南東へ緩やかにカーブを描きながら、福山市神島町付近で瀬戸川が合流し、以降南南東方向へと進み、[[芦田川河口堰]]を経て、河口となり、備後灘へと流れこむ。
 
 
 
また、当地の気候区分は[[瀬戸内海式気候]]に属し、[[梅雨]]と[[台風]]以外の降雨および降雪が少ない{{Sfn|国交省概要|p=6}}。流域都市の年間降水量は全国平均の2/3程度である{{Sfn|国交省概要|p=6}}<ref name="chugokuashidagawa2">{{Cite web|url=http://web.archive.org/web/20060517050745/http://www.chugoku-np.co.jp/ashidagawa/2.html|title=細る流れ 工業用水の需要は低迷 なお強い依存体質|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
中国地方の主要都市を流れる他の一級河川との違いや特徴は以下のとおり。
 
# 源流が保水力のある[[中国山地]]ではなくそれより南に位置する世羅台地にある。
 
# 全流域が台地(標高250メートルから500メートルまで)と平野(標高250メートル以下)でほぼ二分されている{{Sfn|国交省概要|p=3}}
 
# 河口から約30キロメートル地点(府中市市街地よりやや上流)で急激に河床勾配が変化する{{Sfn|国交省概要|p=85}}(距離標35.0から19.0間で、河床勾配は1/110→1/180→1/400→1/700と変化{{Sfn|国交省概要|p=80}})。
 
# 流量が少ない中で下流域の水利用が減らないため、上流より下流の流量が少なくなっている<ref name="chugokuashidagawa2" /><ref name="chugokunewseto">{{Cite web|date=1998-03-30|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/setouti/newseto/980330/980330.html|title=豊かさの代償 -陸の利便 海脅かす-|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
# 下流域の土地ほとんどが洪水水位より低い地盤高である{{Sfn|国交省概要|p=4}}。
 
そのため、中・下流に[[備後都市圏]]の中心地であり[[中核市]]である福山市を抱えかなりの水利用がある中で、[[洪水]]対策を取らなければならないのと同時に[[渇水]]対策も取らなければならない、[[治水]]・[[利水]]共に難しい河川である。
 
 
 
== 沿革 ==
 
=== 初期 ===
 
[[ファイル:府中市街.JPG|200px|right|thumb|中流域の中心都市、府中市。中央の川が芦田川(河口から約27km付近)]]
 
3千年から4千年前の太古の昔、現在の中・下流域は「穴の海」と呼ばれる沼あるいは湿地帯であった<ref name="aemchistory">{{Cite web|url=http://fm777.co.jp/pc/aemc/about/history.html|title=歴史|publisher=芦田川環境マネジメントセンター|accessdate=2014-03-05}}</ref>。年月を重ねるうちに、上流から流出してきた土砂が堆積し平野を形成、[[弥生時代]]にはその平野に「穴国」ができ人々が住んでいた<ref name="aemchistory" />。
 
 
 
中流域は江戸時代までこの地域の中心地であった{{Sfn|県概要下流|p=2}}。駅家に[[6世紀]]後半から[[7世紀]]初頭に造られた備後地方としては珍しい大規模[[前方後円墳]]の「[[二子塚古墳 (福山市)|二子塚古墳]]」があり、これはこの地域が[[吉備国]]の一部として[[ヤマト王権]]と繋がりがあったことを示している<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-106120230.html|title=二子塚古墳|publisher=広島県の文化財|accessdate=2014-03-05}}</ref>。7世紀後半に[[備後国]]が設けられると、[[国府]]は府中に{{Sfn|県概要下流|p=2}}、[[国分寺]]は神辺に置かれた。[[山陽道]]と[[石州街道銀の道|石州街道]]の交点である「御調」が栄え{{Sfn|県概要上流|p=2}}、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に[[神辺城]]が築城され、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで神辺は備後国の要所として機能した。
 
 
 
一方当時の河口には、[[日本の港町|港町]]あるいは[[明王院 (福山市)|明王院]]の[[門前町]]として[[草戸千軒町]]が栄えていた。更に南には潮待ちの港として[[鞆の浦]]が発展していた。
 
 
 
[[慶長]]年代([[1596年]]〜[[1615年]])に府中の国府付近が大規模な洪水により流出した記録が江戸時代後期の地誌『[[備陽六郡志]]』に残っている{{Sfn|国交省概要|p=50}}。なお、中国地方の一級河川である[[斐伊川]]・[[江の川]]・[[旭川 (岡山県)|旭川]]・[[太田川]]などは、[[中国山地]]内での[[たたら製鉄]]に伴う森林伐採による土砂流出によりこの時代に洪水と平野形成が行われているが、上記の通り源流が中国山地内にない芦田川はその影響はなかった。
 
 
 
=== 福山藩による流路改修 ===
 
{{Vertical_images_list
 
|寄せ=右
 
|幅= 200px
 
| 1=Nakatuhara area of Ashida river 1981.jpg
 
| 2=中津原<ref name="miltpic">{{国土航空写真}}</ref>(河口から約14から15km付近)。勝成による治水普請。右下の川が高屋川で、この右上方向に神辺がある。
 
| 3=Hasuike.JPG
 
| 4=どんどん池(蓮池)。福山上水の沈殿池として用いられた。
 
}}
 
{{main|福山 (城下町)}}
 
転機となったのは、[[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年)に[[譜代大名]][[水野勝成]]が[[備後福山藩]]主として入封したことである。西国の有力[[外様大名]]に対する押さえとして[[福山城 (備後国)|福山城]]が築城され、周辺開発を積極的に行い領内の経営に努めた。
 
 
 
