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{{出典の明記|date=2017年7月}}
 
{{混同|x1=事業を興すこと|興業}}
 
'''興行'''(こうぎょう)とは、ひとつの会場に大衆を観客として集め、観客から入場料をとる代わりに[[娯楽]]を提供する行為、あるいはその内容自体。言葉の意味は英語圏における「[[ショー・ビジネス]]」と重なる。
 
  
== 概要 ==
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'''興行'''(こうぎょう)
=== 興行の内容 ===
 
* [[映画]]等の映像
 
* [[音楽]]
 
* [[演劇]]
 
* [[演芸]]
 
* [[スポーツ]]
 
など
 
  
=== 事業分類 ===
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各種の芸能やスポーツを,入場料を取って観客の観覧に供すること,またはその準備一切を含む事業。古代や中世では,演劇は国家やギルドによって主催され,あるいは旅芸人や貴族のおかかえ芸人による私的芸能であって,厳密な意味での興行は存在しなかった。しかし,ルネサンス期になると劇場経営者が現れ,興行の形態をとりはじめた。
日本において興行に関する事業は、総務省[[統計局]]の「[[日本標準産業分類]]」([[2014年|平成26年]]4月1日施行)に基づき、大分類「生活関連サービス業、娯楽業」の中分類80「娯楽業」として分類される。そのうち主に、分類番号802「興行場(別掲を除く)、興行団」に興行に関する業種が配置されている<ref>[http://www.soumu.go.jp/main_content/000290733.pdf 説明及び内容例示 大分類 N 生活関連サービス業,娯楽業] 総務省</ref>。
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19世紀までは,多くは主演俳優が演出と興行の両面で主導権を握ったが,20世紀になると,舞台上の責任者である演出家と興行の実務を担当する製作者の2つに機能が分れ,さらに興行は個人企業のみでなく,劇場シンジケートや興行会社のような組織体によっても行われるようになった。日本では,古くは勧進興行として寺社の建築や修復の資金調達の目的に芸能を供する形をとったのが始り。室町時代後期には寺社修復は名目だけになる。江戸時代には興行権は世襲の特権となり,特定の名義人に免許された。その名義人を名代といい,[[座元]][[太夫元]],小屋主,お仕打 ([[金主]] ) などと重なる場合もあった。この興行権の免許は劇場の制限官許制度でもあり,許された劇場は入口屋上に櫓 (やぐら) を上げ,櫓幕に座元の紋を染め抜いて官許の印とした。歌舞伎にあっては,江戸時代中期から幕末にかけて,ほぼ季節によって興行形態を定め,顔見世興行 (11月) ,初春興行 (正月) ,弥生興行 (3月) ,皐月興行 (5月) ,夏興行 (8月) ,盆興行または秋興行 (8月か9月) と,庶民の生活に欠かせない年中行事となっていた。
 
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興行を主催する事業者を英語で'''プロモーター'''(promoter)と呼ぶ<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%5Bpromoter%5D-813715 プロモーター] [[コトバンク]] - 典拠は[[ヤマハミュージックメディア]]「音楽用語ダス」</ref>。
 
; 興行場の例
 
* [[映画館]]
 
* [[劇場]]、[[寄席]]・演芸場および、それらを所有・経営する事業者
 
* 劇団・歌劇団が所有する劇場
 
* プロスポーツチームが所有する球場等
 
; 興行団の例
 
* 興行場を持たずして、興行を企画する事業者([[コンサートプロモーターズ協会]]所属企業など)
 
* 自ら持つ興行場で公演する、あるいは契約により出演する劇団・歌劇団
 
* 俳優、舞踊家、落語家、またはそれらが所属する[[芸能事務所]]
 
* プロ野球等のプロスポーツチーム、プロレス団体
 
 
 
=== 法律 ===
 
[[著作権]]には支分権として「興行権」が含まれる。現行の[[著作権法]]下では上演権および演奏権・上映権に分割されて解される<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%A8%A9-61753 興行権] [[コトバンク]] - 典拠は小学館「デジタル大辞泉」など</ref>。
 
 
 
興行場を営業するためには[[興行場法]]2条に基づき、[[都道府県知事]]の[[許可]]が必要である。
 
 
 
