船橋ヘルスセンター

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船橋ヘルスセンター
Funabashi Health Center
店舗概要
所在地 273(現・273-0012)
千葉県船橋市浜町2丁目1-1
座標 東経139度59分24.5秒北緯35.685667度 東経139.990139度35.685667; 139.990139
開業日 1955年(昭和30年)11月3日
閉業日 1977年(昭和52年)5月5日
正式名称 船橋ヘルスセンター
土地所有者 朝日土地興業株式会社

株式会社船橋ヘルスセンター
(三井不動産株式会社)
施設所有者 社団法人船橋ヘルスセンター

株式会社船橋ヘルスセンター
営業時間 9:00 - 21:00
後身 ららぽーと船橋ショッピングセンター

ららぽーとTOKYO-BAY
最寄駅 京成電鉄 京成本線船橋競馬場前駅

センター競馬場前駅
(現・船橋競馬場駅

船橋ヘルスセンター(ふなばしヘルスセンター・1955年11月3日 - 1977年5月5日閉館)は、かつて千葉県船橋市浜町に存在した総合レジャー施設である。

概要

1955年11月3日オープン。「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズにした健康ランド的施設ではあるが、浴場のみならず大プールや遊戯施設、子会社経営で隣接する船橋サーキットなども含む大規模な総合レジャー施設である。

1962年関東ローカルで放送されたテレビCM横山隆一作画による老人のアニメと三木鶏郎作詞・作曲、楠トシエ歌唱によるCMソング)で多くの人々に知られるようになった。

全盛期にはザ・タイガースなど当時の人気歌手・グループによる「歌謡ショー」が屋外ステージで行われたほか、人気テレビ番組8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)の公開放送も行われた。また、ローラースケート場はTBSが中継を行っていた国際プロレスの試合会場としても使用された。

しかし1970年代に突入した頃からレジャーの多様化による来場者数の減少が始まり、さらに1971年には地盤沈下抑制のため温泉・ガスの汲み上げを差し止められたことが致命的となり1977年5月5日で閉園。21年半の歴史に幕を閉じた。

その後施設は撤去され、跡地には商業複合施設「ららぽーと船橋ショッピングセンター」(現・ららぽーとTOKYO-BAY)」が建設され1981年4月2日にオープンした。

沿革

  • 1951年昭和26年):千葉県、通産省の補助を受け富津鉱区でガスの試掘開始
  • 1952年(昭和27年):船橋海岸の埋立地で採掘(深度約1000m)を行い成功(南関東ガス田)。天然ガスとともに温泉(29℃)が湧出。
  • 1953年(昭和28年):船橋市、大衆温泉施設の建設を決める。丹沢善利が社団法人船橋ヘルスセンターを設置し、4月には朝日土地興業株式会社を設立、自ら社長に就任する。
  • 1955年(昭和30年)11月3日:船橋ヘルスセンターオープン。入浴料は120円。[† 1]
  • 1963年(昭和38年)12月1日:最寄京成電鉄京成本線船橋競馬場前駅が、センター競馬場前駅に改称。
  • 1970年(昭和45年)1月:社団法人の解散により新たな運営会社として三井不動産が100%出資する「株式会社船橋ヘルスセンター[† 2]」を資本金5億円で設立。4月、オーナーである朝日土地興業株式会社が三井不動産と合併。
  • 1977年(昭和52年)5月5日:閉園。ただし現在の国道357号より南側にあったプール(ゴールデンビーチ)は、その後数年間は夏期営業を続行した。

主要施設

  • 巨大温泉(ローマ風呂)・岩風呂・牛乳風呂・子供風呂・家族風呂
  • 舞台付きの宴会場
  • 人工ビーチ(ゴールデン・ビーチ)
  • 海水プール
  • 劇場
  • ゴルフ場
  • ボウリング場
  • 美術館
  • 遊園地
  • 水上スキー
  • 卓球場
  • 商店街
  • 宿泊施設
  • ローラースケート場
  • アイススケート場
  • サーキット場(船橋サーキット)→後に船橋オートレース場
  • 人工芝スキー場
  • 野球場
  • テニスコート
  • 遊覧船(帆船がりばあ号1964年、横浜ヨット建造)→後に名古屋港遊覧船で運行。1980年代頃[† 3]まで運行し、その後の詳細は不明。また、船橋ヘルスセンター跡地のららぽーとTOKYO-BAYにがりばあ号を模した遊具「ららぽーと号」ができる。
  • 遊覧飛行機用の飛行場(船橋飛行場
  • 大滝すべり
  • ドッグレース場
  • 遊技場(ゲームセンター)

名残

  • ららぽーとには2007年3月31日に閉館した温浴施設ららぽーとの湯 常盤殿」が存在したが、温泉ではない。
  • 最寄駅のセンター競馬場前駅は閉園後もそのままの駅名で営業を続け、10年後の1987年4月1日に現駅名の船橋競馬場駅に改称された[† 4]
  • 営業期間中には送迎にも利用されていたと思われる「ヘルスセンター交通」という社名のタクシー業者が存在した。同社は閉園後も存続したが、26年後の2003年飛鳥交通に売却され現存しない。
  • 京成バスシステム路線バス 船71系統(船橋駅 - 南船橋駅)には「劇場前」というバス停が存在していた。これは当センターに併設されていた大劇場の名残で、センター閉園後も「船橋ららぽーと劇場」として施設が存続したためである。劇場の閉館後もバス停はそのまま存続したが2014年2月15日に「親水公園東」に改称された。

フィクション作品への露出

脚注

注釈

  1. 当時は喫茶店でのコーヒー1杯が50円程度であり比較的低料金であるため、県内はもとより遠方からも観光バスなどで来園するほどの爆発的人気を呼んだ。最盛期には年間400万人の来園者を記録。1966年に開業した常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)と並び、関東以北では成田山新勝寺への参拝とのセットで団体ツアーを組む旅行会社も多数存在した。
  2. 同社は1984年に「株式会社ららぽーと」へ改称。2008年には「ららぽーとマネジメント株式会社」への再改称を経て、2013年「三井不動産商業マネジメント株式会社」となり現在に至る。
  3. NAGOYA SIGHTSEEING BOAT - Boat Photos少なくとも1979年に名古屋でプロのカメラマンが撮影したカラー写真が記録されている。
  4. 同駅は花輪→京成花輪→船橋競馬場前→センター競馬場前→船橋競馬場と4回の改称実績がある。

参考文献

関連項目

外部リンク