その中で河川改修が行われた。河口部に広がる干潟を干拓し農地に変え、福山城下への氾濫を防ぐため城から川を遠ざけるよう流れを西寄りに改修する工事が行われた{{Sfn|国交省概要|p=50}}。その中で有名なものが、中津原の改修である。府中から蛇行していた川筋を東へまっすぐ流し、中津原で南へ直角に曲げ、その曲がり角に二重堤防を築き、この地点で意図的に河川を氾濫させ城下を洪水から守る普請を行った{{Sfn|国交省概要|p=50}}。勝成はその他、日本三大[[上水道]]である[[福山旧水道|福山上水]]{{Sfn|国交省概要|p=53}}や[[服部大池]]を普請している。
 
 
 
このころの芦田川は現在の福山市神島町から「鷹取川」と芦田川に分岐し、鷹取川は市内側・芦田川は山側を流れ、現在の水呑町付近で合流し河口へと流れていた{{Sfn|国交省概要|p=51}}。ちなみにこの2つの川に挟まれた中洲にあった草戸千軒町は、[[1673年]]([[寛文]]13年)の大規模洪水により水没している{{Sfn|国交省概要|p=50}}。
 
 
 
[[江戸時代]]、勝成以降は大規模な河川改修は行われなかった{{Sfn|国交省概要|p=50}}。この間、福山藩は船運の航路確保のため積極的に堆積土砂対策に務めた{{Sfn|国交省概要|p=35}}。具体的には、流域の村に頻繁な浚渫を命じ、出水8[[尺]]5[[寸]](約2.58 m)時点で役所に報告され藩による防災活動を開始、1[[丈]](約3.03 m)時点で城の西側にあたる本庄に約200人の人夫が集まる手はずとなっていた<ref>{{Cite book|和書|publisher  = 工学会 |title = 明治工業史 土木篇 第二編河川|origdate = 1929 |url =http://library.jsce.or.jp/Image_DB/s_book/jsce100/pdf/01227/01227_02.pdf|format = PDF|accessdate =2014-03-15}}</ref>。
 
 
 
[[明治時代]]にはいり[[廃藩置県]]以降、船運確保のための土砂対策が行われなくなり{{Sfn|国交省概要|p=35}}、堆積土砂や老朽化した堤防が原因で80ミリメートル以上の降雨で簡単に洪水してしまい、これが毎年のように続いた{{Sfn|国交省概要|p=50}}。
 
 
 
=== 近代の改修 ===
 
{{Vertical_images_list
 
|寄せ=右
 
|幅= 200px
 
| 1=FUKUYAMA Bombing Damage map 1945.jpg| 2=1945年戦災概況図。改修前であり当時の鷹取川も確認できる。
 
| 3=Kusadosengen of Ashida river 1974.jpg| 4=明王台およびそれ以東(河口から約8km付近)<ref name="miltpic" />。写真上から右下へ伸びる道路が旧・鷹取川の名残。写真当時(1974年)は中洲で草戸千軒発掘が行われている。発掘のため制限しているとはいえ流量不足が確認できる。
 
}}
 
[[1919年]]([[大正]]8年)[[7月]]、[[梅雨前線]]による洪水により、府中・駅家・神辺・福山中心部、つまり現在の中流域から下流域を襲う大規模な洪水が発生する{{Sfn|国交省概要|p=40}}。被害状況は、死者23人、家屋全壊226戸、家屋半壊190戸、床上浸水770戸、床下浸水5468戸{{Sfn|国交省概要|p=40}}。
 
 
 
これを契機に、芦田川の府中から下流側の治水工事が決定し、[[1921年]](大正10年)に着工した{{Sfn|国交省概要|p=52}}。その中で最も大きな事業が、鷹取川を廃川にし埋め立て、その付近の中洲を掘削し芦田川を拡幅する工事であった{{Sfn|国交省概要|p=52}}。この工事の最中、[[1930年]]([[昭和]]5年)には江戸時代に消滅して存在自体忘れ去られていた草戸千軒町で陶磁器や古銭等が多数出土している{{Sfn|国交省概要|p=25}}。
 
 
 
戦時中は工事を中断する。[[1945年]](昭和20年)[[8月8日]]の[[福山大空襲]]の際には、一部の市民はこの川へ避難してきている<ref>{{Cite web|date=2002-06-04|url=http://web.archive.org/web/20120626204428/http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/bingo/1-10.html|title=俳優 三谷昇さんインタビュー|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>。同年[[9月]]、大型の[[枕崎台風]]による洪水では中流域を中心に大きな被害となった{{Sfn|国交省概要|p=41}}。被害状況は、死者85人、家屋全壊122戸、家屋半壊84戸、家屋浸水2714戸、冠水面積1135ha{{Sfn|国交省概要|p=41}}。
 
 
 
戦後、芦田川改修工事を再開し、合わせて枕崎台風被害の復旧工事も行われた{{Sfn|国交省概要|p=52}}。また、下流域の農業用水確保のため[[灌漑]]専用ダム建設が決定し、[[1949年]](昭和24年)に着工、[[1960年]](昭和35年)に[[三川ダム]]として竣工した。
 
 
 
[[1961年]](昭和36年)、大正時代から続いた大規模改修はほぼ完成した{{Sfn|国交省概要|p=52}}。また、同年から草戸千軒町遺跡の大規模な発掘調査を開始している{{Sfn|国交省概要|p=25}}。
 
 
 
=== 高度経済成長 ===
 
[[ファイル:Estuary Weir of Ashida river 1981.jpg|200px|right|thumb|芦田川河口堰<ref name="miltpic" />。左岸下流側に管理事務所がある。右岸側は同時期にできた[[福山市竹ヶ端運動公園|竹ヶ端運動公園]]。]]
 
第2の転機となったのは、[[1964年]](昭和39年)の通商産業省(現[[経済産業省]])による「備後工業整備特別地域」に指定{{Sfn|国交省概要|p=33}}、[[1966年]](昭和41年)に日本鋼管福山製鉄所(現[[JFEスチール西日本製鉄所]])が操業開始<ref name="2000-12-24">{{cite news |title=21世紀への宿題「起業家魂 今も息づく」 |newspaper=[[中国新聞]] |publisher=[[中国新聞社]] |date=2000-12-24 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/task21/1224.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20131029203817/http://www.chugoku-np.co.jp/task21/1224.html |archivedate=2013-10-29 |accessdate=2014-03-05}}</ref>したことである。以降、福山を中心に重工業都市{{Sfn|国交省概要|p=33}}として爆発的に人口増加していく。
 