== 現代のスポーツ興行 ==
 
[[アマチュア]]の祭典であったはずの[[近代オリンピック]]が、[[1984年]]の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]以降、事実上商業的な興行になってしまったという指摘がある。テレビ放映料、[[スポンサー]]からの多額の協賛金、そして、プロスポーツ同様、観客から入場料を徴収するシステムを採用したことなどで、ロサンゼルス五輪は結果1セントの税金も使わず、多額の黒字を達成した。
 
 
 
現代のプロスポーツ興行では主に格闘技の興行などで[[八百長]]といった不正試合が度々問題になることがある。日本の総合格闘技「[[修斗]]」は、創設以来一切の不正試合を行っていないと公言している<ref>[http://www.x-shooto.jp/what/index.html 修斗とは?]X-SHOOTO</ref>。
 
 
 
== 暴力団との関係 ==
 
狭い区域にたくさんの観衆を集めるという構造上の特質から、暴力による妨害に弱いため、古くから不良を手なずける意味もあって、[[ヤクザ]]者・[[暴力団]]との腐れ縁があり、またヤクザ自身が興行を手がけることも多かった。[[山口組]]の[[田岡一雄]]は昭和20年代の雑誌には「売り出し中の興行師」などと紹介されている。
 
 
 
かつて存在した日本の[[総合格闘技]]興行「[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]」は、[[2006年]]に[[ドリームステージエンターテインメント|主催会社]]と暴力団との関係を「[[週刊現代]]」に報じられ、イベントが消滅した。
 
 
 
プロ[[ボクシング]]団体「[[日本IBF]]」の初代アジアコミッショナーは、[[暴力団]]「[[柳川組]]」初代組長の[[柳川次郎]]であり、日本IBFのボクシング興行に関わっていた(ただし、日本IBFに関わっていた頃にはヤクザを引退していた)。
 
 
 
かつて日本国内で[[キックボクシング]]興行を打っていた「[[全日本キックボクシング連盟]]」は、[[2009年]]、代表を務めていた人物による[[偽装結婚]]([[公正証書]]原本不実記録・同供用)の容疑での逮捕と偽装結婚の元締めの[[暴力団]]員の逮捕が引き金となり、連盟と反社勢力との関係が報道で示唆され、連盟は解散した。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[勧進]] - [[勧進元]]
 
*[[旅芸人]]
 
*[[大道芸]]
 
*[[見世物小屋]]
 
  
 
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[[Category:娯楽]]
 
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2018/10/16/ (火) 22:17時点における版

興行(こうぎょう)

各種の芸能やスポーツを,入場料を取って観客の観覧に供すること,またはその準備一切を含む事業。古代や中世では,演劇は国家やギルドによって主催され,あるいは旅芸人や貴族のおかかえ芸人による私的芸能であって,厳密な意味での興行は存在しなかった。しかし,ルネサンス期になると劇場経営者が現れ,興行の形態をとりはじめた。

19世紀までは,多くは主演俳優が演出と興行の両面で主導権を握ったが,20世紀になると,舞台上の責任者である演出家と興行の実務を担当する製作者の2つに機能が分れ,さらに興行は個人企業のみでなく,劇場シンジケートや興行会社のような組織体によっても行われるようになった。日本では,古くは勧進興行として寺社の建築や修復の資金調達の目的に芸能を供する形をとったのが始り。室町時代後期には寺社修復は名目だけになる。江戸時代には興行権は世襲の特権となり,特定の名義人に免許された。その名義人を名代といい,座元太夫元,小屋主,お仕打 (金主 ) などと重なる場合もあった。この興行権の免許は劇場の制限官許制度でもあり,許された劇場は入口屋上に櫓 (やぐら) を上げ,櫓幕に座元の紋を染め抜いて官許の印とした。歌舞伎にあっては,江戸時代中期から幕末にかけて,ほぼ季節によって興行形態を定め,顔見世興行 (11月) ,初春興行 (正月) ,弥生興行 (3月) ,皐月興行 (5月) ,夏興行 (8月) ,盆興行または秋興行 (8月か9月) と,庶民の生活に欠かせない年中行事となっていた。


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