 
 
この中で都市用水および工業用水の確保が急務となり、三川ダムの嵩上げ工事が行われ、[[1969年]](昭和44年)に[[芦田川河口堰]]着工、[[1973年]](昭和48年)に[[八田原ダム]]着工となった。[[1981年]](昭和56年)には河口堰竣工、[[1997年]]([[平成]]9年)には八田原ダム竣工{{Sfn|国交省概要|pp=87-88}}。
 
 
 
ただ、[[1972年]](昭和47年)から中国地方の一級河川における水質ワースト1を記録、以降記録を更新し続けている。[[1986年]]、支流の出口川でカドミウム汚染が発覚し、府中市と広島県が対策事業を始めた<ref name="kagaku19871016">広島県、出口川汚染対策で処理施設を建設へ (自治体の動き)1987年10月16日 [[化学工業日報]] 11頁 (全423字)</ref>。[[1993年]](平成5年)の[[地方拠点都市地域の整備及び産業業務施設の再配置の促進に関する法律|地方拠点法]]に基づき「福山地方拠点都市地域」に指定{{Sfn|国交省概要|p=33}}される中で、水質ワースト記録を更新し続けた。
 
 
 
=== 水質改善へ ===
 
[[1970年]](昭和45年)に芦田川流域自治体でつくる「芦田川水系の水を守る会」が結成され、水の調査や自然体験会などを開いて、水質改善に向けた取り組みが始まる<ref name="2013-10-23">{{cite news |title=芦田川守る会43年で幕 |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |date=2013-10-23 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310230007.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20131029202755/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310230007.html |archivedate=2013-10-29 |accessdate=2014-03-05}}</ref>。[[2004年]](平成16年)には、国や市および市民団体で「芦田川環境マネジメントセンター(AEMC)」を設立、官民をあげて改善へと動いていく。
 
 
 
AEMCは水質悪化の原因を支流高屋川の悪化が主因と見ている。この川は、福山のベッドタウンである神辺中心を流れているが、当地は[[下水道]]整備が遅れており([[2010年]]現在、流域の普及率4割<ref name="asahi20101118">{{Cite web|date=2010-11-18|url=http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000671011180001|title=ストップ生活汚水/福山・芦田川|publisher=朝日新聞|accessdate=2011-08-26|deadlinkdate=2014-03-05}}</ref>
 
)生活排水が河川に流入して、そもそも流量自体少ないことも相まって、水質悪化に繋がっている<ref>{{Cite web|url=http://fm777.co.jp/pc/aemc/about/why.html|title=なぜ汚れるのか|publisher=芦田川環境マネジメントセンター|accessdate=2014-03-05}}</ref>。AEMCは改善に向け、高屋川流域および更に芦田川下流にある支流瀬戸川流域の住民に生活排水を川へ流さないよう呼びかけている<ref name="asahi20101118" />。国土交通省は、芦田川と高瀬川の合流部に「高屋川河川浄化施設」、芦田川から河川水を浄化用水として高屋川に流し流量を増やす「浄化用水導入事業」、と中津原地区に2事業を行った{{Sfn|国交省概要|p=38}}。
 
 
 
また、AEMCの考えとは別に、河口堰による[[汽水]]域の消滅も水質悪化の原因とする見解もある<ref name="chugokuashidagawa1">{{Cite web|url=http://web.archive.org/web/20060304082338/http://www.chugoku-np.co.jp/ashidagawa/1.html|title=よどむ水 減る魚・鳥 アオコも発生 湖沼化進む生態系|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>。河口湖は[[富栄養化]]が進み[[アオコ]]が発生しているが<ref name="chugokuashidagawa1" />、河口堰を管理する国交省は上記の高屋川事業により河口湖の改善もできるとしている{{Sfn|国交省概要|p=38}}。地元市民団体を中心に水門の常時開放を願う嘆願書を国交省や市に提出していた<ref>[http://asidagawa.sunnyday.jp/index.html 芦田川ルネサンスネットワーク]</ref>が、堰開放により上流からヘドロが流入し漁場が荒れるとして開放に否定的な漁師もいる<ref name="chugoku980209">{{Cite web|date=1998-02-09|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/setouti/newseto/980209/980209.html|title=消える生命 -侵される安息の海-|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref>こともあり、国交省は水の入れ替え促進を目的とした「弾力的放流」を継続的に行っている<ref>{{Cite web|url=http://www.cgr.mlit.go.jp/fukuyama/kasen/kacousekifu/%E8%8A%A6%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E5%A0%B0%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81.pdf|format=PDF|title=芦田川河口堰定期報告書 審議内容の概要|publisher=国土交通省|accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
[[2013年]](平成25年)[[10月22日]]、「芦田川環境マネジメントセンター」などと活動が重複することから、4市1町([[福山市|福山]]、[[府中市 (広島県)|府中]]、[[尾道市|尾道]]、[[井原市|井原]]、[[世羅町|世羅]])でつくる「芦田川水系の水を守る会」が年度末での解散を決定、43年の活動に幕が閉じられる<ref name="2013-10-23"/>。
 
 
 
== 測定結果 ==
 
{{節スタブ}}
 
{{Col-begin}}
 
{{Col-break}}
 
{| class="wikitable" style="width:300px; text-align:center; font-size:small;"
 
|-
 
!年!!Q!!BOD!!備考
 
|-
 
|1970||||||
 
|-
 
|1975||||||
 
|-
 
|1980||||||
 
|-
 
|1985||20.74||5.3||
 
|-
 
|1990||15.96||4.0||
 
|-
 
|1995||8.77||6.7||
 
|-
 
|2000||4.43||4.0||
 
|-
 
|2005||不明||6.7||浚渫中
 
|-
 
|2010||||2.1||
 
|}
 
{{Col-break}}
 
 
 
国交省が流量観測地点を置いている山手橋(河口から約9.3キロメートル、上流流域面積798.8平方キロメートル)付近の、5年ごとの年平均流量(Q){{Sfn|国交省概要|p=64}}と[[生物化学的酸素要求量]](BOD)<ref name="d-dat-water-waterdat">{{Cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/eco/d-dat-water-waterdat.html|title=公共用水域水質測定結果(経年変化)|publisher=広島県|accessdate=2014-03-05}}</ref>を示す。
 
 
 
流量は1秒あたりの立方メートル、BODはリッターあたりのミリグラム。測定地点の[[環境基準]]は「A類型(リッターあたり2ミリグラム、2.0mg/l)」。
 
 
 
特に1994年の[[平成6年渇水]]時のBODは12.0と渇水時には高い値を示している<ref name="d-dat-water-waterdat" />。また、2006年(平成14年)から測定地点付近で国交省により[[浚渫]]工事を数年にわたって行っていたため、数年間流量値はない。
 
{{Col-end}}
 
 
 
== 自然 ==
 
{{Vertical_images_list
 
|寄せ=右
 
|幅= 200px
 
| 1=庭土に使われる予定の真砂土P3304267.JPG
 
| 2=マサ土。
 
| 3=Andrias japonicus cropped.jpg
 
| 4=特別天然記念物のオオサンショウウオ。
 
| 5=Buergeria buergeri.jpg
 
| 6=カジカガエル。
 
| 7=Phragmites australis Schilfrohr.jpg
 
| 8=中・下流域ほとんどで生育するヨシ。
 
}}
 
[[瀬戸内海国立公園]]の備後灘、[[天然記念物]]「[[久井・矢野の岩海]]」、上流域に県自然環境保全地域が2箇所・緑地環境保全地域が2箇所・県立自然公園が1箇所{{Sfn|国交省概要|p=28}}と自然豊かな流域ではあるが、上記の通り一部に汚濁が目立っている。
 
 
 
; 地質
 
流域全体は[[花崗岩]]で形成され、下流の平野は風化した花崗岩「[[真砂土|マサ土]]」が上流から流れて堆積した沖積平野となっている{{Sfn|国交省概要|p=5}}。
 
 
 
上流域は、[[流紋岩]]・[[閃緑岩]]・花崗岩など混在した地層となっている{{Sfn|国交省概要|p=5}}。久井・矢野の岩海は[[花崗閃緑岩]]、景勝地「[[河佐峡]]」は[[変輝緑岩]]および[[斑れい岩]]で形成されている{{Sfn|国交省概要|p=5}}。中流・下流域は[[粘板岩]]や流紋岩からなり、風化した花崗岩による沖積平野の特徴がみられる{{Sfn|国交省概要|p=5}}。
 
 
 
; 生物
 
1997年(平成9年)から2001年(平成13年)に行われた河川水辺の国勢調査(河川センサス)によると以下の[[種 (分類学)|種]]が確認されている{{Sfn|国交省概要|p=7}}。
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
* [[植物]]:128科718種
 
* [[魚介類]]:9目20科51種
 
* [[底生動物]]:4目11科18種
 
* [[鳥類]]:11科27目74種
 
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
* [[両生類]]:2目5科8種
 
* [[爬虫類]]:2目6科9種
 
* [[哺乳類]]:5目7科11種
 
* [[昆虫|昆虫類]]:16目194科1186種
 
</div>{{clear|left}}
 
貴重な種としては、[[アカザ (魚)|アカザ]]、[[エビネ]]、[[エヒメアヤメ]]、[[ギフチョウ]]、[[カジカガエル]]、[[スジシマドジョウ]]、[[メダカ]]、[[グンバイトンボ]]、[[ハグロトンボ]]、[[ゲンジボタル]]、[[ナガサキアゲハ]]、[[オオムラサキ]]などが確認されている{{Sfn|国交省概要|p=7}}{{Sfn|県概要上流|p=7}}。特に、[[特別天然記念物]]の[[オオサンショウウオ]]は上流域の広い範囲で確認されている{{Sfn|県概要上流|p=7}}。一方で護岸整備による環境変化が原因となり[[アユモドキ]]が絶滅したと見られている<ref>{{cite news |title=共存できる川つくろう 広島・安古市高教諭 内藤順一さんに聞く |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |date=2003-12-28 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In03122801.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20120924014142/http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In03122801.html |archivedate=2012-09-24 |accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
上流域は、世羅台地上の大半を[[アカマツ]]が植生し、[[カワムツ]]や[[オイカワ]]など渓谷特有の動植物が生息している{{Sfn|国交省概要|p=9}}{{Sfn|県概要上流|p=7}}。中流域は、[[ヨシ]]や[[クサヨシ]]や[[ヤナギ]]が群生、そこでは[[サギ]]が住み着き、[[アユ]]・[[オイカワ]]・[[ニゴイ]]などの魚類が生息する{{Sfn|国交省概要|p=10}}。下流域には、流量不足から中洲が形成され、[[セイタカヨシ]]・[[カワヤナギ]]・[[オギ]]などが群生、[[ヨシ原]]では[[オオヨシキリ]]が巣を作っている{{Sfn|国交省概要|p=11}}。なおこれらヨシ原のうち下流域の福山市明王台付近の右岸および中洲のものは、ヨシの水質浄化作用を期待して国土交通省により意図的に整備されたものである<ref>{{cite news |title=芦田川浄化 官民努力続く |newspaper=[[読売新聞]] |publisher=[[読売新聞社]] |date=2013-08-28 |url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/feature/hiroshima1197001129611_02/news/20130827-OYT8T01306.htm |archiveurl=http://web.archive.org/web/20131104071446/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/feature/hiroshima1197001129611_02/news/20130827-OYT8T01306.htm |archivedate=2013-11-04 |accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
上記の通り、高度経済成長以降大きく環境が変わったのが、生活用水の流れ込みにより水質悪化した支流高屋川流域と、河口堰の完成により汽水域が消滅した河口付近である。高屋川は汚濁が進行し、主として澱みを好む種が生息している{{Sfn|国交省概要|p=14}}。以前河口にあった汽水域では[[ヤマトシジミ (貝)|ヤマトシジミ]]や[[アサリ]]、[[アサクサノリ]]が自生していた<ref name="chugokunewseto" /><ref name="chugokuashidagawa1" /><ref name="chugoku980209" />。だが河口堰完成以降はそれらを扱う漁師は減少しアサリの稚貝を放流している状況である<ref name="chugokunewseto" /><ref name="chugokuashidagawa1" /><ref name="chugoku980209" />。
 
 
 
== 施設 ==
 
当地は瀬戸内海式気候に位置し降水量が望めないことから、古くから灌漑用溜池が作られた。その中の一つに、水野勝成が工事を指揮した[[服部大池]]がある。一方で流域ほとんどを占めるマサ土は、降雨のたびに流出し土砂災害となったり、堆積土砂として下流域に貯まることにより定規断面を狭め洪水災害につながってきた。そのため、砂防施設も古くから建設されている。
 
 
 
高度経済成長以降、水利用が減らないことに加え水質悪化懸念があることから、官民あげて総合的な利水策を検討している。
 
 
 
=== ダム/堰 ===
 
{| class="sortable wikitable" style="width:100%; text-align:center; font-size:small;"
 
|+ <strong style="font-size:middle;">芦田川水系のダム・堰<ref>{{Cite web|url=http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/ZenItiIndex.cgi?zi=zen&sy=ken|title=都道府県別全項目インデックス|publisher=財団法人日本ダム協会『ダム便覧』|accessdate=2014-03-05}}</ref>{{Sfn|県概要上流|p=2}}{{Sfn|県概要下流|pp=4-5}}高さはメートル、[[ダム#諸元|総貯水容量]]は1,000立方メートル。着色欄は施工中。
 
|-
 
!{{Nowrap|[[本流]]・<br/>一次[[支流]]}}<br />
 
!二次支流<br />
 
!三次支流<br />
 
!{{Nowrap|河川施設}}<br />
 
![[日本のダム#河川局長通達による分類|分類]]<br/>
 
![[ダム#型式一覧|型式]]<br />
 
![[ダム#諸元|高さ]]<br />
 
![[ダム#諸元|総貯水容量]]<br />
 
!{{Nowrap|事業者}}<br />
 
!完成年<br/>
 
!備考<br />
 
|-
 
|芦田川||||||神田大池||||[[アースダム|アース]]||align="right"|22.3||align="right"|550||[[広島県]]||1989||
 
|-
 
|芦田川||||||[[三川ダム]]||||[[重力式コンクリートダム|重力]]||align="right"|53||align="right"|12698||[[中国四国農政局]]||1959||1973年嵩上
 
|-
 
|芦田川||||||[[八田原ダム]]||||重力||align="right"|84.9||align="right"|60000||[[中国地方整備局]]||1997||
 
|-
 
|芦田川|||||||[[芦田川河口堰]]||||[[堰]]||align="right"|6||align="right"|5460||中国地方整備局||1981||
 
|-
 
|京丸川||||||[[京丸ダム]]||||重力||align="right"|25.5||align="right"|499||中国四国農政局||1996||
 
|-
 
|神崎川||||||神崎大池||||アース||align="right"|17.9||align="right"|150||神崎土地改良区||1950||
 
|-
 
|山田川||||||[[山田川ダム]]||||重力||align="right"|32.1||align="right"|700||広島県||2005||
 
|-
 
|宇津戸川||||||宇津戸大池||||アース||align="right"|19.3||align="right"|186||中原地区||1943||
 
|-
 
|御調川||||||[[御調ダム]]||||重力||align="right"|53.1||align="right"|5040||広島県||1988||旧「津蟹ダム」
 
|-
 
|御調川||野間川||||吉田大池||||アース||align="right"|23.5||align="right"|313||久井土地改良区||1899||
 
|-
 
|御調川||野間川||||[[野間川ダム]]||||重力||align="right"|31.5||align="right"|560||広島県||2012||旧「久井ダム」
 
|-
 
|御調川||山田川||綾目川||宇根山大池||||アース||align="right"|16||align="right"|58||不明||1947||
 
|-
 
|神谷川||藤尾川||||川井谷調整池||||重力||align="right"|16.5||align="right"|47||広島県||1971||
 
|-
 
|神谷川||父尾川||||[[藤尾ダム]]||||[[ロックフィルダム|ロックフィル]]||align="right"|32.5||align="right"|870||広島県||1974||
 
|-
 
|服部川||不明||||雨木池||||アース||align="right"|15||align="right"|118||広島県||1987||
 
|-
 
|服部川||||||[[服部大池]]||||アース||align="right"|15||align="right"|650||服部大池水利組合||1997||
 
|-
 
|高屋川||清水川||||三反田池||||アース||align="right"|17.5||align="right"|160||広島県||1975||
 
|-
 
|高屋川||加茂川||||大谷池||||アース||align="right"|27.3||align="right"|891||大谷池農業水利組合||1990||
 
|-
 
|高屋川||加茂川||四川||[[四川ダム]]||||重力||align="right"|58.9||align="right"|1650||広島県||2004||
 
|-
 
|瀬戸川||河手川||片丘川||鈴池||||アース||align="right"|19||align="right"|386||広島県||1971||
 
|-
 
|瀬戸川||論田川||久師川||[[熊野ダム]]||||アース||align="right"|29.1||align="right"|不明||福山市||1925||
 
|-
 
|瀬戸川||論田川||||光林寺池||||アース||align="right"|19.9||align="right"|433||広島県||1997||
 
|}
 
<gallery>
 
ファイル:Hattabara.JPG|八田原ダム
 
ファイル:Mikawa-1959-r1.JPG|三川ダム
 
ファイル:Shikawa.JPG|四川ダム
 
ファイル:Yamadagawa-3089-r1.JPG|山田川ダム
 
ファイル:Ashidakawa kakouzeki 02.JPG|芦田川河口堰
 
ファイル:Hattori Oike survey 1974.jpg|服部大池<ref name="miltpic" />
 
</gallery>
 
 
 
=== 砂防 ===
 
マサ土による土砂災害は1641年([[寛永]]18年)福山藩主[[水野勝俊]]から家老に災害を憂いた文章が残っている{{Sfn|国交省概要|p=27}}ほど、この流域では古くから悩ませている。土砂災害対策は2010年現在でも重要な問題であり、特に広島県は土砂災害危険箇所の数は日本一<ref>{{Cite web|url=http://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/sonota/sabo/pdf/001_hiroshima_2010.pdf|format=PDF|title=広島県の砂防|publisher=広島県|accessdate=2014-03-05}}</ref>のものとなっているため、県を中心に災害対策が取られている。
 
 
 
; [[福山藩の砂留|福山藩の砂防]]
 
[[ファイル:Doudou River Check dam-06-03.jpg|200px|right|thumb|堂々川6番砂留]]
 
福山藩は、船運航路確保{{Sfn|国交省概要|p=35}}および土砂災害に対する重要政策として「砂留」という[[砂防ダム]]を建設しており、この時代に28基普請された{{Sfn|国交省概要|p=27}}。福山城博物館所蔵『三谷家文書』に[[天保]]年間(1830年から1843年)に行われた砂留普請の記録が残っている{{Sfn|国交省概要|p=27}}。
 
 
 
神辺地区にある支流高屋川の支流(芦田川二次支流)である堂々川には、日本に現存する中でも古い部類の砂防ダムがある{{Sfn|国交省概要|p=27}}。この"堂々川砂留"は空石積堰堤で作られ現在1番から6番まで現存しており、最も上流に位置する6番砂留は1835年([[天保]]6年)竣工で最大規模の砂留である{{Sfn|国交省概要|p=27}}。堂々川支流(三次支流)にある"鳶ヶ迫砂留""内廣砂留"も当時作られたもので、周辺は親水護岸や公園が県により整備されている。これら「[[堂々川砂留群]]」は2006年に国の[[登録有形文化財]]に登録されている<ref>{{Cite web|url=http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-rekishiminzoku/3149.html|title=神辺の文化財(国指定文化財)|publisher=福山市神辺歴史民俗資料館|accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
=== 疏水 ===
 
上記の通り古来から慢性的な水不足であったため、農業用水の確保も問題であった。1961年三川ダム建設に伴うかんがい排水事業として、七社頭首工で取水し市内中心部まで引水する「[[芦田川用水]]」が建設された。この芦田川用水は[[疏水百選]]に選ばれている。<ref>{{Cite web|url=http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/midori/m_walk/course7/087asi/index.html|title=疏水百選・芦田川用水(広島県)|publisher=農林水産省|accessdate=2014-03-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.inakajin.or.jp/sosui_old/hiroshima/a/453/index.html|title=芦田川用水|publisher=疏水名鑑|accessdate=2014-03-05}}</ref>
 
 
 
規模の大きい農業用水の取水施設として以下の取水口がある{{Sfn|国交省概要|pp=54-55}}
 
* 七社頭首工 - 福山市駅家、最大取水量:1秒あたり2.896立方メートル
 
* 井溝用水 - 福山市駅家、最大取水量:1秒あたり1.438立方メートル
 
* 六地蔵用水 - 府中市、最大取水量:1秒あたり0.102立方メートル
 
* 五ヶ村用水 - 府中市、最大取水量:1秒あたり0.344立方メートル
 
* 父石大井手堰用水 - 府中市、最大取水量:1秒あたり0.129立方メートル
 
 
 
=== 発電所 ===
 
{| class="sortable wikitable" style="width:100%; text-align:center; font-size:small;"
 
|+ <strong style="font-size:middle;">芦田川水系の発電所{{Sfn|国交省概要|p=56}}<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/fcmikawa/damunogimonn.htm|title=ダムの疑問|publisher=三川ダム管理事務所|accessdate=2014-03-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://j-water.jp/database/detail.php?no=50|title=藤尾発電所|publisher=小水力発電データベース|accessdate=2011-08-26 |archiveurl=http://archive.is/PHB3 |archivedate=2012-07-12}}</ref><br/>出力単位はキロワット。
 
|-
 
!{{Nowrap|河川}}<br />
 
!発電所<br />
 
!認可出力<br />
 
!{{Nowrap|発電形式}}<br />
 
!発電方式<br/>
 
!取水元<br/>
 
!事業者<br />
 
!運転開始年<br />
 
!備考<br />
 
|-
 
|芦田川||[[八田原ダム#府中発電所|府中]]||align="right"|12,300||ダム水路式||逆調整池式||八田原ダム||[[中国電力]]||1963||
 
|-
 
|芦田川||三川||align="right"|148||水路式||流れ込み式||三川ダム||[[農業協同組合|JA]]尾道||不明||小水力発電
 
|-
 
|神谷川||藤尾||align="right"|77||水路式||流れ込み式||藤尾発電所堰堤||JA福山||1959||小水力発電
 
|}
 
 
 
=== 橋梁 ===
 
{{ external media
 
| topic = [[広島県立文書館]]所有の戦前の絵葉書。
 
| align  =
 
| width  = 200px
 
| image1 = [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/picture/images/200407-1780_01.jpg [絵葉書](福山 草戸大橋)]
 
| image2 = [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/picture/images/200407-1787_01.jpg [絵葉書](備後 芦田川 神島橋)]
 
}}
 
主な[[橋梁]]は次のとおり(以下上流から)。<!-- 著名または延長100メートル以上で出典のあるものを記入。 -->
 
* 八田原大橋(世羅郡世羅町大字小谷 - 世羅町大字宇津戸) …… 八田原ダムに架かる道路橋であり、ダム湖建設により[[広島県道404号小谷宇津戸線]]付替のため整備された橋。2径間連続鋼[[斜張橋]]、橋長230m、幅員8.5m<ref>{{cite web |title=八田原大橋(はったばらおおはし)|publisher=広島県|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/hattabara-bridge.html |accessdate=2014-07-11}}</ref><ref>{{cite web |title=八田原大橋|publisher=広島県観光サイト|url=http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=7370 |accessdate=2014-07-11}}</ref>。
 
* [[夢吊橋]](世羅郡世羅町大字小谷 - 府中市諸毛町) …… 八田原大橋と同じく八田原ダムのダム湖に架橋。[[橋脚]]のない[[プレキャストコンクリート|PC]]吊床版橋という珍しい橋種で、この形式の橋としては世界一の支間長を誇る<ref>{{cite web |title=夢吊橋(ゆめつりばし) |publisher=広島県|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/yumetsuri-bridge.html |accessdate=2014-07-11}}</ref>。
 
* 潜り橋群(中流域に8橋) …… この地には洪水時に水没する「潜り橋([[沈下橋]])」が存在する。幅約50cmで3から5本の細いコンクリートパネル(床版)が並ぶ全幅普通車1台分の橋で、地元では生活道路として車も通行している。一部の橋の上流側に、水没した際に流木による損傷を防ぎ越流させるための工夫(下写真の橋の右側にある斜め部材)が施されている。芦田川にはかつてはこのような橋が数多く見られたものの、近年は徐々に減少している。この府中市父石町から福山市御幸町中津原にかけて約17km(距離標31.0kmから14.0km{{Sfn|国交省概要|p=80}})の間に8橋ある状況は全国的に見ても珍しいものとなっている<ref>{{cite web |title=芦田川の潜り橋群(あしだがわのもぐりばしぐん) |publisher=広島県|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/submerged-bridge.html |accessdate=2014-07-11}}</ref>。
 
* 山手橋(福山市北本庄 - 同市山手町) …… 延長312メートル、幅19.8メートル。福山[[市町村道|市道]]の橋。[[2004年]]([[平成]]16年)より架け替え事業に着手、[[2013年]](平成25年)[[3月30日]]に完成式。架け替えでは、上下線を片側ずつ離れた位置で建造し、横に移動させて一体化する「横取り工法」を採用。<ref>{{cite news |title=山手橋完成祝う 福山 |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |date=2013-03-31 |url=http://archive.is/nmo57 |accessdate=2014-03-05}}</ref><ref>{{cite news |title=山手橋の架け替え完了 福山市、朝夕の渋滞解消 |newspaper=[[山陽新聞]] |publisher= [[山陽新聞社]] |date=2013-03-31 |url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013033110141727/ |accessdate=2014-03-05}}</ref>
 
* 芦田川大橋(福山市箕島町 - 同市水呑町) …… 福山市内唯一の斜張橋。鋼5径間連続斜張橋、橋長491.0メートル<ref>{{Cite web|url=http://www.yachiyo-eng.co.jp/news/2003/11/003183.html|title=芦田川大橋|publisher=八千代エンジニヤリング|accessdate=2014-03-05}}</ref>。[[広島県道380号水呑手城線]]の橋。[[2002年]](平成14年)には、地元土木業者と暴力団による現場建設[[共同企業体|JV]]に対する恐喝未遂事件が発覚<ref>{{cite news |title=むしばまれる公共事業「黒い疑惑やっとメス」 |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |date=2002-10-19 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/public/Mk02101903.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20071027125452/http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/public/Mk02101903.html |archivedate=2007-10-27 |accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
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ファイル:Hatabara bridge.jpg|八田原大橋。
 
ファイル:Yumetsuri Bridge.jpg|夢吊橋。
 
ファイル:Ashida-chika-bridge.jpg|府中市に存在する大型コンクリートパネルを使用した沈下橋。
 
ファイル:Ashidakawa Bridge.jpg|芦田川大橋。
 
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== 産業 ==
 
流域の土地利用は、約88%が山地・原野、約10%が農地で、残りが宅地等利用である{{Sfn|国交省概要|p=29}}。
 
 
 
流域市町村における米の作付面積は広島県全体の約29%を占め、芦田川流域は県における穀倉地帯となっている{{Sfn|国交省概要|p=29}}。これら水田は、上・中流域は[[平安時代]]からの開墾により{{Sfn|県概要上流|p=2}}、下流域は江戸時代からの干拓などにより形成されたものである。
 
 
 
その他産物として、上流域の世羅町は県における[[マツタケ]]の産地の一つ{{Sfn|国交省概要|p=29}}。中流域の芦田・新市町は[[備後絣]]の産地であり、江戸時代末期に生まれ、かつてはこの川を干場として利用していた<ref name="2000-12-24"/>。また新市は[[キク|菊]]の産地でもあり{{Sfn|県概要下流|p=2}}、府中は[[家具]]([[府中家具]])の産地でもある{{Sfn|国交省概要|p=30}}。福山藩が下流域に栽培を推進した[[イグサ]]は、高級[[畳表|畳]]「備後表」として名物となった<ref>[http://www.sannomaru.com/ishigaki/castle/history.htm 福山駅前水辺公園プロジェクト]</ref>{{Sfn|国交省概要|p=30}}。河口付近は[[クワイ]]の産地であり、生産量日本一を誇る<ref>{{Cite web|date=2002-12-20|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Ryouri/itsuzai8.html|title=お料理1週間 古里逸材|publisher=中国新聞|accessdate=2014-03-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.jafukuyama.or.jp/tokusanhin.html#kuwai|title=クワイ|publisher=JA福山|accessdate=2014-03-05}}</ref>。
 
 
 
河口の沖では他の[[瀬戸内海]]周辺と同様に[[カタクチイワシ]]漁が盛んで、[[いりこ]]や[[ちりめんじゃこ]]が名物となっている{{Sfn|国交省概要|p=30}}。上記の通り、河口の干潟は昔は[[富士川漻]]指導のもと[[アサクサノリ]]養殖が盛んに行われ、「ミノミアサクサ」と呼ばれ東京の業者によって浅草海苔として全国に販売されていた<ref name="chugoku980209" />が、河口堰により養殖業者は減っている。
 
 
 
下流域に重化学工業地帯が栄え{{Sfn|国交省概要|p=29}}、それにより工業用用水確保のため河川改修が行われてきた側面もある。例えば河口湖からJFEスチールに向けて「福山市工業用水」として1秒あたり1.968立方メートル{{Sfn|国交省概要|pp=54-55}}、1日あたり38,000トン<ref name="chugokunewseto" />供給している。
 
 
 
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ファイル:Bingo gasuri.jpg|備後絣を利用した座布団
 
ファイル:Sagittaria trifolia.JPG|クワイ
 
ファイル:Fukuyama city industrial area.JPG|JFEスチール
 
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== 並行する交通 ==
 
=== 鉄道 ===
 
* [[西日本旅客鉄道]][[福塩線]]([[備後三川駅]] - [[福山駅]]間)
 
: 福塩線備後三川駅-[[河佐駅]]間は[[八田原ダム]]の建設により[[1989年]][[4月20日]]から線路付替えが行われた。途中にあった[[八田原駅]]は湖底に沈むこととなり、廃止された。八田原ダムの堰堤直下に、旧路線や鉄橋、トンネルなどが残っており、一帯が公園となっている。
 
 
 
=== 道路 ===
 
* [[国道432号]]
 
* [[国道486号]](旧古代[[山陽道]])、御調川にも並行。
 
 
 
== 舞台にした作品 ==
 
* 『芦田川ブルース』 ([[1970年]]ごろに発表された[[ご当地ソング]]<ref>{{cite news |title=ご当地ソングCDを自主製作 |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |date=2013-04-09 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201304090023.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130414015432/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201304090023.html |archivedate=2013-04-14 |accessdate=2014-03-05}}</ref>)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考資料 ==
 
* 国土交通省『[http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/ashida_index.html 河川整備基本方針 > 芦田川水系]』
 
** {{Cite book|和書
 
|author      = 国土交通省
 
|title      = 芦田川水系流域及び河川の概要
 
|url        = http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/ashida-4.pdf
 
|format=PDF
 
|accessdate  = 2014-03-05
 
|ref        =  {{sfnRef|国交省概要}}
 
}}
 
* 広島県『[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/99/1172452160438.html 一級河川芦田川水系芦田川上流ブロック河川整備計画]』
 
** {{Cite book|和書
 
|author      = 広島県
 
|title      = 芦田川ブロックの概要
 
|url        = http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/11025.pdf
 
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|accessdate  = 2014-03-05
 
|ref        = {{sfnRef|県概要上流}}
 
}}
 
* 広島県『[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/99/1172449971586.html 一級河川芦田川水系芦田川下流ブロック河川整備計画]』
 
** {{Cite book|和書
 
|author      = 広島県
 
|title      = ブロックの概要
 
|url        = http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/11009.pdf
 
|format=PDF
 
|accessdate  = 2014-03-05
 
|ref        = {{sfnRef|県概要下流}}
 
}}
 
* [http://www.rcc.net/prewar-film/pref_hiroshima_content.htm ひろしま戦前の風景] - 中国放送(RCC)。戦前の映像がある。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{commonscat|Ashida River}}
 
* [[日本の川一覧]]
 
* [[日本の一級河川一覧]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.cgr.mlit.go.jp/cginfo/syokai/busyo/kasen/suikei/asida.htm 芦田川] - 国土交通省
 
* [http://www.cgr.mlit.go.jp/fukuyama/kasen/ 河川事業] - 国土交通省中国地方整備局福山河川国道事務所
 
* [http://www.cgr.mlit.go.jp/fukuyama/mirumirukan/index.htm 芦田川見る視る館] - 国土交通省
 
* [http://fm777.co.jp/pc/aemc/index.html 芦田川環境マネジメントセンター]
 
  
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広島県東部,吉備高原の世羅山中に源を発し,御調川 (みつぎがわ) ,高屋川を合わせてほぼ南東流,福山市で瀬戸内海に注ぐ川。全長約 80km。蛇行による河道変遷が激しく,流域は水害に悩まされてきた。 1928年以降数次にわたる河川改修工事が行なわれ,上流の世羅町甲山地区に流量調節用の三川ダムが建設されるなど治水対策が進んだ。下流の三角州一帯の[[福山平野]]は肥沃で,広く水田が開け,広島県東部最大の穀倉地帯。 1975年工業用水確保のための河口堰が完成した。地先には広大な埋立地が造成され,世界屈指の規模を誇る製鉄所が立地する。
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[[Category:芦田川水系|*]]
 
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芦田川(あしだがわ)

広島県東部,吉備高原の世羅山中に源を発し,御調川 (みつぎがわ) ,高屋川を合わせてほぼ南東流,福山市で瀬戸内海に注ぐ川。全長約 80km。蛇行による河道変遷が激しく,流域は水害に悩まされてきた。 1928年以降数次にわたる河川改修工事が行なわれ,上流の世羅町甲山地区に流量調節用の三川ダムが建設されるなど治水対策が進んだ。下流の三角州一帯の福山平野は肥沃で,広く水田が開け,広島県東部最大の穀倉地帯。 1975年工業用水確保のための河口堰が完成した。地先には広大な埋立地が造成され,世界屈指の規模を誇る製鉄所が立地する。




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